ライダーの探索に一区切りをつけ、さて次の標的はキャスターである。
“たずね人ステッキ”を倒し、方角を見て“○×占い”を使用したところ、肯定のファンファーレが鳴った。
そして地図へと向かい合う……最早パターンである。
「この方角は……お山の方だな」
「もしかして……柳洞寺!?」
ハッとしたような凛の声。
その顔にはどうしようもない危機感と焦燥感がありありと浮かんでいる。
「遠坂、どうした?」
「どうした、じゃないわよ! ええと……っ! 『キャスターは柳洞寺を拠点にしている』!』
何かに急き立てられるように、凛はやや早口に“○×占い”に命題を告げる。
果たしてその答えは……予想に違わず、肯定。
「ッ!? ……くっ、やられた。これは……ちょっとマズイわね」
ファンファーレが鳴り終わると同時、凛はどっと疲れたように肩を落とした。
「? マズイって……何がまずいんですか?」
不思議そうに尋ねてくるのび太に、ユラリとやや億劫そうに顔を上げ、口を開きかける凛。
だが予想に反して、疑問に答えたのは発信源の傍らにいたセイバーであった。
「……柳洞寺はこの冬木の地の龍脈の終着点。つまり、魔術師にとってはこれ以上なく重要な場所という事です、ノビタ」
「はあ……龍脈? えっと、セイバー、重要ってどういう風に?」
「そうですね……順を追って説明するなら、この冬木の街一帯には自然界の魔力の通り道がいくつか走っています。下水道をイメージして貰えれば解りやすいかと。それらが最後に行きつく場所がここ、柳洞寺なのです」
地図の一点、冬木市の最西端にある山の頂上に建てられた柳洞寺を指さしながらセイバーが訥々と語る。
のび太と、ついでに士郎は時折ふむふむと頷きながら説明を粛々と聞いている。
アーチャーは相変わらずの腕組みをしての瞑目……どうやらこの事情は凛から聞いたかしておおよそ知っているようだ。
「…………」
しかしながら……凛だけは一人、違っていた。
聞き入るでもなく、聞き流すでもなく――――その表情は、ただただ訝しげに歪められていたのだ。
「魔力の通り道が最後に集まる場所……それはつまり、そこに莫大な量の魔力が集まる事を意味しています。そして魔術師は魔力を操り、力を振るう……もう解りますね?」
「……えっと?」
「成る程。上手くすれば魔力切れを気にする事なく、魔術を行使出来るって事か……」
首を捻るのび太に代わって、士郎がポツリと答えを口にする。
セイバーはそれに首肯する事で答えを返した。
「はい。特にキャスターは魔術師の英霊、こと魔力や魔術の扱いに長けています。鬼に金棒どころの話ではありません。さらに言えば柳洞寺一帯には自然霊以外を遮断する結界が張られています。唯一潜れるのは正門からのみ。サーヴァントにとってある種の鬼門なのです」
武器弾薬等の補給の必要などない要塞に立て籠もられたようなものである。
加えて防御に回ればおそらく鉄壁であるが故に踏み込むのも容易ではなく、不用意に突っ込めばあっという間に全滅であろう。
無尽蔵に近い潤沢な魔力エネルギーというのは、魔術師にとってそれだけで垂涎ものの価値のあるシロモノなのだ。
勿論、制御するのは並大抵の事ではないが、キャスターならば難なくやってのけるだろう。
「うーん、“無敵砲台”に立て籠もったスネ夫みたいなもんかな?」
「はい……? まあ、そんな感じかと」
「いやセイバー、それ意味解って言ってるの「ちょっといいかしら?」……遠坂?」
と、突然会話の流れを遮って割って入ったのは凛。
眉間に皺をこれでもかと寄せ、セイバーにやや不躾な視線をぶつける。
「セイバー、アナタ……どうしてそんな事を知ってるの?」
「……そんな事、とは?」
「龍脈とか、結界の事よ。聖杯からの知識じゃないわね。アーチャーはわたしが話すまで知らなかったから。納得のいく説明、して貰えるかしら?」
「…………」
ほんの少しだけ、セイバーは逡巡した様子を見せる。
