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No.34379の一覧
[0] 【月姫】七つ夜に朔は来る【オリ主もの?】[六](2012/09/19 16:31)
[1] 第一話 黄理[六](2012/09/08 21:12)
[2] 第二話 志貴[六](2012/09/09 20:34)
[3] 第三話 とある女の日常[六](2012/09/09 20:58)
[4] 第四話 骨師[六](2012/09/10 08:36)
[5] 第五話 梟雄[六](2012/09/10 09:47)
[6] 第六話 ななやしき君の冒険 前編[六](2012/09/12 11:12)
[7] 第七話 ななやしき君の冒険 後編[六](2012/09/19 16:29)
[8] 第八話 蠢動[六](2012/10/23 11:06)
[9] 第九話 満ちる[六](2012/10/26 18:36)
[10] 第十話 月輪の刻[六](2012/11/03 09:25)
[11] 第十一話 紅き鬼[六](2013/01/10 12:13)
[12] 第十二話 鬼共の饗宴[六](2013/02/24 11:13)
[13] 第十三話 Sky is over[六](2013/04/17 00:45)
[14] 第十四話 崩落の砂時計[六](2013/06/29 18:01)
[15] 序章終極 鬼の哭く夜に、月は堕ちて夜は終わる[六](2013/07/13 10:17)
[16] 刀絵巻 百花繚乱/曼荼羅地獄絵図[六](2014/01/29 21:59)
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[34379] 刀絵巻 百花繚乱/曼荼羅地獄絵図
Name: 六◆c821bb4d ID:40472e46 前を表示する
Date: 2014/01/29 21:59
 刀崎白鷺の人生を鑑みると、屈辱に塗れていた。
 

 稀代の刀鍛冶師、刀崎梟の三女として生を受けた彼女はその才能を皆に期待されながら生まれた。刀崎の技術を二代も三代も飛躍した傑出な男の血を引いているのだ。周囲の期待も無理からぬことであった。


 それほどまでに刀崎梟の名は刀崎に鮮烈な輝きを見せていた。彼が構想する概念、思想、技術は他を圧巻させ、歴史に埋もれていた技法を再び表舞台に晒しだし、そこに己の着想した業の在らん限りを叩き込んで前代未聞の名刀、あるいは妖刀を幾つもこの世に誕生させた。


 そう、簡略的に形容すれば、彼女の父は天才だった。それもあらゆる言葉で表現しても全てを表す事が出来ぬ程に。百の言葉を語っても一を語り尽くせぬ程に。その娘なのだ。誰もが期待せずにはいられなかった。


 しかし、彼女には刀鍛冶師としての才覚がごっそりと欠けていた。


 これに拍子抜けしたのは周囲以上に本人だった。自分は誇るべき父の血脈を受け継いだ正統な刀崎だ。刀に於いて優れていないはずがない。そう自分に言い聞かせ、何度も彼女は刀の鍛造に挑んだがその悉くが失敗に終わった。原因は不明だが、彼女は自らが作ろうとする刀を脳裏に明確な図形としてイメージする才能が無かった。


 才能。たった一言だけで彼女の自尊心は大いに傷ついた。


 刀崎として生まれながら刀を生み出せぬ無能の烙印を押された彼女は、即刻見切りをつけられ刀鍛冶師としての教育の一切を受けることが許されなくなった。才知に劣る者の幾ら教えを授けても無為な時間が積もるだけ。ならば刀崎梟の娘、という価値の一点に絞って箱娘として育てるべし。それが皆の見解であり、決定だった。


 そして始まったのは偽りの養育、刀には全く関わらない所謂お嬢様としての教育だった。だが、彼女は悲しいことに人間観察という点については優れており、周囲が自分を隔離しようとしているのをすぐさま察知する事が出来た。


 故に抗った。己には刀崎として相応しい教養と才覚があると信じ、秘密裏に刀鍛冶の現場を観察し、愕然とした。刀崎の刀鍛冶は一線を書く。普通の刀の鍛造とは異なる技法をあらぬ限り注いで、文字通り心血を注いで作刀するのだ。


 時には己の腕や脚を鋸で引き裂き、刀の原型に打ち込むのである。白鷺には理解できぬ狂気であった。無論、口伝で刀崎が如何なる者かを彼女は知っていた。しかし、知ってはいたが理解にまでは至っていなかった。血飛沫と骨と鉄が交じり合う神秘は何かおぞましい魔術の行使に思えたし、良くしてくれた人が鬼気迫る表情で刀を鍛造する姿に心胆を飲み込まれた。


 だから彼女は心折れた。自分には無理だと悟ったのである。


 それから彼女は文字通りお嬢様としての教育を受けることになる。あんなのは自分には無理だと言う挫折と、才覚の無き恥辱に耐えながら。


 周囲はそんな彼女に目もくれなかった。それも彼女の矜持を逆撫でた。自分は刀崎梟が娘、刀崎白鷺。貴き血を受け継ぐ者なのである。だと言うのに、彼女に侍る者の殆どは彼女を見下していた。


 そこに偉大な父との比較が無かったと言えば嘘になる。刀崎棟梁の名目は伊達で務まっているのではない。その才覚に皆が焦がれて、彼の姿を追った。あれこそ刀崎が目指すべき到達点だと信奉していたのである。


 白鷺としてはたまったものではなかった。何せ自分には刀鍛冶師としての才能が皆無なのだ。幾ら知識に富んでいても、貢献できなければ意味が無い。自らの手で栄光を掴むしかない。そう彼女は考えていた。だから父が煩わしくも恐ろしい者に変化するまで時間はそう掛からなかった。


 皆の侮蔑は彼女の容姿も遠因として含まれていた。玉のような肌に夜の色を垂らしたような黒髪は男女問わず溜息を漏らすほど。そして常日頃からその黒髪を結い上げて見せている項は艶やかを通り越して蠱惑的でさえあった。その美貌に酔い痴れる者がいても可笑しくなく、白鷺の妖艶な笑みに惑わせられる者は後を絶たなかった。


 ただ、残念だったのは刀崎に彼女の容姿は必要なかった事であろう。刀崎は刀を造ってこそという古典的思想が定着している今となって、白鷺がいくら美しい娘であろうとも関係なかった。


 故に彼女は〝刀崎の出涸らし〟と陰口を叩かれるに至ったのであった。


 無論、白鷺はその陰口を聞き及んでいた。女中の語り草を耳ざとく聞き、誇りに泥を塗られたも同然と憤慨した。しかし、彼女にそれを論破する術はなく、甘んじて罵言を受けるしかなかった。


 で、あるならば、刀崎として認められないのであるのならば、違う方向性から認めさせれば良い。そう考え付くのに時間はかからなかった。刀崎という狭きも深い門からでは見えぬ事柄もあるだろうと彼女は外の、ひいては所謂一般知識の収拾にあたった。そこで発見したのは、刀崎が如何に古めかしい伝統に囚われているか、という事実だった。


 時代錯誤とでも言えば良いのだろうか。武士が巷を歩く時代であるのならば刀崎の刀はおおいに称賛を帯びただろう。刀崎作刀の一品の何たる凄まじきことか、と千客万来で受け入れられたかもしれない。


