小鳥の囀りと、差し込む朝日の光で目が覚めた。
結局、悩んだところで答えがすぐに出るはずもなく、それどころか知らぬ間に眠ってしまっていたらしい。酒も入っていたから仕方ないといえば仕方ない。
しかし困った。まったくもって困った。戦争まであと7年くらいあるからといって安心していたら、頭から冷水をかけられた。
現実からは誰も逃れられない――なんともはや、この世の真理を見せつけられたかのようだ。
ぶつぶつと憂鬱な気分を口から吐き出し、言葉にならない音の塊を垂れ流しながら洗面台へと向かう。
鏡の中には、髪はボサボサ、顔には少しだが酒気が残っている冴えない男の風貌が移っていた。お世辞にも凛々しいとはいえない状態だ。
まず口をゆすいでから、ざっと歯を磨き、その足で服を脱ぎながらシャワー室に向かった。
シャワー室の扉を開けると、そこには見覚えのある黒猫が佇んでいた。
「キケロー、お前も浴びるか?」
「にゃあ」
キケローは尻尾を振り振り、肯定の意を示した。
キケローは温かいシャワーが大好きだ。おそらく、僕が起きるのを待っていたんだろう。
あまり関係はないが、セネカは絶対に入ろうとしない。それはそうだ、水浴びが好きな鷹はそういないだろう。
ノズルを捻ると、暖かな雨が優しく降り注ぐ。眠気と不快感、それに酔いの残滓が纏めて押し流され、少し心中にも余裕ができた。
頭から爪先まで湯が伝うと、表現しがたい安心感が体を満たす。
足元には、機嫌良さげに目を閉じて、一緒にシャワーを浴びるキケロー。
可愛くて、座り込んで頭を撫でると、もっともっとと言うように頭を押し付けてきた。
惜しみなく愛を向けてくれる家族を、僕もまた、胸が締め付けられるくらい愛おしく思う。
その反面、よく分からない寂しさと怖さを覚えた。
酒の残りがシャワーと一緒に抜けて、一気に頭がクリアになったからだろうか。
「……浮気するなよ? 僕の家族はお前とセネカしかいないんだから、さ」
堅物の父も。
人形の母も。
予備の妹も。
なにもかも打ち捨てて、失くして、最後に残ったのがキケローとセネカだ。
この2匹がいなくなるのは、とても寂しくて、辛いことだ。
そんな思考が浮かぶのは、運命の渦が間近に迫っていることに気付いてしまったから、なのだろうか。
先の余裕や安心感はいつのまにやら失せ、気付けば、口が勝手に動き出していた。
「今までケインを生かすために努力してきたつもりだった。でもさ、全然そんなことなくて……」
「……?」
キケローは首を傾げる。人間の言葉は分からないが、僕が落ち込んでいるのは分かっていて、戸惑っているのだろう。
僕は構わず、言葉を続ける。こういう時は喋れない相手の方が都合がいい。
「踏ん切りが付かないんだ。覚悟が決まらない」
それは、当然のことでもあった。
命のやり取りをしたことなど、ほとんどない。
尋常なる決闘で誰かと対峙するなど、恐ろしくてたまらない。
僕は真っ当な魔術師ではないが故に、真っ当な魔術師との戦いを恐れていた。
遠坂は凡才だ。それでも雑魚ではない。正々堂々と戦って勝てる保証などない。もし、現時点で聖杯戦争時の7割以上の技量を持っているならば――僕が焼き尽くされる可能性も高いだろう。
ルーン占いは最善の道を示しはしても、その成功率までは保証しない。もしかすると、他の選択肢は10%か20%の成功率である中、決闘の成功率だけが40%だというだけのことかもしれない。
最善だからといって、成功するとは限らない。
それは、魔道を歩み始めて最初に学んだことだ。
この手を血に染めて――痛いほどに刻みつけられた、訓戒だ。