しかしそれも一瞬の事、やがてスッと視線を上げると、こう口を開いた。
「……私がこの時代に召喚されたのはこれが初めてではありません」
「え……? セイバー、それって「故に、記憶の中にその知識がありました。それだけの事です」……成る程。それ以上は話さない……いえ、話せないという事かしら?」
「……、はい」
凛の追及を無理矢理に遮り、語りを終えたセイバー。
その表情は鉄仮面でも被ったかのような無表情……内心を探り取らんとするにはいささか強固に過ぎる。
凛はしばらくの間、突き刺すような視線をセイバーに送り続けていたが……、
「……ふぅ。いいわ、今はそれで納得してあげる」
これ以上は無意味と判断したのか、溜息交じりに矛を収めた。
そんな凛に対し、セイバーは軽く頭を下げる。
「助かります」
「言っとくけど、いつかは話してもらうからね。利息として、アナタの真名も込みで」
「後半は承諾しかねますが……ともかく、語るには今は時期が悪い。時が満ちれば、必ずお話しする事を約束します」
「……そう、期待しないで待つ事にするわ」
そして僅かの沈黙。
シンと静まり返った居間の空気は、どこか居心地が悪い。
「……さて、変なところで脱線しちゃったから話を戻すわよ。のび太、柳洞寺の映像を出してくれる? ……って、アンタらいつまで呆けてるの?」
凛はそんな空気を振り払うように視線を再び元へと戻したが、いまだポカンとしたままの士郎とのび太を視界に収めると呆れたような声を上げた。
「いや、だって……ねぇ、士郎さん?」
「あぁ……いきなり話が別の方向に行っちゃったし、元はと言えば遠坂が脱線させたんじゃ……まあ、いいけどさ」
顔を見合わせあい、ブチブチと何事かを言い合う二人。
しかし時間ももうそれなりに経っているのでそれ以上は何も言う事はなく、のび太は“タイムテレビ”を操作するため、画面と向かい合う。
「えーと……柳洞寺に座標を合わせて……時間設定はどうします?」
「……そうね。とりあえず、今現在の柳洞寺を映してくれる?」
「解りました……よし。これで……いけっ!」
のび太がスイッチを入れると、“タイムテレビ”の画面に荘厳な雰囲気のお堂と境内が映し出された。
真冬の平日という事もあり、これといった参拝客もおらず閑散としている。
そしてお坊さんの姿も特に見受けられない。
お堂の中に篭っているようだ。
「うわぁ、大きなお寺だなぁ……」
「結構な歴史のある寺だからな。……うーん、パッと見る限りじゃ特に異常はないみたいだな」
「いえ、キャスターなら人知れず何らかの処置を施す事も可能でしょう。中がどうなっているのか、まだ解りません」
「そうね……むしろ変わりがなさすぎるのが不気味ね」
「ふむ……少し時間を巻き戻してみてはどうだ? まずはその辺りから探りを入れてみない事には始まらん」
「そうですね……じゃあ「なぁ、のび太君」……はい?」
と、のび太が計器に手を伸ばそうとしたところで隣の士郎から声がかかる。
「ちょっと、俺がいじってみてもいいかな? “タイムテレビ”」
「え?」
好奇心の混じった声で“タイムテレビ”を操作させてほしいと頼み込む士郎。
実を言うと、未来の道具を触ってみたいと士郎は今朝からずっと考えていたのだ。
その証拠に、視線はさっきから“タイムテレビ”の計器部分へとジッと注がれたままとなっている。
とりわけ士郎は機械いじりを趣味としているため、未知の機械に触れるという誘惑には抗いがたいものがあるのだろう。
気持ちは解らなくもない。
「あ、はい。いいですよ」
そんな興味感心丸出しの様子を見て取ったか、のび太はスッと立ち上がって、快く“タイムテレビ”の前を空ける。
士郎はのび太に『ありがとう』と軽く頭を下げると、“タイムテレビ”の前に腰を下ろした。
「操作の方法を教えますね。まずこのボタンは……」
「ふんふん」
