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No.28951の一覧
[0] ドラえもん のび太の聖杯戦争奮闘記 (Fate/stay night×ドラえもん)[青空の木陰](2016/07/16 01:09)
[1] のび太ステータス+α ※ネタバレ注意!![青空の木陰](2016/12/11 16:37)
[2] 第一話[青空の木陰](2014/09/29 01:16)
[3] 第二話[青空の木陰](2014/09/29 01:18)
[4] 第三話[青空の木陰](2014/09/29 01:28)
[5] 第四話[青空の木陰](2014/09/29 01:46)
[6] 第五話[青空の木陰](2014/09/29 01:54)
[7] 第六話[青空の木陰](2014/09/29 14:45)
[8] 第六話 (another ver.)[青空の木陰](2014/09/29 14:45)
[9] 第七話[青空の木陰](2014/09/29 15:02)
[10] 第八話[青空の木陰](2014/09/29 15:29)
[11] 第九話[青空の木陰](2014/09/29 15:19)
[12] 第十話[青空の木陰](2014/09/29 15:43)
[14] 第十一話[青空の木陰](2015/02/13 16:27)
[15] 第十二話[青空の木陰](2015/02/13 16:28)
[16] 第十三話[青空の木陰](2015/02/13 16:30)
[17] 第十四話[青空の木陰](2015/02/13 16:31)
[18] 閑話1[青空の木陰](2015/02/13 16:32)
[19] 第十五話[青空の木陰](2015/02/13 16:33)
[20] 第十六話[青空の木陰](2016/01/31 00:24)
[21] 第十七話[青空の木陰](2016/01/31 00:34)
[22] 第十八話 ※キャラ崩壊があります、注意!![青空の木陰](2016/01/31 00:33)
[23] 第十九話[青空の木陰](2011/10/02 17:07)
[24] 第二十話[青空の木陰](2011/10/11 00:01)
[25] 第二十一話 (Aパート)[青空の木陰](2012/03/31 12:16)
[26] 第二十一話 (Bパート)[青空の木陰](2012/03/31 12:49)
[27] 第二十二話[青空の木陰](2011/11/13 22:34)
[28] 第二十三話[青空の木陰](2011/11/27 00:00)
[29] 第二十四話[青空の木陰](2011/12/31 00:48)
[30] 第二十五話[青空の木陰](2012/01/01 02:02)
[31] 第二十六話[青空の木陰](2012/01/23 01:30)
[32] 第二十七話[青空の木陰](2012/02/20 02:00)
[33] 第二十八話[青空の木陰](2012/03/31 23:51)
[34] 第二十九話[青空の木陰](2012/04/26 01:45)
[35] 第三十話[青空の木陰](2012/05/31 11:51)
[36] 第三十一話[青空の木陰](2012/06/21 21:08)
[37] 第三十二話[青空の木陰](2012/09/02 00:30)
[38] 第三十三話[青空の木陰](2012/09/23 00:46)
[39] 第三十四話[青空の木陰](2012/10/30 12:07)
[40] 第三十五話[青空の木陰](2012/12/10 00:52)
[41] 第三十六話[青空の木陰](2013/01/01 18:56)
[42] 第三十七話[青空の木陰](2013/02/18 17:05)
[43] 第三十八話[青空の木陰](2013/03/01 20:00)
[44] 第三十九話[青空の木陰](2013/04/13 11:48)
[45] 第四十話[青空の木陰](2013/05/22 20:15)
[46] 閑話2[青空の木陰](2013/06/08 00:15)
[47] 第四十一話[青空の木陰](2013/07/12 21:15)
[48] 第四十二話[青空の木陰](2013/08/11 00:05)
[49] 第四十三話[青空の木陰](2013/09/13 18:35)
[50] 第四十四話[青空の木陰](2013/10/18 22:35)
[51] 第四十五話[青空の木陰](2013/11/30 14:02)
[52] 第四十六話[青空の木陰](2014/02/23 13:34)
[53] 第四十七話[青空の木陰](2014/03/21 00:28)
[54] 第四十八話[青空の木陰](2014/04/26 00:37)
[55] 第四十九話[青空の木陰](2014/05/28 00:04)
[56] 第五十話[青空の木陰](2014/06/07 21:21)
[57] 第五十一話[青空の木陰](2016/01/16 19:49)
[58] 第五十二話[青空の木陰](2016/03/13 15:11)
[59] 第五十三話[青空の木陰](2016/06/05 00:01)
[60] 第五十四話[青空の木陰](2016/07/16 01:08)
[61] 第五十五話[青空の木陰](2016/10/01 00:10)
[62] 第五十六話[青空の木陰](2016/12/11 16:33)
[63] 第五十七話[青空の木陰](2017/02/20 00:19)
[64] 第五十八話[青空の木陰](2017/06/04 00:03)
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[28951] 第四十四話
Name: 青空の木陰◆c9254621 ID:90f856d7 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/10/18 22:35





『――――正義の味方ぁ? まったく、ガキじゃあるまいし。将来の夢聞かれて、普通そんな事身内に宣言するか?』

『そうは言うけどな、俺はいたって真剣だぞ。今だってな』

『あっそ。ま、学校でもそれ以外でも、赤の他人の世話ばっかり焼いてる衛宮にはお似合いだよ』

『困ってる人がいたら助けるのは当たり前だろ』

『ふぅん。それが衛宮の言うセイギノミカタ……かい?』

『ああ。助けられる人がそこにいるのなら、俺は手を差し伸べる。救える人間がいるのなら、なにがあっても駆け付ける』

『そんな人間になりたい、って?』

『そうだ』

『ご立派だねぇ。そして……ああ、甘いこったね』

『でも、それが俺の夢だから』

『あー、そっちじゃないよ』

『ん?』

『きみはじつにばかだな』

『は……?』

『なんにも解っちゃいない。なんにも考えていない。志をただ、咆えてるだけだ。助ける? 救う? はん、それがどんなものなのか、知りもしないでよく言えるもんだ』

『……どういう、意味だよ』

『衛宮が考えなしのバカタレって意味。そのトコロテンみたいな頭でも、頭は頭だろ。ちょっとはよくよく考えろって言ってるのさ』

『なんだよ、それ』

『……ふん。ま、結局は、僕のただの愚痴みたいなものだからね。聞き流してくれていいよ……とはいえ、せっかくだ。ちょっと家に来いよ。参考書をくれてやる』

『参考書?』

『そ。まあ、いいから黙ってついて来いよ。読もうが捨てようが、衛宮の損にはならないからさ』





士郎が数年前の記憶を語り終えた時、本が戸からの風に煽られ、かさりと揺れた。

「で、慎二の家で押し付けられたのがこれって訳なんだ」
「……意外ね。あのワカメヘアー、こんなの読むの」
「なんでも、一時期海外に滞在してた事があるらしくてな。その時、偶さか手に入れたって言ってた」
「それ、何年前の話?」
「さあ、そこは聞かなかったから。ただ、コレの発行年月日を見るに、十年くらい前の事だろうな」

