第38話 どこまでも普通でいられたなら─────第一節 夢────────見た事もない景色だった。頭上には炎の空。足元には無数の鋼。戦火の跡なのか、世界は限りなく無機質で、生きているモノは誰もいない。灰を含んだ風が、鋼の森を駆け抜ける。剣は樹木のように乱立し、その数は異様だった。十や二十ではきかず、百や二百には届かない。だが実数がどうであれ、人に数えきれぬのであらば、それは無限と呼ばれる単位だろう。大地に突き刺さった幾つもの武具は、使い手が不在のままに錆びていく。夥しいまでの剣の跡。───それを、まるで墓場のようだと、彼は思った。誰もいない、見渡す限りの赤い荒野。担い手なんて誰もいない無数の剣。空は荒れ果て、遠く地平の彼方には森も街も海もない。どこまでも、無限に続く剣の丘。目を閉じる。視界は黒くなって、見えてきたのは荒廃した世界。そこで、立っている人物を見た。彼は何かが欲しかった訳ではなかった。まわりに泣いている人がいると我慢ならない。まわりに傷ついている人がいると我慢ならない。まわりに死に行く人がいるとしたら我慢ならない。それだけの理由で、彼は目に見える全ての人を助けようとした。不器用で、みている方が寿命が縮むような事も幾つも成し遂げた。そして、その度に多くの人を救い、運命を変えたのだと思う。控えめに言っても、それはきっと幸福に近いものだっただろう。不器用な戦いは無駄ではなかった。傷ついた分、死に直面した分だけきっちりと、彼は人々を救えていたのだから。『――ただ、誰かを救えれば良かった』……けれど、そこに落とし穴があった。目に見える全ての人、と言うけれど。人は決して自分を見る事だけはできない。だから結局。彼は一番肝心な自分自身という者を、最後まで救えなかった。『契約しよう』彼は、きっとそれだけが動力だった。それだけが望みだった。誰に笑われても、憎まれても、怖がられても構わない。救えるだけ救い、救えなかった分だけ心を痛めて。数多の戦場を駆け、数多の絶望を知って、それでもなお己の理想を信じて走り抜けた。そうして辿り着いたのが、とにかく酷い災害だった。多くの人が死に、多くの人が死を迎えようとしていた。彼一人ではどうしようもできない出来事。多くの死を前にして、彼は─────『我が死後を預ける。その報酬を、ここに貰い受けたい』己が身を捨てて衆生を救った。……これが、英雄の誕生だった。それで終わり。そこから先はない。英雄と呼ばれようと、彼のやる事は前より変わらない。もとより。彼の目的は英雄になることではなかった。ただその過程で、どうしても英雄の力が必要だっただけの話。『――構わない』だというのに、終わりは速やかにやってきた。傑出した救いてなど、救われる者以外には厄介事でしかない。『最期に、助けたハズの誰かに裏切られて死んだとしても』彼は自分の器も、世界の広さも弁えている。救える者、救えない者を受け入れている。だからこそ、せめて目に見えるものだけでも幸福であって欲しかった。例えそれが偽善と罵られたとしても。例えそれが狭い価値観だと侮蔑されたとしても。それでも、無言で理想を追い続けたその姿は、胸を張っていいものだったのに。『───悔いは無かった』彼は結局。契約通り、報われない最期を迎えた。─────そうして、その場所に辿り着く。彼には仲間らしき人もいたし、恋人らしき人もいた。その全てを失って、追い求めたハズの理想に追い詰められた。彼の理想に共感できる。彼の思想に共感できる。けれどそれは駄目だ、と思う。行き場もなく、多くの怨嗟の声を背負いながら、それでも、彼は戦い続けた。死に行く運命を知っていながら、それを代償ささえに、己が手に余る“奇蹟”成し遂げようとするように。