月も雲間に閉ざされた夜の帳の中。
アスファルトの大地を舞台に繰り広げられていたのは、命を磨り減らすような死闘であった。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
「くっ……風圧が離れてるここまで来るってどんな怪力だ。セイバー、大丈夫か!?」
「シロウ、そのまま離れていてください! はあっ!」
「ちっ、手持ちの宝石はこれだけか。急いでたとはいえ、もったいぶるべきじゃなかったわね……って、アーチャー! 弾幕薄いわよ、なにやってんの!?」
「凛、その言い方は……いや、了解だ。しかしだな、まったくと言っていいほど通用せぬ弾幕に果たして意味があるのかどうか。目眩まし程度にはなるやもしれんが……さて」
青と銀の色を纏った騎士が不可視の剣を振るい、その場所から遠く離れた位置に陣取った紅の弓兵が、文字通りの矢継ぎ早に鏃の弾幕を浴びせる。
しかし、ソレは己が身に降りかかるそれらの脅威にいささかも揺らぎを見せる事なく、ただただ死の猛威を振り撒いていく。
振り回されるは岩の剣、しかしただの岩の剣ではない。
二メートル以上は確実にあると思われる、鋸のようにささくれ立った刃をした片刃の斧剣。
それを棒切れのように容易く振り回し、士郎やセイバー、凛、アーチャーの命を刈り取ろうと迫り来る。
死を振りまく斧剣の担い手は鉛色の巨人。
三メートル近くはあろうかという上背、異常なほどに発達した筋肉に鎧われた体躯。
なにより特徴的なのが、まるで知性というものを感じさせない、輝きを失った両の目だ。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
言葉にすらならぬ、獣のような咆哮が大気を揺るがす。
クラスは『狂戦士』。
人呼んで、サーヴァント・バーサーカー。
「―――ふふふっ……無駄よ。わたしのバーサーカーには誰も勝てない。そして、ここにいる誰一人として逃がさない」
その怪物を使役するは、雪の精を思わせる十歳前後の可憐な少女。
腰まで伸びた純白の髪と、ルビーのような紅い瞳をした、歪なまでに純粋な意思を持つマスター。
名を、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
この互いに正反対の主従が齎す、苛烈な死の気配に“四人”は晒されていた。
「……しかし、こう言っちゃなんだけど――――のび太君が逃げ出してくれていて助かったな」
「そうね。あの子がいたところで足手まといにしかならなかったし、他を気にしなくてよくなっただけ、セイバーもアーチャーも戦闘に集中出来る。もう一つ言うなら衛宮君、ついでにアナタにも逃げ出してほしかったんだけどね」
「それは無理だ。俺はセイバーのマスターだからな」
話は少し前に遡る。
「――――ねえ、お話は終わり?」
あの教会からの帰り道。
突然、女の子特有の柔らかく、高い声が聞こえてきたかと思うといきなりソレは現れた。
天にも届けと言わんばかりの巨躯を誇る、鉛色の怪物を引き連れた白の少女。
「はじめまして、リン。わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えばわかるでしょ?」
「アインツベルン……御三家の!」
「あ、あわわわ、あああ、あわ、あぁあ……!?」
「お、おいのび太君、大丈夫か!?」
スカートの裾を持ち上げ、淑女のように一礼して少女は名乗る。
そして自己紹介を終えると、すっと居住まいを正して。
「――――じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー!」
まるで目についた羽虫をいじるかのような無邪気さで、士郎達の殺害を巨人に命じたのだった。
「う……う、うわああああぁぁぁぁっ!!??」
その途端、のび太は脱兎の如く駆け出した。
バーサーカーとは正反対の方向、衛宮邸へと続く道筋へと。
その青白く染まった幼い顔に、色濃い恐怖の感情を貼り付けて。
短時間ながらもむせるような『死の気配』に晒された結果、のび太の精神はパニックを通り越して恐慌状態に陥ってしまったのだった。
士郎達は引き留める事も、追う事もせず、ただそのまま彼を行かせた。
