「ランサーよ、居るか?」 そうロード・エルメロイは夜の街を眼下に捉え、振り返ることなく呟く。 冬木ハイアットホテル最上階の客室に彼は居た。「――はい、此処に」 音もなく精悍なる槍兵は現界を果たす。 膝を折り、君主に忠を誓う騎士のように。「今夜はご苦労だった。流石はフィオナ騎士団随一の騎士、ディルムッド・オディナの武勇、存分に見せてもらった」 臣下の労をねぎらうかのような主の台詞だ。「恐縮であります、我が主人よ」 無論、ランサーはその裏にある不信に気がついていた。 しかし、その上で感情の起伏を見せずにランサーは応じる。 ひとたび忠誠を誓った君主に疑念を抱かせているのは、己の不徳の故。ならば、揺らぐことのない信頼を勝ち取るため、ただひたすら主のために尽くすのみ。聖杯を捧げたその時こそ、主は己の忠を真として受け入れるだろうと。 だが、そういった慎み深い態度が、余計に主人たるケイネスの不信を煽っていることに、ランサーは気づかない。「まあ、欲を言えば、あの場でセイバーの首級を上げるのが最善はであった。しかし、結果だけを鑑みるにそう悪い戦況ではない。いろいろ不満もあるが、これで良しとしよう」 あのセイバーと渡り合い、左腕の自由を奪うことがどれほどの偉業なのか。その重みを、この主は理解しようとしない。それも仕方がないことである。 主人は武人ではなく研究者だ。象牙の塔の中で、戦場の血臭と土埃の匂いを理解することなど土台からして無理な話だ。 しかし、それ故にランサーの心は別の方向からの重圧を感じる。 この主は、戦場に理屈を求めすぎる傾向がある。しかし、こと戦場においては、全てが理のみに集結することなど無い。チェスのように全ての盤面を見渡すことができない以上、必ず不確定要素が存在する。いかに情報技術が進んだ現在であったとしても、それは例外ではない。戦場の霧と呼ばれる現象だ。 いかに他の分野で優秀であったとしても、命のやり取りをしたことがないのならば、強力な魔術の担い手であっても、戦いにおいては素人である。 そのときに、なんの前触れもなく防災ベルが鳴り響き、フロントからの連絡が入る。 受話器を耳に押し当て、二、三、言葉を交わし、ケイネスは笑った。魔術師らしい、陰惨な微笑だ。「何事ですか?」「火事だよ。何箇所かで火の手が上がったそうだ。まあ、何処の誰かまでは判らないが人払いの計らいだろうな」 ケイネスの口元に浮かぶ笑みが、ランサーには不吉なものに映る。そう、あれは、血気にはやる新兵の笑いだ。 殺し合いの本質を知らず、修羅場に立つ前の新兵の末路を連想し、ランサーは暗澹たる気分に襲われる。 ランサーの不安な表情をケイネスは、恐らく別のものとして捉えたのだろう。唱うように命じる。「ランサー下の階に降りて迎え撃て。ただし、無碍に追い払ったりするなよ?」「襲撃者の退路を断ち、この階におびき寄せるのですか?」「そうだ。結界の数二十四層、魔力炉三基、猟犬がわりの悪霊数十、異界化した空間。ご客人には、このケイネス・エルメロイの魔術の粋をぜひ堪能してもらうことにしよう」 “城”の強固さを唱うように並べる主を余所に、ランサーの表情は晴れない。 ケイネスは敵が攻めてきたことに明らかに興奮を覚えている。 戦場における初陣の高揚は、勇敢さではない。ただ、敵を恐れることを知らないだけだ。敵を恐れ、正当に評価することは臆病ではなく慎重さだ。そういったものを、持ち合わせてないのならば、いかに才能に溢れている主であっても、戦場に出るのはこの上なく危ういのだ。 不安材料はそれだけではない。 主の自信とは裏腹に、この城は脆いと考えていたからだ。主人を守りながら戦うにはふさわしくない。 魔術師の魔術師の工房とは内部への侵入者には強固だが、外部からの攻撃には、ことのほか脆い。この“城”は侵入してくる敵に対する備えは完璧に近いが、城の外にいる敵に対する攻撃手段は存在しない。火攻め、水攻め、矢ぶすま、投石機、そういった外敵からの攻撃には無防備に近い。つまり、外からの攻撃には、最大の戦力である自分が打って出る以外に外敵を排除する方法がない。主が考えているような展開にはならないだろう。 もしも相手が策士ならば、まず、遠距離からの攻撃で散々城を弱らせた後で、じっくり料理しようとするだろう。 