「人殺しは初めてじゃない。それなのに、殺し合いが恐ろしくてたまらない。人を殺すのが怖いんじゃない、人に殺されるのが怖いんだ。そんな僕を、臆病だと思うかい? 少なくとも、自分の一族郎党、容赦なく皆殺しにした男の言葉じゃあないよな」
ここで真に度し難いのは、僕の恐怖が自己保身においてのみ発せられているということだった。
人並みの良心と常識を持ち合わせていながら、自分の罪や咎は棚に上げ、僕という存在が失われることを恐れている。これが卑怯者の臆病者でなくてなんだというのか。
もし、遠坂に一切の反撃を許さないまま、一方的に致命傷を負わせることのできる手段があるならば、迷わずそれを使うだろう。その後の家族にアフターケアを行うくらいならするかもしれないが、それはあくまで、ついでのことだ。
それは魔術師ならずとも当然の決断ではある。しかし――
「……みゃぁお」
キケローが、するすると僕の膝に登ってきた。
目と目が合う、その瞬間――ペロリと舐められた。
鼻の頭から始まり、頬、口、耳たぶまで、顔を満遍なく舐められる。
まるで、雌猫が番にする毛づくろいのように、優しい舐め方だった。
「く、くすぐったいな……やめろ、分かった、ありがとう。もう大丈夫だから」
キケローは素直に降りる。本当に空気を読むのが上手い猫だな、こいつは。実は人間の魂が入ってるんじゃなかろうか。
心が荒んだ時、余裕がなくなった時、この可愛い黒猫はいつだって傍にいて、励ましてくれる。慰めてくれる。
セネカは僕の使い魔だから、家族とは少し違う。でも、キケローは正真正銘、名実共に僕の家族だ。
僕には過ぎた、家族だ。
自己嫌悪と恐怖は、和らいで意識するまでもないほどに小さくなっていた。
足に頭をもたせかけてくるキケローを撫でながら、僕は自然と笑った。自然に笑えた。
「まあ、そう短絡的に戦ったりはしないよ。できれば遠坂も殺したくはない。荒事は嫌いだからね」
そう。まだ戦うと決まったわけじゃない。
僕が死ぬとも決まってはいないし、遠坂も話が分かる人間でどうにかなるかもしれない。
僕には、とっておきのカードがあるのだから。
ただ気になるのは、それが最善の手段ではないと占いに出たことだ。
聖杯戦争に全てを懸けてきた御三家が一角――遠坂。
それが素直に認めるとは思えない。
そう――聖杯の汚染などという戯言を見ず知らずの人間から聞いて、信じるとは思えない。
万が一、信じたところで――聖杯を諦めるわけがない。
現在、有効であろう選択肢は三つ。
一、当初の予定通り、決闘で事故を装いブチ殺す。
できることなら、魔術刻印や礼装も破壊し、遠坂の命脈を完全に断ち切りたい。残された妻子については……復讐が怖いし、魔術協会にそれとなく情報を流して、どうにでもしてもらうのが一番だろう。ハイリスクハイリターンな一手だ。
欠点としては、後味が悪すぎることと、僕が土壇場になっても実行できるかどうか、その覚悟があるのかどうか、イマイチ判然としていないあたりが挙げられる。やるならとことんやりきらないと、この手の方法は意味がなくなってしまうのだけれど。
後は、単純に勝率の問題になってくるから、今はなんとも言い難い。
二、遠坂には特に危害を加えず、関与しない。少なくとも、そのように見せかける。
来る聖杯戦争に備え、こちらの情報は一切漏らさず、ひたすら遠坂の諜報に務める。隙あらば権力闘争に巻き込むなり刺客を送り込むなりしてもいい。それで勝手に死んでくれれば御の字だし、そうなったなら、残された家族の面倒は僕が見ても構わない。それくらいの責任は負ってもいいだろう。
最も無難で妥当な選択肢ではあるが、まだ情報が不足しすぎている上に、これから状況がどう動いていくのかに大きく左右される。要するに、運任せの側面が強い。不安を覚えない方が無理だ。
三、聖杯の秘密を明かし、大聖杯の解体、聖杯戦争の終結を求める。