自分なら、それを受け入れる。彼のように生きて、彼の様に死んでも構わない。寧ろ、その様に生きなければいけないとすら思う。彼は自分ではない。彼には仲間がいた、恋人もいた。なら、彼の死を悲しむ人はいるはずなのだから。……けれど、それも終わり。辿り着いたのは赤い、剣の丘。担い手のいない錆びた鋼の丘で、彼の戦いは終わりを告げた。哀しい人生だろう、と思う。────やはり独り。それでも、目に見える人々を救えたのなら、悔いる事など何もないと。彼は満足げに笑って、崩れ落ちるように、剣から手を放した。(────なら)薄れゆく夢の中で思う。彼の考えは自分と同じで、彼の思想も自分と同じ。けれど彼は自分ではないのだから、そんな生き方をしてはいけない。(お前がお前自身を救えないっていうなら)なら、やることは一つ。彼と同じ理想を持って、彼と同じ思想を持って。彼が救ってきた者達と同じように。(俺がお前を救ってやる────)彼が行ってきたそれは。あの灰色の世界に救われた、衛宮士郎自身が為すべきことなのだから。その罪も咎も。全てを受け入れて、前へ進む。そこに取りこぼしなんてものはないし、後悔なんていうのもない。例え彼が気に食わない存在だったとしても。彼の理想通り……目に見える者全てを救うのが、衛宮士郎の理想なのだから。◆「────────────」体が重い。目覚めは快適な者ではなく、僅かに頭痛を伴っていた。「昨日……っていうか今日の戦闘の所為…ってわけでもない、か……」赤い外套を羽織った、鋼の如き瞳の男。サーヴァントとは英雄と呼ばれる存在だと言う。ならば、あのどうしても相容れない感覚の拭えぬ男も、やはりかつては英雄として数多の戦いを乗り越えたのだろう。だったら今の夢は、その男の記憶だろうか。「……って、六時越えてら。朝食、作らないと…!」布団から出て、パパッと着替えを済ませる。次に献立を考える。「桜と氷室と美綴には消化しやすいお粥を用意する、か」自分の分を含めて十名分。急いで支度しなければ、待たせることになる。襖を開け、物音を立てないように居間へ向かう。「…………ん?」ぴたり、と立ち止まって、障子越しに中の様子を窺う。部屋には美綴と氷室が眠っている。もともと別々の部屋だったが、イリヤ達の部屋の配置なども考えて、二人は同じ部屋にするということで決まっていた。規則正しい二人の寝息が聞こえてくる。その状況に安堵する一方で「………一つ屋根の下で女の子がこう、いっぱい寝ているっていうのは精神衛生上よろしくないと思う……」居間へと向かい、朝食の準備をするとしよう。─────第二節 誰にも言えない秘密─────「あ……れ………」綾子は目が覚めた。体はまだ思う様に動かないし、熱い。「は……ぁ─────」首をゆっくりと動かして、周りの状況を確認する。すぐ隣に、氷室が眠っていた。こころなしか、顔が紅く染まってみえる。「運ばれて…きたんだな、あたし……」起き上れないところから見て、どうもまだ回復しきっていないらしい。“赤い障子”に目をやった。「夕方……なのかな」部屋は、まるでぬちゃりと音を立てそうなくらいに赤かった。天井も赤くて、布団も赤い。「起き、ないと………」ゆっくり腕に力を入れて、動くはずのない体を動かした。体を起き上らせるだけで体が発熱して、服を脱ぎたくなる。「は…ぁ…」…それにしても痛い。あまりにも赤くて、目眩がする。ふらふらと立ち上がる筈のない体を立ち上がらせて、襖を開ける。廊下には誰もいない。相変わらず赤いのはそのままで、この家には人がたくさんいるのに誰もいない。夕方だから、みんな居間の方なのだろうか?「ぁ………」足を居間の方へと動かそうとしたときに、赤い髪の少年とぶつかった。