 だが、時代は最早現代、刀剣を所有している者は余程奇特な者か、あるいは一部のディレッタントくらいだろう。刀崎の刀は最早芸術品に成り下がっている。それが彼女の見解だった。刀は使用されてこそその真価が発揮されるというのに、今では銃刀法違反で摘発される始末だ。


 これで刀崎が武器商人であるならば良かっただろう。刀を作るのを止め銃火器に手を出せば今までの経験を活かし、すぐさまブランドとしてのし上がれたはずだし、買い求める者も後が絶たなかっただろう。事実、彼女はそれとなく自らの父親にそのように進言した。しかし、返ってきたのはこちらの意図を見透かすような言葉だけだった。


「刀崎は刀をつくってなんぼ、それ以外に刀崎を名乗る資格なし」


 つまり、刀を作る才覚のない者は刀崎としてさえ認めてもらえない。刀崎梟は彼女の密やかな企みを見抜いて一蹴したのだ。


 悔しかった。歯痒かった。それ以上に、屈辱だった。


 作刀の才覚無し、と認識されてから彼女は情報収集を怠らなかった。常日頃から街道を練り歩き、最新鋭の武具を閲覧した事さえもある。直接的に力の介添えとなれないのであるならば、違う方面から力を貸す存在になればいい。故に自分たちが没落の危機に瀕している事実に気付くことが出来たし、それとなく上申したのだ。


 だと言うのに、誰も彼女の言葉に耳を貸さなかった。それどころか、出涸らしが何するものかと嘲りを受けた。彼ら、梟に心身を捧げる刀崎衆はもっと他の事に夢中で、彼女の事など眼中になかったのである。


 だが俯瞰してみればそれも致し方のないことだった。棟梁の娘とはいえ、たかだか一介の小娘が口にすることなど耳ひとつ貸すに値しない。それが彼らの見解だった。故に彼女は箱娘として大事に育てられながらも冷遇を受けるという何とも矛盾した状況に陥るのだった。


 以上の事を踏まえ、彼女は自らの生家は如何に黴の生えた古臭い化石であるかを思い知った。果たして、何故自分はこの家に生まれたのかと枕を塗らしたこともある。自由を謳歌する事も出来ず、己は籠の鳥に過ぎない。そして幾ら囀ろうとも誰も振り返ろうとしないのだ。虚しさと、それ以上の怒りと失望が白鷺の中で生まれた。


 そんな折だった。彼女に縁談の話が周って来たのである。


 これには流石の彼女も愕然とした。縁談は分かる。刀崎は名家だが、今以上に力を蓄えたいのは一目瞭然。何せ古来は将軍家に刀剣を献上した事さえある由緒正しき血族だ。本家である遠野当主でさえ一目置かざるを得ない刀崎の現状は正に栄華を極めていた。それも全て白鷺の父である梟による手柄だ。彼は鍛造の腕ではなく交渉も上手く、あれよあれよと遠野当主を手玉に出来るそうな。分家でしかない刀崎が遠野を蔑ろにするような振る舞いをするのは如何なものかと白鷺は常々いぶかしんでいたが、だからこその縁談なのだろう。


 分家同士の力を高めあい、本家と対抗できる程の影響力を蓄える。誰でも考える事の容易い構図だ。


 問題なのは、その渦中にあるのが自分だったという事実だ。作刀の才は皆無とは言えど、自分は才女たらんと自戒し、励んできた。いつかこの古めかしい一族から離れ、一人の女としての幸福を掴み取らんとしていた矢先にこの縁談だ。


 必要無しの烙印を押されども、刀崎の謀略のための駒、そして胎盤として白鷺は贄に捧げられたのである。


 しかも訊く限り相手はあの軋間家の当主という。白鷺はそれに身震いした。軋間家当主と言えば先の七夜討伐に従軍し七夜を掃滅させた張本人であり、本人の器質も軋間家を滅ぼした事から暴君のような性格なのだろう。その話を聞いて彼女はあまりの恐怖に眠れぬ夜を過ごした。何故自分がこのような目に合わなくてはならないのか、と世の不条理を呪わずにはいられなかった。夜な夜な涙と共に呪詛を溢す日々が続いた。


 確かに、年齢で言えば縁談が回ってくるのは自分だろう。他の兄や姉は刀崎の鍛冶師として存分にその腕を揮い、他から婚約者を呼び込むのが殆どだ。その一例として自分も今回の沙汰が下ったのだろう。


 だが、あんまりではないか。これだけ刀崎を呪っていながら、なお刀崎は自分を縛ろうとするのだ。特殊過ぎる血筋とは言えども、このような辱めを受けるとは終ぞ思っていなかった白鷺は、結局絶望を抱いたまま縁談を受け入れた。


 ようは諦めたのだ。鍛冶師として才覚が無いのであるならば、胎盤として血を絶やさない道具として生きるしかない。それが宿命だと彼女は思い知ったのだった。人は諦観を抱けば心が壊死する。この頃の白鷺はそれまでの美貌に影を宿し、弱々しい姿で男共を惑わした。


 かくして彼女は鬼と対面する事となる。内心の恐怖に怯えながら。


 しかし、縁談の相手である軋間紅摩は彼女の想像の域を遥かに超える男だった。寡黙かつ泰然とした姿勢は一目置くに値する大人のそれであり、更に惹かれたのは彼が持つ特有の匂いだった。


 それは類稀なる遺伝子を持った雄の匂い。筋骨隆々の体躯から持て余すように放たれた芳しい雄の香りは瞬く間に彼女を虜にした。


 そう、彼女は一目で恋に堕ちたのである。


 それまで一目惚れなど幻想に過ぎぬ噴飯ものであると足蹴にしていながら、彼女は内心の震えさえも忘れて物の数秒で恋に堕ちたのだった。


 それからの彼女は忙しかった。今までの仕打ちを見なかった事にして刀崎にあの逢瀬を感謝しながらも、この出会いは正に運命だったのだと恋焦がれた。


 彼こそはこの忌まわしき家門を根底から破壊し、今までの自分を壊してくれる存在に違いないと思ったのである。故に彼女は幾度となく手紙を認めた。どうすれば彼が自分に振り向いてくれるか、恋仲になれるのかを脳裏で考えながら、一心にこの熱情を彼に訴えたかったのだ。


 しかし、哀しい事に軋間紅摩は恋文の返信をくれなかった。否、手紙を読んでくれているかも怪しい。短い逢瀬であったが、彼は手紙などに目をくれるような男ではないと白鷺は見抜いていた。だから大事なのはもっと直接的な何かである、とも了見していた。


 とは言え、慌てることはない。この縁談は双方にとっても断れるものではない。刀崎とすれば、軋間紅摩の影響力は咽喉から手が出るほど欲しいものであったし、軋間家の血筋を途絶えさせる訳にはいくまい。軋間の血筋は貴重なのだ。それを絶やすなどあってはならないだろう、と彼女は周囲を含めて考察した。


