「……ふむ。終わったか」
月光に照らされた新都の巨大な公園。
あの巨人の大破壊の現場からは離れているとはいえ、同じ地区内にあってまったく影響を受けない訳ではない。
十年前の大火災の跡地に敷設されたそこは、その背景の薄気味悪さもあってか、昼でも人の気配は少ない。
夜ともなれば、なおの事。芝や並木の緑に溢れながらも、内実は無人の荒野と遜色のない有り様であった。
先程まで続いていた空襲さながらの轟音と閃光も収まり、既に元の静寂を取り戻している。
「まさか雑種どもの悲願を叶えたのが聖杯ではなく、宝具や魔具ですらない単なる鉄屑とはな……ふん、まさしく狂った宴よ。だが、面白い。ああ、まったくもって面白い」
その中央に一人、月を見上げて佇む男がくつくつと、心底滑稽だと言わんばかりに低く笑い声を上げていた。
溢れる黄金を、そのまま移植しているかと見間違うほどに眩しい黄金の髪と、血染めの真珠を思わせる紅の瞳が、宵闇に妖しく輝いている。
「此度の道化どもは、成る程。なかなかに我(オレ)を愉しませてくれる……セイバーが再び現れたゆえ、出るのも吝かでないと思ったが、これはこれで悪くない」
痩身に纏う、黒の詰襟のような衣装を靡かせる様は、夜光に照らされ、驚くほどに映えていた。
常の人間とは、存在感がまるで違う。彼に比べれば、スターダムの上の人すら有象無象に成り下がるだろう。
「だが……」
きゅっ、と男の目が細く窄められる。
見た目が美の粋を結集して作られたような優男であるだけに、それだけで迫力が跳ね上がる。
「――――貴様のような痴れ者には、面白みなど欠片も感じん!」
パチン、と指を鳴らす音が、闇を叩く。
途端、どこからか高速で飛来してきた『何か』が、公園脇の茂みへと飛び込んだ。
破裂するような爆音と共に、赤々とした炎が噴き上がり、街灯よりも明るく公園を照らし出す。
「――――ケケ、流っ石『英雄王』サマ。何でもお見通しのようで」
その爆心地から影のように這い出てきたのは、全身に幾何学模様の刺青を施した青年。
復讐騎のイレギュラー・サーヴァント、アヴェンジャーことアンリ・マユであった。
三下の薄っぺらな慇懃さを漂わせるその口調は、英雄王と呼ばれた男の眉根をさらに凄絶に歪ませた。
「ならばさっさと去ね! 我を王と知っているのなら、疾く自害するが礼儀であろうが!」
傲慢極まる怒声と共に、再びどこからか放たれた『何か』が唸りを上げてアンリ・マユへと迫る。
「おおっと」
しかし、アンリ・マユはその場から一歩退き、隕石さながらに地面に突き刺さる、都合ふたつの『何か』をあっさりと躱した。
爆発こそなかったものの、芝生の地面が稲妻状に地割れを起こしている。
その軽妙かつ、すべてを見切っていた動きに、男は先程とは別の意味で眉を顰めた。
「『ハルペー』に『ダインスレフ』か……はっ、なんつー極悪なモンを」
ヒュウッ、と口笛混じりに、アンリ・マユが飛来物の正体を正確に言い当てる。
ゴルゴンの怪物と化した『メドゥーサ』の首を断った、不死殺しの鎌『ハルペー』。
所有者を破滅に追いやるとされる、曰くつきの魔剣『ダインスレフ』。
いずれ劣らぬ、伝説の宝具だ。偽物などではないという事は、それぞれの刀身から滲み出る、這いずるような禍々しさが証明している。
それらをまるでピストル代わりに、どこからともなく撃ち出してくる。魔道に精通する者から見れば、異常としか言いようがない光景である。
サーヴァントである、とまでは解るだろう。男から放たれる雰囲気は、人間とするには一線を画し“すぎて”いるのだから。
しかし、サーヴァントだとするにしても、やはりおかしな話となる。
男の攻撃手段から察すれば、アーチャー以外に該当する物はない。
ところが、既にアーチャーのサーヴァントは、遠坂凛の相棒として存在しているのだ。
しかも、出で立ちが似ても似つかない。ここにいるのは白髪の浅黒い偉丈夫ではなく、金髪のすらりとした白人である。
DNAの書き換えを行った訳でなし、はたまたそう見せる魔術を身に纏っている訳でもない。まったくもって理屈の通らない状況が展開されていた。
「……貴様、ただの鼠ではないようだな」
「お互い様だろ、『英雄王サマ』――――いや、“第四次聖杯戦争の”アーチャーのサーヴァント……『ギルガメッシュ』」
それがすべての答えであった。
英雄王……真名を『ギルガメッシュ』というその男は、これより十年前の第四次聖杯戦争にて召喚されたサーヴァントなのだ。
本来なら、サーヴァントは聖杯戦争が終了すると問答無用で消滅する。しかし、それは英霊維持のバックアップたる聖杯が御破算になる事により、現世に繋ぎ止めるだけの魔力が確保出来なくなるという側面が大きいからだ。