あの怪物ならば子供が恐怖に駆られて逃げ出したくなるのはごく当然の事、逃げ出す事で少しでも危険から遠ざかれるのならそれでいいと判断した。
来た道を逆に辿っていけば衛宮邸まで真っ直ぐ帰れる。なにより殺し合いの現場に魔術師でもない、ただの小学生の子供を留めておく訳にもいかなかった。
「――――はっ!」
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
そうして、そのまま戦闘へと突入した。
セイバーが苛烈な踏み込みでバーサーカーへと一足で肉薄。得物を振るい白兵戦を仕掛ける。
アーチャーはその場から即座に離脱、やや離れた位置から弓による援護射撃を開始した。
始まってはや数分、既に切り結んだ回数は数十合、浴びせた鏃も三桁に届く。
だが、それでもなお、巨人の力は衰えを見せない。
不可視の刃がその身に触れようとも、目にも止まらぬ速度で飛来する鏃に晒されようとも、その悉くを肉体が弾き飛ばしている。
いまだ傷一つとして負わぬ、比類なき耐久力を誇る強靭なボディ。
巨大な岩の塊を振り回す膂力もさる事ながら、なによりもそれが四人をして苦戦を強いらせていた。
「くぅ、セイバーがここまで手こずるとはね。攻撃が通じない上にあんなナタのお化けみたいなの振り回されたら、不用意に踏み込めない!」
ぎゅっと唇を噛む凛。状況は、決定打なしの千日手に陥ってしまっていた。
アーチャーの矢は堅牢なボディに無効化され、セイバーは狂ったように振るわれる岩の剣に斬撃を悉く弾かれ幾度もたたらを踏む。
凛も手持ちの宝石で魔術を行使し、窮鼠の一撃とばかりにバーサーカーを狙うが、それもやはり無駄に終わった。
一流と呼んで差し支えない凛でもこの体たらく。へっぽこ魔術使いの士郎に至っては何一つ出来ず、苦虫を噛んだように顔を歪めるだけでお話にもならなかった。
決め手に欠ける均衡状態が続いているが、どちらが優勢かは火を見るよりも明らかだ。
果物ナイフとチェーンソーのぶつかり合いに近い。
どちらが先に砕けるかは自明の理、早く勝負をつけなくては四人揃って物言わぬ屍と化す。
士郎と凛の中に、焦りが兆し始めていた。
「――――凛、少し離れていろ。一発でかいのをいくぞ」
「え!? く、セイバー! すぐにここから離れて! それから士郎、対ショック!」
アーチャーからの念話が凛に届き、凛はすぐさま騎士へ指示を出し、同時に隣の士郎の襟首を引っ掴む。
セイバーはその直感で即座に状況を理解し後退、士郎は訝しむ暇もなく凛に引きずられ、反射的に身を竦める。
その瞬間、風切り音が彼らの頭上で唸ったかと思うとバーサーカーが突如爆発を起こした。
「ぐうっ!?」
「うぅっ!」
撒き散らされる衝撃波と閃光、腕で身体を庇いながら士郎と凛はそれをやり過ごす。
「む……っ!」
セイバーは目を細くし、不可視の剣を眼前にかざして爆風への盾とする。
膝立ちすれすれの姿勢で圧力を堪える、その華奢な姿はやはり年相応の少女のそれ。
しかし、その凄烈な意志を宿す眼差しだけは唯一、少女としての一線を画している。
「――――ちっ、どこまでタフだこいつは。呆れて物も言えん」
そこへ、不意に無情の一報が届く。
ラインを通して主に伝えられたのは、従者たる弓兵の舌打ちであった。
「……え?」
凛が僅かに首を傾げたが、爆発で生じた煙が晴れるとその意味が実感を伴って理解出来たようだ。
秀麗な眉根を寄せながら吐き捨てるように毒づいた。
「――――ホント、どこまでタフなのかしら」
「……冗談だろ、あれで無傷!?」
「流石に……これは」
四人の目に映ったモノ。
それは擦過傷一つ負っていない、威風堂々と爆心地に佇むバーサーカーの姿だった。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
己が健在ぶりを示すかのように、虚空に向かって思うさま雄叫びを上げる鉛色の巨人。
セイバーの呟き通り、まさに悪夢のような光景だろう。
先程放たれたアーチャーの矢の威力は、今までバーサーカーに向けて放たれたどの攻撃より強力だった。
しかし、バーサーカーはそれにすら全く堪えた様子を見せず、むしろ怒りによって闘志が増しているときた。
必殺の一矢が、ただバーサーカーの怒りを買っただけの結果に終わったなどと、誰だって信じたくはないだろう。
