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No.36131の一覧
[0] 【完結】第四次聖杯戦争が十年ずれ込んだら 8/3 完結[朔夜](2013/08/03 01:00)
[8] scene.01 - 1 月下にて[朔夜](2013/01/10 20:28)
[9] scene.01 - 2 間桐家の事情[朔夜](2013/01/10 20:29)
[10] scene.01 - 3 正義の味方とその味方[朔夜](2013/01/10 20:29)
[11] scene.02 開戦[朔夜](2013/01/02 19:33)
[12] scene.03 夜の太陽[朔夜](2013/01/02 19:34)
[13] scene.04 巡る思惑[朔夜](2013/04/23 01:54)
[14] scene.05 魔術師殺しのやり方[朔夜](2013/01/10 20:58)
[15] scene.06 十年遅れの第四次聖杯戦争[朔夜](2013/03/08 19:51)
[16] scene.07 動き出した歯車[朔夜](2013/04/23 01:55)
[17] scene.08 魔女の森[朔夜](2013/03/08 19:53)
[18] scene.09 同盟[朔夜](2013/04/16 19:46)
[19] scene.10 Versus[朔夜](2013/03/08 19:38)
[20] scene.11 night knight nightmare[朔夜](2013/05/11 23:58)
[21] scene.12 天と地のズヴェズダ[朔夜](2013/06/02 02:12)
[22] scene.13 遠い背中[朔夜](2013/05/16 00:32)
[23] scene.14 聖杯の眼前にて、汝を待つ[朔夜](2013/05/28 01:03)
[24] scene.15 Last Count[朔夜](2013/06/02 20:46)
[25] scene.16 姉妹の行方[朔夜](2013/07/24 10:22)
[26] scene.17 誰が為に[朔夜](2013/07/04 20:19)
[27] scene.18 想いの果て[朔夜](2013/08/03 00:51)
[28] scene.19 カムランの丘[朔夜](2013/08/03 20:34)
[29] scene.20 Epilogue[朔夜](2013/08/03 20:41)
[30] scene.21 Answer[朔夜](2013/08/03 00:59)
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[36131] scene.13 遠い背中
Name: 朔夜◆4a471bd7 ID:42607152 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/05/16 00:32
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 夜に燃え盛る紅蓮の炎。
 闇を飛翔する黒き甲虫。

 遠坂時臣と間桐雁夜の戦場となった空間は、他者の入り込むの余地のない死地へと変貌していた。

 地を走る炎の波は足の踏み場を失くすほど燃え広がり、水気の防御膜でその身を覆った数百、数千の蟲の群れは、森に現界した炎の海を渡り、敵手たる時臣の首を刈り取らんと鋭利な牙を逆向ける。

 炎に対する適性を獲得した雁夜の蟲を炎術で焼き尽くすのは至難を極めた。雁夜の十年の集大成として結実した対時臣用の甲虫。鋼鉄の弾丸をすら容易く溶かし尽くす炎をすら、その蟲は意に介さず戦場を蹂躙する。

「チィ……!」

 よって時臣は、自身の資質から外れた魔術を以って蟲の迎撃を余儀なくされた。炎に対する適性を強化しすぎた弊害か、蟲は他の属性に対しては酷く脆い。
 時臣は掴み取ったエメラルドを、自身の魔術適性による炎として行使せず、鉱石の特性を利用し大気をすら切り裂く風の刃として振るい、襲い来た蟲の一団を殲滅した。

 その宝石の使い方は時臣に負担を強いる。娘の凛のような五代属性持ちならば宝石の力を損なう事なく最大限の行使が可能であるが、時臣のような単一属性しか持たない者が他の属性を操ろうというのなら、攻撃の選択肢は狭まり、消耗は倍加する。

 自らの腕に、これまで積み上げた研鑽に対する自負に揺るぎはない。だが、このまま消耗戦を強いられれば、敵に対する明確な策を用意していた雁夜に軍配が上がるのはそう遠くない未来にある結末だ。

「……正直なところ、驚きを隠せないな雁夜。たとえ十年の研鑽があろうとも、それよりも長く魔道を歩んで来た私に、こうまで匹敵出来るとはね」

 雁夜の周囲に滞空する未だ数百を下らない蟲の大群。蟲が炎に対する適性を有していようとも、雁夜自身はあくまでただの魔術師だ。地に走る炎に阻まれ、時臣に近付く事は叶わない。

 それゆえに両者は距離を保ったまま、戦闘が始まってからこれまで遠距離での攻防を繰り広げてきた。互いに決め手を欠いたまま、されど消耗の度合いで言えば、炎以外の属性を宿す宝石が確実に目減りしている時臣の方が大きいか。

「戦闘における汎用性を捨て、ただ私に対してのみ特化した蟲の精製と行使……ああ、その執念だけは認めよう。そんなにも君は、私が憎かったか」

「……当然だろう。俺の十年は、貴様を屈服させる為にあったも同然だからな」

「分からないな……なぜそうまで私を敵視する。そんなにも桜を間桐に送った事が気に食わないのか?」

「何度も言わせるなッ! あんな地獄の先に、彼女の望む幸福など有り得ない……! そんな地獄へと突き落とした貴様は、断罪されて当然だろうがッ!」

 魔術師として娘の才能の開花、それに伴う栄華ある人生を慮るのは、親としての当然の務めであると時臣は考えている。ただ生きているだけの、呼吸を刻んでいるだけの人生に一体どれほどの価値がある。

 だから時臣には雁夜の言葉が分からない。

「では君は私にどうすれば良かったというのかな。桜の才能を潰し、希少な魔術回路を徹底的に破壊し、ただ家族として接していれば良かったと? 魔道に生きる遠坂にあって、唯一人普通の人間として生かすべきだったとでも?」

「……少なくとも、桜ちゃんはそれを望んでいた筈だ。父と、母と……姉と。生まれた家で家族と共に暮らす事──そんな当たり前をあの娘は望み、願っていた筈だ」

 人としての幸福。当たり前に人が持ち得るもの。温かな陽だまりの中で、生きていければそれで良かった。
 魔道なんてものを継ぎたいと思っていないし、欲しいとも思っていなかった。桜が心から求めていたものは、そんな当たり前で──それを、父が奪い去ったのだ。

「それは家畜の生だよ、雁夜」

 娘の求めた当たり前の幸福を、父は一言で切って捨てた。

「ただ生きているだけの人間に価値などない。誰かに生かされているだけの人間に意味などない。
 安寧の中で肥えた豚のように生きて、一体何の意味と価値がある。与えられる幸福を貪る家畜を人間の生とは私は認めない」

