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No.36131の一覧
[0] 【完結】第四次聖杯戦争が十年ずれ込んだら 8/3 完結[朔夜](2013/08/03 01:00)
[8] scene.01 - 1 月下にて[朔夜](2013/01/10 20:28)
[9] scene.01 - 2 間桐家の事情[朔夜](2013/01/10 20:29)
[10] scene.01 - 3 正義の味方とその味方[朔夜](2013/01/10 20:29)
[11] scene.02 開戦[朔夜](2013/01/02 19:33)
[12] scene.03 夜の太陽[朔夜](2013/01/02 19:34)
[13] scene.04 巡る思惑[朔夜](2013/04/23 01:54)
[14] scene.05 魔術師殺しのやり方[朔夜](2013/01/10 20:58)
[15] scene.06 十年遅れの第四次聖杯戦争[朔夜](2013/03/08 19:51)
[16] scene.07 動き出した歯車[朔夜](2013/04/23 01:55)
[17] scene.08 魔女の森[朔夜](2013/03/08 19:53)
[18] scene.09 同盟[朔夜](2013/04/16 19:46)
[19] scene.10 Versus[朔夜](2013/03/08 19:38)
[20] scene.11 night knight nightmare[朔夜](2013/05/11 23:58)
[21] scene.12 天と地のズヴェズダ[朔夜](2013/06/02 02:12)
[22] scene.13 遠い背中[朔夜](2013/05/16 00:32)
[23] scene.14 聖杯の眼前にて、汝を待つ[朔夜](2013/05/28 01:03)
[24] scene.15 Last Count[朔夜](2013/06/02 20:46)
[25] scene.16 姉妹の行方[朔夜](2013/07/24 10:22)
[26] scene.17 誰が為に[朔夜](2013/07/04 20:19)
[27] scene.18 想いの果て[朔夜](2013/08/03 00:51)
[28] scene.19 カムランの丘[朔夜](2013/08/03 20:34)
[29] scene.20 Epilogue[朔夜](2013/08/03 20:41)
[30] scene.21 Answer[朔夜](2013/08/03 00:59)
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[36131] scene.01 - 2 間桐家の事情
Name: 朔夜◆4a471bd7 ID:42607152 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/01/10 20:29
/2


 十一年前。

「その面、もう二度と儂の前に晒すでないと、確かに申し付けた筈だがな」

「聞き捨てならない噂を聞いた。間桐の家がとんでもなく恥晒しな真似をしている、とな」

 昼なお薄暗い間桐邸客室。
 淡い光がカーテン越しに差し込むだけの闇の中で、二人の男が対峙していた。

 一人は間桐臓硯。間桐……マキリに巣食う吸血蟲。語るもおぞましい延命術によって二百年近い歳月を生き抜いてきた妖怪だ。
 対する青年は臓硯の名目上の息子となっている雁夜。間桐の魔術を知り、魔術師の生き様を知り、そんな茶番には付き合っていられないと出奔した筈の男。

「何ゆえ今更になって間桐の敷居を跨いだ雁夜。魔道に背を向けた男が踏み入って良い場所ではないぞ、此処は」

「遠坂の次女を招きいれたそうだな。そうまでして間桐に魔術師の因子を残したいのか」

「カッ、その問いをまさか貴様が投げるとはな。ここまで間桐が零落したのは誰のせいだと思っておる。鶴野より余程高い素養を有していたお主が間桐を継いでいればこうまで落ちぶれることもなかったであろうに」

「そうして俺はアンタの傀儡として生かされ、果てにはこの血肉の一片をすら残さずアンタに喰われていれば良かったと、そう言うのか」

 この間桐臓硯が生き続ける限り、間桐という家系に終わりはない。但し臓硯の延命措置にも随分とガタが来ている。日に日に滴り落ちる腐肉は増し、魂の形が劣化している様が見て取れる。

 その形を崩すことなく維持し続けるには赤の他人の肉では不足だ。間桐臓硯と同じ血が流れ、同じ業を背負った間桐の魔術師の肉こそがもっとも良く馴染む。
 臓硯にとっては間桐の世継ぎは必要なくとも間桐の魔術師は必要なのだ。求めてやまぬ永遠の命。その形骸だけを真似た延命であろうとも。

