「この坂を上ると教会よ。衛宮くん、あそこのエセ神父に会ったことはある?」「いや、ない。昔、孤児院だったっていうことは知ってるけれど、教会の中に入ったことはないよ」「そう。なら、今の内に言っておくわね。その神父、性格が歪んでるから」「……神父さんなのに性格が歪んでるのか?」「腐ってるわね」「……腐ってるのか?」「ええ、そうよ。だから気をつけてね。下らないことを吹き込まれないようにね。気を許したりしちゃだめよ。神父って言うよりは旧約聖書にでてくる蛇か、悪魔ね。嘘はつかないけれど、それ以外のことで他人を騙すことぐらい、何とも思ってないような人間ね」 その忠告を、彼は反芻するように口の中で繰り返してから、ふと気がついたように此方に問いかけてきた。「なんでそんな奴が神父なんてやってるんだ?」 ……その質問は、今まで考えたことのない問いだった。あの男はなぜ神父などやっているのだろうか? 魔術師である父の弟子であり神父。その時点で異様な経歴の持ち主であるとしか言いようがない。 本来敵対する組織であるはずの教会と協会。 聖杯戦争の参加者になるため、父に師事したというが、それ自体がそもそもおかしな話である。 もしもかりに、あの男が魔術に惹かれた背徳者だというのならば、教会は破門されていて然るべきだろう。だというのにあの男はいまだに教会の神父として、十年間もあそこに居座っている。 いかに元代行者とはいえ、「魔術師に師事して魔術を学べ」などという命令、拒否しようと思えばいくらでも出来たはずだ。 歩きながら考える。 あの男の本質。 自分の直接の師匠であり、そして、父親を守りきれなかった憎むべき相手。 そして、それ以上のことは知りたくもないし、知ろうともしてこなかった。「わからないのか?」 不意に背後から声をかけられた。 長い間思考していたせいか、ずいぶんと黙り込んでいたようだ。「ええ、わからないわ」 そう正直に答えた。仕方がない。長い付き合いではあるが、いまだに自分はあの男の性格を完全にはつかみかねているのだ。 知りたいとは髪の毛の先ほども思わないが。「アーチャー。貴方も残るとは意外でした」 主たちが教会の中へと消えて数分。残されたサーヴァントの中で口火を切ったのは、セイバーだった。「我をその名前で呼ぶでない。そんな蒸留水に食卓塩を混ぜたような無味乾燥な名前で呼ばれるのは我慢ならぬのじゃ!!」 問いかけられた狐耳のサーヴァントは手足をバタバタさせて、目一杯の抗議をしている。「では、アーチャーではなく、なんと呼べばよいのですか?」「うむ。今はまだ名前はないが、あの未熟で半人前のマスターが、我にぴったりのエレガントかつ、ビューティーあんど、キュートでハイソな名前をつけてくれる予定なのじゃ!!」 満面の笑みでセイバーを覗き込んでくる。「それでじゃな。まあ、さしあたっては“貴方”とか、“御屋形様”とか呼ぶが良いぞ!! ところで剣の英霊よ、此方から問うが、貴様の真名はなんじゃ?」 幼女の口から出たのは、聖杯戦争の参加者的にはありえない質問だった。「……言えません」“唐突になにを聞いてくるのだ、この幼女は!?”と困惑するセイバーに、「そうか、いえぬような恥ずかしい名前であったのか。これは失礼をしてしまったようじゃな。許すが良い」 なにやら、とんでもない誤解が向けられる。「いや、わかるぞ!! 我も呼ばれたくない名前で有名になる苦しみは痛いほど良くわかる!!」「私の真名は、恥ずかしくなどありません! 真名を隠すのは聖杯戦争の定跡というだけです!」「いや、ひらに、ひらに。許すが良い。我はどうやら触れてはならぬ傷を開いてしまったようじゃ。同じ傷を持つもの同士、無理強いはせぬぞ!! ところで最初の質問は、――なにゆえ主たちに付いていかなかったのか――ということであったな?」 まったく人の話を聞かないアーチャーに辟易しつつもセイバーは頷く。「うむ。付いて行く必要がないからじゃ。もうすでに使い魔を放っておるのでな。中の様子は手を取るように判る。ほれセイバー、お主も見るが良い」 そういうが早いか、アーチャーの尻尾が“ぐるり”ととぐろを巻くと変形し、スクリーンのように輝いて、教会の様子を照らし出した。