耳元で何か音が鳴っている。
アンジェリカはパチリと目を覚まし、一体この音はなあに~と考える。
昨晩、このフカフカのベッドに入り、まるで王様になったような気分で、心地よく睡眠についたのよね~。
と言うことは、今は朝だわ。
場所は、バルクフォン男爵の領館、私のいるは、その使用人の為に用意された部屋…
うん、しっかり覚えているわ~。
だけど、耳元で聞こえるこの音は何だろう?
アンジェリカは不思議に思い、漸く音のする方を見つめた。
昨晩ご主人さまが『でんわ』と言ったものが不思議な音を立てて鳴っている。
あれ~、これ鳴くんだ~
ベッドから起き上がると、尚も音を出しているそのでんわと言う魔道具に触れて見る。
音が止まる。
確か、こうだっけ~
ご主人さまのやっていた事を思い出し、顔に電話をつけた。
「もしもし、そっちは誰の部屋だ?」
声が聞こえて来て、ちょっとビックリ。
だけど、明らかにそれはご主人さまの声。
「あ~、おはようございます。アンジェリカです~」
「おお、アンジェリカか、おはよう」
うん、使い方は間違ってなかったみたい!
ちゃんとご主人さまに声が届いてる。
「他の部屋電話しても、誰も出てくれなくてな。今日の予定を伝えるから、全員で一時間程したら、厨房に来てくれ」
「はい~、判りました~」
アンジェリカは、言われた通り電話を台に戻す。
暫く見つめていたが、何も起こらないから、きっと間違ってないんだろう。
そうだ!
皆に伝えなきゃ~
ガウンを羽織り、アンジェリカはバタバタと部屋を後にした。
隣のアマンダの部屋をノックする。
バタバタと音がして、暫くすると、扉が少しだけ開いた。
「おはよ~」
アンジェリカはこちらを伺っているのが、アマンダだと気づき、元気に朝の挨拶をする。
「ああっ!アンジェリカさん!良かったぁ!」
扉が大きく開き、アマンダが抱きつかんばかりで飛び出してきた。
「うん、どうしたの~」
「ああ、アンジェリカさん、な、何か部屋にいるんですぅ!」
「もう、私、怖くて、怖くて!」
パニックになりながら、アマンダが次々と話そうとする。
「おちついて~、特に何も見えないわよ~」
アンジェリカはアマンダの後ろを見渡すが、特にヘンな所は見られない。
「ええっ、で、でも、何かブーッてうなってました」
アンジェリカは一人納得する。
どうやら、アマンダは電話の事を忘れていたようだ。
突然、ベッドの横で鳴り出したそれに、パニックに陥っていたようだった。
アマンダに説明すると、アーそう言えばと言う感じで、アマンダも納得したようだが、まだ少し不安げである。
他の三人にも、ご主人さまからの用件を伝えなきゃいけいなと説明すると、アマンダも一緒に他の部屋を回る事となった。
隣は、ヴィオラの部屋だっけ~
そう思いながらも、アンジェリカがノックする。
「はーい!」
元気な声で扉が開かれ、ヴィオラが顔を出す。
何か少し興奮しているようで、やけに元気である。
「おはよう、ヴィオラ、アンジェリカよ」
「おはようございます、ヴィオラさん、アマンダです」
アマンダは昨日の夜の事が、気になるので、少し探るようにヴィオラを見詰める。
「あっ、二人ともおはよう!貴方達、大丈夫だった?」
何があったんだろう、ヴィオラがやけに心配そうに二人を見詰めて来る。
「えっ、何か心配なの~」
アンジェリカは、アマンダの例があるので、でんわの事かしらと思いながらも問い返した。
「ヘンなモノがでて来なかった?私、やっつけちゃったけど」
うーん、とても嫌な予感がするわ~
一寸困った事になってそうね~
そう思いながら、アンジェリカは、アマンダと一緒に、部屋の中に入る。
「あちゃー」
アマンダが得意そうに指差す先には、残骸と化した電話が鎮座していた。
青くなるヴィオラを宥め、ご主人さまからの用件を告げると、二人は次の部屋に向かった。
次は、ゼルマさんの部屋だ~
ゼルマさんの部屋の扉を叩くが、返事がない。
「いないのかな~」
「いないみたいですね」
アマンダと二人でどうしたものかと顔を見合わせてる。
「おはよう、二人して私に何か用か?」
廊下の向こうから、ゼルマさんが歩み寄って来た。
「あー、ゼルマさんおはようございます」
「おはようございます~」
アマンダとアンジェリカはペコリと頭を下げ、ご主人さまの伝言を伝える。
