「いいな、タイミングを合わせろ」
「はっ、はい!」
弓を引き絞る音が、ぎりぎりと静寂を掻き乱す。
番えられた矢が、今か今かと放たれる時を待っている。
その矢は先ほどまで放っていた物とは少々違っていた。
一言で言えば、武骨。
鉄製の杭をそのまま矢にしたような、どこまでも剥き出しといった印象を見る者に抱かせる。
その矢を射んとするは、弓の英霊ことアーチャー。
彼は待っていた。この矢を放つ、絶好の機を。
おそらく数回は必要。だが、それで確実に目的は達成される。
この矢と、彼の隣で滞空しつつ“空気砲”を構える、のび太の力を合わせれば。
弓兵の目が、きゅっと鋭く細められる。
狂乱の鉄火場に兆す、その一瞬を見出すために。
「うぉおおおっ!」
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
いまだ荒れ狂う爆炎から抜け出してきたバーサーカーを、セイバーが強襲する。
だがそれを予想していたかのように、バーサーカーは斧剣を振るい、突き出された剣を弾いた。
「ちっ!」
小柄さを生かし、セイバーはすぐさま体勢を整えると、バーサーカーを上回るスピードで再び仕掛ける。
しかし、バーサーカーは無理に反撃に出ようとせず、ほんの一歩だけ身を引くと、片足を軸に前方へ向かって猛烈な薙ぎ払いを放った。
決して覆す事の出来ないバーサーカーの優位性、あり得ないほどの質量差を生かした防御方法。
いかに力が増したセイバーとはいえ、これを貰えばひとたまりもない。
やむなく攻撃を中断し、セイバーはバーサーカーの間合いから離れて下段に構え、機を窺う。
そしてバーサーカーもまた、攻撃から防御優先に意識をシフトし始めた。
片手で斧剣を中段に構え、狂気を湛えた瞳でセイバーをじっと見据えている。
「…………」
「…………」
張りつめた糸のような緊張状態。
互いに力量が互角か、それ以上だと理解しているからこその、この睨み合いの状況。
――――そこにつけ入らない理由などなかった。
「――――疾ッ!」
「ドカァンッ!」
彼方から飛来する、矢と空気塊の二点バースト。
その二つの音速の弾丸は、前方に突き出されていたバーサーカーの斧の腹側に、見事に命中した。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
最初に矢が斧に食い込み、その一瞬後に矢の上から、超高密度の空気のハンマーが叩き付けられる。
絶妙のタイミングであった。
斧剣に二度の、否、二重の衝撃を受けたバーサーカーは堪らない。
得物を掴んでいた右腕が外側に大きく吹き飛ばされ、無防備な身体を思うさまセイバーに晒す格好となる。
「もらっ……、む!?」
その隙を逃すまいと踏み出しかけたセイバーだったが、バーサーカーの取った行動に動きを止められた。
バーサーカーは衝撃を受けた勢いそのまま、右足を軸にその場でぐるりと身体を回転させ、衝撃を逃がしつつ再度防御体勢を整えていた。
その動きは、今までのバーサーカーらしからぬものであった。
金剛力に物を言わせ、すべてを力任せに打ち砕く『剛』の戦い方ではない。
相手から受ける力をも利用し器用に、最適に立ち振る舞う『柔』の戦い方。
「……手強くなりましたね」
理性を失ってなお見せる、剛柔併せた戦の形。
乾く唇を舌で湿らせる、セイバーの唸りが風に溶けた。
「ふん、手強くなったな」
鷹の目のぎらつきが緩む。
アーチャーもまた、セイバーと同じく高次元の敵の挙動に舌を巻いていた。
しかし、その視線はまた、別の方向へも向けられていて。
「だが、おそらくあと一発か。いかな神秘の籠った頑強な代物といえど、鍔迫り合いで消耗していたのだろうな。好都合だ」
「あと一発?」
弓道における『射礼八節』の最後、“残心”。
矢を放ち終えた姿勢を崩さぬまま、鷹のような鋭い目でバーサーカーを見ていたアーチャーの呟きに、隣ののび太の首が傾く。
アーチャーの視線の先には、刀身の半ばに深々と矢の突き刺さった斧剣がある。
まるで楔のように突き立つそれ。“空気砲”の圧力に押され、岩で出来た斧剣の柄側刀身ど真ん中を、見事に貫通している。
「少年、君はバーサーカーの剣に、私の矢が突き刺さっているのは見えるか」
「えっ……と、あ、はい一応。月が出てるから、どうにか」
眼鏡の奥の目を細め、のび太が問いに答えた。