映像だけならばともかく音まで完全に筒抜けになっている。「覗き……ですか? あまり良い趣味ではありませんね」「もしものときの用心じゃ。うちのマスターは未熟ではあるが、あれでなかなか見所がある。そのマスターが信用できぬ相手だというのならば、その神父は本当に信用できぬ相手であろう?」 セイバーは、二、三考える仕草をした後、混ぜっ返した。「しかし、あの神父がマスターたちに危害を加えようとしていたとしても、今、この場でというのは考えにくい。我々がそばにいるときに、そのような真似を出来るものでしょうか?」「確かにそうじゃな。しかし、それは物理的に危害を加えようとした場合のみじゃ。お主のマスターは、近来稀に見る素直な人間、悪く言えば、ただの阿呆じゃ。根性のひん曲がった人間から見れば、妙なことを吹き込んだり、思い出したくない過去を呼び起したりと、打つ手はいろいろある。そうなったときには間違いを正してやらねばならぬじゃろ?」 言うことは解る。しかし、それでは辻褄が合わない。 最初の質問に答えていない。「ならば、一緒についていけばよいだけの話ではありませんか? そもそも、貴方が私のマスターにそこまで肩入れする理由がない」 そうなのだ。なぜ、このサーヴァントは自分のマスターを助けた? 一般人が犠牲になりそうになったのを助けたというのはならば、よほどのお人よしという点で、まだ理解が出来る。しかし、その後は余計だ。 マスターだとわかった時点で、このサーヴァントにとっては、衛宮士郎というマスターは討ち果たすべき敵であるはずなのだ。それをここまで気にかける理由がどこにある?「なに。我のようなヒネクレ者が近くにいるとわかったら、同類はそう簡単には尻尾を見せぬ。こっそり覗いておったほうが本性も早く暴けよう。さて、なぜ、おぬしのマスターに肩入れするのかという話しじゃが、おぬしはあの男をどう思う?」 意味がわからなかった。 どう思うと聞かれても、――自分のマスターであり、自身はあの少年の剣になると誓いを立てた――それ以外に答えようがない。「うちのマスターが半人前だとするならば、おぬしのマスターは卵から孵化したばかりの目も開いとらん雛鳥じゃ。敵を前にして、相手を殺すなとかいうアホウじゃ。それもただのではなく、とびっきりのアホウじゃな。半人前どころか足手まといにしかならん。どこぞの人間が、『無能な働き者の味方は銃殺刑にしろ』と言ったそうじゃが、アレはまさにその類じゃ」「よ、容赦がないですね」 そこまで直接的な物言いをする気はないがセイバーも見立て自体はあまり変わりがない。とてもではないが、あの非情極まりない男の縁者とは思えない。マスターとしては最弱の部類、間違いなくお荷物だろう。「じゃが、それゆえに愛いではないか。ただのアホとなれば珍しくもないが、とびっきりのアホウとなれば肩入れの一つもしたくなろう? とてつもなく未熟で、吐き気がするほど愚か、それゆえに将来なにが出て来るか解らん。青臭い正義感を、あの年で捨てずに持っておるあたり、大したものじゃ。ほれほれ、どうやら我の見立ては間違っておらんかったようじゃぞ」 アーチャーの尻尾には、十年前の大災害を再び起こさせないために戦うと誓う赤毛の少年が映し出されていた。「確かに、そういう意味では好ましいマスターです。貴方の言うとおり」「ふむ、そうじゃな。他に強いて理由を挙げるとするならば、似ておるところか」 ともすれば聞き逃してしまうような声で、アーチャーはつぶやいた。「マスターが似ている? 誰とですか?」「言うたところで理解できず、聞いたところで知りえるわけもない人間じゃ。そやつの名前など最初から知らぬ。知っていたのかも知れぬが忘れてしもうた。しかし、あの顔も声も手も脚も眼も、あやつ等のことなど、忘れたくても忘れらぬよ」 それっきり狐耳のサーヴァントは押し黙って、尻尾に映し出された映像を凝視していた。 まるで愛おしいものをそっと遠くから眺めるように。 