のび太の作戦とは、至極単純な道具の組み合わせ。
“たずね人ステッキ”で方角を特定して拠点の見当を付け、“タイムテレビ”でその様子を観察し、確認と疑問点の解消を“○×占い”で行う、というものだった。
ステッキだけでは片手落ちだが、新たなファクターを組み込む事で確実性が劇的に広がる。
居ながらにして敵の居場所と詳しい情報、そして様子を探る事が可能だった。
魔術に真っ向からケンカを売る非常識の塊、ひみつ道具のなせる業。
そして固定観念に囚われない、のび太の柔軟な発想の賜物であった。
下手をすれば道具の本来の持ち主よりも、道具の運用にのび太は長けている。
「わたしの予想とほぼ同じ、か。というか、その年でよく思いつけるわね」
「ええ。こういった強力な代物は、応用を効かせるのが難しい。なまじ強力であるが故に“思い込み”が発生してしまう。その点では、ノビタは実に柔軟だ」
「え、そ、そうかな? へへっ」
珍しく褒められ、のび太が照れて顔を赤くしていた。
こうして、ひみつ道具を駆使してのターゲット探しが始まった。
対象はランサー・ライダー・キャスター・アサシン・バーサーカー。
以上の五騎、及びそのマスターである。
「さてそれじゃ、どこから当たるんだ?」
まずは“たずね人ステッキ”を立てて倒す。
その後に“○×占い”を使用して、その方角に確実にいるのかどうかを断定する。
そうしてターゲットの現在地点の方角を特定したら、今度は冬木の地図を広げそこから当たりをつける。
これは現地住民であり、冬木の地理に詳しい士郎と凛の担当だ。
場所を絞り込んだら、再び“○×占い”でいるかいないかを判断し、その後に“タイムテレビ”で覗き、もとい、遠距離からの敵情視察を行う。
時間を巻き戻してここ数日の時間軸を調べるだけで、対象は絞り込める。バーサーカー然り、サーヴァントは、良くも悪くも目立つものだ。
さすがに霊体化していたのなら発見は難しいが、まったく実体化しないという事はまずない。
霊体化は魔力消耗を抑えられるが、代わりに物理的干渉が出来ないので、サーヴァントはどこかで必ず実体化する。
そうしたクサい者を発見次第、サーヴァントか否かの判断を重ねて“○×占い”に仰ぐのだ。
ただし“○×占い”は『Yes』か『No』の判断しか出来ない。
質問内容をよく考えなければならない点がネックではあった。
「そうね。とりあえずサーヴァント順通りに、まずはランサーからいきましょうか。のび太、ステッキ」
「あ、はい。どうぞ」
からり、と凛がステッキを立てて倒すと、“たずね人ステッキ”はその身で方角を指し示す。
各々、すぐさまテーブルに広げた冬木市の地図へ目をやった。
「この方角、隣の新都方面ね」
「中央部からだいぶズレてるな……これは、海か」
「海ね、港にいるのかしら?」
「“○×占い”で確かめた方が早かろう、凛。『ランサーは今現在、港に存在する』」
アーチャーの声にすぐさま“○×占い”が反応する。
○印がひゅっと宙に浮き、正解のファンファーレが鳴った。
「え、ホント? あそこ、特になにかある訳でもないのに、どうして?」
「リン、まずは様子を確認してみましょう。悩むのはそれからでいい」
「……そうね。のび太、お願い」
「あ、はい。それじゃ港に位置を合わせて、時間設定は特にしないで……と。よし」
滞りなく“タイムテレビ”の設定をし終えたのび太が、勢い込んでスイッチを押す。
飛び込んできた映像は、この場の誰にも想定外のものであった。
『――――よっしゃ、来たぁ! さあ、来い来い……て、またサバかよ! もうサバは間に合ってんだよ、くそ!』
『あらぁあ、お兄さん、いいの? せっかく釣り上げたのに海に返しちゃって。しかもそんなに勢いよく放り投げなくてもいいんじゃない? サバが可哀想よ』
『サバはもう見飽きたんだよ! そもそも釣りを始めてからこっち、釣り上げるのがサバ、サバ、サバ……サバしか来ないって明らかにおかしいだろ!』
『いや、そう言われてもねぇ……まあ、ボウズじゃないんだから別にいいじゃない。お兄さん、もう三十匹くらい釣ってるし。大漁よ?』
