第34話 闇はなお深く─────第一節 完全敗北─────乖離剣エア─────古代メソポタミアにおいて、天地を斬り裂き世界を創造したとされる剣。天地乖離す、開闢の星エヌマエリシュ。そのあまりに大げさな真名も虚言ではない。回転する刀身からジェット噴射さながらに魔力が溢れ出してくる。周囲の空間に断層が走り、アインツベルン城が悲鳴を上げる。目を潰す閃光、鼓膜を破る暴風を伴ってギルガメッシュの放った攻撃は破壊の渦を作り出す。巻き込まれれば本来、跡形もなく消失する光と風の乱舞。世界を始まりに導いたものに名などあるはずもなく、ならばそれは誰も知り得ない剣。その剣を防ぐ術は、衛宮士郎にはない。複製できるモノは今まで見てきた剣のみ。そこに盾を見たという記憶もなければ記録もなく、それ故に投影などできる筈もない。今まで見てきた全ての剣を投影しようが、この創生の破壊には耐えられない。「え………?」だが、それに反していつまでも死の螺旋はやってこない。それに疑問の声をあげたのは他ならぬ士郎自身だった。「な─────」ギルガメッシュは全く本気を出していない。そもそも本気を出そうなどと考えていない。しかしそれとは別に出せない、という状況でもあった。白き聖杯、イリヤスフィールを回収しにきたと言うならば、間違っても本気で乖離剣エアを解放してはいけない。出そうものならばその直線状にいるイリヤスフィールまで跡形なく消し飛びかねない。元々全力を出す気などなかったが立ち位置上、さらに威力を故意的に弱めていたのだ。「チ………、狂犬風情が盾となるか!」乖離剣エアを解放する寸前で天の鎖を解除した理由。王の財宝とエアは同時利用できないからだ。無論それはギルガメッシュの技量が低いからではない。ただ単純に“エアが全てを破壊してしまう”。世界最古の王が持つ、誰も持ちえない究極の一にして世界創生の剣。その前には例え王の財宝の武器がどれだけ展開しようと、一流の武器はその総てが三流へと切り替わる。ならば攻撃を仕掛ける直前に、己が唯一の友の名をつけた鎖を格納するのは道理。「バー………サーカー………!」様々な思惑、状況が重なったからこそ現状が生まれている。通常ならば跡形もなく吹き飛ぶ。だが威力が弱まり、動ける身となった巨人が背後にいる士郎を守っている。「■■■■■■─────!」クロスさせた両手を身体の前面へとやり、暴風に押し負けぬよう腰を低くして耐えている。しかし耐えられない。いくら力が抑えられていようとギルガメッシュの攻撃は覇者の攻撃。その威力は十二分に英霊を消失させる威力を誇る。その天と地を乖離させる攻撃を、たった二回の命で耐えきることなどできない。「やだ………バーサーカー!」赤く巻く破壊の渦に、アインツベルン城が崩壊していく。たかが人が造りだした建造物など乖離剣エアの前では無意味。だが直撃する筈の攻撃をあの巨人がその身を以ってして防いでいる。吹き荒れる暴風。直撃することなかれ、その風は小さな街を破壊する台風と何ら変わらない。「─────!」渦巻く暴風はテラスへと襲いかかる。天井は崩れ、テラスの足場は崩れ、そこにいた鐘も足場ごと落下していく。その下はすでに瓦礫の山。魔術師でもない普通の女の子である彼女が真っ逆さまに落ちればどうなるかなど目に見えている。「氷室!!」「■■■■■■■─────!!」テラスの足場が崩れたと同時に、バーサーカーはあろうことか一歩前へと前進した。その背は『助けにいけ』と言っているようにしか聞こえない。「─────同調、開始トレース・オン」ならば最速で助ける。吹き荒れる暴風の中、吹き飛ばされそうになりながら落下してくる鐘を、その両手がしっかりと掴み抱き寄せる。「大丈夫か、氷室!?」「なん………とか」抱き寄せた彼女の体は震えている。この状況で震えるなという方が不可能。目の前にいる巨人はまぎれもなく最強。だがそれを越える者が目の前にいて、己の命を屠ろうとしているのだから、恐怖を覚えない筈がない。