「あっ…ああっ…あっ…」
ヴィオラがその場に、泣き崩れた。
他の四人は真っ青になって、俺を見ている。
ふうっと、黙って吐息を吐き出した。
あり得ない、いや、起こってはいけない事が起きてしまった。
平民が、貴族に手を上げる。
しかも、その平民は99年の雇用契約にて主の下で働くモノ。
言わば奴隷に等しい。
俺は頭の中で、この世界でのこう言う場合の対応を思い出してみた。
まあ、普通はなぶり殺しだな…
貴族に対して手をあげた。
これは、体制に対する反逆に等しい。
その場で魔法で焼かれても、誰も文句は言うまい。
表立ってはな…
相手が男ならば、問答無用で切り捨てても何ら問題ない。
殴りかかって来たから、それに対応したと言うだけで済む。
土台、メイジである貴族に平民が一対一のタイマンで勝てる道理も無い。
それが判ってて、殴りかかってきたのだから、こちらも申し開きは容易い。
しかし、若い女性が相手だと、微妙に困った事態が発生する。
『町を歩いていて水を掛けられた、問答無用で風の魔法で吹き飛ばした。
その後、彼女がどうなったかは知らない。』
これならば問題ない。
だが、ヴィオラのケースはそれではない。
頬にまだ痛みが残っている。
水の魔法で回復の術式を展開すれば、直ぐにでも納まる程度のものであるが、今は痛みがあった方が良い。
大分、浮かれすぎていたようだった。
半年以上、殆ど独りで過ごしてきて、突然五人の見目麗しい美少女と一日を過ごす。
最初に風呂入ったのが、不味かったか…
俺は、頭の中で苦笑いするしかなかった。
うん、泣き崩れているヴィオラは別にして、まだ四人が俺を見つめているのだ。
こんな場面で弱みを見せれば、今後つけ上がられる。
彼女達と楽しくやって行きたいと言う言葉に嘘は無いが、なめられるつもりも無い。
あー、でもさっきまでの俺なら、間違いなくなめられるな。
ちょっと、反省。
ヴィオラに感謝せねば、少なくともハイテンションから帰ってくる事が出来たんだから…
話が逸れたがとにかく、
『奴隷の少女に、頬をぶたれたから吹き飛ばした』
では、余りにも醜聞が悪すぎるのだ。
生殺与奪の権利を握っているだけに、表に洩れた時に他の貴族達にも舐められる原因を作ってしまう。
まあ、別に他の貴族がどう思おうが、俺には関係ないが。
一番困るのは、官吏に知られる事。
監督不行き届きにて、御家御取つぶし。
どこの江戸時代だよと言いたくなる。
それより、若い女性の奴隷一人言う事を聞かされない貴族。
女には弱い軟弱者―これはほぼ事実だな―と言うレッテルが貼られてしまう。
五人とも消してしまうか?
それが出来たら、こんな事にはなってないって。
自分で突っ込んでしまい、苦笑いが浮かぶ。
いかん、いかん、とにかく他の四人を切り離そう。
俺は、術式を展開し、ヴィオラを眠らせた。
泣き崩れていたヴィオラの力が抜け、その場に倒れ込む。
「あっ…」
アマンダがびっくりした顔で、彼女に駆け寄ろうとするが、俺の顔を見て動けなくなってしまう。
「とにかく、今日はもう終わりだ。それぞれ部屋に戻って寝なさい」
全員の顔が強張る。
しかしながら、反論するものはいない。
「それと、歯磨きだが、それぞれの部屋に同じものが用意してある。まず自分達で試しておくように」
四人とも、項垂れたまま動かない。
いや、動けないのか?