逆に言えば、そこさえクリアする事が可能ならば、聖杯戦争が終了してもサーヴァントは現界し続けられる。
ギルガメッシュは、その例外を以て十年、この世に現存し続けていた。
そして『ギルガメッシュ』とは、古代メソポタミアの都ウルクの王にして、英雄譚『ギルガメシュ叙事詩』に記された英雄。
かつて、この世のすべてを手中に収めたと言われる、文字通りの『世界最古の英雄王』である。
“すべて”と言うからには、その『王の財宝』の中には、古今東西の宝具……あるいはその原型……も、当然収められているのが道理というものだ。
先程の魔剣の流星は、単にギルガメッシュが己の所持する『宝物庫』から、適当に撃ち出した物にすぎない。
ちなみに、最初に撃ち出されて茂みを炎上せしめたのは、アーサー王伝説に名高い湖の騎士、『サー・ランスロット』の持つ聖剣『アロンダイト』、その原型である。
「ほう、そこまで知っているか……よかろう、刹那の発言を許す」
「そりゃどーも。まあ、なーんでも知ってるぜ。テメェとオレとは、ある意味繋がってるようなモンだからよ」
「……なに?」
ギルガメッシュの片眉が跳ね上がる。
しかし、何かに思い至ったか、頭上に浮かんだクエスチョンは、すぐさまエクスクラメーションへと形を変えた。
「この匂い……ふん。貴様、あの時の“泥”か」
「厳密にゃあ、ちいっとばかし違うがな。まあ、おおむね正解だ。しっかし、汚泥と化した『聖杯の中身』をしこたま浴びてんのに、姿を変えてたとはいえ、変質もせずに十年そのままとは、いやはや。いろんな意味で恐れ入るね」
「たわけが。我を染めたければ、この三倍は持ってこいというのだ。だが、喜べ。あれには感謝もしているぞ。悉く飲み干したがゆえ、この世に受肉を果たせたのだからな。おかげで、存在を留め置く面倒な手間が幾分か省けた」
「ケケ、そう『安っすい挑発にゃあ、乗ってくれねえ』か。流石は大物。貫録だねえ」
うっすらと相好を崩すギルガメッシュだが、その瞳の奥にある痛烈な感情は色褪せていない。
稀代の暴君をも一瞬で凍りつかせるような、炯々とした輝きが示すものはただひとつ。
眼前の塵芥にも等しいモノへの殺意、それだけである。
「さて……慈悲はここまでだ」
すうっ、とギルガメッシュの笑みが消え、底冷えするような気配を漂わせると、徐に右手を掲げ、指を鳴らす。
すると、王の背後の空間が波紋のように波を打ち、そこから幾つもの異様な雰囲気を醸し出す武具の突端が現れた。
二、三本などとしみったれた数ではない。
剣、槍、斧、鎌、刀、薙刀、鎚、棍、その他あらゆる凶器群がそれこそ二桁のダース単位。
数えるのもバカらしいほどの量が宙に待機し、所有者の下知を今か今かと、手ぐすね引いて控えていた。
「ウホッ、いい獲物! 『デュランダル』に『ヴァジュラ』に『グングニル』、『カラドボルグ』に『ブリューナグ』! 全部モノホンの一級品じゃねえかよ!」
「口を閉じよ、泥人形。その物言い、不愉快だ」
「ケケ、泥人形たぁ、言ってくれるじゃないの。それじゃ、とことん喜ばせてやるとしますか」
「ほう、貴様の死を以て、か。解っているではないか」
「……おいおい、ノリってのが解ってねえよ王サマ」
やれやれとばかりに肩を竦めると、アンリ・マユはその場で腕を組み、仁王立ちするように胸を逸らした。
片方の唇を跳ね上げ、犬歯を見せて眼前の王に劣らぬ傲然とした様相は、宝具のガトリングを前にしてあまりに堂々としすぎている。
紅の腰巻と鉢巻とが風に靡き、普段なら雑魚の虚勢にしか見えないはずのそれが、やけに様になっていた。
それは、明らかな無言の挑発行為。絶対なる強者であるはずの英雄王の心に、さらなる苛立ちを募らせた。
「どこまでも不敬な輩だ。泥人形風情には過ぎたものだが、我の財で死ねる僥倖を、光栄に思って逝くがよい!」
親指と中指が重ねあわされた右手を掲げるギルガメッシュ。
ガトリングの撃鉄が引かれ、発射まで秒読み態勢へと移行しているにも拘らず、アンリ・マユの不遜な薄ら嗤いは微塵も揺るがない。
「一発二発ならともかく、流石にこれだけの数はなあ。『間違いなく当たるし、オレの身体はずたずたになる』わな」
どこか、何かを期待するような声音で呟いたアンリ・マユに、ギルガメッシュは少々不可解なものを感じたが、その手の動きを止める事はなかった。
パキン、と弾かれる指。
比喩でもなんでもない剣林弾雨が、敵を屠らんと一斉に解き放たれる。
その速度は、機関砲の射出速度をも凌駕する。まさに目にも止まらぬほどだ。
「……はっ」
影が凶器の嵐に飲み込まれ、一瞬後に巻き起こる、宵闇を焦がすほどの大爆発が大気を揺るがす。
