「こんばんは、お兄ちゃん」
衛宮士郎が初めてその少女――雪の妖精ような少女に出会ったのは、泰山からの帰りであった。
「……誰だ、てめー。俺に妹がいるだなんて聞いてねーぞ。あのエセ住所不定爺だから否定はできないが」
「イリヤスフィール=フォン=アインツベルン、って言ってわかりませんこと?」
「知らん」
坂の上から見下ろすように士郎を見つめる赤い瞳。
「爺さんの愛人の娘か何かか? けっこうよく不審者として捕まったりとか海外に高飛びしたりとかしてたから、心当たりはそれくらいだぜ?」
「失礼ね。私のお母さんはむしろ、キリツグの正妻よ」
「疑わしいな。あいつが生きてた頃に結婚したなんて話は聞いてねえぞ」
士郎はにべもなく切り捨てた。
「ふーん……」
が、それはある種の侮辱でもあり、イリヤスフィールの目が剣呑に細められた刹那、いっそ破滅的とまで言えるほどの圧力が空気を満たした。
「今日は、早く呼ばないと死んじゃうよって警告しておくだけにしようかとも思ってたんだけど……」
嫌な予感に従い咄嗟に飛び退いた士郎の目の前で、巨大な剣が大地を断ち割った。
「おいおい……昨日に引き続いて、マジかよ……」
冷や汗をかく士郎の前では既に圧力が収束し人の形をとり、より凶悪な威圧感を周囲に振りまいている。
金剛力士像もかくやというような強大な腕、巌のような顔、まさしく鋼とでも称すべき肉体に纏うのは腰布のみ。
腕には剣と呼ぶのもはばかられるような、剣の形をとった大岩。
否、もはや人間の姿に収まる範疇に無い。人間とはここまで屈強かつ強靭になれるような生物ではない。
―――まさしく、半神
―――まさしく、英雄
尋常なる生物には到底到達しえない、強大すぎる存在がそこにあった。
「よく避けたね、お兄ちゃん」
対するイリヤの声はひたすら冷徹であった。
「でも……、死んじゃえ」
―――轟音。
衛宮士郎とてたかが人間。災害そのものとしか言いようの無い破壊の一薙ぎに、まるで木の葉のように吹き飛んだ。
「クッ……てめー、ダンボールがなかったら今頃スプラッタだぞ……?」
そんなものがあっても普通は即死である。
だが吹き飛ばされてなお、土埃の中で衛宮士郎は健在だった。
いつ刺されてもいいように腹と背中に仕込んでおいたダンボールを強化し防御できたのは、まさしく奇跡的と言っていいだろう。
「ふん、まだ生きてるみたいね……、やっちゃえ、バーサーカー!」
「■■■■■■■■■■ッ!」
巨人――バーサーカーが咆哮し、闇を照らす街灯の明かりすらなお遮る粉塵に猛進する。
「くそ、こいつっ! 隠れさせてもくれないのかよ」
粉塵に紛れて隠れようとした士郎はたまらず飛び出した。暴風が追随し、再び士郎へ極大の衝撃を叩きつける。
塵屑のように吹き飛んだ士郎が塀にぶつかり、まるで砂の城のように崩壊させた。
生成された魔術回路は軋みを上げ、強化された肉体ですらダンボール越しの衝撃に悲鳴を上げて衛宮士郎の呼吸を乱す。
―――全く、最近の暴漢ってヤツぁ桁違いだ!
昨夜の槍を持った青タイツ不審者、それに遠坂凛と付き合いのあるようだったあの双剣のガングロ男、そして今日に至ってはこのような岩山巨漢だ。
まったく悪人が言及できたことではないが、近頃の冬木市の治安はどうなっている、と、士郎は毒づかずに居られなかった。
というか未だに悪役は聖杯戦争という儀式を一欠片も知らない。
「まだ死なないの……? しつこいなあ、お兄ちゃん」
闇の中にあってなお映える雪のような長髪を持った紅眼の少女は、ひたすらに無慈悲だった。
「じゃあ、これで死んじゃえ」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッ!!!」
巨漢の咆哮が一際高まり、全身が一回り巨大化した。
そう、これこそがバーサーカーのクラススキルにして真骨頂、『狂化』。
技でなく、その膂力と速度のみで相手をすり潰す、実にシンプルかつ効率的な戦闘技能――!