のび太の説明に逐一頷きを返しつつ、士郎はテキパキと計器を操作して映像の時間を巻き戻していく。
そしてついでに視点も境内から別の場所へと変え、時間的に今日の早朝あたりになった頃に巻き戻し操作をストップさせた。
意外な事にのび太の教え方が的確で、要点をしっかり押さえていたものであったため、特に操作に混乱するような事もなく終始スムーズであった。
「えーと……ここは離れの辺りだな」
映し出されたのは柳洞寺の奥まった場所、住人の生活する居住区画の傍にある井戸端。
昇りかけの朝日が薄明かりを射し始める時刻。
そこでは、今しがた起床したばかりと思われるお坊さんの姿がチラホラと垣間見られた。
歯を磨く者。
顔を洗う者。
ラジオ体操を行う者。
『ハッハッハッハ! 今日も清々しい朝だ!』と諸肌脱ぎで快活に笑いながら物凄い勢いで乾布摩擦に取り組んでいる者……様々である。
「――――って零観さん、アナタ朝っぱらから何やってんですか……。いや、まあ朝の行動として間違ってはいませんけど、スゲェジジくさい……まだ二十代なのに」
「あの、このお坊さんとお知り合いなんですか?」
「クラスメイトのお兄さんなんだよ……あ、一成だ」
「……うげ」
と、画面横から新たに現れた眼鏡の少年に士郎と凛が反応する。
しかし、その声音と含まれるものについては随分と対照的ではあるが。
普段着姿で現れたその少年は縁側の石段にあった草履を履くと、井戸端へと近づいて水を汲み、口を濯ぎ始めた。
「この人が士郎さんのクラスメイトの人ですか?」
「ああ。フルネームは柳洞一成って言ってな、全てにおいて真面目なヤツで穂群原の生徒会長も務めてる。ついでに言えば……あー、大きな声じゃ言えないけど……遠坂の天敵だ。顔を合わせる度によく喧嘩してる。今の遠坂の反応、聞いただろ?」
「凛さんとケンカ……?」
「ん。と言っても特に殴り合いとかはしないけどな。ただお互いに皮肉のマシンガンだよ。一成、遠坂の事を“女狐”だとか色々言ってるし……見てるこっちの肝が冷えるなぁ、あれは」
「はぁ……なんか意外ですね。この人、人の悪口を言いそうなタイプには見えないし……」
「本人達が言うには、お互いにムシが好かないらしい……っとと、いや悪い。だからそんな睨むなって、遠坂」
ジトっと刺すような視線を感じた士郎、慌てて振り返ると眉間に盛大に皺を寄せた凛がいた。
『黙りなさい』とその据わった眼が訴えて……いや、命令している。
おそらく“タイムテレビ”越しとはいえ不倶戴天の仇敵の姿を目にした事で、無意識的に気が立っているのだろう。
下手すれば殺気すら籠っていそうな、不機嫌の極みに達したそれ……士郎の背筋に、人知れず冷たい物が流れた。
『どうやって機嫌を戻したものだろう……』と士郎が頭の片隅で割と必死に思案していると、
「――――あっ!? ちょ、ちょっとこれ見てください!!」
唐突にのび太の声が上がった事で、ジワジワと冷たくなっていた空気が一瞬で吹き散らされた。
「どうしたのび太君?」
「何か見つけたのですか?」
「あの、ここ! この人!!」
皆が一斉にのび太の指差した方へと注目する。
視線が向かうは“タイムテレビ”の画面左側、そこに新たに映っていたのは……。
『――――おはようございます』
『『『『おはようございます!!』』』』
紫のローブを身に纏った、妙齢の異国の美女であった。
縁側から楚々と井戸端に降りるその女、その場にいた僧達が一斉に挨拶をする。
女は軽く手を挙げる事でそれに応えると、井戸から水を汲みあげ始めた。
「……この女の人、怪しくないですか?」
のび太が振り返ると、皆一様に頷きを返した。
「……確かに、お寺にはミスマッチだよな。この人」
「修行僧や尼さんって訳でもなさそうだしね……」
「そもそも顔立ちが西洋系、髪の色も耳の形も特徴的ですし……何より纏う雰囲気が異質です。少なくとも一般人ではないようですね……おそらく、この女性が――――」