この時刻、先の戦闘の後、こちらに攻め込んでくる陣営といえば十中八九セイバーとそのマスターであろう。こちらに受けた傷を解呪するための当然の処置だ。 セイバーを圧倒した先の攻防から、主人はランサーの優位を確信しているのかも知れないが、事態はそう簡単ではない。 かの騎士王は、肝心かなめの至高の宝剣を宝具として使用してはいない。この差は大きい。左手の不利を覆すほどに。 ランサーは宝具を開帳して彼女の左腕を奪ったが、彼女は剣の英霊たる黄金の剣の真名を叫んではいない。人類最強とまで言われたアーサー王の聖剣のその力は未知数、星が鍛えたと言われる至高の宝具である。その評価はA+を下ることはあるまい。決して安易な相手ではない。左手の優位を勘案しても五分。それが、ランサーの見立てである。 ともすると、怯懦のそしりを免れぬ考えであるが、それほどにディルムッドはセイバーたる彼女を高く評価していた。 もしも仮に、ランサーがこの“城”を攻めるとするのならば、取りうる策は二つ。 まず一つは、マスターとサーヴァントの戦力を分断した陽動策だ。城から自分を誘い出して、その間にサーヴァントという破壊槌がこちらのマスターを襲うという古典的な、それ故に効果は絶大な戦術である。ただでさえ強い魔力耐性を持つサーヴァントだ。もしも仮に攻めこんでくるのが、セイバーとそのマスターだとするのならば、事態は更に深刻だ。対魔力Aの前には、マスター自慢の結界や罠など紙の防壁のように破られてしまうだろう。 そしてもう一つは――そこまで思考が進んだとき、地面が揺れる。 何が起きたのかを唐突に、理解した。 思考よりも早く口と体が動く。 何事かと訝しがる主人に叫ぶ。「主、奥方様!! お覚悟を!! 床が崩れます!!」 僅かながら体重が軽くなるような浮遊感。 自由落下運動の前兆。 一瞬の呆けた顔の後、ロード・エルメロイも何事かを悟ったようだった。 襲撃者の悪辣なる罠に対し、憤怒に相貌を歪ませる。 ゆっくりと、しかし確実に崩落し始めた部屋のなか、ランサーはほぞを噛む。 敵の取った手段は、最も単純で、最も効果的で、戦に美学を求めるのならば最も恥知らずな方法だった。 すなわち、“城”そのものを崩しに掛かったのだ。退路もなくただ宙に浮かんでいる城ならば地面に叩きつけてやればそれだけで事足りる。大量のガレキとともに、およそ200km/hでの激突に耐えることの出来る備えなど、この城には存在しない。 謀られたという悔恨の念よりも、よくぞやったという賞賛よりも、単純な驚きがまさった。 この敵は奸計の使い手だ。勇猛なるサーヴァントさえ頼りにせず、姿さえ見せぬまま、最も効果的で、最も辛辣な方法を躊躇なく用いてくる。 まだ見ぬ敵に畏怖を感じながら、ランサーはただ暗い地面へと落ちていった。 初めに異変に気づいたのは言峰綺礼だった。 わずかに傾けたグラスの液面がほんの僅かに揺れ、ほぼ同時に遠雷のような衝撃音が聞こえた。 なにか大きな建物が崩落したのだと悟った瞬間に、酔いは覚めた。 なにが起きているのかはわからない。しかし、異常事態であることは間違いない。 とりあえずの相棒に声をかける。「アサシン、今の音を聞いたか?」「ふぁい~? なにをですかぁ~? マスター。もっとのめぇ~!!」 回らない呂律。トロンとした視線。鷲掴みにした酒瓶。 完全に酔っ払っていた。いや、泥酔している。サーヴァントのくせになにをやっているのだ? こいつはもうダメだ。とりあえず、新しいサーヴァントを探そう。 そう心に決めて、綺礼は席を立つ。「ご店主。絶品の麻婆をいつもありがとう。勘定は此処に置くぞ」 あの物音が聖杯戦争に絡んでのことであることは間違いない。 すぐに確かめる必要がある。 そうと決まれば善は急げだ。踵を返し、酔っぱらいを置き去りに――「――言峰さん。このおねーサン、連れて帰ってネ」 ――出来なかった。心底迷惑そうな声が、背後から掛けられる。 小学生店長に言われては仕方がない。出入り禁止にされなかったのがせめてもの救いだ。 心底業腹であるが、呑んだくれている阿呆を担ぎ上げて綺礼は中華料理屋を後にした。当分此処には来れないと肩を落としながら。 