ぱらぱらと本の後部ページをめくり、士郎は推測を口にした。
陽に焼けていると言っても、本の内側までは焼けていない。
加えて、近年の製本に使われる紙は虫害に強いので、虫食いもなく内容はしっかり残っていた。

「それって、単に都合よくゴミ押し付けられただけなんじゃ」
「そうね、きっと」

のび太の推測にイリヤスフィールが太鼓判を押すと、士郎はなんとも言えない表情となった。
否定出来る要素がなかったのだ。
そうでもなければ、如何に士郎とて存在を忘れて土蔵の片隅に放置などしないだろう。
バツが悪くなり、誤魔化すようにせかせか本のページをめくっていく。
律儀にかつて一度目を通している分、ほぼ流し読みに近い勢いであった。
少年少女が、それぞれ士郎の左右からマンガを覗き込んでいる。

「ふーん……」
「イリヤちゃん、内容解るの?」
「当たり前でしょ。魔術師の総本山は倫敦(ロンドン)にあるんだし、英語が操れなきゃ話にならないもの」
「そ、そうなんだ。そういえば、イリヤちゃん外国人だもんね」
「リンも読めるはずよ。魔術師である以上、才能云々以前の必須事項だし。お兄ちゃんもそうよね?」
「え?」
「……なに、その『え?』って」

突き刺すようなイリヤスフィールの視線に、言葉に詰まった士郎は冷や汗を浮かべる。
士郎の穂群原での成績は、お世辞にも優等生とは言えない。
当然、英語の成績も“お察し”レベルである。
頭自体は悪くないので、必死に勉学に励めば形になるだろうが、現時点では英語教師である大河の首を傾げさせるレベルでしかない。

「えーと、その、すまん。半分も理解出来ない」
「……ここで見栄を張らないのが、お兄ちゃんのいいところよね」

生暖かさの滲んだ言葉に、士郎の首がガックシと落ちた。
逆に、ここで見栄を張ってしまうタイプであるのび太はと言うと、決まり悪そうに身じろぎしていた。
どうやら、嫌味に聞こえたらしい。

「け、けどまあ、絵だけでも内容はある程度解るさ。そこがマンガのいいところだしな」

児童が読む絵本も、それと似た要素がある。
ページをめくる毎に、コマを辿る毎にパズルの断片が頭に積み上げられ、整合性を取るように組み合わさっていく。
昼間は、真面目に働く勤め人。
だが、ひとたび人々に危難が訪れれば、彼はスーツを脱ぎ、マントを羽織って超人へと変身する。
そして、その尋常ならざる力を振るい、人々を救うのだ。

「ヒーロー……正義の味方」

ページをめくっていた手が止まる。
ひとりごちたと同時に、士郎はいつかの夜の光景を思い出した。
月の高く昇った夜、縁側で唐突に告げられた養父のかつての夢。
大人になった事で、叶えられなくなったとこぼした、かつての夢。

「『正義の味方になりたかったんだ』……か」
「なに、それ?」
「ん。ちょっと、な」

そう思った背景に何があったのか、何を思っていたのかは、士郎には解らないし、想像もつかない。
だが、子どもが親の夢を継ぐのは当然の事。
その思いから、士郎は養父に向けて宣言した。
爺さんの夢は、俺が必ず形にしてやる、と。

『ああ……安心した』

そうして、眼を閉じた養父の表情は、憑き物が落ちたかのように穏やかだった。
その末期の言葉を胸に、士郎はこれまで生きてきた。
立てた誓いに、違わぬように。魔術の鍛錬にも、以前にもまして取り組むようになったのもこの時からであった。

「…………」

ふと、士郎の表情に苦いものが混じる。
ほんの数日前、その誓いに氷の刃を突き立てた男を思い出したからだ。

『――――喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う』

教会の神父であり、聖杯戦争の監督役たる言峰綺礼。
マスターとして聖杯戦争を戦うと男に宣言したあの晩の去り際、彼は士郎の背中にそう宣告した。
そして、養父との繋がりを匂わせると同時に、こんな言葉を継ぎ足した。

「正義の味方の存在には、明確な『悪』が要る……」
「え?」
「……いや。少し前に、そんな事を言われてさ」

きょとん、となったのび太に、士郎は努めて穏やかに補足する。
底冷えするように腹の中にたゆたう不安に、蓋をするように。

「正義の味方が必要とされるには、『悪』の存在が不可欠って事らしい」
「へえ。ある種のジレンマね」
「ああ……。俺は、何も言い返せなかった」

口にする気などなかったはずなのに、気がつけば士郎は弱音にも等しい言葉を吐いていた。
なぜだろう、とふと思う。
姉同然の人にも、妹分にも、終ぞこんな弱気を晒した事はないというのに。

「じ、ジレンマ……って?」
「簡単に言えば、板挟みよ」
「板挟み?」
「つまり、正義の味方になりたかったら、どこかに悪者がいないといけないって意味。悪者を懲らしめるのが正義の味方なら、その悪者がいなかったら正義の味方なんていらないじゃない。解った?」
「う、うん。なんとなく」

ふと士郎が振り返ると、難解なパズルに挑んでいるような表情ののび太に、イリヤスフィールが噛み砕いて説明していた。
途端、すとんと欠けたピースが胸にはまり込むような感触を覚え、ああ、そうかと士郎の口角が跳ねた。