「――――キャスターのサーヴァント、か。……む、一成とやらが女に近づいていく……」
アーチャーの指摘に映像が二人を対象にクローズアップされ、再び皆の視線が“タイムテレビ”の画面へと集まる。
全員が一言一句聞き漏らすまい、一挙手一投足すら見逃すまいとでも言わんばかりの気の傾けよう。
画面に穴が開くのではと思ってしまう程だ。
『おはようございます』
『あら、おはようございます。……お早いですのね』
『いえ、いつもこの時間には起床しています。寺住まいですので、自然と朝が早くなるのです。零観兄などはああして皆より少し早く起床して、冬の日課である乾布摩擦をやっています』
『……そ、そうなのですか。健康的ですわね』
「あれって日課だったのかよ……」
深々と脱力する士郎。
画面に映る女性……キャスターもやや表情が引き気味である。
画面から外れた遠くの方から『うむ、もう一セットいくか! ハッハッハッハ!』と威勢のいい声が聞こえてくるのが更なる脱力を誘う。
しかし、そんな些事にも一切頓着する事なく、映像は淡々と流れ続ける。
『……そういえば、宗一郎兄はまだ起床されていないのですか?』
『いえ、宗一郎様は既に起きていらっしゃいます。何やら学校関係の書きかけの書類があるとかで、三十分ほど前に起床されて文机に向かっておられます』
『そうですか……ふむ、今は何かと忙しい時期ですからね。宗一郎兄は生徒会顧問を務められておりますから、仕事が中々に片付かないのでしょう。生徒会長として、何か手伝える事があればよいのですが……』
「生徒会顧問? って事は、一成の言ってる『宗一郎兄』って……」
「――――倫理の葛木先生でしょうね。他に該当者がいないもの。……でも意外。あの人柳洞寺に住んでたのね」
「……えっ、と、士郎さんと凛さんの知ってる人なんですか?」
「ん? ああ、うちの学校の教師だよ」
士郎と凛の通う穂群原に務める倫理担当教諭、葛木宗一郎。
寡黙で朴訥、何事においても生真面目すぎるくらいに真面目にこなす、ある意味穂群原の名物教師である。
その固い為人(ひととなり)から変わった逸話も多く、代表的な物では試験中にも拘らず、プリントに不備が見つかったので試験を突如中止にしてそれを回収した、といったものがある。
「ふわぁ~、変わった先生なんですねぇ。僕の担任の先生も真面目でカタブツだけど、こうはいかないや。……でも、試験を中止にするなんて……なんていい先生なんだろう!」
士郎の説明を聞き、まだ見ぬ葛木教諭に尊敬の念を送るのび太。
どうも『テストを中止にした』のくだりがのび太の琴線に触れたようだ。
何しろのび太の担任の先生をして試験を中止にさせるには、真面目にひみつ道具の力を借りなければならないほどなのだから。
それと比べれば多少の不備程度で試験を中止にする葛木の方が、のび太にとってよほど理想的に映ったとしてもおかしくはない。
別にのび太も担任を嫌っている訳ではないのだけれども……なんだかんだでいい先生なのだから。
おいおい、と苦笑する士郎。
しかし次の瞬間、その微妙に緩んだ空気が一変した。
『――――いいえ、心配には及びません。宗一郎様が無理をされないよう、私が常に目を光らせておりますので。何しろ――――――――私の、愛する婚約者なのですから』
「「「「「――――――!?」」」」」
ギシリ、と場の空気が固まる。
『婚約者』と……『愛する婚約者』だと、確かに聞こえた。
これの意味するところ……まともに受け取れば何の変哲もない惚気であるが、この女がサーヴァントであるのならば……それは、一つの可能性を示唆する物となる。
皆を代表するかのように凛が“○×占い”の方に顔を向けると、一言呟いた。
「『キャスターのマスターは……葛木宗一郎である』」
浮き上がる○印、そして響くファンファーレ。
……ここに一つの結論が出た。
「葛木先生が……マスター」
呆然と呟く士郎。