そこへ襲いかかったのは一つの終焉。─────そんなに護りたいか吹き荒れる暴風の音が、崩れてくる瓦礫の音がその一瞬、その言葉によって掻き消された。無論、攻撃が止んだわけでも、瓦礫が消えたわけでもない。ただ、世界を凍らせかねないほどの声がこの圧倒的破壊空間を一時的に支配しただけだ。「よかろう、ならば加減はなしだ。………しっかり護れよ、狂犬。でなければ────何一つ残らんぞ」それと全くの同時に、エアが巻き込む風が一気に増大する。それが一体何を意味するのか、何よりこの攻撃を受けているバーサーカーが一番早く理解できた。放たれる魔力が膨れ上がる。増す破壊力。強まる暴風。その意味。それがもたらす結果。そんなものは誰の目にも明らかだった。「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──────────!!」理解した上でまた一歩前へ進む。咆哮は今までのどれよりも大きく、気高い。『逃げろ』と声なき声が響く。この破壊の渦の前には衛宮士郎は無力。その事実を噛み締めて距離を取る。小さく震える鐘を抱いて、決して英雄の行動を無駄にしないと走る。その間にも増していくエアの破壊力を、ギリシャの英雄は確実に耐えている。「バーサーカー………」だがイリヤスフィールの目には涙が溢れていた。あれが全く届かない、無意味な行動であるということはこの場にいる全ての人間が理解している。しかしそれでも前にいく。それしかできないのではない。そうすることで、己が主の家族、己が主が笑える者を守っているのだ。「バーサーカー───────!!」「─────消え失せろ、狂犬」世界を分かつ創生の光が、アインツベルン城を崩壊させた。─────第二節 敗戦重科─────この世界から、あらゆる音が消えた。この世界から、あらゆる光がかき消された。世界が断裂した。視界は“有”から“無”へと変わっていく。しかしそれでも、腕に抱いた人だけは決して離さない。呼吸ができない。それがどうした。今この世界に何もできない氷室を離してしまえばどうなるかなど、考えなくともわかる。咄嗟に全身を強化して、胸へ納めるように氷室を抱いた。強く、離さないように。震える身体が強くしがみついてくる。視界が“無”へとなる直前。自分がどういう状態になっているかを見た。ものの見事に、無様に、これ以上ないほどだらしなく、空中に浮いている。無様に周囲の瓦礫と一緒に浮いている。霞んで見えた視線の先には、イリヤとリズがいた。同じように浮いている。為す術なく同じように浮いている。─────そうして視界は“無”へと切り替わった地面に背中から叩きつけられた。それだけでは飽き足らず、無様に地面を転がった。何十メートル吹き飛ばされたかはわからない。けれど離さない。絶対に離さない。“天地乖離す、開闢の星エヌマエリシュ”ふざけた名前。天と地を乖離させるという大それた名前。だが、その威力は実際にソレを成してみせたと言えば信じるほどの威力。それが直撃した。落下による痛みはない。そんな感覚なんてもう残っていない。視界はゼロ。この意識さえ、無へと変わっていく。背に何かが振ってきた。瓦礫。アインツベルン城の一部を構成していた瓦礫。天井、壁、テラス、床。それらが宙を舞って落ちてきた。意識なんてない。何も考えずに落ちてくる瓦礫をその身に受ける。ただ、下にいる氷室を守るために。内部から熱いモノが溢れ出てくる。痛みはない。鼓動は小さくなっていく。肺は止まり、呼吸をするための器官はどれも固まっている。「ア………」けれど、ここで倒れるわけにはいかない。“無”へと変わった視界を無理矢理“有”へと戻して、抱いている氷室を見る。「氷、………室」返事はない。けれど、瞼は小さく開いていて視線が合った。「ハ─────ぁ、………っ!」これ以上傷つけないように、これ以上衝撃を与えないようにゆっくりと抱えて立ち上がる。