「準備はいいわね?」
「……ああ、大丈夫。出来るだけの事はした」
衛宮邸の道場。
その中央に佇むは、のび太・士郎・凛・セイバー・アーチャーの五人。
「勝算はおよそ五分五分……といったところでしょうか。もっとも、こんな目算などあまりアテにはなりませんがね」
「ああ、結果は実際にぶつかってみなければ解らん。そもそもからして、聖杯戦争の闘いすべてが絶対未知数の代物なのだからな。とはいえ、ここまで“事前対策”が整う事など通常ではありえん。その点は少年に感謝せねばな」
「い、いやいや! そこまで大した事はしてませんし……というか、ほとんどドラえもんの道具のお蔭ですし……!」
「まあ、賛辞は素直に受け取っておきなさいな。道具は借り物かもしれないけどアイデア自体はアンタの物なんだし、大したものだと思うわよ」
凛はそう言ってグシャグシャとのび太の頭を乱暴に撫でると、自分の隣に鎮座する“ピンク色のドア”に目をやる。
“どこでもドア”。
一種のワープ装置のようなものであり、目的地を音声や思念などで入力した上で扉を開くと、ドアの先がその目的地に繋がるという道具。
これを使ってアインツベルン城へ殴り込もうというのだ。
普通なら樹海を踏破していかなければならないが、これならばそんな必要もなく一瞬で、しかもダイレクトに辿り着ける。
「じゃ、のび太。お願い」
「は、はい」
凛に促され、のび太は“どこでもドア”の前へと立つ。
そしてドアの取っ手を掴んで後ろを振り返り、四人を一瞥。
全員が頷いたのを確認すると、大きな声で行先を告げる。
「――――アインツベルン城!」
その言葉を合図とし、“どこでもドア”によって空間と空間が接続された。
「「「「「――――――――――――」」」」」
もう一度視線を向けあい、頷き合う一同。
いよいよ、本格的な闘争の場へと突入する。
それぞれがそれぞれの決意を秘め、少ない時間の中でこの敵陣への強行突入へと備えてきた。
他のマスターの動向を監視するため、またこの拠点を守るための『留守居役』も用意した。
そして何より、バーサーカーを打倒するための『対抗策』を練り上げた。
敵は強大、しかし打倒しなければ……乗り越えなければならない相手。
退くも地獄、進むも地獄……ならば前進するだけだ。
「……行きますよ!」
そしてドアノブを捻り、ゆっくりと“どこでもドア”が開かれた。
――――――そこで五人が目にしたモノは。
「――――えっ……?」
「な……ぁ……っ!?」
「……………………」
白い霧。
高温の熱風。
湿り気を帯びた空気がドア側に吹きつけ、一同の頬に潤いを与えていく。
しかし肝心なところはそこではない。
いやにだだっ広いその空間の中心に、いつかの“タイムテレビ”に映し出されていた三人の女性が呆然と佇んでいた。
――――――――その瑞々しい素肌を惜しげもなく、これでもかとばかりに晒した『生まれたままの姿』……すなわち“全裸”で。
「「「「「「「「――――――――……………………」」」」」」」」
ピチョーン、という水音がいやに大きく響き渡った。
そう、ここはアインツベルン城の……『風呂場』である。
「い――――――いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「お、お嬢様ッ!?」
「……覗き?」
絹を裂くような悲鳴を上げ、両腕で身体を隠すように掻き抱きながら蹲る少女。
主に駆け寄り、要所を腕で隠しながらも主の身を護るように立ち塞がる従者の片割れ。
そしてその豊満な肢体を隠そうともせず、ただただ茫洋とした視線を闖入者達へと向けるもう一方の従者。
先程までの張り詰めた空気はどこへやら、ドアを潜ったこの場はもはやただのカオス空間と化している。
「ちょっ……なんでまたこんなオチなのよおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!?」
拳を握り締め、天に届けとばかりに吼える凛。