 人生とは、苦難を積み上げその先にある栄光を目指すもの。始まりから全てを諦め放棄した生など、人が歩む道ではない。ただ生まれ、ただ生きて、ただ誰かから与えられるものだけで動いている人間を、本当に生きているとは言える筈がない。

「欲しいものがあるのなら、手にする為の努力をすれば良い。人は生まれを選べないが、生き方は選べるのだから。
 私は桜の未来を想い、道を提示した。それが不服であったのなら、自らの力で望むものを掴み取るべきだった」

 一拍を置き、時臣は続ける。

「今もって桜が間桐に居るのはあの娘がそう選択した結果だ。選ばない、というのも一つの選択。今を変える努力をしなかった桜に、どんな願いを心に想ったところで、現実にする事は叶わない」

 今よりも悪化する未来を恐れ、足を踏み出さなかった者に、微笑む女神など何処にもいない。栄冠が輝くのは、いつの世も足掻き続けた者の頭上だけだ。

「それは力ある者の結論だ。おまえには、足掻く事さえ許されない地獄がある事も、手を伸ばしてさえ掴めないものがある事を知らない」

「知っているとも。私とてただの凡夫。どれだけ足掻こうと、血反吐を吐くほどの研鑽を積もうと、届かない頂がある事を知っている。高みに指を掛けようとし、死ぬよりも悲惨な地獄を何度となく味わった。
 それでも私は諦めなかった。自身で叶わぬものであるのなら、我が子にその道を継いで欲しいと願い、形にした」

 凛の才能と力量は二十を前にして時臣を凌駕している。その為、時臣は遠坂の秘門たる魔術刻印を既に譲渡し、名目上の当主の座に甘んじている。道は何も一つではない。見方を変えれば幾らでも先は広がっている。

 そんな未来から目を逸らし、過去にナスタルジックな想いを抱き続ける者の想いなど、汲んでやる謂れなど何処にあるものか。

「家畜の安寧……ああ、結構だとも。だが我が遠坂の血を継いだ者に、そんな怠惰は許されない。欲しいものがあるのなら、必死に手を伸ばせ。自由を掴み取る為に、飢えた狼のように足掻き続けるべきだ」

 遠坂の家訓たる常に余裕を持って優雅たれ、という教えも、あくまで人の目のあるところでの話だ。その裏で流された血と涙を誰にも悟らせず、苦痛と悲鳴を押し殺して、威風を纏い生きるもの。

 それが遠坂の人間のあるべき姿。六代に渡り受け継がれてきた、彼らの魂だ。

「…………」

 雁夜は反論すべき言葉を口に出来ず、沈黙した。

 時臣の言葉は裏を返せば、桜が心から遠坂に帰りたかったのであれば、その為の努力を尽くすべきだったと言っている。奈落の底でただじっと身体を打つ鞭に耐えるのでなく、その地獄から這い上がるべきだったと。

 そうして桜が再び遠坂の門戸を叩くのであれば、その想いが真実時臣の眼鏡に適うものであったのならば、彼女が望んだ幸福を、失った筈の陽だまりを手にする事も出来たかもしれないのだと。

 それは、時臣なりの優しさなのかもしれない。千尋の谷から我が子を突き落とすも同然の所業だが、谷を這い上がる気概をすら見せぬ者を一顧だにしない冷酷さはあれど、谷を這い上がってきた者を蹴落とすほどこの男は狂ってはいない。

 桜は前者。谷の底で、じっと助けが来るのを待つばかりだった獅子。自らが持つ爪を、岩壁にすら突き立てなかったからこその今なのだと。

 ただ、それでも。

「やっぱり俺には、おまえが理解出来ないよ時臣。子を持たない俺に、親の心は分からないが、おまえのそれが正しいとは思えない。
 悲しみに暮れる娘を前にしてなお揺るがぬおまえが、絶望に沈む我が子の現状を知ってなお見過ごす貴様は──どうしようもなく魔術師だ」

 間桐雁夜が心底から嫌うもの。父であり祖父でもある、間桐臓硯と同じ生き物。腐臭を放ち世界の裏側を生きる、この世で最もおぞましい生き物。

「甚だ不本意だが今は君もその魔術師だろうに。私に抗する為、桜の現状を変える為に、君は一度は逃げ出した魔道と向き合ったのだろう?」

「間違えるな時臣。俺は確かに魔道を背負うと覚悟したが────俺はただの人間だ」

 少女の涙を救う為。今一度陽だまりへと連れ戻す為。あの頃──母と姉に囲まれて、無邪気に笑っていたあの頃の彼女に、もう一度あの笑顔を見せて欲しいから。

「俺をおまえらみたいな薄汚い魔術師と一緒にしないでくれ。俺が心に誓った約束を、おまえ達の欲望と同列に語ってくれるなッ……!」

 沸き立つ甲虫。空を走る黒の一団。煌く炎の海を渡り、ステッキを構えた時臣の首を目掛けて襲い掛かる。

「我らの宿願……聖杯による根源への到達。それを薄汚いと、浅ましいと罵るのであれば──」

 荒れ狂う風の刃が蟲を蹂躙する。吹き荒ぶ風は地を走る炎の勢いを増し、陽炎と夜を染める。

「──命を賭けろ。ただ人の身で魔術師の闘争に挑むのであれば、命くらい賭けずに勝利を掴む事など不可能だ」

「貴様に言われるまでもなく、俺は十年前からこの命を賭しているッ──!」

 この命はただ、あの子の為に。

 その想いが何処から湧き出たものかなどと、振り返る暇もなく、ただずっと走り続けてきた。身を苛む苦痛に耐え続けてきた。
 全てはこの戦いに勝利する為。あの子の笑顔を取り戻す為。自らの命を擲って、間桐雁夜は聖杯の頂へとその手を伸ばす────

「…………が、ぁっ!?」

 不意に、水気を纏う甲虫を操作していた雁夜の顔が苦痛に歪む。

 それは常軌を逸した量の魔力が一度に吸い上げられた為に起こる激痛。人の生命力、原動力とも呼べる魔力を、何かが根こそぎ奪い取って行った。

「ッ──、バーサー、カー……」

 その消費量は狂える獣が王の為、真なる宝具を抜いた証。雁夜が己だけで賄い続ける魔力消費が、底を尽きかねない程の速度で奪われていく。

 雁夜は臓硯の提案を蹴っている。桜に負担を強いる事も、赤の他人を食い物にする事も嫌い、その背に全てを背負うと覚悟した。
 だって彼は人間だから。救うべき誰かに重荷を預ける事も、見知らぬ誰かを犠牲にする事も、人間である雁夜には許せない。そしてそんな事をして得た結果では、彼女が笑ってくれないと信じているから。