「ヴィオラの事は気にするな。まあそれ相応の罰を受けて貰うがな」
四人ともハッとしたように顔を上げる。
グロリアの口元が、何か言いたげに動くが、それも途中で止まってしまった。
「では、明日から宜しく頼む」
もう、ここから出てゆけと言われているような、ご主人さまの口調に何故かグロリアは悲しみを覚えた。
大変な事になってしまった…
他の三人と脱衣場を後にしながら、グロリアは思う。
ご主人様に手をあげる。
あってはならない事態。
平民がやってはいけない事。
他の国に比べれば、ここゲルマニアは貴族と平民の身分制度の差別は軽いほうだとグロリアは母から教わっていた。
そりゃ、街中で貴族を侮辱しようものなら、その平民は殺されても文句は言えないのは変わらない。
だけど、この国では財力があれば貴族になる事が出来る。
逆に、貴族であっても没落すれば、平民として扱われる。
グロリアは直接聞いた訳ではないが、ゼルマのような元貴族の令嬢がいる事になる。
メイジの資質の有無は問われるが、平民と貴族との差別は、噂に聞くトリステイン程ひどくは無い。
結果、何が起こるかと言えば、貴族は無闇に平民を殺せなくなっているのだ。
建前上は侮辱された貴族は平民に対して生殺与奪の権利を持つ。
何せ、身分の上のものが下のものを罰するのは、当たり前のことだから。
でも、その後がある。
罰した貴族に対して、帝都から詰問が飛ぶ場合があるのだ。
『何故、平民に侮辱されたのか?』
『貴族なのに、平民に侮辱されるような行いがあったのか?』
そうゲルマニアでは皇帝に対して、貴族の権限が強い。
国としてまとまれば、多分ハルケギニア一の大国になれる筈なのに、意見がまとまらない為、ガリアやトリステインから見下されているのだ。
貴族の権限を小さくして、皇帝の権限を大きくするにはどうすれば良いか?
その方法の一つが、貴族の粗を見つけて取り潰すことであった。
皇帝に仕える官吏達は常に目を光らせている。
何か不手際があれば、すぐさまその貴族を取り潰そうと。
これにより、貴族達の権限の縮小、それとこちらの方が重要であるが、領地の売却が可能となる。
貴族になりたい平民に高く売り付ける事が出来る訳だから、予算に苦しむ官吏には望ましい事この上ない。
平民が貴族に手を出す。
それはやってはならない事。
それを行ってしまえば、最悪その平民は命は無い。
だけど、同時にその平民を罰した貴族すら、自分の地位を失う可能性があるのだった。
だから、グロリアは悩む。
このご主人さまは、決して悪い人ではない。
ヴィオラのやった事は、罰せられてもおかしくない事。
ご主人さまには、罰する権利があり、ヴィオラが罰せられるのは仕方ない。
だけど、万が一この事が外に漏れ、官吏に知られたら。
官吏達は喜んでバルクフォン家を御取潰しにするだろう。
折角気に入りかけているご主人さまと、楽しそうな職場なのに失いたくは無いわ。
グロリアは尚も考える。
たった一つ、官吏達から逃げる手段がある。
この辺りは、グロリアは母にしっかりと仕込まれていた。
何と言っても、貴族のお手付きで生まれただけに、母はこの辺りには詳しかった。
平民でも貴族になる事が出来るゲルマニアであればこそ、許される道が一つだけある。
それは、痴話喧嘩。
男と女の関係になってしまった貴族と平民がそれだ。
その二人が、お互い手を上げたとしても、それにより罰せられる事は無い。
他の国とは違い、グロリアのようにメイジと平民の間に生まれた子供は、貴族になれる可能性のある平民なのだ。
跡取りを得るために、貴族が平民に手を出して子供を設ける。
そして、その子供にメイジの可能性があれば、跡取りとして迎え入れる。