「そうか、それでは早く用意しないとな」
ゼルマさんは気合を入れるように、そう言いながら部屋に入ろうとする。
「あっ、ゼルマさん、どこ行ってたんですか?」
アマンダが慌てて聞いた。
「うん、少し朝の鍛錬だ。建物の外回りを軽く走ってきた」
「へえ~、凄いですね~」
アンジェリカは、初めて聞く鍛錬と言う言葉に驚く。
「うん、そんな事ないぞ。ご主人さまに仕える以上、身体の鍛錬は大切だ」
そんなものなのかなあと思うが、別に意義を唱える程の事ではない。
「あっ、外はどんなですか?」
アマンダがそう聞く。
私も、それは興味がある。
アンジェリカは、こんな屋敷なんだから、外にも何か不思議なものがあってもおかしくないと思うのだった。
「あー、外か?普通に庭が広がってるぞ。ただ、何をするのか判らないが、競技場のような施設があったかな」
ゼルマさんが思い出したように言ってきた。
「えー、それってどんなものですか~」
アンジェリカの瞳がキラキラ輝く。
彼女は本当に、珍しいもの、不思議なものに興味深々だった。
一応説明して貰ったけど、良く判らなかった。
仕方なく、後で見に行く事にして、二人はゼルマの部屋を後にする。
一番奥のグロリアさんの部屋をノックするが、ここも返事がない。
暫く、二人で待ってみるが、帰ってくる様子も見られなかった。
時間もあるので、グロリアさんの事は心配だが、二人はそれぞれの部屋に戻り準備を始める事にした。
その頃、グロリアは再びご主人さまの部屋の前まで来ていた。
ゆっくりと呼吸を整える。
昨日渡された、『メイド服』と言う服装に落ち度は無い。
ハイソックスの下にサンダル、下着も上下ともちゃんと着け、スカートの下にはパニエも着込んだ。
濃紺のワンピースの上から、白いエプロン。
髪留めのカチューシャもしっかりと調整し、どこにも漏れは無い。
グロリアは再度呼吸を整えると、扉をノックした。
扉が開くと、驚いたような顔をしたご主人さまが顔を出した。
「うんグロリア、何か忘れ物か?」
そんな事言われたら、顔が赤らんでしまう。
なるべく平静に、平静に…
「おはようございます。ご主人さま。お部屋の洗濯物を取りに伺いました」
落ち着いて聞こえるように、ゆっくりと告げ、軽く頭を下げる。
「あ、ああ…洗濯物?」
ご主人さまが怪訝そうな表情を浮べている。
そこは、気にしないで、部屋に入れて下さい。
グロリアはそう叫びたいけど、ぐっと我慢した。
「ハイ、洗濯物です。失礼して宜しいでしょうか」
ヘタに馴れ馴れしい所を見せてはいけない。
あくまでも主人と使用人の立場は崩してはいけない。
それが、許されるのはご主人さまがそう望んだ時だけ。
これが、旨く行く秘訣。
グロリアは母からお手つきとなった場合の対応を、嫌と言う程教え込まれていた。
それでも、ここは何としてもシーツを回収しなければ。
万が一にも、赤いシミでも残っていて、他の召使に見られたら、恥ずかしすぎる。
「あー、洗濯物か。それじゃ、お願いするかな」
ご主人さまったら、何か気がついたように、そこで笑わないで欲しい。
少し恨みがましい表情で、ご主人さまから目を反らし、部屋の中に入る。
ベッドルームに入り、布団を跳ね除け、シーツを回収する。
見たところ、目立つ痕跡は残っていなかったので、ホッとした。
手早く代わりのシーツを整え、そこで困ってしまった。
ゴミ箱が無いのである。
確か、ご主人さまが後始末をして下さった時、何か柔らかい紙のようなものを使っていた。
それも始末しておきたいのだけど、あれは何処に捨てられてしまうのだろう。
部屋を片付ける振りして探すが、それらしきものは見当たらない。
そんなグロリアの様子を、ニヤニヤ笑みを見ながら見詰めているご主人様が疎ましい。
「あ、あの、ご、ゴミは…」
そう言いながら、顔が赤くなるのは隠せなかった。
「ああ、ゴミね。大丈夫、あれに使ったテッシュは、水に流せる。トイレに捨てたから跡も残らない」
ご主人様にそう言われ、ホッと一安心。
これで、今手に持つシーツを洗濯機とか言う魔道具に放り込んで、洗ってしまえば証拠は残らない。
「それじゃ、失礼致します」
シーツを持ち、部屋を出ようとする。
「あー、一寸待った」
ビクッと身体か震える。
今ここで、また?