外灯も少なく、その分月明かりが冴え、かつ夜闇に目が慣れたおかげだろう。
それもあって、バーサーカーの斧剣を狙えた訳なのだが、のび太にはアーチャーの意図が未だに掴めないようであった。
「私の矢を楔、君の大砲を金槌と置き換えてみたまえ。それで解るはずだ」
「クサビ、とカナヅチ……? クサビ、ってなんですか?」
ずる、とアーチャーの片足が滑る。
慌てて電柱から落ちかける身体を立て直し、再び直立の体勢となると溜息を一つ。
「……そこからなのか。そういえばまだ小学生だったな」
「あ、あの、その、ごめんなさい」
「いや、謝られても困る。君を苛めているような気分になってしまう」
悄然と謝るのび太に対し、アーチャーはばつ悪そうに顔を顰めた。
小学生の物の知らなさをあげつらうなど、彼自身の性格からして決して許される事ではない。
たとえのび太があまりに無知で無学で無教養で学力レベルが残念という、動かしがたい純然たる事実があったとしてもだ。
しかしながら、のび太は決して察しの悪い方ではない。
「つまりだ、君はハンマーで私の置いた釘を岩の斧に突き立てた。そして、岩に切れ目を入れるにはもう一ヶ所……あとは解るな?」
「え~と……っ、ああ! そ、そういう事!」
膝を打たんばかりに納得の声を上げたのび太を見、アーチャーはふっと鼻を鳴らした。
「――――そ、そうか、そういう事か!」
「そういう事よ。まったく、察しが悪いわね」
「うぐ」
時を同じく、しかし場所を隔てて、のび太と同じような得心の声を上げた男が、女にダメ出しを喰らっていた。
「い、いや、流石に門外漢にヒントなしだと厳しいって……」
「そういうのを『節穴』って言うのよ。アナタ、本当に状況解ってる? 死んだ後でそんな言い訳したってどうしようもないのよ」
「…………」
安全圏を確認する傍ら、士郎は凛がふと漏らした『アーチャーの作戦』という言葉に興味を惹かれ、小声で凛に尋ねてみた。
すると。
『見てれば解るわ』
そっけもなくそう言われたので、じっと事態の推移を観察していたが、皆目解らなかったようでむむ、っとしかめっ面になるだけ。
察した凛が、呆れを堪えながら答えを開示すると、まさに目からウロコといったように声を上げたのであった。
そんな士郎へ対する凛の刺すような言葉は心底からのもので、士郎の心を鋭利な言葉の刃で容赦なく貫いていく。
「やっぱり……アンタ、へっぽこね」
「ぐはっ!」
それはもう、ぐさぐさと。
いっそ清々しいほどの、追い打ちからのメッタ刺し。
さながら某樽にナイフを次々突き刺していく、黒いヒゲのゲームの如くであった。
しかし、そんな軽いやり取りとは裏腹に、二人の目は一騎打ちに張り付いて離れない。
「――――」
「――――」
セイバーとバーサーカー。
打ち合いからそちら、互いに得物を構えたまま、ぴくりとも動かない。
否、動けないのだ。
現状、セイバーとバーサーカーの地力は諸々の要素を鑑み、まさに伯仲している。
そんな状況下で迂闊に仕掛けようものなら、仕掛けた自らの死を以て勝負の幕が下りてしまう。
だからこそ、互いに微動だにせず機先を制し合っているのだ。
そしてそれがゆえ、バーサーカーは彼方の狙撃手達(スナイパー)をどうする事も出来ないでいた。
そちらに意識を割いてしまえば、たちまち窮地に追いやられてしまう以上、捨て置く他に選択肢はない。
それに狙撃手達(スナイパー)の攻撃は、振るう斧剣の軌道を強制変更させ得るほどの精密性と威力を備えてこそいるものの、その頑健な肉体に傷を付けるには如何せん火力不足である。
攻撃を悉く妨害されるのは業腹だが、自らを脅かすリスクが相対するセイバーよりも低い。
ならば放置しておく方が無難である。
理性の判断でなく、本能で狂戦士は判じていた。
「――――ふんっ!」
機先を読んだか、セイバーがアスファルトの大地を蹴り、仕掛ける。
こと『読み』に関しては、Aランクの『直感』スキルを持つセイバーがバーサーカーよりも一歩抜きんでている。
研ぎ澄まされた第六感で先の先を取り、その鉛色の肉体を両断せんと不可視の剣を閃かせ、狂戦士へと迫る。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
当然、バーサーカーはそれを迎撃にかかる。
機先を取られたとはいえ、守勢を維持する事に重点を割いた以上、対応出来ない事などない。
すぐさま右手の斧剣を振り翳し、迫る刃を叩き潰しにかかる――――が。