 家に残った長男である鶴野は落ち零れにも等しい才しか有しておらず、その子の慎二に至っては遂に魔術回路すら備わらなかった。
 これで間桐純血の魔術師は絶えたも同然。それでも間桐に魔術師としての血を残そうとした臓硯は、遠坂より次女を招きいれた。

 姉に劣らず優秀な才能を持って生まれた遠坂桜。その胎盤から生まれる子はより良き間桐の術者が生れ落ちる事だろう。

「……魔術師の因子を残したいだけならばわざわざ養子を迎える必要などない筈だ。兄貴に適当な女でも宛がって、何人でも試せばいい。一人くらいは当たりが出るだろうさ」

「カカッ! やはり貴様も間桐の端くれよな雁夜。そんな発想が口に出来ることがその証左よ。しかしな雁夜、それではただのその場凌ぎに過ぎぬ。一代先延ばしたところで根本的な解決には繋がらぬ。そんなこと、お主も分かっておるであろう」

「…………」

「だからこその養子よ。桜は良質な苗床となろう。間桐の子を孕み、間桐の新たなる礎を築く良き母となるであろうよ」

「……っ、貴様……!」

 激情に駆られ振り上げた拳。されど目の前に立つ悪鬼には微塵の動揺もなく、落ち窪んだ瞳の奥に冷徹な色を湛え、雁夜を愉快げに睥睨している。
 この男は遊んでいるのだ。雁夜が二度とは帰らぬと誓った筈の家に戻った理由を察し、察していながら戯れている。雁夜自身から言葉を引き出す為に。

 死に損ないの老獪の茶番に付き合うのは御免だが、そうする以外に道がないのなら舞台に上がるまで。元より覚悟は決めていた。一度は背を向けたものに向き合う覚悟を。拳を下ろし、一度深呼吸した後、雁夜は今一度臓硯と向き合った。

「アンタは結局、間桐の繁栄になど興味はないんだ。ただ何処までも利己的に、自らの延命だけを望んでいる。
 しかしそれもその場凌ぎなんだろ爺さん。いずれ身体は朽ち果て、魂は腐り落ちる。俺でさえ予見できる未来を、アンタが見ていない筈がない」

「何が言いたい」

「聖杯」

 雁夜の核心を衝いた一言に、臓硯は諧謔めいた笑みを浮かべた。

「桜を養子に迎えて目指しているのは間桐の血統の維持なんかじゃない。いや、それも一つの理由なんだろうが本命は別だろう。
 この町に眠り、目覚めの時を待つ聖杯……万能の願望機。それを手に入れ、本物の永遠を手に入れることがアンタの目的だ」

 未だかつて誰も成し得ていない不老不死という命題。

 聖杯はその至難の業をすら容易く叶えてのけるだろう。でなければ万能の願望機、全てを叶える奇跡という触れ込みは偽りになってしまうから。
 それが偽りではないことは、臓硯の妄執めいた延命が示している。いずれ限界の訪れる延命、魂が軋むほどの痛みに苛まれながら、それでも生き足掻いているのは目の前に本物があるからだ。

 手を伸ばせば届く距離に求め欲した奇跡がある。願えば叶う万能の釜がある。ならば必死に足掻くだろう。泥を啜り霞を糧に、雲をすら掴んで這い上がる。

 間桐臓硯の策謀の全ては聖杯──それを巡る争いにこそ集約される。

「アンタは言ったな、桜の胎盤より良き術者が生れ落ちると。つまりはその代か……その次の代あたりで決死を掛けるつもりなんだろ」

「然り。特に今回に限っては間桐より出せる駒がない。鶴野程度の才ではサーヴァントを御し切れぬし、桜はまだ未熟に過ぎる。故に今回を見送り、次回こそが儂の本命よ」

「ならば聖杯を勝ち取れるだけの駒があればいいわけだな。
 だったら今回は俺が出る。そして聖杯を持ち帰ってみせる。それならば、桜にはもう用はないだろう!」

 六十年の周期で言えば来年が開催の年。いかに優れた才を持っていたとしても、魔術の薫陶などほとんど受けていない雁夜がサーヴァントを御せるレベルの魔術師になるには一年間という期間は余りに短すぎる。