「のび太君か……」
「は、はい?」

バーサーカーと最初に刃を交えたあの月下の戦場で、のび太は我先にと逃げ出した。
それでいいと思った。
非力な少年が立つべき場所ではない、巻き込ませたくはないと自分の非力を棚に上げて思った。

『そ、その……士郎さん達がやっぱり心配で……戻ってきちゃいました』

だが、その意に反して彼は戻ってきた。
持てる限りの武器を引っ提げ、ノミの心臓と震える脚を叱咤して。

『僕は……ぼっ、僕は! 通りすがりの、正義の味方っ!! 野比、のび太だ!!』

恐怖を勇気で打ち破り、正義の味方であると咆えた。
士郎の脳裏には、その光景が鮮やかに焼きついている。
力になりたいと決めた者のために自らを奮い立たせるその姿は、まさに『セイギノミカタ』であった。
士郎の心の奥底に、ちくりと暗い感情を突き刺すほどに。

「士郎さん?」

たとえ口が裂けても、誰にも言えない。
あの瞬間、士郎がほんの微か、のび太に嫉妬を覚えた事など。
優しい勇気に満ちたその瞳を見た時、のび太の身体が、自分よりも遥かに大きく見えた。
それと同時に、養父から受け継いだ自分の夢が、なんだかひどく薄っぺらいものに感じられてしまった。
そして、彼はなんとなく解ってしまう。
どうして、自分の志が薄っぺらいなどと感じてしまったのか。

「――――本当に」

マンガのページに目を落として、今、士郎は改めて思う。
かつてぶつけられた、慎二の言葉の通りだと。

「本当に……俺って、なんにも考えてない。咆えるだけで、考えなしのバカタレだ」
「し、士郎さん? どうかしたんですか? さっきから変ですけど」

自分の方を振り返ったり、ページに視線を映しては整合性のない独り言を呟く士郎が、のび太にはちょっと不気味に見えていた。
さもあろう。
内心の百面相を繰り広げる士郎は、挙動不審どころか、情緒不安定にさえ見えてしまう。
不安に揺れる声に対し、士郎はなんでもないと手をぱたぱたさせて答えた。

「――――悩んでるのね、シロウは。そのジレンマ……ううん、『セイギノミカタ』そのものに」

しかし、この場で誰よりも聡明な内面を持つ白の妖精には、誤魔化しが効かなかった。
そもそもからして、士郎は表層の心理を表に出す事はあっても、その深層を決して曝け出す事はない。
付き合いの浅いイリヤスフィールがそれを見破れたのは、記憶にある実父と士郎がよく似ていたからだ。
子どもは、親の背中を見て育つ。
養父に憧れた子どもは、実に養父と似た傾向を持っていた。
ゆえに、ほんの微かに漏れ出た彼の深層の感情を、イリヤスフィールは拾い上げられたのだ。

「……ああ」

僅かに逡巡するも、士郎は白旗を掲げた。
ほとんど抵抗を感じなかった事が、なんとも不思議な心地であった。

「俺さ、爺さんに約束してからずっと、考える事を止めてたんだ。無意識にそうしてたのか、単に思い至らなかったのか、それは解らないけど」
「『セイギノミカタ』というものについてを?」
「ああ」
「……えっと?」

訥々と語り始めた士郎に、のび太の戸惑った声が降りかかる。
こういった哲学めいた話は、彼には馴染みの薄いものだ。
そもそも、思春期前後の児童がそう簡単に理解出来るような話でもないのだが。

「慎二の言った通りだよ。俺は、考えなしだったんだ。だから、あいつの言葉になにも言えなかった」
「正義の味方のジレンマに、ね」
「ん、ん~……」

悪の存在があったればこそ、正義の味方が必要とされる。
そう告げられ、士郎は反論の言葉を持てなかった。
悪という存在がそこにあって初めて、正義の味方は存在を、価値を認められる事になる。
そんな事はないと思いながらも、何一つをも言い返せなかった自分を、心底情けないと思った。
忸怩たる思いが、湿地帯のように士郎の中にじわじわと広がっていく。

「あ、あのー……」

そこに一石を投げ込んだのは、うんうん唸っていたのび太であった。
ほんの一瞬、士郎の胸がどくんと強く跳ねる。

「ん?」
「その、正義の味方って、どうしても悪い人を懲らしめなきゃダメなんですか?」
「え、っと。どうしてそう思うんだ?」
「だって」

士郎の手にある、開いたままのマンガのページを指差して、まだ当惑の色濃い声音で告げた。

「この人、列車を止めて乗ってる人を助けようとしてるけど、悪者なんて懲らしめてないじゃないですか」

見開きのページには、マントを羽織った男が空を飛び、暴走列車を喰い止めるべく先頭車両の前に回り、その凄まじい膂力を発揮しているシーンであった。
この時、のび太はなぜか、マントを付けたドラえもんが同じような事をやっている光景を幻視したのだが、気のせいだよねとすぐさまそれを振り払った。

「それは……」

士郎は言葉に詰まった。
このシーンは、あまりにも有名だ。
実際に、スーパーな人の話を見た事がない者でも、ちらりと見かけたり、耳に挟んだ事くらいはあるはず。
切り取られたこのシーンに限って言えば、明確な悪の存在はない。
強いて言うなら、暴走列車がそれに該当するが、この場合は事故や災害と見るべきだろう。
勿論、このスーパーなシリーズには、はっきりとした悪が掃いて捨てるほどいる。
しかし、ぱっと見ただけで詳しくないのび太には、そう見えてしまったのだ。
それでも、言いたい事は解る。

「……そう、だな」

つまり、正義の味方にとって、悪の存在はただの十分条件であり、必要条件ではない。
たったそれだけの事なのだ。
“強きを挫き、弱きを助ける”。それはおおよその正義の味方に当てはまる共通事項だろう。
その中で大事なのは、前者ではなく、後者。
助けるという事こそが本懐なのであって、挫くのは結局、過程の一要素でしかない。