『サバだけをな! 漁ならともかく、釣りでサバだけってのは面白みがねえったら。んで、おっさんはタイにヒラメにタコに……うげ、ブリまでいやがる!? 魚、節操ねぇな!? 季節感とかメチャクチャだぞ!』
『聞いた話だけどさ、冬木港はいつもこんなカンジらしいよぉ? 春夏秋冬全部通して。そういえば、前回来た時はヤマメ釣ったね』
『それ、川魚ぁ! おかしいから! 絶っ対異常だから!』
『冬木港だしねぇ。ココ、かなりの穴場よぉ?』
『それで納得すんな!?』
魂を生き胆ごと引っこ抜かれたかのよう。
画面の前で、一同が揃って呆然となっていた。
「……なんだ、これは」
「ランサーのお兄さん、ですよね? あの時と全然イメージが違うけど」
「うん……その、なんだ。『クー・フーリン』って、こんなヤツだったのか?」
「武勇伝や逸話は多いのですが……これは」
「ぶち壊しね。いろんな意味で」
港に面した海を舞台に、普段着姿のランサーが奇声を上げている。
手にする物は槍ではなく、リールのない一本の釣竿。足元には数個のバケツとタブの開いた缶コーヒーが置かれている。
そしてランサーの隣では、下っ腹の突き出た丸顔の中年オヤジが釣り糸を垂れていた。
結構なベテランのようで、竿を操る一挙一動にそつがない。
キャップにサングラス、釣り用ジャケットのアングラーファッションも様になっている。
穏やかで人のよさそうな笑みが印象的だった。
「すごく楽しそうですね、士郎さん」
「……ああ」
訂正の余地など一切ない。幻などでもありえない。
槍の英霊ランサーは、冬木港にて行きずりの親父と釣りに没頭していた。
「――――はぁ」
誰のものかは定かならず、ひとつの溜息が口から漏れる。
しかしこの瞬間、この場の心はひとつとなった。
すなわち……なにやってんだコイツは。
倦怠感にも似た脱力に見舞われる五人を余所に、“タイムテレビ”からの中継は続く。
『おっさん、釣りはベテランか?』
『んん? まあ、随分やってきたね。日本全国、いろんなところに釣りに行ったよぉ。今、たまたま会社の出張で東京からこっちに来ててね。明日の朝には特急で帰るし、空き時間にこっちまで足を伸ばしたの。こっちに来たのは今日で三回目かな』
『そうか。じゃあ……頼む! 俺に釣りを教えてくれ!』
『え、えっ? いきなりどうしたの?』
『このままサバばっかり釣ってたんじゃ面白くねぇんだよ! おっさん、どうか不出来なこの俺にひとつ、釣りの極意を伝授してくれ! 頼む、この通り!』
『いやいやいや、土下座はやりすぎだよ。うん、まあ、これもなにかの縁だし、時間もあるから……って、あらら? あ、ちょっと待ってね……はい、もしもし』
『ああ、ケータイってやつか。たしか“アイツ”も持ってやがったな……成金趣味全開の。アレはないわ』
『あ、どうもお疲れ様です……はい? え、あの時間は二時から開始だと……え? その前に集合? スー……じゃなかった、社長も既にそちらに? ああ! これはどうも大変申し訳ございません! すぐそちらに向かいますので……はい。もうドモドモ、すみません』
『ふう……っと、まだコーヒー飲みかけだったな。あ、もう冷えちまってら』
『それと、あの~……ワタクシの名前なのですが、『――ザ―』ではなく『――サ―』と申します。はい、『ザ』ではなくて『サ』です。はい、よろしくお願いします……はい、失礼しま~す……ふぅ』
『どうしたんだ』
『うん、それが時間間違えててさぁ。急に戻らなきゃならなくなっちゃったのよ。仕事の予定がね』
『……ああ、そうか。おっさん、勤め人だったか。仕事じゃしょうがねぇな』
『いや、本当にゴメンね。あ、そうだ。教えられないお詫びと言ったらなんだけど、ここでの釣りのコツをちょっとメモに書いておくからさ、それで一回やってみなよ。ちょっと待っててね……はい、これ』
『――――おお、これは! すまんおっさん、無茶な頼みしちまって。恩に着る!』
『お兄さん筋がいいからさ、ちょっとやったらすぐ上達すると思うよ。ま、頑張ってね』