 そんなことは承知の上で雁夜は憚った。間桐臓硯の秘奥をもってすればたった一年間でも使い物になる程度の魔術師には仕上げられる筈だ。何よりこの身は間桐の血肉で編まれたもの。臓硯の業は桜などよりは余程良く馴染むだろう。

 但しその対価は、恐ろしく高くつくことに間違いはあるまい。

「……お主、死ぬ気か?」

「今更になって心配か? そんな柄でもないだろう、反吐が出る。間桐の執念は間桐の人間が片をつけるべきだ。無関係な他人を巻き込むな」

 自らが魔道に背を向けたが為にこんな奈落に突き落とされた少女を救う。好きだった人の涙と、その子の絶望を背負い雁夜は立つ。
 これが己の撒いた種であり、足元より縛りつける鎖であるのなら。このくそったれな命を差し出し、せめてもの償いとしたいのだ。

「……ふむ。そういうことならば是非はない。最初からお主が間桐の秘術を継承しておればこんな面倒にはならんかったのだからな。
 お主が間桐の魔術を修め、間桐の魔術師として聖杯を勝ち取るというのなら、儂は最大限の助力を惜しむことなく尽くそうではないか」

「吐き気を覚える詭弁や御託はいい。さっさとしてくれ、時間が惜しい」

「そう急くでない。時間ならばそれなりにあろう。何せ、戦いの開幕は十一年も先のことなのじゃからな」

「な、に……?」

 それは雁夜をして目を見開くほどの驚愕。事実六十年の周期で言えば来年がその年に相当する。であるのなら、臓硯の言葉は腑に落ちない。

「……何を根拠にそんなことが言える? 開幕は来年の筈じゃ……」

「通常であればそうであろうよ。原因は儂にも分からんが、未だ冬木に眠る大聖杯に起動の兆しがないのだからどうしようもない」

 柳洞寺の地下深くに眠る大聖杯。聖杯戦争の大本とも言える仕掛けであり大魔術式。その起動がなければそもそも儀式自体が始められないのだ。聖杯はマスターとなる者に令呪を託さず、当然サーヴァント召喚の儀は執り行えない。

「この異変に気付いておるのは儂とアインツベルンくらいのものだろうて。遠坂の小倅は今頃来年に向けて奔走しておるだろうよ」

 しかし同時に感付いているかもしれない、とも臓硯は思っていた。時臣は凡夫なれどあの男が今座る椅子は決して先代の七光りで手に入れたものではない。凡庸なりの努力と研鑽を積み重ね、結果として相応の実力と地位を手にしている。

 それでも現段階では五分。以前を知らない時臣では気付けないものもあるのだ。

「アンタにどういう確信があるのかは知らないが、遅れてくれるのならこっちとしても好都合だ。俄か仕込みの付け焼刃で戦わなければならないと覚悟していたからな」

「お主の才であれば十年みっちり仕込めばそれなりのものにはなろう。ともすれば、遠坂の小倅に太刀打ちする事も叶うやもな」

「俺が……時臣に……」

 葵の幸せを信じて身を引いた雁夜の目に映ったのは、娘を失い眦に涙を浮かべる彼女の姿と、こんな地獄に突き落とされ絶望に暮れているだろう少女の姿。
 そしてそんな二人の姿を見て見ぬ振りをし続けている、どこまでも魔術師らしい糞野郎のしたり顔だ。

 その顔を歪めてやる事が出来る。地べたに這い蹲らせ、懇願の瞳を見下ろした時の心地を想像しただけで、油断すれば口元が吊り上ってしまう。雁夜を見下している時臣に一泡吹かせてやる事が出来るという思いだけで胸が早鐘を打つ。

「いや……」

 胸の中に湧いた恍惚を頭を振ることで霧散させる。想像を現実に昇華する為にはまず臓硯の仕打ちに耐えなければならない。そしてもう一つ。

「臓硯。開幕が十一年後であるのなら、それこそ桜は用済みだろう。俺はアンタが下すどんな命令にも過酷にも耐え抜いてやる。どうしても間桐の世継ぎが欲しいのなら、アンタの言いなりになって好きでもない女でも抱いてやるさ」

