//// 17-1:【ふしゅるる】
白髪の少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、ここ三日ほど、お日様が昇ってから沈むまでの間ずっと、友人の雪風のタバサに付け回されている。
ルイズ自身には既に昔のロマリア教皇の霊が憑いているので、多少慣れてはいるのだが、まるであたかももう一人背後霊が憑いたかのようだ。
タバサは無口で静かだし、ルイズが薬の調合をしているときなどは邪魔することもなく、たいていは本を読んでいるので、害もないのだが……
うしろぐらいところのあるルイズは、あまり落ち着かない。
(どうしようかしら……たぶん、そろそろ不審に思ってるわよね……)
ルイズの友人の静かな雪風のメイジは、実際のところは勘違いなのだが、ルイズが魔道師<サモナー>から遣わされた魔物に襲われて殺されかけたと思っている。
魔法学院の中まで魔物を送り込める敵だ、一度失敗したならすぐに次の手を打ち、より強力な魔物をたくさん送り込んでくるはずだ……
彼女はそんな風に考え、ルイズを守ってくれているつもりなのだ。
でも、三日待っても、次の魔物の来る気配はない。
タバサは、どうしてこないのだろう、と不審がり始めたようだ。たぶんルイズが何かを隠している……とも気づかれたようだ。
どうやら、襲われて死に掛けたのに何も危機感を感じていないような、不自然に普段どおりのルイズの様子からも、タバサは何かがおかしいと思い始めたらしい。
(さすがタバサ、見事な洞察力だわ、そうやって今まで生き残ってきたのね……おかげで隠し続けるのにも、ボロが出てきちゃった……まいったわ)
ときどきじと目で見つめられ、ルイズは冷や汗を流すほかない。
それもそう、ルイズが死に掛けたのは、当のタバサが、ルイズと生命力を共有する『ブラッド・ゴーレム』を敵と間違えて撃破したからなのだ。
その真実を、ルイズはどうしてもタバサへと伝えることが、出来ていなかった。キュルケとルイズ、二人だけで秘密にしている。
「タバサ、わざわざついてこなくてもいいのよ、私はもう元気になったし、自分で自分の身を守れるから」
「……」
当の事件の現場に居合わせたのは、ルイズとタバサ、キュルケのほかにシエスタだけ。
他の知人友人一同には、ただ『過労で倒れた』と言い、シエスタには<魔物のようなもの>のことを他言しないようにしてもらっている。
ルイズがいちばん真実を知られたくないのは、タバサだ。もしばれてしまえば、悲しむのだろうか、傷つくのだろうか、怒るのだろうか……
でも、彼女の善意をこれ以上空回りさせることも、ルイズにとっては本意ではない。ばれて取り返しがつかなくなる前に、手を打たねばならない。
(うーん、真実を伝えず……タバサが私に付きまとわなくても良くなるうまい方法……ないかしら)
ルイズは頭を回転させる。そして、ひらめいた。口の端が、にやにやと吊りあがった。
そうだ、真実を、捏造すればいい―――
嬉々として、ルイズはとある計画を実行に移す―――
「ねえタバサ、あなたに紹介したい子がいるのよ」
「?」
「ちょっとユニークな外観をしてる子だけれど、慣れたら素敵に見えるはずよ……だから、どうか怖がらないでね、ウフフフフ」
『幽霊屋敷』で薬のなべをかき回していたタバサは、読んでいた本を閉じて、ルイズに向かって居なおした。
ルイズは焦点の合わない目で自慢げに笑い、まるで可愛がっているペットを紹介するような軽い調子で、『じゃじゃーん』とカーテンを開いた。
ぬらりっ―――
『幽霊屋敷』の部屋の隅、カーテンのかかっている場所から、ルイズの背丈よりもふた周りか三周りほど大きなソレが、出てきた。
赤と青の血管、むき出しの筋繊維がぴくりぴくりと動くそれは、ルイズの呼び出した『ブラッド・ゴーレム』だ。
「新しく私の友達になった、血まみれ肉お化けの『ブゴちゃん』よ、よろしくね」
肉の頭部には、サイズの釣り合わない羽帽子が、ちょこんと乗っかっている。ルイズがお洒落をさせるつもりで、乗せたらしい。
ブラッド・ゴーレムはその帽子を、うねうねと動く短い触手のような指でつかみ、ひょいと持ち上げ、タバサへと礼をした。
あまりにショッキングすぎる外観をもった『ともだち』の登場に、タバサは真っ青な表情で、慌てて杖をかまえた。
「!!―――」
「待ってタバサ、この子は敵じゃないわ、どうか杖を下ろしてちょうだい」
タバサが警戒するのも無理はない、出てきたそのクリーチャーは、タバサにとっては、どう見てもルイズを殺しかけたあの化け物なのだ。
ルイズは慌てて、タバサを止めた。
タバサはしぶしぶ杖をおろし、気味の悪いバケモノから視線を外し、代わりにルイズへと説明をもとめる刺すような視線をなげかける。
「……えっとね、この子たちはあの<サモナー>が送り込んできた魔物じゃなかったの、もう改心したので悪いことはしない、ってお詫びに来てくれたのよ」
「……」
「ほ、ほら、『このあいだはごめんなさい』って、お土産のお菓子まで持ってきてくれたの、あとで頂きましょう」
タバサのルイズへと向ける視線と無言のプレッシャーは、ますますきつくなる。
ルイズの笑顔はひきつり、背筋にはだらだらと汗が伝っている。
「あのねタバサ、このブゴちゃんは、話してみたら解るいい子よ! ……ほら、『ぼく悪いお化けじゃないよう』って言ってるわ」
ブラッド・ゴーレムの皮膚も無くむきだしの大胸筋が、ぷるぷると震えた。連動して他の筋肉や血管の束も、ぐねぐねと動いた。
小さな口のような部分から、ふしゅるふしゅると生暖かそうな吐息がもれた。
ゴーレムの太い腕の先の短い触手のような指が、ルイズの頭をぐちょぐちょと撫で、その白い髪の毛に透明な液体をこすりつけた。ルイズは満足げにえへへっ、と笑う。
それはタバサにとって間違いなく、身の毛のよだつほどにおぞましく、気味の悪い光景だった。
タバサは血の気の引いた顔で、ただ見ていることしかできなかった。ゴーレムのまぶたのない眼球と、タバサは目が合い、ひっ、と息を呑んだ。
「ほら、タバサとも……仲良しになりたい、って、言ってる……ウフフフフ、タバサも……『なでなで』してもらうと、いいわ」
羽帽子をちょこんと頭にのせたブラッド・ゴーレムは、あぶない目で微笑むルイズの頭から手を離し―――怯えるタバサへと、迫る!!