自分の五体が動く事に驚いた。バーサーカーがいなければ俺も氷室も一緒に周囲に散乱する瓦礫と同じ末路を辿っていただろう。「衛………宮─────っ………!」氷室が声を出そうとしたが、その声は最後まで出なかった。この惨状、そのほぼ中心点にいて無事でいられるはずがない。頭からは薄らと血が出ているし、体中が傷だらけ。眼鏡なんかはとっくに使い物にならない。罅が入っているだけで辛うじて割れていないのが幸運だった。割れて破片が飛び散ればまず確実に眼に刺さり失明する。「─────!」イリヤから流れてきていた魔力が停止したのを感じた。それでもう終わり。イリヤの魔力を使ったからわかる。今の自分の魔力量だけではあの剣群を投影することなどできない。それどころか強化を使うだけで倒れかねないほどの体力と魔力しか残っていない。視界が霞んで、ぼやけているのが何よりの証拠だった。いや、寧ろあの創生の破壊を受けて動けている事自体が奇跡か。「イリヤ………は………?」氷室を抱いて、瓦礫の海を歩く。周囲の森は爆発の余波の所為か、或いは崩壊の所為か、所々から炎があがり、燃えていた。このままでは山火事になる。ここが誰もやってこない場所ならば、まず間違いなく燃え広がる。同じくして吹き飛ばされたであろうイリヤとリズだが、その姿が見えない。立ち上る粉塵と火災の黒煙が、より一層夜になったこの世界を見辛くしていた。「………………」変わり果てた城。拡大していく炎。あの炎を消す手段などないし、この城を元に戻す術はない。そしてここから逃げなければいけないという状況。その全てが、あの日と重なった。違うとすれば、一人ではないということ。氷室がここにいるし、どこかにイリヤ達がいるだろう。そして。「─────生きていたか、贋作者」明確な敵が存在するということ。あの巨人は目の前で消失した。その直前。『少年よ─────我が主を頼む』そう言い残して。なら、俺はそれを守らなければいけない。ギルガメッシュは倒すべき敵だ。けれど、今はどう足掻いても倒せない。魔力も体力も状況も、何もかもが敗北している。逃げなければいけない。これでは抱えている氷室まで巻き込んでしまう。「しかし脆い城よな。我が少し力を入れただけでここまで壊れるとは。所詮人形が住む城ということか」周囲を見渡していたギルガメッシュが再びこちらに視線を向けた。赤い瞳。それが殺気だと分かったとき、左脚が一歩後ろに下がっていた。「あ─────れ?」違う、下げられていた。左脚が剣に貫かれていた。バランスを崩して、抱えていた氷室ごと倒れてしまう。「疾く死ね、贋作者。貴様は目障りだ」二本の剣が見えた。一本は俺に、もう一本は一緒に倒れた氷室に向けられている。死ぬ。頭の中がその単語だけで一杯になった。死ぬ。完膚なきまでに、殺される。氷室が殺される。このままだとイリヤまで殺される。「と、れ─────………す」二本の投影ならまだできる。それを複製して、飛んできた剣にぶつけた。だが、想定が甘かったらしい。或いは、二つ目の投影に回す魔力がすでになかったのか。一つは弾くことができたが、二つ目はアッと言う前に砕けて─────「ぁ─────」ドシュッ、と。面白いぐらい簡単に右腕に突き刺さった。だというのに、痛くない。「衛宮………?」「ふん、女の方に放った剣だったが………庇ったか。無意味なことを、どのみちその不敬を働いた女とて殺すというのに」血が止まらない。腕が上がらない。魔力が足りない。力が入らない。動く体力がない。それがなんだ。守るといって傷つけておいて、守ると言って何一つ守れていない。セイバーも美綴もイリヤも氷室も、誰一人守れていない。守ると言った。剣になると誓った。─────なら。守れないなら、ここで衛宮士郎は死んでしまえばいい─────「ハ、ぁ─────っ………!」鉄の音がした。剣で刺されるような痛みを感じている。動くなと、それ以上動けば暴走すると、体が訴えている。