「おはようございます、旦那さま」
うん?
今、聞き慣れない言葉を耳にしたような…
ここは?
ヴィンドボナの俺の屋敷、自分の部屋。
俺は?
アルバート・コウ・バルクフォン、ゲルマニアの男爵にして、稀代の大魔導師アルバート・デュランの同位体。
じゃあ、俺のベッドの横で言っちゃった、言っちゃったと身をくねらせて大きく揺れている胸は?
うん、麗しの最終兵器、グロリアだ。
「ああ、おはよう」
ようやく目覚めた視線に、大きな胸が飛び込んでくる。
それぞれの起こし方は違う。
だがやはり目の前でどうぞ触って下さいと、揺れ動く巨乳が一番最初に飛び込んでくるグロリアの場合は格別だ。
俺は元気に起き上がり、グロリアに熱い口付けを交わそうとして…
頭を抱えて塞ぎ込んだ。
頭がガンガン鳴っている。
ちくせう、一体昨晩どれだけ飲んだんだよ。
「だ、旦那さま! 大丈夫ですか!」
グロリアが慌てて、俺の背中をさすってくれる。
「あ、ああ、だ、大丈夫だ、ち、ちょっと待ってくれ」
俺は割れるような頭の痛みに堪えながら精神を集中する。
辛うじて、体内の水の精霊とのコンタクトを確立出来た。
後はお願いするだけだ。
スーっと痛みが消えて行く。
俺はようやく、息を大きく吐き出した。
水の精霊にお願いし、弱っている新陳代謝をしばらく代わって貰ったのだ。
生物にとって、体内に留めた水の精霊を自由に操れる事のメリットはとてつも無く大きい。
今のように、通常の身体機能を魔力で代替させる事が可能となる。
しかし最も大きなメリットは、延命だ。
生物の細胞は一部の細胞を除き、常に新しい細胞に生まれ変わっている。
部位によって寿命は違うが五、六年で、代替出来ない細胞を除けば全て入れ替わる。
水の精霊にお願いし、各細胞の機能をある程度まで代替して貰うと何が起きるか?
そう、各細胞の寿命が延びるのである。
大体五倍以上の期間の延長が可能となる。
エルフなどの亜人が総じて長命な理由がここにある。
生まれた時から水の精霊の加護を受けている為に、生物としての生よりも長生きなのだ。
アルの場合はこれに気付いたのが遅かった為、三百年強の寿命だった。
俺の場合、今の時点から加護を受けている為、果たして何才まで生きられるのかは判らん。
ちなみに、五人には水の精霊の加護を与えてあるのでこのまま行けば普通より長生きになるのは間違いない。
当分は、いつまで経っても若々しいと言う程度のメリットしか気が付かないだろうから、今のところはそのままにしてある。
別に彼女らに真実を話す積りは無い。
水の精霊の加護を解除すれば、そこからは普通に歳を取るだけなので話さない方が良いのではと思っている。
まあ、十年後位に真剣に考えれば良いかと今は思っているのだ。
「ご主人さま?」
グロリアが心配気に覗き込んでくる。
「ああ、大丈夫だ、昨日は飲みすぎたようだ」
「まあ、大変! お水お持ちしましょうか?」
「いや、もう大丈夫、それに、水よりもっと効き目のあるものが目の前にあるし」
そう言っておれは、グロリアを手繰り寄せた。
一時間後大ホールを覗くと、ファイトのおっさんがいたので、昼過ぎの待ち合わせの時間だけを確認した。
これから、ファイト達はヴィンドボナに確保した倉庫まで小麦を運ぶのだ。
今後の事は、昨晩打ち合せ済みなので今の所問題無い。
「じゃ、後で」
そう言って俺は何時もの食堂に向かう。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
全員の挨拶に、こちらも答える。
そこで初めて俺はグロリアが、かなり早く起こしに来た事に気づいた。
苦笑を浮かべながら、全員の顔を見る。