「フフフ……惜しかったわねリン。中々の威力だったけど、私のバーサーカーに傷をつけるにはまだ力が足りない。バーサーカー、ここからは遠慮はなしよ。徹底的に……潰しなさい」
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
朗らかに告げるマスターの指令に、咆哮で応じるバーサーカー。
岩の斧を振り上げ、先程まで対峙していたセイバーへと凄まじい速度で吶喊する。
「くっ!」
標的とされたセイバーは、素早く剣を構えて迎撃する。
しかし、結果は先程のリプレイとは異なるものであった。
「ああっ!」
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
二合、三合、四合、五合と火花を散らして切り結ぶうち、セイバーの体がたたらを踏むどころか右に左にと、嵐に揉まれる帆船のように大きく揺さぶられる。
剣の技量では、セイバーが明らかに上。
だが、バーサーカーはそれをも上回る金剛力で以て力任せにその優位性をひっくり返し、逆にセイバーを圧倒している。
そしてもう一つ、バーサーカーがセイバーを圧倒たらしめている要素があった。
「くそっ、セイバーが圧されてる! さっきは互角だったのに!」
「当然よ、お兄ちゃん。技はともかく、体格が違いすぎるもの。むしろ本気になったバーサーカーが相手でよくここまで保ってるわね」
それは、天と地ほども開いた“質量差”。
セイバーは身長百五十四センチ、体重四十二キロとごくごく平均的な思春期の少女のそれ。
対するバーサーカーは、なんと身長二百五十三センチ、体重三百十一キロという、通常ではありえない巨漢である。
身長はセイバーの約一・六五倍、体重は実にセイバーの約八倍という目を疑いたくなるような開きがあるのだ。
物理の法則上、質量の小さいものと大きいものがぶつかり合えば後者が前者に打ち勝つ。
軽トラックと十トントラックが正面衝突すれば、軽トラックは原形を留める事なく、ぐしゃぐしゃにひしゃげてしまう。
この場合、どちらが軽トラックなのかは、言うまでもない。
むしろ純粋な技量のみで絶望的なまでの質量差を凌いでいる、セイバーの剣技こそ神掛かっていると言わざるを得ない。
険しく表情の歪む士郎とは対照的に、イリヤスフィールの微笑はいささかの揺らぎも見せない。
「くっ! アーチャー、援護!」
「無理だ。ここまで抜き差しならぬ状況では、生半可な援護など、セイバーの邪魔にしかならん。逆にバーサーカーの戦意を煽るだけだ」
いっそ冷徹なまでのアーチャーの断言。凛の眉根が皺を刻む。
マスター二人とサーヴァント一体が何も出来ぬまま、騎士と狂戦士による一対一の剣戟が月光の射さぬ宵闇の中、ただ延々と繰り広げられる。
そして、遂に終幕が訪れた。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
「があっ!?」
腰の乗った、猛烈なバーサーカーの横薙ぎに、剣で受けたセイバーの身体がゴムまりのように弾き飛ばされた。
どっ、と地面に強かに叩きつけられ、一瞬セイバーの息が止まる。
咄嗟に受身を取ったおかげで、目立った外傷こそないものの、体勢が完全に崩れてしまった。致命的である。
バーサーカーは当然、その決定的な隙を見逃さない。
戦術眼などといった大層なものではなく、理性を奪われ狂わされてもなお……否、だからこそ残存する……ただただ闘争に身を置く者の『本能』に従って。
「がはっ! く、はっ、はっ、はっ……!」
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
みるみる接近するバーサーカー。
セイバーの呼吸は、まだ乱れたまま。体勢を立て直す暇もなく、よろめきながら相手を見据えるのが精々だ。
目に宿る鋭い光こそそのまま、しかし状況は絶望的。
セイバーの顔が悲壮に歪む。
それでも剣を握る手に力を籠め、絶望へと文字通り刃向おうと乱れた息のまま、構えを取る。
「か、はぁ……ぁあ!」
「セイバー!」
「アーチャー、構わないから弾幕を……!」
「終わりね」
四者四様の言葉と共に、バーサーカーの斧剣がセイバー目掛け振り下ろされる。
その、一瞬だった。
――――ドッカーンッ!!