何の因果か顔見知りが次々と己が敵になっていく、その事実に打ちのめされた表情を晒けだす。
……しかし、傍らの凛の反応はやや違っていた。
やや訝しげに、何かおかしいとでも言うように画面をジッと見据えている。
彼女の勘にピンと引っ掛かるものがあったのだ。
「……、でもおかしいわね。葛木は魔術師じゃない。偶然魔術回路が発現した訳でもなさそう。なのにキャスターを従えている……どういう事?」
「え? あの、それって何か変なんですか?」
のび太の問いに対し、凛は渋い顔で頷く。
「サーヴァントを召喚出来るのは魔術師だけなのよ。召喚術自体が魔術……それも大魔術に分類されるものだから。逆に言えば、魔術師でなければ召喚を行えない。その点から言えば慎二も魔術師じゃないから本当は不可能なんだけど、家が家だもの。低確率ながらも可能性を持ってるし、実際にそれを拾ってるみたいだから、これは例外ね」
「へぇ……あれ? でも葛木先生って魔術師じゃないんですよね? じゃあどうやってマスターになったんですか?」
「それが解らないから悩んでるのよ……いえ、実は一つだけ、見当はついてるんだけどね」
「へ? それっていったい……」
『何なんです?』とのび太が言おうとしたが、その言葉が続く事はなかった。
キャスターの発言を聞いてからこっち、沈黙を保っていたアーチャーが閉じていた目を開き、口を開いたからだ。
「……『はぐれサーヴァント』、という事か。凛」
「……、でしょうね」
「はぐれ……サーヴァント?」
聞き慣れない言葉に首を傾げ、聞き返してしまうのび太。
それに対し凛は呆れの溜息を押し殺しつつ……表情には僅かに滲み出てしまうが……説明のために口を開く。
この短いスパンで、この手のやり取りも鉄板と化してしまっている。
あとは士郎がチラホラ似たような反応を返す……両者共に知識に乏しいので、仕方ないと言えば仕方のない事ではある。
とはいえ事ある毎にこれでは、説明役たる凛にとってツラいものがあるのかもしれない。
「『はぐれサーヴァント』っていうのは、簡単に言えばマスターのいないサーヴァントの事よ。何らかの理由があってサーヴァントとマスターの繋がりが切れてしまった場合、そこには主のいないサーヴァントが一人出来上がる。本当ならそのまま消える筈なんだけど、ほんの少しだけ自前の魔力で存在する事が出来るの。これが『はぐれサーヴァント』って訳。サーヴァントが存在するには依代となる人間が必要だから、『はぐれサーヴァント』は自分が完全に消える前に新しいマスターを探す事となる。この場合は……」
「キャスターが『はぐれサーヴァント』となっていて、どういった経緯でかは解りませんが魔術師でないクズキと新たに契約を交わし、主従となった……という事でしょうね」
セイバーの合いの手に同意するように凛は頷く。
そして今度は“タイムテレビ”の方へサッと視線を送る。
場面は丁度一成との会話を終えた女性が屋内へと戻ろうとしている最中であった。
すると凛は突然キシシ、と底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「折角だから、“タイムテレビ”でその経緯までジックリと見てみましょうか。さっきの様子を見る限りじゃ、あの言葉も満更嘘って訳でもなさそうだしね」
「おい、遠坂……それ、無茶苦茶シュミが悪いぞ」
「あら何よ、これは立派な諜報活動よ。相手の内情に探りを入れる事は謀の定石だし、考えつく限りの打てる手は打っておくべきだしね」
しれっと言い返す凛に、士郎はゲンナリとする。
しかし言っている事自体は間違っていないので、“タイムテレビ”で内情調査を行う事に否やはない。
ただ、言いだしっぺたる凛のその下心丸出しの魂胆と態度がいただけないだけだ。
「とはいえ……そうなると場所はどこを映せばいいんだ?」