のしっ、のし、と一歩ずつ迫ってくる血管むきだし肉の塊クリーチャーに、タバサは足がすくみそうになる。
ぬうっ、と手を伸ばされたので、タバサは逃げるように数歩あとずさった。
「……いや、……やめて」
「いいじゃないいいじゃない……うふ、うふふふ……」
「だめ、近づかないで……こ、来ないで……」
「そんなに照れなくてもいいのよ、タバサって人見知りするのね……大丈夫よ、すぐ慣れるから……」
「い……や……」
醜悪な外見の肉のクリーチャーを使役し、怯えるタバサへとけしかけるルイズ。それにしてもこのルイズ、ノリノリである。
伸ばされたゴーレムの腕の先、うねうねとした指らしきものから、部屋の隅に追い詰められたタバサの青ざめた頬へと、ぽたりと何かの液体が落ちた。
タバサの体中に、ぞぞぞ、と鳥肌が立った。
耐え切れ無くなったタバサが、杖をぶんぶんと振った。がしん―――
「……っ!」
「!!」
対象の防御力の一部を無視する杖<メモリー>は、ゴーレムの手に当たった。とたん、使役者であるルイズが、伝わってきた痛みに笑顔をこわばらせた。
タバサの肩がぴくり、と震え―――同時にぴたっ、とゴーレムの腕が止まる。しまった……と、ルイズは緊張する。
「……お、落ち着いて、タバサ、こここの子たちが私を襲ってくるようなことは、も、もうないわ……安心してちょうだい、だからもう私を守らなくてもいいのよ」
「……」
ゴーレムが退くと、タバサは壁を背に、へたへたと座り込んでしまった。呆然と、ルイズとゴーレムとを見つめている。
ルイズはタバサに気づかれていないこと、この作戦がうまくいっていることを願うほかない。
上手く行けば、これでタバサは納得してくれて、自分を意味も無く心配して心を痛めたり、これ以上つきまとうようなことは無くなるはずだ―――
「その……ブゴちゃんが帰るって言ってるから、私ちょっと、そこまで見送りにいってくるわ……こ、今度来るときは、タバサもお友達になれたらいいわねっ」
さて、あとはこのブラッド・ゴーレムを崩す(アンサモン)だけで、作戦は完了だ。外に、崩れた血肉を処理するための桶は用意してある。
ルイズはブラッド・ゴーレムを連れて、そそくさと部屋から出て行こうとし―――
「……嘘はもういい」
―――出て行こうとしたルイズの背中へと、青い髪の少女の血の気の引いた唇から、ぽつりと小声で、そんな言葉が投げかけられた。
ルイズは、振り返った。
「タバ……サ?」
「いま確信した……それはもともと魔物ではなかった」
壁を背に座り込んでいる少女の、眼鏡のレンズ越しの氷のように青い目が、ルイズを冷たく見据えていた―――
「それはあなたが使役している、……おそらく、『血』のゴーレム」
「え……な、何を言ってるのよ、ブゴちゃんは血統書のついた由緒正しい『血まみれ肉お化け』だって……」
「もういい」
タバサはそれだけ言って、立ち上がってマントの埃をはらった。
顔についた液体を袖口でぬぐい、ルイズをいつもの感情の篭っていない目でちらりと見たあと、すたすたと『幽霊屋敷』を出て行ってしまった。
あとには、引きとめようとして言葉が出ずに片手を伸ばしかけたルイズと、羽帽子を乗せたブラッド・ゴーレムが、残された。
「……えーと」
ルイズはぽかんと、ブラッド・ゴーレムのつぶらな瞳と、顔を見合わせた。みるみるうちに、ルイズの顔は青くなっていった。
「……どうし……よう……何で、バレたのかしら」
「娘っ子、バレた理由なんざともかく、さっさと追いかけてきちんと謝ってこいよ」
ゴーレムには返事をする能力などない。この部屋の中で唯一答えることのできるであろう、デルフリンガーが代わりに答えた。
「な、何て謝ればいいのよ……何がなんだかわかんないけど、たぶん私また、あの子を、たくさん傷つけちゃったのよ」
「観察してた俺っちが思うに、怖がらせたこともあるだろうが、たぶん秘密にしてたこと、騙そうとしてたことが気に食わなかったんだろうさ……『嘘はもういい』って言ってたよな」
「そ、そう、ありがとっ! 出てくるわっ」
ルイズはブラッド・ゴーレムへと、「ありがとう、またね」と投げキッスを放ち、玄関を出たところに桶を置いてゴーレムを乗せ、アンサモンの宣言を行い、崩した。
桶のなかにでろでろと、気持ちの悪い生ゴミがひろがった。羽帽子がぷかぷかと浮いていた。しばらく放っておけば、この生ゴミは溶けて気体になって消えるのだ。
この直後に掃除に来たシエスタがそれを見て、悲鳴を上げて逃げ出すことになるのは、言うまでも無い。
「行ってきます司教さま、デルフリンガー」
きちんと戸締りをしたあと、ルイズはタバサを探しに、駆け出した……
//// 17-2:【とんでもないものを盗んでいきました:The Thief(that stole my sad days)】
雪風のタバサは、『幽霊屋敷』から去ったあと、自室にも戻らず、学院近くの森の中の泉のほとり、シルフィードのねぐらへとやってきていた。
明るいうちは本を読んでいたが、日が傾いてシルフィードの夕食時になると、何もせずただ自分の使い魔と、湧き出る小さな泉とを、かわるがわる眺めている。
「お姉さまどうしたの、不機嫌そうなの……おなかすいたの?」
「すいてない」
シルフィードは、厨房のマルトー主任から貰ってきた牛肉の塊に、美味しそうにかぶりついている。以前、貧乏なタバサは彼女に合成肉ばかりを与えていた。
タバサの使い魔、風韻竜のシルフィードは、偽王女として王宮でたくさん美味しいものを食べたせいか、舌が肥えてしまっているようだ。
彼女はもう、タバサが合成肉を与えても、つらつらと文句ばかり言うようになってしまった。本物の肉をたっぷり食べることができて、今はとても幸せそうだ。
竜は、身体も大きくエサ代がかかる。なので、以前リュティスでのカジノの一件のときに稼いだ資金が、彼女のエサ代として今、役に立っている。
(ルイズのヒトダマ……あれはえさ代も、かからない……そこは、うらやましいところ)
近くの朽ちた木の上に腰掛けて、タバサはぼーっとシルフィードの食事風景を眺めていた。そういえば、これもまたルイズのおかげなのだ、とぼんやりと考えた。
イライラに任せて飛び出してきてしまったが、いったい何に苛立っていたのか、もう自分でも解らなくなってしまっていた。
今頃ルイズは自分を探しているのだろうか。それとも、また地下に潜って、あの霊薬の精製に取り組んでいるのだろうか。
(……どうすれば、いいのだろう)
かつて幼くして優しい父を失い、母の心を壊されたタバサは、先日友人のルイズが死にそうになったとき、これ以上誰かを失うのは嫌だ、と痛いほどに感じていた。
ひと昔前のタバサ―――ガリア王族の娘、本名シャルロット・エレーヌ・オルレアンは、実家の忠実な執事ペルスランを除いて、たった一人だった。
心の壊れた母は、かつてタバサという名だった人形をシャルロットと呼び、自分の娘のことを認識できなくなっている。会うたびに、心が痛む。
かくして、シャルロットはタバサと名乗り、必ず母の心を治し、いつか仇敵ジョゼフを打倒せんと誓った。
叔父ジョゼフの統べるガリア国内に居れば、タバサは父の派閥『旧オルレアン派』の旗印とされかねない。
なので、彼女は厄介払いのようにして、トリステイン魔法学院へと送り込まれた。そこでは、たった一人だった。