そんな間の抜けた声が宵闇を貫き、直後、バーサーカーが横殴りに吹っ飛ばされていた。
「――――は?」
「え」
「うそ!?」
「な、なにこれ!?」
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
バーサーカーは突進の勢いをそのまま保ち、セイバーの脇に逸れると民家の壁へと頭から突っ込んだ。
ブロック塀がガラガラと崩れ落ち、巨体は粉々に砕けたコンクリート片に埋れていく。
一同、異様な事態に思考が追いつかない。
セイバーの斬撃を受けても、アーチャーのあの矢を喰らってもびくともしなかった怪物が、何をされたかどこかのギャグマンガのように壁に突っ込むなど、ここにいる誰もが想像だに出来なかった。
「――――ふぅっ。ま、間に合ったぁああっ……」
ふと、道の向こう側から声変わり前の、それでいてどこか気の抜けた声が響く。
先ほど轟いた声質と同じ。この場にいる全員の視線が、ばっと一斉にそこへ突き刺さる。
そして一同が、刹那のずれもなく揃って驚愕に目を剥いた。
「な……なんで君が、ここに……!?」
「あ、その……士郎さん達がやっぱり心配で……戻ってきちゃいました」
小柄な体躯と、幾分気の弱そうなその声。
「きちゃいました……ってアンタ、バカなの!? 下手したら死ぬかもしれないのよ!? アンタはあのまま逃げてればよかったの!」
「は、はい。でも、ぼくは……」
黄色の上着に紺の半ズボン、水色のスニーカーを履き丸い眼鏡を掛けた、その小柄な出で立ち。
「――――なぜ? どうして、戻ってきたのですか。貴方は……恐怖に駆られて逃げ出した。それでよかったのです。私達は貴方を肯定こそすれ、責めたりはしない。しかし……怖くは、ないのですか」
「……正直、怖いよ。それに死んじゃったら元の世界に帰れないし、今も足が震えてる……でも、嫌だったんだよ。セイバー」
「嫌、とは……?」
「まったく関係のないぼくなんかを、助けるって言ってくれた。そんな人達を……怖いからって、見捨てて逃げるのが。だから」
身体のあちこちに擦り傷を作り、足は痙攣したかのように細かくビートを刻み、眼鏡の奥の瞳には恐怖の影が見え隠れしている。
しかし、それ以上のたしかな“ナニカ”が、その少年の小さな身体から揺らめいているのを、この場にいる全員が感じ取っていた。
それは絶望的な逆境に立ち向かう事の出来る、この弱者が唯一つだけ持つ絶対なる武器。
「アナタは、たしか最初に逃げちゃった子よね? この後追いかけて殺すつもりだったから、手間が省けてよかったわ。なんで戻ってきたかはよく解らないけど……最期に名前くらいは聞いてあげる。アナタのお名前は?」
「ぼくは……ぼっ、ぼくは!」
見た目同い年の白の少女が発する、言いようのない圧迫感にたじろぎながらも、少年はきっ、と眼差し鋭く彼女と目を合わせる。
前方に突き出された左手には、銀に輝く丸い筒。
頭には、小さい竹とんぼのようなプロペラ。
左の腰には、鞘に収まった日本刀が一振り。
右のホルスターには、細身のピストルと思わしき物が一丁。
そして、眼鏡の奥の双眸に宿るは――――恐怖を塗り潰すほどに迸る“勇気”。
「―――通りすがりの、正義の味方っ! 野比、のび太だ!!」
少年――――野比のび太は、高らかに名乗りを上げる。
恐怖を乗り越え、迷いを振り切って。
今ここに、のび太は聖杯戦争へと、真の意味で一歩、足を踏み入れた。
――――雲間から、月が頭をもたげた。