その足元には、
「「「…………」」」
頭から煙を立ち上らせる、三人の男の生ける屍が横たわっていた。
「…………、ハァ」
凛に撃墜された男性陣を横目で視認しつつ、今までの緊迫感に満ちたやりとりはいったい何だったのだろうかとセイバーは一人、頭を抱えながら溜息を漏らすのであった。
「「「大変申し訳ございませんでした」」」
「……もういいわよ。気にしてない……訳じゃないけど、こっちも油断してたのは事実だから」
所変わって、ここは城の応接間。
シャンデリアや色鮮やかな絵画で彩られた豪華絢爛な一室の床において、深々と土下座をする三人の男の姿があった。
半ば事故とはいえ風呂場に突入し、嫁入り前の乙女の柔肌を見てしまった事を誠心誠意、眼前の城の主とその従者へ謝罪している最中なのである。
三人の頭部に形作られたコブからはいまだ煙が一筋立ち上っており、その様は痛々しさよりもむしろ滑稽さを感じさせる。
なお、先頭を切って“どこでもドア”の扉を開いたのび太はともかく、凛とセイバーの後ろにいた士郎とアーチャーに関しては湯気と前二人の背中に阻まれ、次いで電光石火の早業で凛に墜とされたためその全容を目撃出来た訳ではない事を追記しておく。
「まったく……“タイムテレビ”の時といい、どうしてこう道具を使う度にお風呂場に辿り着いちゃうのよ」
「ア、アハハハハ……」
横でブチブチと苦言を呟く凛に対し、顔を上げたのび太はただ曖昧に笑う事しか出来ない。
そんなのび太の様子に、凛はほとほと疲れたように眉間によった皺を揉みほぐした。
「それはそうと、貴方がたはお嬢様に勝負を挑まれに来たのですか?」
と、主の座る席の横に控えていたメイドの片割れ……セラが確認するように口を開いた。
表情がやや硬いところを見ると、主が許したとはいえ風呂場での一件についてまだ納得がいっていないのだろう。
ちなみにそれぞれの位置関係は、縦に長いテーブルを挟んで上座にイリヤスフィールとその傍らにメイド二名、向かい側の下座にのび太達五人が着席しているといった形である。
あんな最低な来訪であったにも拘らず、一応は客として扱われているようで五人の前には紅茶を張ったソーサー付のカップが置かれていた。
きっとそうでもしないと何ともならないような、甚だ微妙な空気だったのだろう。
「……一応、ね」
「正確には殴り込み……といった形になるのですが、ね。思わぬ事態にほぼ頓挫してしまいましたが」
「殴り込み……。『オジキのカタキじゃあ、生命(タマ)取ったらぁ』?」
「……リーゼリット、アナタどこでそんな言葉を覚えたのですか?」
「テレビ」
「…………、コホン。それはともかく」
やや天然の入ったメイド……『リズ』ことリーゼリットによって再び弛緩しそうになる空気を誤魔化すようにセラは咳払いすると、
「お嬢様、いかがなされますか?」
己が主へと視線を向けた。
イリヤスフィールはほんの少しだけ宙に視線を投げると、
「そうね……まさかこんなに早くお兄ちゃん達が仕掛けてくるとは思わなかったけど、丁度良かったかも。いいわ、勝ったらお兄ちゃんを貰うわね」
「はあっ?」
にこやかな顔でそんな事を告げてきた。
当然、いきなり身柄を貰い受けると言われた士郎とのび太の目は点になる。
「ちょっと待て。なんでそんな話になるんだ?」
疑問をぶつける士郎に対し、イリヤスフィールは笑みを崩さぬまま口を開く。
「わたしが聖杯戦争に参加した理由のひとつがお兄ちゃんだもの。だからあの時も死なないように、忠告してあげたの」
「『あの時』? ……あっ、もしかして何日か前、家の近くで早く呼び出せって言った子は……!?」
「そう、わたし。……って、今頃気づいたの?」
呆れた、と言わんばかりの表情を晒すイリヤスフィールに、士郎はバツの悪そうな顔をする。
一応言い訳させて貰えるのならば、あの時はまだ何も知らなかったのだ。
聖杯戦争の『せ』の字すらも。
察しろという事自体、無理な話である。