ああ、ならちょうどいい。動くことすらできないで、守れないまま殺されるくらいなら、暴走してしまえばいい。「や─────いい、私はいいから………逃げ………!」見ると足を怪我していた。折れてはいないみたいだが、歩けないだろう。─────なら、守らないと。もともと氷室はこんな事には無縁だった。何も知らない普通の女の子だった。それが理不尽に巻き込まれて、理不尽に殺されかけている。俺はいい。俺は魔術師だ。魔術師は必ず血を纏う。それは避けられないこと。けれど、氷室は違う。血を纏う必要なんてない、傷つく必要なんてない、普通の女の子。美綴だってそうだ。襲われる理由なんてない、普通の女の子だ。もとから俺は。そんな彼女達のような人を助けるために、戦うと誓ったんだ。敵を阻む。背後には氷室が、そして未だ見つけられないがイリヤがいる。もはやここより一歩も後ろへは下がれない。下がるわけにはいかない。「─────投影、開始トレース・オン」イメージするものはただ一つ。あの時投影した剣。ライダーと打ち合っても消えることなく残っていた黄金の剣。それを複製する。「──────────、ぎ」体の中が軋んだ。骨が、外へ出ようと肉を斬り裂いている。串刺しにしようと、内臓を破ろうとしている。けれど、今は耐える。「私は………動けないんだ。だから、私は放っておいて、いい。逃げてくれ─────衛宮………!」泣くような声が聞こえてくる。そんな事言われて、そんな声を聞いて、誓いを捻じ曲げてここから離れるわけがない。「逃げない。氷室は必ず守る。一人で逃げるなんてできるか………!」剣を構えて、敵を睨む。左目は血が目にまで入ってきて見えない。右手は動かそうにも感覚がない。左脚は穴が開いてるが、辛うじて立てる程度。「くだらん………それを蛮勇と呼ぶのだ、雑種」「─────!」撃ちだされた剣を咄嗟に防ぎ、弾き飛ばす。「はっ─────ぎ、………!」初撃、二撃、三撃を防ぎきる。本来なら初撃すら弾けなかっただろう。しかし。体が、飛来する剣の位置を知っているかの様に動いた。故に、俺が腕を振るう前に、まるで引き合う磁石のように腕が剣に反応する。その結果として、剣はギルガメッシュの攻撃を防いでいた。「は─────はあ、あ、が………っ!」だがそれをすればするほど体の内部が捩じれていく。まるで体が別の何かになっていくような痛みと違和感。比例して鉄の音は大きくなり、骨は肉を斬り刻んでいく激痛を生み出す。「─────雑種、見苦しいにも程がある。その剣、貴様の最後の物だと言うならば───本物の前に沈むがいい」右手を空へと突き出した。それが。「────────────────────あ」投影した黄金の剣が砕ける最後だった。敵が取りだしたのは装飾こそ違うが、間違いなく同じモノ。光が迸り、切っ先が交わった瞬間。「 」黄金の剣………“勝利すべき黄金の剣カリバーン”は、原罪メロダックの前に砕け散った。◆私の顔に、アタタカイ“ナニカ”が降り注いできた。目の前がアカクなる。「ぁ──────────」アカクなって、頭の中はシロクなって、心はクロク塗りつぶされた。本当に、手を伸ばさずとも届く距離に、彼がいる。「衛宮?」呼びかける。「衛宮?」呼びかける。呼びかける。呼びかける、呼びかける、呼びかける、呼びかける、呼びかける、呼びかける、呼びかける──────「衛宮………?」否定する。否定する。必死に否定する。否定しているのに………声の震えが止まらない。「お願いだから………」否定する。否定する。何もかもを否定する。そう。否定しているのだから──────「しろう────」─────返事をしてくれ。「貴様も貴様で見苦しいな、女。魔術師ですらない貴様がここまで生き残ったのには感心するが………、打ち止めだ」見えない、何も見えない。夢も、最後の希望も何もなくした体。暗い奈落の底に叩き落される感覚は、いつか経験したことがあるものだった。