「そもそもね」
「ん?」
「シロウの望みは、『困っている人を助けたい』って事なんでしょ。なら、悪の存在云々はそこまで悩む必要ないんじゃない?」

イリヤスフィールの言葉は、金言よりも重く響いた。
詰まる所、士郎は言峰の言葉にまんまと惑わされてしまったというだけの話であった。
坊主の禅問答ほど、矛盾と葛藤の袋小路に追い込むものもない。
ぎり、と士郎の口から硬質な音が漏れた。

「――――くそ」

赤胴の髪を乱暴に掻き毟り、士郎は吐き捨てる。
腹の中が煮えくり返っている。
言峰にだけではない。
戯れに吐き出された言葉に翻弄されてしまった、不甲斐ない自分に対しても、彼は深い怒りと失望を覚えていた。
そんな士郎の背中を、イリヤスフィールがぽんぽんと軽く叩く。

「……ん。悪い。言峰に振り回されてた自分が、どうにも情けなくてな」
「コトミネ?」

士郎の口から飛び出した人物の名に、イリヤスフィールはきょとんとした表情を浮かべる。
しかし、それも一瞬の事で、納得したように首を上下させた。

「あの神父ね。成る程、言いそう」
「知ってるのか、イリヤ。あいつを」
「一応、挨拶にも行ったしね。それに、魔術師の世界でもそこそこ知られてるわ。『代行者』としてね」
「……そういえば、遠坂もそんな事言ってたような。教会と協会の二足草鞋とか」
「けれど、何を考えてるのか解らないところがあるわ。わたしも、好きにはなれない」

可愛らしい顔を盛大に歪めての断言。
心の中で、士郎は大いに同意した。
というより、あの腹に一物、二物どころか二ケタ以上も抱え込んだ、胸に提げた十字架すら真っ黒に染まりそうなエセ神父を好きになれる者などいるのだろうか。
いるとすれば、その者はきっと英霊級の聖人であろう。
凛にとっては兄弟子にあたるらしいが、愛想こそよくないとはいえ、よく付き合っていられるなと、半ば感心にも近い気持ちを士郎は覚えた。

「でもね、コトミネの言う事も解らなくはないの。物語に勧善懲悪は付き物だし」
「か、完全超悪?」
「……字が違うわよ。つまり、悪者を懲らしめてハッピーエンドの話が多いってコト」

もはやこの手のやり取りもお決まりとなりつつあった。
ツッコミを交えた解説を自分なりに咀嚼して飲み込むのび太の表情は、テストに挑む時より数段マシだが、やはり若干苦心に染まったものであった。
うんうん唸り、煙が出るくらいに脳を回転させて、コンクリートに油を染み込ませるかの如くじんわりと理解を深めていく。

「そういえば……そうかな。僕達も、だいたいそんな感じだったっけ」
「え?」

腕組みし、記憶の底を浚うようにのび太は眉根を寄せて考え込む。
怪訝な顔となったイリヤスフィールだが、直後、その端正な顔から一切の表情が吹き飛んだ。

「恐竜ハンターにガルタイト、ダブランダー、ポセイドン、デマオン、ギルモア、鉄人兵団、牛魔王、ギガゾンビ、ニムゲ、アブジルとカシム、雲の王国を乗っ取った密猟者達、ナポギストラー、オドローム、ヤドリ、Dr.クロンとMr.キャッシュ、アンゴルモア、レディナ、フェニキア、デスター、Dr.ストーム、ネコジャラ……」

指を折りながら、堰を切ったように次々と出てくる人名やら組織名。
なかには既に聞き及んでいるものや、やたらと有名なビッグネームも混じっている。
詳しく聞きたいような、聞きたくないような。
地雷の撤去作業員さながらにうるさく騒ぎ始めた心臓を余所に、努めて静かにイリヤスフィールは問うた。

「なんなの、それって」
「えっと、今まで僕達が冒険で戦った悪者とか、会社とか、機械、妖怪に悪魔と……あと怪獣?」
「……そう。えいっ」
「あ痛ッ!?」

ぱちーん、とのび太の額から気持ちのいい音が鳴り、イリヤスフィールは手を振り抜いた姿勢のまま、凄まじく剣呑な視線をのび太に突き刺していた。
普通であれば、対話相手を張り飛ばしたりなどしないのだが、外見年齢においてほぼ同等ののび太であるので、気安さも手伝ってやや遠慮がなくなっているようだ。
おまけに内容は、ちゃぶ台をひっくり返したくなるほど非常識極まりないもの。如何に礼節を弁えた淑女でも、手にした扇を叩き付けるというものだ。
逆上するのを必死で堪えていた凛の気持ちが、少しだけ理解出来たような気がした彼女であった。
士郎も士郎で、開いた口が塞がらず、間の抜けた顔を晒している。
実際に己の目で見たあの脅威の鉄人兵団やマフーガ以外にも、この年にして数えるだけで億劫になるほどの敵とやり合ってきた事実が、まるで信じられない心地であった。

「話の途中だから、詳しく聞くのは後にするけど、よく生きてるわね。貴方」
「痛ててて……う、うん。ぼ、僕ひとりじゃなんにも出来なかったけど、ドラえもんにしずかちゃん、スネ夫にジャイアンが、皆が助けてくれたから」
「ふぅうん、そう」
「……あ、あははは」

じんじん痛む額を押さえて、のび太は愛想笑いを浮かべる。
実はオドロームにやられて一回、などとおどけられない。
なにしろ、呆けたままの士郎はともかく、イリヤスフィールが怖いのだ。
あの禁断の爆弾で咆え猛った凛もかくやという覇気が、のび太の身体を押し流す勢いでぶつけられている。
しかも、表情は怒りを露わにしたものではなく、それどころかうっすらと、天使のような微笑みさえ浮かべていた。
だが、その目は笑っておらず、依然として冷え切った威圧感を放ち、視線の先ののび太を抉り込むように貫いている。
ゆえに、のび太は尚更に恐怖を煽られた。
もっとも、士郎とイリヤスフィールも、この件に関してある種の畏怖と言うべき感情をのび太に抱いている。
士郎に至っては、その中に微かな妬みすら抱いていた。
勿論、そんな感情はおくびにも出す事はなく、くだらないと己の中でかっちり始末をつけているが。