 だが、多少の問題もあった。果たして本家である遠野がこの縁談を許すかどうかである。分家同士で繋がりを強めるのは他方から見れば派閥を作るも同然の事。最近落ち目の遠野家当主がこれを見逃すはずがない。すぐさま待ったをかけるだろうと白鷺は推測したが、事態は思わぬ方向に進む。


 何と、遠野家当主である遠野槙久が何者かに襲撃されたのである。幸い命に別状は無かったものの、一時は危篤状態になる程の重傷を負い、回復への傾向は未だ遠いとのことだった。なればこそ、この時を見逃すはずもない。白鷺は父である梟に物申した。今こそ双方の婚約を行う時期ではないのか、と。これを逃す手立てはない、と。


 それを梟は大声で嗤いながら受け入れた。


「流石、腐っても俺の娘だ、その腹黒さは見事なものよ」


 それが、彼女にとって唯一父から認められた瞬間だった。腹黒さに太鼓判を押されるのは些か顔を顰めたものだが、こういう経緯を孕んで彼女の目論みは結実したのであった。


 □□□


 季節は三月。


 遅めの粉雪が降っていて、庭先に植えてある梅の花が零れ落ちていた。もう少しで本格的な春を向かえるというのに、桜に身を譲るその健気さは儚いものがある。寒空に咲く花は風雅であった。庭の枯山水とちらちらと降る粉雪が、紅梅を引き立てるような色化粧をしているようで、思わず溜息が出るほどに美しい。


 ただ庭師からすれば、折角流した枯山水の形が崩れてしまうのは肩が落ちるような思いなのだろうなあ、と少し笑みを溢しながら、着物に厚着をしている自分もなかなかに滑稽である、と改めて己を鑑みて、どちらも似た様なものかと結論付けた。


 白鷺には一等地の日本家屋が与えられている。現棟梁の娘、ということもあるだろうし、余計な事態を引き起こさないようにさせるための、云わば隔離だ。とは言え、白鷺にもそのような思惑は読み取ることが出来たし、風情のあるこの家にはそれなりに満足している。


 ただあまりに静か過ぎるのが少し残念なくらいだろう。基本的に白鷺と女中が二人しか住まわないこの家屋に人が訪ねてくることもなく、屋内は常に閑散としていた。


 本家、つまり刀崎衆が根城の工房からは誰一人として足蹴く通ってくる者はいない。あるとすれば、たまに刀崎棟梁の娘という価値を見出した木偶の坊のご機嫌伺い程度のもので、ひどくそれも不愉快な結果となる。このような場所に隔離された娘に価値を見出す者のあくどさも当然あるが、その程度の男に見初められる自分に対してもだ。


 白鷺は手を伸ばしてそっと粉雪を掌で掬った。おそらくこの季節最後の雪となるだろう。淡く散りゆく粉雪は積もる様子もなく、白鷺の肌に着地してしまえばあっという間に雨滴となる。その水さえも少ない量だ。道行く人々が肩を濡らすことはあろうとも、体の芯まで凍えることはない。


 これが冬の最後の足掻きで、自らの存在の一片限りまでも固持せんとする何かしらの意図が混ざっているのならば、多少は許せるというものだ。風流というよりは長閑、長閑と呼ぶにはあまりに淋しい光景はまるで自分の内心を現わしているかのよう。この風景を掻き消してくれる人は胸中に一人しかいない。紅蓮の炎で雪どころか梅の花、それどころかこの身まで焼き尽くすほどの慕情。嗚呼、今にも体が想いで爆発してしまいそうだ。


「白鷺様、お客様です」


 と、物思いに耽っていると、襖の向こうから静々と女中が声をかけてきた。折角の夢想を楽しんでいた白鷺は当然不機嫌となる。


「誰かしら?」


「それが……」


 女中は一瞬言い淀んで、再び口を開く。


「軋間家当主、軋間紅摩様がお目見えです」


 思わぬ来訪者に目を見開く。


「……すぐお通しなさい。あ、いえ私が出迎えます」


「しかし……」


「良いのです」


 食い下がろうとする女中をぴしゃりと切り捨てて、白鷺は着物の裾を気にしながら先ほどまでの物憂げさが嘘のように慌てて動く。女中の話によれば正門で待っているらしい。実直らしい彼の事だ。門を潜る許可を待っているのだろう。このような寒空に佇んでいるのは体に良くはないというのに。


「紅摩様……」


 逸る心を抑えて、けれど足並みは早く戸口へと向かう。途中に置いてある姿鏡で容姿を改めて確認した。着物の着こなしは上々だが、婚約者にはしたない女と思われたくはない女心である。


 戸口を開ければ遠くからも見える大柄な体躯。少なからずな刻を佇んでいたのだろうに、その体躯のどこにも粉雪は降り積もっていない。淡い雪とは言えど、彼の前で寒さは無縁なのだろう。陽炎のような熱気が立ち上っているのがよくわかる。


 しかし、嬉しかったのは彼が身に纏う白い厚手のコートだ。幾ら寒さに強いとは言え、風邪を引いては万が一と白鷺がプレゼントした一品を彼は羽織っている。


 それだけで白鷺は頬が淡く紅色に染まり、番傘を差してかけよる。


「お待たせいたしまして面目次第もございません、どうぞお入りになってお寛ぎ下さいまし」


「……」


 久々の客人、しかも相手は婚約者であり慕情の募る軋間紅摩である。早急におもてなしをしなければならなかったけれど、生憎立ち寄る者も少ないこの家では粗末な物しかお出しできない。


 そう言えば、以前戯れに訪れた父の茶があると閃いた白鷺は奥に控えていた女中に茶を入れるよう指示しながら、紅摩を引率した。紅摩がここに足を踏み入れることさえ滅多にないのだから、心急くのは無理からぬことだった。


 ただ不思議だったのは紅摩が前触れもなく来訪した事だ。彼の性格上積極的に婚約者と顔を合わせようなどという殊勝な魂胆はない。こうして会ったのもこれが片手で数えるほどで、手紙の返信さえも送ってくれないほど無愛想だ。


 またそんなつれない所が良いというのも惚れた弱みなのだろう。無駄に顔色を伺うような輩と比べたら何倍もマシだ。ああいう輩は白鷺の父である梟と友誼を結びたいがためにここへと訪れるが、無駄足も甚だしい。白鷺は才覚なしと見切りをつけられた女なのである。父の都合で動かざるをえない場合はあれど、白鷺自身の都合で梟に連絡をつけることなどまずあり得ないし、刀崎工房に訪れても門前払いをされるのが落ちだ。


 故に刀崎の甘い蜜を吸おうと考える無粋な輩など不愉快極まりないし、だからこそ打算もなく無遠慮な紅摩には仄かな好意を感じる。


 後方に紅摩がいると思う今でさえこんなに胸が高鳴っているのだ。足取り軽く、白鷺はあまり使用されない客人用の部屋へと案内した。古風な家柄らしいシンプルな様相はみずぼらしささえも感じさせるが、紅摩がそのような事気にするはずもなく、彼はコートを脱いで座布団の上へ胡坐をかいて座った。