その土石流がごとき一撃が体勢を崩した士郎めがけて振り下ろされる。
もはや避けようもなく、懐に仕込んだ常備用のダンボールも種切れ。もはや万策尽きたと―――
否。
――衛宮士郎が衛宮切嗣より教授された魔術、その中でも原初のモノ。
――効率が悪いと否定され、強化を教わる前に行った、恐らくは衛宮士郎の歩む魔導の中、最も深淵に位置する秘奥の一歩手前
「――投影開始」
刹那、その比較的低い背丈を城壁が覆った。猛り狂う岩塊を受け止め、返す刃をそのまま数を増やしたダンボールで防ぎ、そして翻す斧剣にダンボールが盾となる。
人間は自然災害に勝つことは出来ないのは自明の理――しかし、ダムや補強工事などで土砂崩れを防ぐことは可能だ。
それは狂戦士と悪役の一騎打ちにも当てはまる。
次々と削れ、吹き飛んでゆくものの、吹き飛ばせば吹き飛ばしただけ中から湧き出すダンボールの壁、壁、壁……。
湧き上がる無限のダンボールを一心不乱に、猛り狂いながら破砕してゆくバーサーカーの姿はどこか、果て無き世界の理を探求し続ける求道者にも似ていた。
「いつまでも虫けらみたいに丸くなっててもバーサーカーは止まらないよ、お兄ちゃん!」
暴力が侵蝕し、ダンボールが氾濫する。ほんの数分前までただの平和な街角があった場所には破壊の旋風とダンボールの骸のみ。
裏の常識で考えて、神代最高位の暴力と現代の野に下った魔術師の子孫のどちらが勝つかなどといえば、酒が入っていてすら賭けが成立しないであろうほどに明確な戦力差がある。
―――だが、どうしたことだろう。
「ウソ……、バーサーカーが押されてる……?」
少女がその紅眼を見開く。
常に攻めつづけるは狂戦士、しかし徐々に押し出しているのはダンボールの山だ。
並の物量などその身ひとつで粉砕するバーサーカーが、あろうことか単なる紙束に押されているというのだ。
「まさか……ダンボールの耐衝撃性!?」
そう、神代には存在しなかった現代の衝撃吸収素材――全世界で木箱に代わり使用されてきた新たなる輸送手段、民が信じる耐ショック材の概念最高位―――
この場合斧剣が剣としての切れ味を一切持たず、打撃武器として石柱から削り出されたモノであったこともダンボールへ有利に働いた。
剣を以て攻めているのはバーサーカー、しかし徐々に一歩、また一歩と後退してゆき、ついにはイリヤスフィールの傍らまで追い詰められる。
その様はさながら、崩落した土砂が津波で吹き飛ばされるかのよう。
「ふん、今日のところは引いてあげるけど――次に会ったら、絶対に殺してやるんだから。せいぜいそれまで死なないように待っててね、お兄ちゃん」
巨大な天災はより強大な天災によって覆される――津波のようなダンボールにさしものイリヤスフィールも退く他に手がない。
バーサーカーの肩にちょこんと乗ると、そのままどこへやら跳び去っていった。
それは、とある冬の日の出来事……。
「うぃー、ひっく!」
虎柄のシャツの襟元をよだれで濡らしながら歩く。
普段の快活なイメージは見る影もなく、ただふらふらと酔いどれながら、吠えもせずに虎が歩く。
「タイガーって言うなー」
教師仲間の田所先生(35歳独身)と共に軽く深山町の小さな飲み屋で飲み、共に日頃の自分たちが職場で女扱いされてないことやら生徒たちに名物扱いされていることやら愚痴りつつも和やかかつ適度にアルコールを摂取。
そのまま学校にスクーターも置いて(飲酒運転は法律で禁止されています)徒歩で帰宅する最中。
そんなやや駄目かつ平穏な一日を終えたところに、彼女は怪異と遭遇した。
「あいたっ!?」
ごく普通の帰り道、歩き慣れた我が家への道で、何がしかにつまづいたのだ!
「ひぃっ!?」
そこに展開されていた光景―――
ダンボール、ダンボール、ダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボール
ダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボール
ダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボール
ダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールカリバーンダンボールダンボール
ダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボールダンボール!
