//// 18-1:【素敵な冒険はじまる:しかしゲーム名は『pkpkpkpkpkpkpkpkpk』】
剣士のアニエスは、剣を振るときに邪魔にならぬよう眉毛の上で切りそろえた前髪もりりしい、二十代前半の女性である。
ある日彼女は、王女からの任を受け、魔法学院のルイズ・フランソワーズという名の少女を訪ね、『幽霊屋敷』へとやってきた。
(……棺おけ?)
最初に目に入ったのは、ぼろっちい物置小屋の横に、ずらりと並んでいる棺おけだ。
貴族の子息や少女の集う学院のはずれに、いったい何のために棺おけがこんなに沢山あるのだろうか……と、アニエスは不思議に思う。
それは、なんともシュールな光景だった。
(ここは棺おけの倉庫なのか? ……寡聞にして知らぬが、最近の魔法学院の授業は、死人が出るほどにきついものなのだろうか? 貴族も大変なのだな)
と彼女は首をひねる。ガリア産のものであろう、上質な木材の棺おけだ、たぶん、自分のような平民にたいして使うものではなかろう。
「……頼もう」
王女が『屋敷』と言うからには大きな建物を想像していたのだが、指定された場所には結局、ぼろっちい物置小屋があるばかりだった。
何かの間違いのようにして、ドアの横に公爵家の家紋がとりつけてある―――そのとなりには、立て看板。書かれている赤い文字は雨で血のようににじみ、ほとんど読めない。
畏れ多くもトリステイン有数の大貴族、ヴァリエール家の子女が、こんな場所に住んでいる筈も無いだろうに―――と、途方にくれたアニエスは、あたりをしばらく彷徨ったあと、だめもととばかりに、まるで冗談のようにして物置小屋の玄関に取り付けられている呼び鈴を、鳴らしてみた。
ちりちり―――
「あら、お客様かしら……えっと、どちらさま?」
「私はアニエス、平民なので苗字はありませぬ。アンリエッタ王女殿下より、貴殿を訪ねよと命じられ、参上いたしました」
しばらくして、自分を迎えに出てきたのは、身体が細く、妙に目の焦点の合っていない、白い髪の少女だった。
王女より聞いた特徴から推測するに、彼女が王女の幼馴染に間違いないのだろう。この悪ふざけのような小屋になんともよく似合う、ひどく薄気味の悪い少女だった。
「姫さまから? ああ、そういう話もあったわね……うん、よろしくね、私がラ・ヴァリエールのルイズよ! さっ、どうぞ、中に入ってちょうだい……うふふふふ」
アンリエッタ王女からの紹介状を差し出したアニエスは、それを受け取って笑う少女をみたとたん、ぞぞっ、と背中に鳥肌が立った。
昼だというのに日もあまりさしておらず、この棺おけ倉庫はどこかおどろおどろしい雰囲気をかもしだしている。
夜になれば、幽霊が出てもおかしくないような様子であった。
アニエスは王女から、『いずれあなたには、私たちの想像もつかないような恐ろしいバケモノを相手に、戦ってもらうことになるかもしれません』、と言われている。
「剣士さん、あなた、強いのかしら」
「魔法こそ使えませぬが……少々、剣と銃との扱いを心得ておりますゆえ、失礼ながらドットやラインのメイジ相手には、正面からでも遅れをとらぬであろうと自負しております」
あの王女殿下が信頼を寄せており、自分を見定めんとする相手だ、必ずや実直な話を求めているのだろう―――なので、率直に答える。
メイジでも幽霊でもバケモノでも、鍛えに鍛えた剣で切り伏せる自信は、あるのだが……そんなアニエスにとっても、なんとも、ここは落ち着かない場所である。
そして、どう割り引いて見ても、王女が信頼しているのだというこの目の前の少女こそが、『私たちの想像もつかないような恐ろしいバケモノ』に見えてしかたがない。
部屋の中へと案内され、ああ、ここに住んでいるのか、嘘だろう冗談なのだろう、自分の家よりはるかにひどいぞ、とアニエスは自分の見ているものを信じることが出来なかった。
「あら、ティーカップどこやったかしら……えっと、ごめんこれしかないの、失礼するわね」
少女より、怪しい液体をとくとくと満たされたビーカーを突き出され、アニエスは冷や汗をながし、うっ、と喉をならした。
部屋の中にはじゅうたんがひいてあったが、なにやら動物の骨のようなものが、ところどころに散らばっている。はっきり言って、不気味すぎる。
すぐそばにある大きな棺おけには、どうやら中身が入っているらしい。棺おけの中身など……この部屋の主に問わなくとも想像がつく―――十中八九、人間の死体だ。
(……ここは、一体、何なんだ? 死体置き場(モルグ)か? 少女がひとり、本気で、こんなところに住んでいるというのか?)
部屋の中には、あきらかに人間や動物のものではない、おかしな気配が漂っている。
背筋が妙に、ぞくぞくとうすら寒い。
ときどき天井裏を、何かがととととっ、と走り回っているようだ。壁には、赤やら青、紫やら緑やら黄色やらの怪しげな液体の封じられた小瓶が、たくさん並んでいる。
開いたままの窓から、びゅうう、と風が吹き込んできて、アニエスの背筋をますます冷やした。思わず、ぶるっと震えてしまう。
「ちょっとさっきまで猛毒をいじってたから、いま換気してるところなのよ、どうか寒くても我慢してちょうだい」
「はあ、も、猛毒っ……?」
アニエスは目を白黒させて、自分に渡されたビーカーと少女とを、かわるがわる眺めるしかなかった。
(……これは、お茶……なのか? ……そうか、お茶、なのだな?)
尋ねるのも無礼だろう―――そして、少女が自分の手にしたビーカーを口元へと運ぶのを見て、すこしだけ安堵する。
出されたビーカーの中の液体は、怪しいことこのうえない―――でも、少女が自分で飲んでいることからも推測するに、どうやらお茶のようだった。
平民の自分が、貴族の手ずから入れた茶を、無駄にするわけにはいかない……
おずおずと、液体を口に含み―――なまぬるいぞ、生ぐさいぞ、なんだ、これは……貴族の飲む上等なお茶とは、こんなに奇妙奇天烈な味なのか―――
と、しみじみと感じ入りつつ―――
「あら大変、これお茶じゃない! 昨日作ったどばどばミミズ溶液だったわ……てへっ、間違えちゃった」
「―――ぶふっ!!」
盛大に、噴出した。
せっかく作ったのにああ勿体無い、とか魔法加工して無いせいでルーンが発動しなかった、とか訳のわからないことを言っている少女をよそに、アニエスは涙目で咳き込む。
「けほっ、けほけほっ、な、ななななんて、ものを!!」
「ごめんなさい、落ち着いてちょうだい……飲み物ではないけれど、べつに命に別状の無い液体だから……不安なら、はいどうぞ、これ解毒剤よ」
きびしい修行や実戦の場で、野原や森に寝ることも多くあり、ひもじい時にはさまざまなものを食べてもきたが―――無論、ミミズなどは論外である。
よく見ると、また何か怪しい小瓶を自分へと差し出す白髪の少女の手は震えており、顔もすこし青い。
どうやら彼女は、なにやら『ぞわぞわ』とした感覚に、耐えているらしい。
(来た……私にも、ぞわぞわと……気のせいか? いや、気のせいではないだろう……な? ミミズの溶液を飲んだのだ、来てもおかしくないだろう……)
アニエスは、少女の手から解毒ポーション(Antidote Potion)を受け取り、飲み干した―――直後、さらに背筋を、冷や汗がだらだらと滝のように伝う。
ひょっとすると、これにもミミズ溶液のような、怪しい材料が使われているのではないか―――と、飲んだ直後に気づいてしまったのだ。
しかし、まったくなんということか。訪ねてきていきなりミミズ汁を飲まされる羽目になるとは……次こそは猛毒とやらか、と、今後の自分の運命を思い、なかば絶望するアニエスであった。
「姉ちゃん大変だな……あの赤い髪の娘っ子と同じ匂いを感じらあ、ここじゃ、俺っちやあんたみてえな常識人が、割を食うんだ……あんたとは、仲良くやれる気がするぜ」
どこかから、くたびれ果てた亡霊のような、男性の声が聞こえてきた。
「ちょっとデルりん、あなた、私が常識人じゃないっていうの?」
「あーあー、そういや娘っ子はとっても『常死奇人』だよな、たんなるちんけな常識なんか目じゃねえ、伝説の剣の俺っちにすら到底理解のおよばねえ、大宇宙の理(ことわり)ってやつまで、たっぷりとわきまえてやがるんだなこれが」
「あら! うふふふ、デルりんってば……あはっ、照れるわ! そんなに褒めないでちょうだい」
部屋の壁には古い剣が立てかけられており、妙に上手に主をおだてるそれは、珍しくもインテリジェンス・ソードのようだった。
まったくだ、とアニエスはぴりぴりと痺れる舌をちょこんと出して冷ましながら、剣と仲良くやるのはたしかに自分の仕事に間違いないな、とぼんやり思うのであった。
(王女は言った、働き次第で、私をシュヴァリエに奉じると……平民出身の私を、貴族にして下さると……それを信じて、今はがんばれ耐えるんだ自分!!)