「け、けど……うん。たしかに、悪者を懲らしめたり退治したり捕まえたりして解決したのが多い、かなぁ」

うーん、と唸りながら、のび太は改めて口にする。
だが、ふと何かに気づいたように、はっと目を見開いた。

「でも、バンホーさん達とか、昆虫人類の人達とか、ホクロさん……じゃなかった、熊虎鬼五郎さんは違ったかな」
「……誰、それ」

やや機械じみた声色で、イリヤスフィールが微笑のまま問いかける。
だが、そこに更なる追撃のハートブレイクショットが叩き込まれようとは、想像も及ばなかった。

「えっと、バンホーさんは恐竜から進化した地底人の竜の騎士で、昆虫人類は僕が“創世セット”で作った地球の昆虫から進化した人達で、熊虎鬼五郎さんは、たしか前科百犯……だっけ、の凶悪犯?」
「…………」
「あ痛ッ!?」

もう一発、今度は無言のままイリヤスフィールの平手がのび太の額を捉えた。
ぱちーん、という気持ちのいい音に一切揺らぐ気配を見せないその笑みは、もはや鉄仮面のようですらあった。

「リンがいなくてよかったかもね……色々と言いたい事はあるけど、一旦、これで済ませてあげる。それで、なにが違うの?」

にっこり顔でずいと踏み込んで尋ねてくるイリヤスフィール。
あまりの圧力にたじろぎかけたのび太であったが、額を押さえつつも律儀に答えた。

「あの、えと、その人達とは、戦いもしたんだけど、その、正確にはちょっと違ってて」
「違うって、なにが?」
「だから……んん、なんて言えばいいのかな……その人達が抱えてた問題を解決して、決着したんだ」
「問題?」
「ええっと、ちょっと長くなるし、ややこしいんですけど」

本を閉じて尋ねた士郎に向かい合い、のび太は『竜の騎士』、『創世日記』、『ねじ巻き都市の冒険』の顛末を掻い摘んで説明し始めた。
すべてそれなりに長い話なので、要点を絞って説明したとしても時間が掛かる。
ましてや、語り部は成績不良小学生。詳細をきちんと語ろうとしても、語彙力のなさだけは如何ともしがたい。
それでも身振り手振りを交えつつ、見知らぬ他人どころか異種族とも物怖じせずに意思の疎通を図れる大人顔負けのコミュニケーション能力で以て、のび太は熱弁を振るった。
そして、ようやくすべてを語り終えたその時。

「……成る程ね、だいたい解った。とりあえず――――うん。覚悟はいいわね、ノビタ?」
「もう殴ってるじゃないかぁ!」

頭の天辺を押さえ、抗議の声を上げたのであった。
柔らかい女の子の手とはいえ、目いっぱいに振り下ろされればそれなりに痛い。
しかも、叩(はた)かれたのはこれで三度目である。
凛のように締め落とす勢いで掴みかかったり、弓兵がやられたようなガンドの抜き撃ちをしないだけマシかもしれないが、やられる本人としてはどっちもどっちである。

「今度という今度は極め付けよ……堪え性のなさに我ながら情けないったら。リンを笑えないわ。まったく……未来の道具にかかれば、アインツベルン長年の悲願も石ころみたいなものかもね」
「え、なに?」
「独り言、気にしなくていいわ。うん、そうよ。結局は、こことは違う世界の話だもの。だから、必要以上に気にしなくてもいい。そう、気にしなくても……ね」

貼り付けたような笑みを消して一転、腰に手を当てたイリヤスフィールに下からじいっ、と睨み上げられ、のび太は言葉に詰まる。
まさしく不良に絡まれるが如くであり、彼我の距離数センチで菩薩から夜叉へ切り替わってメンチを切られては、たじろぐ他なかった。
一方で、士郎は以前と同様、比較的冷静に情報を消化していた。
しかし、それでも堪えきれないツッコミどころはある訳で。

「まさか、未来で惑星が宝くじの景品にされてる上に、デパートの夏休み宿題コーナーに“本物の地球”製作セットが陳列……世も末どころか、末すら突っ切ってるな。しかしまあ、なんだ。のび太君は、万人が平伏す創造神様って事か?」
「えっ? な、なんでそうなるんですか?」

その辺りの解釈は人によるものだ。
やった本人にあまり自覚はないようだが、義姉弟の見方は違った。

「ノアの方舟みたく、六千五百万年前の地下に恐竜を逃がして恐竜人誕生の礎を築いたり、レプリカとはいえ本物の地球を作った挙句、“進化退化放射線源”を虫に当てて昆虫人への進化を促したり……」
「まさしく神の所業ね。そこだけ切り取ってみれば」

ぐうの音も出ない、掛け値なしの事実であった。

「う、う~ん……?」

しかし、やはり本人にその自覚がない以上、これ以上言っても意味のない話でもあった。
“創世セット”で実際に神様まがいの行動を繰り返したものの、彼自身の自覚においては、結局のところ夏休みの自由研究の域を出ていない。
他にスフィンクス紛いの像を造って祀られた事もあったが、本人としては大した事はしていないと思っているので、むしろ大袈裟すぎると感じたであろう。
それもこれも、のび太の自身に対しての評価の低さと、ひみつ道具による理不尽なまでの低難易度が齎した結果であった。

「っとと、脱線したな。話を戻そう。つまりのび太君が言いたかったのは、全部を力で解決したわけじゃないって事か?」
「ま、まあ。偶然そうなっちゃった、って言った方が正しいかもしれませんけど。争ってたけど、本当の意味で悪い人達じゃなかったって事もあったし」
「そうか……」

自信なさげに首肯したのび太を尻目に、士郎は『考える人』のように顎に手を当て、考え込む。
この世は勧善懲悪ですべてが解決出来るほど、単純ではない。
士郎とて、それは知っている。
そもそも、『悪』という存在は相対的なものだ。見方や立場によって、その在り様は変わってくる。
ある宗教にとって、異教の教えとその信徒は『悪』の存在であろうし、また会社などでも業界のシェアを奪い合っている商売敵は『悪』だろう。
つまるところ、善悪など『正義』と同様、定義の不確かな存在なのだ。
また、コインの裏表のように『悪』の存在が『善』の存在へとひっくり返る事もある。
自らの罪を悔い改めて更生する犯罪者などが、その典型だろう。
勿論、罪を犯したという事実そのものが消え去る訳ではないが、その者の存在すべてを否定し断罪するよりはまだ救いがある。
『悪』というのは、ただ力によって滅ぼすだけが解決方法なのではなく、その条件や在り方を変質させる事でも解決を図れる側面も持つ。