「……すまん。でもどうして俺の身柄なんて欲しがるんだ? 俺と君にはなんの関わりもない筈なのに「あら、関わりならあるわよ」……え?」
虚を突かれたように士郎はイリヤスフィールに下げていた視線を向けるが、その途端、妙な悪寒に襲われた。
士郎を見るイリヤスフィールの視線が、どこかしら寒々しく、また異様な揺らぎのあるものに変わっていたからだ。
「お兄ちゃんがエミヤキリツグの息子だから、関わりはあるわ。それも、物凄く近しい関係が」
「……爺さんの息子、だから……だって!?」
目の前の少女から父親の名前が出てきた事に、士郎は混乱した。
何故ここで衛宮切嗣の名前が出てくるのか、皆目見当もつかない。
動揺に突き動かされるまま、士郎の口は勝手に言葉を紡ぎ出していた。
「それっ、どういう意味なんだ!? どうしてそこで爺さん……親父が!?」
「フフ……さあ、どうしてかしら? ――――知りたかったらシロウ、わたしのモノになりなさい」
底冷えするような眼力と共に、イリヤスフィールは士郎に命令を叩き付ける。
見た目はのび太と同じくらいの子供……しかし放たれる威圧感はある意味英霊と遜色ないと言えるほどの物だ。
「……ッ!?」
もはや先程までの弛緩しかけた空気は微塵もない。
例えるなら冷淡にして妖艶……そんな妙な二面性を帯びたプレッシャーに士郎は一瞬気圧される。
年端のいかない身であるにも拘らず、いったい何をどうすればここまで凄まじい物が身につくのか、士郎には解らない。
しかし、士郎にも譲れない物があるのだ。
「――――断る! 俺はのび太君と約束をした! その約束を果たすためにも、イリヤスフィール……いや、イリヤ! 君の要求は飲めない! 君こそ、聖杯戦争から降りるんだ!」
「……へえ。どうしてわたしが聖杯戦争から降りないといけないのかしら?」
プレッシャーを跳ね除け、この戦争から降りろと告げた士郎にイリヤスフィールは眉を顰める。
どういった意図でそんな事を言うのか……イリヤスフィールにはおおよそ見当がついていたが、それはあまりにも自分をバカにしているように映ってしまう。
言った本人は大真面目かつ本気なのだろうが、しかしイリヤスフィールとて伊達や酔狂でこんなイカれた戦争に首を突っ込んでいる訳ではないのだ。
「君みたいな……良くも悪くも真っ白な子が、こんな事をしているのは間違ってる。だから、出来るなら令呪を破棄して、この戦争から降りて欲しい」
「……それ、隣にノビタがいるのに言えるセリフかしら?」
「ッ!? そ、それはっ……」
痛いところを突かれ、士郎は言葉に詰まる。
確かに小学生であるのび太が参加しているのに言えた義理ではない。
しかものび太は事情があるとはいえ、本来ならマスターどころか魔術師ですらない生粋の一般人なのだ。
どちらの言葉に説得力があるのか、火を見るよりも明らかである。
……しかしそこに、
「――――あ、あの! ……出来れば僕も、降りて欲しいかなぁって、思ったり、思わなかったり」
他ならぬのび太が口を挟んだ。
すかざすイリヤスフィールの細められた目がのび太に向かって突き刺さる。
若干それに怯えを見せつつも、のび太は自分の意思を口にする。
「その……あの時は必死だったから何も感じなかったんだけど……改めてこう、向かい合ってみると……なんか、しずかちゃんとケンカしてるみたいで、イヤなんだ」
「……シズカって、誰?」
「僕の友達」
「…………」
イリヤスフィールの眉間の皺が、先程よりもやや深くなった。
無理もない。
ガールフレンドとケンカしているみたいだから争いたくないなどと、あまりにもふざけている。
士郎の言葉でただでさえ冷え始めていた空気がこのやり取りで一気に凍り付き、張りつめた糸のような緊張感がこの場を支配する。
「…………」
「…………」
テーブルを挟んで火花を散らす、イリヤスフィールと士郎……あと一応のび太も。
凛とセイバー・アーチャーは静観を決め込んで口を挟まず、セラとリズは意思を主に委ねきっているのか沈黙を保ったまま主の隣に控えている。