真っ黒な液体、解毒薬は、どばどばミミズ茶よりも、ずっとずっと危険な味がしたようだ。
折れぬくじけぬ強い心をもった女性アニエスの目にうっすらと浮かんだ涙は、きっと、そのせいだ、ぜったいにそうにちがいない。
―――
さて先日、ルイズはアンリエッタの願いで、王女の運命を占ったのだという。
王宮関係や国家関係の問題をはらむ王女の運命には、あまりにたくさんの人間たちの運命が複雑怪奇に絡まっており、ルイズにはほとんど把握しきれなかった。
たったの一言で、なにもかもを崩してしまうかもしれない……
ルイズは、自分の漠然とした占いの結果に、そこまでの自信を、もつことができなかった。
なので、「平民をひとり腹心とするが吉、王女が選びぬいたその人物は間違いなく信頼できる」といういちばん無難な良い結果だけを、告げることとなった。
「はあ、占いで……」
「あなた信じてないでしょう、まあ、いいわ、半信半疑でも……だけど、きっかけはともかく、あなたが姫さまにとって必要なのは確かなことよ」
「はい、そこは、しっかりと心得ております……王女殿下の信頼を得たこと、私アニエス、心より名誉なことだと感激しておりますがゆえ」
たしかに、あのアルビオン王国を滅ぼした魔道師<サモナー>の今後の動きに対応するためにも、心から信頼でき、自由に動ける部下が、王女には必要だったのである。
ラグドリアン湖での一件のように、またあの魔道士が何かをたくらんで、トリステイン国内に現れることも、あるかもしれない。
そんなときに迅速な対応を可能とするため、情報を集めるものが必要だ。
それぞれ貴族としての重いしがらみや仕事をもつメイジではなく、平民の腕の立つ者のなかから、王女は有能な人物を選ぶこととなった。
かくして見出された凄腕の剣士アニエスは、王女より<サモナー>を調査し足跡をたどる役目を任じられ、まず最初にわたしのおともだちに会っておきなさい、と、ルイズへと紹介されたのだった。
「ミス・ヴァリエール、まずは貴殿の持っておられる、魔道師<サモナー>という男に関する知識を、どうかご教授願いたい」
そんなわけでアニエスは、メイジのひとりやふたり殺すなど、経験豊富な自分にとっては、いくらでもやりようはある―――と、心底王女に感謝しつつ、嬉々として任務を拝命した。
たとえスクウェアメイジを相手にしたって、鍛錬をおこたらず、しっかりと作戦を練って、負けない状況を作ればよいのだ、そうやって自分は今まで生き延びてきたのだ、と。
ルイズは、そんな自信と士気、高い志と王女への忠義に満ち溢れる剣士アニエスを見て、うふふふふ、と怪しく笑う。
「わかったわ、話しましょう……ところで、お茶はいらないの?」
『お茶』という言葉のせいで思い出したせいか、アニエスの舌によみがえる、強烈な味としびれ。
「げふんげふん、い、いえ、もうお茶は結構……その代わりに……みっ……み、水を一杯、いただけましたら」
アニエスがそう言ったとたん、なぜか、少女の顔がこわばる。
「えっ、あ、あなた、そんなに気に入ったのかしら―――どばどばミミズ溶液……もう、さっきのでおしまいなんだけど」
「ちち違う、ああどうか、そんな変人を見るような目で私を見ないでくれないか、欲しいのは水、アクア、ウォーター、井戸から湧き出て雨の日に空から降ってくるアレなんだ!」
今度こそ正真正銘の水の入ったビーカーを受け取り、口に含み、アニエスは痺れた舌を休め、はふう、とひとつ、大きな息をつくのであった。
さて―――
ルイズは、実際に自分で体験したこと、書物や夢、骨の精霊によって与えられた知識すべてを検索し呼び起こしながら、アニエスへと語り始める―――
浅黒い肌の男。
身長170サントちょい、青い服に金色の刺繍、へんてこな帽子、先端に竜魚の飾りのついた巨大な金色の杖。
その杖にルイズが触れて調べたところ、強力な『スキルブースト』のついた、サンクチュアリ世界産のものだった。装備可能レベルは、70を軽く超えていた。
「容姿特徴の次は、あの男の扱う魔術について、教えておきましょう」
「魔術? ……ひょっとして、系統魔法では、ないのですか」
あの男は、確かな知識と経験に基づいた、強力な魔術を操る。もしあのときデルフリンガーが居なかったら、と思うと、今でもルイズは冷や汗が出る。
「系統魔法じゃない、あいつは、ただのメイジじゃなくって……魔道探求者<ソーサラー>なのよ」
「はあ……ソーサラー? ……はい、解りました」
ルイズいわく、舐めたり油断したら痛い目にあうどころか、死ぬのだそうな。
聞きなれぬ単語に戸惑うアニエスをよそに、ルイズは神妙な表情で、語り始める。
キュルケの証言から得た情報も総合すれば、『精霊魔術』も含め、あの男の使いこなす魔術は絶大な威力、かつ多種多様だと言えよう―――
『ファイアー・ボール(Fire Ball)』、ハルケギニアのものと違い誘導性を持たないが、炸裂したときの威力はスクウェアメイジのそれを超えるだろう。
―――ふむふむ、とアニエスは、手にしたメモへと、ペンを走らせる。
『ライトニング(Lightning)』、強烈な一条の電撃は、ハルケギニアの『ライトニング・クラウド』と比べはるかに射程も長く、人をたちまち撃ち痺れさせ、焼き焦がすだろう。
―――ふむ、強敵だな、かなり苦戦しそうだ、だがそれを攻略してこその自分の任務なのだ、とアニエスはますます真剣な表情になる。
『テレキネシス(Telekinesis)』、離れた場所にあるものを、手を使わずに拾ったり操作することができる。喉をつかまれたり、頭を殴られたり、ものをぶつけられたりする。
―――そうか、視覚外から襲う必要があるのか、とアニエスは攻略法を考えはじめるが思いつかず、ルイズの話が続くようなので、いったん保留する。
『テレポート(Teleport)』、壁だって越えられる、短距離の瞬間転移魔法だ。その怖さ嫌らしさを、ルイズは痛いほどに知っている。
―――なんだと、とアニエスは驚愕する。無防備な背後をとられない方法を、なんとかして考えなければ……と、背筋に汗がにじむ。
『グラシアル・スパイク(Glacial Spike)』、対集団戦闘に特化した魔法だ、それなりの広範囲を、瞬時に零下へと誘い、凍りつかせる氷弾を放つ。
―――なんだと、傭兵などをやとい、多人数でいっせいに襲い掛かる方法もとれないのか、とアニエスの背筋にわきでる汗の粒は、倍プッシュだ。
『マナ・シールド(Mana Shield)』、受けたダメージを精神力を身代わりにして、完全に防ぐ。もちろん展開中には、別の魔法を使用可能だ。
それはダメージを減衰する『エナジー・シールド』とは異なり、教師コルベールの作った爆薬の直撃から腕に抱えた壷すら無傷で防げるほどの、高性能な防壁だ。
最初の詠唱時は少し精神力を使うが、いったん詠唱したあとは消さないかぎり、ずっと身体の周囲に常時展開されており、維持のための精神力を消費しない。
―――いったい何を言っているんだ、そんないんちきな魔法存在していいはずがない、すわエルフの技か、とアニエスの背筋を伝う汗は、まるで滝のようになってゆく。
『インフェルノ(Inferno)』、地獄の業火の呼び名の通り、強烈な火炎を前方へと放つ。威力熱量だけなら、ファイアー・ボールよりも高い。