─────第三節 闇はなお呑み込む─────氷室鐘を殺そうと空間へ手を伸ばす、その時だった。「む………?」その異変にいち早く気が付いたのは他でもない、ギルガメッシュただ一人だった。しかしそれとは別に立ち上がる人物が一人。「待ちやがれ………てめェ………」あろうことか、斬られた筈の士郎が起き上ってきた。しかし、まだ彼はこの異変には気付いていない。「致命傷だった筈だが………、特異な体をしているな、雑種」斬った場所から見える、銀色の光。大きくはないが、しかし確実に見える光は、剣の切っ先にも見えた。だがそれ自体には興味はなく、感じた異変を確かめる為、瓦礫の海と化した城の周囲を見渡した。すでに周囲は闇。日は完全に落ちており、周囲を照らすのは森へと燃え移った炎のみ。だが光源としては十分すぎるほどの光。その炎の隙間から現れたのは。「ふん、雑兵か」骨の軍団だった。衛宮士郎にとってもその骨の集団には見覚えがある。「キャスター………、あいつ………ここまで」「馬鹿も休み休みに言え、贋作者。キャスターはすでに呑まれた。────だが、ここに雑兵がいるということは、答えは一つか」アインツベルンの城の上空に出現する黒い影。それはキャスターに他ならない。しかし。「キャスター………?」雰囲気がまるで違う。少なくとも学校で見たキャスターとは全く別の何かになっていた。「汚染され、使役されているただの人形と同じよ────!」打ち下ろされる光弾が、ギルガメッシュを襲う。まるでガンドのような黒い雨。それが触れてはいけない類のものだというのは見てとれた。「魔術師風情が………我の邪魔立てをするかッ!」同心円状に展開された宝具群が、上空に浮くキャスターへと対空銃撃のように撃ちだされる。空間転移を可能とする魔女はそれを回避し、執拗に魔術攻撃を繰り出していく。しかし、その魔術攻撃はキャスターには似つかわしくない、ただの魔力を固めて射出しているだけの力技だった。「フン────呑まれて自我を無くし、ただ魔力を放出するだけの道具と成り果てたか」上空からの攻撃が続く一方で、地上からは竜牙兵が近づいてくる。しかしギルガメッシュには何ら問題はない。いくら雑兵が湧こうが、取るに足らない存在だからだ。「氷室………!」ギルガメッシュが戦っているのを見越し、倒れている鐘を起こした。左脚は相変わらず穴があいて、右腕は傷が残っている。それでも、その姿を見たから。「衛宮………衛宮、衛宮衛宮ぁ………!」無事でよかったと。生きててくれてよかったと。本気でそう思ったからこそ、頬に涙が流れた。「逃げよう………一緒に」もう二度と傷つけさせない。傷つくことなんてあってはならない。もう一度、心に強くそう誓った。体の中から刺すような痛みを、その誓いの記録として。「本当は抱き上げていきたいけど………悪い、右腕があがらないから………。立てるか?」「大丈、夫………」士郎に寄り添いながら負傷した右脚を庇うようになんとか立ち上がる。それに手と肩を貸して、ゆっくりと歩き出す。「雑種、誰が逃げていいと言った!」しかしそれを逃す敵ではない。あろうことか竜牙兵とキャスターを相手にしながら、剣を投擲してきたのだ。直撃コース。立ち上がりこそしたが、魔力残量はなく、回避するだけの余裕もない二人では避けられない。だが。「ハッ────!」それは目の前に現れた銀の甲冑を纏った騎士に阻まれた。見覚えのある後ろ姿、聞き覚えのある声。「セイバー………!」「シロウ、カネ、大丈夫ですか!?」不可視の剣を振るセイバーの姿がそこにあった。「大丈夫………と言いたいけど、流石に無茶があるか。セイバー、遠坂達は?」「道中イリヤスフィールと遭遇し怪我の手当をしています。シロウ、それよりもこの現状は………それに」「ふん、久しいな騎士王よ。よもやこのような形で再開するとは思わなかったが」「やはりアーチャー………!なぜ貴方がここに現界しているのです!」セイバーが見るその視線は決してただの知り合いという雰囲気ではなかった。