べ、別に嫌と言う訳じゃないけど、他の娘に知られてしまうのは、恥ずかしい。
直ぐに、ばれてしまうのは判っているけど、それでも昨日の今日は、嫌だった。
ご主人さまが近づいてくるのを、身を硬くして待ち受ける。
「連絡事項と確認事項が一つずつ」
正面に回り込んで、指を二つ上げてご主人さまが話しかけてきた。
「一つは、後一時間弱で、全員を厨房に呼んでいる。グロリアも遅れないように」
一寸安心。
これで、多分襲われる事は無いだろう。
あっ、でも、殿方は早いときは早いとも聞いたけど…
「それと、確認事項」
グロリアの注意が再び主に向かう。
「大丈夫かい?」
ニコッと笑みを浮かべ心配そうに、様子を伺ってくる。
グロリアは真っ赤になって、俯くしか出来なかった。
「一応、水の秘薬を使ったので、痛みはそれ程酷くない筈だ。それでも、初めてである事は間違いない」
そう言って、ご主人さまの、か、顔が近寄って来ます。
「あまり、無理はしないように」
ああっ、だめ、ダメです。
顔が近すぎ…
そのまま抱き締められ、軽く唇を啄ばまれるのを、グロリアはカチンコチンに硬直したまま受けるのだった。
グロリアさんが変です。
ご主人さまに言われ、厨房にアマンダ達が集まった時には、先に来ていました。
それは良いのですが、ご主人さまがいらっしゃって、朝食の指図をされるのをどこかぼおっとした感じで見詰めていました。
朝食の準備は、皆と一緒にてきぱき働かれていたのですが、時折手を止めるとぼんやりされます。
物思いに沈むと言うのではなく、何か思い出しているようで、見ていて少し不安です。
ヴィオラさんの性格が変わりました。
と言っても、まだ会って二日目なのですが、少なくとも昨日のヴィオラさんと、今日のヴィオラさんは、全く別人のようです。
とっても元気で、明るく、一生懸命食事の用意をしています。
昨日、ご主人さまに手を上げると言う、あってはならない事を起こしてしまったのに、一体どうしたのでしょう。
心配になって、こっそり聞いてみたのですが、ご主人様から罰を受けたのと言うだけ。
それも、とっても嬉しそうに言われるので、一寸引いてしまいます。
ゼルマさん、殺気を飛ばさないで下さい。
ヴィオラさんが、異様な明るさに、怪訝そうな顔をしていた時は良かったのです。
「やったか、いや、やられたか…」
と物騒な事をつぶやいてから、ヴィオラさんを見る目が怖いです。
しかも、グロリアさんの様子がおかしい事に気がついてからは、更に怖いです。
「彼女もか、一度に二人か、ぬぬ、侮れぬ主だ…」
って、どういう事でしょうか。
とにかく、グロリアさんにも殺気を飛ばすのも、止めて欲しいです。
アンジェリカさん、ホッとしました。
でも
「あ~これなにかな~」
って言って、そこここの魔道具を勝手に弄らないで下さい。
その度に、爆発しないか、ヒヤヒヤさせられるのは嫌です。
だけど、アンジェリカさんだけは、昨日と同じで、少し安心です。
ご主人さまも、変わりました。
何だか、落ち着いた雰囲気で、アマンダ達に指示を与えてくれます。
昨日のような、どこか浮かれた雰囲気が無くなり、アマンダ的には安心です。
これだけが、唯一良かったと思える点です。
朝食は、簡単にと言うことで、パンとサラダにオレンジジュースでした。
パンにはたっぷりとバターを塗って、三種類ものジャムを用意して、自由に塗って食べられたのでした。
お昼は、ご主人さまが作って下さるそうです。
ビックリです。
使用人の為に、館の主、多分貴族様がご飯を作るなんて…
一体どんなものを作って下さるのでしょうか。
とても、とても楽しみです。
ご主人さま曰く、今日は午前中は研修だそうです。
ここにある様々な魔道具は、ハルケギニアではまだ使われていないものばかりだそうで、その使い方を覚えねばいけません。
その上でアマンダ達が、これから来る子達に使い方を教えるのだそうです。
アマンダに出来るでしょうか。
うううん、出来なければなりません。
おいしいご飯の為には、アマンダも頑張るのです!
あっ、そうそう、ヴィオラさんの電話は、ご主人さまが直して下さいました。
魔法って本当に便利ですね。(by アマンダ)