初弾のものなどとは比べ物にならない。数十を超える宝具の威力は、大型掘削マシンを用いてやっとの岩盤すら容易くめくり上げられる。
本来なら、公園を焦土と化してなお余りある火力は、人間大の目標に一点集中していたため、公園の一角に被害を齎すに留まった。
夥しい量の砂塵と熱風が爆心地から放射状に拡散し、芝生を舐めつくす勢いで広がっていく。
当然、射手たるギルガメッシュにも及ぶが、砂塵はまるで王を憚る臣民のように周囲に退き、散らされた。
「……ぬ?」
土の煙幕に視界を覆われながら、ギルガメッシュは怪訝な表情を浮かべる。
詳細は、土煙の向こう側が見えない以上判然としない。しかし、明らかに手応えに違和感があった。
たとえるなら、雲を掴むような、実体のぼやけた感触。
確かに掴んだはずなのに、手を開いてみればそこには何もない。
「――――なに!?」
それが獲物を仕留め損ねたゆえであると悟ったのは、煙が晴れた直後であった。
「……おいおい、王サマ。あんだけ撃って一個も当たってねえってのは、もしかしてギャグかなんかか?」
地面に突き立つ、数十の剣群で構築された檻。
その渦中において最初の場所から一歩も動かずに腕組みの姿勢を堅持するアンリ・マユの姿が、ギルガメッシュの視界に飛び込んでくる。
芝生が無残にも洗いざらい消し飛ばされ、まるで不毛の月面のような惨状であるにも拘らず、表情は相変わらずの不遜な薄ら嗤い。
剣が突き刺さるどころか傷ひとつ負っていない、五体満足の身体を見せつけるように、張っていた胸をさらにぐいと張った。
「貴様、なにをした!?」
「あん?」
「あれはすべて直撃の軌道であったはずだ!」
「知らねえよ。この通り、オレはここから一歩も動いてねえし、手だって組んだままだ。大方テメェがしくったんだろ? いい加減、その慢心しきりのクセ直せや」
「ふん、慢心せずしてなにが王か! よかろう、種がなんであろうが、楽には死なさん!」
もう一度、ギルガメッシュが指を弾く。
アンリ・マユの周囲に突き立っていた凶器が消え、ギルガメッシュの背後に再度武器群がスタンバイしていた。
今度の数は、概算で先程の二倍の量である。
「ありゃりゃりゃ。こんだけ持ってくりゃ流石に『全弾喰らってボロ雑巾になっちまう』わな。怖ぇ怖ぇ」
「戯れるな、消え失せよ!」
再び、公園内に木霊する破壊音。
地震と遜色ない大地の鳴動がびりびりと公園の木々や街灯を揺るがし、ミサイルの爆撃もかくやとばかりの炎の火柱が立ち上る。
轟々と闇夜を真昼の如く染め上げ、先程よりも盛大に舞い上がった土と煤が、銃火飛び交う凄惨な戦場の臭いを醸し出す。
これだけの物量とエネルギーを喰らっては、塵も残らぬはずである。
ギルガメッシュの表情には、漲る自信と共にそうありありと書かれている。
確かに、それは間違いではない。たとえセイバーでも、あるいはバーサーカーでも、あれだけの剣弾の雨を浴びればハリネズミと化して地に伏せるだろう。
そう……“尋常な”、敵対者であったのなら。
「……あーあ、とんでもねえノーコン野郎だこと」
そこにいるのは、ヒトの姿を被った尋常ならざる『怪物』。常の手段で葬り去るのは困難を極める。
爆炎のヴェールの向こうから混じり気のない、嘲り嗤いが低く、地の底から湧き立つように響いてくる。
風によって取り払われる、赤と黒の幕。
武器の数だけが増えた先程の焼き直しの光景が目に飛び込んできた時、ギルガメッシュの形相が凶悪に歪んだ。
「おのれ……生きているか!」
「すべてはテメェの能のなさゆえに、だな。ったく、こんだけ豪華なブツを惜しげもなく使っといて、まさか一本も当てらんねえなんてな」
たっぷりと皮肉を含んだ嗤い顔を見せると、アンリ・マユは組んでいた腕を解き、無造作にギルガメッシュの財宝を地面から一本、引っこ抜いた。
透き通るような白磁の刃が眩いそれは、『グラム』。
セイバーの宝具『エクスカリバー』の原形となった魔剣であり、『エクスカリバー』と同等か、それよりも高い位階に位置する宝具である。
当然、その行為はギルガメッシュの脆い逆鱗に触れた。
「薄汚い手で、我の財に触れるでないわ!」
「落ちてたモン拾っただけじゃねえかよ。つーか、いらねーし」
呆れ混じりの表情のまま、アンリ・マユは後ろにぽい、と『グラム』を放り捨てる。
丁重さの欠片もない、まるっきりガラクタをポイ捨てするような気安さであった。
「な!? 我の財宝に価値がないと言うか!」
「んなこた言ってないでしょ。『オレにテメェの宝具は使えねぇ』んだし、単に使えないモン持ってたってしょーがねえってだけ。どうせテメェもコイツ、まともに使えねえんだろ? 所有者ではあっても、使用者じゃねえみてえだからな。まさしく『宝の持ち腐れ』ってヤツ? ただぶん投げるだけって、芸がなさすぎだろ」
