Chapter6 Nemesis第32話 過去は嘆き集うDate:2月7日 木曜日─────第一節 痛覚残留─────「は────、─────ぁ………」犠牲、罰、凶事、狂気、現実。「ぁ、は─────っ、………ぐ」終末、祈願、躊躇、存在、後悔。「う………ぁ、─────………!!」劫火、苦痛、恐怖、夜、再発。視界が赤く反転し、心音が脳髄にまで響いてくる。ドクン、という音が聞こえる度に襲ってくるどうしようもない嘔吐感。「ぎっ───あ、づっ………!」左半身から右半身へと肉の壁を突き破るかのように、ぎちぎちと音が響く。赤い世界、どうしようもない嘔吐感、骨が捩じれる音。「な─────は───………!」その全てが、あの火災をリアルなまでに再現させる。鼻に突く臭い。体中が熱く、動くたびに体中が痛む。その映像が士郎をより一層苦しめる。「は………」激痛、嘔吐感、熱い身体が意識を半覚醒させる。僅かに視界に入ってくる映像はどこかもわからないような部屋だった。「………! ぐ、ぁ………!」ここがどこか、なんていう疑問は今はどうでもよかった。自分にかかっている掛け布団を右手で撥ね退け、尋常じゃない熱さを感じている身体を冬の空間へと曝け出す。「が────っ………!」蛆虫の様に這い蹲って正体不明の激痛に耐えようとする。しかし、そんな本能を無視するかのように左手足が動かない。「い………ぎ────っ………!」ただ仰向けに寝転がるだけでは絶対にこの激痛には耐えられない。そんな確信めいた予感があった。しかし耐えなければいけない。熱と痛みの所為で、脊髄は常にサウナ状態。脳髄に至ってはもはや灼熱の地にいるかのようだった。「ぁ─────はっ、………ぎ、い──………!」これが無理な魔術を限界以上に使った結果だとか、今はそんなことはどうでもよかった。とにかくこの痛みに耐えなければいけない。耐えなければこの痛みで精神までもが侵されかねない。「───────────────」唇を噛み締めて、右手拳を力の限り握りしめる。口の中に血の味が染みてきてもなお、力は緩めない。声を発さないように、口を歯で無理矢理閉じる。これが自分の行為によるツケだというのならば、その責任は自分で果たす。誰かの助けを借りるのは躊躇われた。「──────────」荒い息遣いのまま、時計を探す。しかしここがどこの部屋か判らない以上、そう簡単に時計が見当たる筈もなかった。何時まで続くか判らない激痛。朝まであとどれくらいかもわからない現状。それらが、さらに士郎の精神を犯していく。「───っづ、は、ア゛………!」暗闇に一人。熱が、激痛が、全てを壊しながら夜は過ぎようとしていた。―Interlude In―「ん………」私の目が私のいる場所を写し出した時、頭の中には疑問しか浮かばなかった。「ここは………」上半身を起こして現状を確認するも、視界がぼやけていて何が何かがわからない。「眼鏡はどこに………?」暗闇の中ではほとんどあてにならないぼやけた視界。手探りで眼鏡を探すも、まったく見つからない。恐らくはベッドであろう場所から出ようとして、自分の状態に気付いた。服を着ていない。上半身が全くの裸だった。「………………」身体を触り、異変がないかを確認する。この冬の夜中に服を脱いで寝るという習慣などないし、寝ぼけて服を脱ぐような癖もない。この前は一体なにがあったのだったか、と思い出そうとしたとき「つ………」ズキッ、と頭痛がした。反射的に頭に手をやったときに、思い出した。「そうだ………!衛宮は………」視力の悪い状態で薄暗い周囲を見渡すが、そこに彼の姿はない。それどころか、この広い部屋に誰の姿もなかった。どこかの城の中かと思うような室内。室内に飾られている調度品にはきっと埃の一つすらなく完璧に手入れが行き届いているのだろう。きっと眼も見張りたくなるような高価なそれらが無数に配置されているとあっては、ここはどこぞの大金持ちが居を構える豪邸に違いないだろう。