飴細工のように甘い匂いがして、足が崩れ落ちそうになった。『 ?』声をかけられた。何ていってるのか聞こえない。「あたしは…大丈夫、だよ。衛宮…」ぶつかった際に少年の体に凭れかかっている。匂いが鼻に刺さる。体の体温が伝わってくる。正直に言うと動きたくなかったが、そう言って顔を見上げた時「─────」唇が触れていた。後頭部と腰に手を回され、抱き寄せられている。思考が一瞬で白くなるが、そんな事は知らないと言わんばかりに舌が口の中に入ってくる。少年の舌が絡みつき、唇がどんどん濡れていく。「……………ん……ぁ」がくがく、と足が震えだした。抱擁されている安心感と幸福感がじわりと体に滲んでくる。この状況が異常だと知りながら、いつの間にかそれを受け入れ、それだけではなく求めている自分がいる。「あ…………」抱き上げられて、さっきいた場所に戻ってくる。息は上がって、目は少年の姿しか映さない。隣で寝ている筈の少女の事すらも、もはや思考の中にはなかった。「んっ………」寝かされた上から、また唇を重ねられる。頬に添えられた掌は温かく、頭がぼうっとしてくる。どこか甘く、どこか酸味のある味が口の中に広がってゆき、無意識に身を委ねていた。「は、………ぁ」頬に添えている手とは別の手が、胸を触った。触れた手が掴み、動いていく。唇が少しだけ離れる。二人の唇の間には零れた唾液が糸を引き、妖艶さを感じさせる。服のボタンは外れ、パンツもいつの間にか履いていない。そうして──────「えみっ……や………!!!」跳び起きた。「──────、──────……?」肩で息をしながら、まずは自分の状況を確認する。服のボタンは外れていないし、口元も普通で、しっかり下も履いている。視界は赤くないし、士郎もいない。つまり。「夢………か」ばふっ、とそのまま倒れる。そりゃそうだよな、と混乱する頭を無理矢理納得させて目を瞑る。一息ついたあと、今見た夢が異常に異常だった光景でもう大変です。「~~~~なんて夢見てるんだよ、あたしは………!」頭を枕に埋めて、とにかく顔を隠す。誰が見ている訳でもないが、とりあえず隠さないといけない気がする。「……ちなみに、どんな夢を見たのか教えてもらいたいのだが?」「ひゃぁうっ!!!??☆↑」ビックゥゥ!! と盛大に肩を震わせた綾子は、それはもう条件反射の様に布団を被った。とても朝とは思えない心拍数をその身に感じながら、恐る恐る声のした方へ顔をやる。「あ……ぁ、その。…おはよう、氷室」「…おはよう、衛宮の名前を呼んで顔を赤くして枕にうずめて顔を左右に振った美綴嬢」じー、と僅かに顔を見せた綾子を見つめ続ける。対する綾子はどんどん背中に冷や汗をかいていく。体は熱いのに感覚はどんどん冷めていくようにすら感じる。「い……いや、氷室。アンタは何を考えてる………?」「……美綴嬢が見たであろう夢の内容を」もはや視線すら向けれなくなった綾子はゆっくりと鐘に背中を向ける。相変わらず心拍数は高いままで、鼓膜に心臓の音が響いてくる。「あ、アハハハ。いいじゃん、そういうのは気にしないで…。ほら、夢って起きると忘れるモノでしょ?」背中を見せて顔を合わせようとしない綾子。そんな姿を見た鐘は、背後から近づき「 」耳元で小さく呟いた。綾子の反応は────「~~~~~~☆※↑↑⇒~$&!?」これ以上ないほど真っ赤になっていた。何を言っているかもわからないような声で振り返り、夢の内容を的中させた鐘の口を手で塞ぐ。これ以上言うようだと本気で恥ずかしくなってオカシクなる。が、ここでふと疑問に思ったことを口にする。幾ら様子がおかしいからと言って、ここまで的確に当てれるものだろうか?