 とはいえ、その消費量は雁夜の想像を超えていた。今すぐ底を尽く事はなくとも、これではまともな戦闘など望むべくもない。
 バーサーカーが消えては意味がない。雁夜が死んでも意味がない。ならばやるべき事は唯一つ。

「そんなにも魔力が欲しいのならくれてやるさ……バーサーカー! この身に宿る令呪を一つ、おまえにくれてやる!」

 雁夜の右腕に灯る赤い光。三画ある令呪の一画が昇華され夜の闇に消えていく。令呪とはサーヴァントを縛る鎖であり、同時に強化をも為し得るブースター。
 雁夜はその小さな奇跡を純粋な魔力へと変換し、バーサーカーが消費する魔力を令呪の消費で賄ったのだ。

 たった三度しか使えない切り札。雁夜が最後までバーサーカーを御し切る為の鎖。その一画の消費を以って、戦闘の続行を可能とする程度の残存魔力量を確保した。

 ただ、今まさに彼がいるのはその戦闘の最中。こちらの立て直しを待ってくれるほど相手はお人好しではない。一時的に制御を失った蟲は時臣の繰る風の刃に微塵に裂かれ、雁夜が苦痛に顔をゆがめていた間に、次なる行動へと移っている。

「Intensive Einascherung(我が敵の火葬は苛烈なるべし)──」

 静かな声で謳われた呪文。これまで宝石で雁夜の繰り出す蟲を迎撃していた時臣が、手にしたステッキを振るい呼び起こす地獄の業火。
 紅蓮の腕は夜に逆巻き、その規模を大きくしていく。空へと向かって伸びた炎の腕は、一転地上への落下を開始し、雁夜をその顎門で飲み込まんと殺到する──

 その、直前。

「────っ、ぁ……」

 時臣の胸を背後から貫く銀の衝撃。意識の大半をこの戦場に傾けていた時臣の隙を衝いた狙撃。
 制御を失った炎が空中で四散し炎の雨となって降り注ぐ。それを雁夜は水気の鎧を持つ蟲を盾のように展開し防ぎ、目の前で起こった異常をより深く思考した。

 森の奥──見通せない闇と霧に覆われた遥か彼方。強化した視力で以ってしても捉え切れない程の距離の向こう。僅かに見えたのは鈍色の光。闇に浮かぶ黒鉄の銃口と、そこから立ち昇る白煙。

 そして梢に潜み、銃把を握る男の姿。

「衛宮、きりつぐ……」

 時臣が喉奥からせり上がった血が零れる事も厭わず、視線を傾けた先。姿を目視したわけではない。だが、こんな手段を講じる輩は奴をおいて他にいない。その確信が、時臣にその名を吐き出させた。



+++


「キャスターに、ランサーを奪われた?」

 アーチャーが語った彼がいた戦場での結末。魔女の短刀は背後から槍兵を刺し、その契約を破戒し新たにキャスターをマスターとして再構築された。

 とはいえ、そんな事態は流石の凛も想定していなかった。はぐれサーヴァントとマスターが契約するくらいはあるかもしれないと思っていたが、よもやサーヴァントがサーヴァントの契約を破り従えるなどと。

 だから凛がアーチャーの言葉をすぐさま理解出来なかった事に彼女の落ち度はない。足元でその頭蓋を踏みつける、かつて妹だった少女へと意識を傾けていた事もあり、直後に起こった異変に対応する事が出来なかったのはむしろ当然の帰結だった。

 金切り声のように響く破壊の音。森を揺るがす程の衝撃。遥か闇の奥より、超高速で迫る光の塊。並み居る木々を薙ぎ倒し、木っ端に変えながら、ソレは一秒の後に凛達のいる広場へと到達した。

「……凛ッ!」

 アーチャーが駆け出し手を伸ばす。瞬時に手の中に組み上げられたのは長柄の槍。刃先の根元を手で掴むように具現化し、直後、全力で以ってその槍は、柄を先端として凛へと向けて放たれた。

「…………っ!?」

 脳内に湧いた疑問と、足元の妹。そして僅かに目の端に映った光とアーチャーの奇行。その全てを一瞬にして同時に処理するのは凛をして困難を極め、結果、凛はアーチャーの繰り出した槍をその腹に受け吹き飛ばされ、直後、森を蹂躙した光の塊は、凛のいた場所をその暴威を以って蹂躙した。

「…………くっ、」

 木の幹へと強かに打ちつけられた凛。体内で作用させていた宝石の効果もあり、身体に大きな損傷こそないが、背を打った衝撃には顔を顰めざるを得なかった。
 凛の視界に映るのは巻き上がる粉塵と大地を抉り取った何かの跡。巨大な球体が地に接したまま長く引き摺られたような跡が、森の奥からこの広場まで伸びていた。

 ほどなくアーチャーが凛の下へと駆けつける。その手には双剣。木の根元に腰を下ろしたままの凛を庇い立つように、紅の従者は粉塵の向こうを見据えている。

 やがて晴れていく粉塵の向こうに、その正体を見る。白い翼を持つ一頭の馬。既にこの世界より姿を消した筈の幻想種。神話に語り継がれ、今なおその姿を数々の書物の中に残すその存在は────

「……天馬(ペガサス)」

 御伽の中の存在。天翔ける有翼馬。その背に手綱を握るライダーと、間桐桜を乗せて、天馬はその翼を夜に羽ばたかせる。

「…………」

 一瞬の沈黙。眼帯の奥に灯る瞳は何も語らず、ライダーは天馬の背を撫で、応えた天馬は踵を返すように夜の向こうへと消えていった。

 戦場に戻る静寂。斃すべき敵は戦場より姿を消した。凛に落ち度はない。落ち度があるとすれば、凛が刺そうとしたとどめを妨害したアーチャーにあるだろう。

 あの場で桜を亡き者にしていれば、最後の力を振り絞ったライダーとの戦いは避けられないものだったと思われるが、それでも一人のマスターを脱落に追い込む好機を逃したのは事実。凛の内心たるやどんな感情が渦巻いているか、分かったものではない。

「……言い訳はしない。叱責があるのなら後で聞こう。今はこの森を脱出すべきだ」

 戦いは既に佳境。戦力バランスも崩れている。このまま戦い続けてもじり貧になるのは目に見えている。キャスター討伐の目的を果たせなかったのは覆しようもない敗北だが、収穫がゼロだったわけではない。今は一旦退き、体勢を整えるべき時。