「貴様ぁああ……!!」
煮え滾るタールのような憤怒が、ギルガメッシュの身を焦がす。
ここまで虚仮にされた経験など、この男の来歴のどこをひっくり返しても見当たらない。
「そんなんだから、ちょっと目を離した隙に、不死の薬を蛇に持ってかれちまうんだよ。暢気に水浴びなんかしてねえで、手に入れたその場で即飲みゃあ、なんも問題なかったろうによぉ。ああ、ヘビにくれてやった、なんて言い訳なんざ通用しねえよ。慢心王のおバカさん」
「ぎっ――――!」
それはギルガメッシュの生前における、唯一にも等しい失点。
この言葉をとどめとして、ギルガメッシュの理性を完全に焼き切った。
「殺す!!」
歯を剥き出しにしてどす黒い殺意を振り撒くギルガメッシュは、肩越しに背後の空間へと素早く手を入れ、中から一本の奇妙な剣を引き抜く。
「起きろ、『エア』!!」
西洋剣(サーベル)の柄に、床屋の螺旋看板を三機連結させたような剣とも呼べない異形の代物。
そもそも武器ではあり得ない形状にも拘らず、その刀身から放たれる威圧感は、先程の『グラム』と遜色ないどころか、比べ物にすらならない。
それも当然だ。この宝具は、ランクにしてEX。幻想のどこにも記されていない、秘中の秘にして世界を切り裂く剣なのだ。
この唯一無二の対界宝具の前では、あらゆる宝具も霞んでしまう。
「わお! ここで隠し玉かい、ケケケ」
「塵ひとつ残さず、消滅させてやる……!!」
宣言と共に、刀身の三つのパーツがそれぞれけたたましく回転を始め、禍々しい、血のような紅いエネルギーが剣を取り巻いていく。
解放の準備段階にして、既に桁外れた影響力を齎して外界を侵食している。
みしみしと周りの空間が軋みを上げ、大気が轟々と余波に煽られ捩れる。
その威容は、あらゆるものを引き千切り、荒々しく鳴動し猛る天地そのものにさえ見えた。
「ホントに使えんのかよ、それ? 受肉したっつっても、肉体はそのままサーヴァントのモンだから、魔力生産量はたかが知れてるだろ。今の段階で相当魔力持ってかれてんじゃないの?」
「その減らず口を閉じよ! 不快にすぎる!」
「いやいや、実力じゃあ手も足も出ねえんだから、せめて口くらい出してもいいじゃない。王サマのクセして器小っせーの」
「口を閉じよと言っている!」
「へいへい。ま、頭の血管と一緒に『魔力供給のラインも切れねえ』ようにな」
憤怒を煽る嘲り文句を叩きつけられ、ギルガメッシュの殺意はさらに激しく燃え上がる。
しかし、その次の瞬間に起こった現象によって、その炎はあっさりと掻き消される事となった。
「……ぬ? っな、なに、これは!?」
突如、身体に走った違和感に、ギルガメッシュの身体が止まり、次いで表情が驚愕に彩られる。
寒さで電線が断線するような、不可思議な喪失感と共に、ラインの向こう側からの魔力供給が止まったのだ。
『エア』と呼ばれたギルガメッシュの剣は、尻すぼみに回転を止め、エネルギーもそのまま霧散して完全に機能を停止してしまった。
呆然となるギルガメッシュ。振り上げていた剣を降ろし、ぼんやりと刀身を眺める間の抜けた姿は、アンリ・マユの嗤いの琴線を大いにくすぐった。
「あれ、不発? 魔力の使いすぎでブレーカーでも落ちた? うわ、だっせ! ケケケケ!」
どれほど強力な宝具であろうと、燃料である魔力が確保出来なければただの上等な武器である。
特に、真名を解放する事で瞬間的に力を発揮するタイプの宝具に、それは当てはまる。
セイバーの『エクスカリバー』や、ランサーの『ゲイ・ボルク』に代表される宝具は、膨大な魔力をくべてその真なる力を発揮する。
そして、ギルガメッシュが振るおうとしていた剣は、まさにこのタイプであった。
常時解放型……バーサーカーの『十二の試練(ゴッド・ハンド)』やキャスターの『ルールブレイカー』のような、武器や概念そのものに効果があり、真名解放を特に必要としない宝具であったならさしたる問題ではないが、この場合は死活問題だ。
ギルガメッシュはアーチャーのサーヴァント。クラス固有のスキルとして『単独行動』を、それもA+ランクで保有しており、マスターからのバックアップなしでも一応は活動が可能である。
しかし、奥の手である異形の剣は、ライン向こうからの魔力供給なしでは解放出来ないほどに魔力を喰う。
自前の魔力だけでは、到底追いつかないのだ。
「ぐ……ぬ……っ!!」
ここまで来れば、ギルガメッシュが察せぬはずがない。
一発も当たらず、掠り傷すら負わせられなかった剣群に、突然切れた魔力供給ライン。
そのすべてのきっかけが、アンリ・マユの発した言葉にあると。