空気が軋み、物音一つしない沈黙が息苦しさを誘う。
……しかしこの極限の状況は。
「――――ハァ、まあいいわ。それじゃこうしましょうか」
白の少女の妥協によって、唐突に終焉を迎えた。
「勝負に勝った方の言い分を採る……元からお兄ちゃん達は闘うつもりでここに来たんでしょう? それでいいわね?」
その有無を言わさぬ眼光に、士郎は悟った。
これ以上のやり取りは無意味であると。
「……やっぱり、それしかないのか。まぁ、イリヤが戦争から降りるには、悪いけどバーサーカーには退場して貰わなきゃいけない訳なんだし……解った、そういう事にしよう」
再び場所は変わって、城の外にある森。
森といっても葉が鬱蒼と茂っている訳ではなく、季節の関係で葉の落ちた巨木があちらこちらに乱立している、所謂枯れた森である。
魔術師の大家であるアインツベルンが城を建てている事からして昼間ですら、ある種の魔境と言っても差し支えない程の妙に薄気味悪い森なのだが、時刻が夜ともなればその異様さには更に磨きが掛かっている。
そんな城からさほど離れていない森の只中に、二組の陣営が佇んでいた。
無論、イリヤスフィール主従とのび太達である。
「さて、準備はいいかしら?」
「……質問に質問で返すのも何だけど、アナタはバーサーカー一人なの? こっちはマスター含めて五人いるんだけど」
凛の疑問にイリヤスフィールは首肯する。
己がサーヴァントである狂戦士に全幅の信頼を寄せた笑顔で。
「……後ろの二人は?」
「見物させてるだけよ。あのまま城の中に残しておくのも何だし、戦闘能力も一応あるけど手出しは一切させないから。必要ないもの。いいわねセラ、リズ?」
「お嬢様の仰せのままに」
「うん」
主の左右数歩後ろで下知に頷く従者二名。
そんな二人を見やったまま、凛は更に言葉を繋げる。
「わたし達はここにいる全員で掛かるけど、文句はないわね?」
「ええ。でも実際、戦力になるのってセイバーとアーチャーと、あとヘンな道具を使ってるノビタくらいかしら? リンの宝石はバーサーカーには効かなかったし、お兄ちゃんは問題外だもの」
「……その余裕がいつまで続くかしらね?」
イリヤスフィールに聞こえないくらい小声で凛は呟くと、背後に佇むアーチャーに目をやり、視線で指示を出す。
弓兵は無言のまま首肯すると踵を返し、そのまま後ろへ向かって走り出した。
そして約十秒後、アーチャーからの念話が届いた凛が残る陣営のメンツに向かって首を縦に振った事で、おおよその前準備が整った。
「もういいみたいね。じゃあ……バーサーカー!」
「――――――■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!」
命令とほぼ同時に、彼女の左前方に現れた狂戦士・バーサーカー。
虚空に向かって気炎を上げるその様は、バーサーカー自身の血の猛り具合を表しているかのようだ。
早く戦いたい、殺し合いたいと。
「……いい気迫ですね」
「そうね」
しかし“この程度”で去勢されている場合ではない。
これは勝負の前の、いわば軽いジャブのような物だ。
このくらい軽く流せないようでは、このバケモノと闘り合う事など到底不可能である。
「……くっ!?」
「……ぅう、やっぱりちょっと怖い……!?」
「……アンタらねぇ、もう少しシャキッとしなさいよ。特に士郎、色々と力入りすぎよ」
――――いやまぁ、一部例外もいたりはするが。
言い訳させて貰えるなら、単にコイツらはエンジンが掛かっていないだけである。
初めてバーサーカーと対峙したあの夜も一応士郎は平静を保てていたし、のび太に至っては言わずもがな。
スイッチが完全に切り替わっていない今は、とりあえずこんなモノである。
「さて、相手は誰からかしら? やっぱりセイバー? それとも一度にかかってくる?」
したり顔でそう言ってみるイリヤスフィールであったが、やはり最初はセイバーが来るのだろうなと頭の片隅で考えていた。