「……ええ、そうね。お父さまと合流を。それと──」

 立ち上がった凛が、森の奥へと視線を向ける。背にしたアーチャーにその視線を向けぬまま、

「助けてくれてありがと。ほら、急ぐわよ」

「…………」

 森の奥へと走り去っていくマスターの姿。その背を見つめ、アーチャーは呟く。

「凛……本当の君は、どちらなんだ」

 魔女の冷徹な仮面の隙間から、時々顔を覗かせるアーチャーの知る凛の表情と言葉。魔術師として完成した彼女は未だ、その心にかつての面影を残しているのか。それとも、それすらアーチャーを体良く利用する為の冷酷な判断なのか。

 アーチャーには凛の心が分からない。どちらが彼女にとっての仮面なのか、明確な判断が下せずにいる。

「……今は」

 そう、今は。この森を生きて脱出する事を優先する。死んでしまっては何も残らない。何をも為せぬまま、斃れる事を良しとは出来ないのだから。



+++


 森の遥か上空。地上よりも雲に近い高さで、その背に乗る二人を労わるように穏やかに天馬は滞空する。

「らい、だー……」

 決して広くはない天馬の背に横たえられた桜が、弱々しくその手を伸ばす。何をも掴めなかったその掌を、確かにライダーは掴み握る。

「申し訳ありません……サクラ。貴女を救うには、ああする他になかった」

 天馬の高速突進は、その風圧で桜の身を斬り裂いた。無論出来る限りの減速を行い、被害を最小限に留めるようライダーも配慮したが、桜の身体には明確なダメージとなって刻まれている。

 ライダーには一刻の猶予もなかった。凛の殺害の意思は本物で、それゆえに鳴り響いたシグナル。
 悠長に地を足で駆ける暇も、釘剣で敵の気を逸らす暇も、有り得なかった。己の持つ最高速を用いての奇襲。それ以外に、確実に桜を助ける方法を、ライダーは捻り出せなかったのだ。

「ううん……いい、よ。ありがとう、ライダー。私を、助けてくれて……」

 弱々しく、けれど優しげに桜は微笑む。桜もライダーの接近に気付き、直前に防護の盾を敷いていた。天馬の突撃に耐え得る程の強度など望むべくもなかったが、緩衝材程度の役割は果たしてくれた。

 身を襲った明確な死の恐怖。奈落の底でさえ感じた事のなかった、本物の殺意。それを桜に向けたのが実の姉であった事に、今更になって怖気が走る。
 自分の覚悟など甘っちょろいものだった。復讐だの殺すだの口にしながら、何処かでまだ救いの手が差し伸べられるんじゃないかと期待していた。

 幼かった日々の記憶。姉との約束。父の背中。母の微笑み。

 それが全部嘘だったのでないかと思うほどに、あの姉は怖かった。本当に、何かが間違っていれば、あの場で殺されていた。

 救いなんて何処にもないと知っていた。この十年で、嫌というほど思い知っていた筈なのに。

「…………っ」

 まだ何処かで期待していた己が愚かだった。絶望の底で見上げた、一筋の希望に夢を見ていた。
 伸ばした腕は何も掴めないどころか、逆にその手を払われた。希望の糸に縋った結果、待っていたのはより昏い絶望だった。

 父にも姉にも間桐桜は見捨てられた。落胆と殺意を以って、淡い期待は踏み躙られた。弱かった自分を今更後悔したところでもう遅い。嘆き悲しんだところで此処より底はないのだから。

 だったら────

 喉から零れそうになる嗚咽。眦を滑る雫。胸の奥底からせり上がる想いに、蓋をするように心の扉を閉ざして。

「ライダー、雁夜おじさんのところへ、お願い」

 軋む身体を起こし、ライダーの背に掴まる。

「サクラ……?」

 眼帯の奥の瞳を己の背にいるマスターへと向けるライダー。彼女がその目に見たものは。


/29


 穿たれた穴より零れ落ちていく血液。閉じる事のない空洞。衛宮切嗣の狙撃は、過たず遠坂時臣の心臓を撃ち貫いた。

「とき、おみ……?」

 斃すべき敵から流れていく命の証。口元を伝う赤色。苦悶に歪んだその表情が、何よりも雄弁に死の到来を告げている。

 雁夜にも、その光景が瞬時には理解出来なかった。だってそうだろう、雁夜の十年の研鑽はこの男を打倒する為のものだ。桜を救う為に、蟲蔵の底で血の涙を流し耐え抜いて手に入れたものだ。

 この身に刻んだ魔の薫陶で、時臣を斃す為だけに高みを目指し、組み上げ精練した我流の秘術で、娘を地獄の底へと追いやった悪鬼を地に這い蹲らせるのは、この──間桐雁夜の筈だったのに。

「がっ────……」

 装填された次弾。撃ち出された鋼の弾丸。夜の森の中、視界も悪く遮蔽物の覆いこの森の中ですら、魔術師殺しの照星に揺らぎはなく。撃ち出された二の弾丸は、時臣の脇腹に二つ目の風穴を開けた。

「あ、ああああああああああああああああああ……!!」

 雁夜の絶叫が木霊する。同時に、初撃で傾いでいた時臣の身体が、次撃を食らい地に倒れ伏す。生み出される血の泉。大地を炎よりも赤い色に染めていく。

 時臣の身体にはもう魔術刻印がない。術者を延命する為の補助機能は娘へと委譲されている。心臓を精確に撃ち抜かれては、流石の魔術刻印でもその延命は難しいと思われるが、それでも可能性のあった未来は、無残にも打ち砕かれた。

「衛宮……衛宮切嗣……!!」

 揺らめく炎と闇の向こう、微かに窺えたその姿も、既に掻き消えている。二発目の弾丸の着弾を以って、標的の死は確実だと判断した結果なのだろう。たとえ僅かな息を残していても、その絶命は不可避なものだと。

 斃すべき目的を見失い、雁夜は判断を迷った。姿を消したとはいえ、あの魔術師殺しが次の標的を己に定めないとも限らない。
 警戒を露に周囲を見渡す。燃え盛る炎と闇の向こうに広がる森。何処から銃弾が放たれても対応出来るだけの体勢を維持していた雁夜の前に、

「──────え?」

 森の中から姿を見せたのは、遠坂凛とアーチャーだった。

 時臣と雁夜の対峙していた広場の横合いから炎の走る戦場へと踏み込んだ少女の目にまず真っ先に映ったのは、伏臥した父の姿。臙脂のスーツを赤黒く染めた、状況説明を必要としない、明確な死の淵にいる父の姿だった。