ここが衛宮の家でないことは、例え視力の悪い私でもすぐに理解できる。だからこそ、私は安心できない。「着るものも、眼鏡も見当たらないとは………」椅子にかけられていたバスタオルらしきものを羽織り、室内を散策するも自分が今必要としているものは何一つとして見つからなかった。この部屋に目的の物もなければ現状を理解できるものもないし、衛宮がどうなったかもわからない以上、ここに留まる理由がない。「────」ギィ、と扉を開ける。息は可能な限り殺し、外の様子を伺う。相変わらず視界はぼやけているが、豪華絢爛な廊下だということは一目で理解した。つまり、ここはどこかヨーロッパのお城の中なのだろうか?「誰もいない………か」見回りの人物らしき人影は見当たらない。ゆっくり扉を閉め、あても無く私は廊下を歩く。片手でバスタオルがずれ落ちないように固定して、もう片方の手は壁にあてながら前進していく。数メートル歩いたが、相変わらず視界に人影らしきものは写らないし、声をかけられるようなこともない。今が夜だということは判るが、何時なのかがわからない。眼鏡をかけていないので少し高い位置にある掛け時計の針すらも見る事ができない。「 」「ん………?」壁に手をあてている方向とは反対側。視線の先にある扉。そこから何かが聞こえてきた。「………行くあてもなし。情報を手に入れるには………虎穴に入らずんば虎児を得ず」ドアノブに手をかけて、ゆっくりと扉を開ける。中からの声がよりクリアになって私の耳へと届く。「ア゛………、ぐ────っ!」「………!?」聞こえてきたのは会話でもなければ、独り言でもない。呻き声。声がする方へ視線を向ければ、その先はベッドだった。そしてこの声には聞き覚えがある。「衛宮………!?」周囲に誰もいないのを確認して、急いで事実を確認しようとベッドへ近づいて確認する。ベッドの上で呻き声を上げている人物、赤い髪の男性。それを見間違うことなどなかった。「衛宮! しっかりしろ、衛宮!」掛け布団を撥ね退けて、必死に何かに耐えている彼の姿がそこにあった。私の姿が見えていないのか、私の声が届いていないのか、それとも反応すら見せることができないのか、呻き声を出しながらずっと何かに耐えていた。「士郎………!」額に手をあてて熱があるかを調べてみたら、間違えることなく彼の身体が発熱しているということがわかった。触れた手に伝わる彼の汗。服を着ていないのも恐らくはこの発熱の所為だろうと判断するが、しかしこの苦悶は異常。「体を拭くもの………」そう呟いた直後に自分が羽織っている物を確認する。躊躇うことなくそれで彼の体を拭いていると、それに気づいた衛宮が右手を私に向けてきた。「ひ………」「衛宮………! 大丈夫か、衛………」私が声をかけようとして、しかし彼の言葉を聞いたときにその声はでなかった。「ひー………ちゃ………ん?」ズキン、と。胸に響いた。彼の右手が私の頬に触れる。その手はやはり熱くて、そして何より震えていた。それだけで彼がどれほどの苦痛に耐えているのかがわかったというのに。「よか………無事………で………」出てきた言葉は救済を求める声ではなく、心配した故の安堵の言葉だった。今の彼の姿の中に、過去の子供のころの姿が重なった。あまりの熱の所為で混乱しているのだろうか。それはわからない。けれど、自分がこの状態であるというにも関わらず、彼は私の心配をしていた。「………ああ、無事だ。無事だから………!」その手を離すなんてことは、私にはできなかった。―Interlude Our―─────第二節 メイデン─────夢の欠片。夜に潜む、寄り添う星の一つが消えて、夜明けの音が聞こえてくる。「────ぁ」すぅ、───すぅ、────すぅ、────すぅ「し、ろう」規則正しい寝息が、彼の容体が安定したことを表していた。私の右側に彼が眠っている。「………」気がつけばベッドの中に入っていた。彼に包まれるように、私は体を預けていた。「お目覚めかしら、カネ」静かな部屋に声が響いた。