ガリア北花壇騎士団の七号として、たくさんの任務を与えられた。何度も危険な目にあった。
そんないつ果てるとも知れぬ身だ、友人をつくる必要も感じられず、作ろうとも思わなかった。ただ本だけが自分を裏切らない、傷つけもしない、物言わぬ友人だった。
以前のタバサの人生は、ただ母を救う一念と、父を謀殺した簒奪者の叔父、ガリア国王ジョゼフに対する復讐の念、それだけで動いていた人形のようなものだった。
でも、やがて、キュルケという友人ができた。他人との心地よい距離というものを心得ている彼女は、自分の事情に踏み込んでこようとはしなかった。
そして、シルフィードという使い魔ができた。純粋な彼女は、主人たる自分に、とてもよく仕えてくれている。
さらに、ルイズ・フランソワーズと知り合った。彼女は、自分の弱点を容赦なく攻めてくる、とても恐ろしいバケモノのような存在だ。
(……彼女は、泥棒……わたしの踏み固められた泥雪のような日々を奪った、泥棒……)
春先、最初に声をかけられたときの勘どおりに、計り知れないところのあった友人―――彼女は、タバサの氷で出来た読書人形のような生活を、たちまち奪い去った。
あの常識外れの少女は、タバサにとって、真に最初の『計り知れない』という勘どおりの、評価を与えにくい存在だった。そう―――
彼女は異教徒、その気持ちも考え方も行動も、理解しようとして得るところのない存在だ。
まさかあれほどに怖くてやっかいな存在だったとは、思わなかった。
まさかあれほどに強くて頼もしい存在だったとは、思わなかった。
まさかわざわざ任務に付いてきて、自分の命を救ってくれることになるとは、思わなかった。
まさか自分に何人もの友人が増えるきっかけになるとは、思わなかった。
まさか自分の初恋の相手になるとは、思わなかった。
まさか自分の母の心を救う可能性を持っているとは、思わなかった。
まったく、あの恐ろしい白髪の少女は、呆れるほどに常識はずれだった。
(わたしは、彼女に、誓いを求めてしまった)
そして、タバサは、ラグドリアン湖畔で永遠の精霊の前で、友人たちと共にした誓いを、思い出していた。
(みんな、ずっと一緒に、笑顔で―――あんなことを願う資格が、わたしに、あったのだろうか……)
あの時までのタバサは、自分などと一緒に歩んでくれる存在など何処を探してもいないだろうし、必要もない、むしろいないほうがよいと考えていた。
だから、解除薬を飲んで、薬の効果が切れたあと―――あの誓いを守れていないのは、もしかして、ただ自分だけなのではないか、と考えるに至った。
自分ほど笑顔の似合わない人間など、魔法学院中どこを探してもいないだろう。
でも、あの誓いは間違いなく、自分の本心だった、とタバサは今でも思う。
そして、ルイズが死に掛けたとき、タバサはとてもとても辛くて、彼女のことを絶対に失いたくない、と思った。
母を救ってくれる可能性を持つ少女だから、ということは、正直に言えば、あのときはなかば頭から消えていた。
あとで気づいたのだが、ここまで母以外の誰かを大切に思うことが、こんな自分にも出来たのかと―――タバサは、それはそれは愕然としたものだ。
(あんな辛い思いは、もう嫌……守りたいのは、本当……でも、彼女を傷つけたのは、たぶん、わたし)
自分の唇に、そっと指で触れてみる。必死に応急処置をしたときの、生気の抜けたルイズの唇の感触が、今も残っているかのようだ。
もしあのとき彼女を助けられなかったら、と想像し、背筋を震え上がらせ―――そして、ひどく呆れたように、はあ、とため息をつく。
(でも……『血まみれ肉お化け』、は無い)
さて、『血』のゴーレムについて、タバサが気づいたのは、理由の無いことではない。
ルイズを殺しかけたのが自分なのではないか、ということにも、怖くてあまり認めたくは無いことではあるが、なんとなく気づいている。
たとえ恋心は消えても、あの白髪の友人を大切に感じる気持ちは、むしろあの惚れ薬の一件によってまるで再確認されたかのように、強く残っている。心の奥が、ちくちくと痛む。
タバサは、昨日のことを、思い出していた―――
―――
昨日もまたアンリエッタ王女が来て、ルイズの元気そうな様子を見て、帰ったあとのことだ。
王女が自分の結婚式で詔(みことのり)を読み上げる役を、幼馴染の自分ではなくモンモランシーに頼んだと知ったルイズは、笑った。
「ウフフフフ……どうして……私じゃ……ないの、かしら? ……なんで? 私じゃ駄目なの? ……あはっ、どうして、モンモランシーなのかしら?」
虚ろに笑いながらナニカの小瓶を取り出すルイズをそばで見ていたタバサは、冷や汗を流しながらも、「これだから駄目」と至極真っ当なことを考えていた。
もしルイズがこの調子で、全世界からの来賓の前で自分の考えた詔(みことのり)を読んだとしたら―――きっとまたたくまに、世界大戦へと発展することであろう。
だが、それを口に出せるほどの勇気を、タバサは持てなかった。
「待って、どこへ行くの」
「モンモランシーを狩りに(Montmorency Run)行くわ……倒せばきっと『始祖の祈祷書』を落とすと思うのよ」
すぐに「うふふ冗談よ」とルイズは言ったが、これは止めないとまずい! とタバサは本を取り落とし、慌てて白髪の少女を追う。
『幽霊屋敷』を出たルイズは、怪しい液体の封じられた小瓶をポケットに、うふふうふふと女子寮への冒険の旅に出る。残像が見えるんじゃないかと思うほどに、それは迅速だった。
途中で行き会った生徒や教師や使用人の誰もが、瞳孔の完全に開いたルイズのまとう危なすぎるオーラにあてられて、慌てて逃げたり隠れたりするのであった。
「―――モーンモランシーっ、いーるのねっ、あはっ、こーこにぃ、いるのねっ!! ……わぁーたしーがぁ、入るわよっ!!」
ズバーン! とモンモランシーの部屋の扉をひらき、ゼロのルイズが状況を開始した。それは、追いついたタバサが止める間もない、早業だった。
部屋の中に居たモンモランシーとシエスタ、そしてモンモランシーの恋人ギーシュ・ド・グラモンが、飲んでいたお茶をいっせいにぶーっと噴出した。
「えっ……ルイズ!? ちょっと、な、な、何なのよ!」
「モーンモラーンシー♪ あーらお茶してたのね……ねえ、私もどうかご一緒させて、くださらないかしら? ……っていうか一緒させなさい」
ルイズはずかずかと部屋に入り、モンモランシーの手から、飲んでいたお茶のカップをひったくった。
そしてルイズは、ポケットからひとつの怪しい小瓶を取り出し、そこから手にしたカップへと、緑色っぽい液体を、なみなみと溢れるほどに注いだ。
トクトクトクトク―――
空気が固まる。
モンモランシー、シエスタ、ギーシュ、そしてタバサの顔は、みるみるうちに真っ青になっていった。
「……ほーら、どうぞ、私が手ずから入れた、とってもとおーっても、美味しいお茶よ……さあ、飲んでちょうだい」
ルイズの口の端が、みるみるうちに、にやにやと吊りあがっていった。
そして、怪しすぎる液体の満たされたカップを手渡されたモンモランシーは、顔を青くして、だらだらと冷や汗を流すほかなかった。
(なにこれ? ちょっと、これって、いったい何がどうなってるの? ひょっとして私ってば、これを飲まなきゃだめなのかしら……)
モンモランシーは、とりあえずこの唐突な来訪者へと、尋ねてみることにする。