セイバーが先鋒で組み合い、アーチャーが後方から援護射撃を行い、のび太が道具を使ってその間で遊撃を行う。
あの夜と同じ、スリーマンセルの戦闘方式。
戦術的にも戦力的にも、それが最も効率がいい。
だから今回も、おそらくその手で来るだろうとイリヤスフィールは予測していた。
人員的にあと二人ほど余っているが、はっきり言って士郎と凛はほぼ戦力外だ。
特に士郎はあらゆる意味で役立たず。
魔術の一つもロクに扱えない半人前以下の魔術師であるし、この場にいるにはあまりに場違いすぎて逆に異彩を放っている。
そういった点で見ればのび太も違和感ありありなのだが、あの夜の活躍を目にしてしまっている以上はそこまで奇異には映らない。
いや、見た目魔術師ですらない、ただの小学生でありながらバーサーカーと渡り合うという点で言えば奇異どころかむしろ異常なのだが……。
(……やっぱり、どうにも読みきれない存在なのよね、あのノビタって。バーサーカーが警戒するのも解る。ある意味未知数の塊だもの)
肝は言うまでもなくあの正体のよく解らない、不思議な道具類。
いったいあれらがどういったシロモノなのか、イリヤスフィールは非情に興味がひかれたが敵である以上は特A級の警戒対象でしかないと、今は意識を割り切っている。
バーサーカーもそれを重々承知しているようであの夜以来、本来なら取るに足らない存在である筈ののび太に対して、本能的な警戒心と執着心を抱いていた。
戦闘において、判断のつきかねる不確定要素ほど厄介な物もないからだ。
きっと主からの戦闘開始の下知が下れば即座に不確定要素を潰さんと、真っ先にのび太に向かって吶喊していく事だろう。
(……ま、それはともかく今は目の前に集中ね。『狂化』状態のバーサーカーなら、あの時のセイバーでも絶対に負けない)
そう意気込むイリヤスフィールの目の前で、凛とのび太が距離を取り始めた。
「……いいわね、手筈通りにいくわよ」
「は、はい」
「……了解です」
そして当初の予想通り、セイバーが先鋒として前方へ……。
「――――え?」
出てこなかった。
なんとバーサーカーと真っ先にぶつかり合うと思われたセイバーが、凛・のび太と一緒に後方へと下がり始めたのだ。
これにはイリヤスフィールも面食らった。
「――――えっ!? ちょっと、どうしてセイバーも下がっちゃうの!?」
「……これも作戦よ。大丈夫、アンタの戦術予測は大体あってるから……じゃ、頼むわよ?」
意図が解らず混乱するイリヤスフィールを余所に、凛がそんな言葉を口にする。
そして一歩一歩、バーサーカーへと近づいてきたのは……。
「えっ――――冗談でしょ?」
「――――冗談なんかじゃない。バーサーカーの相手は俺だ、イリヤ」
戦力として論外である筈の、士郎であった。
歩み寄る士郎を視界の中央に収めながらも、イリヤスフィールの思考はますます混乱の色合いを増す。
アーチャーがこの場を離れ、遠くへ移動した……弓兵である以上、それは理解出来る。
凛達が距離を取った……これも解る。
だがセイバーが前面へと出ず、代わりに士郎がアタッカーとして突出するというのはどう考えても解らない。
凛の言葉の込められていたものや士郎の様子からして、これがブラフだという線はおそらくない。
本気で士郎はバーサーカーと組み合うつもりなのだ。
(……でも、そんな事出来る筈がない)
士郎は一つの魔術すらろくすっぽ扱えない魔術師で、再三言うがその力などまずお話にならないレベルだ。
そもそもからして、人間(マスター)が英霊に挑む事自体、狂気の沙汰以外の何物でもない。
バーサーカーとまともにぶつかり合えば、数秒と持たずにミンチにされる事請け合いである。
それは向こうも解っている筈。
ならば何故……、と思考が堂々巡りを始めようとしたところで、
「……馬鹿みたい」
イリヤスフィールは葛藤を切って捨てた。
考えたところで何になる。