一瞬何なんのかと思ったが、この部屋に別の誰かがいるということを理解して跳ね起きた。「イ、 イリヤ嬢………」「ごきげんよう、部屋にいないと思ったらまさかシロウの部屋にいるとは思わなかったわ、カネ」部屋に立っていた彼女の視線を受け、自分の状態を再確認して、慌てて布団を胸元にまで被る。それを見てどう思ったのかはわからないが、手に持っていた服を渡してきた。「今更隠さなくっていいわ、昨日シロウを治療するときに見たんだし。これ、カネの服でしょ? 血がついてたから洗っておくように言っておいたの」「血………」「そうよ。………といっても貴女の血じゃない、シロウの血。今はもう治ってるだろうから大丈夫だと思うけど、ホント昨日は大変だったんだから」手渡された服を眺める。確かに血らしき痕が、かすかに残ってはいたが、服の色と相まってこの程度なら目立つことはないだろう。「ほら、早く着たら? それともカネはシロウに裸を見てほしいの?」「なっ………! 私はそんなつもりなんて………!」被っていた布団から服に着替えようとした時だった。「あ、シロウ!おはよう!」その言葉を聞いて、ピタリと止まってしまった。「イリヤ………? おはよ………」服に着替えようと布団をどけて、袖に腕を通そうとしたところで、横で起きた衛宮と視線がぶつかった。私の方を見て固まる彼の顔が少しずつ赤くなっていくのがわかった。………きっと私はその数倍早く真っ赤になっていただろう。「シーロウ!」「いっ!? いでででで、イリヤ、太もも踏んでる、踏んでる!」衛宮に向かってダイビングしてきたイリヤ嬢が彼の視線を遮った。恐らく意識してやったわけではないだろうが、ここは彼女に感謝して服を素早く着ることにしよう。「あ、ゴメン。それで、シロウ!怪我とかはもう大丈夫? 痛いところはない?」「い、痛いところ?………いや、特には………」首や肩、掌を動かして自分の状態を確認している。私自身も彼が大丈夫かは気にしていたので彼の回答を待つ。「うん、大丈夫。………左手足がまだレバーで動かすようなもどかしさはあるけど、問題ないよ」「当然よ、神経が断絶してたのを治したんだから。繋いだ神経が馴染むまでまだ少し時間はかかるわよ」「神経が断絶………?」「そうよ、シロウの魔術回路が神経そのものだなんて私ですら考えなかったわよ。私だから治せたけど、普通ならもう治らないんだからね!」二人の会話を横で聞いていた私に、衛宮が視線を向けた。それとほぼ同時刻にコンコン、とノックされる音が。「お嬢様、朝食の準備が整いました」シスター風の白い服を着た女性が入ってきた。「わかったわ、ちゃんとシロウとカネの分も用意してる、セラ?」「はい、仰せの通りに」「なら今から行くわ。先に行っててちょうだい」「畏まりました」頭を下げ、再び廊下の外へ消えるシスター。そんな彼女達のやりとりを見ていた彼がイリヤ嬢に尋ねた。「え………っと、つまりここはイリヤの家でいいのか?」「そうよ。アインツベルンのお城。シロウ達が住んでる街から車で何時間も走ったところにある森の中。誰もここにはやってこないし、邪魔も入らない」彼女の顔が彼にどう映ったのかはわからない。けれど、私には何か嫌な予感だけが心の中に残った。「それじゃあシロウも服を着て朝食を食べましょう。お腹、減ったでしょ」「え………?あー、そう言われてみればそうだな」服を手渡され、袖に腕を通していく。一足先にベッドより跳び下りたイリヤ嬢が急かすように私達を呼んでいる。「わかったから、今行くよ。氷室も」「あ、ああ………。そう、………だな」「? どうしたんだ、氷室?」「………いや、何でもない」イリヤ嬢が案内するように私と衛宮の前を歩いている。その小さな後ろ姿を見ながら、隣で歩いている彼が声をかけてきた。「氷室。氷室は怪我とかないのか?」「私はどこか痛むということはない。そういう君こそ大丈夫なのか?」「さっきも言ったけどほとんど影響はないよ。