「ね、ねえルイズ、……いちおう訊いておくけど……これって、何なのかしら?」
「たぶん、お茶だと思うわ……勘違いかもしれないけれど、美味しいはずよ」
うふふふふ……
「そう! あ、ありがとうルイズ……で、あ、あなた、いったい何しに来たのよ」
「モンモランシー、あなた持ってるんでしょう、『始祖の祈祷書』……ちょっとだけ見せて、欲しいかなーって」
「持ってないわよ! 国宝なんかを四六時中持ち運ぶのなんて、私には畏れ多すぎて……だから、オールド・オスマンに預けてあるの」
ルイズは、ふーん、と言って、モンモランシーをじーっと眺めた。
謎の液体の満たされたティーカップを、震える両の手にもったまま固まっているモンモランシーへと、ルイズは問う。
「でも……詔を考えるときには、あなた、ひと月は肌身離さずもっておくのが慣わしなんじゃないの?」
「だって白紙の本なのよ……役に立たないし、汚したりしたら怖いから……学院長にお願いして、預かってもらってるのよ……詔は、もう考えて、学院長よりオッケーも貰ったわ」
それを聞いたとたん、びくっ、とルイズの肩が震えた。そして、みるみる無表情になってゆく。
どうやらルイズは、畏れ多くも全世界からの来賓の前で読み上げる王族の結婚式の詔など、一月やそこらでは考え付かないものだと思っていたようだ。
そんなルイズとモンモランシーの間には、『文才の違い』というものがあったらしい。ルイズはたった今、それを思い知らされ、大いにショックを受けたようでもあった。
「……へえ……そう、あなた、凄いのね……うふふふふ、これから私、あなたのこと本気で尊敬しようかしら……」
「そう、あ、ありがとルイズ……べ、別に尊敬まではしなくてもいいわよ……それで、もう用事は終わったのかしら」
「あら、モンモランシー、私ってば、お茶の席にお招きいただけたのではなくて?」
ルイズは、シエスタが慌てて『ど、どうぞ!』と差し出した椅子へと、ずっかと座り込んだ。
だめ、そんなことしちゃだめ! とモンモランシーは焦るが、もう遅かったようだ。
無表情の白髪少女の、焦点の合わない目は、どうやらモンモランシーの手にしたカップを、「さあ飲め」と言わんばかりに、眺めているようであった。
(だ、誰か、助けて……)
モンモランシーはシエスタへと救いを求める視線を送ったが、シエスタの目がもう死んでいるのを見て、すぐに諦めた。
だが、救いの手は、別のところからやってくる―――
「ははっ……な、なんとも美味しそうなお茶だねルイズ! ああ麗しのモンモランシー、どうか僕にも味見をさせておくれ!」
最近とみに男をあげつつあるギーシュが、モンモランシーの手からカップをひったくって、飲み干した。
モンモランシーが、驚いて悲鳴を上げた。
「ああっ、ギーシュ、だ、大丈夫なの!?」
「だ、大丈夫……す、すまないねモンモランシー、なあルイズ……ま、まま間違って全部飲んでしまったようだ、ははは…………って……」
ギーシュは立ち上がりかけたモンモランシーを手で制し、ルイズに向けてひきつった真っ青な笑顔を見せた。
誰かが、ごくりと、つばを飲む音がした。
モンモランシー、シエスタ、タバサが口を押さえて、怪しい液体を飲み干したギーシュの行く末を、見守っていた。
「うまい! ……どうやら本当に、美味しいお茶だったみたいだよ」
「だから言ったじゃない、美味しいお茶だって……このあいだ姫さまが持ってきて下さった、質の良い水出しのお茶よ」
ギーシュは目を丸くして、空になったカップを見ていた。ルイズを除いた四人は、ただただぽかんとしていた。
ルイズは残念そうに、ため息をついた。どうやらひどく解りにくい行動だったが、彼女は本当に、モンモランシーにただ美味しいお茶を飲ませたかっただけのようらしい。
やがて、安堵の息が、ちらほらと聞こえた。
ルイズの持ってきたお茶はまだ有ったらしく、モンモランシーも恐る恐る口にしてみて、「本当だ……見た目はともかく、美味しいわ」と笑顔になった。
しばし、室内に歓喜が満ちる。
「……お願いモンモランシー、読んでみてくれないかしら」
「えっ?」
「私たちの大切な姫さまの結婚を祝う詔(みことのり)……よほど立派なものを考えたんでしょう、どうか聞かせてくださらない?」
「わ、解ったわルイズ、ちょっと待ってちょうだい」
モンモランシーは、慌てて机の引き出しへと原稿を取りに向かう。すでに清書したものらしく、立派な羊皮紙に書かれているそれを手に、モンモランシーは戻ってきた。
ギーシュとシエスタも興味津々だ、まだ二人とも、その名誉ある原稿の中身を、聞かせて貰ってはいなかったようだ。
タバサも席に着き、シエスタがお茶を淹れた。
「は、恥ずかしいけど……えへんえへん……さあ行くわ……えー……われらが始祖の光臨を願いつつ、このめでたくも良き日、トリステイン王女アンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の婚姻の儀の詔、畏れながらトリステイン貴族モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシが、ここに読み上げたてまつる……」
最初はちいさくとつとつと―――やがて乗ってきたらしく、モンモランシーのおごそかな言葉が、室内を満たしていった。
「……火、われら迫る敵を打ち払い、われら住まう場にぬくもりをあたえし……かつて始祖のみわざにてともされし炎、われら貴族おのおのの心にいまもなお宿りしこと……」
挨拶、始祖の残した火、水、土、風の四系統のみわざに対する感謝、トリステイン王家とゲルマニア皇帝の両家を称える文言などが詩的に韻をふみつつ、つづく。
ルイズもタバサもシエスタもギーシュも感心しつつ、モンモランシーの粛々と読み上げる詔の文言に、まるで呑まれるかのようにして、しばし聞き入っていた。
そして―――
「……えへん……これで、終わりよ……どうかしら?」
頬を染め、すこし自慢げなモンモランシーは、やがて詔を、静かに読み終えた。全員が呆然としたまま、黙っていたが―――突如、ぱちぱちぱちと拍手をしだした。
それはまるで、この場の誰もが、彼女こそが適役なのだと、納得させられてしまったかのようだった。
モンモランシーは照れたようで、顔を真っ赤に染めて原稿をしまい、席に着いて、シエスタから受け取ったお茶をあおるように流し込み、喉を潤した。
「いいじゃない、雰囲気出てた……正直、なんで姫さまは幼馴染の私を指名しなかったんだろうって思ってたんだけど……今ので私には無理かも、って痛感させられたわ」
「ふふっ、ルイズ、あなたの大切な姫さまの大切な日を祝う役、私でごめんなさいね……でも、あなたの考えた詔も、ちょっと聞いてみたかったわね」
なかば落ち込んだ様子のルイズを励まそうと、モンモランシーは微笑んで、そう言った。とたん、タバサは、嫌な予感がした。
それは、もしこの場にキュルケがいたら、苦労人センサーが最大限に針を振っていたかもしれない、と思えるほどだった。
やはり、モンモランシーによる、ルイズを焚き付けるようなその言は、禁句だったようだ―――
「うふふふふ、実は私もすこしだけ、詔を考えてきてたのよ、……みんな、聞いてちょうだい!」
とたん、ルイズが立ち上がって、瞳孔の開いた目で、拳をにぎりしめ、力説を始めた―――!!