『ストーン・カース(Stone Curse)』、ひとつの対象に効く石化の呪い、かけられた敵は、一定時間身動きを取れなくなり、相手のなすがままだ。
『タウン・ポータル(Town Portal)』、遠距離転移魔術。基本的に<拠点に戻る>魔術なので、あらかじめ拠点と定めてある場所に対してしか使えないのが、唯一の救いだ。
―――もうだめだ、よしてくれ、私の人生(ライフ)はゼロなんだ……と、アニエスはもはや冷や汗をだらだらと流し、顔面蒼白だ。
それでも有能な彼女らしく、手にしたペンだけが、メモの上に動揺のせいでミミズののたくったような、それでも頑張れば読みかえすことの可能な文字を、どうにか書き連ねている。
『ヒーリング(Healing)』、自分ひとりの傷を瞬時に癒す魔法だ。
『フラッシュ(Flash)』、射程は相当に短いが、強烈な閃光と、極限まで圧縮された電撃を身体の周囲に放つ。敵と接触時の威力は、想像もつかない。
さらにルイズが確認し得なかったことだが、あの男は、アルビオンの戦場で貴族派の軍にたいし、もっと数々の恐ろしい魔法を、たくさんたくさん放っていたのだという。
ときに、生身で戦艦を落としたのだという。もちろん、杖が無くとも魔法は使えるという。とどめに、おそろしい魔物も、たくさん召喚できるのだという。
内に秘めた精神力は莫大で、詠唱もきわめて短く、スクウェア級のファイアーボールを休みなしで何十発も放てるのだという。
(ああ……王女殿下は……ひょっとしてわたしに、死ねと? 十七回ほど死ねと? ……ちょっとまて、スクウェアどころでは、無いぞ?)
たったいま、聞いた限りの信じがたい話が、全部本当なのだとすれば―――
何度も何度も自分の頭の中でシミュレーションをしてみても、アニエスは、たとえ可能な限り可愛らしい笑顔で逆立ちをしてみたとしても、自分の勝てる状況を想像できない。
剣を振っても銃を撃っても高性能防壁とやらに阻まれ、追い詰めてもこちらが逃げても転移魔法とやらで台無しにされ、水を含んだ耐火布を被っても防ぎきれない炎や電撃を放つ……
多人数でかかっても氷漬けにされて、なんど傷を負わせても即時回復し、懐に飛び込んだらフラッシュとやらの電撃で即死、石化の呪いで動きをとめられる……
(これは……まさか王女殿下は、『せめて良い棺おけを十七個ほど貰いなさい』と、この少女を紹介したのか? ……シュヴァリエというのは、二階級特進……だというのか?)
アニエスは、ルイズの語る情報に真っ青な顔をひきつらせ、冷や汗をだらだらと流すほかない―――そんないんちきなメイジと、王女は自分に、ひとりで戦えと言うのか!!
命を賭して国に仕え、わずかながらにも役に立つことは、確かに名誉なことではあるが―――これはいくらなんでも、自分ひとりでは無謀すぎる!!
この目の前の白髪の少女は、そんな男を一度は倒し、捕らえたというのか―――ああ、いったいどんないんちきを使ったというのか―――!!
「あ、あなたに、尋ねたい……いったい、どうやって……そのメイジに、勝利したのですか?」
「いんちきに対して、ただ初見殺しの別種のいんちきをぶつけただけよ……だからもう、対策をとられてるかもしれない」
アニエスは、絶句するほかない。
自分は子供の頃から、あまり幸福とはいえない人生を送ってきたのだが―――
そうか、この任務を受けた時点で、もうすでに、終わっていたのか―――
いや、『死というものは、たとえ女子供にだって平等に訪れる』……
幼少期より痛いほどに理解しているそれが、とうとう私にも来たということか―――
「あら、怯えてるのかしら、剣士さん? ……うふふふ、大丈夫よ、あなたの仕事は、おもに調査なんだから……もしも戦闘になったら、すぐに逃げていいのよ」
「……怯えてなどはおりませぬ、でもしかし、敵を前にして逃げるなど、王女殿下が剣士たるこの私に、望んでいるのでしょうか」
「ええ、あなたは王女殿下の大切な腹心……『絶対に生き延びて確実に情報を持ち帰ること』―――剣士さん、それこそが、あなたに託された任務なのよ」
ルイズのそんな言葉をきいて、アニエスはしばしなにやら考えていたが、やがて「うむっ」、と真顔になった。
なるほど、王女からも、『打ち倒せ』などとはひとことも言われていない。即座に国が対応するために、足どりを追え、調査して情報を持ち帰れ、というのが任務なのだ。
そのような任務(Hardcore Mode)、たしかに、貴族以上に生き延びる術に長けた、平民の私のようなものにしかできぬことだ、しかるに適役なのだろう、とアニエスはしみじみと納得した。
この後、ルイズからアニエスへと与えられる『タウン・ポータルのスクロール』や、『ヒーリング・ポーション』、その他たくさんのマジックアイテムたちが、きっとこの勇敢な剣士の任務を大きく助け、何度も窮地より救うことになるのだろう。
さて―――
「……その男は、いったい何者なのでしょうか、ご教授ねがいたい」
「あいつは、異世界の、古代ヴィジュズレイ(Vizjerei)魔道氏族の一派の人間よ……かの歴史はとても古く、ホラドリムの誕生よりも、千年以上も前から続いているの」
「はあ……異世界……そんな御伽噺のようなものが、本当に在るのですか……」
でも、大いなるラズマの永い歴史に比べたら、どっちも可愛い赤ちゃんみたいなものですけど……うふふふ、とルイズは怪しく笑いながら、続ける。
「むかしむかし、古代ヴィジュズレイは、『悪魔を支配下に置く』ための研究を、長い歴史のなかで練り続けていたわ……もちろん成功も、大きな失敗もあった」
予備知識の足りないアニエスは、はてなマークをいくつも浮かべながら、半分以上理解できない、という顔をして聞いていた。
だが、彼女にとって<サモナー>は、これから出会うかもしれない強大な敵だ、ルイズのたまに脱線しズレる話を、どうにか頑張って少しでも理解しようとしているようだ。
むかし必死に頑張って学び覚えた読み書きで、せっせとルイズの話のメモをとり、ときどき重要と思われる単語にびびっと二重線をひっぱったり、丸で囲んだりしている。
「かつて<サモナー>という言葉は称号であり敬称だったわ……今も昔もヴィジュズレイの者は、ふつう魔術師<ソーサラー(Sorcerer)>と呼ばれる……だから、強大なる魔を召喚して思うがままにあやつる術をきわめて、<サモナー>とまで呼ばれるようになったのは……はるか昔の<ホラゾン>という人物ひとりくらいしか、いないみたいなのよ」
あの男は、おそらく異世界<サンクチュアリ>からやってきたのであろう、ハルケギニアのものとはまったく異なる大系(たいけい)の魔術を扱う魔道師だ。
<サンクチュアリ>の魔物をこちらの世界へと召喚する技を持ち、<召喚士(The Summoner)>と呼ばれ、その力でアルビオンに死と恐怖と混沌を振りまいた。
何か<宇宙で一番美しいもの>を召喚するために、あらゆるものを犠牲にして『ハルケギニアに混沌を広げる』というのが、彼の行動原理のようだ。
「そしてあるとき、とうとうヴィジュズレイ一派は、<ホラゾン>とその弟<バータック>の兄弟が悪魔をたくさん利用したことで、地獄の軍勢どもの怒りを買ったの」
そして、ホラゾンとその弟、魔の力に魅せられた<バータック>の処遇をめぐって起こった、血で血をあらう大抗争のせいで、いちどヴィジュズレイは滅びかけた。