そりゃあ左手足の感覚がまだ鈍い部分はあるけど、気を付けてれば実生活には支障は出さない」「ならそれでいいが………。なあ、衛宮」「ん? なんだ?」「なぜ君は─────」────なぜ、あんな状態で、私の事を心配していたの?その言葉を飲み込んで、私は目を閉じた。単純に考えれば、それだけ私のことを心配してくれている、と思うだろう。けれど私はそうは思わない。それが私の思い違いであってほしいと、そう願いながらイリヤ嬢の後ろを歩いていた。◆食事時。朝食にしては若干遅い時間ではあるが、昨夜は何も食べていないため、すんなりと用意された分は食べることができた。「ごちそうさま」「ごちそうさま。悪い、イリヤ。ご馳走になって」「いいのよ、2人程度増えたってそう変わらないもの」朝食を終えた私達のもとに紅茶が差し出された。流石はお嬢様の住む家………というところだろうか。「ところでイリヤ嬢。聞くタイミングを今まで逃していたのだが、私達がここにいる説明をしてはくれないだろうか?」「? あ、そっか。あの時シロウ達は気を失ってたから知らないんだね。じゃあ教えてあげる。といってもそんな難しいことじゃないんだけど」優雅にカップに口をつけていたイリヤ嬢が、私の質問に答えるべく口を開いた。「シロウ達がちょうど意識を失ったころかな? 私がシロウの家にやってきて、ライダーと戦闘になったの。………といっても戦闘といえるようなものでもなかったけど。ライダーのマスターを殺して、ライダーはどこかに消えちゃって終了。気を失っていた二人を車に乗せてここまで運んできたのよ」「ライダーのマスター………慎二を殺したのか………!?」「そうだよ? マスターを殺すなんて聖杯戦争では当たり前だし、何より私のシロウを殺そうとしたんだもの。殺すなんて当たり前でしょう? それとも何? シロウは殺しに来た敵を殺さないで殺されてあげるの?」「それは………」イリヤ嬢に悪びれた様子は窺えない。彼女にとって本当にそれは大したことのない、当然の出来事として処理をしたのだろう。「………助けてくれたのはわかった。けど、じゃあなんで俺を助けたんだ? 俺もマスターだ、その定義でいくなら俺だって殺している筈だろ?」「おかしなこと言うんだね、シロウ。シロウを殺す気なんてないし、そもそもシロウはマスターですらなくなってるじゃない。なら、殺す必要なんてないでしょ?」マスターではない。その言葉が私の中に響いた。「マスターではない………? 衛宮、それはどういう………」「………キャスター。アイツがセイバーに契約破りの短剣を刺したんだ。それでセイバーとの契約が解除されて奪われた」「契約破り………」恐らく私が気を失ったあとの出来事だろう。あの後一体どうなったのかをそう言えば聞いていなかった。イリヤ嬢がカップに口をつけて紅茶を飲む。私と衛宮もまた、落ち着くために紅茶を一口飲んだ。「そう、だからシロウはマスターじゃない。戦う手段もない以上、マスターであろうということも必要ない」「違う、セイバーだってきっと無事だし、遠坂達が助けてくれている。なのに俺があきらめちゃだめだ。戦うと決めた以上は最後までマスターとして戦い抜く」「ふぅん、けどそんな状態じゃ簡単に殺されちゃうよ? サーヴァントがいないマスターを殺すなんて、最弱のサーヴァントですら容易にできるんだから」イリヤ嬢の視線が私の方に向けられた。赤い瞳が私を見つめている。「それにカネだってあの戦いで死んでたかもしれないよ? 一般人は巻き込むものじゃないけど、秘匿できるなら問題はないもの。シロウを助けたのも、カネを助けたのも私。普通ならこんなことしないけど、二人は特別だから助けたんだよ?」「特別………?」「そう、特別。………ね、シロウ、カネ。私のサーヴァントにならない? 二人がうん、っていってくれるなら二人を守ってあげる。側にいてくれるならずっと守ってあげるよ?」「サーヴァントって………」「本当は最初はシロウだけが目的だったの。十年もこの日を待ったんだから。