「……」


「……」


 対面に座ったものの、互いに無言の時間が流れる。白鷺は恋した相手をまともに見ることもできないし、紅摩は自ら口火を切るようなたちではない。故に言葉を交わし始めたのは、と言っても白鷺が声をかけたのは女中が粗茶を運んできた後だった。


「あの、軋間様」


「……」


「本日はどのような御用件で?」


 白鷺の問いかけに紅摩は無言で湯呑を傾けるのみ。無愛想極まりない態度である。しかし、白鷺には慣れたものだった。


 紅摩が突如として前触れもなく来訪するのは、何も今日が初めてではない。風来坊のように突然現れては言葉を交わすことなく去っていく。そんなつれない態度も白鷺の心を刺激するのだが、もしかしたら今日は来てくれるかもしれない、けれどやっぱり来ないかもしれないと煩悶するじれったさに白鷺は改めてこれが恋なのだ、と実感するのだ。


 それに無言の時間も決して悪い事ではない。例え向こうに用件があろうがなかろうが、同じ時間を共有するというのが白鷺にとっては重要なことだった。同じ時間を共に過ごし、沈黙を交わしながら、それが決して不快ではない。


 一般的な幸福を願う白鷺にとっては理想的な構図とさえ言えるだろう。それがこのように雄々しい益荒男が相手なのだから、人生わからないものである。


「そう言えば、本日は梅がこぼれ始めました」


「……」


「そろそろ春も近付こうというもの。遠野邸での暮らしが、私は楽しみなんです」


 遠野。


 それは白鷺や紅摩の中に通う魔と人を掛け合わせた混血の当主である。その歴史は古く、またその血の貴さから混血を纏める権限を握る云わば総取締役だ。分家の娘、しかも三女である白鷺からすれば雲のような存在とも言えるだろう。


 ここで問題なのが、二人が時機にその遠野へと呼ばれ、そこで暮らすことになることだ。父の計らい、あるいは気紛れなのかは知らないが、これは願ってもいないことだった。この屋敷から離れることもそうだし、何よりこれからは正式に紅摩と同じ屋根の下で暮らすことが出来るのである。淡い思いを抱いた女の本懐とも言える事態だろう。


 故に家財道具等はすでに遠野邸へと送っており、今屋敷にあるのは必要最低限な家財類ばかりだ。性急かもしれないが、早くこの屋敷から抜け出して外の世界に触れてみたいという好奇心と、紅摩と共に過ごしていきたいという願いが白鷺を突き動かした。しかし。


「ただ、ここの梅の花が見れなくなるのは残念です」


 庭先に一本だけ植えられた梅だけが心の慰めだった。嘆きの日々に続く無聊を癒す光景だった。冬が終わる頃に咲き、春の訪れを感じさせながら、本格的な春となれば桜にその席を譲り、自らはひっそりと散りゆく。


 そこに健気を見た。献身を見た。あのような生き方もあるのだ、と思い知らされた。己が野心に燃えた日々と、刀崎に屈辱を浴びせさせられる際にふと見た梅の花は、かくも美しく、そして儚い。皆、春の訪れは桜にばかり着目するが、梅の花にこそ、その本懐を見た。


「そうですね、どうせなら見に行きませんか? 今花がこぼれ始めました」


「……」


「きっとご期待は裏切りません」


 なけなしの勇気を奮い、意中の人を誘う。本来ならば男性から誘われるものかもしれないが、紅摩にそのようなことを期待しても無駄というもの。


 ならば、最後かもしれない時の中で散り際の梅の花を見て欲しかった。共に、見ていたかった。


 しかし、相手は無反応。仕方ない事かもしれない。いきなりの誘いだ。戸惑わない事こそおかしい。けれど、自分たちは縁談で結ばれた仲だ。それぐらいの事ぐらいは許されても良い、と自分に言い聞かせながらも白鷺は何だか急に羞恥心が膨れ上がってきた。


 果たして愚かしい、出過ぎた真似をしたかもしれない。それに相手は呆れ返っているのかもしれない。全ては予測、あるいは脳内で反芻された妄想に過ぎないが、恋とは些か奇妙なものであり、ある意味で目の前にある現実を曲解しがちなものだ。


「……」


 だが、打算がない訳ではない。軋間紅摩という男を真摯に見つめてきたのである。彼の性格の本質を白鷺はすでに把握していた。彼は常に受動的であり、能動的に動くことなど、まずない。故にこちらから声をかければ、紅摩は決して首を振らない。


「では、ご一緒に見に行きましょう」


 故に行動を起こすのは自然と自分になる。だから彼女はなけなしの勇気を奮って、鎮座している紅摩の手を握り縁側へと向かった。手を握るなど、否、紅摩の身体に触れるなど初めてのことで何分緊張したが、それ以上に感じたのは紅摩の手のなんと雄々しいことかであった。

 
 分厚い皮膚に頑健とした指先、そしてまるで燃えるかのような体温は、鍛錬で作られたものではない。自然発達した、生まれながらの強者である事を如実に感じさせる指先だ。それの何と頼もしい事か。


 愛しき人と触れ合っている。ただそれだけなのに、白鷺の子宮は情欲に脈動した。ああ、これが恋なのが、これが愛なのだと思いながら。ただ、それを面に出す事はしない。手を握っただけで赤面するなどはしたないことだ、と自ら努めて我慢しようとした。けれど、慕情に尽きる相手と手を繋ぐだけで心臓は高鳴り、今にも破裂してしまいそうだった。


「あれです」


 庭先にぽつんと植えられた梅の樹は、枯山水と粉雪によって白い雪化粧となっていた。枝の先から幹の根元まで雪が積もり始めている。けれど、注視すればそこに一筋の異なった色合いが混ざっている。梅の花だ。その花弁に僅かな雪をのせて淡い桃色に儚さを交えさせながら屹立している様は、一瞬の光景なれど、なんとも美しい景色であった。


「……」


 と、紅摩が手を離した。熱するような体温が消え去り、残念な気持ちが浮かび上がってきたが、それ以上に驚いたのは紅摩が裸足で庭に踏み下りたからである。


「もし、軋間様?」


 なんだか不安な気持ちがおくびに出て、思わず白鷺は庭に下りた紅摩に声をかけるが、玉砂利の枯山水を踏みしだきながら闊歩する紅摩から返礼らしきものはない。寧ろ今まで自分がいなかったかのように振舞う背中は紅摩がどこかこのまま帰ってしまうのではないのかと思わせる何かがあった。けれどそれは杞憂に過ぎた。紅摩は真っ直ぐに梅の樹の元へと向かったのである。白鷺はそこでようやく理解した。彼もまた自分と同じように花を愛する人なのだと。


「その梅は私が生まれる以前から植えられていたものです。もう随分と前になるようですが」


 そうなれば白鷺は止まらなかった。同じ物を共有し、思い出とするには彼の行動は充分すぎる。一心に恋する女である白鷺からすれば、紅摩が同じ物を好んでいるという事は、浮かれるのに十二分値するものであった。