王の頭脳は怒りに沸騰しながらも、現状で最も可能性の高い答えを導き出した。
「――――『言霊』か!」
回答を聞いたアンリ・マユの唇が、一際大きく吊り上った。
言葉に万物に干渉する力を乗せる『言霊』。
誰にでも扱えるシロモノではない高等術だが、本来であればギルガメッシュにそれは通用しない。
王に命令出来る者は王自身のみだ。天にも地にも王はただ一人、至高にして孤高の存在であるゆえに、誰の指図も受け付けない。
その法則を捻じ曲げ、声ひとつで英雄の王を手玉に取るアンリ・マユとは何者なのか。
泥を睨み据えるギルガメッシュの心底に、ひたひたと底なしの闇に浸かるような薄気味悪さが這い寄ってきていた。
「“王を倒すにゃ武器などいらぬ、口先ひとつもあればいい”……なんてな。オレの『嘘八百』は、絶対なる王サマすらも跪かせるのさ」
炯々と黒い炎を瞳の奥で揺らめかせながら、アンリ・マユは事もなげに語ってみせる。
再びギルガメッシュの激情が発しかけたが、それよりも一歩先んじて、アンリ・マユの口が動いた。
「『王は決して膝を屈しない』」
途端、ギルガメッシュの膝が意思に反してがくりと地に着いた。
ギルガメッシュの目が驚愕に見開かれるが、動揺を露わにする暇もなく、次の言葉が発される。
「『王は決して頭を垂れない』」
地面に両手をつき、土下座の前段階のような姿勢となる。
ぎりぎりと下がっていく視点に、ギルガメッシュは必死に抗おうとするも、まったく効果がない。
それも当然だ。頭を下げさせられているのではなく、自発的に下げようとしているのである。
自らの意思に反して、自ら進んで頭を垂れる。矛盾した行為は、アンリ・マユの意図の通りにギルガメッシュを誘導し、宣言通りに王を地べたに跪かせた。
「な?」
「ぎ……ぐ、ど、泥人形がぁ……!」
「うるせえよ、ちっと黙ってな。『王は決して口を閉ざさない』」
今度は、口元が真一文字に引き締められ、咽喉が貼り付いて声が出せなくなった。
抗う術をどんどん削り取られていくギルガメッシュ。しかし、目だけは依然としてぎらぎらと剥き出しの殺意を放っている。
百回殺しても飽き足らないほどの屈辱を味わわされ、もはや本人にも制御は不可能だ。
タガの外れたギルガメッシュの灼熱の激情は、矛先とされたアンリ・マユにとってはむしろ心地のよいものでしかない。
地に伏すギルガメッシュの頭を、遠慮も容赦もなく足で踏みつけ、愉悦そのものといった仄暗い嗤いを顔に浮かべている。
「ねー、今どんな気持ち? 泥人形に足蹴にされてどんな気持ち? 最っ高だろ、なあ?」
ぐりぐりと足を動かし、王の顔面を地面に押し付ける。
嗜虐心たっぷりの物言いの中には、慈悲や憐れみなど欠片もない。
心底から、強者をなすがままに甚振る快感を感じている。
「――――――――ッ!!」
それが、ギルガメッシュの頭を真っ白に焼き、その王たる所以を引きずり出した。
「……あ?」
突如、ぶるぶると震えだした足元にアンリ・マユは訝しげな表情となり、足をさっと引っ込める。
次の瞬間、『嘘八百の言霊』による束縛を振り切って、ギルガメッシュが立ち上がった。
「――――ぃぎ……ぎ、ィいいイイイいい……っがぁあああああっ!!」
ごきゅり、と顎関節が砕けたような異音と共に、ギルガメッシュの口から狂獣すら怯ませるような咆哮が発される。
憤怒に塗れ、狂気爆ぜる双眸は、白目までもが血の赤よりも濃い真紅に染まり、溢れ出す覇気が周囲の空気を歪ませていた。
折れたはずの顎の骨は、感情の爆発で生産された内在魔力ですぐさま修復され、端正な面立ちにいささかの瑕疵もなかった。
「おいおい、マジかよ。コイツ、自分で呪縛を跳ね除けやがった」
「侮るなよ泥人形……! 我を縛れるのは、王たる我のみと知れ!!」
「……やれやれ。どこまでも我の強い王サマだこと。色々と振り切れてんな」
鎖が切れたにも拘らず、アンリ・マユは飄々としたままだ。
油断の体ではない。まだまだどうにでもなると言わんばかりの余裕を、表情に浮かべている。
それが、荒れ放題ささくれ放題のギルガメッシュの神経を、尚更に逆撫でする事となった。
「王を足蹴にしたその罪、貴様の命で贖え!」
憎々しげに吐き捨てるや、ギルガメッシュは背後に手を翳し、己の財宝を取り出そうと構える。
『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』。バビロンの宝物庫へと続く回廊の鍵こそが、ギルガメッシュの宝具の正体なのだ。
使用者として振るえるのは、この蔵そのものと例の対界宝具の剣のみである。それ以外の宝具は、単なる王の所有物でしかなく、真名解放も出来ない。