これが一番望ましく、そして成功率が最も低い手だ。
まず、なぜそんなことを知っているのかという話になるが、話せるわけがない。高次元の異世界から魂だけで来ましたなんて言おうものなら、次の日にはホルマリン漬けになること確定だ。重要度としては魔術協会の中でも最上級のものだろうが、なんの慰めにもなりはしない。
かといって、占いで知った、調査した、それは付く価値もない稚拙な嘘。占いがそんなに万能なわけはないし、遠坂や間桐の目をかいくぐって冬木の大聖杯を調査するなんて、笑い話にもならない。管理者としてのプライドにかけて、遠坂はあの地を守護しているはずだ。
仮に信じてもらえたとしても、どうにかなると考えて戦争を開催する可能性の方が高い。
以上の点から鑑みて、結果的には僕の首を絞めて終わってしまうようにしか思えないのだ。
取り敢えずは、遠坂との接近が急務。
実際の人格、趣味、嗜好、思想、癖――思いつく限りの全てを調べておきたい。
ならば、僕が真っ先に遠坂と親しくなることで調査を容易にし、また時計塔での交友関係をできる限り束縛する。
つまり、遠坂勢力の拡大を消極的に阻止しつつ、遠坂時臣の調べを進め、後はその結果に応じて決断するということだ。
正面から闘うのか、搦手から攻めるのか、それとも胸襟を開いて打ち明けるのか、決めるのはその後でも遅くない。
僕はシャワーを止め、体を拭く。隣でキケローが体を震わせると、濡れ鼠の体から水滴が飛び散って本棚に付着した。
「おいキケロー」
「にゃー」
知ーらないっと。
そんな感じの鳴き声を残し、キケローは窓際に走り寄って日向ぼっこを始めた。
朝が早く、寝起きから水浴びをする猫――やっぱりこいつおかしい。
僕はというと、手早くTシャツとジーンズを履き――セネカの不在に気付いた。
「セネカ」
声帯振動を通して使い魔に念を飛ばすと、こちらに戻ってくる途中だということが分かった。その足に、ある書類を掴んでいるということも。
まったく、以心伝心とはこのことだ。本当に良く出来た使い魔で、僕も鼻が高い。
僕は忠実で気が利く鷹の帰還を出迎えるべく、窓を開ける。
風が差し込んだことで、キケローが身震いしながら講義の鳴き声を上げても気にしない。
その直後、セネカが開いた窓から部屋の中へ飛来し、キケローの体に接触して床にズリ落とすと同時に、僕の手の中へ絶妙なコントロールで書類を落としていった。そのまま直進し、止まり木に着陸する。
キケローの威嚇に動じず、しゃなりと佇むセネカに苦笑いを漏らしながら書類を開けると、そこには一言、こうあった。
――遠坂時臣・来英予定日6/9――
ふむ。やはり遠坂の来英は本当だったか。導師は酔っても嘘をつかないのだから、99%確定していたのだが――これで100%だ。
6月9日といえば3日後。根回しは十分に間に合う。
人間との出会いは、第一印象が大事だというし、ここらで先手を打つのも悪くない。
あまり占いを多用すると、運命を読み違える危険も少なからずあるので、ここから先は僕の推測と独断で動くことになるだろう。
しかしやはり、先手を打つのは僕だけでは無理っぽい。たまには知り合いの威でも借りてみるとするか。
本人のためでもあるし、バチは当たらないだろう。
「ansuz(伝達)」
一工程(シングルアクション)の遠話の魔術を発動。右手の人差し指に嵌めた指輪の台座にある青い石が発光する。
あらかじめ僕の魔力を注ぎ込んだルーン石を持っている相手に話しかけることのできる魔術だ。通信機のようなもので、距離が離れているほど魔力の消耗は激しくなり、通信には僕の魔力を消費する。受信には石の貯蔵魔力を使うため、使いすぎると、こちらからの発信はできるのに相手側が受信できない、なんて間抜けなことにもなりかねない。