 ──だから桜は遠坂に、葵さんの下へ返すべきだ。

 そう告げて、次の瞬間雁夜の目に映り込んだのは、臓硯の冷笑だった。

「おう、そうじゃな。お主が事実として間桐の秘奥を継いでくれるのなら桜に用はない。優秀な胎盤を手放すには惜しいが、それと引き換えに十年後に勝負を仕掛けられるのならばまあ良いじゃろう。
 しかし雁夜よ。本当に桜を遠坂に返しても良いのか?」

「……何故そんなことを問う?」

「言わずとも分かりそうなものだがな。桜を遠坂に返したところで同じだと。あの小倅……時臣めは桜を引き渡したところでまたぞろ別の養子の口を探すだけだと、そう言っておるのじゃよ」

「…………」

 あれはそういう男じゃ、と臓硯は口を結んだ。

 確かに時臣の判断は魔術師として正しいのだろう。しかしそれは、父親としては致命的に間違っている。

 いかに魔術師として大成しようとも、家族と引き裂かれた上で成り立つ幸福など有り得ない。母子の望むちっぽけな幸福を犠牲にしてまで、才能とは開花させなければならないものなのか。

 桜がもし事前に問われていたとすれば必ず家族との幸福を選んだ筈だ。栄えある未来よりも、ただ家族と共にあれる幸福を望んだ筈だ。
 そして時臣の何よりの失敗は、よりによって間桐の手を握り返したことに尽きる。

 他の家系を知らない雁夜に言えることではないが、この家は地の底よりも深い奈落だ。この下があるとは到底思えないほどの無間地獄。絶望と怨嗟、慟哭を糧に蟲は哭き、悪鬼臓硯の掌で踊らされ続ける。

 だから雁夜はこう言うのだ。

「……こんな地獄にいるくらいなら、まだ他の家に迎えられる方がましだろう」

「そうでもあるまいよ。雁夜、お主が間桐の業を一手に引き受けるのなら、桜にはその継承をさせぬ」

「なに……」

「当然じゃろう。魔道の秘奥は一子相伝。例外はあれど基本はそうじゃ。雁夜が間桐を継ぐのなら、桜がその業を背負う謂れはあるまい?」

「なら桜は──」

「ああ、何も知らぬまま生きさせたいとかのたまうなよ? 既にあれは蟲蔵の底よ。お主がもう少し早ければその淡い願望も叶ったやも知れぬが、桜は既に魔道に片足を……否、全身を浸かっておるも同然しゃ」

「臓硯……キサマ……!」

「そう逸るな。どの道桜ほどの才ならば魔道の庇護なくしては生きられぬ。しかしそれは何も家系を継ぐ必要のあるものでもない。最低限魔術を理解し修めておけば事足りる程度のものじゃよ。
 それは才能を腐らせるにも等しい愚挙であり、遠坂の小倅はそれをこそ良しとはせんかったようじゃがな」

 つまりは雁夜さえ間桐の秘術を継げば桜はその業から逃れることが出来る。最低限魔術の知識を理解し技術を修めなければならないが、間桐の業を引き継がないのならば蟲に身体を犯される心配はない。

「桜の先天属性は虚数。間桐の秘術である使い魔……蟲の使役との相性は良くはないが、幸いにして魔術特性との相性はそう悪くはない。吸収を初めとした束縛、戒め、強制は虚数と通ずるものがある。伸ばせば充分に光るであろうよ」

「じゃあアンタは……桜を間桐の色に染め替えることなく、今の桜のままその才能を伸ばすって言うのか」

「間桐の子を孕ませるにはそうする他なかったのでな。特に枯れた慎二辺りと交じらわせるにはそうでもせぬと遠坂の因子が勝ってしまう恐れがあった。それでは間桐の属性に適した子は生まれない。
 が、お主ならば素養は充分だ。どれだけ桜の才を伸ばそうとも、刻印を継げぬ以上はいずれ頭打ちになる。それならば当主足る力量を備えたお主の方が勝るであろうよ」

