――――気がつけば、戦場にいた。
それは静かであって大きな戦い。己の命を賭けて理想を貫く者たちの戦争。
響くのは称えと祈り。後ろには、志を共にする戦士たち。
その手には一本の剣。
もっとも新しい伝説、至高の――――剣。
多くの者を背負って、多くの思いを果すために、ひたすら戦場を駆け抜ける者。
それゆえに、英雄の称号を与えられた。
勇者たちは英雄が何を望むのか知ることはない。
きっと、そうして生きることが、世界がその者に与えた役割なのだから。
その者は何時だって一人。最後まで、一人だった。
――――I am the bone of my sword.
Steel is my body, and fire is my blood.
I have created over a thousand blades.
Unbroken by despair.
Nor broken by hope.
Withstood pain to create many weapons.
I get only one truth in myself.
Here is my proof, praised phantasm.
Show to fate, "unlimited blade works" ――――
Fate / Refrain
* 1/31 *
――――夢を、見ている。
それは何の物語だったか。よく思い出せないが、夢というのはそういうものだろう。
今まで泣いていた筈なのに、目が醒めてみれば解けるようにして消えていく。
それが夢だから、思い出せないことを残念とは思わなかった。
ただ、一つだけ覚えている。それは英雄と呼ばれた者の物語。
伝説の剣とたくさんの仲間を率いる英雄……その姿は思い出せないけれど、きっと困っている人たちを助ける物語なんだろう。
そして、何故そんな夢を見たかも大体検討がつく。
何故なら。自分……衛宮士郎は、正義の味方に憧れているからだ――――
目を覚ました俺は、大きく背伸びをしながら周囲を見回した。
ひんやりとした空気。剥き出しの土の壁。あちこちに転がるガラクタ。
ここは、そう。俺の家の隅にある土蔵の中だ。
「……またやっちまったな」
はあ、と溜息をつく。ここで寝ていたからといって風邪を引くほど柔な体ではないが、このことを知られると約一名がやたらと怒るのだ。
しかしまあ、その一名はまだいないようなので、今の内に母屋に引き返せばバレないだろう。
そういった意味では運がよかった。うん、今日はいい日になりそうだ。
身支度をする。さすがに作業服のままだと土蔵で寝た事がばれてしまう。
土蔵には服などがそろっているので、わざわざ母屋に戻る必要はない。
手早く着替えて土蔵を出ると、母屋との間にある庭に人影があった。
一瞬驚いたが、それは良く見た姿だった。
「先輩、おはようございます」
「おはよう、桜」
長い髪と、細い体。柔らかいという形容詞がよく似合う彼女は間桐桜、という。
俺の後輩で、衛宮家の朝には欠かせない人になっている。
親父が死んでから五年。このだだっ広い屋敷に、俺は一人で住んでいる。
とはいえ、毎日のように押しかけてくる奴がいるし、一年半程前から桜が通ってくる。
家の広さを持て余しているのは相変わらずだが、閑散とはしていないと思う。
「さてと、それじゃ朝食の準備をしないとな」
「はい。でも、大体の準備は済みましたよ」
さらりと言う桜。そう言えば、今日は何時もより明るい気がする。
もしかして……
「ええっと、今何時なんだ?」