本来ならば、アインツベルンが最も狙いそうなランサー陣営を監視するのが、自分の目的からすれば常法なのだろうが、この酔っ払いをおんぶしながら、一体なにをどう監視したらいいというのだろうか? よしんば首尾よく衛宮切嗣が現れたとしても、「衛宮切嗣。貴様に話がある」→「どうでもいいが、その酔っぱらい女はなんだ?」→「私のサーヴァントだ」→「………………」 却下である。ダメダメだ。マスターとして、いや、人間の尊厳としての問題だ。 酔っぱらいのサーヴァントを担ぎ上げている状態で与えられるほど、この言峰綺礼の人生の解答は安っぽくないのである。 可哀想な目で見られるのならばまだいいが、笑われでもしたら、きっと立ち直れない。 唐突にアサシンを道端に投げ捨て、素知らぬ顔で教会のベッドに潜りこむという、どうしようもないプランが頭をよぎる。とてつもなく魅力的な計画だが、アサシンの首領を冬の寒空に放り出したら、アサシンとの関係は決裂するものと考えたほうがいいだろう。とりあえず、次のサーヴァントが見つかるまで保留ということにしておこう。「――綺礼様」 声の主は視界にいない。声に聞き覚えもない。というか、覚える気さえ無い。 しかし何者かは解る。自分の下僕の八十分の一。それ以外の認識は綺礼にはなかった。 というか、心底どうでもいい。 一人一人自己紹介されたような気もするが、はっきり言って仮面をつけた八十人をこんな短期間で覚えろというのは無茶振りである。「アサシンか?」 その言葉と共に、黒い影が現界を果たす。「アサシンが一人、ユースフに御座います」 そんな三秒後に忘れている名前なんぞどうでもいい。「人前にみだりに姿を晒すなといっておいたはずだが?」「申し訳ございません。早急に伝えるべき議がございまして……」「なんだ、言ってみろ」「実はその……」 とアサシンが口を開きかけた所で、もう一つの気配が闇に増える。「――綺礼様」 また聞き覚えがあるんだか無いんだかわからない声がする。「アサシンか?」「アサシンが一人、ウスマーンに御座います。早急に伝えるべき議がございまして」 もう一人増えた。「用件は?」「実はその……」 そう口にしたときに、またもう一つの気配が背後に生まれる。「……アサシンだな」 段々辟易としてきた。「アサシンが一人、ジャマル。火急の議によりまかりこしました」 そして最後に現れた影が、他の二人を差し置いて綺礼に話しかける。「まてぃ貴様!! 儂の方が重要な案件だぞ!?」「横入りすんじゃねえ!! 後ろに下がってろ!!」「うるせえ黙れ。お前らみたいな阿呆よりも俺のほうが大事な報告に決まってんだろっ!!」 などと主人の前でアサシン同士がケンカを始めた。 これはアレだ。 飲み過ぎたのだ。 知らないうちに酒を飲み過ぎて酩酊しているんだろう。 早く教会に帰って寝よう。疲れているのだ。「ああ、主待たれよ!!」「お待ちくださいませ、マスター!!」「本当に火急の事態なのでございます!!」 などとかしましく、綺礼の後を追ってくる。しかも姿を消さずに。 これが他のマスターに目撃されでもしたらと思うと、気が気ではない。 とりあえずバカ三人を霊体化させてから、近場の公園で会議を始めた。「右から順番に話せ、いいな?」 そうしてユースフ、ウスマーン、ジャマルの順に話すように促す。 ユースフの報告によると、あの遠くから聞こえた物音は、ランサー陣営の本拠地がアインツベルンによって爆破されたものであるらしい。さすがは魔術師殺しの衛宮切嗣である。 ウスマーンの報告は、ライダーとそのマスターの根城の判明であった。老夫婦に暗示を掛け、そこを根城にしているらしい。 そして、ジャマルの報告は、禅城の家にいる筈の凛がいなくなり、どうやらこの冬木の街に来ているらしいということだった。 ユースフ、ウスマーンについては、戦略上大きな案件ではあるが、今すぐにどうこうする必要はない。ランサー、セイバー、ライダー陣営にそれぞれ関しを続けていれば良い。 しかし、最後の一件はそうは行かない。 なにより厄介なのは、凛がアサシンに補足されていないということだ。 禅城の家にはアサシンの監視が付けられていなかった。安全地帯だと判断されていたからだ。 