「……その言い方じゃ俺が桜の相手になるように聞こえるんだが」

「そう言っておる。禅城の血の混じった桜の母体と、それなり以上の才を持つ雁夜の血が交われば、桜の才を腐らせてまで慎二に宛がうよりは、余程恵まれた才を持つ子が生まれてくれるであろう」

「…………」

 やはりこの間桐臓硯は化生の類だ。雁夜の想像など及びもつかない言葉ばかりが湧き出てくる。それでも雁夜はかつて一度この妖怪と対峙し、家督継承の拒絶と出奔を勝ち取ったのだ。唯々諾々と従い続けるのは柄じゃない。

「それも全ては俺が聖杯を掴み損なった場合の話だろう。聖杯さえ手に入ればアンタは俺にも桜にも用はないんだろ」

「無論。しかし儂も長く生き過ぎたせいか、どうにも心配性でな。石橋は叩いて渡らねば気が済まんのじゃよ。
 ────それで、どうする雁夜よ。今ならばまだ戻れるぞ?」

「愚問だよ糞爺。俺は間桐を継ぐ。十年の時間を掛けてこの身を研鑽し、聖杯を勝ち取るに相応しい力を手に入れよう」

「ならば対価として桜の身を差しだそう。当然魔道の加護は受けて貰うが、お主ほどの過酷は味わわずに済むであろう」

 此処に契約は成された。
 間桐雁夜は一度は背を向けた魔道に向き合う覚悟を胸に秘め、その身を犠牲に桜の無事を手に入れた。
 魔道から足を洗わせることは叶わなかったが、それでも奈落より引き上げることは叶った筈だ。

 桜の幸福が遠坂家に戻ることであると知りながら、時臣を今現在の力では打倒できない雁夜ではその望みは果たせない。
 儚い希望を胸に灯らせて家に帰しても、時臣は絶望の宣告を行うことは想像に易いのだから。

 ……待っていてくれ桜ちゃん。君の願いは、必ず叶えてみせる。

 胸に強固な意志を秘め、雁夜は奈落へと続く階段を下りていく。
 お姫さまを救い出す為に。
 自らが代わりになる為に。

 しかし雁夜は気付かない。
 桜の望む幸福の形と、雁夜が信じている桜の幸福の形が、決定的に違っていることに。

 矛盾から目を逸らしたまま、間桐雁夜は道の先で待つ煉獄での過酷に、長い時間耐え続けることになった。



+++


 そして現在。

 昼なお薄暗い間桐邸客間には三つの影。

 一人は間桐臓硯。十一年前からまるで変わらない容貌を湛えたまま、正面に座る二人をテーブル越しに見据えている。

 一人は間桐雁夜。十年という長い年月を掛けて才能を磨いたお陰か、その身体の表面上には異常はなく、ただ初期に蟲達の這いずりに耐えられず発狂しかけた時に色素を失った髪だけが、かつての彼と今の彼の目に見える相違だった。

 雁夜の右手の甲には赤い鎖状の紋様。マスターに送られる令呪が刻まれている。培った修練は身を結び、晴れて雁夜は間桐からのマスターとなる資格を手に入れた。

 最後の一人は間桐桜。二人の影に埋もれるように背を丸め、俯いたままの顔に掛かるのは長い前髪。視線はテーブルの一点を見つめたまま、身動ぎ一つしていなかった。許可なく動けば、鋭い鞭が飛んでくるとでも言うかのように。

「さて……第四次聖杯戦争(ヘブンズフィール4)の開幕は間もなくだ。雁夜よ、準備に抜かりはないな?」

「ああ。アンタの望みを叶えてやるよ間桐臓硯。そして俺は……俺と桜ちゃんの自由を勝ち取る」

 横目で見やる桜には反応らしきものはない。テーブルの一点を見つめたまま、置物のように動かない。

 十年を研鑽に費やした結果、雁夜は桜に拘う時間がほとんどなかった。一日の大半を蟲蔵で過ごし、修練に明け暮れた。
 空いた時間を見つけては桜の様子を見に行ったが、彼女は日を追うごとに顔に宿る影を増していった。