「……柳洞寺の正門辺りがいいかと。柳洞寺を囲む結界の張られていない唯一の場所がそこですから。キャスターが柳洞寺内にまともに入ったとすれば、侵入口はそこでしょう」
「そうか……じゃあそこに視点をセットして、と。ボタンはこれでよかったんだっけ?」
「はい。あ、いやそこはそうじゃなくてこのボタン。で、ダイヤルを……」
のび太のアドバイスを受けつつ、士郎は“タイムテレビ”の計器を操作し、目的の場所に焦点を当てる。
そしてライダーの時より高速で巻き戻し操作を行い、ほんの数瞬で昼夜が入れ替わる山門の映像を食い入るように観察していた。
「「……む?」」
と、画面を注視していたセイバーとアーチャーが突然、二人そろって怪訝な表情となった。
何事かと同じく画面を見つめていた残り三人が振り返るが、二人は一瞬だけ顔を見合わせると、後でいいと巻き戻し作業を促した。
そうして画面内の時間で十日近くが経ったある地点で巻き戻し作業をストップ。
通常スピードに戻った“タイムテレビ”の映像には、目あての光景が克明に映し出されていた。
『……ぅぅ……ぁ』
『………………』
微かに呻き声を上げる女を両の手に抱え上げ、山門へと続く石段を登る長身の男が一人。
深緑のスーツを着たその男……葛木宗一郎はこちら側に背を向けており、どういった表情なのかは判別出来ない。
一方、頭のフードが外れ外気に晒されたその女の顔は見るからに蒼白で、血の気がすっかり失せきってしまっている。
目も虚ろであり、その身に纏う紫のローブはどういう訳かベッタリと赤黒い血潮に染まり、まるで血のシャワーでも被って来たかのようだ。
そしてダラリと下げられたその手には異様な形の短剣が一振り、握られていた。
短剣としてまともに機能し得ないだろうその稲妻状の歪な刃も、やはり紅い血潮に濡れていた。
この尋常ではない有様から連想出来る事はただ一つ。
この女、キャスターは……今しがた、人を殺めたばかりだ。
「ヒィ……ッ!?」
凄惨な女の姿に尋常でない怖気を覚えるのび太。
見かねたセイバーはフウ、とひとつ溜息を吐くと、その両の眼にそっと自分の手を当て、のび太の視界を遮った。
丁度その直後に、女は糸が切れたかの如く目を閉じ、男にその脱力しきった身体を完全に委ねる事となった。
『………………』
曇っていた空が関を切ったように泣きだし、冷たい水の滴が身体を容赦なく叩くが男はそれを気にする風もなく、ただ僅かに身じろぎし、そのまま石段を登り続ける。
やがて男は山門へと辿り着き、いまだ開かれていたその門を潜ろうとする。
だがその直前、男は徐にその場に足を止めると、雲と雨の支配する虚空へ視線を送りポツリと、こう呟いた。
『――――命を奪いこそしたこの身だが、まさか命乞いをされるとはな。解らんものだ……渇ききったこの私に、施せる物などありはしないというのに』
その言葉に何が込められているのか、この場の誰にも理解する事は出来ない。
しかしながら、その言葉は男の全てを語っているように感じられた。
そして男はそのまま止めていた足を進め、柳洞寺の中へと消えて行った。
「……もういいわよ。目隠しを外しても」
「はい。……大丈夫ですか?」
凛の指示を受けたセイバーはスッとのび太の両目から手を放す。
いまだ恐怖の抜け切れていないのび太であったが、画面に件の女の姿がない事を認めるとあからさまに安堵の溜息を漏らした。
「は……、はぁぁぁぁぁ怖かったああぁぁ……。ううぅ、夢に出てきそう……」
「まあ……気持ちは解るよ。血塗れでナイフを持った女なんて確かにゾッとしないよなぁ……」
士郎もそれに同意するように頷きを返し、背中をポンポンと叩く。
そんな二人の横では凛とセイバー、アーチャーが今の映像から得た情報を基に、推測を働かせていた。
「映像から察するにキャスターは前のマスターを殺した後当て所もなく彷徨い歩き、偶然クズキに拾われたようですね」