「『土』、安価で固いメイン盾! いつでもどこでも呼び出せて、鍛えれば鍛えるほどに硬くなるのっ!」
魔法の四系統に対する感謝のつもりだろうか―――と、誰もが思ったが、様子がおかしい。
「『火』、近づいたらとっても熱いので、注意することっ! 炎をぶつけられたら回復するのよ! うふふ、倒されても爆発して、敵をけちょんけちょんに燃やすわ!!」
いったい何を言っているんだ、と誰もが疑問に思ったが、嬉々として語るルイズは止まらない。
「『鉄』、敵の攻撃を跳ね返す、素材を選びぬいて極めれば、物理ダメージ反射はなんと脅威の600%! 理論上だけなら、魔王様でもやっつける!」
ますます様子がおかしい、どうやら四系統に対する感謝では、なかったらしい。もっと理解できない、別のナニカだった。
「『血』、術者とその生命を共有し、敵のいのちをもりもり吸い取る! ……えっと……えっと……あとは……外見が、その、とってもプリティだわ!!」
ルイズは、そこまで言ってから、がぶがぶとお茶を飲んで、けほけほとむせた。
まるで大切なことを語り終えた、とでもいうように、この場ではルイズだけがいい笑顔で、余韻に浸っている。
モンモランシーが、呆れる皆を代表して、ルイズへと尋ねた。
「……その、ルイズ……何なの、今の……四系統への感謝……じゃ、ないわよね?」
「<生命>を成り立たせている四要素への感謝よ! 私もあなたたちも、みんなソレで出来ているのよ……だからみんなも、たっぷり感謝してね!」
……あははっ、あははははっ!!
―――
―――
タバサがどうしょうもない回想を終えるころには、あたりは日が落ちて、もうかなり薄暗くなってきていた。
『ゴーレム……これは、系統魔法?』
『違うわ、かりそめの生命を吹き込んでいるのよ』
タバサは、いつかのガリア山奥の村で、ルイズと一緒に魔物退治をしたときの会話を思い出す。
先日、ルイズによる王女への布教活動がなされたときにも出てきた、ラズマの生命観『土』、『血』、『鉄』、『火』の四要素についての話も、タバサは覚えていた。
そして、タバサは、ルイズが秘術で操るゴーレムのうち、『土』と『鉄』とを見たことがあった。
(あれは、十中八九『血』のゴーレム……術者と生命力のラインで繋がっている……やっぱり、彼女を傷つけたのは……)
勘の良いタバサは、それらの要素を総合し、つらい真実へとたどり着いていた。
思い返せば、自分が魔物だと思って攻撃したアレは、外見の気持ち悪ささえ考慮しなければ、ルイズの普段使っているゴーレムに、とてもよく似ていたではないか。
『術者と生命を共有する』―――ルイズが死に掛けたのは、外見が『ルイズにとってはプリティ』なそれを、自分が撃破したからなのではないか―――
あれを最初にみたときは、ひどく動転したものだが……冷静に思い返し、今になって推測したことと合わせてみれば、ルイズの不自然な行動も全部、筋が通る。
あれはひょっとすると、ただルイズが過労で倒れていただけ、服についていたのは血液ではなく、こぼれた回復ポーションだったのかもしれない。
そして、まったくもって信じがたいことだが、ルイズは、自分が『醜悪な外見』と断じたアレを、本気で『プリティ』だと思っていたようであった。
そんなルイズにとっては可愛い存在を、自分は即座に『醜悪至極』と断じて撃破し、その結果、ルイズを殺しかけたのである。
(でも、彼女は、わたしを許してくれている……たぶん彼女は、わたしがショックを受けないように、傷つかないように、配慮してくれていた)
だから、自分が正直に謝れば、ルイズはきっと、薄気味悪く笑って許してくれることだろう。そこまで考えて―――
さあ、どうして自分は『幽霊屋敷』を飛び出してきてしまったのだろうか……と、もうタバサには、その理由がまったく解らなくなってしまっていた。
食後に眠くなったのであろう、居眠りを始めたシルフィードを眺めつつ、タバサはゆっくりと、自分の気持ちを整理している。
(わたしは、自分の過ちを認められないほどに弱くはない……そんな気持ちもあった、だから苛々とした……配慮が相手を傷つけることも、よくある)
ならば、ルイズに対して取った自分の態度は、ただの八つ当たりだったのだろう、とタバサは反省する。
(そして……わたしのために、彼女は心に大きな負担を抱えていた……たぶんわたしは、それを見るのが、辛かっただけなのかも、しれない……)
タバサは、来ない敵からルイズを守っている最中、ずっと考えていた―――自分がルイズという大切な友人を守っているのか、それとも母を救える唯一の大切な希望を守っているのか、どちらなのか―――もうそれらがこんがらがって、解らなくなってしまっていたことにも、気づいていた。
ある意味、それは自分が母のために、友人へとただ依存するかのように、どこか不自然すぎる関係のようにも感じられていた。
ならば、自分にとって、本当に大切なものとは、いったい何なのだろう―――
(……どっちも、間違いなく、大切……わたしは、とても欲張りになった……誰かさんの、せいで)
タバサは苦笑して、立ち上がった。考える時間をとった対価は得られ、気持ちの整理は、しっかりとついた。てくてくと歩み寄り、シルフィードの頭を、そっと撫でた。
気づけばもうあたりは薄暗く、お化けだって出てきそうだ。こんなところに『血まみれ肉お化け』がぬらりと出てきたら、いつかのように自分は気絶するかもしれない。
他人との深い交わり、慣れぬ人付き合いというものは、ときにあのお化けにしか見えないゴーレムと同じくらいの恐怖を、もたらすものだ。
(でも、どう考えても、アレが『プリティ』は、無い……やっぱり、彼女はおかしい)
タバサは呆れて、大きくため息をつく。そっと微笑んだあと、こんどは呪文の詠唱のために、息を吸い込む。
さあ、今から勇気を出して、お化けよりも怖い大切な友人に、会いに行こう―――タバサはその友人にいろいろと奪われたものの代わりに得た、大切な<思い出>のたっぷりとつまった杖を、かまえる。
そして、ゆっくりと、『フライ』の呪文を、唱えた。
青い髪の小さな少女は、太陽が沈んで薄暗い森の上空を、学院めがけて飛んでゆく。
ああ、『母を助けてくれたら、自分の全てを差し出してもいい』なんて―――そんなこと普通だったら言えないだろうに、と、自分自身に苦笑しつつ。
(そうなったら……彼女は、わたしの復讐の道にまで、笑いながらついてくるのだろうか……それとも、わたしは彼女のために、復讐を捨てることになるのだろうか)
あのとき、雪解け水のようにあふれ出る感情に任せて、大切な友人に向けて放ってしまった、あの言葉が……言いすぎだったのか、そうでないのか……