 雁夜が蟲蔵でのた打ち回っている時、桜に課せられた仕打ちを彼は知らない。確かに奈落に放り込まれ蟲共に嬲られるよりはましな修練であったのだろうが、それでも桜の身に課せられた過酷は悲痛に過ぎた。

 結局雁夜は甘かったのだ。間桐臓硯の底を見ていなかった。底だと思ったその先に堆積する闇の更に奥にある本当の底を見ることが叶わなかった。そんなものを見る時間があるのなら自身の研鑽に明け暮れた。

 結果、桜はその心を閉ざし、代償としてそれなりの仕上がりにはなった。直接的な戦闘では刻印を有する他家の者には劣るだろうが、その身に宿した膨大なまでの魔力は解き放たれる時を焦がれている。

 桜の閉塞の原因が自身にあると思いながら、決定的に思い違いをしている雁夜はそれでも前をだけ見据える。

「それで、他の連中については?」

「うむ。遠坂にアインツベルンは当然として、魔術協会からの枠も既に抑えられておる。残る外来勢については今のところ情報は皆無じゃな」

「時臣は出るんだろうな」

「いいや。生憎と令呪はその娘である遠坂凛に宿ったらしい」

 凛、という名前にぴくりと反応を示した桜。俯いたまま、耳だけは臓硯と雁夜の声を聞いているらしい。
 そんな様を見た臓硯は一人ほくそ笑み、雁夜は舌打ちをした。

「あの野郎……俺の十年はアイツに復讐を果たす為でもあったというのに。しかし……そうか、遠坂からのマスターは凛ちゃんなのか……」

 胸に渦巻くのはえもいわれぬ感情。桜を救う為には聖杯を手に入れなければならず、聖杯を手に入れる為には凛を倒さなければならない。
 それは二律背反。桜の幸福を望みながら、その傍らにあるべき姉を討たねばならないという矛盾への葛藤。

「まあいいさ。何とかする、してみせる。それが出来るだけの力は手に入れたつもりだからな」

「……ふむ。しかしそれでもどうじゃろうな。今回はどうにもきな臭い。どいつもこいつも腹に一方ならぬものを抱えているように思えてならぬ」

「はっ──他ならぬアンタがそんな戯言を謳うのか」

「まあ聞け雁夜。今回は儂も本気で聖杯を狙っておる。お主の仕上がりは儂の想像以上であったし、桜についても同様よ。これならば充分に他の連中と渡り合えるだろうが……それだけよ」

「何が言いたい」

「確実な勝利を手にするにはもう一手足りぬというところか。渡り合うのではなく圧倒出来るだけの戦力が欲しいと、そうは思わんか」

「……今更そんなものを用意出来るツテでもあるのか」

「既に用意しておる────桜」

「はい、お爺さま」

 言って桜は初めて顔を上げて、定まらぬ視線をそのままに、右手を僅かに上に向けて差し出した。

「なっ……それは」

 桜の右手の甲に描かれた三画の証明。春風に舞う桜花を思わせる呪印。それは紛うことなき令呪だった。

「馬鹿なっ……! 間桐のマスターは俺だ! 何で桜ちゃんに……っ、臓硯────」

 ぎちりと奥歯を噛み砕きながら、雁夜は憤怒の視線を臓硯に向ける。

 間桐臓硯は恐らく、初めからこれを狙っていたのだ。十年の遅延と雁夜の出戻り。そして桜の才を間桐に染め替える必要がなくなったこと。

 臓硯にとって桜は雁夜を釣る餌であると同時に期待に値する戦力の一つとして計算に入れている。本来ならば一陣営に一つしか宿らない筈の令呪を臓硯しか与り知らない外法を用いて桜に宿させたのだ。