しかし、所有物だとしてもただ手に持ち、振るう分にはなんの問題もないのだ。その上、回廊を開くだけなら魔力供給を断たれた今でも自前の魔力だけでなんとでもなるし、常時解放型の宝具を使えば破壊力の問題も解決する。
切り札を使えなくとも、勝算はまだ十分に残されている。熱しながらも冷徹なギルガメッシュの思考は、そんな答えを導き出していた。
「……ケケケ」
そして、すべてを見透かしていたアンリ・マユは腹の底に隠す事もなく、嗤っていた。
そんな、見当違いの答えを。
「――――天の鎖よ!」
したり顔で、アンリ・マユが虚空へ声を張り上げる。
するとじゃり、じゃりという鎖の鳴る音がどこからともなく響き渡り、ギルガメッシュの四肢を絡め取って縛り上げ、拘束した。
「な……にぃ!?」
目の前の事態に、ギルガメッシュはあり得ないとばかりに目を見開く。
空間を突き破って己を束縛する鎖は、『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』の中にしまわれた概念のひとつだった。
しかも、ただの概念ではない。ギルガメッシュが、あの異形の剣を除いて並々ならぬ思い入れを持つ、ただひとつの物なのだ。
「まさか、我の宝具を……『天の鎖(エルキドゥ)』を、我が友を!」
「バカだねー、王サマ。『言霊』だって見抜いたんなら、テメェの宝具パチられる可能性も考えとかないとな。ご丁寧に、わざわざ伏線張ってやったっつうのに」
ギルガメッシュが唯一認めた友の名にあやかった、『天の鎖(エルキドゥ)』と呼ばれるその宝具は、神を拘束する力を秘めた対神兵装なのである。
伝説では、暴れる神の牡牛を縛り、押し留めたとされる。その所以から、神に連なる者に対して絶対なる拘束力を発揮する。
逆に神性とは無縁の、ただの人間などが対象だと、単なる頑丈な鎖に成り下がってしまうのだが、ギルガメッシュに関して言えば、それは当てはまらない。
なにしろ『ギルガメッシュ』は、実に存在の三分の二が神であるという、この聖杯戦争に集った英霊の中で最大の神霊適性を持つのである。
スキルランクで換算すればA+相当であり、これは光神ルーの血を引いた半神半人の『クー・フーリン』のBランク、主神ゼウスの子であり死後に神として祭られた『ヘラクレス』のAランクをも上回る。
ただし、この『神性』スキルは本人の意識や条件によって変動する要素があり、たとえばギリシャ神話で女神として扱われていた『メドゥーサ』は、最終的に怪物へと堕とされたため、名残としての『神性』スキルはあるものの、そのランクはE-である。
ギルガメッシュの場合、本人が神を嫌っているためにBランクまでダウンしている。しかし、それでも『メドゥーサ』ほどに劣化している訳でもなく、神に近い存在であるというのは変わらないので、効果は容赦なく牙を剥く。
凄まじい力で四肢を締め上げる『天の鎖(エルキドゥ)』に、ギルガメッシュの表情は、怒りと悲しみがない交ぜになった、悲壮さに歪んだものとなっていた。
ちなみに、アンリ・マユにも本来であれば神霊適性があるのだが、とある理由から神として存在している訳ではないので『神性』スキルを保持してはいない。
「さて、掌返したオトモダチに縛り上げられてる気分はどうよ?」
「おのれぇ、我が財だけでは飽き足らず、朋友までをも穢すとは……!」
「……って、自分で言っといてなんだが、結局これってたかが鎖だろ。そこまで鎖に入れ込めるって、もはや性癖通り越してるぜ?」
「貴様ァ!」
どれだけ激情に身を焦がして暴れようが、鎖の戒めは微塵も揺らぐ事なく、むしろ猛る獣を抑え込もうと拘束を強めてくる。
しかし、ギルガメッシュは鎖を引き千切る事は出来ないのだ。物理的にもだが、心情的にもである。
当然だろう、『天の鎖(エルキドゥ)』に対するギルガメッシュの思い入れは生半可なものではない。
この鎖を引き千切るという事は、友の身体を自ら引き千切るに等しい行為だ。
傲岸不遜を地で行くだけに、大切なものを壊す事には躊躇いを覚える。
「ま、そしてオレはその隙につけ込むだけなんだけどな。ケケケケケ」
嗜虐心溢れる嗤い声を上げ、アンリ・マユは徐に右手を振り上げる。
その手には、一振りの獲物がしかと握り締められていた。
「な、んだと……!?」
「起きろ、『エア』!!」
ぎゃりぎゃりと音を立てて、刀身部の三連環が高速で回転を始める。
紅く、禍々しいエネルギーが螺旋を描いて集束し、大気を撹拌して荒れ狂う。
怒涛のような威圧感が吹き付ける中、ギルガメッシュの表情が徐々に変化を帯びてきた。
そこに浮かんだ感情は……本人は決して認めないであろうが……恐怖、そして絶望であった。