いつか、この少女の胸のうちで、いっぺんの迷いもなく決まる日が、来るのかもしれない。
//// 17-3:【雨降ってなんとやら】
「ねえキュルケ、タバサ来てない?」
「あらルイズ、タバサは来ていないわ……今取り込み中だから、後にしてちょうだい」
一方ルイズは、自室に居なかったタバサを探して、キュルケの部屋にまでやってきていた。
もとルイズの部屋だった場所、今は空き部屋のとなりの部屋、扉を開けたキュルケ―――上半身の服は乱れており、頬はすこし赤い。
扉越しに、ベッドの中にはだかの男性の姿がちらりと見えた。ルイズにも見覚えのある、上級生の男子生徒だ。
学院でもっとも危険とされる生物、ゼロのルイズの登場に、彼は慌てて、がばっと布団を頭から被った。
キュルケはそれを、「何よ、情けないわねえ」と言うような困った視線で眺めていた。ルイズもそれを見て、うふふと笑う。
「……今の、あなたの恋人? うふふふ、素敵な肩甲骨ね、取り出してじっくりと調べてみたいわ」
「け、肩甲骨を? ……ま、まあ、それは、いい? ……けど……と、ともかくタバサはここには居ないわよ、シエスタのところでも探してみたら?」
キュルケはなかば迷惑そうに、ルイズにお引取りを願おうとする。
ルイズは、どこか迷っているようだ。焦点の合わないぼーっとした目で、キュルケを見ている。
「あのね、ツェルプストー……」
「なあに? 見ての通りあたしは暇じゃあ無いから、簡潔にお願いね」
「タバサに、たぶん……あれが、バレたわ……それで、居なくなっちゃったの」
とたんキュルケは、みるみる真顔になる。「困ったわね」と、あごに手をあてて考えはじめた。
引っかかっていただけの上半身の服がずりおちそうになり、慌てておっとと、と押さえた。
「タバサ、怒ってたかしら?」
「怒ってたわ……どうも私また、あの子をたっぷり傷つけちゃったみたい……」
しゅんとしたルイズの様子に、キュルケは苦笑する。今のルイズに、アルビオンであの大きな悪魔に挑んで打ち破ったときのような勇ましさは、みじんも感じられない。
なので、手を伸ばし、ルイズのほっぺたをつつこうとした。それをひょいっ、と避けるルイズ。
キュルケは少しムキになって、何度もつつこうとする。ルイズはひょいひょい、とそれをかわした。
「……何で避けるのよ」
「ばっちいわ、ベッドで震えておわす、あの誇り高き殿方のお身体を、さぞやたっぷりといじくりまわしていらっしゃった手なんでしょう」
「ま、まあ、否定はしないけど……案外露骨に攻めてくるわね、あなた」
キュルケは赤くなった。
そして、慌てて状況を整理する。
「あたしはやっぱり―――結局のところ、過労でタバサに心配をかけて、さらに誤解されるような状況を作ったルイズが、大部分悪いと思うわ」
「ええ……そこは、痛いほどに……わかってる」
「でもタバサも、頑固なところがあるから……どっちが悪いって話になると、こじれそうなのよねえ……昔みたいにあの子、一人で抱え込まなきゃいいんだけど」
結局、今回の件はお互いさまってことにして、さっさと謝りあって決着をつけなさいな、とキュルケはルイズに助言し、手を振ったあと、扉をばたんと閉め、カギをかけた。
ルイズは扉に向かって礼を言ったあと、今度は使用人の宿舎、シエスタの部屋へと向かった。
「大変、シエスタの『ご主人様』が来たわよ!」
「ひいっ! とうとう来た、怒り狂ってるわ!」
「すみませんすみません、このシエスタがあなたさまのお屋敷の掃除を放り出して逃げたことは、使用人一同で謝罪いたしますから」
「えっ……ちょ、ちょっと、何よ使用人一同って! 私は関係ないわ、お願いだから私を巻き込まないでちょうだい!」
さあ、ゼロのルイズの来訪に、使用人の寮は、蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。
大部分は逃げていったが、シエスタの友人らしき数人のメイドが、足を震わせながらもその場に残った。ああ、美しき友情かな―――
それでも引っ張り出されてきたシエスタは、死んだような目をして、ルイズの前に力なく座り込んでいた。
「申し訳……あり、ません、あとで、きちんと掃除に行きますから、お許しください……ヨヨヨ」
黒髪の彼女は、なにやらひとつの人形をぎゅっと抱きしめて、泣き笑いをしながら、震えていた。
シエスタと同じ黒髪の、男の子の格好をしたちいさな人形で、背中に剣のようなものを背負っている。ルイズは、ひとつため息をついた。
「シエスタ、掃除のことについては全く気にしてないから、顔をあげてちょうだい」
「ほ、本当ですか!」
「ええ、ちっとも怒ってなんていないのよ……うふふふ……で、それなあに? あなたの大事なお人形さん?」
そうルイズが尋ねたとたん、一度は明るくなっていたシエスタの顔は、みるみる真っ青になっていった。
どうやら、掃除を放り出して逃げた罰として、彼女が大切にしているものを奪い取られるのだと思ったらしい。
「な、ナイトさんは……いくらミス・ヴァリエールのご命令でも……渡せません!」
「取らないわ、ちょっと気になっただけよ」
使用人仲間やシエスタ本人から聞いた話を総合するに、それは最近シエスタが自分で作って、とても大切にしている人形らしい。
いわく、自分と同い年の、同じ黒髪で、魔法を使えない平民なのにとてもとても強く、あの恐ろしいルイズですら指先ひとつでダウンさせるほどの、凄腕の剣士なのだそうだ。
シエスタの脳内設定では、ルイズはその剣士に惚れていて何度もアプローチをかけているが、優しい自分のほうが十歩も二十歩もリードしているらしい。
「あの……シエスタ……その……」
「ひゃいっ……」
「何ていうか、その……本当に、ゴメン」
ルイズは、あまりに不憫すぎる彼女にたいし、肩を力なく震わせて、ただ謝ることしか出来なかった。
そして、今までの優しさじゃあ、まったくもって足りなかったわ、これからはもっともっとシエスタに優しくしよう! と、かたく誓うのであった。
そんなルイズの決意が、黒髪の彼女にとって、果たして今後の救いとなるのかそうでないのか―――推して知るべし、である。
「で、タバサ来てないかしら」
「……ミス・タバサは、こちらにはいらっしゃっておりません」
そんなわけで、ルイズは結局、タバサの部屋の前で、ずっと夜まで待ちぼうけをする羽目になった。
(……来ないわ)
通りかかった生徒たちは、暗がりでうずくまる闇の化身のようなルイズの姿をみたとたん、ひっ、と息を呑み背筋に冷や汗をつたわせていたという。
窓の外では、ぽつぽつと雨が降り出したようだ。