「りん、ちゃん……これは────」

 自らに父親の殺害の疑いを掛けられると思ったのか、雁夜は言い訳じみた言葉を口にしかけたが、凛はそれを意に介さず、勢いを弱め始めた炎を避けて、父の元へと走っていく。

「────」

 間近で見下ろした父の背中。二つの風穴をその身に空けた、弱々しい父の姿。

 凛は何も言わない。父の身体を支えあげる事も、生死を確かめる事も、治癒を施す事もしなかった。だってそれが、既に助からない命だと理解してしまったから。

「…………り、ん」

「……お父さまっ!?」

 風に霞みそうなほど小さな声。うわ言のように時臣の口から零れ落ちた言葉を拾い、凛は初めてその膝を折って父の容態を確かめた。

「…………っ」

 その結果は己の判断が間違っていなかった確信を得ただけ。たとえ凛が最高位の治癒術を修めていたとしても、時臣の命は救えない。凛に出来る最期の救いは、その末期の祈りを聞き届けるだけだ。

 ……いや、まだ手はある。その命が枯れ落ちていないのなら、救えるかもしれない可能性が一つだけ、凛にはある。

「……まち、がえるな、凛……」

 父の言葉に凛の意識が引き戻される。成否の判定が確定的でないものに、切り札の一枚を消費する無様を父が諫める。
 たとえ時臣を救えたところでその戦力は大幅に低下し、復調する頃には戦いの結末を迎えているだろう。その為に遺した切り札を使わせる事は出来ない。そんなことに使う為に、あの宝石を託したのではないのだと。

 時臣が立ち上がる。凛を下がらせ、身体に大穴を空け、心臓を撃ち抜かれながら、所持していた宝石の幾つかを使い、ほんの僅かな時間だけの猶予を得る。
 立ち上がったといってもその足は震え、顔面は蒼白。当然だ、生身の人間ならば即死する傷を負い、死に至らなかった事が奇跡なら、今こうして動いている事すらも奇跡だ。

 たとえ魔術師であっても、宝石の援助を用いても、覆せぬ死に立ち向かうその姿は。彼がその胸に誓った、誇りある己を最期まで貫くという意地であった。

「……道を、拓く。凛……遠坂に、聖杯を──」

 身体を支えるステッキに残った魔力の全てを込める。遠坂時臣の生涯を掛けて魔力を貯蔵した極大のルビー。炎を扱う事だけに特化する事で、凡夫でありながら他の魔術師にも劣らぬ火力を手にした時臣の常在武装にして切り札。

 その輝きがかつてないほど高まり行き、

「Es flustert(声は祈りに)──Mein Nagel reist Hauser ab(私の指は大地を削る)」

 その魔力が炎となって爆発する寸前──虚空より響いた少女の声。
 闇に振動したその音は、暗闇を削り、刃と化し、最期の力を振り絞った時臣の身体を、四方から貫いた。

「──────」

 凛も、アーチャーも、雁夜でさえも、動く事の出来なかった刹那。影の刃にその身を裂かれた時臣が、僅かに視線を傾けたその先──星の天蓋を背に、白き天馬に跨った、かつての娘の姿。

 全身を痛々しい傷で覆われながら、その瞳は正しく時臣だけを見ていた。冷たい瞳。色のない視線。殺意も敵意も害意もない、ただ路傍の石ころを眺めるような、そんな眼差しを向ける間桐桜の姿を。

 そんな娘の姿をその網膜に焼き付け────今度こそ本当に、遠坂時臣は、その命脈を絶った。

 程なく、天馬が地に下りてくる。状況に頭の追いつかない雁夜の傍へと、天翔ける白馬は着地する。

「さくら、ちゃ──」

「乗ってください、雁夜、おじさん。この森から、出ましょう」

 痛々しい少女の声。身体の傷はまるで癒えていない。先の魔術行使も相まって、より微弱な生命力へと落ちている。ただ今の彼女を、ライダーと天馬という守護者がいる限り、誰も害す事など出来ない。

 優しげな声とは裏腹に、蟲めいた無機質な目を守るべき少女に向けられ、雁夜は頷く他になかった。どの道雁夜の目的は消えてしまった。遠坂時臣は、その命を散らしたのだ。ならばこの森に留まり続ける理由は既にない。

 天馬が羽ばたく。凛にもアーチャーにも、彼女らを止める事など出来ない。この場でのこれ以上の戦闘は、凛達も望むところではないからだ。

「桜────」

「────気安く呼ばないでくれますか、遠坂先輩」

 ようやく搾り出した凛の声に、桜は見下すような瞳と共に言った。

「それじゃあ、さようなら。また何処かで、会いましょう」

 そんな言葉だけを残し、桜達は去る。戦場に残ったのは、未だ燻り続ける炎と、赤い主従と、そして冷たくなっていく誰かの遺体。

「アーチャーッ!」

 森から響く、再三の第三者の声。遥か前方で戦いを繰り広げていた筈のガウェインとモードレッドが、此処でようやく彼女らに合流した。

「っ──これは……」

 ガウェインが目を剥き、倒れ伏した時臣を見る。モードレッドもまた、細めた瞳で一瞥した後、

「おい、悪いがオレは先に行く。どうせもう、まともな戦いなんて何処の陣営も出来ないだろう。アンタらも一旦退いた方がいいと思うぜ」

 モードレッドは返事を待たず森の奥へと消えていく。彼女もまた良くないものをその身で感じているのだろう。
 共同戦線を放棄するも同然の独断専行だが、アインツベルンと間桐もまた足並みを揃えているとは思えない。誰も全身鎧の少女の道行きを止める事はしなかった。

「時臣……」

 ガウェインがその膝を付き、主の前で瞳を閉じた。

 主君の窮地に馳せ参じる事が叶わぬばかりか、その死に目を看取ることすらも出来なかった。彼に託された想いをすら、果たせなかった己の不明を恥じ入るばかり。白騎士の背負いし太陽は、何を照らす事もなく地に堕ちた。

「ガウェイン、悪いけどどいてくれる?」

 感情の読めない表情を浮かべ、凛は退いたガウェインに代わり父の傍に立つ。その亡骸の横に転がっていたステッキを掴み、呪文と共に振り抜いた。

 瞬間、巻き起こる炎。時臣の亡骸を優しく包み、燃え上がらせる浄化の炎。このまま遺体を放置しておけば、キャスターに利用されないとも限らない。かと言って連れ帰るだけの意味もない。

 全ての継承を既に終えていた時臣の遺体に、価値はない。まさか自身の死を見越していたとは思えないが、それでも遠坂時臣は、一魔術師として果たすべき責務の全てを果たし、眠りについたのだ。