かくしてヴィジュズレイ魔道氏族(Vizjerei Mage Clan)はその教訓を活かし、悪魔使役を禁忌とし、精霊魔法(Elemental Magic)の研究を行う組織としての再出発を果たした。
同じ過ち、同じ悲劇を繰り返さぬように、禁忌の術に手を出そうとする魔術師を見つけしだい誅殺するために、暗殺者(アサシン:Assasins)の部隊まで組織したのだ。
だが、ルイズが戦ったあの<サモナー>と呼ばれている褐色肌の男のように、それでもなお禁忌の術を求め手を出し、一定の成果を得る人間は、いたようだった。
「……では、私たちの敵、その男の本名が<ホラゾン>というのですか?」
「違うわ、ホラゾンは誉れも高き歴史上の人物……でもあの男は違う、まがい物よ……ほら、確かここに、ホラゾンの肖像画があるはず……あったわ、見て」
ルイズは一冊の本を取り出し、ぱらぱらとページをまくり、アニエスへと見せる。
学院の図書館の最奥、禁書ばかりが集められた『フェニアのライブラリー』へと教師コルベールの協力を得て忍び込んで、見つけ出し奪って―――いや、借りてきた本だ。
始祖の使い魔のルーンをつけたルイズ以外の、誰もが読めない文字で書いてある、異世界の古い歴史書だ。
そのページに描かれた肖像画は、確かに、アニエスが王女より与えられた、王女およびニューカッスルの者の記憶による人相書きとも、まったく異なっていた。
「あの男はたぶん、ホラゾンの遺した悪魔使役の技をどこかで見つけ出し、研究していたんだと思う……きっと本物の<サモナー>に、なりたかったのよ」
ルイズは、王子の心を壊されたときのことを思い出し、悔しそうに、アニエスへと語る。
「あいつが、なにか禍々しい気配を帯びた、宝石のカケラみたいなものを使ったのを見た……たぶんアレが、高等な魔を召喚するためのカギ」
キュルケを殺しかけ、王党派を裏切り、ウェールズの誇りを笑いながら踏みにじった、人を人とも思わない男(Player Killer)。
魔道の探求者は、往々にして、自分の目的以外のあらゆるものの犠牲をいとわないものである。
そして、悪魔召喚とも似た、サンクチュアリにおいても一般的に『暗黒の技』と呼ばれ、忌み嫌われる秘術を行使するひとりの少女が、ここにいる。
「―――あいつ、私のことを自分と同類の『魔道の探求者』だと思ってるわ……なんて失礼なのかしら、私は、私はっ―――大いなる宇宙の理に仕える聖職者なのよ!!」
とうとう、ルイズは握り締めた拳でずどーんとテーブルを叩き、大きな声で叫んだ。
「信じられない、馬鹿みたい! なんてこと! おぞましい、吐き気がするわ! ああ―――ああ、なんで私が、あんなのと!」
ルイズは、ひどく悔しげにそう言って、唇をかんだ。その焦点の合わない目には、じんわりと薄く、涙が浮かんでいた。
学院でヘンな噂が広がることには耐えられても、<サモナー>自身に同類扱いされたことには、どうにも耐えられなかったらしい。
ラズマ僧(Rathma's Priest)というものは、かの魔道師のような、生と死とをただのゲームのようにしか見ない『生命の本分を忘れたもの』へと、激しい憤りをおぼえるものだ。
敵や邪魔するものをときに容赦なく殺しつくすネクロマンサーにとっても、守るべき、宇宙の理というものがある。
ただの見さかいの無い混沌の拡大を行うものは、そんなラズマの聖職者たちにとって、唾棄すべき邪悪にほかならない。
それがわからないアニエスは、ただ呆気に取られて、「どう見ても同類なのでは?」と思いながら、白髪の少女を眺めているしかない。
「私も、姫さま……いえ、アンリエッタ王女殿下も、思ってるわ―――『あいつだけは、どんなに泣いて謝っても、絶対に許してあげない』、って」
だが―――なるほど<サモナー>とは、いずれ必ず叩かねばならない敵なのだ、という気概は、アニエスにも伝わってきたようだ。
「……ミス・ヴァリエール、あなたは、異教徒なのだと王女殿下より聞きました」
「そうよ、ブリミル教徒の籍もあるけれど……私は大いなるラズマの聖職者、まだまだ見習いだけど……こんなままならない世の中でも、いつか堂々と、そう名乗りたいわ―――剣士さん、あなたは?」
「私は新教徒……ときに異端の烙印を押され、虐げられたこともある、民の出なのだ」
アニエスは、そう言ってどこか遠くをみるような目をした。
ルイズは、ひとつため息をついたあと、にやにやと笑った。この剣士の女性にたくさん取り憑いている、『何者か』を見たらしい。
「あら大変そうね……うふふ、いっそのこと、あなたもラズマに入信しないかしら、幸せになれるわ! いまならこの猛毒ワナつきの立派な壷(Jar)がついてきてとってもお得!」
「謹んでご遠慮させていただきます」
凄腕の剣士、アニエスの冒険は、まずこの気味の悪い白髪の少女をどうにかするところから始めないといけないらしい。
「タバサ、あなたはどうかしら?」
「要らない」
「あらそう、残念だわ……」
ルイズが誰かへと問いかけ、自分とインテリジェンスソード以外の誰かの返事がきたので、アニエスは「ひっ」と息を呑み、表情を硬くした。
まるで置物であるかのように、ずっと無言で読書をしていた眼鏡の少女が、最初からこの部屋の中に居たことに―――
このときになって、ようやく、気づいたのであった。
(くっ……この少女、かなり出来る! いったい何者か……この私に気配を悟らせないとは、すわ只者ではない―――)
とも思うが、あまりに怪しい気配ばかりに満ち溢れている部屋だ、仕方が無いか、まだまだ私も及ばぬな―――と、肩をすくめる、アニエスであった。
//// 18-2:【PVP:骨球ネクロは見かけたらまずPKだと疑えって婆っちゃが言ってた】
話がひと段落したころには、もう夕刻だった。
ルイズとアニエス、そしてタバサは、『幽霊屋敷』の裏庭に出てきている。近くの林でカラスがかあ、と鳴いた。
「腕試し、ですか」
「ええ、それと、<サモナー>や魔物と出会ったとき、あなたが生き延びるためのコツを、実際に体験して覚えておいて欲しいのよ……一回私とあなたで、やっておきましょう」
「承知した、それでは私アニエス、王女殿下のために、生きるために、学ばせていただく」
すこし距離をとって、向かい合う二人。真剣での勝負だ、タバサが万が一のための救護班として、『回復ポーション』を用意して見守っている。
ルイズは、夕暮れの裏庭で、『イロのたいまつ』へと精神力を流しこみ、緑色に発光させた。『骨の鎧(Bone Armor)』を展開し、身体の周囲を旋回させる。
たいするアニエスは、戸惑いつつもすらりと剣を抜いて、真剣な表情で、開戦前の礼をとる。
「最初はこれね……ゴーレムちゃん、出てきてちょうだい」
ルイズが杖を振ると、土が盛り上がり、『クレイ・ゴーレム』が召喚された。
アニエスは、なんだ、<サモナー>をいちど倒したと聞いたが、この不気味な少女は土のドットメイジなのだろうか……と、思う。
まずは、『ドットやライン相手なら正面からでも勝てる』という自分の言葉を証明するために、このどうみても普通のゴーレムの相手を、しなければならないようだった。
「―――やあっ!」