「6時を少し回ったくらいですね」
ああ、それはいつも朝食を取っている時間だ。どうやら寝坊をしてしまったらしい。
「面目ない、またやってしまった」
「そんな……先輩、昨日も遅かったんでしょう? なら仕方ないですよ。第一、先輩は部活をやっているわけじゃないから、十分早起きです」
桜はそう言って苦笑するが、それでも桜一人に朝食の仕度を押し付けてしまったのは心苦しいものがある。
一緒に母屋に戻ると、台所の方からいい匂いが漂ってくる。
味噌汁の臭いだ、確かに食事の準備は完了しているらしい。それでも一応聞いてみる。
「何か手伝う事はあるか?」
「そうですね、テーブルに座ってお茶を飲んでいてください」
つまり、何もするな、ということだ。完成間近で今更手を出されても困るのだろう。
悪いなと思いながら、テーブルに座ると、緑茶を入れる。
食事の準備をしてもらったのだ、せめて美味しいお茶を飲んでもらわないと。
そうして、今日も衛宮家の朝は始まる。
俺も桜も食事中にあまり会話をすることはなく、淡々と食べ続けるタイプだ。
しかし、衛宮家の食卓が静かになる事はない。俺と桜の静寂を飲み込んでなお五月蝿い暴走特急が襲来するからだ。
うっかりあだ名で呼んでしまった俺へのささやかな(と本人は語る)仕返しを行った後、物凄い勢いで朝食を片付ける一匹の猛獣。その名を藤村大河という。通称藤ねえ。
関係はいわゆるお隣さん。だが最近「担任」という色々納得行かない肩書きがついた。
「はい、ごちそう様。朝ごはん、今日もおいしかったよ、桜ちゃん」
そんだけ言うと食後にも関らず全力疾走で廊下を駆け抜け、玄関から出て行く。
本当に何とかならんのか、アレは。
そんなこんなで朝食を終え、後片付けをした後にほんの少し、休憩する。
大体ニュース番組を見ているのだが、朝のニュースは殺伐とした内容が多い。
朝から人を不快にさせて何が楽しいのだろうか。もっとも、もう慣れてしまったけど。
テレビには連続ガス漏れ事件というテロップが表示されている。
俺も桜もそのニュースを黙ってみた。実はこの事件、隣の町で起こっているのだ。
学校でも何かと噂されていたが、地方のニュース番組とはいえ、ついにテレビが取り上げたのか……
「先輩って、新都でアルバイトしていますよね」
「ああ、でも小さい店だし。こんな事は起らないと思うけど」
それでも他人事ではないから、気をつけないといけないとな。という俺に、
それなら大丈夫です、ちゃんとガスの元栓は二回チェックしてますから、と答える桜。
いや……そういう意味ではないんだけど。
今日は一緒に出ることになったので、二人で戸締りをする。
門に鍵をかけ、二人並んで学校に向かって歩き出した。
桜は部活があるから、少し急がないと。
とりわけ会話もなく坂道を上がる。その先に学校はある。
校門の前で桜と別れた俺はそのまま生徒会室に向かった。
桜が何かをいいたそうだったが、問い質してみるとなんでもないと誤魔化されてしまったし、今日は生徒会長の柳洞一成と約束があるので、そのまま別れた。
まあ、急ぎの話じゃないのなら夕食の時でも構わないだろう……
「今朝は少し遅かったな、衛宮」
生徒会室に入ると、既に柳洞一成は来ていた。
一成は一年生のころからの友人で、今は生徒会長をしている。
背が高く、ルックスは上々、多少性格は渋めだが、そこが良いという人もいる。
何より勤勉なので、生徒からも教師からも評判はいい。
「悪い、寝坊したんだ。それじゃ早速……何をするんだ?」
「寝坊か。まあ衛宮は真面目すぎるから良いことだ。それではついてきてくれ」