しかし、こういった緊急の用事には最適である。
普段なら歩いて会いにいくのだが、お目当ての人は一昨日からロンドンを離れてしまっているので仕方ない。
今は確か、キングストンの支部に出かけたんだったか。少し距離があるな。
《……こん、朝、ら、何……?》
遠方にいるせいか少し雑音混じりの声が、ルーン石から聞こえた。
このままでは会話もままならないので、魔力をより多く注いで出力を上げる。
「あーあー、聞こえるか? 出力上げてみたんだけど」
《……ああ、クリアになった。だが、こんな朝から何事だ? この私の眠りを妨げるとは、一体なにを考えている》
どうも起きたばかりらしく、かなり不機嫌そうな声だ。相手が僕であるにも関わらず、傲慢スイッチがオンしてしまっている。
ここは彼の性格上、何事もなかったかのように本題へと入ったほうが良いだろう。注意を逸らすべきだ。
「朝から悪いね。ちょっと力を貸して欲しいことができたんだ」
《君が私に頼み事を? 珍しいことだな。言ってみろ》
「いやなに、時計塔に遠坂時臣っていう新入りが来るはずなんだけど、その迎え役、僕がやってもいいかな?」
《なに?》
素直に驚いたらしいケインの声は、やや新鮮なものだった。
僕の真意を図りそこねて困惑しているのは間違いないだろう。頭の回転の速さに関してはそこらの凡人よりも抜きん出ているケインが、固まってしまっている。
《確かに、そのような者が時計塔に来るらしいとは聞いている。だが納得いかないな。なぜ君が、そのような者を気にかける?》
約5秒の沈黙。
その無駄な時間を経て、ようやくケインは、いつもの冷静さを取り戻したようだ。静かな声が聞こえてくる。
ただ、静かすぎて不気味なものを感じた。
戸惑い、驚きだけでなく――どこか、怒りのようなものを含んでいる気がする。
わざわざ起源覚醒をして“声色を観た”わけではないが、まず間違いないだろう。
まさか、本当にホモのヤンデレ君、というわけではないはずだが。
……違うはずだ、うん。
「いや、あのゼルレッチ老に見出された魔術師の子孫だろ? エーデルフェルトとは滅多に会えないし、その他に存続している家系は貴重な存在だ。会えるときに、会ってみたいじゃないか」
この理由なら、ケインに怪しまれることはないはずだ。
あの傍迷惑かつ奔放な宝石クソジ――もとい、知識と力と栄光溢れる魔導元帥閣下の身に余る教えを受けてなお、5代という時を経た遠坂は、割と本当に珍しい。
仮にも魔術師ならば、食指が動いたっておかしくはない。
ちなみに、当たり前だが僕はゼルレッチ老に会ったことなどない。もしも会っていたなら、五体満足でここに立っていられるかどうかは怪しいものだ。
小説やゲームではあまり悪く書かれていないが、実際、時計塔では真剣に議論がされたこともあるくらいだ。
なにについてかというと、魔法使いと疫病神、どちらの呼び名がより的を射ているかだ。気まぐれに平行世界を飛び回れる魔法使いなど、迷惑極まりない。災害よりもタチが悪い。
正直、聖杯戦争の件がなければ、遠坂とは関わりたくもない。エーデルフェルトにだって、会う機会はあったけれど故意に見過ごしているくらいだ。
《……ふむ。まあ他ならぬ君の頼みだ、聞き入れるのも吝かではない。しかし、空港に迎えに行くほど執着を見せるのは、どうも腑に落ちん。なにか他の理由があるのではないかね?》
なんと鋭い。ケイン、お前はKYだからこそケインなのに。
疑問の根拠が推理や推察ではなく、純粋な感情論の気もしないではないが、深く考えるのはよそう。そっちの方向に意識してしまったら、今までのように友人関係を続けるのは不可能になってしまう。きっと勘違いだ。そうに決まっている。