「────っていうか、もしかしてアンタも………」「──────!」押し倒すように鐘の上に乗り、口を塞いでいた綾子の口を鐘が咄嗟に塞いだ。だが、その騒動がいけなかったのか。ダダダダダッ、という足音とともに。バン!「氷室っ、美綴っ!どうした、何かあった………ん………」意中の人物が勢いよく襖を開けていた。二人の光景を見て固まる士郎と、士郎が入ってきた事実を見て停止する二人。士郎の目の前には、何かトテモミテハイケナイコウケイが広がっていた。「………………………………」「 」「────────────」三者全員固まって動けなくなること数刻。一番再起動が早かったのは意外にも士郎だった。「……あー…、なんか、その……とりあえず、ごめん。……お取込み中失礼しました。…………邪魔はしないので、その……ごゆっくり」すぅー、と静かにまるで何もなかったかのようにゆっくりと襖を閉めた。襖が完全に閉まるその直前まで、固まって動けなかった二人。だが、襖が閉まると士郎が自分たちの光景を見て何を想像したかを瞬時に理解。同時に即座に跳び起きて廊下へダッシュ。「え…!?」襖を思いっきり開けた先にいた士郎の首根っこを鷲掴みにして、見事な連携プレーで士郎を部屋へと連れ去った。その間わずか0.4秒。後に士郎が連れ込まれた光景を見ていたアーチャーはイリヤのインタビューに対して『人間という生き物はあそこまで速い動作で人を攫えるのだな。少し認識を改めるよ』と言ったそうだ。─────第三節 看病─────「……っていうか、アンタ達は何してたワケ? よくもまあそんな高熱で動けたものね」現在寝室。綾子と鐘は揃って布団の中で凛の手当を受けていた。体力はある程度戻ったとはいえ、夜中は死にかけるほどの生命力を奪われていた。いくら凛の治療を受けたからと言って、即座に完全回復するわけでもない。「……………」「……………」対する二人は何も答えない。と、いうより答えられない。士郎の誤解こそ解いたものの、恥ずかしさまでは拭えなかった。ちなみに士郎は桜の面倒を見ている。先ほどの事件があった手前、どうしてもまだ顔を合わせるには恥ずかしさが残っていた。「……ま、手当も済んだことだし今日一日はゆっくり休んでおきなさい。まだ、桜の容体も診なくちゃいけないから」一息ついて、凛が立ち上がる。その言葉を聞いた綾子は、凛に尋ねた。「遠坂、桜の様子はどうなんだい?」「……何があったか知らないけど、酷いものよ。綾子と氷室さんは、体力と魔力となる生命力を奪われただけだから、回復したら元に戻る。けど、あの子は昨日の夜“確実に死んでいる”。そう思わないと納得いかないほど、手足の筋肉がズタズタになってた。辛うじて動けるみたいだけど……」「確実に死んでいる……って、遠坂嬢。間桐嬢は生きているのだろう?」「ええ、体力も魔力も人並みに。……けど、それだけ」止めた足を動かして、襖を開ける。ゆっくりと閉めるその直前で。「二人には関係ない話よ。………今日はゆっくり休みなさい。この聖杯戦争、もう長くはないハズだから」そう呟いて、凛は寝室をあとにした。◆「ここ…は………?」重い瞼をゆっくりと開けると、そこは見覚えのない部屋だった。ベッドに寝かされ、服は自分のモノではない。「これ…先輩の家にあった……?」そう呟いたとき、不意に横から声がかけられた。「そう、ここは俺ン家。……目、覚めたか桜」「せ……先輩…!?」凛とは違う部屋で、桜は寝かされていた。隣に士郎が居る事に驚いて、めくろうとしていた布団を慌てて被りなおす。「ど……どうして先輩が…?」「どうしてって……公園で桜が倒れてたから、連れ帰ってきたんだ。…放っておくわけにもいかないだろ」それに間桐家にはもう誰もいない。