自分はただ、己がサーヴァントの圧倒的な力を信じるのみ。
『ヘラクレス』を召喚したあの時、そう決めたではないか。
「狂いなさい、バーサーカー」
「■■■!? ……■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!」
イリヤスフィールの呟きと同時に、バーサーカーが咆哮を上げる。
それは先程のようなものではなく、まるで狂気と殺意以外を削ぎ落としたかのような、いっそ寒々しいまでに禍々しいものであった。
「なるべくお兄ちゃんは殺さないようにね……じゃあ、やっちゃって」
そして完全に光の掻き消えた双眸で以て敵対者達をねめつけると、荒々しく唸りながら右手の斧剣を振り上げ、凄まじいスピードで吶喊を仕掛けてきた。
「速ッ!? ……ちっ、やっぱりあの時はまだ『狂化』してなかったのね。士郎!」
「ああっ!」
凛の声に反応した士郎は、向かってくるバーサーカーから視線を外さぬまま徐にポケットに手を突っ込み、中から何かを取り出した。
それはどこかで見たような白い袋状のブツ……士郎はその中に右手を入れると、袋の中で何かをグッと握りしめた。
『白い袋状のブツ』が何かは……勘のいい方はお分かりであろう。
そう、このブツは“スペアポケット”だ。
といっても、これはのび太の物を拝借したという訳ではない。
事実、このポケットの四次元空間に入っているものはたった一つだけなのである。
いわばこの“スペアポケット”は――――『鞘』なのだ。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!」
聞く者の心胆を寒からしめるような狂声と共に、振り翳された斧剣が士郎の脳天へと振り下ろされる。
士郎はその軌跡をジッと見据えたまま、スッと腰を落とし身体を内に捩じり込むと、
「――――『同調・開始(トレース・オン)』ッッ!!!」
力強く一歩を踏み出し、言葉と共にポケットの中の右手を下から上へと、斧剣目掛けて掬い上げるように思い切り振り抜いた。
ガギリッ、と重い物同士がぶつかり合う、やたら鈍くて硬質な音が辺りに響き渡る。
そしてその一瞬の後、
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!?」
「――――えっ!?」
バーサーカーの巨躯が、煽られるように仰(の)け反った。
直後にドウゥンッ、という重く鈍い振動が広がり、渇いた地面から砂塵がもうもうと舞い上がると二つの人影を中へと覆い隠す。
「……■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!」
砂煙の中で、バーサーカーは即座に崩された体勢を元に戻すと一旦距離を置くため、バックステップを踏んで煙を抜け、後方へと下がる。
そして士郎は、
「……ふぅ。何とか、上手くいったか。よっ、と」
煙の中で踏み出していた足を戻し、どこかホッとしたような声でそんな事を口にした。
サア……ッ、と一陣の風が吹き、土煙を吹き散らすと同時にガシャン、と鉄が何かにぶつかるような異音が響き渡る。
そこには、
「これで冗談じゃないって解っただろ、イリヤ。――――さあいくぞ、バーサーカー! お前の相手は俺だ!!」
――――二メートルは優に超えようかという『大剣』を肩に担ぎ、その全身に闘志を漲らせ佇む士郎の姿があった。
両の手にはゴムで作られたような『手袋』を身に着け、右の肩に乗せた『大剣』は空に向けた片方のみが、片刃剣特有の優美な弧を描いている。
士郎が“スペアポケット”から居合の如く抜き放った、およそ常人には到底振り回し得ない程の巨大な片刃剣。
バーサーカーを仰け反らせた事からして、狂戦士の持つ岩の斧剣と遜色ないほどの重量と質量を持つであろうことは想像に難くなく、またそれは確固たる事実でもある。
そんな斬馬刀の如き異形を成した剛剣の銘を、のび太達は便宜上こう呼称している。
――――『大・電光丸』と。