………けど、カネといるのも楽しかったし多い方が楽しいからカネも連れてきたんだよ?」「待て、待ってくれイリヤ。十年………っていったよな。………思えば最初に会ったときから俺のことを知っているような感じだった。………まさか十年前にどこかで会った事があるのか?」「………………」カップを受け皿に置いて、衛宮の顔を見るイリヤ嬢。その顔は先ほどまで笑っていた“イリヤ”ではなく初めて会ったときの“バーサーカーのマスター”の顔だった。「そっか、シロウは何も聞いてないんだね。───昔のお話しだよ。ある一人の魔術師がアインツベルンへやってきた。その魔術師はかつて『魔術師殺し』と言われるほど強い魔術師だった」「魔術師………」「アインツベルンは彼を雇い、アインツベルンの悲願のために彼に協力した。その際アインツベルンは彼に妻を娶らせて後継者を残したの。その妻の名は『アイリスフィール・フォン・アインツベルン』」「アイリスフィール………?」頭の隅に、イリヤ嬢の言葉が引っ掛かる。どこかでその名前を聞いた覚えがある。それは確実なのだがそれが何時、何処でなのかがはっきりと思い出せなかった。「そしてその後継者が私、『イリヤスフィール・フォン・アインツベルン』。………アインツベルンが雇った魔術師はこの極東の地で行われる聖杯戦争に参戦した。何年もかけて準備をしていたし、その魔術師も本当に強かった。だから順当に勝ち上がり、もうあと一歩で聖杯が手に入るというところまできたの」だけど、と言葉。その後の声は侮蔑と憎しみの情が、私ですら感じることができた。「魔術師はその土壇場でアインツベルンを離反したの。その結果聖杯の入手にも失敗して魔術師はアインツベルンより逃亡した」私と衛宮はただ黙ってイリヤ嬢の話を聞いている。だが、次の言葉は、私を、そして衛宮を凍らせることとなった。「その魔術師は、焼野原となったその地で現地の子供を引き取って、実の子供のように育てていたそうよ」「───────────────」言葉が出ない。私も、そして衛宮からも言葉がでなかった。「ここまで言えば流石に判る?………そう、私と私の故郷を裏切った、その男の名前は───衛宮切嗣。………つまりね、私達は義姉弟なんだよ、お兄ちゃん●●●●●」─────第三節 一人では生きられない─────「爺………さんが、イリヤの、父親………!?」驚愕の色を見せる士郎とは対照的に、イリヤスフィールの顔はどこか悲観に見えた。幼い子供が泣きそうになるのをなんとか我慢するような、見ているだけで見ている方も悲しくなってしまうような表情で。「そう………キリツグはね“必ずすぐ帰ってくる”って言ったんだよ………? けど、帰ってこなかった。ずっと待っていたのに帰ってこなかった。信じていたのに………キリツグは帰ってきてくれなかった………!」「イリヤ………」土着の魔術師ではない衛宮切嗣。その彼が十年前に冬木の街を訪れ聖杯戦争に臨んだ。しかし結局アインツベルンの悲願とやらは達成できず、彼は大火災の焼け跡で一人の子供を拾った。それからの事は、士郎にも思い返せる幸福な日々。だからこそ理解する。イリヤスフィールにとって衛宮切嗣はとても大切な存在で、そしてその人を奪い取ったのは、他ならぬ自分自身であると。だから。「キリツグはもうこの世にいない。最期まで私に会うことなく、勝手に死んでいった。………だけど、それじゃ私の気持ちが治まらない。だからシロウには償ってもらうことにしたのよ、わかる?」この結論へと至る理由も判る。─────裏切られた。待っていたのに。ずっと待っていたのに。例えそれが自身で作り上げた感情だとしても、誰かからそう教わった感情だとしても。それを悪いと誰が罵ることができるか。たとえ彼女の周りの人間全てが罵ったとしても、衛宮 士郎は罵ってはいけない。あの男に救われた自分であるからこそ、彼女の復讐を妨げてはいけない。─────切嗣は悪くない。恨まれるのならあの日、衛宮士郎として蘇生したこの俺なのだと。