慎二は聖杯戦争で殺されてしまい、桜しか残っていないのだ。「……そう、なんですか。……あの、この服…その…先輩が…?」「ん? いや、流石にそれをしちゃまずいだろ。遠坂が着せてくれた」「遠坂、先輩……?」名前を聞いて何やら顔色が暗くなる桜。その一方で事情を全く説明していなかった事を思い出して、適当に説明する。「ああ。……ちょっと訳ありでさ、今この家に何人か泊まってる。遠坂以外にも美綴とかいるから、まあ驚かないでくれ」「驚かないで…って。そんなの、驚くに決まってるじゃないですか……」「………そうだよな。悪い、一番初めに説明しなくちゃいけなかったのに説明が遅れちゃって」「……いいです。先輩は優しいですから、きっと…何か理由があるんですよね?」「ああ。……その理由ついでなんだけど、桜。昨日なんであんな公園に居たんだ…?」「……………」それに桜は答えない。彼女の表情は暗く、みている士郎も何か居た堪れない。恐らくは、鐘と綾子同様に連れ去れてきたのだろう、と勝手に結論を出す。「…いや、いい。無理に答える必要はないんだ、桜。……そうだな、それじゃ別の質問。……その、慎二は家に帰ってきてるのか?」この答えは知っている。しかしこう聞かなければ、不自然だ。慎二は家に帰ってない。それを知るのは家に住む桜だけなのだから、それを先に言い当ててしまうとなぜ知っているのかという疑問が生じてしまう。「…兄さんは帰ってきてません。数日前から…」「…そっか」深くは追及しない。心のどこかで、慎二はまだ生きてて家に帰ってきているのではないか、と淡い希望も持っていたがそれほど甘い現実ではなかった。昔からの友人がいなくなったのは心痛むが、同時に彼はマスターでもあった。やったことは許されることでもないし、マスターとして戦い、それで敗れたのならば同じマスターである士郎は何も言う事はないだろう。「なら、これからは家に泊まっていけ。あんな広い家で一人は寂しいだろ。桜の容体もまだ完全じゃないし、しばらくはこの家でゆっくりすること。いいな?」「……先輩が、そういうなら」汗で少し濡れた桜の顔を優しく拭き、汗を拭きとる。顔は少し赤く、息遣いも荒い。「そうだ。…ほら、お粥。俺特製、桜専用のお粥だ。栄養もしっかり計算、食べやすくて消化にもいいスペシャルメニューだ。腕によりをかけて作ったんだぞ?」桜が寝ているベッドのすぐ横に御椀に入れたお粥を見せる。ほんのり漂う香りと湯気が、より一層おいしそうに見せている。「さっきからいい匂いがしてるなぁ、って思ってましたけど…。おいしそうです、先輩」ゆっくりと桜を起こして、姿勢を安定させる。「それは何より。……それじゃ、ほら。……あ~ん」「え………、あの、先輩…?…………ぁ~ん」戸惑う桜だったが、小さく口を開けてお粥を食べた。もぐもぐと食べる様子はかわいらしく見える。「おいしい、です。先輩」「それはよかった。おいしそうに見える食べ物をまずくするっていうのはそうできないからな」その後もお粥が無くなるまで続けた二人。何事もなく食べ終えたのを確認し、また桜を横に寝かせた。「……ごめんなさい、先輩。本当はわたしが、先輩に作ってあげなくちゃいけないのに」「なんだ、そんな事気にしてたのか。いいよ、桜はゆっくり休んでくれて。桜は病人なんだ。休める時はしっかり休まないと後で後悔するぞ?」「後悔って…じゃあ、後悔させてくれるような事をしてくれるんですか? 先輩は」「む、そうだな……。桜の作ったご飯を食べてみたい気もする。その時は、じゃあ遠慮なく作ってもらおうかな」それで彼女が嬉しいというのであれば、その時は頼もうかなと考える士郎。