 魔術師に墓はいらない。ただ、その身を包む炎が、娘から父へと送る最期の手向けが、父にとって少しでも慰めになればいいと、鋼鉄の仮面を被った少女は想った。

「行くわよアーチャー、ガウェイン。キャスターやセイバーが襲ってこない保証はない。一刻も早く離脱しましょう」

 此処は戦場。父が死の間際に警戒し、活路を拓こうとしたのもそれを危惧したゆえ。どのような理由からか、アインツベルンの追撃はないが、空間を渡る術を持つキャスターならばいつ姿を見せてもおかしくはない。

 今はただ──この敗走に甘んじて、次の戦いへと備える。

「お父さまが死んでも、戦いはまだ終わらない……何一つ、終わってなんてないんだから」

 そう──これは始まり。

 一人の魔術師の死を契機に始まる、終焉へと至る序曲。
 坂道を転がるように加速していく、戦いの宴。

 二人の騎士をその背に従え、父の形見であるステッキを手に──遠坂凛は戦場に背を向けた。


/30


 遥か天空を翔ける有翼馬。その背に都合三人を乗せながら、形無き空を踏み締める蹄鉄の力強さは変わりなく。
 手綱を手にしたライダーの指示の元、誰の手も届かぬ空を行く。

「桜ちゃん……」

 防護膜でもあるのか、かなりのスピードで移動してなお身を襲う風は柔らかなもの。春に吹く微風とまでは行かないが、身も凍るほどの寒風に晒される事はない。

 そんな中呟いた雁夜の声は、当然桜の耳元へと届いている。

「雁夜おじさんは、大丈夫ですか……?」

「あ、ああ……俺に傷はそれほどないよ。それよりも、桜ちゃんの方が──」

 雁夜は服が煤け、幾らか破れているものの、身体へのダメージは然程ではない。魔力をバーサーカーに根こそぎ持って行かれたのは凶悪な痛みとなって全身を苛んでいるが、令呪の援護もあり今すぐ死ぬようなものではない。

 見た目だけならば、桜の方がよほど重症だ。凛との間にどんな戦いがあったのかは知らないが、全身に傷の付いていない箇所はなく、左腕の損傷が特に酷い。

 いや、今はそれよりも、あの事を問うべきなのだろうか。

 天馬に跨った桜が、空から放った魔術は死の寸前にあった父を貫いた。その後に雁夜が目にしたものは、これまで見た事もないほど、感情を希薄化させた桜の瞳。世界の全てを諦めたかのような、絶望の眼差しだった。

「…………」

 ただ、今の桜の瞳にそんな色は見られない。苦痛に顔を歪めているのも、ライダーの腰に手を回している姿も、雁夜の良く知る桜と変わらないものだった。

 だから雁夜は問えなかった。何があったのか、と。何を見て、桜はあんな目をするようになってしまったのか、と。

「あ、ライダー、待って。帰る前に、お爺さまを回収していかないと」

 ふと思い出したように桜は言った。桜にとって畏怖の対象であり象徴でもある祖父を、忘れ物をしたみたいな気軽さで。

「あんな爺、捨て置けば良いさ。どうせ殺したって死なないんだ、放って置いても勝手に帰って来る」

 この森にいる臓硯は恐らく、本物ではない。本体ではない、と言うべきか。五百年の時を生き、生に並々ならぬ執着を持つあの妖怪が、わざわざ戦いの最前線へと何の準備もなく赴く筈がない。

 良いところで影武者のようなものか、いずれにせよ本体は命の危険のないところでのうのうと蠢いているに違いない。
 その本体の居場所を今以って知り得ないからこそ、サーヴァントを従えて圧倒的力量差を獲得してなお、雁夜達は臓硯に従い続けている。

「そんな事言っちゃ、ダメですよ。それにお爺さまにも、お爺さまの目的があったみたいだから」

 ────それを、確かめておかないと。

「…………ッ!?」

 それを口にした瞬間の桜の顔から、得体の知れない恐怖を感じて雁夜は目を見開いた。特に何か重要な言葉を口にしたわけでもない。それなのに、身の毛もよだつ寒気を感じてしまった。

 ……何かがおかしい。なのに、何がおかしいのか分からない。

 異常がない事が異常……そんな矛盾が成立してしまいそうな程に、今の桜からは危うい感じがする。

 ともあれ、聞くべき事は聞いておかなければならない。今後の為にも、桜の為にも。

「桜ちゃんは……どうするんだい?」

「……え?」

「……時臣は死んだ。凛ちゃんは……きっと、君を温かくは迎えてくれない。君が帰りたいと望んだ居場所は、もう──」

 ──この世にはない。

 そう続けようとして、雁夜は唇を噛んだ。

 自分達が抱き続けてきた祈りなど、泡沫の夢に過ぎなかったのだと思い知った。この十年間は、間桐だけでなく遠坂にも致命的な何かを齎した。
 最早道が交わる事はないだろう。後に待っているのは、姉と妹の熾烈な戦い。皮肉にも時臣が望んだ展開だけだ。

「桜ちゃんが此処で降りるというのなら、俺は全力でそれを援護しよう。臓硯だって説き伏せて、君の無事を確保したいと思う」

 それは諦めるという事ではない。桜がこれ以上血の道を歩く必要はないのだ。
 桜を失う事による間桐陣営の戦力低下は著しくとも、バーサーカーの力があれば充分に勝ち抜ける。

 かつて程凶悪に魔力を吸い上げる事をしなくなったこの獣を御し切れれば、雁夜単独でも聖杯を掴むチャンスはある筈だ。

「降りませんよ。私はこの戦いを続けます」

 そんな雁夜の淡い期待を裏切るように、桜はそう口にした。

「私にも目的が出来ましたから。中途半端で終わらせるなんて事、出来ません。それに、ライダーもいてくれるしね」

 騎兵の腰に回した手をそのままに、こつんとその背に頭を預ける。確かな感触。エーテル体とは思えない、実際の人間と変わらない体温。
 間桐桜を守る盾であり、間桐桜の為の剣──それがこのライダーだ。

「私はサクラを守ります。どんな困難があろうと、絶対に」

「……うん。知ってる」

 それが彼女の誓い。
 揺ぎなき心の証。

 その誓いが何に起因するのかは雁夜には分からない。だが、その心だけは本物だと、疑いようもなく信じられる。

「……分かった、じゃあもう止めない。必ず聖杯を手に入れよう。そして、君を必ず救ってみせる」

 この暗闇から、せめて掬い上げたいと。かつて居た陽だまりに戻る事は叶わなくても、新しい居場所を作って上げたいと。
 遠坂時臣への復讐を半端なままに終わらせてしまったからこそ、この約束だけは違える事はしないと、雁夜はそう心に固く誓った。