グロリアを軽く睨むと顔を赤らめて下を向いてしまう。
うーむ、何となく明日から皆起こしに来るのが早くなりそうだった。
そう言えば昨日は皆大変だったのだ。
今頃気づくなんて、もっと早く気づけよな。
「昨日はご苦労さん、身体の方は大丈夫か?」
多分後片付けなど大変だったろう。
「ハイ、大丈夫です!」
ヴィオラ一人が元気に叫ぶが、他の四人は少し疲れ気味な返事が返ってくる。
「午前中には全員出ていくから、その後の掃除もあるだろうが、皆頑張って欲しい」
そう言いながら、俺は杖を取出し術式を展開する。
水の精霊にお願いし、新陳代謝の代替を彼女等にも掛けて貰う。
五人だけなら、杖を使わずとも可能だがチビッ子二人もいるからな。
あっとか、えっとかの声が口々に零れる。
「これで今日一日は大丈夫だろうが、今晩は早く寝て疲れはちゃんと癒してくれ」
「ありがとうございます」
全員の、今度は元気な声に少し悪い気がする。
まあ、無理矢理働かしているようなものだからな。
今度ちゃんと埋め合わせを考えよう。
「それじゃ、いただきます」
「いただきまーす!」
あっ、アリサとカーリンを忘れてた。
彼女達にも、お礼をしとかなきゃ。
昼前、俺は予め借り受けた倉庫の一室に転移した。
ヴィンドボナ市街まで馬車で一時間半程だが、この間ので馬車は懲りたのだ。
で、小麦を運び込む倉庫を借りるついでに、転移ポイントをここに設定しておいた。
外に出ると、待つ程も無く荷馬車の隊列が近づいてくる。
まあ、タイミングを見計らって転移したので当たり前だが。
「こっちだ!」
ファイトのおっさんに、手を振り馬車を誘導する。
後は小麦を降ろせば終わりだ。
一応売れるまでは念の為、ファイトの部下に警備させなきゃいけない。
後、扉にロックと固定化を掛けとけば、相手がメイジでもそう簡単には盗めまい。
御者の中でヴィンドボナで雇った連中はここで解散になるが、一応専属で働かないか声は掛けてある。
所属は傭兵団になるが、昨日の宴会がプラスに働いてくれる事を祈るばかりだ。
ちなみに御者達は一応ギルドに所属しているので、ほいほいとは引き抜けない。
希望を募り、後はギルドと金額交渉になる。
何せ、二頭立て以上の馬車を操れる特殊技能の持ち主なのだ。
交渉はファイトのおっさんに任せてあるが、決して安い金額ではないだろう。
通常高々男爵クラスなら必要に応じてギルドにその都度御者や、馬車まで手配して貰う。
まあ、半分以上俺の我儘なのかもしれないが、出来れば専属の御者が欲しい。
実際、あちらの世界で乗り心地のまともな馬車を作らせている以上、いずれ必要にもなるしな。
しかしこんな事やってると、こっちの屋敷でもまともな執事が欲しくなるな。
やはり屋敷の外回りの庭師等も必要だから、ファイトの言うように男手を雇わなゃならんのかなあ。
少し当たって見るか。
ファイトの副官代理のヨアヒムがレビテーションの魔法を掛けて、残りの連中が浮かび上がった小麦を運び込む。
その様子を監督していたファイトのおっさんがこちらにやって来る。
「またせたな」
「いんや、じゃ行くか」
大丈夫と納得できたようで、俺はファイトのおっさんとヴィンドボナの中心街に向かった。
カイザー大通りの宮殿から反対側の広場に近い所にボーデ商会の本館が建っている。
「さすがに、でかいな」
二階、いや三階辺りまで届きそうな立派な正面入り口に、俺は呆れたような声を出す。
「アルバートの国には無いのか?」
「ああ、無い事無いが、ここまで仰々しいのは少ないな」
まあ、あっちでも、ヨーロッパに行けばあるかもしれんが俺は知らない。
「気後れするなよ、バルクフォン卿!」
「ああ、判ってるって」
さあて、気合い入れて行きますか!