戦術もなにもなく、ただ一直線に襲い掛かってきた土のゴーレムを、身をかがめ、単純に剣で凪ぐ。腕の土は厚く重く、アニエスの技量と『固定化』のかかった剣でも、一撃で切りとばすことはできなかった。
ただちに再生はしないようだ、それなら足を重点的に狙えば、しばらくゴーレムの攻撃をかわし、何度も攻撃しているうちに、倒すことは出来るだろう。
(ふむ、妙に……硬いゴーレムだな、まあ、使えるのは一体だけらしい……ドットメイジで正しいのか、さて、このあと、どんないんちきを使うのか)
やはり、何度か同じパターンでちまちまと繰り返し攻撃しているうちに、アニエスは少女のゴーレムを倒壊させることが出来た。
この少女のゴーレムの扱いは、学生にしては悪くないほうなのだろうが、実戦の場で何度も相手にしてきた土のメイジのそれと比べれば、やはり見劣りするものだ。
すこし呼吸をととのえてから、剣をかまえ、少女へと告げる。
「貴殿がこの程度とも思えぬ、次、頼もう!」
「……じゃあ、ここからが本番、いきましょう……あなた、怪我するわよ」
白髪の少女がにやにやと薄気味悪く笑い、一本のナイフを取り出した。柄のところに、水色の宝石のカケラ(Chipped Sapphire)がひとつ、とりつけられている。
それを投げるのか、それとも猛毒とやらを塗って、「へあーっ」などと奇声を上げつつ腰だめにかまえ突撃してくるのか……アニエスは、緊張する。
少女、ルイズ・フランソワーズは―――ただそれを、目の前の地面へと、ぐさり、とつきさして、数歩ぶん後ろへさがった。
「つぎは……うふふふ、剣士のあなたにとって、ひどくイヤラシイの、いくわよっ―――うふふふ、おいで、『鉄のゴーレム(Iron Golem)』ちゃん!」
ばあっ、と杖が振られ、緑色の光が宙に模様をえがく―――
そうか、また『錬金』か―――とアニエスは、次のゴーレムの出現を警戒し、油断無くかまえる。
カチャ、カカ……カカ……
もういちどゴーレムが来るのだ、と思ったとおりに、またたくまに、白銀に輝くゴーレムが、形成された。
ほう、とアニエスはそれを目にし、思わず感心してしまう。
無骨でずんぐりとした体型のゴーレムだが、パーツの継ぎ目つらなりも細密で無理なく、重なり合った輝く装甲は美しく―――なんとも見事な、騎士甲冑のようだ、と。
造形、戦術的機能美ともに、どこか長い年月による研鑽と洗練を得たもののような、気配を伺わせる……先ほどの土製と似たようなものと舐めてかかっては、いけないようだ。
足元を、なにやら美しい線のような光がゆっくりと回転している―――それが何なのか、アニエスにはわからない。
「ねえあなた、べつに腰にさげてあるその銃をつかって、直接私を狙ってもいいのよ」
「……これは腕試しなのでしょう、銃を使えば、王女殿下の幼馴染のあなたを、殺してしまうかもしれない」
「これでも三発くらいまでなら、耐えられるのよ……この『骨の鎧』が砕けても、もし手とかおなかとか狙ってくれるのなら、ケガはポーションで治せるし」
誇り高きアニエスは、気づかいなどいらぬ、とばかりに、剣をかまえる。
「出来るなら、貴殿のいんちきとやらを、使って欲しいのですが」
「あら、もう使ってるのよ、うふふふ……」
白髪の少女ルイズも、杖をかまえる。
「いくわよーっ!!」
「さあ来い!」
鉄のゴーレムの左腕は、一本の剣で出来ている―――
―――ガキイ!
その剣から繰り出される一撃は、剣術などとはとても呼べぬ、お粗末な打ち込みだった―――使役者である少女は、剣術など習ったこともないのだろう。
アニエスは堅実に、即座の反撃を考えて、自分の剣の根元で、それを軽々と受け流す―――
が、様子が、おかしい―――
(なんだ……寒気!!)
剣士アニエスの背筋に、怖気がはしる。手の感覚がおかしい。じんじんと、しだいに鈍ってゆく。
見ると、手にした剣、それを握る自分の手に霜が降り、薄い氷に包まれているではないか―――
「まだまだいくわよっ!」
「……っく!!」
速度と体重にまかせた鉄のゴーレムの攻撃は、しのげないでもないが、しのぐたびに自分の手が、だんだんと凍り付いてゆく。
ハルケギニアの系統魔法で、<凍結>は通常、水と風を足した、ライン以上のスペルである。
少女の父親ヴァリエール公爵や、姉のエレオノールは、すぐれた土のメイジであると聞く。なるほど、そうか―――
「……これは、『土』に、『水』と『風』を足したゴーレム……貴殿は、土のトライアングル・メイジだったのか」
「違うわ、私はゼロ―――『ゼロのルイズ』よ、うふふふふ」
この凍結ダメージは、ゴーレム作成基体となったナイフの、ソケットにはめ込まれていた、『サファイアの破片(Chipped Sapphire)』の効果だ。
武器防具にふたつ以上のソケットをとりつけるのは、ルイズにとってもかなりの高等技術なのだという。
いまのところ、希少な『ルーン石』を使わず<ミョズニトニルン>に頼った自力の方法では、ひとつの穴をあけるのが限度なのだが、それでも使い道はある。
そして、たった『1-3 cold damage』でも、手先の感覚を頼りにする剣士相手には、そこそこの効果が見込まれるようである。
「ゼロなどと……ご冗談を!」
アニエスは動き回って攻めに転じ、先ほどの土くれ相手のときと同じく、ゴーレムの脚部を狙い、切り払う。
いちばんよいのは使役者を直接攻撃することなのだが、それができないときの対ゴーレムや対ガーゴイル戦の常套手段は、間接部分を攻撃することである。たくさんの種類のゴーレムと、アニエスは今までの人生で、なんども戦ってきた。
土をかためて動かすもの、金属をむりやり伸縮させるもの、装甲に間接をもうけて動かすもの―――
この不気味な少女の使役するゴーレムは、今まで見たそれらどれよりも、間接部分の継ぎ目もなめらかに美しく、相当に頑丈のようだが……
氷の斬撃を放つゴーレムなど、見るのも戦うのも初めてだ、だが所詮これも素人剣技、勝てないこともなさそうだ―――
「うぐっ!!」
アニエスが額に脂汗をにじませ、苦悶の声をもらす。
こちらからゴーレムの間接の継ぎ目を正確に狙い、攻撃するたびに、なぜだか自分の身体へと、鋭い痛みが襲い来るのであった。
鉄のゴーレムは、敵から与えられる物理的なダメージを、反射する―――
ゴーレムからの攻撃はいちども受けていないのに、アニエスの全身は、たちまちのうちに、打撲擦り傷、切り傷だらけになっていた。
「へえ、それでもまだまだ使役者の私じゃなくて、そっちを攻撃しようとするんだ……あなたって、痛くされるのが好きな趣味の方なのね」
「そ、そんなわけないだろう!」
にやにやしたルイズの一言に、アニエスは真っ赤になって返した。私は優しくされるほうが……などと沸いてきた雑念を、一秒半で振り払う。
どうやらアニエスは、凍結攻撃だけではない、このゴーレムのもともと持っている『いやらしさ』に、気づいたようだった。
アイアン・ゴーレムの特性、『スキルレベル比例の反射ダメージ』、プラス、『ソーンズ(Thorns)』オーラの効果である。
「剣士さん、覚えておいて、サンクチュアリの打撃系(Melee Attacker)冒険者に多い死因は……敵の自爆に巻き込まれること、物理ダメージ反射に気づかないこと、って話よ」
「はあ、私が冒険者? ……そ、そうか、……ともかく理解した、ご教授、感謝する―――だが」
ガキッ―――!!