逆ならば平民として扱う。
跡取りがいない為に、お家断絶と言う事になれば貴族は目も当てられない。
貴族同士の婚姻には家がついて回る為、子供が生まれないからと放り出せるものではない。
だから、子供の出来ない貴族は必死に平民の女性を囲う。
それでも子供さえ生まれ、メイジの才能があれば、家が続くのだから。
だからこそ、男女の仲になってしまえば、そこにはもう、貴族・平民と言う関係は無いとみなされる。
むしろ、そんな関係の中で、手を上げた貴族がいたら、周りからバカにされるだけである。
そう、痴話げんかの中での出来事は、笑って済ませるしかないのである。
こうしちゃいられない。
「みんな!後で私の部屋に来て」
黙り込んでいる三人に向かって、グロリアは勢い良く告げるのだった。
四人が出て行ったのを確認すると、俺はレビテーションでヴィオラを浮かせた。
軽く手を沿え、そのまま彼女を二階の私室まで運び込む。
ベッドに降ろし、レビテーションを解除する。
ストンと、彼女がベッドに寝転がるが、うーんと言う寝言が聞こえるだけでヴィオラはまだ目を覚まさない。
覚醒させても良いが、まあ暫くは寝かせておこう。
俺はホームバーからグラスを取り、酒を注ぎ軽く喉を潤す。
今日一日を振り返ってみる。
かなり飛ばしまくっていた俺自身に、流石に苦笑せざるを得ない。
大体、風呂入った辺りからおかしくなりだしてるよなあ…
何でも出来る。
だから、何でも独りでやる。
こっちの領地を手に入れ、世界に穴を開けて館をリフォーム。
領地のあれこれに指示を出し、物資の手配・傭兵団への連絡…
確かに、走りっぱなしだったと言えばそうとしか言えない。
それが、可愛い美少女五人に囲まれた。
しかも、自分の言うことに逆らえない立場の愛くるしい娘達だ。
こんな経験、これまである訳ない。
だからこそ、ハイテンションで接した。
それの結果が、この頬の痛みと扱いに困る美少女一人か…
苦笑いしか浮かばない。
何でも出来る。
誰にも止められない。
だから、好きに生きる。
なのに、今は一人の娘の扱いに困りこんでいる。
やっぱヘタレだよなあ…
他人の目を気にせず、自由に生きる。
これこそ憧れた生き方。
チートな力を得たからこそ、それが出来ると思ったのだった。
だけど、たった五人の娘と半日接しただけで、その思いは崩れ去ってしまった。
アルの知り合いのドラゴンが、人間の小娘にこだわる理由も、こうなって見れば判らないでもない。
まあ、アルには召還した無敵のドラゴンが、どうしてたった一人の小娘の為に命をかけようとするのか、理解は出来なかったようだが…
おっと、いけないまた話が逸れた。
現実逃避?
多分そうだろう。
とにかく!
ヴィオラの話を聞かねば!
俺は、ベッドの横に椅子を持ち込み据え付ける。
用意した水の秘薬とグラスに入れた酒を持って、そこに腰掛けると覚醒の術式を構築するのだった。
コンコンと扉をノックする音がした。
グロリアは急いで、駆けつけ扉を開く。
「こんばんわ~、失礼します」
ペコッと頭を下げたアマンダが立っていた。
「どうぞ。あら、それ何?」
「これですか~、部屋にあったんですよ、中々良いでしょう」
アマンダがパジャマの上に、ナイトガウンを羽織っていた。
薄いピンクの中々洒落たガウンだった。
「あら、こんなものまで用意してあるのかしら、どこにあったの?」
「ええっと、棚の下の段です」
グロリアも引き出しを開けて見ると、同じようなガウンときっちりと畳まれた服が入っていた。
「ああ、これね」
ガウンを取り出し、同じように身に着けてみる。
「うわあ、軽いわね。それに暖かいし」