中に入り、受け付けで紹介状を見せる。
しばらく待たされ、やがて奥から恰幅の良い人物が出て来た。
「アルバート・コウ・バルクフォン卿でしょうか」
ああと、俺は頷く。
「では、こちらへ」
奥へ通され、更に二階へと案内される。
おかしい…
紹介状の効果があるにしろ、ゲルマニアで一二を争う豪商の本拠地だ。
一見の客を相手にする対応ではない。
初めは案内する男が、交渉相手かと思ったが、違うようだ。
二階の廊下の突き当たりに向けて男は躊躇い無く進んで行く。
ファイトのおっさんも、異様な状況に目配せしてくる。
「失礼します。 バルクフォン卿をお連れしました」
男が軽く扉を叩き、そう告げる。
「入って頂け」
まさか!
これだけ、偉そうな返事を返して来る以上は当主が待っているのか?
男が扉を開き、俺達を招き入れる。
広い部屋の奥に大きな執務机、床の絨毯も壁に架けられたタペストリーも十二分に高価だ。
後ろで扉が閉められる。
結局、商会ではそこそこの地位がありそうな男は部屋にも入らず案内だけだった。
そう、正にVIP扱い。
しかし、理由が判らない。
執務机の向うの初老の男性が立ち上がる。
先程の恰幅の良い男が当主で、こちらが執事だと言われれば信じるものも多いだろう。
だが、視線が違う。
見透かすような鋭い視線が俺を検分するように、見つめて来る。
それは一瞬、それでも一生分の運を必要とする瞬間。
その時は、何故そう思ったのか俺自身も判らなかった。
だが、それは正しかったのだろう。
「これは失礼した。 挨拶もせずに」
男の視線から鋭さが消え去り、柔らかな雰囲気が醸し出される。
「私が、ボーデ商会の代表ディートヘルム・ボーデだ。 小麦が売りたいそうだな、バルクフォン卿」
しかし、紡ぎ出される言葉に虚飾は無い。
そう、それは自分の優位を確信している、ゲルマニアで一二を争う豪商の当主らしいもの言いだった。
「はあ、確かにその積もりだったが」
ここで、下手に出れば多分一生下に見られる。
俺の営業部長としての短い体験、アルの記憶にある遠い昔の宮廷勤め、両方の感覚がそう訴えて来る。
なけなしの意地を絞り出し、俺は言葉を続ける。
「その前に、教えて貰えないだろうか?」
ボーデの眉が微かに上がる。
生意気な態度と取られたのだろうか?
いやいや、間違ってない、ここはあくまでも平静に。
「ふむ、良かろう、何が知りたい?」
暫くの俊順の後、ボーデの口から承諾の言葉が零れる。
どっと安堵しそうになる。
いや、まだだ、まだ気は抜けない。
これからが本番だ!
「貴兄は、私が来るのを予期されていたようだが」
軽く首が動いたか?
まあ、ここまで通される以上それは間違いあるまい。
それに、ヴェステマン商会から何らかの話があってもおかしくない。
「私は、男爵でしか過ぎない」
違う、これじゃない!
金持ちの男爵と言うだけでボーデが興味を持つか?
まだだ、まだ何かある!
「確かに東方との交易の可能性を示唆したが」
何?これでもないのか?
だめだ、お手上げだ。
「どうして、ボーデ商会の当主である貴兄がわざわざ会う気になられたのだ?」
ええい! これだけ聞くのに汗だくだ。
平静な振りをしていても、この爺さんには見透かされていると言う思いしか浮かばない。
「ふむ、只の鼠じゃない見たいだな」
えっ!
少しは認められたのか?
「良かろう、突然現われた金持ちの似非男爵、しかも東方との交易の可能性を示唆するなど怪しさ満点だ」
うん、それは俺も同意する。
じゃなんで、この爺さんは俺と会おうと言う気になったんだ。
益々、訳が判らん。
「一つには、国安が動いておる」
えっ、国安?
それって、国家安全院の事か?
ゲルマニアの治安維持、主にヴィンドボナ周辺の治安維持を担当している警察組織に近いものだ。
しかし、何か睨まれるような事したのか俺?