 行く先に広がるは暗雲。
 鼻を衝く雨の匂い。

 天馬の羽ばたきは力強く。
 空へと響く嘶きと共に、彼女達は次なる戦いの舞台を目指す。



+++


 胸に渦巻いた悪い予感を振り払うように、モードレッドは森を疾走する。奥へと進むほどに霧は薄くなり、視界がより開けてくる。

 明確な位置は把握出来ない。霊的パスを通していないモードレッドでは、バゼットの位置を掴む事は出来ない。
 ただ先の凛達との合流も、彼女の直感に従って導いたもの。であれば、悪い予感のする方へと直走れば、いずれその原因ともぶつかるだろう。

「…………? あれは……」

 霞む木々の向こうに見える白い尖塔。アインツベルンの居城と思しきその影を、見る事の出来る距離まで迫ったモードレッドは、

「ッ……おい、バゼット!」

 胸を押さえ、苦しげに呻き、木の幹に身体を預けたバゼットの姿を見咎めた。

「……っ、モード、レッドですか……」

 スーツの胸の部分を赤黒く染め、隠し切れない痛みを覗かせるバゼット。城からそう離れていないこの場所で、一体何があったのかをモードレッドは問い質す。

 バゼットは痛みに耐えながら語る。キャスターのマスターであるイリヤスフィールを討つ事に失敗した事。間桐臓硯に彼女が攫われた事。そして自らの腕に刻まれた、令呪が唐突に消えた事を。

 治癒のルーンで表面上の傷は癒えていても、その内部はまだぼろぼろだ。令呪が消えた事で城を脱し、ランサーの姿を求めて森へと踏み入ったが、程なく限界を向かえこんなところで立ち往生していた。

「…………」

 モードレッドは無言のまま、ぐいとバゼットの腕を持ち上げる。確かにそこにあった筈の、剣の形を模した令呪が跡形もなく掻き消えている。
 ランサーはキャスターとライダーの前に敗れ去ったのか? それとも……。

「いや、今は一刻も早く森を出るぞ」

「っ、けど、ランサーが……!」

「そんな身体で一体何が出来る。たとえランサーが生きていたとしても、そんな様でアンタは一体何をするつもりだ」

 冷酷で、非情なる声。バゼットの嘆願を切って捨てる少女の諫言。立っているのもやっとな様で、パスを切られ、生きているかどうかも分からないランサーの姿を求めて森の中を彷徨い歩くなど正気の沙汰ではない。

 今はまず生き残る事。この森から無事脱出する事。生き永らえて、傷を癒し、全てはそれからだ。

「これだけ言っても無茶したいってんなら止めないぜ。無駄死にしたければ好きにすれば良い。生憎と、オレはそんな心中に付き合う気はないけどな」

「っ────……」

 バゼットも頭では分かっている。ただ、心が理性に従ってくれないのだ。ずっと憧れ続けてきた英雄の背中。絵本の世界で夢見ていたもの。
 叶わぬ筈の逢瀬の果て、こんな余りにも理不尽な別離を受け入れる事を心が拒んでいた。

「分かり、ました……今は、貴女に従います」

 そうする以外に選択肢はない。敵の陣地の中、死に体にも等しい己を守りランサーを探せと頼めるほど厚顔でもなければ、少女に義務もない。あくまでモードレッドはバゼットにとっての協力者。彼女の立ち位置はランサーとは違うのだ。

「歩けるか……? 無理そうなら手を貸そう」

「いいえ、不要です。僅かにですが休息は出来ましたから。これなら、走る程度は可能だ」

 言ってバゼットは森の奥、入り口へと向けて駆けて行く。その背を見つめ、少女は一人呟いた。

「情けないな大英雄。守るべき主君に槍を向けなかったのは上等だが、掛ける言葉もないとはな」

 視線を流した先。鬱蒼と生い茂る梢に身を潜めるように、青い槍兵の姿を見咎める。彼はアサシンほどではないが気配を殺していた。それを発見出来たのは、持ち前の勘の良さと嗅覚の賜物だ。

「……うるせえ。今更どのツラ下げてアイツに会えってんだ」

「ハッ──オレが知るか。で、どうするんだ。まさか隙を衝いてオレを殺そう、なんて算段をしていたのだとしたら、見下げ果ててるところだが」

「してねぇよ。何やら新しいマスターは忙しいようでな。こっちに気を回している余裕はないらしい」

「……なるほど。つまり今なら逃げやすいと」

 ランサーに下された命令はアーチャーの後を追え──ただそれだけだ。躍起になって追うつもりなど毛ほどもなく、アーチャーがいたらしい場所まで着いたところで強制力は目に見えて落ちた。

 その為、ある程度の自由を得たランサーは、こうして影ながらバゼットを見守っていたのだ。

「フン……まあいいさ。こっちはこっちで好きにやらせて貰う。安心しろよ、拠点に帰るまではバゼットの身の安全は保障してやるから」

「…………」

 ランサーは応えず、もう用はないとばかりに背を向ける。敵の軍門に下った己に、彼女の言葉に水を差す資格がないとでも言うかのように。

「最後に答えてくれランサー。アンタは、その魂までをも魔女に売り渡したのか」

 契約を破棄され、斃すべき敵の従者となった槍の騎士。その身を縛り付ける令呪の鎖は強力で、緩い命令だったからこそ今は自由に動けるが、目の前で魔女にバゼットを殺せと命じられれば、抗えるかどうかは分からない。

「この槍はオレの誇りだ。この誇りを穢されて、黙ってられる筈がねぇ」

 モードレッドの求めた答えからは幾分外れた言葉だけを残し、ランサーは去った。少女は一人、フルフェイスのヘルムの下で微かに口元を歪ませた。

「さて……いつまでも此処にいちゃバゼットにも怪しまれる」

 たん、と軽く地を蹴り、バゼットの向かった方角へと跳ぶ。その間際、振り返った先にはもう闇しか見えない。
 彼女がその最後に求めたのは、肩を並べた騎士の幻影か。あるいは、悲痛な願いをその胸に宿した、王の面影か。

 誰もその答えを知る事なく──背徳の騎士モードレッドは戦場を去って行った。



+++


「説明をして貰うわよ」

 時間は前後し、切嗣が時臣に二発の銃弾を撃ち込んだその少し後。森の中に沈み、行方を眩ませた衛宮切嗣の前に、空間に割り入るようにキャスターが姿を見せた。切嗣に驚きはない。この展開は想定していた。