「雁夜に桜。此度の戦では間桐からの参戦者はお主ら二人共よ。せいぜい気張り、儂に聖杯を齎すがいい」

 全てはこの悪鬼の掌の上。どれだけ足掻こうともそれすらも思惑の内。雁夜程度では出し抜けない老獪だ。

 くつくつと嗤う臓硯を前に、雁夜は歯噛みするしかなかった。



+++


 悪鬼臓硯の哄笑を背に、二人は客間を辞した。室内同様に薄暗い廊下を、どちらともが無言のままに歩いていく。
 最早蟲蔵に用はない。無間地獄で過酷にのたうち回る期間は既に終わっている。むしろ雁夜は既にあの場所に蠢く蟲共の大半を制御出来るまでに至っている。

 桜はと言えば、まるで幽鬼のような足取りでありながら、機械じみた正確さで自室へと歩を進めている。彼女に個人の意思と自由はない。臓硯の命がなくば一日中自室に閉じ篭っている事も有り得るほどだ。

 辛うじて許されていた通学も、開幕を間近に控えた現在は欠席している。何度か学校での生活について尋ねてみた雁夜だったが、芳しい答えは返ってこなかった。この暗い影を背負った少女にとって、間桐の屋敷も学校も変わらず救いなどないようだった。

「…………」

 彼女がこうなってしまった原因は己にあるのだと雁夜は思う。あの煉獄で喘ぎを上げている間、臓硯が桜に施した仕打ちは想像しか出来ない。けれど彼女の心は今なお暗く閉じてしまっている。
 もっと構ってあげられていたら。もっと傍にいてあげられていたら。彼女にこんな顔をさせずに済んだのでないのか、と。

 甘い言葉を囁く事も、希望を謳う事も出来はしない。淡い願望は目の前にある絶望に霞んでしまうから。それでも傍にいてあげられていたら、こんな曇った彼女の顔を見ずに済んだのではないかと思ってしまう。

 でもそれも終わり。これより臨む闘争の先には、明確な光が差す。願い持つ他の連中を駆逐し聖杯の頂に辿り着けば、この奈落とも決別を果たす事が出来る。

 その為に力を身につけた。地獄の釜で身を焼かれ続けたのだ。だから今こそ、救いの言葉を口にしよう。

「桜ちゃん」

 数歩先を歩く桜へと掛かる声。階段へと足を伸ばした彼女は、その制止の言葉に歩みを止め、くるりと振り向いた。
 その顔に宿るは陰鬱な色。長い前髪が表情を覆い隠しても、全身より滲み出る負の気配は隠しようがない。まるで咎のばれた稚児のように、身を竦め視線を下げている。

「はは……悲しいな。俺は桜ちゃんにそんなに怖がられてるとは、思ってなかったよ」

 びくりと身を震わせる桜。その様は完全な怯えを表している。まるで、臓硯を前にしたかのように。

「あの爺に何を吹き込まれたのか知らないが、そんなに怯えなくていい。俺は君に何かをするつもりはないし、以前のように接してくれると嬉しいな」

 蟲蔵に突き落とされたその日。雁夜が身代わりを決意したあの日。地獄の底で既に諦観しかけていた彼女をこの手で抱き上げた事を覚えている。
 もう大丈夫、と優しく声を掛け抱き締めた途端、溢れたのは大粒の涙。訳も分からぬままに間桐の家に連れて来られ、落とされた奈落で蟲共に嬲られるままだった彼女にとって、それは救いであっただろう。

 しかしその後が良くなかった。救うだけ救い、後は身代わりとして自身が地獄の責め苦を味わっただけ。救われた桜は今一度臓硯に絡め取られ、絶望で身を固めようとした少女に与えた一筋の希望は、悪鬼に付け込まれる隙となった。

 一度希望を望んだ後に訪れる絶望ほど過酷なものもない。希望があると縋り付いてしまった己を後悔し、より深く絶望に身を閉じる結果となってしまった。

 あの老獪に吹き込まれたのもあるだろうが、今の桜にとってみれば雁夜も臓硯と変わらない存在に見えている事だろう。間桐の正当な後継者を前に、臓硯の手足とも言える存在を前に、以前のように振舞えという方が酷というものだ。

 だから桜は動けないし顔も上げない。口を開くなど以ての外。ただ目の前の誰かが自分に対する興味を失くして立ち去ってくれる事を願うのみ。生きていく上での希望なんて、彼女にはもう何一つ残っていないのだから。