「……これで詰み(チェック)だ」
「ドッカァン!」
またしても唸りを上げて襲い来る、二筋の流星。
バーサーカーは、そちらに迎撃も防御も行わなかった。
今、意識をそちらに移してしまえば、接近するセイバーに決定的なチャンスを与えてしまう事になる。
堅牢な肉体を頼みに凶弾の対処に移る事も可能といえば可能だが、セイバーの太刀を喰らってなお、肉体が傷を負わないという保証は既にどこにもなかった。
セイバーの力が上がっている事はこの場の誰もが認識している事。打ち合いのパワーにおいて、今やセイバーはバーサーカーと拮抗している。
下手をすれば、バーサーカーの上半身と下半身は一刀の下に泣き別れであった。
「グッドタイミング! これで!」
「いける!」
結果、徹甲弾の直撃の如き衝撃が斧剣を襲い、次いで鋭利な鉄の楔が圧縮空気の破城鎚で深々と打ち込まれる。
指を鳴らす凛と片手でガッツポーズをする士郎の視線の先には、柄よりやや上の細い刀身部分に二本の矢が見事に喰い込んだ、狂戦士の斧剣が。
そして彼方のアーチャーは『千里眼』で以てその様子を確認するや刹那の間も置かず、最後の仕上げに取り掛かった。
「――――弾けろ。『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』」
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
爆発。
バーサーカーの右手の斧から突如爆炎と閃光が迸り、一拍遅れてバーサーカーの足元でどずん、と重たげな音が響く。
アスファルトを砕き、深々と突き立ったそれは。
「……よし、成果は上々。武器破壊、完了だ」
根元からへし折られた、バーサーカーの斧剣であった。
敵の武器を破壊し、攻撃力を削ぐ。アーチャーの立てた作戦はそれに尽きた。
たしかにアーチャーの矢ではバーサーカーに傷を付けられない。
しかし、バーサーカーの持つ斧剣に関してだけはきっと違うと、攻防の最中、アーチャーは頭の隅で考えていた。
その仮定を基に作戦を練り、実行に移して見事に狙い通りの結果を実現させた。
ヒントとなったのは、のび太がバーサーカーの斧剣目掛けて放った“空気砲”の一撃。
バーサーカーの肉体は、あの超圧縮空気の圧力を受けて揺るぎもしなかった。
だが、斧に当てた時だけはあっさりと弾き飛ばされていた。しかも何度も。
この事実が示すもの、それはつまり。
「バーサーカーの肉体……おそらくなんらかのタネがある……は、ある一定の威力以下もしくは一度喰らった攻撃を無力化する。だが」
「だが?」
「あの岩の剣に関してだけは、それは適用されないという事だよ。少年」
無残に粉砕され、アスファルトの地面に亀裂を走らせている岩の刀身が、それが正解であると如実に物語っていた。
比類なき膂力を生かし、獲物である大岩の斧を振り回してセイバーと鎬を削っていたバーサーカーであったが、ここに来て唯一無二の武器を失ってしまった。
迎撃姿勢を矢と“空気砲”の衝撃で完全に崩され、しかも武器まで破壊されてしまっては、もはや堀のない裸城同然である。
決定的な好機が生まれた。
「――――ぁあああああっ!!」
セイバーの周囲が、突如陽炎のように揺らめき始める。
彼女の持つスキル、『魔力放出』。
ジェット推進機関のように、高圧縮した魔力を身体から放出する事で瞬間的かつ爆発的に、己が力を上昇させるこのスキル。
この瞬間を逃すまいと、セイバーは切り札の一枚を迷わず切った。
身体中で荒れ狂う魔力をブースターに、セイバーは一気に狂戦士へと間合いを詰める。
そして完全にバーサーカーの間合いを侵し切り、刃を鋼の肉体へと振り下ろそうとした、その瞬間。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
狂戦士が思わぬ行動に出る。
見ていた全員の目が、ぎょっと見開かれた。
「な、なななんだぁ!?」
「体当たり!? いえ、吶喊!」
「ち、詰めが甘かったか」
「まさか捨て身かよ! セイバー!」
死中に活とは、まさにこれ。
あろう事かバーサーカーは、役立たずと化した斧を即座に投げ捨て、全体重を乗せて前に踏み出した。
手に武器がなければ、己が身体を武器とするのみ。
危険を顧みず、両の手を握り鋼の拳へと変貌させ、セイバーの華奢な身体を砕かんとする。