――どうも最近、エリザベスや腐女子コンビのせいで妙な想像をしてしまいがちだ。ここらで頭の中を清掃しておかないと、僕も危ないかもしれない。
「うーん……」
《なにを言い淀んでいる?》
「いや、そんな理由があったかな、と思って。」
大雑把に相槌を打ちながら、考えを巡らせる。
さて、困ったことになった。
今のケインに迂闊な返事をしても、見破られる可能性が高そうだ。しかし、馬鹿正直に聖杯戦争のことをベラベラ喋って、無駄な興味を煽りたくはない。
かといって、上手い言い訳もすぐには思いつかない。
ふむ――ここはまあ、嘘を突き通すのが妥当かな。ケインのKYが平常運転であることを祈ろう。さっきの鋭さは気の迷いか運命の気まぐれだと思って。
「考えてみたけど、特に思いつかないね。なんとなく、としか言いようがない。なぜか興味が湧いたんだ」
《ほう。そうか。成程な。十全に理解した》
「そりゃ重畳」
それっきり、会話が途切れた。
やはり嘘は下策だったか。しかし、それ以外の対応は論外だ。
なんだか無駄に重苦しい沈黙が続き、僕は耐え切れずに口を開いた。
《分かった。手配しておこう》
「え、マジで?」
見計らったように、ケインが答えた。
僕は前につんのめりそうなのを必死で堪え、代わりに動転したまま言葉を発してしまう。
いや、かなり予想外だ。さっきまでの反応からして、もっと渋るかと思っていた。
《君には友人が少ないようだからな。このあたりで人脈を広げておいてもらわなければ、この私の友人には相応しくない》
「お前――」
お前が言うな、と素でツッコミをいれそうになった。
いや、魔術師の友人が少ないだけで庶民には友人多いから。完全にぼっちのケインとは違うから。
しかし、余計なことを言って変な疑問や喧嘩の種を蒔いてもつまらない。ここは僕が、大人と勝者の余裕を持って引き下がるべきだろう。
「――そうだな。まあ、そうだ。気を遣ってくれて、どうもありがとう」
どうもイラつく答えではあったものの、冷静に反応する。
すると、石の向こうから得意げに鼻を鳴らす音が聞こえた。
《なに、友として当然の助言と忠告をしたまでのこと。君の希望はキングストン支部を介して伝えておこう。では、そろそろ仕事があるので失礼するよ》
そう言って、ケインは通信を切断した。僕としても用は済ませたので、別に構わない。
が、やはりイラッとくる。
「あーあ、ったく……」
もう少し、空気が読めるように、人を思いやれる人間になってはくれないものか――そんなことを思って、自然と溜息が出た。
◆◇◆◇
「失礼するよ」
そう言い、一方的に通信を切る。
そのまま石を机の上に置き、私は深く椅子に座り込んだ。
まったく、急に連絡してくるなど初めてのことで、一体なにが起こったのかと思えば――取るに足りない、凡骨の魔術師と渡りを付けてくれ、などと。
とうとう血迷ったか、と思ったほどだ。
いや、血迷うという表現は正確ではない。彼は血迷った状態こそが平時のそれであり、魔術師らしい一面はむしろ戦闘の中において発揮される。人が変わったような冷徹さを見せる。
私がベンを親友として認めるのは、偏にその才能と観察眼、そして人間性ゆえだ。
彼は私をアーチボルトとして観察し、なおかつケイネスとして見る。
アーチボルトという権威の衣の存在を認め、その本質を理解した上で、私自身をも見透かしているのだ。
それは、私の自尊心と、ベンと出会うまで秘められていた欲求を解き放つのに十分すぎる事実だった。
そう、私は――好敵手が欲しかった。
友が欲しかった。
アーチボルト家に固有の才能ではなく、ケイネスに特有の性質を認める者が欲しかった。