(……帰ってこない)
一方、ルイズのお目当てのタバサのほうはというと……暗くなりつつある怖い怖い『幽霊屋敷』の玄関前で、がたがた震えながら、待ちぼうけをしているのであった。
ひさしのしたで杖を抱えて雨宿りをしているのだが、雨音にまじって何か怪しい物音がするたびに、ひっ、と息を呑み背筋に冷や汗をつたわせている。
さて―――
実りの無いハリコミに疲れて一時帰宅したルイズが、小さくなってがくがくと震えているタバサを見つけ、ようやく二人は再会し、手を取り合うことができた。
そして、タバサとルイズとの間で話し合った結果、今回の一件はお相子だという風に落ち着き、お互いに罰を与え合うこととなったそうな。
タバサは、エレオノールがやるように、ルイズのほっぺたをぎゅーっと引っ張った。
よく伸びるあれを見て以来、一度、やってみたかったらしい。真っ赤になった頬を押さえる涙目のルイズを見て、タバサはそっと、口元をほころばせたのだという。
一方ルイズは、『ブゴちゃん』を召喚し、タバサを『なでなで』した。
むろんタバサは気絶し、その結果―――怖い怖い『幽霊屋敷』にて、(舞踏会のときと同じく気を失ったまま)一夜を明かすはめに、なったのだという。
夜半には雨も上がり、雲も晴れ、星ぼしのかがやく夜空には二つの月がかかり―――
翌日の朝早く、ポーションをいじるため、水溜りをよけながらやってきた教師コルベールは、ひとつしかないベッドで幸せそうに眠る、二人の少女を目撃したそうな。
彼は二人の教え子を起こしてしまわないように、必要な材料をいくつか取ったあと、そろりそろりと静かに部屋を出て、自分の研究室へと向かったのだという。
//// 17-4:【ルイズ、隊長になる】
ある日、『幽霊屋敷』にて司教の棺おけにもたれかかり、ホラドリック・キューブをいじくっていたルイズのところに、シエスタがやってきた。
まったくもっていつものように、彼女は目が死んでいた。なのでルイズは、出来る限りになごやかな笑顔で、彼女を迎えようとする。
その笑顔は恐ろしいもので、シエスタはますます怯えることになるのだが、ルイズは気づいていないようだ。
「どうしたの、シエスタ」
「あの……ミス、ヴァリエール……これ、友人たちより、ミス・ヴァリエールに渡せって言われて、いただいたものなのですが」
きょとんとするルイズへと、シエスタがおずおずと差し出したのは、一本の細長いナニカ。
ルイズは、その物体に、よくよく見覚えがあった。
「……これって、アレよね」
「ええ、アレです……」
しばし、二人で硬直する。シエスタの友人とやらが何を思ってこんなものを持たせたのか、ルイズにはさっぱり想像もつかない。
「おしりとかを、ぺしぺしと、するやつよね」
「はい、そうです」
シエスタの手に握られているのは―――一本の、乗馬用の鞭(むち)だった。
「ひとつ訂正させていただけるなら、馬のおしり、ですけれど」
「そうよね、これって馬のおしりをぺしぺしとするやつなのよね」
貴族の少女ルイズ・フランソワーズは、乗馬を大の得意としていたものだ。
最近は出不精だったり、たまに街などへ出るときも友人のタバサに頼んでシルフィードに乗せてもらったりしているので、鞭を握る機会も、ほとんど無かった。
それでも、この道具の扱いは他人よりも心得ているほうだと、自認できる。でも、いまのところ使い道も、自分へとプレゼントされる理由も見出せない。
「……で、何でこれを私に?」
「これをくれた友人が言うには、いい音が出るけど痛くない鞭だとか……あなたのご主人様には、これを使ってもらいなさい、だそうです」
二人の間に、静寂が舞い降りた。
「えっ、使うって、何に?」
「……その、私に、乗るときに……だそう、です」
死んだような目をしたシエスタ、硬直した怖い笑顔の、白髪のルイズ。数分ほど、静寂が続いた。
「あっ、退かないでください! ヘンな意味じゃないですよ、ええと……」
シエスタは怯えながらも、固まっているルイズへと、事情の説明を始めた。
いわく―――
あのふにゃふにゃルイズの一件以来、『ゼロのルイズは平民のメイドを乗騎としている』という噂が、学院内で流れている。
そのメイドとは、目撃された情報などから、誰が想像したとしても、間違いなくシエスタのことであると断言されるのだそうだ。
そこで、彼女の同僚や友人一同は、不憫な黒髪の彼女が、毎日毎日あの恐ろしいゼロのルイズに鞭をふりふりちいぱっぱとされ、ひいひいと泣いている、と想像した。
「だから、せめて『痛くない鞭を使ってもらいなさい』ということで……友人一同がカンパを募って、その筋の道具店より、購入してくれたものだそうです」
ルイズは、硬直した手から、ホラドリック・キューブを、ことりと取り落とした。その手は、キューブを握っていたかたちのままだ。
そんなルイズの手に、シエスタは震えながら、そっと鞭を握らせた。そして、儚げに微笑んだ。
「はい―――さあ、どうぞ!」
「えっ……ど、どうぞって言われても」
「叩かれても痛くない鞭だそうですので、私のことはお気になさらず……どうぞ思う存分、ひっぱたいて下さい(Smite Me)!!」
ルイズは、いったい自分の何がこの不憫なメイドをここまで追い詰めたのか……と悲しく思いつつも、肩をすくめ怯えるシエスタを、ぼんやりと見つめていた。
ここで彼女を叩けば、なにか取り返しのつかないことになってしまいそうだ。固まるルイズをよそに、シエスタはぎゅっと目をつぶり、歯を食いしばっている。
「なによ、私……その、あなたを……た、叩かなきゃダメなの?」
「そのムチ、けっこう高かったそうです……なので、せっかくの友人一同の好意を無にするようなことなんて、私には……」
ルイズは、メイドのあまりの健気さに、ほろりときた。
なので、ルイズは―――シエスタの肩にそっと自分の手を置いて、この可哀想なメイドの手へとそっと鞭を返し、握らせる。
「わかったわ、シエスタ……その、鞭が、きちんと使用されればいいのね」
「へ? はあ……ですから、私を好きなように叩いて下されば」
「いいのよ、シエスタ……わかった、わかったから……もういいの」
ぷるぷると肩と白髪を震わせ、儚げに笑いながら、シエスタに優しい(を心がけている)ルイズは、怯えるメイドへと―――自分のおしりを、突き出した。
「それで……私を、叩けばいいわ」
「え、ええっ!?」
「痛くない鞭なんでしょう……せっかくだし、日ごろの鬱憤もこめて、叩きなさい……恥ずかしいから、三回だけね」
当然、シエスタは渋った。鬱憤なんて、ありません! それに、貴族さまのおしりを平民のわたしが、などと畏れ多い!