「……成る程」
「あの、士郎さん……?」

のび太が挙げたみっつの『例外』は、まさにそれである。
恐竜人と一度は敵対したが、時間遡行で六千五百万年前の真実が明らかとなり、タイムパラドックスの悪戯で隠されていた、のび太達が恐竜人の祖先を救った事実が判明した事で、敵対する悪の存在ではなくなった。
昆虫人類は、のび太の作った地球において人類と種の覇権を賭けて刃を交える寸前までいったが、のび太が用意したもうひとつの地球に移住する事で、生存競争の敵役としての宿命から逃れた。
凶悪犯の熊虎鬼五郎は、偶然のび太達が作り上げたねじ巻き都市に迷い込み、“タマゴコピーミラー”を手に取った事によって何体ものクローンが作られた結果、オリジナルの『社長』を筆頭としてのび太達と争ったが、最終的に良心を反映したクローンの“ホクロ”に再統合され、真人間に生まれ変わった。
偶然のものこそあれ、結果としてのび太は彼らを“救った”。彼らを悪の存在たらしめていた、条件や在り様を覆す事によって。
生命も、信条も、営みも、果ては未来までをも“救う”。
それは、これ以上なく素晴らしい事であろう。

「――――だけど」

そして、それ以上にどれほどに難しい事であろう。
人を助ける、救う。言うのは簡単だが、実際に行うのは至難の業だ。
“救う”とは、突き詰めればその人の問題を取り除くという事。
『悪』を更生させる事も然り。
また、困っている者、弱っている者を立ち直らせる事も、障害を解決していくという意味では然りである。
だが、言葉にすればたったそれだけの事が、助ける者、助けられる者に途方もない労苦と時間を費させるという事実が、厳然として存在する。
しかも、必ずしも報われるとは限らない。どれほど“救い”として切望したところで、決して手の届かないものだってある。
士郎自身を顧みれば、実際に救われるまでに何段階もの行程を踏んでいた事実に気づくだろう。
火災現場から救出し、命を永らえさせてはい、お終い。そんな事はなかった。
当たり前である。子どもが身ひとつで放り出されて、生きていける訳がない。
衣食住はもとより社会的な安全の保障、そして心身の傷の治癒。そのすべてを、士郎は養父から受け取って、そうして“救われた”のだ。
運び込まれた病院にて外傷が治療され、衛宮切嗣の養子として引き取られて衣食住、社会的な保障を得て、養父と日々を過ごした事で焼け崩れた心が再度形作られた。
ただ、行程のすべてが養父ひとりの手で成された訳ではない。
外傷の治療は医師や看護士によるものだし、壊れた心の問題においても、大河などの他の人間も密接に係わっている。
それはつまり、衛宮切嗣は、すべてを己が手のみで賄える万能の存在ではなかったという事の証明に他ならなかった。
“救う”とは、それほどまでに困難で、道程険しい行動なのだ。
言われるまでもなく、そんな事など本人は百も承知であったろう。百も承知で、それでも士郎の命を背負い、尽くせる限りの手を尽くした。
まさに、正義の味方に恥じない行いだ。目も眩むくらいに。
だが、のび太の奇想天外な実話を聞いた後では、その事実が改めて、凄まじい重さを以て士郎の腹にのしかかってきた。
ひみつ道具の恩恵も交えて語られた分、尚更に。

「人間は、神様じゃない。そして、『セイギノミカタ』も神様じゃない。たったひとりですべてを解決なんて、きっと出来やしない。ましてや、すべてを救うなんて……」

しかし、あらゆる“救い”のきっかけを揃えてくれた事だけは間違いなく。
身命を賭して誰かを救う、その背中、想い、そして理想。
感謝と共に、士郎は養父に憧れた。
獄炎に焼かれ、がらんどうだった己に『衛宮士郎』を与えてくれた、衛宮切嗣に。
焼灼地獄の死の淵から己を救い上げた時の、あの泣き笑いに歪んだ養父の表情が、脳裏を掠める。

「爺さん……」

そして、士郎は今この時、痛切に思い知った。
憧れ、受け継いだ夢のその難解さ、そして果てしないまでの困難さに。
ずしん、と一気に鉛に巻かれたように彼の身体が、なにより心が重くなる。
矮小で非力な自分が背負うには、あまりにも荷が勝ちすぎていた。
あるいは、養父もそんな挫折感を味わっていたのかもしれない。
そんな事を考えて、士郎の心はさらに重くなった。

「俺は……痛ッ!?」

胸の内に暗雲が兆しかけたその瞬間、背中に衝撃が走り、士郎は我に返った。
眼に星が飛び交うほどの、電撃じみた痛痒がじんじんと余韻を残して士郎を痺れさせ、弾かれたように背後を振り返らせる。
そこには、驚くほど澄んだ表情で士郎を見つめるイリヤスフィールがいた。
イリヤスフィールの右手は、野球の投手のフォロースルーのように振り抜かれた形を保っている。

「い、イリヤ……?」
「悩みなさい、シロウ」

はっきりと、透き通る声で告げるイリヤスフィールに、士郎の身体がぎしり、と硬直する。
熱を持って疼きの冷めやらぬ背中も、この瞬間はまったくと言っていいほど気にならなかった。
否、気にするほど余裕を割けなかった、と言った方が正確であろうか。
士郎の意識も、視線も、感覚も、悉くが眼前の純白の天使に奪われていた。

「悩んで、悩んで、悩み抜いて、考える事を、思考し模索を続ける事を決して諦めないで。考える事を止めた人間は、傀儡にも、畜生にも等しい。思索を止めた『セイギノミカタ』も、同じ」

神託のように、厳かに。
イリヤスフィールが紡ぎ出す一言一句が、士郎の奥底に深く突き刺さっていく。

「そして、己自身を、なにより周囲をよく見渡してみなさい。独り善がりに突っ走っても、自縄自縛に陥るだけ。因果は巡る。それはいずれ、貴方だけではなく、貴方が大切に思う者にまで返ってくる……」