寝坊をいい事とはどういう了見だ。大体、寺の跡取で真面目が服を着たような男に真面目すぎるという言われようはどうかと内心思う。
まあ、どうでもいいことなので、何時もの道具を持って一成の後に続いた。
依頼されたのは電気ストーブの修理だった。衛宮士郎はちょっとした能力を持っているので、メンテナンスや修理と言った作業が得意なのだ。
一成に外で待っててくれ、といって教室から出て行ってもらうと、その能力を使う。
視覚を閉じて触覚でストーブの中身を視る。途端、頭の中にストーブの構造が浮かんだ。
これが、俺の能力。親父から教わった『魔術』だ。
そう、衛宮切嗣は魔術師であり、俺はその弟子なのだ。もっとも半人前だけど。
認めるのも悔しい話だが、俺には魔術師としての才能がない。今のように物の構造を読み取ることは得意なのだが、それはあまり意味のないことなのだ切嗣は言った。
何故なら重要なのは構造ではなく、その中心にある核だからである。
故に、構造を把握するのではなく本質を抜き出すことが魔術師の才能なのだ、と。
確かに、切嗣の言うことは正しいだろう。しかし、こうして壊れた箇所を探すという使い方をするなら、意味はあった。目に見えないところまで一瞬で把握できるのだから、何をどう直せばいいのかすぐにわかる。
だが……今日は、何故かこれまでと勝手が違った。
ストーブの内部構造が脳裏に展開されるが、今日はその情報量が多すぎる。
創造の骨子、形成の目的、配線の経路、使用の歴史、概念の付与……
そう言ったものが、一斉に押し寄せて、俺の神経はすぐにパンク状態になる。
気のせいか……左手の甲が痛い。
「……ッく」
全体を読み取るが故に、無駄が多い。それは魔術師のあり方ではない。
切嗣の言葉を思い出して、歯噛みした。
何故、過剰読み込みが起っているのかはわからないが、ただ一つ言えることがある。
俺は本当に未熟で、修行が足りないということだ……
それでも一応構造解析はできていたので、手早く修理を行う。
必要な部分に最低限の修理を施すと、道具をまとめて教室から出た。
「一成、修理終わったぞ」
声をかけると、廊下には一成のほかにもう一人、女子生徒がいた。
――――その顔には見覚えがある。彼女の名前は遠坂凛だ。
お嬢様で美人で成績優秀で運動神経抜群で礼儀正しく才能を鼻にかけない。
天は実に不平等である事を体現した、完全無欠の高嶺の花だ。
男子生徒にとってはアイドルのような存在であり、斯く言う俺も憧れていたりする。
その遠坂は不機嫌そうに俺たちを見ていた。高嶺の花である遠坂に話し掛けられる男子は、同じくハイスペックの一成ぐらいなのだが、遠坂と一成の仲はよろしくないらしい。
「と、悪い。頼んだのはこっちなのに、衛宮に任せきりにしてしまった。許せ」
一成は遠坂の視線を無視して言う。やっぱりこいつは大物だ。
次の目的地は視聴覚室らしい。朝のHRまで30分しかないことだし、急がないと。
一成に促されて踵を返そうとして、遠坂の視線に気付いた。
……何となく、変な感じがした。
彼女は確かに遠坂凛だ。それは間違いない、ハズなのだが。
「おはよう、遠坂。髪型、変えたのか?」
「は?」
予想外の挨拶に、遠坂は意外そうに口を開く。
けれどすぐに、あの上品な笑みを浮かべると、
「おはよう、衛宮くん。髪型を変えた覚えはないけれど、どこかおかしいかしら?」
だよな。彼女は昨日も彼女だった。当り前のことだ。
なのに……よくわからない、俺は一体何を感じて、何が言いたかったんだ?