電柱は折れ、塀は砕け、アスファルトには罅が入っていることすらどうでもよくなるほどのダンボールの山!
「あ、なんだ士郎か」
もー、お姉ちゃんびっくりしちゃったよーなどと軽く流しながら、埋まって交通が不能になった道路を渡る。
山になったダンボールを越える作業はまさしくダンボールクイライミング、これだけでひとつのスポーツとして成立してしまいそうなほどの重労働だ。
かつ適度に崩れやすく、例え崩れてしまってもダンボールがクッションとなって安全。わんぱくなお子様にも安心なニュースポーツ。来年の夏はコレが流行る!
…などと益体もない思考を寄った頭で回しながら、「お姉ちゃんこれでも士郎が引き取られてきたときからずっとやってるベテランだからー、流行ったら一気にヒーロー? ヒロイン? 尊敬されちゃう? 流行の最先端? きゃー!」などと皮算用。
が、そんな思考も中断させざるを得なくなった。
ダンボールの山の中、一箇所だけが窪んでいたのだ。
もはや熟練のダンボールクライマーである大河はその周辺を踏めば崩れ落ち、足を取られてしまうであろうことをいち早く察知した。ただし酔った頭で。
「ふっ……、この流行の最先端に立つグレートダンボールクライマー・ザ・タイガをその程度で謀ろうなんて…、三年早いわね!」
慎重に踏み抜く場所を定めつつ、安全確認も兼ねて穴の底を覗き込む。
切れかけた街灯の点滅する蛍光灯がそれを映し出したとき、思わず笑みがこぼれた。
「士郎ったら、こんな場所にダンボールでお城なんて作ったまま寝ちゃって……」
どれ、やんちゃな弟分を家に連れ帰ってやるかとゆっくりと縦穴を滑り降り、弟分の傍らへと駆けつける――と、ふと違和感を覚える。
そこにいるのはいつも通りの衛宮士郎、暖かい体からして前のようにダンボールでできた精巧な偽物を掴まされたわけでもない。うめき声は上げるしこのような高温をダンボール体が発することなど―――高温?
「そんな…士郎、酷い熱!」
その瞬間も赤熱した魔術回路が身体を抉り続けていることなど一般人たる大河にわかろうはずもない。
だがパニックになっている暇などない。
――なぜなら、士郎を今すぐ家に連れて帰らねばならないのだ!
慌てて小柄ながらも引き締まり、見た目よりもずっしりと重い弟分を抱え上げると、ダンボールを登り始め―――
「あ」
ここはダンボールの山の奇跡的な空白地帯――いわばダンボールの目、少しでも踏み外せば崩壊すると宣言したのは誰であったか。
「わあああああああああぁぁぁぁぁぁぁん!」
崩れ落ちるダンボールが、藤村大河と衛宮士郎に降り注いだ。
あとがき
このままDEAD END…とか考えてみたものの、完結すればなんでもいいってもんじゃねーぞと思い直しました。
某ダンボールSS様が完結してて対抗心が湧いてきたので、黒鍵風投擲練習とかして型月ポイント(型月二次を書くために必要な精神エネルギー。相手は死ぬ)を貯めて書いたわけです。
凛→戦闘不能 桜→蟲爺といっしょ★アーチャー作戦練り直し編 若妻→一般魔術師が襲われてる?宗一郎さん以外興味ないです 言峰→師父のトランクスはどこだ!?
救援来ないのでどうしよーもなく、思い切りいろんな意味で詰んでいたわけです。でも詰んでいても仕方ない、どうにかして突破するのが人情!
さてこの作品、詰まったら最後に頼るものはなんでしょうか? 己の手腕? 否。原作の流れ? 否! ――ダンボールに頼る以外に何があろう!
そんなわけでSHIROUがSAIKYOUになっても仕方ないのです。許されて然るべきです。
そして何よりも一番痛かったのは、引越しが終わって片付き、周囲からダンボールが消えたことです。私は一体これからどうやってダンボール士郎を書けばいいのでしょう。
もうダンボールを抱いて温もりを得ることによってダンボールエナジー(以下D・E)を補給し、D・Eオーバードライブを発動させればいいのでしょう。また絶望です。