「…………ッ」

 唇を引き結び、手を震わせてスカートを握り締める少女の姿をこれ以上は見ていられないと、雁夜はその手を差し出した。
 いつかのように優しく、包み込むように。恐怖に震える少女が、少しでも心開いてくれるようにと。全てを拒絶した少女を、強く抱き締めた。

「……ごめん、桜ちゃん」

 桜はされるがままに抱き締められ、両の手はだらりと下がったまま動かない。そこに抵抗はなく、もしここで雁夜が情欲に駆られて手を出そうとも、彼女はされるがままに全てを受け入れただろう。
 そう教育を施され、身に刻まれた恐怖はトラウマとなって身体を縛る。抵抗の後に待つのは、より酷い仕打ちだと知っているから。

 しかし雁夜は絶望の鎧で身を覆った少女を優しく抱き締めるだけで。桜はそこでふと、視線を上げた。自らの頬を滑る、雫に気付いて。

「……雁夜、おじさん?」

 その名を呼ばれ、雁夜はより強く少女を抱き締める。ありがとう、と己の名を覚えていてくれた感謝を込めて。そしてごめん、と君をそんなにしてしまった己を悔いて。

「なんで、泣いてるの……?」

 雁夜は想いを言葉にはせず、ただただ涙を流し続けた。この十年で雁夜自身が変わったように、彼女もまた変わってしまった。母や姉と共に太陽のような微笑みを浮かべていた彼女はもういない。ただ全てを諦めてしまった少女があるだけだ。

 口先だけでの救いでは、きっと今の彼女には届かない。聖杯を手に入れて君を必ず救ってみせると言ったところで、きっとその心には響かない。
 それほどに少女の絶望は強固で、その闇が皮肉にも彼女を支えている。木偶のような形であっても、死という名の逃げ道にだけは足を向けずにいてくれるから。

 そっと身体を離す。眦に浮かんだ涙をはにかみながらに拭った。

「ごめんよ桜ちゃん。はは……年を取るとどうも涙脆くなっていけないな」

「…………」

 見上げてくる瞳は相変わらずの無色。そこに感情の色はなく、先ほどの疑問の色もまた既に風化してしまっている。ただほんの少し、震えが収まっているように感じて。それだけが雁夜にとって救いだった。

 流した涙を拭い、呼吸を整える。伝えたかった想いの全てを飲み込んで、雁夜は毅然として言った。

「桜ちゃん、君は部屋に戻っていてくれ。俺は少し、用事が出来たから」

 それに頷きを返し、桜は自室へと戻っていった。桜は間桐に対して従順だ。臓硯ほど酷な命令をするつもりはないが、こちらの頼みに素直に従ってくれるのは助かる。

 これより臨むのは熾烈なる戦いの宴。幾ら十年の研鑽を積んだとはいえ、長いモラトリアムを与えられたのは何も雁夜だけではないのだ。
 充分に戦えるだけの力を身につけた自負はあるし、身を苛んだ苦痛の数だけ強くなったと誇る事さえも出来る。

 この力は誰かを害す為のものじゃない。あの子を……今なお水底に沈んだままの少女を再び陽の当たる場所へと連れ出す為の力。その為ならば、憤怒も憎悪もありとあらゆる全てを力に変えて、ひたすらに疾走するのみ。

「だがまだ……足りない」

 桜の助力はきっと必要になる。己だけの力で他の連中全てを打倒出来ると思い上がっちゃいない。臓硯に踊らされるのは癪だが、彼女の力は有用だ。それでも力を借りるだけだ。矢面に立つべきはこの間桐雁夜だ。

 ……力が要る。全てを圧倒する、暴力が。

 彼女を守る為。
 あの子のいるべき場所へと連れて行く為に。
 こんな暗がりじゃなくて、陽の当たる道を歩いて欲しいと願うから。

 雁夜は一つの決意を胸に秘め、踵を返した。
 行く先は悪鬼待つ魔窟。
 聖杯戦争の始まりを知り、システムの一端を担った男の下へと。

 もう振り返る事さえ叶わぬ道を、歩んでいくと決めたから。


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