私に勝るとも劣らぬ才を持ち、競いあえる相手が欲しかった。
私は孤高なる者だ。それがロードの宿命であり、義務でもある。下々の存在と対等に付き合っていては、先祖より受け継いだ権勢が、名誉が、傷つけられることにもなりかねないからだ。
そしてバンクス家は、はっきりいってアーチボルトが付き合うに値しない。家そのものが滅んだ上に、残された嫡子は平民と親しくする変わり者だ。
それでもベンは、私と並び立つに相応しい存在であった。
その柔軟性、11代に渡って磨かれた魔術、権力に尻尾を振ることのない真摯で純粋な魔術師としての姿勢。
全てが好ましかった。
五年も経ったいまでも、明確に思い出せる場面がある。
かつて出会ったばかりの頃、私から持ちかけた決闘で私を完全に打ち破ったベンは、迷いなく手を差し伸べ、こう言った。
「ミスタ・アーチボルト。貴方はとても――ああ、なんだ、面白い人だな」
当時の私には意味が分からず、目を瞬かせることしかできなかった。
それからしばらくして、ベンの一片を理解して、ようやく納得した。
なんのことはない。ベンは、私と付き合うことが面白そうに思えたから、感情のままに手を差し伸べた。それだけのことだ。
根底にあるのが、魔術師としての知的好奇心なのか、それとも別のなにかなのかは、私の知るところではないが。ベンに聞いても、別にどちらでもいいなどと言うだろうが。
そしてその習性は、今でも変わっていないらしい。
敗者である私は勝者の希望に従い、そして今、我々は親友だ。
ベンは、私にとって唯一の親友だ。
私は、ベンにとって、親友の一人だ。おそらくは、だが。
そこまで考え、鼻を鳴らす。
なにやら分からない、謎の熱と虚脱感が体を襲ったからだ。
どうも妙な気分だ。
私にはこれがなんなのか理解できないが、強いて言うならば――怒りに近いのだろう。
トオサカと関わりを持つことは、決してベンにとってのマイナスにはならない。だからこそ、私は彼の頼みを受け入れたのだ。
しかし、それだけでは説明できない不快感がある。
理屈とは別に、溢れる感情がある。
そこで気がつき、自覚した。
感情の正体を知識と推察によって見定め、見極めた。
だが、その結果として得られた事実は、まったくもって不愉快極まりない。
完璧な魔術師である私が――一介の凡骨風情に、嫉妬しているなどと。
そのような馬鹿馬鹿しい結論を、見出してしまったのだから。
本日の作者呟き
・遠坂との関わり、人脈
ベンは一応、アーチボルトの派閥に所属していると考えられているし、実際その認識でも間違いはない。ただ、あくまで個人的な友人であるために政争では力が弱い。
ゆえに、遠坂を味方に引き入れておけば、ベンも力を増し、アーチボルトもお得。
ただ、ベンはそこまで考えてないし、もともとケインは不干渉でいくつもりだった。遠坂へのアプローチで余計な波風を立てるデメリット、遠坂との繋がりを得るメリット、メリットとデメリットを天秤にかけると、対費用効果は極小だからである。
・決闘で負けた
ケインはベンに決闘で負けた。それは事実。ただ、ベンはそのことを周囲に隠しているので、ケインも従って隠している。ちなみに、ベンは真っ向から戦ったが、事前の準備と根回しが効果を発揮して勝った。ゆえに純粋な決闘とは言い辛い。もしそうでなければ、ケインは自分が負けたことを隠さなかったかもしれない。
ただ、当時のケインには月霊髄液がなかったので、現在は正々堂々戦ったとしても微妙な勝率。短期決戦なら7:3でケイン有利、それを凌げば五分五分。
・嫉妬しているなどと。
ホモじゃないよ。でも、仲の良い友達が自分を差し置いて他人と仲良さそうに喋ってたら、ちょっぴり気になるはず。え、気にならない? そうですか。