怨嗟に満たされた復讐心。矛先であった切嗣亡き今、その想いを受け止められるのは士郎しかいない。イリヤスフィールには士郎を罰する権利がある、資格がある。帰る場所を違えた男の末路。その男の死を看取った自身の責任。少女から幸福な時間を奪い去った罪は、深き咎として士郎を処断して余りあると理解できる。しかし。「なら………なんで氷室もなんだ………? 俺に対してならわかる。けど氷室は関係ないじゃないか………!」「? そうだよ、十年前に関してはカネは全く関係ない。ただ私がシロウとカネが一緒に来てくれればより一層退屈しなくて済むと考えたから連れてきただけ。一回お話しもしてるしね」「なら………!」「だけど、シロウにとってカネは大切な人なんでしょう? 私はキリツグとは違うもの、シロウを連れて行くなら、カネも連れて行った方がシロウも安心できるでしょう? それに────」─────もし、シロウが逃げようとしてもカネがいる限り逃げきることなんて絶対にできないもの「な………」言葉を聞いた士郎は、彼女の口から発せられた言葉に驚愕し、鐘は言葉を失っていた。「大丈夫よ。カネを殺そうとは思わない。私はうん、って頷いてくれればそれでいいの。その後は三人で一緒にお話しできるし、一緒にご飯も食べられる。一緒にお風呂にだって入れるし、一緒に寝ることだってできる。敵が来たら私とバーサーカーが追い払うもの。ほら、ずっと安全で一緒に入れるんだよ?」「─────だめだ、イリヤ。そんな脅迫染みたことで居させようとしても。それにセイバーや遠坂達だっているし、聖杯戦争も終わっちゃいない。それにはうなずけない」「シロウ? あんまり私を怒らせちゃだめだよ。ここは私の庭。シロウを殺すなんて簡単だけど、十年も待ったもの。簡単に終わらせるなんて勿体ないわ」「イリヤ」じっと、真剣に。正面に座るイリヤスフィールに視線を向ける。「俺の知る切嗣は、自分の娘を見捨てるような酷い人間じゃなかった。………切嗣は、俺を育ててくれた時、頻繁に家を空けて外国に出かけてた。最初はどこに行ってるかもわからなかったし興味もなかった。………けどイリヤの話を聞いてわかった。きっと切嗣はイリヤに会うために、イリヤのいる所へ行ってたんだ」「え………?」「もしイリヤの言う通り自分の娘を放っておく薄情な人間ならずっと俺と一緒に家にいるはずだろ? けど切嗣はそうじゃなかった。どこ行ってきた?って聞いても外国、としか言わなかった。………切嗣が“必ず帰ってくる”って言ったんなら絶対にイリヤに会いに行ってた筈なんだ。何度でも言ってやる、衛宮切嗣はたった一人の最愛の娘を放っておくような人間じゃない。絶対にイリヤに会いに行ってたんだよ」「嘘………そんなのウソよ! だってアインツベルンには一度も来ていないって言ってたし、事実キリツグは会いに来てくれなかった!」「ああ、イリヤが言うからには会わなかったんだろう。けど、“会おうとしても会えなかった”のと、“会おうとも思わなかったから会わなかった”は違うだろ?」「じゃあ何………!? 会おうとしてアインツベルンまで来てたけど、爺様たちが会わせなかったっていうの………!?」「イリヤ嬢………、アインツベルンの悲願というものが一体何かは私は知らない。けれど、悲願、というからには長い間それを待ち望んでいたのだろう? それを土壇場で裏切ったというならば、イリヤの祖父は怒って娘と会わせないような“ナニカ”をしたのかもしれない」「どうして!? そもそもアインツベルンを裏切らなければ爺様たちだってそんなことはしなかったし、アインツベルンの悲願も達成できてた!そうしたらキリツグだって私に会えたのに………!」「それは俺にもわからない。実際切嗣が聖杯戦争に参加していたなんてことを全然知らなかったんだからな。………けど、切嗣は無意味なことはしない。娘が一人待っているにも関わらずアインツベルンを裏切ったのは、きっと“裏切らなければいけない理由”があったはずなんだ」「そんなの………!