イリヤスフィールの表情が、この時微かに歪んだのを士郎の眼は捉えていた。
悔恨か、哀切か、はたまた憤怒か。
それは“痛み”を知る者の顔であった。

「正義は善悪を超えたもの。善も悪も、行きつく先は正義と同じ。だからこそ、貴方は“孤高”になってはいけない。誰をも置き去りにして、“我”の価値観のみに凝り固まった正義を胸に往く先には、ただ虚無と絶望だけが待っている」

刹那、永訣の際の養父の姿が、士郎の脳裏を掠めていった。
悲しいまでに澄み切った微笑を浮かべて逝ったあの顔の裏には、どんな感情があったのだろうか。
問い質したくとも、既にいない人物に聞ける訳もない。

「イリヤ、それってもしかして、おや」
「シロウ」

有無を言わさぬ真摯な眼で射抜かれ、士郎の言葉は途切れる。
最後まで聞いて、とイリヤスフィールの瞳が訴えていた。
彼の沈黙を首肯と捉え、艶やかな彼女の唇が再度言葉を生み出していく。

「どれだけ胸を焦がして憧れようと、貴方は“エミヤキリツグ”には決してなれない。その本に描かれたヒーローには決してなれないのと同じように。貴方は、貴方自身にしかなれはしないの」
「…………」
「だから、学びなさい。あらゆる物の見方を、誰かの背中から、想いから。手本にするも、反面教師にするもいい……その過程の中で、貴方にとっての“セイギノミカタ”が少しずつ、形作られていくはずだから」

包み込むような声が耳朶を打ったその時、ぴくん、と士郎の瞳が微かに揺らぎを見せた。
雫が水面を叩き、波紋が幾重にも連なり、大きく円を描いて広がる。
己の中で、なにかが書き換わっていく。
いつの間にか、士郎の手は強く、雑誌を握り締めていた。

「……なんて、ね」

と、唐突にイリヤスフィールの表情が一変し、場の空気が弛緩する。
先程とはうってかわって、からかいを含んだ微笑みを浮かべたイリヤスフィールが、口に手を当てクスクスと笑い声を上げる。
あまりの豹変ぶりに、ぽかん、と呆気に取られたように呆けた面を晒す士郎。
それを見て、ますますイリヤスフィールの微笑は深まりを見せる。

「い、イリヤ……?」
「ふふ、そんなに深刻になる事はないわ。キリツグと違ってシロウはまだ若いんだし、ゆっくりでいいの。今のうちからそんなに血眼になってると、ハゲるわよ」
「うぐっ!?」

以前、“○×占い”にて将来ハゲると宣告された事を思い出して、士郎は言葉に詰まった。
いかに容姿に心を砕いていないとはいえ、若ハゲなど無理を通してでも御免被りたいところである。
無意識に頭にやっていたその手は、微かにだが震えていた。

「……さて、と。そろそろお昼の用意をしなくちゃまずいんじゃない?」
「え、あ……」

言われて、士郎は柱に掛けられた振り子時計に目をやる。
時計の針は、十一を回って長針が二に差し掛かったところであった。
用意を始めてもいいが、そこまで焦る必要もないという、微妙な時間帯だ。
とはいえ、早いに越した事はないのも事実である。

「ん……そうだな。仕込みを始めてもいい頃合いかな」

本を手近な台の上に置いて、士郎はイリヤスフィールの言を呑んだ。

「けど、イリヤはもういいのか?」
「知りたかった事は大方知れたから。予想外もいいところだったけどね。貴方が“極み”に至れるかは解らない。でも、その片鱗はある。だからちょっとだけ期待を込めて、見ててあげるわ」
「ん、あぁ……?」

彼女の言葉の意味が呑み込めなかった士郎が首を傾げる。
それを尻目に、イリヤスフィールはもうひとりの方へと向かっていた。

「あ、終わったみたい?」

途中から半ば蚊帳の外となっていた彼はというと、開け放たれたままの土蔵の入口に膝を抱えてしゃがみ込み、ぼそぼそと小さな声で何かに話しかけていた。
別段、無視されて不貞腐れたとか、見えてはいけないものが見えているといった理由からではない。
その足元には、小さく丸みを帯びた赤色がぴこぴこ動いていた。

「なにしてるの、ノビタ……あら、ミニドラね。もう起きてたんだ。どうしたの」
「どら? ど~らら~」

完徹での歩哨を終え、監視部屋で熟睡していたミニドラのうちの一体である、ミニドラ・レッドがそこにいた。
身振り手振りを交えつつ、ミニドラ・レッドは彼女へ事の次第を説明し始める。
相変わらずの、余人になぜ理解出来るのか不明なミニドラ語であった。
ぱたぱたと腕を振る様は愛くるしさに溢れており、見つめるイリヤスフィールの目じりが知らず、緩む。

「……ノビタが所在なさげにしてたから、用のついでに相手をしてた? あ、そう……ごめんね」
「う、ううん。それは、別に。途中から、結構難しい話になってたし。こっちこそゴメンね、ついてけなくて」
「別に謝る事でもないわよ。ノビタ向けの話じゃなかったものね。ちなみに、ミニドラの用って?」

イリヤスフィールの問いに、ミニドラはその手に持っていたものを掲げて見せた。
それは、この土蔵で見かけたものとそっくり同じような形の物で。

「工具箱?」
「どらら!」
「え? 詳しくはヒミツ、って……」

意外な返答を寄越され、ぱちぱちとイリヤスフィールは目を瞬かせる。
動揺を余所に、ミニドラ・レッドはふたりに『バイバイ』と手を振ると、そのまま母屋の方へと歩き去って行った。

「……結局なにしてたの、あの子?」

予兆すらなく、唐突に現れて唐突に去ったミニドラ。
三人の会話を聞いていたかは定かではない。そもそも、いつからいたのかも解らないのだが。
ちら、と彼女が隣ののび太に目をやるものの、返ってきた答えは芳しいものではなかった。