せめて一矢報いてやらんと、アニエスは痛みに耐えつつ、鋼のゴーレムの足を、とうとう打ち砕いた。ゴーレムはもう立てずに、地面へと転がった。
続いて剣士アニエスは、にやにやと笑う白髪の少女ルイズの首元へと、びしっ、と剣を突きつけた。
「このくらいなら、どうということはない」
全身傷だらけで、痛みをこらえながら、アニエスは力なく微笑む。
なるほど、この少女はトリステイン有数の大貴族の娘だけあって強い、良い勉強になった、と実感する。
そして、ルイズの手から、ひょい、と緑色の宝石のついた杖を、取り上げた。これは私の勝ちで、よいのだな、と安堵する。
「でも、まだ」
この戦いを見学していた、青い髪の眼鏡の少女が、ぽつりと、それだけ言った。何を言っているのだろう、とアニエスは怪訝に思う。
貴族の決闘でも、杖を手から離すのは、敗北のしるしである。首筋に剣を突きつけられ、杖を取り上げられたルイズは、薄気味悪い笑みを浮かべている。
「剣士さん、今回はそこそこ硬い鉄のゴーレム相手で良かったわね、どうかさっきの感覚を覚えておいて……反射に気づかず一撃で敵の首をはねたら、あなたは即死するわ」
「むう、なんと、いんちきな……だが感覚は多少だが、掴むことができた、しかと……心得て、おきましょう」
アニエスは、頷く。体中が痛み、肩がもうさがってしまいそうだ。
「ミス・ヴァリエール、良い経験になりました―――」
「……そう、よかったわ! うふふふ、なら特別に、もっともっと良い経験をさせてあげる……まだ、終わってないのよ」
アニエスが覗き込んだ、ルイズの瞳孔は、完全に、開いていた―――ぞぞぞっ、と背筋に、怖気が走り―――
「うっ!?」
ルイズの身体の周囲を旋回していた、白い『骨の鎧(Bone Armor)』の一部がカシャリと砕け散り、首もとへと突きつけられていた、アニエスの剣をはじいたのだ。
剣を逸らされて体勢を崩し、とたん、アニエスは恐ろしいほどの殺気を感じる。
「―――これは決闘じゃないの……愛されてるわね、どうかあなたを死なせないでって、あなたの背後のひとたちが、訴えてる」
ばあっ、と、閃光―――!!
「でも私……うふふ、あなたのこと―――今ここで、殺しちゃうかも!」
白いなにかの光の弾が、少女の細い身体の内側から飛び出してきて、アニエスを襲った。
(なにっ!?)
殺気に身体が反応したアニエスは、自分の顔面のすぐそばを通り過ぎた白い髑髏の、虚無の炎をたたえる、うつろな眼窩と目が合った。
何だ今のは、しかし回避には成功した―――反撃しなければ、と、剣の柄で少女を叩こうとするが、再び、少女の周囲に浮かぶ骨のカケラに、邪魔された。
そうか、杖が無くとも魔法が使えるとは、こういうことも起きうるのか、とアニエスは実感した。
「そうよ、……うふふっ、今みたいな状況でも、油断できないのよね」
アニエスは、こんどは蹴りで打撃を与えようとするが、不気味に笑う少女の周囲に残っていた最後の『骨の鎧』が、反応し、砕け散って衝撃を吸収し、防ぐ。
そして、高い誘導性を持ち、対人戦に優れた性能をもつ『骨の精霊(ボーン・スピリット)』が、なすすべもない剣士の背後へと、戻ってきた。慌てて振り向くが、もう遅い。
「でもね、実はね、……ついつい、敵のことをねっ、……ゴミクズとか、ミルクを拭いたあと放置したゾウキンとか、薄っぺらい<サンク>のカードを立てて作ったお城のように見ちゃう私こそねっ!! 人のこと、言えないのよ……ほんと困ったわ、あははははっ!」
バシイ―――!!
「……うん、だから、お互い慎重にいきましょう!」
「そうか……しかと自分の体で、理解した、感謝を、ああ、ミス……」
剣士アニエスは、そう言って苦笑し、剣を取り落とし、力なくかくりと両膝をつき、倒れた。
ああ、ミス・ヴァリエール、あなたが一番、五つか六つくらいの意味で、油断がならん―――と、言いかけたのであった。
「おつかれさま」
青い髪の少女、雪風のタバサがそう言って、回復ポーションを、倒れてうめくアニエスの口の中へと、突っ込んだ。
剣士の女性は上体を起こし、怪我が治ったことに目を丸くしながら、恥ずかしそうにぽりぽりと頬を掻いたあと、「ずいぶんとよく効く薬だな」と、しばし感心していた。
ルイズは剣士からたっぷりと吸い取った生命力のおかげでつやつやとしている頬をほころばせ、うふふふ、と笑いながら、「気に入ったわ」と、あれだけ『反射』をうけた上にボーン・スピリットの一撃まで受けても、気を失わなかったアニエスの生命力の強さを、賞賛するのであった。
「頑丈でしなやかな剣士の骨格……きっと、とっても綺麗なスケルトンが作れると思うの……まあ、素敵だわ……うふふふ」
いや、違うものを賞賛していたようだが、アニエスは嫌でも耳に入ってくるその言葉を、聞かなかったことにした。
//// 18-3:【PKPKPKPKPKPK!!!!!より愛をこめて】
その後、戦闘の反省会を終えたあとも、しばらくルイズと話し込んでいたアニエスは、今夜はここに泊まっていけと言われた。
好きな棺おけを使っていいわ、という申し出をアニエスは丁重に断り、結局、何度か茶や夕食を運んでくるシエスタという平民のメイドの寮に泊まることとなった。
この死体置き場らしき幽霊の出そうな部屋に、こんな薄気味の悪い少女とともに泊まるなど―――ああ、いったいどうなってしまうのか!!
(……私は猛毒を飲まされ、骨だけにされ、今後は棺おけで寝泊りするようになるのか?)