そんなのって………!」士郎の罪は拭えずとも、度々国外へと赴いてた切嗣の行動も今思えばイリヤスフィールを迎えに行っていたのだと思う。だけれど祈りは叶わず、しかし安息のうちに息を引き取った衛宮切嗣の想いは確かに士郎の裡に息づいている。「イリヤの願いには答えられない。けど、イリヤと一緒にいることなんていくらでもできる。そんな脅迫染みて強制させるようなことじゃなくて、家族として一緒にいるなんていくらでもできるんだ、イリヤ」だから、切嗣の果たせなかった約束を叶えてみせる。切嗣の代わりなどではなく士郎として。ただ今は──この少女の泣き顔を覆い隠す為に、この胸を貸してあげたかった。─────第四節 深淵の森─────「しかし………物凄いお城だな」「内装を見ただけでかなりのものだとは思っていたが、まさかこれほどとは思っていなかった」「ふふん、すごいでしょ? この辺り一帯全てアインツベルンの土地なんだから!」イリヤスフィールを肩車した士郎と鐘は外に散歩に来ていた。イリヤの気持ちを落ち着かせるというのと、周囲の状況がどうなっているのかというのを確認するがてらの散歩である。士郎の場合は、加えて自身の左半身の感覚を取り戻すというリハビリも兼ねていた。しかし見渡す限り、森・森・森・森。四方全てを森が取り囲んでおり、道らしい道を見つけることができない。「それは当然でしょう。道なんてあったら、それに沿って人がやってくるもの。道を作らないで、魔術でこの森に異常をきたしておけば一般人がここにたどり着くなんてことはめったにないわ」「まあ………確かに森の中にこんなお城があったら一発で見物客がやってくるだろうからなあ………」「加えてこの森はアインツベルンの森。そこらじゅうに私の感覚を張り巡らせてるから侵入者がいてもすぐにわかるの」「なるほど………それ故の『籠の中の小鳥』か………」城を一回りしたところで城の内部へと戻る。通常ではありえないような広くて豪華な玄関ホールを抜けて階段を上る。「ふぁ………」「なんだ、イリヤ。眠くなったのか?」「シロウの治療をするために夜遅くまで頑張ったんだよ? 寧ろ感謝してほしいくらいよ」「それは失礼いたしました。………じゃあちょっと眠るか?」「………ううん、せっかく二人がいるんだからもっと一緒にいる」「イリヤ嬢、別に私達はどこにもいかない。眠いなら寝ていいのだぞ?」「う………うん、じゃあそうする」イリヤが自室へと戻って行き、士郎と鐘は行く場所もなくなったため、最初に士郎が眠っていた部屋へとやってきた。眼鏡はイリヤのメイド、リーゼリットが興味半分で頭にかけていたのを朝食時に士郎が発見した。「ふぅ………」城の雰囲気に圧倒された所為もあってため息をつく士郎。「どうした、衛宮。君がため息などとはらしくない」「いや、………こんなお城は初めてだし、右を見ても左を見ても高価なモノばかりだからなあ。迂闊な行動したらそれだけで傷つけたり割ってしまいそうだ」「私も初めてではあるのだがな。というより普通に生きている限りこのような城に来ることはまずないだろう。観光であったとしても客人として招かれるなどはまずない」「確かに。俺の場合は、家が和風だから落ち着かないっていうのも理由にあがるけど」時刻は昼を過ぎたあたり。セイバー達の動向も気になるが、イリヤスフィールを放っておくわけにもいかない以上彼女に付き合う必要はあるだろう。次に起きてきたあたりで、冬木市に帰れるようにイリヤスフィールに相談しようと考えていた。士郎としてはイリヤのような小さな女の子が殺し合いをするなどはこれ以上してほしくなかったが、彼女がマスターである以上そこは譲らないだろう。しばらくの時間が経った後、コンコンというノック。「? はい、どうぞ」ノックの後に入ってきたのは、鐘の眼鏡をかけていたリーゼリットであった。愛称はリズ。「イリヤが、一緒に食べてようって」「食べる………?」「そう、ケーキ」◆「このケーキ………もしかして商店街の“あの”ケーキ屋か?」