「僕も知らないよ。ヒミツって言われたから、詳しく聞かなかったもの。でも、いつか役に立つはずだって言ってたよ」
「……そう」

釈然としない色を浮かべながらも、イリヤスフィールはもやもやするその感情にとりあえず蓋をした。
ぽりぽり頭を掻くのび太の後ろに士郎が歩み寄り、肩を軽く叩いて陳謝する。

「っと、悪かったな、のび太君。誘ったのはこっちなのに、話置いてきぼりにしちゃって」
「いえ。気にしてませんから」
「そっか、ありがとう。俺はもう戻るけど、のび太君はまだここにいるかい?」
「あ、じゃあ僕も戻ります。ここ、ちょっと寒いですし」

両の二の腕をさするのび太に、士郎は納得したように首を二、三度上下に振る。
開け放した土蔵に飛び込んでくる二月の寒風は、のび太のようにさして厚着をしていないものにはやはり堪えるものらしい。
その点、イリヤスフィールは平然としたものだが、本人曰く、出身地の関係から寒さには強いとの事だった。

「ノビタ、戻ったらさっきの貴方の話、リンにもしておきなさい。一応ね」
「うぇ!?」

寒さとは関係なしに、のび太の顔色が土気色に染まった。
桁がマイナスに突入した通帳を前にしたかの如く、狂乱の体で迫り来る凛の姿が、脳内に再現されているようだ。
何度もその被害を受けている側としてはその懸念も当然なのだが、話をしておかない事にはこの先の危機を乗り切れはしないだろう。
凛はこの面子においてのまとめ役であり、参謀であり、ご意見番でもある。
今朝はセイバーの不可解な機嫌のせいで話の腰が折れ、尻切れトンボで終わってしまったが、このままでいいはずがない。
のび太とてその事を理解しているからこそ、その避けられない未来から逃げ出す事は出来ないのだ。
最低でも、士郎とイリヤスフィールに話した内容と、残る敵であるキャスター・アサシン・ランサーの変貌該当者に関してくらいは話しておかなければならないだろう。
もっとも、キャスターの場合は心当たりが多すぎ、アサシンとランサーについては逆に心当たりが乏しいという歪さがあるのだが。

「だ、大丈夫かなぁ……」
「あー、まあ俺がフォローするさ、一応。どこまで出来るかは解らないけど、とりあえず昼飯の後にでも話しておこう」
「あ、ありがとうございます……」

障害を前に項垂れるのび太の肩を抱いて、士郎は土蔵の扉を潜り、外へと出た。
天頂に近くなった如月の陽光の僅かな熱が、冷える身体をゆっくりと温めていく。
光と熱は、人の肉体と心を和らげてくれる。
ほんのささやかなその暖すらも、凍える者にとってはありがたいもので、のび太の顔色は、多少マシな物へと変化していた。
その後ろを、ひょこひょこと踊るようにイリヤスフィールがついて歩いていく。

「……結局あの本は、重い宿題だったんだな。アイツなりの」
「え?」
「いや。独り言だよ」

なんでもないとばかりに告げた言葉の裏で、士郎は失笑を噛み殺した。
夢の形について何も考えていなかった、かつての己に対しての失笑であった。

「アイツの方が、俺の何倍も物を考えていたんだ」

最終的に誤った道を進んでしまったものの、長い間、自己の在り方を求め続けていた悪友。
その歪んだ暗い執念は、決して褒められたものではないし、何かを決定的に間違えてさえいた。
だが、そんな執念を抱くほどまでに自分は模索を繰り返したかと問われれば、士郎は首を横に振らざるを得なかった。

「……ああ」

だからこそ、士郎は決意する。
目指すままで留めていた己の夢について、考えていこうと。
もしかすると、目指すそれは綺麗なものではないのかもしれない。
あるいは、描いた理想そのものに絶望するかもしれない。夢破れ、血河を渡ってきた養父の存在が、それを物語っている。
それでも、最初の一歩を踏み出さなければ何も始まらないのだ。
何気なく落とした視線のその先には、揺れるのび太の頭がある。

「え? あの、士郎さん? どうかしました?」

首を傾げたのび太に、士郎はなんでもないと笑いながら首を振る。
不思議な事に、彼を見ていると心なしか、ふつふつと彼の奥底から自信が漲るように感じられるのだ。
ある意味では先達であるからか、はたまた彼の人柄がそうさせるのか。
少なくとも、悪い心地ではなかった。

「――――そうだな。ここからだ」

士郎は口中で呟くと、天を仰いだ。
中天に差し掛かる冬の陽射に、すうっと士郎の目が細くなる。
その瞳は、大空から地を睥睨する鷹のようにも見えた。

「…………」

その時、彼の背後でたん、たん、たんっ、と軽やかな靴音が弾んだ。
何気なく後ろを向いた士郎の目に映ったのは、薄く笑みを湛えたイリヤスフィールの屈託のない表情。
ステップを踏み終えた姿勢のまま、前方のふたりを視界に収めて微笑んでいた。
笑い返す事で返答とした士郎は、ふっと前方へ顔を戻す。

「――――置いていかないでね、お兄ちゃん」
「ッ!?」

はっ、と士郎が反射的にもう一度、振り返る。
そこには、イリヤスフィールの先と変わらぬ穏やかな微笑だけがあった。
瑞々しい唇は、緩い曲線を描いて動く気配を見せない。
時間にして三秒ほど経ってようやく、士郎は自分がぼうっと突っ立ったままであった事に気づいた。

「……ああ、ごめんな」

沈黙の末にそれだけを言い返し、士郎は前に向き直った。
鈴を鳴らすような柔らかいその声、その言葉が、形容しづらい不可思議な感覚を士郎の奥底に貼り付けていた。
『正義の味方とはなんなのか』。
その問いの原点に、自らの意思で士郎はこの時、ようやく立ったのであった。





――――ちなみに、士郎の回想には、実は続きがあったりする。





『あ、そうだ。ついでにこれも持ってけよ。衛宮、こういうの好きだろ』

『は……って、ちょ!? お、おい、慎二、これって!?』

『いいからいいから。太っ腹な僕に感謝しろよ、このムッツリ』

『…………』





所謂『正義の味方の参考書』と同時に貰ったこの『オトナの参考書』は、今なお士郎の部屋の押入れ深くにブラックボックスとして隠匿されている……。






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