「いや、おかしいところなんてない。その、変なコト聞いて悪かった」
軽く頭を下げてから、今度こそ踵を返して一成の後を追う。
よくわからないが、多分朝っぱらから遠坂に会って舞い上がっていたんだろう。
そう思うことにした。
そして、夜。
学校での授業を終えた後、アルバイトに行った俺は思わぬ収入を得ることになった。
折角得た特別収入だ、何か珍しい食べ物を作ってみようかな、そんなことを考えながら、夜の町を歩く。
時刻は午後七時半ぐらい。この時間ならまだ人通りが会ってもおかしくないのだが……
この深山町でも最近物騒な事件が起きている。強盗殺人事件で、犯人は捕まっていない。
学校の最終下校時刻が早まったのも、それが理由だろう。
夜の人通りが途絶えるのは無理もない……
と、その時。坂の途中にこちらを見下ろす影がある。
銀色の髪、赤い瞳。ニコリと笑うと、坂道を降りてくるコートを着た少女。
それはすれ違ったときに、
「よかった。準備万端なんだね、お兄ちゃん」
おかしなことを口にした。
家に帰ると、既に夕食が用意されていた。
用意したのは勿論桜だ。最近は本当に腕が上がって、洋食なら俺よりずっと美味い。
当然のように家にいる藤ねえと桜、そして帰ってきた俺、三人での夕食。
それは何時も通りの――――『家族の団欒』だった。
一年半ほど前から始まって、そしてこれからも続いていくだろう。
それがもうすぐ終わるなどという事を、俺は思ってもいなかった。
夕食後、桜を送り、まだ家にいる藤ねえを適当に往なしながら穏やかな時間を過ごす。
藤ねえが帰り、夜も深けたころ。もう一つの衛宮士郎の営みを行う。
魔術師としての鍛錬。魔術師の弟子となった俺が、一人前になる為に行う修行である。
呼吸を整え、意識を集中させ、一本の魔術回路を生成する。
一人前の魔術師なら呼吸のようにできること、当り前のことが俺はまだできない。
衛宮切嗣は魔術師だった。数々の神秘を学び、世界の構造を知り、奇跡を実行する生粋の魔術師。しかし俺には魔術師としての才能……魔術回路の多さも、代々受け継いできた魔術の業……血縁もなかった。
どんな人間にも一つぐらいは適性のある魔術系統があるという。
だから俺が追い求めるのは一つだけ。使える魔術は一つだけ。
それを鍛えていけば、何時かきっと切嗣のようになれるのだと信じて、生きてきた。
いまでも、切嗣の言葉は忘れていない。
俺に魔術を教える前に、これだけは忘れないでくれと、何度も念を押したあの言葉は。
―――― 一番大事なのはね、魔術は自分の為じゃなくて他人のためにだけ使う、ということだよ。
――――そう、この力は誰かの為にある。
――――魔術は己のためのものではなく、根源に向かう手段でもない。
――――手段と目的を取り違えるな。その魔術刻印は何のために根源を目指す。
――――それは、無力であることを覆すため。その力を持って己が望みを叶えるため。
――――受け継がれた力の意味を履き違えた、それゆえにお前たちは敗北する。
――――お前たちの敵は、お前たち自身が背負った業だ――――
「……ッ、く。何だ、今の……」
吐き気がする。頭の中がグチャグチャに掻き乱され、視界が定まらない。
ただ一つ確かなのは、左手の甲に何かが刻まれているような、熱を感じるということ。
「マズい、――――、――――――――――――」
意識を集中させ、呼吸を整える。しかし、止まらない。
擬似的に作られた魔術神経が体内を侵食し、ズタズタに切り裂いていく。
――――考えてみれば、今日は朝からおかしかった。
己の体を把握しきれていない時点で衛宮士郎は限りなく未熟で愚か。
単純に調子が悪かっただけとしても、そのツケは命で支払わなくてはならない。
それが、魔術師だ。
全身の神経が暴走する。バチバチと体の内側が弾けていく。
「死ぬ」
体の中から銃を打たれているようなものだ。耐えられるわけがない。
「死ぬ死ぬ」
撃鉄が振り落とされる度に、俺は確実に穴が空く。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」
それでも、白濁する意識に懸命に一本の筋を通す。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」
思い出すのは焦土。炎の庭を彷徨った。あの熱さから生き残った。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」
生き残れなかった人たちがたくさんいた。なのに俺は生き残った。
だから、
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、わけには――――!」
この命は一人で死ぬわけには行かない――――!
血反吐を吐いて床に倒れこむ。
神経と同化した魔術回路が熱をもって今にも沸騰しそうだ。
いや、きっとこの体は燃えているのだろう。グツグツと、グツグツと。
解けた体が混ざり合って、綺麗な所も汚い所も、目に見える物も内に隠された物も。
すべてが混ざり合って一つになっていった――――