 はらり、と梅の花びらが零れた。


「今の季節で、しかもこの雪です。きっとすぐに全ての花が落ちてしまうでしょう」


 樹皮に右手を添えて、紅摩は静かに残された目蓋を閉じていた。それを自分の言葉に聞き入ってるのだと思い込んだ白鷺は更に言葉を紡ぐ。せめてもの慰みにと。


「来年、またここにいらして下さい。花が満開の頃、咲く頃に合わせて」


 だが、その言葉に紅摩では到底無視できぬものがあった。
 みし、と音が重く響いた。


「……え?」


 最初、その音は雪の重みに耐えられなくなった枝が悲鳴を上げているのだと白鷺は思った。だが、紅摩の様子を見て愕然とする。紅摩は幹を掴み、己の豪腕だけで梅の樹を握り潰そうのとしたであった。


「――――嗚呼」


 みしみし、という音は正しく樹の悲鳴。根を伸ばして昏々と成長してきた梅の樹は、己の中腹に注がれる許容外の力によって圧し折られようとしているのである。


「もし! 軋間様っ!?」


 それに耐えられぬのは白鷺である。正しく青春と共に過ごした樹が目の前で抉り取られようとしている。だが何故だか白鷺には理解できない。一体何に紅摩が反応したのかを。


 元々、白鷺という女は機微に聡明な人間であった。育った環境が故に人の反応に恐れ、積極的に話しかけたりなどしない。刀崎に生まれ、その才能の無さが故に話しかけてしまえば愚鈍だと断じられる恐怖と屈辱で白鷺は構成されている。
 

 だがしかし、今この時ばかりはそのような自戒を忘れていた。刀崎以外と過ごすことが出来ず、どこか鬱屈とした日々の中に突如として入り込んできたのが紅摩である。積もりに積もった恋慕は彼女の悪癖を晒しだしてしまったのだった。


「―嗚―――呼」


 そして、樹が圧し折られた。慮外の強力を生まれながらに持っていると知ってはいたが、それは人伝から聞いただけの事であって、白鷺は紅摩の外れっぷりを全く既知しっていなかったのだった。だからが故に、彼女は自ら紅摩を触発してしまうような言葉を知らぬままに口にしたのである。


 みきみきと音をたて、枝葉が折れて梅の花弁が宙に舞う。


「さ――――く――――」


 そんな風景を生み出した紅摩は搾り取るように口を開く。


「さ――く」


 呆然と事のあらましを見ていた白鷺は紅摩が何を言いたいのか、全く理解できなかった。その合間に圧し折られた樹から煙が昇る。よく見れば、紅摩が握っていた箇所から火の手があがっていた。焔はやがて紅蓮の如きに燃え盛り、梅の樹を燃やし尽くす。


「どこ、だ――――」


「……ひっ!?」


 大火の傍にいながら、紅摩はまるで熱さなど感じさせぬ佇まいで白鷺の方へと顔を向け、白鷺は思わず悲鳴をあげた。紅摩の顔にあったのは修羅の顕現。憤怒でも悲嘆でもない、まるで怨敵を見つけ出すかのような形相である。


「さ――くは、どこ、にいる」


 轟々と燃え盛る焔の音が木霊する中、不思議と紅摩の声は良く聞こえた。


 そして、白鷺は爆発的に理解した。何が紅摩の琴線に触れたのか、自らの無知で彼を触発したのか。


 さくとは、七夜朔のことであろう。七夜襲撃の際にたった一人だけ生き延びた、刀崎衆に於いて何よりも大切にされている孤児。ある意味、朔の存在によって刀崎は狂気を増長させたと言っても過言ではない。


 かつて人伝に聞いて、己には関係ないと記憶から消去した、恐るべき、しかしながら無関係な子供でしかない、と白鷺はずっと思っていた。しかも噂話によれば現刀崎棟梁刀崎梟の寵愛を一身に注がれているとか。父からの愛を受けた事のない白鷺からすれば、小さな燻りを感じさせる存在だ。けれど、その程度だ。ただ、それだけの話だ、と白鷺の中で七夜朔の情報は完結していた。目の前で鬼の形相である軋間紅摩ともまた関係のない話だ。そう思っていた。


 だけどそうではなかった。軋間紅摩は七夜攻めの際に出陣していたのである。七夜を壊滅させた力量の凄まじさは、人の理解を超えた修羅だ。超雄。それこそが紅摩を讃えるのに相応しい形容だろう。


 しかし、そんな彼を相手取って生き延びた者が存在する。それが七夜朔である。深くは白鷺も知らないが、二人は共に七夜と遠野を壊滅状態にまで追い込んだと聞く。そこに因縁があった。それだけ白鷺は把握していた。だが、紅摩がここまで執着する姿を見るのは初めてだった。身体から陽炎さえ立ち上らせて、歯を食い縛りながら朔の姿を探してはいるが、無論ここに朔はいない。ここには白鷺と僅かな女中しかいない。それでもなおここに足を運んだのは、いっこうに見つからない朔を探し出すがため。


 なるほど、と白鷺は混沌と化した内心の中でひとつの合点を得た。どれだけ慕情を募らせても紅摩が振り返らないのは、すでに紅摩の中には執念の相手がいたのだ。心の全てを捧げてもなお足りず、心の全てを占める相手が、すでに存在していたのだ。だからどれだけ白鷺が振り向いてもらおうと画策しても無駄でしかなくて、彼女が紅摩の中に入り込む余地はどこにもない。


「ああ……」


 そうか。紅摩がここに訪れたのも全ては朔を見つけ出すがためで、決して白鷺のためではない!


 なんという怠慢。なんという愚鈍だろうか――――!


 だからこそ、己の価値などその程度なのだと目前で爆ぜる梅の樹を見ながら、白鷺は得心がいったかのように微笑む。


 けれど内心はまるで燃え盛る焔だった。


 単純明快かつ、複雑怪奇な感情。
 つまり、強烈な嫉妬。


 ――――刀崎白鷺は、生まれて初めて他人を恨んだ。


 □□□


 日本人の文化には侘び寂びというものを尊ぶ傾向にある。


 虚無の中に美しさを見る、というのは遥か昔、仏教が海を越えて到来した際に刷り込まれた感覚である。すなわち必要以上に着飾ることを善しとせず、清貧の中にこそ善がある、という何時の時代でも変わらぬ観念、とでも言えばいいのか。この見知らぬうちに憶えさせられた呪縛は決して心を解放しない。人を、理性を、呪い、縛る。


 故にか、刀崎梟はその概念を嫌った。

 
 誰よりも刀に実直であるがため、自由奔放に、かつ苛烈に生きた男は何者にも縛られず存在しなければならない。それこそ彼が善しとする美徳であった。とは言えど、彼はその信仰にも似た教えをある一面では評価していた。それは刀と宗教の綿密な関係性である。


 時代がどれだけ変容していっても変わらぬ刀への絶対なる信頼。芸術品としてもそうだが、刀は世界万民が持つ神秘の具現だった。神社では真剣が奉納され、やがて信仰の証へと変わっていく。そこに清貧も富みもなく、何者も入り込むことの出来ない宗教への確信がある。