『おう、絶対サバ以外を釣り上げてみせるぜ! おっさんも仕事頑張れよ!』
釣り道具とクーラーボックスを抱え、後ろ手に手を振りながら悠々と去りゆく男。
その背後には、万の大軍を得た将軍のように、喜色も露わに威勢よく釣竿を振り下ろすランサーが。
ケルトの英雄としての威厳など欠片もない。ただの釣りバカと化したランサーの姿がそこにはあった。
「……次、いきましょうか?」
「そう、ですね」
「ああ」
「……はい」
「うむ……」
あらゆる意味で、ランサーは五人を呑み込んだ。
脱力の極みは思惑を頭からすっ飛ばし、次の標的への移行を決定させてしまった。
ここで“タイムテレビ”の時間を巻き戻せば、根城もマスターもすぐさま判明していたのにも拘らず。
本人の与り知らぬところで、ランサーはひみつ道具の魔手から脱出していたのであった。
次の標的は騎乗兵のサーヴァント、ライダー。
“たずね人ステッキ”を立てて倒すと、とある方向を指し示す。
即座に“○×占い”でこの方角であっているかどうかを確認。正解と出たので、再度五人は地図へと向かい合う。
「これは、新都じゃなくて深山方面ね」
「でも商店街からは少しだけズレてるし……待てよ? これ、まさか!」
突然、弾かれたように士郎が顔を上げる。
四人が訝しむのも構わず、士郎は“○×占い”に飛びついて命題を口にした。
「『ライダーは……今、穂群原にいる』!」
鳴り響いたのは、大正解のファンファーレ。
士郎の顔から、さっと血の気が失せた。
「くそ! のび太君、今すぐ穂群原学園を映してくれ!」
「え、えっ!?」
「早くっ!」
「は、はいっ!? え、と場所は」
「この位置っ!」
「あ、はい!」
鬼気迫る士郎からの催促に、のび太が焦りながら“タイムテレビ”を操作する。
やがて“タイムテレビ”の画面に白亜の校舎と、いつもと変わりない教室での授業風景が映し出された。
その瞬間、士郎の口から大きな溜息が漏れる。
安堵の吐息であった。
「よ、よかった……まだなにも起きてない。これは、リアルタイム?」
「そうですけど、本当にここにサーヴァントがいるんですか? それらしい人は見当たらないし」
各教室を次々と流し見るように移行する映像を眺めながら、のび太が疑問を口にする。
教室内では教師が黒板に板書をし、生徒はそれを受け、粛々とノートにペンを走らせている。
「占いに間違いがないとすると、おそらく霊体化している可能性が高い。こうなると発見は困難ですね」
顎に手を当てたセイバーが唸る。
セイバーの言葉は的を射ていた。
いかに“タイムテレビ”といえども、姿の見えない相手まで映し出す事は不可能。
そもそもサーヴァントとは、死した英雄を現世へ呼び出したモノで、特性としては幽霊に近い。
霊体化するという事は、幽霊状態になるのとほぼ同義であり、当然ながらテレビが幽霊など映し出せるはずもない。
加えて。
「誰がマスターかも特定出来ないな。人の数が多いし、そもそも学校の中にいるのかどうか……可能性はなくはないけどさ」
木を隠すなら森の中。
人間を隠すのなら、人間の群れに隠した方がより見つかりにくくなる。
そこに、目当ての人間がいようがいまいが関係ない。
教員、生徒、事務職員、用務員……とにかく学校という場所は人が大勢存在し、離合集散も頻繁に行われるため探索する上でかなりの難所となる。
ヒントでもなければ、状況を打開出来そうにない。
「いえ。たぶん、いるわ」
「え?」
そこへ、唐突に口を挟んだのは凛だった。
固い表情で画面を睨む彼女から発せられたその言葉は、まるで確信があるかのような響きを持っていた。
「リン、なぜそうだと言い切れるのですか」
「アテがあるのよ。確証はないし、可能性どまりだけど。アーチャーには前に話した事があったかしら?」
「いや、特に覚えはないな。ちなみに、その根拠はどこからだ」
「冬木のセカンドオーナー……いえ、『始まりの御三家』からのものよ。」
凛はそっと瞑目すると、“○×占い”に向かって宣言した。
「『ライダーのマスターは、間桐慎二である』」
直後、高らかに鳴るファンファーレ。