言峰綺礼、自身の後見人にしてエセ神父との面談は、時間にして三十分ほどだったが、実際にはそれ以上に長く感じられた。あの神父と会話をするときは、いつもそうだ。 延々と人の傷をほじくりかえし、気付かなくても良い感情を掘り起こそうとするからだろう。 今回も、「余計なことを吹き込むな。必要な概略だけを簡潔に話せ」と、念を押しておいたのだが、それでもなお、性格ドグサレ外道神父は余計なことしか言わなかった。 扉を開けて、坂を下るとそこには二人の少女がこちらの帰りを待っていた。「おお、戻ったか? 此方は待ちぼうけの退屈さんじゃ。なにか土産はあるか?」 狐耳の少女が尻尾をパタパタ振って、上機嫌で自分たちの周りをくるくると回り始める。「シロウ。話は終わりましたか?」 そう隣にいる少年に声をかけて来たのは、青い甲冑に身を包んだ少女。 しかし、こうしてみると、この二人の少女たちが、とても世界に記録された英雄たちだとは思えない。この世のものとは思えないほどの武勇や魔力を誇っているとはにわかには信じられない。 赤毛の少年は、ほんのわずかにはにかんだあと、正面から剣の英霊を見据えて、「ああ、俺に務まるかどうかはわからないけれど、でも、戦うって決めた。半人前以下で悪いけれど、俺がマスターってことでいいか、セイバー?」 そう宣告した。「ええ、私は貴方の剣になると誓った身です」 剣の英霊も 真正面から、目を逸らさずに応える。 赤毛の少年は、かわいそうなぐらいにうろたえていた。セイバーほどの美人に見つめられれば、恥ずかしいとか以前に気後れしてしまう。同性の自分であっても妙に意識してしまうだろう。「そ、そうか。そうだったな。うん、それじゃセイバー、握手しよう」 ……なにかわけの解らない事を言い出した。しかし、気持ちはわからないでもない。どうしようもなく好きな人とか、美形とかと正対すると、人間は普段とは違う行動にでてしまうものだ。「――え、ええ。今一度誓いましょう。私は貴方の剣となり、この身ある限り貴方の敵を打ち倒し、貴方の道を切り開くと」 大人の対応だ。それもすさまじく。ここで笑ったり、挙動不審になったりしたら、マスターの顔をつぶすことになる。 しかし、これではどこかのボーイ・ミーツ・ガールではないか? しかも、衛宮士郎。頬が心持ち赤くなっている。 アーチャーと視線が合う。 どうやらヒネクレモノ同士考えていることは一緒であったらしい。 すなわちからかい倒す。「なんじゃ、あの二人? いつの間にそういう関係になったんじゃ?」「本当ね。あっという間に仲良くなってるわ」 その声にビクリっと反応し、あわてて手を離す衛宮士郎。「い、いや、この握手はそういう意味じゃない。」 などと慌てている。 うん。男のくせに可愛いやつである。 もっといじめたくなってしまう。「本当? いいのよ、別に。セイバーは美人だし、衛宮くんは男の子なんだから」「本当だぞ。そういう意味はない」「じゃあ、私とも握手しましょう?」 そうして、ずいっと顔を近づける。 「え、え、いや、その!?」 なにがおきたのか状況を把握できていない、衛宮士郎の左腕を取る。 混乱している半端もののマスターを無視して呪文の詠唱を始める。 自分の右手の甲に痛みが走り、そして消えた。「遠坂、なにを?」 どうやらここまでやっても、自分の身に何が起きたのかわかっていないようだ。「鈍いわね、衛宮くん。令呪をよく見てみなさい」 殊更、あきれたかのような声で左手を見るように促す・ 先に状況を悟ったのはセイバーだった。「凜。貴方は何を!? 聖杯戦争に参加している貴方ほどの魔術師ならば、令呪がどれほど稀少で得がたいものか知っているでしょう!? いかに私のマスターが、事情を知ったばかりの未熟な参加者だとしても、そこまでしてもらう必要はありません!!」 そこには一画も失われていない令呪があった。アーチャーに襲い掛かるセイバーを止めるために使用し、消費された令呪が完全な形に復元していた。 変わりに、自分の右手の甲からは令呪が一つ消失している。 令呪の譲渡。相手の令呪を無理やり奪い取るということでないのなら、それ自体は、難しいことではない。