もうどれほどめくっただろうか、もはや100を越えたところから数えていない……
ダンボールで作られた暗黒の繭……それを掻き分け、掻き分け、掻き分けて……。―――なお、このとき相棒だった作業員Aは既に呆れて帰っていた。
気も遠くなるほどめくったときに、ダンボールによって形成された暗黒の世界の中、急に光が灯った。
「よぉ……、お前も俺を笑いに来たのか……?」
そこにいたのは、少年だった。ガリガリにやせ細った、骨と黒ずんだ皮に、くすんだ赤毛の少年。
切嗣は、それを見て三重に驚いた。
「笑えよ……、この俺の、無様さをよぉ……」
ひとつは、この広大なダンボールの宮殿の主が、こんな年端も行かない子供であったこと。
ふたつめは、このダンボール御殿の主の顔に見覚えがあったこと。――そう、あのとき、大火災から拾い上げた命だ。そして、保護を嫌って一人、町へ飛び出していった少年……。
みっつめは、その変わりようだ。
別に肌そのものは黒ずんでいるわけではあるまい、あれは垢だ。
やせ細っているのも、冬という食べられるものの少ない状況であれば、別に異常は無かろう。
しかし、何よりも特徴的なのは―――眼だ。
その少年の瞳には以前のような、烈火のごとく燃え盛るヘリオスの輝きは無かった。
あるのは、摺りガラスのようににごった空虚な、光とも呼べないような、光……。
それは切嗣を、カットされたきらめくダイアモンドだったはずのものが気がついたら全て黒鉛に変わっていたかのような気分にさせた。
「笑いに来たんだろう? この無様な俺をよぅ……」
「僕は、笑いになんて来ていないよ」
返す切嗣の瞳は真摯な色を湛えていた。
「やあ、久しぶりだね、シロウくん?」
「あん? なんでアンタ、唯一残った俺の……」
と、しばらく黙考して、
「ああ、あの魔法使いサンかよ」
得心が行ったとばかりに皮肉げに哂った。
「そうかい。あんたは、あのとき自分の慈悲を受けていればよかったのに、と哂いに来たって寸法か」
「違う」
フンッ、とシロウは切嗣を笑い飛ばした。
「ああ、さぞかし気持ちがいいだろうな? 自分の着せようとした恩を蹴った相手を、上から見下ろすのはよう……」
「違う」
シロウの瞳が、囲炉裏のように中央に掘られた穴に立てられた蝋燭の炎に像を結ぶ。
「見下ろして、馬鹿なヤツだと蔑んで……」
「違う」
「笑えよ。同情なんて邪魔なんだよ! 同情なんて要らない、受ける価値も無い。これが俺の望んだ結末なんだからよぉ……」
「違う!」
と、切嗣は怒鳴りながら立ち上がった。低すぎるダンボールの天井に後頭部をぶつけてまた地面に倒れた。
中腰になりながら、微笑みを浮かべて、切嗣は言った。
「さあ、帰ろう? 僕らの家へ」
「……もう一度、慈悲を与えるってか?」
まだ、あの太陽の輝きに達したとはいえないものの、瞳という炉心に火を灯し、シロウは差し伸べられた手を睨みつけた。
「俺はいかねえ、慈悲なんていらねえ、情けなんていらねえんだよ…」
「慈悲でも情けでもない」
衛宮切嗣はきっぱりと、撥ね付けるシロウの言葉を切り捨てた。
「僕がやりたいから、助けたいから、あの煉獄を作り出した一人として、生きていることに感謝したから、きみを家に連れて帰って育てたいだけだ」
そう、それこそが究極の魔法。
助けたいという願いを、強引にでも押し通すための魔法、その名も…………
開き直り、だ。
「もし、俺が断るって言ったら、どうするよ?」
「首に縄をつけてでも連れて行く」
と、挑戦的な瞳が切嗣を射抜くものの、飄々と受け流す。
「ついていってすぐ、家出してやったら、最初に逆戻りだ。そうしたらどうする?」
「地の果てまで追いかけてでも連れ戻す」
そこに、迷いなど無かった。
「もしてめえが俺を育てても、恩なんざ感じねえぜ? いくらでもてめえに背くし、いくらでも反逆する」
「ああ、かまわない。だって僕が言い出したことなんだから」
何なら、背中からグッサリといってもかまわないよ? とおどけてみせた。
「本気か?」
「本気だ」
「俺は、本気でてめえを背後から襲うぞ?」
「それで僕を倒せるものなら、やってみるといい」
「………」
シロウは沈黙した。
恩と思わないでいい、ただの自分勝手だと断言し、背中を刺すとまで宣言されてなお実行しようとするこの男に言うべき言葉が、もはや何も見つからなかったからだ。
「……わーったよ、着いていってやろうじゃないか」
ふふ、と、そんな悪態をつきながらも立ちあがろうとするシロウを優しい瞳で見つめながら、その右手を取って引き上げる。
「……、まずは、こいつから逃れられたらなぁッ!!」
と、立ち上がる寸前にシロウは蝋燭を地面から引き抜き、ダンボールのすだれで作られた入り口向けて放り投げた。
乾燥しがちだったこのところの空気でそのすだれは、ぱりっぱりに乾いた状況だった。
そしてダンボールとはそれ自体が、多量の空気を含む物体である。それは本来なら衝撃吸収性や保温性の元となっているのだが……
今回は、それが災いした。
ひとたびダンボールに触れた蝋燭という名の火種は、あっという間に燃え広がり、火炎となり、まるで大蛇のように踊りくねった。
近隣住人が後に『災いの断末魔』と呼ぶことになるその、大火災半年後の大火は、そうして始まりを告げたのだった………。
「ハッハッハァ、どうしたジジイ! これを切り抜けねば、お前は家に帰り着くことはできんぞ!?」
大声で哄笑を上げるのは、ガリガリとやせ細った子供……、シロウ。まだ、ただのシロウであった。
「俺が焼け死ねば、貴様は俺を家に連れ帰ることはできない! お前が自己犠牲で俺だけ生かして焼け死んでも、俺を家に連れ帰ることはできない!」
どうする!? と高らかに切嗣を、己を、世界の全てを嘲笑する……。
「なに、カンタンなことだよ」
と、そんな中でも切嗣は微笑んだままだった。
「言ったはずだよ? 僕は魔法使いなんだって」
と、引き金を下ろし、魔術回路を起動させた切嗣は人差し指を立てた。
「それにさ、僕は…」
まだそんなことを言ってるのか、と馬鹿を見るような胡乱げな目つきでこちらを見るシロウに、ちっちっちと指をふり…
「火属性の魔術師なんだ。だから、こういうものは僕の領分に含まれているのさ」
次の瞬間に起きた現象に、シロウは眼を見張ることとなる。
こうしてこの日ようやく、ただのシロウは衛宮士郎となり、衛宮切嗣の養子として迎えられたのだった。
本来辿るはずだった歴史からすれば、半年も遅い養子入りであった………。
あとがき
士郎くんのジョブチェンジの軌跡
衛宮士郎→シェルブリットの士郎→地獄兄弟(矢車)士郎→基地で自爆して高笑いする三流悪の総帥士郎
次はどうなるのでしょうか、士郎くんは。佐山士郎とかなったら最悪ですね、主にタイガーの生活が…。
ようやくプロローグの終わりです。
次回から、血と魔術とダンボールに塗れた本編時間軸のお話の始まりですよ?