「でしょ、でしょ、これだと恥ずかしくないですもんね」
「何をしてるんだ、お前らは?」
いつの間にか中に入ってきたのか、ゼルマが態々開いた扉をノックしながら呆れたように聞いてくる。
その後ろには、アンジェリカの顔も見える。
「あー、ゼルマさん、アンジェリカさんも。こんなガウンがあったんですよ」
アマンダが嬉しそうにクルリと回ってガウンを見せびらかす。
「ほおっ、それはよさそうなナイトガウンだな。どこにあったって?」
「ハイー、棚の下の段です」
「それじゃ、一寸私も取って来よう。アンジェリカは」
そう言ってゼルマが振り返ると、もうそこにはアンジェリカはいなかった。
ゼルマは肩を竦めると、一旦部屋に戻って行った。
全員ガウンを羽織り、再び部屋に集まった。
ベッドにアマンダとアンジェリカが座り、グロリア、ゼルマは用意された椅子に腰を下ろす。
今は、アンジェリカがちゃっかりと部屋から持ってきたカップ二つと併せて、四人分のお茶の用意をしている。
ご主人さまに言われた通り、『ポット』にお水を入れ『コンセント』をつなぎ、ボタンを押す。
アンジェリカが嬉々として用意して行くのを、残りの三人は恐る恐る見ていた。
『ティーパック』と言う物を包みから出し、それぞれのカップに入れる。
そこに、あっという間に沸いたお湯を注ぎ込み、暫く待つ。
ゼルマは、砂糖と言われた小袋を手に取りしげしげと見つめる。
「これは、一体、紙(?)なのか?それにしても薄い」
お茶に甘みが欲しい場合は、この小袋を破り中の砂糖を注げば良いとご主人さまは言っていた。
だがそんな小物でさえ、見たことも聞いたことも無いようなものばかりである。
ゼルマのそんな独白に、ウンウンとグロリアとアマンダが頷くのを他所に、アンジェリカはさっさと砂糖の包みを破りお茶に注ぎ込む。
スプーンで軽く混ぜると、あっという間に溶けて行く砂糖をアンジェリカはキラキラとした目で見つめていた。
ティーパックを取り出し、もう一回軽くかき混ぜ、カップを手に取る。
「頂きまーす」
アンジェリカが早々に口を付けるのを、残りの三人は興味深げに見つめるだけだった。
「どうしたの?おいしいよ?」
そんな皆のように、キョトンとしながらアンジェリカが言った。
三人は、慌ててそれぞれのカップに砂糖を入れた。
三人とも、言われた事は判っていたつもりだが、流石に自分から試して見るのはまだ怖かったのだ。
「ほおっ」
「あっ、おいしい」
「おいしいね~」
お互い顔を合わせて微笑みながら、まったりとした空間が辺りを包む。
不思議な事だ。
ゼルマは一人思う。
ここにいる四人、そしてご主人さまの元に残ったヴィオラも含め、五人が五人ともこの屋敷に来る前までは、会ったことも見たこともなかったのだ。
元貴族の娘と言う事で、跡継ぎが出来ない貴族の需要が高いゼルマのように、ある程度の宿で待機出来たのはまだましなのだろう。
他の四人は、どれ程劣悪な宿で待機していたのだろうか。
それが今こんな綺麗な部屋で、こざっぱりとした服装に着替え、まったりと今まで味わった事の無いお茶を飲んでいるのだ。
「それじゃ、自己紹介は今更必要ないわね」
グロリアが切り出した。
「まず、みんな、このお屋敷をどう思う?」
グロリアの問い掛けに、お互いが探るような視線を合わせる。
皆思っているのは一緒だった。
『こんな屋敷見た事も聞いた事もない。』
の一言に意見は集約された。
ロバ・アル・カリイエ、所謂東方のモノではないかと言う意見も出た。
だけど、それならば誰も見た事も聞いた事もない筈が無いと言うアンジェリカの意見に、そんなものかと皆同意する。
その次にグロリアが聞いて来たのは、