「なんだよ、そんなに意外か? オレが繋がってる先がなんなのか、もう解ってんだろ? この程度の魔力なんて、ゴミみたいなもんだ」
そのゴミみたいな魔力を糧に、剣は凶悪なその牙を元の所有者に突き立てようとしている。
ジェットエンジンさながらに唸りを上げ、満ち満ちる、すべてを無に帰そうとも思わせんばかりのエネルギーの奔流。
「さぁて、『心おきなく、あの世に行ってきな』!」
特性から『乖離剣』の異名を持ち、セイバーの『エクスカリバー』をも上回る最古の英雄の切り札が、ここに解放された。
「――――『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』!!」
それでも臆さず、決して退かないのが王たる所以か。
気丈にも、最後まで仇敵を睨みつけたまま、ギルガメッシュは破滅の閃光の彼方に飲み込まれていった。
「……やれやれ、呆れた頑丈さだぜ、おい。あの金ぴか鎧も付けてねえってのによ」
地面ごと根こそぎ抉られた、芝生特有の青々しい臭気が立ち込める中、アンリ・マユは大地に転がるそれに、容赦のない蹴りを入れた。
ごろりと仰向けにひっくり返されたのは、満身創痍で意識の途切れた英雄王である。
死んではいない。身体のあらゆる箇所に無視出来ない傷を負い、服も火炎放射器かウォーターカッターで万遍なく撫でられたように無残な有様となっていたが、死んではいなかった。
『嘘八百』の力で死ぬ事はなかったとはいえ、『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』の範囲を絞った集束解放をまともに喰らってこの程度で済んでいる。
本来なら、上半身と下半身が泣き別れになっていてもおかしくはなかったのだ。サーヴァントなら、そこまでいっても辛うじて生きてはいられる。再生に必要な魔力次第の面もあるが、ギルガメッシュの魔力量は受肉している分、命を永らえるだけのものは確保可能だ。
「ま、余計な手間が増えない分、これはこれで都合がいいか」
ざんばらの髪を片手でがしがし掻き毟り、アンリ・マユはそのままどっかとギルガメッシュの身体に腰を下ろした。
肉の座布団が、目を覚ます気配はない。
「“アーチャー”の分は、こいつでいいか。二体いるってのは、ある意味好都合っちゃ好都合かね? ケケ、粋だねえ、オレも」
腰巻から黒染めのポケットを取り出し、その中から目的の物を取り出す。
それは、盗聴用の器材にも見える、角砂糖ほどの大きさの小さな端末であった。
「とりあえず、ちゃっちゃと『首輪』を付けますかね。起きねえうちに」
アンリ・マユにとって、ギルガメッシュとは核弾頭を積んだ暴走列車のようなものだ。
放っておけば、定めていた既定路線をあっさりとコースアウトしてくれ、そして勝手にどこかへと突っ走って行ってしまう。
しかも、行った先での事故は確定である。敵サーヴァント相手に財宝を惜しげもなくばら撒き、傲岸不遜のままに殲滅に掛かるだろう。
アンリ・マユ自身の目的達成のために、そうなる前にギルガメッシュには早めに首輪を付けておく必要があった。
そろそろ表に出てこようとしていた矢先のようだったので、ぎりぎり間に合ったといったところだろう。
舞台の上の役者には、きっちりと台本に従ってもらわなくてはならない。
多少のアドリブには目を瞑るが、脚本の書き換えまでは許さない。アンリ・マユにとっては、英雄王も、結局はクセのある役者のひとりという、その程度の存在でしかなかった。
「うし、これでおっけ」
肉座布団に座ったまま、アンリ・マユは、ギルガメッシュの首の後ろにその端末を押し付ける。
くっついた端末は、そのまま溶けるように体の内に潜り込んでいった。
「これでテメェは傀儡の王ってワケだ。ケケケ、しばらく余計なマネはしてくれんなよ」
意識途絶では、この痛烈な侮辱に反応すべくもない。
ぺしぺしと傀儡の頬を叩きながら、愉悦混じりに呟いたその時。
「――――あ?」
突如、アンリ・マユの表情に、不快の色が浮かんだ。
次いで走る、肌が粟立つような、脳を直接舐められるような、ざらついた感触が、アンリ・マユの心底を引っ掻いていく。
景色を暗褐色に染める宵闇がさらなる黒に染められていき、ややもして墨を霧状にしたような濃霧が、公園全体を侵食し始めた。
「……ちっ、とうとう出てきやがったか。サイクルが短くなってると思ったら、もう抑え込む限界を超えてるとはな。“超自我”の調整も、そろそろリミットが近いか」
ぼこ、ぼこ、と芝生の地面が煮立ったタールのように泡立っている。
地面がそのように変質しているのではなく、公園を取り巻く濃霧が奇妙な反応を起こしているのだ。