 だからこそ元々刀鍛冶の家柄である刀崎にはよく宗教的な意味合いを含めた刀剣鍛造の依頼が申し込まれてきた。土地神に捧げるため、自らの信仰を確固たる物とするため。理由は様々であるが、刀崎には宗教とは切っても切れない関係性にある。


 そこに梟は目をつけた。幾ら切っても切れない関係ならば、いっそのこと利用すればよいと。


 であるから、今日この日の会合は決して無意味ではない。偶然でもなければ、突拍子もない話ではない。全てはイコールで結ばれた必然だった。


「相も変わらずその成り立ち。美醜に囚われぬ者しか到来できぬ極地。見事という他あるまい。一介の刀鍛冶にはあるまじき存在。あるいは、刀崎梟こそ魔術師に匹敵する存在かもしれぬ。その在り方は荒耶から見ても好ましい。極地に至ろうとするその姿勢は殆ど魔術師のそれに近い」


 男は哲学者のような苦悶の形相を浮かべながら、目前にいる妖怪を評価していた。方や魔術師であり、方や刀鍛冶である。魔術師が魔術礼装のために訪れた、のではない。魔術師は招来されたのであった。


「ひひ、そんな褒めたって何もでねえぜ――――荒耶」


 互いに比較をして見ると、凡そ一般人からは掛け離れた外見をしている。今回足を運んできた魔術師は全身を黒で覆い、また目元の翳りが酷い。それに対し刀鍛冶は中身のない左袖を揺らめかしながら魚眼を歪めている。


 どちらかと言えば人間離れしているのは一見刀鍛冶ではある。だが外見に惑わされてはいけない。二人の最もたる特徴はその精神性である。自己への果てしない問答をくり返してきた魔術師はまるで地獄か、あるいは怪物のようであるし、崩落する事なき自我を堅持している刀鍛冶は怨念のよう。あるいはその方向性があるからこそ、二人の友誼は成立していると表しても過言ではない。


 場所は刀崎工房の一室。間諜の心配が必要とされない部屋。


 そこで妖怪と怪物が対面していた。質素な和室造りの部屋に黒と灰色の二人は座布団に座しながら互いを見つめているかのように思えるが、実は違う。彼らは同じ場所にいながら、ただ己だけを見つめ続けていた。


「話は聞いた。自身の担い手を見つけたと。だがそれを私に報告して何がある」


「何、先々代棟梁から続いていた仲じゃねえか。魔術方面からのアプローチで随分と支援してくれたらしいしよ。そんなアンタだ、刀崎はこれでも感謝してるんだぜ?」


「無意味」


 おどけた様に話す梟の言葉を荒耶は一言で切り捨てる。


「全くもって無意味かつ無価値な事だ。私はある意味においてお前を一目置いてはいる。だが戯言を交わすためだけに語り合うほど、荒耶と刀崎は親密ではない」


「まあ、そう言うなって。ひひ、ひ……それに俺がどういう目論みか何となあくだが手前もご存知だろう?」


「……腕の良い人形師ならば他にもいる」


 荒耶の視線の先には左腕を消失していた梟がいる。本来、刀崎にとって五体の何れかを失うことは大変名誉な事である。それは自身の身体を捧げうる相手を見つけ、その対象に文字通り全身全霊を刀に錬りこんで奉るのだ。それこそ長年培ってきた刀崎の業である。


 だが、妖怪は首を振った。


「冗談!」


 げらげらと片腕だけ残された掌で膝を叩きながら妖怪は笑う。


「刀崎にとって本来の肉体は正に自身の至宝。今更この身体を切り落として命を永らえようだなんて、これっぽっちも思っちゃいねえ。それにこの左腕だって俺が望んだことだ」


「ならば何故この荒耶を望んだ」


 眉根の皺を更に濃く刻みながら、荒耶は答えを望んだ。


「私は梟、貴様を一定に評価している。その力量もそうであるが、一因として大きいのはその人格にある。時代を遡るかのように刀鍛冶を続ける貴様であったからこそ、今でもこのように会話をしているが、そもそもこれ事態が無意味だ。先々代が台密の理念に興味を抱いて私にたどり着いたが、刀崎梟と荒耶に交流そのものはない」


「ひひ、俺は利用するものは全部利用する質でね。だからこそ今回はアンタを利用する」


「それは魔術師としての荒耶という事か」


「いや」心底面白げに頭を振って梟は言う。「荒耶個人としての手前だよ」


「なに?」


「無論、報酬もある。手前からすれば、まあ咽喉から欲しいってもんじゃねえだろうが、あっても損は無い品だ」


 そう言って、梟は着物の懐から布で包まれたなにかを取り出して机に置いた。それに対し、荒耶は顔立ちは変わらないものの、瞳の奥で微かに驚きを見せた。


「それは、仏舎利か」


 昔日、釈迦が入滅した際に残された一品である。破戒僧である荒耶からすれば、驚愕に値する物品がそこにあった。


「ああ、先代が残した一品でね。俺からすればなあんの価値もねえが、魔術師である手前には出来るならば欲しいものだろう」


「確かに、刀崎梟からすれば価値はない。だが、これを用意までしてこの荒耶に何を望む」


「まあ、話はこれを見てからだな」


 と、いつから持っていたのか梟はテレビのリモコンを操作した。ぶうん、と音をたててテレビが点けられる。するとそこに映っていたのはとある空間の俯瞰風景であった。監視カメラからの映像なのか、画面は時折ざらついたが要所要所は捉えることが出来ている。


 まず注視出来たのは夥しい死体の数だった。人間だけではない、動物、果ては魔物と呼ばれる者に到るまで、種類様々な死体が積み上げられている。長い時間放置されたのか、腐敗して蛆が食んでいる死体も幾つか散見できた。


 そして山積された屍の次に見られたのはたった一人で屹立している子供だった。それをただの子供と形容していいものか、荒耶には判別出来なかった。


 まるで異なる人形を繋ぎ合わせたかのように長く伸びる左腕。何度も返り血を浴びたのか、衣服は血だらけで頭部も同じ。血が乾いてぱさついた髪の隙間から覗くのは、茫洋とした蒼い瞳だった。


「これは地下の映像でな、そろそろ動く時間だぜ」


 テレビから流される映像の有様に眉根を寄せた荒耶の耳に届いたのは、この光景があの小さな子供によって作られたと暗喩したものだった。


 そして、場面は梟の言った通りに変化する。


 どこから現われたのか、分厚い刀剣を持った大男が絶叫しながら子供に向かって突撃する。だが子供はまるで誰もいないかのように、相変わらず蒙昧な瞳で虚ろを見つめていた。このままでは子供は明確な殺意によって殺される。


 けれど、そうはならなかった。何故ならば接近していたはずの大男の頭部が瞬時に失われたのである。そして子供はいつの間にか大男の首を持っていた。引き千切られたのか、あるいは首の根元を断線したのか分からない。しかし、現実として子供は大男を殺したのである。その左手に背骨ごと引っこ抜かれた首を引き摺りながら。