ルイズは穏やかに首を振って、ただ、ぐぐいっ、とおしりを突き出すだけだ。
「……あの……みみみミス・ヴァリエール、その、あとあとまで根に持って、復讐したりするんでしょう」
「しないわよ! ほんとあなたってば、私のことをいったい何だと思ってるのよ……」
「……言ったら、怒りませんか?」
「怒らないわ、さあ言ってみなさい」
シエスタは、しばらく迷っていたようだが……やがて、震えるか細い声で、言った。
「こころのやさしい、おに、です」
ルイズはにこやかな笑顔で―――いつも自分の世話をしてくれているこの不憫なメイドへと、ただ自分の小さなおしりをますます突き出すことしか、できなかった。
ごめんなさい、制服のマントが邪魔だったようね、と脇にまとめて、よけてもやった。
最近、学内での罵り言葉に、『鬼、悪魔、ゼロのルイズ!!』というものが発生していることを、ルイズは知っていた。
だから彼女は、シエスタに自分がどうにかして鬼のたぐいではないことを行動で示そうと、頑張るしかないのだ。
さて―――
シエスタは、やがて観念したのか、震える手でぐっと鞭をにぎりしめ―――大きく、振りかぶった。
なにやらぶつぶつと祈りの言葉を呟き、精神を集中しているようだ。
ルイズは、静かに目をつぶった―――その筋の道具屋で買った、高価な鞭だって言うじゃない―――果たして自分のおしりは、どんな素敵な音がするのかしらね……
「ぷっ、くくくく……」
そこに、押し殺したような笑い声が、流れてきた。ルイズがそちらの方向を見ると―――
「ご、ごめん、お、お邪魔しているわ……で、でもそれは……ぷくくく」
―――そこには金髪の少女モンモランシーがいた。なんと、顔を真っ赤にして、おなかを押さえて、じゅうたんの上を転げまわっているではないか。
「ちょ、ちょっと、あなた何時からいたの? な、何笑ってんのよモンモラ」
「ええい、ままよっ―――せえーーいっ!」
スパーーーーン!!
「あぴっ!」
シエスタの容赦ない一撃が、ルイズのおしりに直撃した。気を抜いた直後の、まるで不意打ちのようにタイミングの外れた打撃に、ルイズはヘンな声をあげた。
「ぷふふっ……あ、あはははははっ、る、ルイズ、あなたってばとっても可愛い声あげて……ほんとおかしい……もうだめ、ああはは!!」
とうとう堪えきれなくなったモンモランシーが噴き出し、目に涙をためて、げらげらと大笑いを始めてしまった。
この時になってようやくシエスタは、モンモランシーの存在に気づいたようだった。彼女は、次撃を繰り出そうとした姿勢のまま、硬直してしまった。
客観的に見てみれば、これはあまりにも恥ずかしくヘンテコ極まりない状況だ。二人はようやくそれを認識し、ルイズもシエスタも、耳まで真っ赤になるのであった。
「お願いシエスタ、それ貸してちょうだい」
「へ、あ、あの……」
「いいから……うふふふふ、さあこっちの準備は出来たわ……ウフフフ、ねえ、覚悟はいいかしらモンモランシー」
ルイズはどす黒いオーラを放ち、瞳孔の開いた目で危なく笑うと―――シエスタの手から、素敵な音の出る鞭をびしっ、とひったくった。
「ちょ、ルイズ……ま、待って、息、できない、おなかいたい……」
「だぁーめっ、待ってなんて、あげないわよっ!」
笑い転げて力が抜けて、立つこともできないモンモランシーへと、ルイズは馬乗りになった。
スカートがまくれるのも気にせずに、マウントポジションからルイズはえいっ、と気合一発、モンモランシーの身体をうつぶせにひっくり返した。
ひいひいと息を荒げる金髪の少女を、白髪のルイズは笑いながら、無理矢理に四つんばいの状態にさせる。
「さあ行くわよおーっ、はいどうー、はいどうーっ!!」
スパーーーーン!!
「ぴいぅ!!」
そしてルイズは、手にした乗馬用の鞭を、それはもう嬉々として振りかぶり―――モンモランシーのおしりを、ぺしぺしとしばき始めるのだった。
「あははははっ、歩きなさいモンモランシー、走りなさいモンモランシー、さあ馬のようにっ、風を、切ってっ、はいどうーっ!!」
「ちょっ、あははっ、いたっ! いやっ! ま、まってっ、あいたっ、あれ、あんまり痛……くないけどやめてルイズ! あはははっ!!」
「そら行きなさいっ、あんよはじょうず! あはははっ、ほーら、いちにっ、いちにっ!!」
モンモランシーは大笑いしながらも、白髪の友人の遊びに付き合ってやり―――背中に小さくて軽い、きわめて乗馬に向いた体型の少女を乗せたまま、ふかふかのじゅうたんの上やちょっと固い板敷きの床の上、『幽霊屋敷』じゅうを、ぐるぐると回るのだった。
一方シエスタは、自分の身代わりになってくれた身分の違う友人モンモランシーに、いたく感謝し、そっと涙をながしつつ、静かに見守っていたという。
そんな、きゃっきゃうふふとほほえましい光景は、やがて遊びに来た、アンリエッタ王女殿下に目撃され―――
このたび目出度く、貴族の少女ルイズ・フランソワーズは、王宮魔法衛士隊『モンモランシー隊』(ふたりしかいない)の隊長に、任命されることとなったのだそうな。
伝統ある『グリフォン隊』、『マンティコア隊』、『ヒポグリフ隊』につづいてひっそりと新設されたそれは、『トリステイン王宮:魔法学院幽霊屋敷分署』の守護を、任されたのだという。
//// 【次回へと続く】