ただやっぱり八年近く台所に立ち続けた身としては、少しくらいは手伝わないと落ち着かない気もするが。「じゃあ、約束ですよ先輩? わたしが治ったら、真っ先にごはんを食べてくださいね」「ああ、そんな約束でよければ幾らでも」席を立つ。これ以上話をして、桜を疲れさせるわけにもいかない。栄養はとれたし、話もできたし、桜の無事も確認できた。今は一人で休ませるべきだろう。「じゃあまた後で。昼メシ時になったら来るから、それまでは大人しく眠ってるんだぞ、桜」ベッドから離れる。彼女は声を出さず、横になったままこくんと頷いた。士郎が部屋から出ていき、一人になる。目を瞑って、今さっきまでの状況を今一度思い出す。「もうちょっと……だけ……」呟く声は誰にも届かない。ただ、自分の中にだけ届いていく。「もうちょっとだけ……いてもいいですよね、……先輩」─────第四節 事実と葛藤─────居間に戻る。そこにはテレビを見ていたセイバーとイリヤ、リズ、セラがいた。「遠坂は?」「まだ、二人の容体を見ているようです。こちらにはまだ」「そうか。……お茶でも出す、ちょっと待っててくれ」朝食の後片付けが終わっていない台所の空きスペースでお茶を入れる。ついでに軽い和菓子も数点。『―――新都の方では昨日に引き続き、今日も行方不明者が続出しております。住人が確認されていない建物は四十棟に及んでおり―――』居間に茶を運ぶと同時に聞こえてきた報道。視線をテレビに向けると、見た事もある新都の街が映し出されている。『――難を逃れた周囲の住人は誰一人として居なくなった隣人に気が付かず、警察では何らかの宗教団体が関与しているのではないかと―――』人数にして六十名弱。昨日の意識不明者数や失踪者数を含めるとたった二日で150名近くがいなくなった。「新都、新都……か。おかしな話よね、失踪者なら新都だけじゃなくて深山町こっちにも出てるっていうのに」「遠坂」廊下から居間へ入ってきた凛は空いているスペースに座り込む。凛の分のお茶はまだ用意していなかったので、台所へとまた立ち上がりお茶と和菓子を用意した。凛が座った前にそれを差し出すと、ありがと、と一言言ってお茶を飲み始める。「リン、この報道以外にもこちらで被害が…?」「ええ。今朝方ちらっと見回ってきたけど、人気が完全に無くなってる場所があった。……士郎もそれは知ってるんじゃない?」「……ああ、氷室達がいた公園の周囲の住宅地。あそこが不気味なほど静かだった」キャスターの竜牙兵と戦った公園。あれだけの騒ぎを起こしながら誰一人として現れなかった事実。「……関係ないわ」「イリヤ?」吐き捨てる様に、イリヤはテレビの電源を切った。「シロウ。私達はマスターなんだよ? 起きた事を悔やめるほどまっとうな人間じゃないでしょう」「それもそうね、イリヤ。私達にできるのはこれ以上の被害を拡大させないことだけ。…悔やむ暇があれば、打開策の一つでも見つけ出さないとね」ずず、とお茶を飲む。が、現状どこにいるかもわからない敵を探す手段はなかった。「……でも結局朝のうちから探す方法なんてないのよね。今は夜に備えて休んでおくか、準備しておくかのどっちか、か」「それもそうですね。各サーヴァント達も、影もこの朝に活動はしていないでしょう」ゆっくりと茶を飲みながら、和菓子に手を伸ばすセイバー。アーチャーはここにはいないが、この屋敷のどこかにはいるのだろう。「そうだ、遠坂。二人の容体はどうだったんだ?」「回復に向かいつつはあるわ。…けど、熱はまだあるから少なくとも今日一日は絶対安静。まぁ、前に呑ませた宝石の残りがまだ少しあったっていうのもあったからその程度で済んだんだけどね」そうでなくては、今もまだ目は覚まさなかっただろう、とのこと。