昼にも顔を出したキュルケというゲルマニア出身のメイジが、たくさんの『宝の地図』とやらを持って、ルイズとアニエスのもとへやってきた。
「ルイズ、あなた薬の材料を買うお金に困っているんでしょう、どうかしら、一緒に宝探しで一攫千金してみない?」
「うさんくさいわね、その地図だって、偽ものじゃないの?」
「でも、この中のうちひとつくらいは、本物があるかもしれないじゃない……ほら、イイ女になりたいなら、夢やロマンを追うことも大切なのよ」
ルイズ・フランソワーズは、渋っていた。「授業があるわ」、「サボればいいじゃないの、どうせいつもあなた、内職してるか寝てるかなんだし」
二人の間で、行きましょう、行かないわ、の問答が続いていた。
だが、キュルケが「タバサも行くって言ってた」という話をしたとたん、白髪のメイジも、行くことにしたようだ。
タバサといえば、あの大きな杖を持った、青い髪の眼鏡の少女のことだろう。日が落ちて暗くなったとたん、彼女は逃げるようにこの部屋から出て行ったのだ。
アニエスにも、その気持ちは解らないこともない。
「あの子、あなたが作ってくれるお薬の資金を、自分で稼ぎたいんですって」
「……わかった、わかったわキュルケ……そんな話を聞いてしまったら、私も行くしかないようね」
初対面のアニエスにも、この友人らしき三人の少女の関係がどのようなものであるか、なんとなくつかめてきたようだ。
さて―――
剣士アニエスは、火のメイジが大嫌いである。キュルケの髪や服やマントから、アニエスは、嫌な嫌な火の匂いを感じていた。
しかし、いずれトリステイン史でもなかなか例を見ない平民出身シュヴァリエになるという夢をどんなに強くみていたとしても、今はただの平民剣士でしかない自分が、身分の違う貴族にたいし、無礼をはたらくわけにはいかない。
「ねえあなた、ルイズと一戦まじえたんですって? それなら、たっぷりといろんな汗かいたんでしょう……どうかしら、貴族用のお風呂に入ってみない?」
インテリジェンス・ソードの『常識人』という評価どおり、赤い髪のメイジは、アニエスから見ても、性格だけなら非常に好感の持てる人物のように感じられた。
なにより、彼女は平民の黒髪のメイドにたっぷりと気を使い、来訪者で平民の自分にまで、よくよく気を使ってくれている。
さらに現在、キュルケは親切なことに、土地勘のないアニエスを、シエスタの住む寮まで案内し送り届ける役割を買って出てくれているのだ。
「いえ、結構……」
「あらそう、残念ね……サウナの場所は、シエスタに聞いたらいいわ、その綺麗なお肌を痛めないためにも、きちんとケアしなさいな」
たしかに、ミミズ茶も<サモナー>の話も、手合わせの最中もその後も、さまざまな原因で、冷や汗あぶら汗を嫌と言うほどにかいた。もう、汗疹(あせも)が出そうだ。
それを察してくれるとは、この赤髪のグラマーな少女も、あの白髪の少女のことで、普段よりたっぷりといらぬ苦労をしているにちがいない。
(この私が……まさか、心底憎むべき火のメイジなどに、同情心を感じるなど……!!)
そんな風にアニエスが、自分自身の感情に愕然としながらも、キュルケとともに『幽霊屋敷』から遠ざかっていたときのことだった。
「……なあ、ほら誰か来たよ、いい加減恥ずかしいから、やめなよ」
「ああ、彼女なら大丈夫さ……ぼくの、同士、なんだ」
暗い夜道、二人分の人影が、遠目に『幽霊屋敷』をのぞむ、植え込みの陰にかくれている。どうやら、学院の男子生徒のようだった。
それを見たキュルケが、慌ててそのうちの一人へと声をかける。
「ちょ、ちょっとそこのあなた、お願いだから私を同士扱いしないでよ!」
「やあミス・ツェルプストー、こんばんは……ど、どうだい、今日もゼロのルイズは、闇の女神のごとくう、うううううウゥツクシ! ……かったかい?」
ふとっちょの少年が、なにやら一言のうちで急激にテンションの上がり下がりする妙な調子で、キュルケへとそう尋ねていた。
アニエスはひとり、なにがなんだか解らず、ただ呆気にとられるほかない。
しばらくの言い合いのあと、キュルケは目に涙を浮かべ―――
ドカーン!!
『ファイアー・ボール』で少年を焼いた。アニエスは目をまんまるに開いた。
ギャーーー!!
(……焼いた……火のメイジが……炎……人が……)
アニエスは、呆然として、炎の魔法が人間を焼く場面を、見ていた。
(あれ? ……おかしい、おかしいぞ……何故だ?)
それは彼女にとっては衝撃的な場面のはずなのだが―――子供の頃に体験した同じような場面、嫌な思い出が脳裏に蘇ることは、なぜかどうしてか、なかった。
どうやらマリコルヌという名らしいその丸焦げ少年が、一分ほど前に「ぼぼぼぼくのホーリーウォーター・スプリンクラー(Holy Water Sprinkler)がアヴェンジャー!」などと言っていたあたりで、アニエスはもはや、完全に現状の理解が出来なくなっていたようだ。
「ありがとうミス、また君のおかげで、ぼくのグッドスピードな熱情(4 Frame Zeal)の暴走が、抑えられたよ……礼を言わせておくれ」
黒々と焦げた少年はそう言って、がくりと気を失った。
焼いたほうのキュルケは、鼻をくすんくすんとすすっていた。もうひとりの少年、眼鏡をかけた気弱そうな少年が、ハンケチを取り出して、彼女へと渡した。
「本当に申し訳ない、ミス・ツェルプストー……僕はこいつに、キモいからやめてよって何度も言ってるんだけど……聞いてくれないんだ」
「こちらこそ、あなたにはヴァリエールのことで苦労かけているようね、レイナール」
レイナールと呼ばれた真面目そうな少年は、キュルケへとぺこぺこと頭をさげていた。キュルケと彼は心底、同情しあっているようだった。
こんがりと焼けて倒れ伏すぽっちゃり男子生徒の前には、なにやら持ち運びを便利にする取っ手のついた、小さな祭壇のようなものがあった。
(礼拝……していたというのか? あのルイズ・フランソワーズを?)
ようやくアニエスは、事態の把握が追いついてきた―――この学院、マトモではない、あの白髪の少女を中心として、なにかおかしなものに浸食されつつあるようだ。
「迷惑かけたね、このマルコゲ……いや、マリコルヌは僕が『レビテーション』で持っていくから……あとのことは気にしないで」
「ありがとうレイナール、そうだ……これ、よく効くお薬よ……今回は加減を間違えたかもしれないから、もし彼の命が危なそうだったら、どうか飲ませてあげてちょうだいね」
「そうするよ、こちらこそ本当にありがとう、ミス・ツェルプストー」
二人の間には、なにやら美しい友情のようなものが生まれていたようだ―――
レイナールという少年は、アニエスを見て、すこし頬を染めたあと、彼女にもぺこりと礼をして「お騒がせしました」とマルコゲ物体を運びながら、去っていった。
「ごめんなさいね、この学院の恥ずかしいところを見せちゃって……」
「いや、なんとも……」
アニエスは、ただそれだけ言って、呆然としているほか無かった。
涙を浮かべながら人間を焼いていたキュルケと、その強烈な炎が、なにかとても深い慈しみに満ちているものに、見えてしまったのだ。
(大嫌いな炎の魔法が……あんなにも優しいものに、見えたなんて……私はいったい、どうしてしまったんだ?)
首をひねりつつ、アニエスは、疲れ果ててよろよろとした足取りのキュルケに肩を貸し、今宵の宿泊場所を教えてもらい、しっかりと覚えたあと―――
これはただの苦労人同士の労わりあいだからな、決して火のメイジを許したわけじゃないからな、と自分に言い聞かせながら、女子寮のキュルケの部屋にまで、そっと親しみすら感じざるを得ないこの火のメイジの少女を、送り届けてやるのであった。
//// 18-4:【私はPKでもヘンタイでもない!】
翌日―――
剣士アニエスは、平民使用人の宿舎にて一夜を明かし、『幽霊屋敷』へと向かう。
彼女は今、腰に愛用の剣を帯びていない―――昨夜、あのルイズ・フランソワーズが、「改造するわ!」と言って奪い取ったのであった。
(きちんと固定化のかかった剣だ、あれでも平民の平均年収よりも高かった、だから壊されたり何か怪しげな改造をされたり、していなければ良いのだが……)
アニエスは、昨夜のことを思い出す。
―――
「明日までには改造しておくわ、それまで代わりに、これを使っていてちょうだい」
白髪の少女より渡されたのは―――なにやら乾いた血痕のたっぷりとついた、巨大な肉切り包丁だった。
(今言ったではないか、明日までには、改造は、終わるだろうと―――ああ、いったい今夜、これをなんに使えというのだろう!!)