「なんだ、気づいておらんのか? 先日もヴェステマンからの斡旋に国安が忍び込ませた調査員を排除しただろうに」
「あれが、国安の人間とは気づきませんでした。 お恥ずかしい限りです」
ヤバイ、ヤバイ、なーんも考えず、弾いたけど料理人候補にそんな物騒なやつが入っていたのだ。
「もう一つは、屋敷に雇っている女達だ」
うん?
どうして、彼女達が注目されるのだ?
あー、ゼルマの件位はあるだろうが、グロリアなんか気が付くとは思えん。
「お主、本当にハーレムを作ろうとしているか?」
これがコントならば、俺は多分そこで思いっきり扱けていただろう。
何、これ、マジですか?
どうして、高々6000リーブルの小麦の売買に、当主が出てくるのかと思ったら単なる興味本位かよ。
ああ疲れた。
さっきまでの緊張が嘘のように消え、目の前のボーデの爺さんも単なる好色な爺さんにしか見えない。
まあ、少なくともボーデ爺さんの情報網は、ぽっと出の俺より遥かに凄いのは間違いない。
しかも、商売も堅実で、こんな事にも興味を示し、仲良くなっても損はないわな。
「あー、座っても良いか」
もう、ぶっちゃけよう。
下手にカッコつけてるのも疲れる。
ボーデ爺さん(もう、呼び方はこれに決定だ!)が、頷くので、俺は横にあるソファに腰を下ろした。
「なんだボーデさんも、興味本位ですか、あまり驚かさんで下さい」
ホンと、俺なんか気が小さいんだから。
「おお、すまんな、脅かす気は無かったんだが、何となく雰囲気でな」
爺さん、ニヤニヤ笑みを浮かべ、ぶっちゃけた俺を見ている。
ホンとに豪商なんて化け物だ。
それでいて、こんなノリが良いなんて、世の中判らんもんだ。
「ホンとに、緊張しましたよ。 流石に喉が渇いたので、失礼して喉を潤わして下さい」
俺は、指輪の中から缶コーヒーを取り出し、ボーデ爺さんの目の前でプルトップを開け喉に流し込む。
ボーデ爺さんの目つきが鋭いものに変わる。
「お主、エルフか?」
おお、流石に鋭い。
一発で系統魔法では無いと気がつく。
あっ、俺杖も使ってなかったから、気づいて当然か。
「いんや、まだ人間です。 但し、系統魔法以外に様々な魔法が使えますけどね」
爺さんの目が更に開かれる。
うん、少しは憂さが晴れる。
「東方と言っても、ロバ・アル・カリイエじゃないですが、俺の国では結構様々な魔法が使えましてね」
「ほう、与太話では無いと言うんだな」
流石に目の前で、系統魔法以外の魔法を見せられれば少しは信じてくれそうだ。
「与太話ではないです。 まあ、これを見て下さい」
そう言って、俺は指輪に収納した、少量の小麦を机の上にサラサラと溢れさせる。
品種改良も重ねた、あちらの世界はアメリカ産の上質の小麦だ。
こちらのものとは格段に品質が違う。
ボーデ爺さんは小麦を手に取り、確認している。
「本当にこんな小麦があるのか」
驚いたように、俺の顔を見るボーデ爺さん。
とにかく、俺にすれば話に乗ってくれそうなので、ありがたい。
「はい、取り合えず6000リーブル、このヴィンドボナに彼が運んで来てくれてます」
「良し、買い取ろう。 これなら、市価の三倍、いや五倍でも売れよう」
おお、太っ腹、ありがたいこった。
まあ、市価なんて年間を通して十倍以上変動するから、当てにはならないが。
「それと、今後上手くつなぎが取れれば、小麦もそうですが、他の物品の購入が可能となります」
「ああ、それは前提条件だ」
流石に商人、今回の買取価格には、今後の取引も行なうのが条件ですか。
「了解です。 で、さっきの質問ですが、ハーレムは作りたいですね」
「ほう、そうか、お主本気で馬鹿なんだな」
ボーデ爺さん、嬉しそうに俺の顔を見る。
「ハイ、筋金入りの大馬鹿です」
俺も、笑顔で答えていた。