バーサーカーは薄々とではあるが、気づいていた。
アーチャーとのび太のコンビが放っていた攻撃が、何を狙ってのものだったのかを。
距離的問題から、バーサーカーはアーチャー・のび太を捨て置いたが、しかし決して油断はしていなかった。
既に予兆はあった。
幾度目であったか、のび太に斧剣を逸らされた時、バーサーカーは躊躇いなく斧剣を掴む手とは逆の腕で反撃を行っていた。
武器を失った状況を予期しての動きが、そこにあった。やや酷ではあるが、アーチャーの失点と言わざるを得ない。
結果として、バーサーカーは一か八かのクロスカウンターを敢行した。
そして相手が攻撃に移るその一瞬こそが、カウンターが最も威力を発揮する瞬間なのである。
「くっ!」
セイバーが歯噛みする。
もう躱せない、捌けない、防げない。バーサーカーの拳は、空気を突き破る砲弾だ。
体勢は既に攻撃段階、防御や回避に切り替えられる余裕など残されていない。
そして今、まさにセイバーの側頭部にその凶悪なハンマーが叩き付けられんとして。
「……この、間に合ぇえええっ!」
――――びたり、と。
突如として、バーサーカーの動きが止まった。
「「「「……え?」」」」
四者それぞれの、呆けた声が木霊する。
「――――」
その場に、彫像のように釘付けとなったバーサーカー。意識があるのかどうかも、甚だ怪しい。
あの重油のように重苦しく、強烈な殺気が嘘のように鳴りを潜めていた。
しかし、それもほんの一瞬。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
一時停止を解いたようにバーサーカーが再び猛り、剛腕が元の速度で動き出す。
だが、既に形勢は逆転していた。
セイバーにとっては、その降って湧いたような刹那の間で十分だったのだ。
「――――かぁああああっ!」
瞬時に足の裏に魔力を圧縮、そして起爆。
体勢を低くしたセイバーは、猛烈な推進力でバーサーカーの剛腕を掻い潜った。
まさに紙一重。金糸のような彼女の髪が数本、闇にはらりと散る。
カウンターという技術は決まれば強いが、逆に不発に終わればその瞬間、致命的な隙が生まれてしまう、言わば諸刃の業。
ひりつくような拳圧の名残を全身で感じながら、彼女は踏み台よろしくバーサーカーの身体を駆け上っていく。
そして頭頂部。バーサーカーの頭の高さまで身体を浮かせたその時、セイバーの瞳がそれを捉えた。
バーサーカーの向こう側、距離にしておよそ百メートルは離れたその位置に。
「やはり、でしたか」
彼女の唇が半月状に吊り上がる。
視線の先にあった光景、それは。
「刹那の“早撃ち”。お見事です……ノビタ」
右腰のピストルを抜き放って滞空する、のび太の姿であった。
滝のような冷汗を流した顔は、緊張の糸が切れて気の抜けた表情となっている。
最初の読みの通り、威力は足りず。しかしほんの一瞬だけ、その効果は発揮された。
彼の右手に握られた“ショックガン”は、ここ一番で見事大仕事を果たしたのであった。
「これで――――仕留めるっ!」
そして一撃。
渾身の力と共に、セイバーの視えない剣が振るわれる。
狙い違わず、その一閃はバーサーカーの首元に吸い込まれ。
「せいっ!」
夥しい鮮血を散らして、その首を宙に刎ね飛ばした。
「お~お、ド派手なこって。あのバケモンを斬首刑かよ。ケケ、実質三人がかりとはいえ、やるじゃねぇか。けどま、あのバケモンがこれで終わりたぁ思えねぇけどな……あ? おいおい、あのクソガキ生首見て気絶しちまいやがったよ、クハハ! やっぱ根本はヘタレだね、あのガキは……ま、お子様には刺激の強すぎる光景だわなぁ、ヒヒヒヒ……!」
ケケケケケ。
心底面白がっていると言わんばかりの、けたけた嗤いが暗闇に響き渡る。
だが、それも束の間。
唐突にぴたりと嗤い声が止み、今度は幾分落ち着いた低い声へと変わる。
「……さて、締めが気になるが見物はここまでにしとくか。宿題は早めに片づける、ってね。とりあえず、今日はあのクソムシだな。放っとくとイロイロとメンドくせぇからなぁ、あのヤローは……ま、気分もイイし、ちゃっちゃと引導を渡しに行ってやるとしますかねぇ……ギャアッハハハッハハハハハッ!」
その哄笑、まさしく狂ったよう。
この戦争の闇はその在り様よろしく、文字通り闇に溶けるようにこの場から退場した。
――――漆黒の空の中天で、月が燦然と輝いていた。