はむはむとおいしそうに頬張るイリヤスフィールを横目に、その店で購入した証となる入れ物のロゴに見覚えがある士郎。「商店街………。人が、いっぱいいるところ?」「多分そう。そしてその言葉が出てくる時点で決定したようなものだから答えなくても大丈夫。大丈夫だから、食べながら話さなくていいぞ」同じくはむはむと食べるリズ。「貴女は食べないのですか、セラさん?」「わ、私は………。私はメイドです。同じ場にて食べるなどと………」「セラ、いらないなら、私がもらうね」「食べます!!」かくして、この場にいる全員がケーキを食べるという構図に至る。「あ、そうだ。シロウ」「ん? なんだ、イリヤ」「あれってシロウの剣?」イリヤスフィールが指差した先にあったモノ。壁に凭れかけるように置かれたソレはかつて鐘と士郎が同時に手を取ってライダーに対抗した時に握っていた黄金の剣だった。「あ、そうだな。俺が投影した武器だ。まさかイリヤが持ってきていたのか」「ちょっと待って、シロウ。貴方、今“投影”って言った?」「ああ、言った。それは俺が投影した武器だけど?」「…………」食べる事をやめ、何やら難しい顔で剣を見つめるイリヤスフィール。かと思ったら次は椅子から下りて、剣を手に持ってまじまじと観察し始めた。「ふぅん………投影、ね。シロウ、これがおかしいことだっていうことに気が付いてる?」「おかしいこと? えっと、何がおかしいんだ?」「これを投影したのは昨日の夜でしょう? けど今日の夕方になってもまだそこにあり続けるなんて、普通の投影魔術では絶対にありえない。シロウの剣は消える気配すらない。………シロウの家には、もっとずっと前に創った物もあるんだよね?」「ああ。強化の訓練の合間に創った物が幾つか。中身は空っぽなものばっかりで、その剣みたく出来たものはほとんどないんだけどな。戦闘中にも幾つか作ったけど、悉く壊されてたし」「それは単純にシロウの修行不足よ。けどそう………、これが投影………。なら、きっとこの投影魔術こそがシロウの本質なのよ」「確かに一番最初にできた魔術は投影だけどさ、強化もそこそこやれるぞ、イリヤ。寧ろ強化のほうが今は使えると思ってるんだが」「判りやすいように言うけれど、『強化』は物質の構造を魔力で補強することでより硬化させたりできるものだけど、『投影』は構造そのものを魔力で編み出して作り出す。『投影』が出来たというなら、それよりも技術的に下にある『強化』が成功しやすいのは当然よ。系統としても同じだし、似ている共通部分だってあるから。シロウはその『強化』だけを突き詰めた結果、その上に属する『投影』に必要な技術が身についていないのよ。けど、『投影』こそがシロウの本質である以上、ちょっとコツを掴めば、向上した『強化』を下地にできるからどんどん上達していく」推測だけどね、と付け加えるイリヤ。判りやすいように、とは言ったもの理解が少し追いついていなかった。「………、まあ難しい話はわかんないけどさ、要するに俺は強化より投影の方が向いているってことなんだな、イリヤ?」「シロウがこれからも魔術を扱っていこうと思うのならこの魔術を極めてみるといいわ。けど、これ以上知られないようにすること。でないと、捕まって解剖されちゃうんだから」「それは御免だな。まあ、じゃあ知られないようには気を付けるよ。要鍛錬、ってことらしいしな」「でも無闇矢鱈に使っちゃダメよ。もう経験済みでわかってるとは思うけど、身の程を超えた魔術は術者へと跳ね返ってその身を滅ぼすんだから。そんなの絶対に許さな………」イリヤスフィールの口から言葉が停止する。はてな、と首を傾げる士郎と鐘。だが対する付き人、セラとリズにはそれがどういうことかがわかっていた。「セラ、リズ、シロウ、カネ」「はい、お嬢さま」「敵が来るわ。それも複数人………“まったくの別方向”から」空は間もなく夕暮れから夜へと変貌する。酷く歪な闇が城へと襲いかかろうとしていた。