いや、目を瞑っていても出来るほどに簡単な術式だ。「なんで、俺に令呪を寄越すんだ?」 心底わからないといった顔でこちらを凝視してくる。「衛宮くん。私を助けるために令呪を使った。だからその分は、今この場で返すわ。これで貸し借りなしよ。今日別れたら、その瞬間から私たちは敵同士。命のやり取りをするのよ。だから、今この場でその借りを返しておくの。いつ返せるかわからないから。もしも、明日出会ったら、私は貴方を躊躇なく殺そうとするわ。そうなったときには、全ての借りは返してるんだから命乞いなんかしても無駄だから」 教師が物覚えの悪い生徒に解説するように、目の前の少年に、そして自分自身に言い含めた。 そうしないと、お互いが妙な感情移入をして、殺し合いどころの話ではなくなってしまう。「ああ、遠坂は本当にいいやつだな」 なにを突然言い出すのだ? このバカは? これから殺しあう宣言をした相手に、どこの世界に『本当にいいやつ』なんて言い出す愚か者がいるというのだ?「なんのつもりか知らないけれど、おだてたって容赦しないからね?」 再度念を押しておく。 これでダメなら諦めるしかない。「知ってる。けど、遠坂やアーチャーとは戦いたくない。俺、遠坂やアーチャーみたいなやつが好きだから」 ……。心底重症だった。 もうなにを言っても無駄だろう。 いくらこの衛宮士郎という男が、真性の阿呆でも、セイバーがいる限り、そう簡単に殺されることはないだろう。 なので諦めてさっさと帰宅することにした。「――――――ねえ、お話は終わり?」 少女の声が、坂の上から響いた。 ついさっきまで自分たちが通った道から。 つまり、待ち伏せされていたということになる。 教会にわざわざマスター登録をしに来た、律儀でうかつなマスターを待ち伏せしていた敵がいたということだ。 声の先には一人の少女がいた。雪のように白い肌と銀髪が月光を照り返し、赤い瞳が罠にかかった獲物を侮蔑するかのような光を宿してこちらに向けられていた。 外見だけでわかる。あれは、アインツベルンのホムンクルス。そして、その背後にいる巨人。とてつもない筋肉と殺意に満ちた狂気の塊。 あれほどの混沌に満ちた殺意を持つクラスは一つしかない。「――バーサーカー」 そう口が勝手に呟く。 理性を失い、敵を殲滅するまで戦い続ける狂戦士。「こんばんわ。こうして会うのは二度目だね。お兄ちゃん」 そう白い少女は歌い上げるように話しかける。 しかし、あの少女は、戦力としては無視していい。過去アインツベルンのホムンクルスのマスターは、全てその肉体の脆弱さ、攻撃手段の欠如により敗退してきた。問題なのはあの巨人だ。 瞳を凝らし、あの巨人の持つ能力を読み取る。「――気をつけて、アーチャー。アイツ、スペックなら貴方と同等よ」 幸運以外の全てのステータスがAランク以上。尋常な値ではない。「どうやらそのようじゃな。さて、客はそこの小僧に用があるようじゃが?」 見捨ててはどうか? と言外に訊ねて来る。「敵になるのは明日から、って言ったわよ?」「主よ、そういうのを心の贅肉というのじゃぞ?」「分かってるわ。でも私は魔術師で、魔術師は自分の決めたルールはなにがあっても守るものよ。それこそ死んでもね」 くくく、と狐耳のサーヴァントはかみ殺すような含み笑いとともに「まったく、これだから。…………人間は美しいの」 そんなことをもらした。「さて、お主たちはどうする?」 そう、アーチャーは残りの二人に声を掛ける。 どうするも何も、決まってる。「セイバーはともかく、衛宮くんは戦力にならないわ。セイバーは、衛宮くんを連れて安全なところまで逃げなさい。もっとも、死にたいというのなら止めないけれどね」 心の贅肉はここまでだ。そうでないと、今度はこちらが殺される。「相談は済んだ? なら自己紹介するね。はじめまして、リン。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えばわかるでしょ? じゃあ、殺すね。やっちゃえ、バーサーカー」 そうして白い少女は屈託なく笑った。※すみません。コメント返しはもう少々待ってください。