床から○印が、打ち上げ花火のような勢いで宙に浮かんだ。
「そ、そんな……なんで慎二が!?」
愕然となる士郎。
やはりとばかりに、凛は深い溜息を吐いた。
「ええっ? あ、あのワカメみたいな頭のお兄さんが?」
「――――ぶふっ!?」
しかし、一転。
のび太のその一言で、凛が盛大に吹き出していた。
押さえた手の隙間から漏れた飛沫が宙に舞う。
ぷるぷる震えながら必死に込み上げるモノを噛み殺していた。
「……おーい。遠坂、帰ってこい」
悶え続ける凛に、自失から立ち直った士郎が呼びかける。
けふんけふん咽せながら、凛はようよう姿勢を整えた。
しかし、まだ時折ぴくぴくと肩が上下している
「ワ、ワカメ……くっ、くっふふ……ぅ、はぁ。ああ、やっと落ち着いた」
「じゃあ、聞くぞ遠坂。どうして慎二がマスターだと解ったんだ」
「あ、ああ……それはね、慎二が間桐家の人間だからよ」
「は?」
士郎の目が点になる。
その反応を半ば予想していたのか、凛はさらに自らを落ち着かせるようにひとつ息を漏らす。
そして、ゆっくりとした口調で説明を始めた。
「間桐家はね、代々続く魔術師の一族なの。そして、この聖杯戦争を作り上げた一族の一角でもある」
「えっ……聖杯戦争を」
「作り上げた?」
目を丸くする士郎とのび太に、凛は頷いた。
「『始まりの御三家』って言ってね、今から二百年ほど昔に魔術師の大家、三家の人間がそれぞれ協力して聖杯戦争を作り上げた。間桐家はそのうちのひとつよ」
「ふむ。つまりは、あの少年が主催者の家系の人間だからサーヴァントの……ライダーのマスターである可能性があった、と」
「そ。もっとも、間桐家は代毎に魔術回路が枯れていっちゃって、とうとう慎二には魔術回路が備わらなかった。つまり魔術師として完全に終わっちゃった訳なんだけど……」
「サーヴァントを召喚出来る下地くらいは残っているかも、という事か」
「アーチャー正解。腐っても御三家の一角よ。没落したところで門外不出の魔術資料や希少な魔術具程度は存在してるだろうしね」
凛の言葉に、一同互いに頷き合う。
“○×占い”の結果を鑑みれば、実に納得のいく話だった。
「……あ、そういえば」
ふと、のび太が思い出したように膝を打つと、凛の方に向き直る。
「さっき凛さん『始まりの御三家』って言いましたよね。という事は、あと家がふたつあるはずですけど、それってどこなんです?」
「ああ、それね。ひとつはアインツベルン……昨日戦ったバーサーカーのマスター、イリヤスフィール=フォン=アインツベルンの実家」
「あ、あの娘のか?」
「そうよ。で、最後が……わたしの家よ」
「り、凛さんの?」
「遠坂家は、冬木の霊地を代々管理してきた魔術師の家系……だからこその名家であり、冬木のセカンドオーナーなのよ」
ぴっと人差し指を立て、したり顔で凛が告げる。
明かされた意外な事実にのび太も士郎も、感心と驚きで呆けていた。
「まあ、それはともかくとして……問題はもうひとつ」
「え、まだなにかあるのか?」
「……士郎。まさかアンタ、学校でなにも感じなかったのかしら?」
「はあ?」
眉間に皺を寄せた凛からつ、と目を逸らし、士郎が虚空に視線を彷徨わせる。
思考を脳裏に巡らせる事しばし、不意に視線を戻すとやや自信なさ気に呟いた。
「ええと……なんか、皆元気がなかったような……?」
至って普通の回答。
あまりにもありきたりすぎるだけに、絶対合っていないなと士郎は心の中で自嘲する。
しかし士郎には他に心当たりなどなかった。
「士郎さん、それってすごい普通じゃ」
「まあ、そうだよな。単なる印象だし」
のび太の言に、諦め混じりに頷く士郎。
だが。
「……正解。よく解ったわねアンタ」
「「あらららら!?」」
予想を裏切るまさかの正解。
ふたりは揃ってずっこけた。
「それで合ってたのかよ」
「まあ半分だけ、ね。結論を言うと、学校に結界が張られているの。そのせいで学校にいる人間は生気がどんどんなくなってる訳」
「けっ……かい?」
オウム返しに、のび太が首を傾げ復唱する。
凛は頷きを返すと、そのまま“タイムテレビ”を指差した。