だがそれ以上に、この場は異常だった。「セイバー………あいつのこと知って………。いや、今はここから逃げよう。炎が大きくなってる。氷室も怪我したままだ。キャスターだって仕掛けてき………!?」「シロウ!」ズン! と光弾が落ちてきた。それはキャスターによるもの。キャスターにとって味方など存在しない。地上に居る者全てが敵なのである。今まではギルガメッシュがいたため魔力感知によりそちらへ攻撃をしかけていたが、セイバーが現れた今、感知に引っ掛かった士郎サイドにまで攻撃が広がったのだ。つまり、キャスターは目が見えていない。そこにあるのは、ただサーヴァントと高い魔力を持つ者を攻撃するという行動プロセスだけだった。「キャスター………!? いえ、確かにあれはキャスターですが………!」上空を睨むセイバーだが、上空に浮かぶキャスターは黒くなっており、背景と相まって視認しづらい状態だった。「ふん、まさかとは思ったがその心配は無用だったらしい。繋がりを断つ事でアレからの流入は防いだか。流石は騎士王、その程度の知恵は働いてくれなければ困る」群がる竜牙兵を一掃し、上空に浮くキャスターを地上より未だ牽制し続けるのは黄金の王、ギルガメッシュ。セイバーもまた、敵と判断されたが故に群がってくる竜牙兵を蹴散らしながら爆心地に悠然と佇む王を睨んだ。「貴様………!貴様は何か知って────」言葉を出そうとした。だが、それは。燃え盛っていた炎を、一瞬にして闇に染めた者の登場によって停止させられた。熱を帯びていた空気が一瞬で凍りつく。「────────」セイバーとギルガメッシュはその存在を知っていた。だが、セイバーの後ろにいる士郎と鐘はその存在を知らない。心臓は高く響きながらも、心拍数を下げており。体温は奪われていくと言うのに、背中には汗が滲んでくる。アレはよくないものだ。 アレは良くないものだ。だから逃げなくてはいけない。 だから逃げなければいけない。それとは関わってはいけない。 それとは無関係でなければいけない。二人の認識は同じ。士郎も鐘も、あれからは逃げなければいけないという認識。だというのに。逃げても無駄、出会ってしまったから終わり、という漠然とした認識が満ちていた。「────────」抱き着く体に力が入る。今までの恐怖が比ではないと言っても過言ではないくらい、どうしようもなく圧倒的なモノ。首に汗が伝う。体中の刺すような痛みがなかったかのように、どうしようもなく存在しないモノ。だが、この空間において、黄金の王すらも超える、支配力をもつモノ。知性はなく理性もない、恐らくは生物ですらないソレ。その光景、その雰囲気、どれもが初めてだというのに。なぜ衛宮士郎は────それを“懐かしい”とすら感じてしまったのか。士郎も鐘も動けない。一度見たセイバーとて動けなかった。柳洞寺に現れたものは漠然とした影………影の海だった。あそこまではっきりとした形をしたものでなかった。しかし或いは、あの柳洞寺の件により、明確な形を持てるようになったのではないか、という結論があった。「まさか、ここで影が出てくるとはな」誰も動けない中、しかし動ける人物がそこにいた。爆心地に立っていたギルガメッシュは跳躍し、全体を見渡すことができる場所へと飛び移った。下を見下ろせばセイバー達と竜牙兵、そしてあの黒い影が。上空には未だ魔女が浮いている。「が、分身などに用はない。セイバー、再開を祝したいところだが、我にはやることがある。それが終わり次第、改めて貴様を訪ねるとしよう。────せいぜい、呑まれぬようにな」直後。空間を裂くように現れた建造物。黄金とエメラルドに輝くソレは舟。セイバーとて知り得ない事実だが、その舟はかつての聖杯戦争において、冬木市上空で壮絶な空中戦を平然とやってのけた飛行装置“ヴィマーナ”だった。物理法則をまるで無視した加速と動きを見せた舟は、士郎達の前から姿を消した。「キャスター………!」