 そこで、ふと子供が、こちらを見た。


 いや、正確には設置された画面越しに荒耶と梟を睨んだのである。口元についた肉片を拭うことなく、衣服についた血痕を払うことなく。


 その様は不気味に輝く蒼い瞳と混ざり合って、まるで出来の悪い夢に登場する悪鬼のようだった。


「ここまで、だな」


 唐突に映像が切られる。だが黒しか映らないテレビ画面を荒耶は凝視し続けていた。


「梟、貴様はこれを見せたかったのか」


「ああ、でどうだい?」


 暫し閉口し、考える素振りを見せながら、しかしはっきりと言葉を口にする。


「――――あの子供は、起源に覚醒している」


 厳かながらに重みのある口調だった。


「ひひ! やっぱりな!」


「どこで見つけた、あのような存在を」


「七夜だ」


「何?」


 今度こそ、荒耶は瞠目した。


「七夜はすでに全滅したと聞き及んでいるが」


「ああ、それ以前から目をつけていてな。七夜攻めんときに便乗して拾ってきた逸材よ。んでそん時に左腕を食われて、いまじゃ俺の左腕はあれに生えてる。……なあ荒耶、起源に覚醒したものは起源に飲み込まれながらも肉体への影響は出るのか?」


「それは、ある」


 荒耶は断言する。起源を覚醒したものは肉体さえも変質させてしまうと。その実例は荒耶自身が証明している。黒い外套を纏ったこの荒耶宗蓮というこの男は外見上では四十代後半に見えるが、その実、自らの起源を覚醒させて二百年を生きた怪物である。


 全ての起源覚醒者がそうではないが、荒耶もまた起源に目覚めて身体に影響を及ぼした一人だった。だから、それはある、と荒耶は断言する。荒耶の起源は静止である。それゆえにこれ以上生命が変動することはありえない。言ってしまえば、彼は生きてもいないし、死んでもいないのだ。


 そも起源とは生命が誕生する以前から決定された志向性だ。どれだけ抗おうともたかだか百年ぐらいしか生きられない人間では無力に等しい。起源を発揮した者は起源に飲み込まれるのだ。


「だが、どのような起源を覚醒したのかまでは視ることが出来なかった」


「いや、それで充分だ。俺はよう、確かめたかっただけなんだ。人為的に起源を覚醒させる事の出来る人間に、あいつがどう見えるか、をな」


「ならば解せん。何故あの子供に殺人行為を繰り返させているのか」


 言外に無駄な行為だと告げる荒耶に対し、梟は口角を吊り上げて笑う。


「あいつは根っからの殺人鬼でな、だからこそああやって殺害行為をしねえと自傷行為に走るんだ。あいつの殺意は自分も含めた生命全てが対象になる。だからまあ、言ってみりゃ食事みてえなもんだ。毎日糧を用意して、んであいつがそれを殺す。その繰り返しさ。それによう、あの空間の真上は製鉄場がある。毎日殺して、怨霊を溜め込んでいるのよ。攫ってきた一般人から確保した外道まで、恨みと妬みがあそこでは渦を巻いて上部の製鉄場に上ってくる。云わばあそこは蒸留所という所か」


「……死の質より量、という事か」


「あんたが目指しているのとはま逆だな」


 温くなっていた湯飲みを傾けながら「けどな」と梟は続ける。


「俺が重きを置いてるのは死じゃない。殺人行為よ」


「ふむ……それは経験も含めて、という訳か」


「大当たりだ。アンタは死を蒐集しようと必死だがな、人間を死に到らせるためには殺人や自殺も含有しなければならない。そうして積み上げていった恨みはやがて怨嗟の魂となって猛威を揮うだろう。俺が狙っているのはそういう部分もある。亡霊の呪いこそ感情が辿りつくひとつの到達点だ。少しずつ少しずつ積み上げた呪いはやがて強大な怨恨となり、俺の目指すような……」


 と、そこで滑らかに動いていた梟の軋んだような声音が途切れる。まるで夢から醒めたかのように唖然と荒耶を見つめ返した。


「……ああっと、俺は何を喋っていたんだ?」


「梟、貴様破綻したか」


「ああ、俺もそろそろ歳らしい」


 突然正気に戻ったかのように、梟は瞳を伏せる。


「反転、か」


 反転とは混血が持つ一つの宿命だ。それも歳月が積み重なり、老齢に差し掛かれば発作する病気のようなもの。かつて魔と交わったが故に起こる人間性の欠陥、そして魔的な思想や行動は理性では抑えきることの出来ない魔の本能だった。


 梟もまた、他の混血と同じように反転しかけている。優れた理性と信じがたい狂気を併せ持つ梟であったが、近年突如として記憶を失う時がある。とうとう惚けが始まったのかと勘ぐってはみたが、実際の所は更に深刻な問題として梟を蝕んでいた。理性が時として瓦解し、更なる狂気を表出させてしまう反転衝動は濁流のように梟の意識を飲み込まんとしている。


「本来なら、よ。俺が正気でいられる間に作刀してえ。……朔は未だ成長期で、肉体がどれだけ変化するか、あるいは癖をつけるか確かめて完全な七夜となってから刀を鍛造したい。ひひ、ひ……けどそれだけじゃ間に合わねえ」


 時間が惜しい、と梟は心底から溜息を吐いた。


「俺が俺でいられるのは何時までだ? 果たして俺のまま刀を打つにはどれほど時間がかかる? この老骨を捧げるまで間に合うのか、正直自信がねえ。今は大したことなねえ、意識が吹っ飛ぶのは本当に一時的な、発作的なものだかな。だがよう、反転衝動は確実に俺という存在を蝕んでいく。ならば、どうすれば良い? 俺は寝ても覚めてもそればかり考えた。考えに考えて、ひとつの結論に辿りついたのさ、荒耶。俺の能力と併用する形で刀を打つ。もうそれしか方法がねえ」


「貴様……真逆魂ごと鍛造する気か」


「俺は魔術ってえのには全く理解が及んでねえけどよ、俺の業を使えばそれがベターな方法だ」


 混血という生物は人間でありながら魔の性質を生まれながらに取得している。それが一体何なのかまでは本人が自覚するまでは分からないが、混血は個別的に人を超越した能力を保持しているのである。そして同じく混血である刀崎梟もまたそのような能力を生まれながら持っていた。だが、それはあまりに人智を超えすぎて、荒耶と出会わなければ今もまだ持て余している可能性があった、不可解で、だからこそ梟らしい能力であった。


「魂と肉体を結びつける物は精神だ。そして俺はその精神を感知し操ることが出来る」


「……なるほど。そこに目をつけたか」


 気軽に狙いを言う梟であるが、魔術師の荒耶からすれば根底を覆すような言質だった。特に魂からのアプローチを常に講ずる荒耶だからこそ、眼前にいる妖怪がどれだけ度肝を抜かせる発言をしているかが理解できる。


 魔術師という存在は一族をかけて難問に挑む集団であり、そのためならばあらゆる手段を選ぶ。異質であるとは言え、荒耶もまた人の形骸をなしながら魔術師として『』に到るため外道の手段をもってして二百年間もの長い歳月を生きる怪人である。魔術師の目的である『』への同道に、あるいは己の才気の無さに志を泣く泣く折り、あるいは魔術から身を引いた者がいることを知っている。また、あるいは寿命によって根源の渦への道を閉ざされた者がいる事を理解している。それほどまでに魔術師の目標は果てしなく峻険であり、門扉は固く閉ざされている。