「そんなものを張った犯人は……もう見当がつくわ。“○×占い”を使うまでもない。のび太、今からわたしが言う場所の映像を、高速で時間を戻しながら映してちょうだい」
「は、はい」
のび太が指示通り“タイムテレビ”を操作する。
やがて画面に映し出されたのは、とある教室の一角。
そして映ってから一秒と経たずに、今度はその映像が物凄い勢いで時の流れを逆走し始めた。
早戻しなどという速度ではない。
スロットマシーンの高速回転並みであった。
昼夜の明暗の切り替えもほんの一瞬だけ、人の移動などまさに刹那の間。
映像は目まぐるしく一日、二日、三日と時間を遡ってゆく。
そうして映像の中で何日間か巻き戻された頃。
「ここ! のび太、止めて!」
「はっ、はい!」
じっと画面を見つめていた凛から指示が飛ぶ。
巻き戻しが止まり、映像の流れが通常に戻された。
操作するのび太を中心に、それぞれ食い入るように画面に集中する。
「……やっぱりね。ビンゴか」
場面は今より数日前の黄昏時。
そこに佇んでいたのは、ふたりの男女であった。
一人は先程、間桐邸の玄関先で見た間桐慎二。
そしてもうひとり、女の方はというと。
『ち、ここもか。ここまで念入りに基点を壊してくれちゃってまあ……腹が立つ。まあ、遠坂辺りだろうけど。修復しろ、ライダー』
『……はい』
足元まで届く紫の髪。
黒い刺激的な衣装。
女性にしては高い上背と、それに見合った女性らしい起伏のある体躯。
なにより異質なのが、両の目を覆う禍々しい眼帯。
極め付きはその身に纏う、常人とは隔絶した雰囲気。並の人間に放てるモノではなかった。
彼女こそが騎兵の英霊、ライダーのサーヴァントだと、この場の全員が理解した。
『―――他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)』
右手の人差し指を天に掲げた彼女が、言葉を発した。
その瞬間、空間がほんの一瞬、瞬きを見せ、次いでコンクリートの床の上に奇妙な紋様が浮かび上がった。
やがてそれは徐々に掻き消え、後には元のひっそりとした静寂のみが残る。
『終わりました』
『ここはこれで三回目か。まったく、余計な仕事を増やしてくれるよ遠坂は。それで、破壊されたのはこれで全部か?』
『はい。しかしこれで結界の完成にはさらに日数が必要になりました』
『……ふん。発動自体は可能なんだろ?』
『一応は。ただし効率は激減する上、時間もかかる事になりますが』
『まあ、今はそれで構わないさ。使う必要がないのならそれはそれでいいし、あくまでコイツは保険だ。さて、用は済んだしライダー、霊体に戻れ』
『はい』
唯々諾々と従う彼女。
やがて空気に溶け込むように、その姿が見えなくなった。
それを見届けると、慎二は踵を返し、教室から立ち去った。
「……後味が悪いものね。知人がこんな事してるのを見ると」
画面から目を離し、凛が慨嘆する。
「慎二……」
悲痛の滲んだ表情で、士郎が呆然とモニターに映る教室を見つめ続けている。
その横で、セイバーとアーチャーが顎に手をやっていた。
「あれが、ライダー。女性で、しかも眼帯……ふむ」
「ああも性質の悪い結界を仕掛けている以上、十中八九『反英雄』だろう」
「性質の悪い?」
のび太が首を捻る。
アーチャーはひとつ頷いてから説明を始めた。
曰く、ライダーが張った結界は『吸収型』の結界であるという事。
曰く、『吸収型』の結界は軌道したが最後、結界内のあらゆる生物を魔力に還元してしまうものであるという事。
曰く、凛達は数日前から結界の基点の一部を見つけてはこれを破壊し、結界の完成を妨害してきたという事。
「せ、生物を魔力にする? うーん、時間を進めたらどんなのか解るのかな?」
今ひとつ理解の及ばなかったのび太が実際の物を見てみようと“タイムテレビ”の計器に手を伸ばす。
だが、届く前にアーチャーの腕がそれを抑えた。
「止めておけ。君には刺激が強すぎる」
ゆっくりと首を横に振り、アーチャーが諌める。
併せて、凛が同意の首肯を見せた。