それが裏目に出てしまったことに、僅かな焦りを感じる。 凛が何のために冬木に来たのか? あの御転婆娘である。おそらくは大人が想像もつかないほどに突拍子も無い理由に違いない。 それにしても、今は時期が悪い。この冬木には魔術師はおろか、魔術師の理さえも踏みつける無法者が二組いる。 もしも、そのどちらかに凛が捕まったとしたら、それだけで遠坂の陣営はとてつもない苦境に立たされることになる。 人質にされた場合は、極めて重大な譲歩を迫られることだろう。 どの陣営よりも早く確保せねばならない。 しかし、あの少女が何のためにこの危険地帯の冬木に戻ったのか? それは全く綺礼には理解できない。 彼女が何のために冬木に来たのかなど、この自分にはきっと永久にわからないのだろう。 バケモノに桜の匂いを辿らせている最中、間桐雁夜は、信じられないものを見つけた。 それを見つけたのは全くの偶然であり、その点において、自分は幸運であることは認めざるを得なかった。 最初は何が起きたのかわからなかった。自分の脳が異常をきたし、幻覚を見せているのではないかと疑った。 それほどに、その人影は、この時間帯この場所に似つかわしくないものだったからだ。 その人影は、深夜の街灯に小さく照らされて、そのくせ、やたら堂々とした足取りで、かと思えばあっちに行ったり、こっちに行ったりしながら、雁夜のもとに近づいてきた。 よく観察してみると、こちらが振り返るたびに、電柱の影に隠れたりと、どうやらこちらに気付かれないように尾行しているつもりらしい。「おい、ますたー。あのちびっこいのはオメーの知り合いか?」 どうやらバケモノも気づいたようで、姿を消しながらも、こちらに話しかけてくる。「ああ、知ってる……」 知っているどころではない。 軽くウェイブの掛かったツインテールの黒髪、利発そうな目の輝き。年齢よりも、ほんの僅かに大人びた顔立ち。 間違いない。「あー。あのサクラってガキの身内か?」「――どうして判った?」「匂いが似てる」 バケモノの嗅覚に、いちいち驚いている暇はない。いまや、この冬木の街は想像もつかないほどに、とてつもない危険地帯だ。 いかに凛に、少々の魔術の心得があるからと言って、この街を闊歩している怪物たちに比べれば、ただの子どもと大差ない。「……で、どうするんだよ?」 バケモノが姿を表さずに呟く。 ……それが問題だ。 この街は遠坂凛という少女には危険過ぎる。 あの強力なサーヴァントのアーチャーを目撃したマスターならば、時臣にそのまま真っ向勝負など挑むまい。遠坂の娘の存在を見つけたのならば、人質として利用を試みるだろう。 一代にて悲願を遂げることが不可能である以上、魔術師にとっての後継者とは、自分の命よりも重いことさえある。令呪の削減はおろか、時臣を聖杯戦争から離脱させることさえ、“交渉”次第では可能だろう。 人質として使うつもりのない雁夜が凛を保護できるのならば、それはこれ以上ないほどの僥倖なのだ。 普段ならば、なんとか葵に連絡をつなぎ、時臣に知られないように迎えに来てもらう方法を探るところだが、今は生憎そんなことをしている余裕が無い。 そう立ち止まって考えているうちに、凛の動きがピタリッと静止する。 僅かな沈黙。 そして、こちらと反対方向に全力で走りだした。 おそらくは、こちらが尾行に気がついたことを察したのだろう。しかし、ここで逃がす訳にはいかない。 なんとしても自分が凛を確保するしか無い。 追った。 しかし、すぐに脚がもつれ、もんどりうって倒れる。 息が続かない。ほんの僅かに走っただけだというのに、呼吸器が発火したかのように熱く、喉の奥がせり上がる。「……待って……」 ここで逃げられる訳にはいかない。 絶対に逃げられるわけには行かないのだ。「……凛ちゃん……待って」 倒れながら名前を読んだ。 顔面をしたたかにコンクリートに強打したせいか、視界に火花が飛ぶ。 鼻の奥から塩辛い血の味が溢れてきた。 怖い。また間に合わない。 その恐怖が、壊死しかかった呼吸器に大量の空気を送り込む。「凛ちゃん!! 待って!!」 魂を吐き出すような声が出た。 少女の足が止まる。ゆっくりと慎重に、様子を伺うような足音がこちらへと近付いて来る。「カリヤおじさん、ですか?」 