常人であれば、とうに卒倒しているような瘴気までもが漂い出す中、その泡から、異形の者が這いずり出してきた。
「――――ヴゥヴヴヴヴ……!!」
一言で言い表すなら、人型に近い犬か狼、あるいは人狼と呼んだ方が妥当であろうか。
陽炎のように、ゆらゆらと黒く揺らめく身体は、見る者の背筋を凍らせる禍々しさを帯びており、狂犬じみた低い唸り声が敵意を撒き散らしている。
爛々と輝く瞳孔と鋭い鉤爪は、憎悪と殺意に塗れ、まるで呪詛を固めて造った怨念の人形のようであった。
「……グゥヴヴヴヴ!」
「ギィイイイイ……!」
それは一体ではない。
続々と、雨後の筍のように次から次へと湧いて出てくる。
悪魔の召喚にも近い光景は、やがて公園全体を埋め尽くし、夥しい数の異形の群れが、アンリ・マユをぐるりと取り囲んでいた。
「根が同質なだけに、キツいな。コイツらに『言霊』は直接通用しねえし、オマケにこの数だ……とはいえ、色に盛った思春期のガキじゃねえんだし、“自我”が“Es(エス)”を抑えきれねえってのは、話にならねえやな。まあ、向こうは赤ん坊だがよ」
ギルガメッシュから腰を上げたアンリ・マユの両の手には、いつの間にか奇妙な獲物が握られていた。
表現するなら、歪な赤いヒトデに墨を落として取っ手を取り付けた短剣、といったところだろうか。
『右歯噛咬(ザリチェ)』、『左歯噛咬(タルウィ)』と呼ばれるこれらの武器は、アンリ・マユ本来の武装である。
そう、あくまで武装である。宝具ではない。宝具のひとつは、所有者の目の前で現在、暴走中である。
「『無限の残骸(アンリミテッド・レイズ・デッド)』、こうなった以上、道具もなしの正攻法以外に方法はないんだが、さてさてどんだけツブしゃ時間切れに持ち込めんだか……」
その軽口は、次に聞こえてきた咆哮に強引に掻き消された。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!」
一際大きく、雲のように天を突く巨体が、地面からせり出してくる。
犬型の怪物と同じく、黒い怨念の陽炎を纏わりつかせた汚泥のようなボディからは漆黒の殺意が溢れ、強大な威圧感を伴って虚空へと気炎を上げている。
それは、大量に湧いて出た怪物とは、明らかに一線を画した存在だ。
三メートルに迫ろうかという巨体、右手に掴まれている岩を削ったような斧の剣。
なによりその瞳の輝きは、殺意や憎悪を超越した狂気の光でぎらついていた。
「――――待ておい、バーサーカーだと!? どんだけだよ“Es”は!?」
ここに来て、アンリ・マユから余裕綽々の表情が消え去り、初めて焦燥を露わにする。
アンリ・マユの戦闘能力は、実はあらゆる英霊を下回っている。あのはずれクラスとまで揶揄される、キャスターよりも弱いのだ。
だからこそ、反則道具のひみつ道具を手に入れられた事は、アンリ・マユにとって最大級の幸運だったのである。
「大聖杯に行った分の魂の欠片から再現しやがったのか……末期の方の再現だからか、命は一個しかねえみてえだが」
それだけでも十分すぎる脅威だ。こういった単純な力比べのパワーゲームは、アンリ・マユの最も苦手とするところである。
搦め手、というより裏技や反則を使っていたからこそ、英雄王をも手玉にとれたのだ。単純戦闘力の最弱と最強、ぶつかり合うまでもなく勝負展開は明白であった。
苛立ちまぎれに、いまだ地に伏すギルガメッシュにヤクザキックを入れると、奪ってそのままの『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』を展開する。
『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』は使わない。威力こそ絶大だが、あれには魔力のタメがいるのだ。こんな多対一の状況で使おうとすれば、チャージしている間に袋叩きである。
チャージなしに連続使用出来るよう『嘘八百』を並べ立てる手もないではなかったが、残骸がざわめくように動きを見せた事で、それは棚上げを余儀なくされた。
「ライダーの分の欠片をまだ消化しきれてないのが幸いか……くそったれが! 言葉通りの“自己矛盾”なんざ、冗談にしたってタチが悪すぎんだよ!!」
『右歯噛咬(ザリチェ)』を上段に、『左歯噛咬(タルウィ)』を下段に。
アンリ・マユが身構えたのを合図として、斧を振り上げた黒染めのバーサーカーが闇夜の空に跳躍し、残骸の人狼群が怒涛のようにアンリ・マユ目掛けて押し寄せた。
「残された時間は少ない……時計の針を、早めるしかねえか。さあ、ここからが地獄だぜ。覚悟しとけよ、クソガキ」
※ステータスに『アヴェンジャー』追加(未完成)。