上空にはキャスター、地上には黒い影。だが、黒い影が現れてからキャスターが攻撃を仕掛ける気配がない。「!シ────」そう思い、再び地上へ視線を戻した先に。獲物を見つけたように触覚を伸ばした黒い影がいた。「────ロウ、逃けてぇ!」「────っ!?」息を呑んだ。無音で、あろうことか数十メートルを一瞬にして、迫ってきた。避けられない、この傷では負傷した彼女を抱えて避ける事ができない。「────氷室」「え────?」なら、取るべき行動は一つ。この不安定な場所では少し心配だったが、呑まれる訳にはいかない。ドン、と。鐘を突き飛ばした士郎だけが、黒い影に呑まれた。―Interlude In―「──────ぁ」ゆっくりと目が覚めた。兄である慎二が殺され、バーサーカーのマスターが攫ったという情報を得たその人物は、サーヴァントを森へと向かわせた。「は────あ………!」途中戦闘のようなモノを見つけ、自分が取り込んだサーヴァントを使役して、先に現場に向かわせた。辿り着いてみたら、男とかつて学校で見た女性、そして自分の先輩とあまり馴染がない先輩が一緒にいた。否。彼女のことは知っている。「氷室………先輩」間桐桜は、その姿を見た瞬間。ナニカが破裂した。無論、物理的に何かが壊れたわけではない。「あ、は………」気がついたら、自分の先輩の傍にいる彼女を襲っていた。気がついたら、自分の先輩が彼女を助けていた。気がついたら、自分の先輩を呑んでいた。「あれが………先輩の、味………」すぐにサーヴァントを消した。自分の先輩を殺そうなんて思わない。思わないし、襲ってしまったことに罪悪感を覚えている。本当に、本気で、彼の安否を気遣っている。自分の先輩。そう、自分の先輩。自分の、自分の、自分の、自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の自分の。「違………う………!」渦巻く自分の中の意志を否定した。自分の先輩は自分のではない。彼の隣にいるのは灰色髪の彼女。彼の家にいるのはツインテールの先輩と、弓道部主将。自分がいない場所で、自分がいなくても成り立っている日常。いつも通っていた場所にやってきた、今まで居なかった人。「あ──────そう、だ」皆がいるから、自分の先輩はこっちを振り向いてくれない。皆がいるから、あの家で自分の居場所がなくなってしまう。なら。「みんな、食べちゃえばいいんだ」先ほど破裂したナニカ。そこから生まれた結論。そこから生まれるであろう結果。自分の先輩が、自分だけを見てくれる。あの先輩の味を自分だけのものにできる。独り占めにできる。そう思うだけで、身体が火照る。誰も助けてくれなかった。あのツインテールの少女にいたっては、何もしていない。なのに、平然と自分の先輩の家にいて、平然と暮らしている。奪われる。弓道部の先輩が自分の先輩の家にいる。奪われる。いつも隣に灰色髪の先輩がいる。奪われる。先輩だけが、自分の希望。先輩だけが、私の目的。それを奪うなら。「………別にいい、よね。誰も、助けてくれなかったんだから………」呆然と、天井を見つめながら、目を閉じる。思い出すのは、自分の先輩から少し、ほんの少しだけ残っていた魔力を、ほんの少しだけ貰ったときの味。今まで感じてきた幸福、温かさ。もっと欲しいと、自分が願っていることを他の人は平然とできている。なぜ自分だけはそれすらも願えないのかと。「駄目………!違う、違う………」今さっき思い浮かんだ考えを否定する。なんでそんな事を思い浮かんだのかと、自分を嫌う。思考がぐちゃぐちゃになって、身体が震えてくる。死にたい、死にたい、死にたい、死にたい。欲しい、死にたい、感じたい、食べたい。欲しい、欲しい、感じたい、食べたい。欲しい、欲しい、欲しい、食べたい。欲しい、欲しい、欲しい、欲しい。「あ、は………あは、ははは………」味が、おいしかった。―Interlude Out―