『ご主人さまをどう思うか?』
であった。
ゲルマニアの貴族とは思えない。
貴族があのような対応を取る事は考えられない。
でも、平民にも思えない。
平民、例えば裕福な商人が取るような対応でもない。
でも、悪い人には思えないと言うグロリアの意見に、結局残りの三人も頷いていた。
『見た事も聞いた事も無い屋敷』
『訳の判らない怪しい人』
『でも、悪い人ではない』
これじゃ、怪しさ満載の職場である。
だけど、最後のグロリアの意見に、皆が納得する。
「ヘンなご主人さまに、ヘンな屋敷だけど、私ここで働くのは悪くないと思うの」
「だって、他の所に比べれば、遥かにマシじゃないかしら。それにね、あのご主人さまなら抱かれても…」
最後のくだりに関しては、アマンダが一人ワタワタしていたが、今後奉仕して行くのにここは悪くない。
いや、破格の良い職場だろう。
ゼルマは考える。
それに、ばれてしまったがやはり、御家再興は目指して行きたい。」
「何としても、ご主人さまの寵愛を得て、ヴェスターテ家に往時の栄光を---」
「ゼルマさん、ゼルマさん!」
アマンダが呼びかける。
「うん?どうした?」
「また、聞こえてます」
アマンダが呆れたように答える。
ゼルマは、他の二人に目で問い掛けた。
二人とも、聞こえていたと目で答える。
「しまったぁ!!」
ゼルマの御家再興は、この癖から直さなきゃならなかった。
結局、ゼルマのお約束も見れた事で、グロリアのお茶会は円満に終了した。
グロリアは、ここで働く事に前向きに取り組みたいと思い。
ゼルマは、ご主人様の寵を得て、御家再興を目指そうと言う信念を一層強固に。
アンジェリカは、この不思議な屋敷をもっと知りたいと言う思いを更に強くし。
アマンダは、おいしいものが食べられるので奉仕先としては問題ない。
ただ、ご主人さまに、だ、抱かれるのは…
と、独り顔を真っ赤にさせるのだった。
「あっ、最後に一つ」
後片付けを済まし、それぞれが部屋に戻ろうとした時、グロリアが再び声を掛ける。
「今度は、ちゃんとヴィオラも誘いましょうね。今日はご主人さまと痴話喧嘩になってしまってダメだったけど」
グロリアの発言に、一瞬全員が黙り込む。
そう、ヴィオラの件は全員が心配していたのだった。
「そうだね~、ヴィオラちゃんも入れてあげなきゃ~」
いや、自分中心のアンジェリカを除いて…
「そうか、痴話喧嘩だな。それなら、ご主人さまの顔も立つ」
ゼルマが感心したように頷く。
「ヴィオラさん、大丈夫でしょうか?」
アマンダは素直に心配を表す。
「大丈夫、あのご主人さまだから、ひどい事はなさらないわよ。今度、皆で慰めてあげましょ」
「うん、そうしようね」
グロリアにそう言われ、アマンダが素直に頷いて、それぞれが部屋に戻っていった。
バタンと、扉を閉めてグロリアは、大きくため息を吐き出した。
何とか旨く行った。
皆、ヴィオラの件を痴話喧嘩として認めてくれた。
取り合えず、こっちはこれで終了ね…
グロリアがそう思ったとき、扉を激しく叩く音が鳴り響く。
えっ…
グロリアは慌てて扉を開けた。
「まて!痴話喧嘩とはどういう事だ」
そこには、顔を真っ赤にさせたゼルマが立っていた。
何しろご主人さまの寵愛を受けるのは、私・ゼルマだ。
それを差し置いて、ヴィオラが寵愛を受けているのは許せる事ではない。
食って掛かるゼルマに、グロリアは必死になって事情を説明するのだった。
「も、申し訳ございません…」
目が覚めたヴィオラの最初の言葉がそれだった。
覚醒の術式を展開し、彼女を眠りから呼び戻す。
ヴィオラはパッと目を開け、キョロキョロと辺りを見回した。