凛の行動に感心しつつ、次に。「じゃあ桜はどうなんだ? 見た感じじゃ無事みたいだったけど」「…あの子、か」持っていた湯呑を置き、隣に座る士郎の顔を見る。その顔は真剣な表情そのものだった。「……ねぇ、士郎。あの子が倒れてた周辺に誰かいなかった? 不審人物とか」「? いなかったけど…どうしたんだ?」「………昨日の夜、何があったかは知らない。けどあの子、一度は確実に死んでるのよ。そう思わないと納得いかないほど、手足の筋肉がズタズタなのよ」「……まさか。桜、外傷なんてなかったじゃないか」「……外見だけキレイに繋ぎとめてるだけよ。…そして、それが出来ている、っていうことは結論として一つ」「あの女も魔術師、っていうことでしょ、リン」イリヤが話に入ってくる。それを聞いた士郎は一瞬時間が停止した。「…そういうこと。今思えばこんなことすぐに気付いたことだった。慎二はもともと魔術師としてやっていける人間じゃなかった。間桐の魔術回路は完全に閉じていて、慎二には魔術回路なんてなかったんだから」「ちょ……ちょっと待ってくれ、遠坂。けど、慎二の奴はたしかにライダーを…」「偽臣の書って知ってる? 慎二が持っていた本のことでね、あれは簡単に言ってしまえば他のマスターの権限を一度だけ手に入れることができる本よ。慎二も桜に作らせたんでしょうね。そうすれば仮とはいえマスターになれるもの」屋上でみた光景を思い出す。確かに慎二は魔術を使う際、本を手に持っていた。「………。そう、か…」考えれば簡単だった。慎二が彼に魔術師じゃなかったとしても、魔術師として参戦している以上、その妹である桜も何らかのつながりがあってもおかしくはない。いや、始めからそう思っていた。思っていた上で、考えようとしなかっただけだった。「…けど、ライダーはいなくなったんだろ? なら、もう桜は…」「いいえ、シロウ。ライダーはまだ死んでないわ。どこかに潜んでるんじゃないかしら?」「え……?」今度こそしっかりとイリヤの姿をその目にとらえる。どういうことなのかが理解できない。「…少なくとも私にはわかるのよ、シロウ。けど、そのライダーもキャスターと同じようにその“黒い影”に呑まれてるんなら、私は知らないけどね」セイバーはイリヤの言動を聞いて顔を伏せた。器の守り手。前回の聖杯戦争の細部までは知らない。けれど、アイリスフィール同様にその娘たるイリヤスフィールもまた『器の守り手』だというのであれば。或いは。「………く。俺は……」「そう落ち込む必要もないんじゃない?……あの子、貴方にだけは気づかれまいとしてたみたいだし。問題はなぜ桜が倒れていたのか、っていう話とどうやってあの傷を治したのかの二つよ、今必要なのは」「……ならば、本人に直接聞いてみてはどうでしょうか」セラが話に入ってくる。確かに聞けることなら、本人から聞くに越したことはないだろう。「…その本人は今眠ってるわ。よっぽど疲労が溜まってたんでしょうね。それに、ライダーがまだ生きているっていうのなら、迂闊な行動はとれないわね。いつ襲ってくるかもわからないんだし」「襲うって…、桜は俺達と敵対するようなことは…」「ない? 言い切れるかしら。今朝の氷室さんと綾子の容体。おかしいと思わなかった?」「え……?」「そりゃああの夜中の治療だけで万全になるまで回復させたとは言わない。けれど、それにしたって中が少なすぎる。……大よそ眠ってる間に少しだけ摂られたんでしょうね、ライダーに」「な……つまり、夜中にアヤコとカネがライダーに襲われたというのですか、リン」同じサーヴァントとして同じ家にいながらそれに全く気付かなかったセイバー。アーチャーもいたハズだが、反応がないからして同じなのだろう。