尋ねるような声が掛けられる。 白く染まった髪、枯れ果てた肉。目深にかぶったウィンドブレーカー。そして硬直したままの左の顔。 成長期の少女の記憶に残っている自分とは、全く違う姿である。 しかし、彼女に自分が覚えられているということは、ほんの少しだけ無様を晒している自分にとって、慰めになった。「ああ、そうだよ。間桐雁夜だ……」 本来は、大人として、子どもがこんな真夜中に街を出歩いていることを叱らなければならないのだろう。 しかし、そんなことをしている余裕はない。「何処か具合がわるいの? すぐ救急車を呼ぶから」 そうして公衆電話を探しに行こうとする凛を呼び止める。「大丈夫。ちょっと躓いただけだから」 救急車など呼ばれても困る。アレは、死なない人間のためのものだ。 それに今は、医者などに掛かっている暇はない。「凛ちゃんは、なんでこんな所にいるんだい?」 最初は重い口調だったが、「お父様やお母様には内緒にしてくれる?」という言葉に雁夜が頷くと、ぽつりぽつりと話し始めた。 どうやら攫われた少年少女の中に、同級生が居たようでその娘を探しに来たようだ。 そして、より強い魔力に反応する魔力針をたどってここまでたどり着いたようだ。 凛と自分が出会ったのは偶然ではない。バーサーカーの垂れ流している魔力に、おそらくは針が反応していたのだろう。 御転婆というよりは、自殺願望というかなんと言うか……。正直に言って無謀としか言いようがない。「凛ちゃんは今の冬木がどんなに危ないところなのか知ってるのかい?」 ついついお説教じみたことを口にしてしまう。 今は勇気や誇りがモノを言う状況ではない。「……でも雁夜おじさんだって魔術師じゃないのに……」 ぷうっと頬をふくらませて言う。 おそらくは、凛は自分のことを聖杯戦争の参加者だとは知らないのだろう。 さて、この厄介な状況を、この娘にどう説明したものかと、思案にくれていると、「……ああ、まったくまどろっこしいなあ!!」 いきなりバケモノが姿を表した。 雁夜の時間が止まる。 凛の時間も止まる。「ますたー。てめー、急いでるんだろうか!!」 凛が口をパクパクさせ、手足をバタバタと羽ばたかせてそれからやっと口を開く。「………………かかかかかかかか……雁夜おじさんっ!!! オバケっ!!! オバケっ!!」 ペタンと尻餅をつく。「お、お前っ!! 何考えてんだっ!? もっとソフトに登場しろよ!! 凛ちゃんが心臓発作起こしたらどうするんだよ!?」「やかましい」 たてがみが拳へと変わって、ゴンッと殴られた。 痛みに耐えてうずくまる雁夜を余所に、バケモノは続ける。「おう、小娘。ことねとかいうガキをたすけるために来たんだな?」 凛は、こくこくと頷く。「ならワシらについてこいや。オメーの探してるガキも多分ソコにいる」 バケモノは雁夜の体を担ぎ上げて歩き出す。「まって」 硬い声が掛けられる。「なんだ?」「貴方、雁夜おじさんのサーヴァント?」 振り返るといつのまにやら震える脚で、しかし仁王立ちしている少女が居た。「だったらなんだ?」 バケモノの歩みが止まる。「おじさんは、マスターなんですね?」 そう問う声は、警戒と悲しみと、ある種の威厳に溢れていた。 この娘に嘘は付けない。 昔からそうだった。 この娘は嘘や白々しさを見抜く。「ああ」 そう答えるのが雁夜にとって精一杯だった。 凛の悲しみに雁夜は気付いていた。 街頭に照らされた、彼女の目に浮かぶ涙の意味も。 あのこらえている涙は間違いなく自分のせいなのだ。「雁夜おじさん。わたしも連れて行ってくれますか?」 その言葉には、わずかにだが、線引きというか、他人行儀な物が混じっていた。 もう、この娘は解っているのだ。いずれ自分の父親と、間桐雁夜という人間が敵対するということを。その上で、父親の敵に助力を乞うているのだと。 なら大人として、いや聖杯戦争の参加者としては、こう答えるしか無い。「ああ。でも危険だし怖い思いもするかもしれない。僕やコイツは凛ちゃんを守れないかも知れない。それでもいいのかい?」「はい。雁夜おじさん。よろしくお願いします」 その言葉は、決別だった。 凛にとって、日常への。 雁夜にとって、つまらない、それでいて捨て切れない感傷への。