そして、俺と目が合うと、すぐさま謝り始めるのだった。
「ほ、本当に、すみません。も、申し訳ございません」
ポロポロと涙を流しながら、ひたすら謝り続ける。
これでは、埒が明かない。
仕方なく、俺は沈静の役に立ちそうな術式を頭に浮かべヴィオラに展開する。
少し反応は鈍くなるが、少なくとも話は聞けそうだった。
「それで、何で手を出したんだ?」
これが俺には判らない。
俺とヴィオラの関係は、ほぼ奴隷と主人の関係に近い。
そんな中で、手を上げると言う事が、どのような意味を持つか判らない筈はないのである。
「あ、あの…そ、それは…」
ふむ、理由は何かありそうだが、言い難い事なのか。
仕方ない、少し薬を使うか。
俺は、グラスに少量のアルコール、そして水の秘薬を含ませたものを用意する。
「まあ、これでも飲んで、少し落ち着け」
「あ、ありがとうございます」
渡したグラスを素直に飲み干して行く。
全部飲んだ所で、俺は術式を展開した。
彼女が飲んだ水の秘薬が、ヴィオラの身体の中で作用し始める。
どこかの国で、「水の精霊の涙」と称される秘薬中の秘薬である。
その効き目は間違いない。
水の精霊の一部とされる秘薬を体内に含めさせ、先住魔法と言われる術式を展開する事で、大概の事が可能となる。
術式の種類によっては、相手を意のままに操る事すら可能な秘薬である。
「それで、どうして手を出したんだ?」
「ハイ、実は---」
少し焦点が怪しい目つきで、ヴィオラは素直に話し始めた。
なんてこったい!
ヴィオラの説明を聞いて、俺はあきれ果てるしかなかった。
彼女は、ここに来る前から、貴族の屋敷に行くイコール襲われると思っていたのだ。
それも、知り合った他の同様な境遇の子達から、あんなことやこんなことを散々吹き込まれていた。
自分の意思も関係なく、恥ずかしい限りの目に合わせられる。
そう思い、ここの館に連れて来られていた。
それが、最初から躓く。
ここで、その場で五人が襲われると思えば、何もされないまま、風呂場に連れて行かれる。
風呂場で、裸にして襲うのだと思えば、身体を洗われるだけで終わる。
料理を作らせれば、こんな所で襲う気なんだ。
食事を取らせれば、これが最後の晩餐、この後は私達で酒池肉林。
部屋に案内すれば、やっぱりここでそれぞれの部屋を襲って回るんだ。
私室に連れて行けば、イエイエ、こっちで襲うんだ。
最後に、パジャマに着替えさせれば、今度こそ襲い易い格好に着替えてから。
そうか、ヴィオラにすれば、いつ始まるのか、いつ襲われるのかで頭の中が一杯のまま、中途半端な状態を一日中続けていた訳だ。
その結果今度こそ、しかもみんなの見ている前でと覚悟したのが、あの歯磨き。
襲われるどころか、予期した事と全く違う事態。
もう、どうでも良い、殺されても良い。
こんな中途半端な状態のまま、引き摺り回されるなら、いっその事…
ハイ、見事に俺の頬に赤いもみじが咲きました。
まあ、何と下らない理由で、ぶち切れられたものだ。
暫く考えて、俺はヴィオラの身体から水の秘薬による精霊魔法を解除する。
勿論、今までの会話は全て彼女の記憶に残したままでだ。
少しフラフラしていたが、徐々にヴィオラの意識が戻り、真っ青になって俺を見つめる。
そりゃそうだ、自分が密かに考えていた事をみんな知られてしまったのだから。
「ヴィオラ、事情は理解したが、お前は大きな考え違いをしている」
俺は徐に、彼女に告げる。
「俺はお前達全員を襲うつもりである事は、間違っていない」
コクコクと彼女が頷く。
一応、話を聞こうと言う精神状態は維持しているようだ。
「だが、大きな勘違いがある、良く聞けよ!」
まあ、俺がやろうとしているのは、一種の洗脳に近い。