「そうね、その線が濃厚か。――――なぜ前マスターを殺したのか、は……まあ、正直なところ、どうでもいいわね」
「同感だな。少なくとも、自ら召喚したサーヴァントに殺意を抱かれたような人間だ。理由も大方見当がつく。……そしてキャスターは主(マスター)殺しを行い死にかけた結果、偶然とはいえ柳洞寺という霊地と葛木宗一郎という愛しの主(マスター)を手に入れたという事か」
「向こうはそれでハッピーでしょうけど、こっちにとってはアンハッピーよ。よりによって、どうしてこんな穴だらけの大バクチに勝つのかしら……幸薄そうな顔してるクセに」
ブスッとした顔で愚痴る凛。
あまりにド直球な物言いにセイバーもアーチャーも苦笑を漏らす。
しかしそれも一瞬の事。
すぐにセイバーとアーチャーの表情は一変し、眉根を寄せた険しいものへと変化する。
「とはいえ……マスターであるクズキも油断なりません。確かに魔術師ではありませんが……かといって一般人でもありません」
「え? セイバー、それってどういう事?」
意表を突かれたように凛がパッと視線をセイバーへと移す。
セイバーはそれには応じず、確認を取るようにそのままアーチャーへと視線を移した。
「……アーチャー、貴方も感じ取れたと思いますが」
「ああ……。あの男、かなりの手練れだ。歩法から推察するに、おそらくは徒手……拳法か? とにかく、相当に使う。あの言葉も、まんざら嘘という訳でもなさそうだ」
「……“命を奪いこそした”、っていう?」
「うむ……」
重々しく、アーチャーは頷きを返すとそのまま目を閉じる。
顔見知りである凛の手前、敢えて断言はしなかったが、アーチャーはあの言葉が真実であるという確信を抱いていた。
葛木の背中から、明らかに命を奪った者特有の“何か”が滲み出ているのを見て取ったからだ。
そしてそれはセイバーも同じであり……無論アーチャーも同じである。
英霊とは、基本的に他者の命を糧として、己が身を一段上の高みへと昇華させている。
“色”や立場こそ違えど、その背に背負うものは同じなのだ。
ある意味で、二人は葛木と同類なのである……故に感じ取れた、そういう事だ。
そして……アーチャーには気になる点がもう一つ、ある。
あのキャスターの手に握られていた短剣だ。
(……“破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)”。魔術的なつながりを打ち消す破戒の短剣、だと?)
自身の持てる“能力”により、アーチャーはあれがキャスターの切り札……『宝具』である事を見抜いていた。
その名称から、特性、効果……その細部に至るまで。
契約だけに留まらず、あらゆる魔術的効果を初期化(キャンセル)する。
マスターとの魔術的契約によって現界するサーヴァントにとって天敵である『宝具』。
この情報を知るのと知らないのとでは天と地だ。
無論、危険を減らすためにもこの事実をアーチャーは報告するべきなのだが……。
(……いや、まだだ。まだ、告げるべき時ではない。当初の目的を捨て去った訳ではないのだからな)
アーチャーは敢えてそれを行わなかった。
あらゆる要素を鑑み、熟慮した末での結論である。
アーチャーにはある“目的”がある。
英霊となって尚抱く……いや、英霊となったからこそ、抱いた“目的”。
アーチャーがこの戦争での召喚に応じたのも、全てはそれに集約される。
アーチャーはその“目的”に対し、並々ならぬ執念を抱き続けてきた。
たとえ英霊として過ごしてきた膨大な年月によって、己自身がすり減ろうともそれが摩耗する事はなかった。
この事実を告げるという事は、すなわちその絶対の“目的”が潰える覚悟をしなければならないという事なのだ。
それだけは、何としても避けたかった。
だからこそ、アーチャーは沈黙を保つ。
魔術師のサーヴァントの警戒レベルを引き上げ、常に注意を配る事のみを肝に銘じつつ。
まだ、この中の誰も欠けてもらっては困るのだから。