むろん、アニエスは即座に断った。
「いいの? ……なにか武器を帯びていなければ落ち着かないんでしょう、無理しなくていいのに」
むろん、アニエスは冷や汗をだらだらと流しながら、さらに固く固く断った。
すると、白髪の少女は、ひどく残念そうに―――
「あなたなら扱えるのよ! この包丁なら、どんな敵でも人間でも美味しく料理して、みんなを笑顔にできるのよ!」
笑顔にできるのよ!! ―――
―――
回想を終え、アニエスはため息をつく。
(あの少女は……あれを振り回して他人を笑顔にできると、本気で思っているのだろうか? それに私は、血染めの巨大な包丁を帯びて心休まるような、危険な人間ではない―――!)
むかし、他人の鍛錬につきあってやったとき、『厳しすぎる、アニエスお前は他人が傷つくことに性的嗜好をもつヘンタイなのか』、と言われたことがある。
(……ちがう、ちがう、私は断じてヘンタイなどではないんだ!!)
もちろん自分にそんな趣味など無いのだが、昨日、血まみれの肉切り包丁で人間料理を作って安息を得る人物のように想定されたのは、あのときよりもはるかに堪えたものだ。
(だいたいあんな物騒なもの、どこから拾ってきたのやら……もはや包丁ではなく、両手斧といったところだな)
一撃の威力よりも、攻撃の正確さ、スピードを重視する自分には、剣と銃とを場面に応じて使いわける(Weapon Swapping)戦い方が向いている。
あの巨大な包丁がいくら強力な武器であり、扱えるのが自分しかいないのだろうと、自分の戦い方に向いた武器ではない。
刀が折れ銃弾が尽きるときもある、なので他の種類の得物……斧や弓の扱いも、出来ないことは無いのだが、あれだけはいろんな意味で嫌だ。
さて、自分の愛用の剣は、どんな改造を受けたのだろうか―――
『杖』が貴族の魂(たましい)の象徴であるのと同様に、あの『剣』は剣士たる自分の魂の象徴である。魂そのものを、改造されているような気分だ。
わずかな期待と、絶大なる嫌な予感が、胸のうちにある。
果たして―――
昨日の物置小屋を訪ねると、白髪の少女が、ひどく申し訳なさそうな顔をしていた。
もう、嫌な予感しか、しなかった。
「本当にごめんなさい、私の責任だわ……あなたの剣を<キューブ>で改造して、ソケットが二つ開いて、切れ味と攻撃速度補正も段違いにアップしたまでは良かったんだけど……かかっていた『固定化』が、消えちゃったの」
アニエスは、目の前が真っ暗になった。
「なんとかして、絶対に、もとのより頑丈な『固定化』をかけるから、しばらく預けておいて欲しいの……代わりに、完成するまでは、これを使っていて……うんしょ、重たいわ……はい、どうぞ」
アニエスは、『ブッチャーズ・ピューピル(Butcher's Pupil)』を、渡された。
それは包丁と言うには、あまりに、大きすぎた。大きく分厚く重く、そして大雑把すぎた―――それはまさに人肉料理の鉄人の魂(たましい)だった。
何度洗っても取れないのであろう、たぶん人間のものであろう、乾いた血液の染みが、たっぷりとついていた。
そして妙に自分の手になじむような、あまりに嫌すぎる感触のする、血染めの肉切り包丁を手に―――剣士アニエスはいつまでも、石になったように、立ち尽くすほかなかった。
(包丁を手に戦う……これから私は『包丁人アニエス』と名乗らなくてはならないのか?)
脳裏に『アレ・キュイジーヌ(料理開始:Allez cuisine)!!』と高らかに宣言するアンリエッタ王女の姿が浮かぶ。
料理とは、人を笑顔にするものなのだという―――さようなら剣士の魂、そしてこんにちは料理人の魂。
(むう、炊事洗濯に掃除……家事はあまり得意ではないのだが……花嫁修業など、この年になって今まで考えたこともなかったからな……)
もう、なかば現実逃避しつつ、そんなどうでもいいことを考えているほか、なかったそうな。
―――
石像のように硬直しているアニエスの横を、青い髪の少女が、とことこと走り抜けていった。
「あら、タバサ?」
「……今夜は、無理」
雪風のメイジは、ルイズへと、そう言った。
「ひょっとして、あれが来ちゃったの?」
「そう」
「そっか、わかったわ……じゃ、終わったら、たっぷりとね、ウフフフ」
「楽しみ」
しばしの静寂。
アニエスは硬直から復活し、いったい今の会話は何だったのだろう、と考える。
(少女が二人、夜に約束……あれが来たから無理……それが終わったら―――たっぷりとお楽しみだって?)
アニエスは昨日、平民の宿舎に泊まったとき、使用人たちからこの白髪のメイジについての危険な噂を、嫌というほどに聞かされていた。
そのせいか、変な方向に想像が向かってしまうのも、しかたのないことである―――むろん、ぜったいそうにちがいない。
―――ああ、自分の目の前にいる、この小さな青い髪の少女は背も小さく、まるで子供のような体型にしか見えないが……
(この白髪の少女、ルイズ・フランソワーズ……まさか、こんなに小さな子を……見境なしなのか? やはり、『おに』のたぐいなのか?)
だが、そうか、この青い髪の少女も、もう月にいちどのあれが来るような年なのだな―――
自分が女性として成長したときには、祝ってくれるような家族も、もはや居なかったのだが―――
このどこか薄幸そうな少女は、優しい家族に、たっぷりと祝福してもらえたのだろうか―――そうだったら、いいな……
「剣士さんも、……ご一緒にどうかしら、タバサ、異存は?」
「ない」
怪しい笑顔と無表情、白髪の少女と青い髪の少女が、じーっとアニエスを見ている。
とっても仲良しのようにも見える、この二人の少女たちは……いったいどんな怪しい関係を、築いているというのだろうか。
彼女たちは自分に、何かを期待しているようだ―――それはきゃっきゃうふふの秘密の花園か―――それともサバトか、サバトなのか!!
アニエスは沸騰しそうなほどに顔を真っ赤にして、だらだらと汗を流すほかない。私は断じてヘンタイじゃない、ヘンタイじゃない……!!
「ちょうどいいわ、この機会に<ウェイポイント>を開通してもらって、<タウン・ポータル>を使った作戦遂行にも、慣れてもらいましょう」
「へ? ……は、はあ……」
どうやら、真面目な話だったらしい。
アニエスは、自分の想像のあまりの的外れっぷりに愕然とし、おそるおそる物騒な包丁を床に置いてから、がばっと両手で頭をかかえてしまった。
(いかんいかん……何なのだ、ここに来訪してから、まだほんの一昼夜しかたっていないというのに……自分の大切なものが、どんどん崩壊していくような……なんと、恐ろしい……)
タバサという少女は、どうやら今夜は別の用事ができて、今日からの予定だった『宝探しツアー』に予定通り行けなくなったということを、ルイズに伝えに来たようだった。
その『別の用事』、とやらに、アニエスは付き合うことになるのだろう。
王女からは、アニエスが捜査員として本格的に実働を始める日時まで、この白髪の少女から、出来うる限りのことを学べと言われている。
なので、任務とは矛盾しない、むしろ彼女たちへの同行を、進んで願うべきところだ。
「姫さまからの呼び出しにしてもらって、ミスタ・コルベール経由で、授業のほうは『公欠』ってことにしてもらいましょう……さあ、今夜からガリアに遠征して、終わりしだい、宝探しに移行ね」
さて、このずっしりと重たい包丁で人間を料理するような用事でなければいいのだが―――と、肩を落とし、大きなため息をつく、アニエスであった。
////【次回後編:まぎらわしいタイトルだけど白炎さん出てこないよ、そして『なあ冗談だろう、強大で恐ろしいアレを料理せよというのか?』の巻、『まさか、この包丁で本当に炎の魔法を使う人間を(ピー)する羽目になるとは……!』の巻、へと続く】