水の秘薬を使い、心を露にした所で、新しい考えを吹き込むのだ。
「俺は、お前達の意思を無視して、襲うつもりは無い」
ヴィオラの瞳が大きく開かれる。
うん?そんな顔すると、中々可愛いじゃないか。
まあ、元が良いからな…
おっと、違う違う。
「お前が俺と寝ても良いと思わない限り、俺はお前を襲わない」
慌てて余計な考えを振り払い、更に彼女の意識に叩き込む。
「お、襲わない?」
とにかく、彼女からトラウマ(?)を開放しなければ話にならない。
たくっ、誰だよ彼女に要らぬ事一杯吹き込んだのは…
「そうだ、俺はお前の意思を無視して襲うことは無い」
ボロボロとヴィオラの頬から涙が毀れる。
自信は無かったが、どうやら旨く行ったようだ。
流石は、チート能力の持ち主、流石は俺。
いや、と言っても全て水の精霊おかげなんだけどね。
さて、最後まで仕込まねば。
「だが、ヴィオラ、お前は俺に手を上げた」
「あっ…」
再び彼女の表情が引き攣る。
「そうだ、貴族に対してやってはいけない事をしたのだ」
「ああっ…」
更に、彼女は顔を歪める。
「従って、それ相応の罰を受けて貰う」
ストンと言う感じで、ヴィオラの表情から剣が取れる。
罰を受ける事で、彼女なりに納得出来るのであろう。
「俺はお前を襲ってやらない!これが罰だ!」
えっと言う表情がヴィオラに浮かぶ。
「そうだ、今俺が言ったように、俺はお前がその気になるまで襲わない」
コクコクと彼女が頷く。
「そして、更に罰としてお前がその気になっても、俺はお前を襲わない。それが罰だ!」
あっ、頭を抱えてしまった。
やはり、理解出来ないか。
まあ、そうだろうなあ、俺自身結構無茶な理屈だと思う。
うん?
整理が済んだか?
「あ、あの、ご主人さま…」
おお、大分思考が戻ってきたな。
俺はヴィオラの返事にこっそりと安堵した。
「あの…それって、私、襲われないのでしょうか?」
「ああ、そうだ!お前は、罰として俺には襲われない!」
ヴィオラの質問に、きっぱりと答える。
イヤイヤ、ぜってーおかしいですよね、ハイ。
とにかく、俺から襲われると言う正しくもあるが、変なトラウマを完璧に払拭して貰わねば。
実際に、エッチするのはそんなトラウマが完璧に無くなってからで良い。
惜しいけど…
だって、絶好の機会なんだよ。
だけどヴィオラに、『自分の意思に反して襲われた』と言うトラウマを残してしまう事になるんだよなあ…
「今日はもう遅い。部屋に帰って寝ろ」
俺の言葉にヴィオラは、よろよろと立ち上がる。
「そ、それでは失礼します」
頭を下げ、扉を閉めてヴィオラが部屋から出ると、俺は大きくため息を吐き出すのだった。
一体、何をしているのだろう。
奴隷として仕入れた彼女らに、優しくして…
あまつさえ、トラウマを抱えた少女のカウンセリングもどき。
ハーレム…
改めて、グラスにアルコールを注ぎ、一人呟いてみる。
虚しい…
女を抱きたくないのかと言えば、そんな事無いと大声で宣言出来る。
愛が欲しいのと、問われれば、今更そんなものと冷笑出来る。
それなのに、実際にやっている事は何なんだ。
五人もの美少女を侍らして、その一人にすら手をつける事も出来ていない。
馬鹿だ…
救いようのない馬鹿だ…
いかん、今度は俺がどこまでも落ち込みそうだ。
とっとと寝てしまおう…
そう思って立ち上がりベッドに向かおうとした時、扉をノックする音がした。
また厄介事か?
そう思いながらも、扉を開ける。
「ご主人さま、お入りして宜しいかしら」
そこには、艶然と微笑む絶世の美女…
「ああ、入れ」
俺は言葉少なく、グロリアを迎入れた。
夜はまだまだ長そうだった。