 しかし、眼前でニタニタと己の目的を話すこの妖怪は、彼らの亡骸を踏み躙るかのように闊歩する。闊歩し飛躍し、そして辿りつく。そのための才気と魂を梟は生まれながらにして得ている。何というズルだろうか。


 だが刀鍛冶の鬼才はそれらを充分承知の上で魔術師の魂胆を下らぬと断じ、そのための長き道を叩き潰す事を許されているのだ。俊英、天才、奇才、あるいは二世紀もの時間を生きる荒耶からすれば梟は神童なのである。荒耶が欲する才能を持つことを許された者なのだ。そしてそれら全てを嘲りながら、梟は己が目的を開示する。


 精神の具現化。それが梟の能力である。
 具現とは、文字通り精神を物質化させ干渉する事を指す。


 稀代の刀匠を鬼才足らしめるのはその手腕もそうだが、能力による側面も強い。精神とは肉体と魂を繋げる第三要素であり、魔術師でも容易には扱えぬ代物である。何故ならば精神の具現化とは己の内面をそのままに表出させるという事であり、肉体を剥き身にしたも同然の事だ。身柄を解放したも同義の事なのである。


 故に精神干渉には不快感が伴うし、精神の解体清掃と呼ばれる代物は己の自我を一時的にばらばらにさせるため、好んで扱う者はまずいない。それほどまで扱うのが難儀である第三要素を梟は扱える。いや、扱えると形容するよりも己の手足の如くに干渉し具現化させることが可能なのだ。


 それがどれほど魔術師の認識を覆すか。魂に着眼している荒耶からすれば、咽喉から手が出るほど欲しい才覚、と表現しても良いだろう。それほどまでに梟の能力は理不尽であり、また稀有な才能であった。


「ま、それも時間の問題よ。ひひ、ひ……俺様に不可能の文字はねえ。後はそれまでに朔が育ってりゃ御の字、つう所かね」


「お前は何故あの童子にそこまで固執する」


 ふとした疑問を口にする。七夜の才気とは言えど、梟が単に絶滅した七夜の生き残りに執着する理由が荒耶には不可解だった。


「あ? 手前も『』とか言う変なものに拘ってるじゃねえか」


 全魔術師の目的を「変なもの」と形容するとは、他の魔術師が聞けば激しく憤るだろう、とどこか他人事のように思いながら、荒耶は続ける。


「……『』への道を開門するのは全魔術師の悲願だ。貴様のようにたった一人の童に構うとは訳が違う」


「へ、俺からすればどっちもどっちだがね」


 まあ、と暫しの暇を縫って梟は言う。


「アイツの才能に惚れた。いや、アイツ自身に惚れたとでも言う所かね。朔自身が持つ可能性ってか」


「……」


「ああ、先人が幾度も挑んで諦めた可能性に俺は魅せられた。ただそれだけの話よ」


 そう言って梟は仏舎利の入った布巾着を手渡した。


「さて、今度は俺の番よ。……荒耶、さっきの言葉から想像して、手前はまだ根源の渦を諦めていないのかね」


「諦める理由がない」


 質問を責め立てるかのような口調で荒耶は言う。しかし、荒耶が目指した先は厳しくも険しい道のりであった。


 全魔術師の願いである根源への到達。他の魔術師が一族として群を成し、妄執のように根源を求める。まるでそれしか生きる術がないかのように。荒耶と他の魔術師とで異なるのは一族で行動をする他の魔術師のような術ではなく、荒耶たった一人で挑み続けている事だろう。


 故に眉間に刻まれた懊悩の皺は艱難に挑み続けた結果である。たった一代、たった一人で根源を目指す様は、まるで荒耶そのものが根源に挑み続ける概念のようなものだ。否、人でありながら人間性を失った荒耶は寧ろ概念そのものである。


 何故その悲願を探索し続けられるのか、梟には検討もつかない。何故なら魔術的知識に覚えがない梟から見ても、荒耶には才能がない。飛躍するための翼も無ければ、疾走する足も無い。それでも挑み続ける様は自ら志願して苦行に挑む禅問答である。決して答えのない答えに挑み続けるのは、寧ろ滑稽と言ったほうが正しい。


 しかし、記憶を引っくり返してみても荒耶は諦めなかった。抑止力というものに何度も阻まれながら、それでも諦めず己の思想を頑強にしてきた。まるで地獄のような男だ、と梟は思う。遍く全てを己の中に溜め込んで、それ以外の一切を否定する様は、荒耶が破戒僧という事もあり、天竺の下方で蠢く意思を持った巨大な地獄であった。


 梟であるから理解が出来ないという側面も確かにある。才能が努力を凌駕して偉大な功績を残すのは世の常だ。寧ろ刀という思想において飛躍的な着想を生み出し、それを鍛造する才覚がある梟にとって、畑は違えど努力のみでもって魔道に挑み続ける荒耶は不思議で仕方がない。何故挑み続けるのか、何故諦めないのか。そのようなもの、自己への執着は梟には持ち得ないものである。


 しかし、その挑み続けるという荒耶の右に出る者はいないだろうと憶測している梟は、それもまた才能なのだろうと結論づける。だからこそ梟は唯一荒耶を認めているのだった。ただ、時たまに苛烈な生を歩む荒耶を見ると憐れでならない、という点は否めない。


 だからだろう、梟は友誼らしきものを感じる荒耶に提案する。


「手前自体に可能性はないが、もしかすればいつの日か可能性を持つ奴と出会うかもしれねえ。そん時にゃ朔を貸さんでもねえぞ」


「……七夜、か。確かに私自身は無力に等しい。だが、手駒にするには相応しいだろう」


「ひひ、ひ……、まあ、どっちもまだくたばってなけりゃの話だがなあ」


「どのみち、あらゆる方向から抑止力は働く。私の関与しないところからもだ。ならばその不条理を断つため、あるいはあの七夜を借りる事もあるかもしれん」






 ――――この会話をもってして荒耶は自分ではなく他人の才覚に賭け、遂に長年焦がれて求めた存在と出会う事になるが、遂には気軽に交わされた口約束が叶わなかった。


 梟の着想から得た漏れることのない蒸留所として奉納殿六十四層を作り上げ、人工的な心象風景を作れども、彼が七夜を呼ぶことも、梟が死んだ後にその約束は曖昧にされ、対抗手段のひとつを失った荒耶は一人の少女に果敢と挑み、そして再び辛酸を舐めて敗北を味わう。


 だが、それは後の話としよう。


















 蛇足
 もし、式と朔が戦っていたならば、荒耶戦にて。

「魂を削りながら彼は自殺を是とし、お前は否とした」

 ――――という台詞を載せたかったなあ。

 しかし、荒耶は取り扱いが難しいですね。
 と言う事で、番外編でした。次回やっと本編に入ります。


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