「夜中に魘されても知らないわよ。むしろ、それで済めば軽い方ね」
「へ?」
「皮膚がどろどろに爛れた人間が、死んだ魚のような目で苦しみの絶叫と呻き声を……それが校舎のあちこちで。未完成でもこれぐらいにはなるわ」
「いっ!?」
「挙句、数分後には学校内の全員が完全に溶かされて消化される。ちなみに完全な物だと人間が一瞬で血霞と化すわ。アンタ、そういうの平気?」
「い、いやややややや! 無理っ、無理だよそんなの!」
血の気の引いたのび太が、首をぶんぶん横に振る。
ホラー物・スプラッタ物に、彼はてんで耐性がない。見たところで、トラウマをひとつ重ねるだけだ。
あまりの必死さに、凛が苦笑した。
「じゃ、止めておきなさい。もう既にバクダン一個こさえちゃってるんだし。それから……これから先、過去はともかく、未来の事は見ないようにするわ」
「ん? どうしてだ、遠坂」
凛の発言の意図が解らず、士郎がつい尋ね返す。
あらゆる時間軸を見通す“タイムテレビ”ならば、未来を見る事などダイヤルを捻るだけで事足りる。
そして未来の情報は、間違いなくこちらを有利にしてくれる。
敵の情報はもとより、この戦争におけるターニングポイント、この先どのような危険が待ち構えているか、相手がどんな事を仕掛けてくるのか。
そういった、ありとあらゆるすべてが開帳される。
それは、常に相手より先んじるという事と同義。
しかし、凛はそれを敢えてしないと言い切った。
「前にも言ったかもしれないけど、未来は不定形……定まっていない。私見だけど、“タイムテレビ”は現時点で最も行きつく可能性の高い未来を映し出すモノなんでしょうね。未来を覗く事によって得られるアドバンテージは、たしかに計り知れない。でも、デメリットもある」
「デメリット?」
「そう。ひとつは『思い込み』による弊害よ」
「思い込み……?」
首肯と共に、凛がひとつ間を置いて続けた。
「たとえば“タイムテレビ”で見たある事。それが自分達に都合のいいものであって、その未来に沿うように動いたとする。けれど、仮に流れが“タイムテレビ”で見たものと僅かでも違っていた場合、たぶん混乱するでしょうね。ああじゃなかった、だの、こうだったはず、だの。下手すれば全部、おじゃんになるわ。未来に振り回される可能性があるのよ。未来の分岐点は、どこにあるのか誰にも解らない。予測なんてまず不可能。それならいっそ知らない方がいい」
「……ふむ」
「もうひとつ。もし自分達にとって最悪の未来……この中の誰かが死ぬとか、ね……そういった物を目にするかもしれない。その時、こうならないようになんとかしよう、って思えるならまだいい。でも、思えなかったら?」
「遠坂、それは……」
「先に心が折れたら、そこで終わり。たとえ身体が無事でもね。なにを成すにも、まずは意思よ。それがないのは“敗北”と同じ。特にそうなりそうな人間が、こっちにはいるしね」
「…………」
凛の言葉に、士郎はなにも言えなかった。
メリットの方にばかり目が行き、デメリットの方にはまったく考えが及んでいなかった事を思い知らされた。
未来を知るという事は、『未来の情報』という固定観念が入り込むという事。
それを上手く扱いこなせれば問題はないが、それが出来るかと言えば首を横に振らざるを得ない。
高いアドバンテージは、そちらのみに意識を引きずり込む。
ある意味では、メリットそのものがデメリットであるとも言えた。
「未来を知るのはいい事ばかりじゃない。むしろメリットが大きければ大きいほど、デメリットも増す」
「……ああ。反論の余地もない」
「それに、過去だけでもアドバンテージはある。過去は未来と違って既に固定されてるから、覆しようがない。そこから得られる情報だけでもこっちは断然有利に立てる」
「解った。のび太君も、セイバーも、アーチャーもそれでいいか」
「私は構いません」
「主の方針には従う」
「ぼくもいいです。よく解らないけど」
三者三様の同意。
ただし、のび太の発言だけには、士郎が困ったように頭を掻き、凛が大きく溜息を吐いていた。
そうしてひみつ道具による探索は続く。