「落ち着いて。……あくまでも可能性を言っただけよ。それに吸血行動だけなら魔力なんて必要ない。気づかないのもある意味普通だから、セイバーに落ち度はないわ。…まあ、落ち度があるとすれば誰かと同じ同室にしなかったっていうところかしら。いくらなんでも誰か別の人が同室に居ればそんなことは起きなかっただろうからね」「リン。貴女、可能性っていっておきながらライダーがさもやったような口調になってるわよ。言うならどちらかはっきりしたらどう?」「……言ってくれるじゃない、お子様。けどそうね、私はライダーが二人にちょっかいを出した、って見てるとだけは言っておくわ、士郎」「……わかった。けど、二人とも命には別状はないんだろ?……桜が指示を出したか、とかいうのもわからない。もしかしたらライダーの単独行動かもしれないし、そもそも遠坂の仮説が間違ってるって可能性もある」早々に結論は出さない、とだけ伝えて居間を立つ。それを見て不思議に思う凛が尋ねた。「ちょっと、士郎。どこいくの?」「藤ねぇのお見舞い。あと一成とかのお見舞いもあるか。桜も氷室も美綴も休んでいて、夜にならないと手がかりもわからない。……なら、今やることはないんだから今できることをやっとく」廊下へと続く障子をあけ、廊下へ出ようとしたときに「シロウ」イリヤを抱いていたリズが声をかけてきた。はてなマークをつけて振り返ると、リズは台所を指差して「朝食の後片付け…、終わってない」「…………あ」城では食事関係の仕事をしていたリズ。どうやらさきほどからずっと気になっていたようです。◆寝室。ベッドで眠るのは間桐 桜。完全に意識は無く、ただ眠っている。そこへ。すぅ、と現れたのは白髪の男。アーチャーだった。無言でベッドの傍に立ち、右手には白い剣がある。それを振りかぶり─────「……やはり居たか、ライダー」振り下ろしはしなかった。アーチャーの首元に突き付けられた短剣は、振り下ろそうものならばそれよりも早く突き刺されるだろう。「……サクラを殺すようであれば、アナタと、そのマスターを殺します」「…………」背後より殺気を向けられるアーチャーだが、意に介する様子はなくただ事実として右手に握っていた剣を虚空へと消した。それを確認したライダーは、アーチャーに離れる様に伝える。「さて、君は何を思う。この娘……普通ではないのではないか?」「……質問の意図が不明です。その質問には答えません。……ただ、サクラはこの屋敷での戦闘は嫌がっていた。貴方が何かをしない限りは此方からは仕掛けません」「ほう…、ではなぜあの少女二人から微量ではあるが魔力を租借したのかな、ライダー」「………」ライダーは沈黙を通す。それを肯定をとして受け止めたアーチャーは目を瞑る。だが、声だけは部屋に響く。「大よそ、その娘からなるべく魔力を取りたくはなかったのだろう。だが、それはマスターとサーヴァントという関係ではおかしな話だ。つまり、それだけその娘に余裕がないということ」沈黙の中、アーチャーだけが口を開ける。彼の言う事実はほぼ的を得ている。「その少女が何を抱えているか、まではわからないが。だが、それが敵だという確証が持てたならば、その時は排除する。…それがその少女のためにもなろう」「……サクラは殺させません。私の役割はマスターを守護すること。それをするというのであれば、貴方と言えど……殺します」くっ、と笑ったアーチャーはそのまま姿を消した。気配はないことから、この周辺にはもういないのだろう。「アーチャー…油断はなりませんね。しかし……サクラ、貴女はどうしてそこまでエミヤシロウに拘るのですか…?」呟きと共に消えるライダー。その回答を行う者はまだ夢の中である。