「貴方は一体此処で何をしているの。貴方の役目はイリヤスフィールの守護だった筈でしょう……!」

 事前の打ち合わせでそう取り決めが為されていた。キャスターは自らの宝具を切嗣に明かし、いずれかのサーヴァントを奪い取る算段を事前に打ち合わせていた。
 その折、この森での一戦での切嗣の役目は、城を守るイリヤスフィールの警護であると決めた筈。侍従だけでは心許ないと、切嗣自身が買って出た事でもある。

 それが一体どうしてこんなところにいる。狙撃銃を携帯し、森に息を潜めて獲物を狩るのは彼の役目ではない。彼は敵を斃すのではなく、娘を守るべきだった筈なのに。

「…………」

 切嗣は答えない。その必要がないとでも言うかのように。

「間桐臓硯の裏切りも予測はしていた筈でしょう。おめおめと娘を攫われておきながら、一体────」

 そこではたと、魔女は気付く。キャスターの詰問にも揺るがず、イリヤスフィールを攫われたと知っても動じない、この男の心の在り方に。

「…………貴方は私を、騙していたの?」

 切嗣の顔に宿るのは色のない能面。感情の機微をまるで感じさせない、仮面のような空虚さだ。

 全てを知っていなければこんな顔は出来ない。全てを予見していなければ、ここまでの揺れのなさは有り得ない。

 つまり、切嗣にとって現状は予定調和。キャスターがランサーを奪い取った事も、時臣を亡き者にした事も──そして、イリヤスフィールが攫われた事も。全て、この男が最初から描いていた通りの絵図。

「……何を企んでいるのかは知らないけれど。こんな真似をして私達の間の共闘が今後も継続すると、思い上がってはいないでしょうね?」

 そして、その問いすらも切嗣の想定の範囲内ならば。

「マスターッ!」

 梢の奥から姿を見せる白銀の少女騎士。キャスターの戦場で巻き起こったと思われる爆発を機に森の奥へと戻り、その戦場へと立ち寄った後、こうしてセイバーは切嗣の下へと帰参した。

「一体これは、どういう……?」

 ただ、セイバーの目に映ったのは予想外の光景。フードの奥から剣呑な気配を撒き散らすキャスターと、それを何処吹く風といなし、煙草に火を灯す切嗣の姿だった。

「イリヤスフィールが攫われたわ。この男が、己の役目を放棄したお陰でね」

「なっ……!?」

 それは瞠目して余りあるもの。セイバーも聞き及んでいた事前の策の根底を覆す結末。何を思い衛宮切嗣がイリヤスフィールの傍を離れたのか、彼が何も語らない以上は答えが出ない。

「いいわ、問答は後にしてあげる。まだあの男は森の中にいる。今から追えば充分間に合う──」

「────追わなくて良い」

 キャスターの言葉を遮り、切嗣はようやく口を開いた。

「マスター……? 何を──」

「間桐臓硯は追わなくて良い。イリヤを助ける必要もない。あの男にイリヤは殺せないし、キャスターとの契約を切られる心配もない」

 令呪の創始者である間桐臓硯。彼の手に掛かれば並の令呪ならば簡単に剥がし移植する事も叶うかもしれない。ただ、イリヤスフィールだけは別だ。

 彼女の令呪は規格外の代物。全身の魔術回路と同化した、無理に剥がそうとすれば命さえ危ぶむもの。
 イリヤスフィールが聖杯の器だと知っている臓硯が、聖杯が壊れる可能性を考慮せずにイリヤスフィールの令呪に手を掛ける事はない。

 その仕掛けはどれだけ強大なサーヴァントでさえも御し切る為にユーブスタクハイトが仕組んだものであり、聖杯の成就を見るまでイリヤスフィールを守るサーヴァントを剥離させない為のものだ。
 アインツベルンの手が入っている分、臓硯とてその解析は難しく、そんな手間暇を掛けるだけの時間もメリットもありはしない。

「ですがマスター、イリヤスフィールを敵の手に残しておくのはどういうつもりですか。キャスターの転移があれば追いつけるのなら、取り戻すべきでしょう」

 真実臓硯にイリヤスフィールが殺せないのであれば、人質としての価値はない。どれだけ脅しを掛けようと、実際に殺せないのあればそんな脅迫など滑稽なだけだ。
 リーゼリットが手を止めたのは、彼女はイリヤスフィールの真実を知っているからだ。真実を知らぬ者に、イリヤスフィールは殺せない。

「殺せない人質にも価値はある。大事に守られるだけのお姫さまではないんだ、イリヤにも役に立って貰う」

「貴方は……!」

 自らの勝利を、祈りを叶える為に。
 聖杯をその手に掴む為に。

 衛宮切嗣は娘の命をすら利用する。敵を陥れ、味方をすら欺き、確実に葬れる敵から一匹ずつ刈り取って行く。
 非情で冷酷で冷徹な暗殺者。今の衛宮切嗣はそんな生き物。彼の目には、戦いの向こうにある祈りしか映っていない。

「…………」

 此処に一つの亀裂が生まれる。

 誰かに利用されるだけの人生だった王女メディアの心に、消えない軋みが刻まれた。
 切嗣の判断は人々に望まれるまま魔女として生き、死んだ悪女の心に残る善性に、爪を立てた。

 それを顔に出す事はしない。目的の為に父を慕う娘の心を弄ぶ悪徳に、どれだけ苛立とうとも、此処で牙を剥くのは得策ではないと、冷静な自分が諫めるから。

「分かりました……貴方の判断に従います。けれど、まさかこのままイリヤスフィールを放置するつもりではないでしょうね?」

「ああ、時を置けばイリヤの秘密を解き明かされる可能性がそれだけ増す。それは僕も望むところじゃない」

 今仕掛ければ間桐の一派を纏めて葬る事も出来るかもしれない。ただ切嗣にも幾つか憂慮がある。
 その最たるものを見極める為、わざわざキャスターの不審を買うと理解しながら、遠坂時臣を殺害した。

 未だ舞台に姿を見せぬ役者を、無理矢理に引き摺り上げる為。
 最後の演者を、ライトの照らす舞台の上へと引き摺り出す為に。

 ────さあ、どう出る言峰綺礼。

 衛宮切嗣が唯一その行動を予測し切れない狂信者。
 遠坂時臣の影に潜んでいた、本当のマスター。

 未だ脱落者のない七人八騎のバトルロイヤルは、彼の登場を以って終局へと加速する。

 終わりは近く、果ては遠く。
 十年遅れの第四次聖杯戦争は、如何なる結末を迎えるか。

 それを知る者はまだ、誰もいない────


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