詩露がアサシンと呼んだヘラクレスは、片腕を失いながらも残った腕でユスティーツァをしっかり抱え、黒いセイバーが倒れている場所まで飛び退った。
アーチャー……いや、アサシンとして呼び出された彼に”十二の試練”は宝具として備わっていないのか、体のあちこちに刀傷と夥しい量の血が見て取れるが、先程の動きからは今だ彼が侮りがたい存在だということを匂わせている。
だというのに、
「こちらの負けだ。 投降するのでマスターの命だけでも保障して欲しい」
と云って、足元に転がっていた弓を足で蹴ってこちらに寄越した。
『剣製少女/固有結界 第四話 4-3』
「いいわ。 その代わりユツティーツァに令呪で……」
「やーだよー♪ 手前等はここでくたばれっ!」
そう叫んだ詩露の身体から大小様々な大きさと形の金属片が、わたしのコートを切り裂いて腕と云わず脚といわず、あらゆる場所から突き出した。
その欠片一つ一つが秘めた神秘は破格。 総量を考えれば人間一人が抱えるには明らかに異常な魔力量だ。
わたしは一瞬、そのあまりの魔力量に呆気に取られてしまったけど、詩露がその魔力を放つ前になんとか足をかけてひっくり返すことができた。
「いった~い!」
「あ、ご、ごめん」
咄嗟のことだったから手加減なしに転ばせてしまった所為か、詩露は受身も取れずまともに頭を打って後頭部を押さえながらのた打ち回っている。
まぁお陰で詩露の身体から出ていた金属片も引っ込んだけど、あれだけの魔力を放たれていたら、いくら魔術で強化しているとしてもこんな城の外壁ぐらい簡単に打ち抜いてしまうだろうし、ユスティーツァがどれだけ優れた魔術師だろうと、彼女のサーヴァントが優秀だろうとただでは済まなかったろう。
「とにかく、これ以上の戦闘は師匠として、冬木の管理者としても認められないわ。
アンタも大人しく従いなさい」
「知ったこっちゃねーな。
俺は俺の好きな様にさせてもらうぜっ!」
胡坐を掻き、わたしを指差しながら下から見上げてくる詩露。
その様はどこのチンピラだ! と久々に制裁したくなったけど、今のこの子は普通じゃない。 できれば穏便に──
「貧乳ヒス女は黙ってろ」
済ませるつもりはなくなった! えぇ、上等じゃない!
このわたしにそんな口を聞いてタダで済むと思ってるのか、コンチキショーッ!!
「ふふふ、なんですって?」
「あぁ~ん? 耳まで遠くなったか? それとも貧相なのは胸だけじゃなくって、お頭も……」
「わたしの云う事を聞かないなんて”裏切る”気?」
「ぐふっ!」
詩露の言葉を遮るように云ったわたしの言葉に、突然口元を押さえて吐き気を堪える詩露。
身体は小刻みに震え、大きな目を更に大きく見開いて涙が溢れてはいたけど、この呪いはわたしの意志で止めることはできない。 詩露自身が自分の意思で、わたしの言葉に従わなくてはいけないのだから。
それにしても、久々に例の呪い(つわり)を使ったけど容姿が変貌した今の詩露にもちゃんと利いてくれて良かったわ。
「凛……気持ち悪いよ。 止めてよぉ~」
「うっ!」
涙目でわたしに弱々しく訴えてくる詩露。
見た目が変わっているとは云っても、呪いの所為かその姿を直視するのが辛くなって目を逸らす。 なのに嗚咽を堪えながら小さくすすり泣く声が否応なくわたしの罪悪感を掻き立てるけど、ここは我慢だ。
「ア、アンタがわたしの云う事聞かないのがいけないんでしょ! いいから云う事聞きなさい!」
「やだぁ~……。 アイツ等やっつけるのぉ~」
「じゃあそのまま我慢なさい」
わたしは咄嗟に意識を魔術師としてのものに切り替える。
今のわたしは人間ではなくただの機関。 肉体的にも精神的にもただ魔術を成す為の道具。 そうすることで全ての感情を殺し目的のみを成し遂げる機関とする。
こうしておけば、詩露の呪いに影響されることもあまりない。
「凛~……」
「…………」
わたしの雰囲気が変わったことに気が付いていないのか、詩露はわたしを潤んだ目で何かを期待するように見上げるが、今のわたしはそんな詩露の眼差しにも揺るぐ事はない。
何しろ今のわたしは人間性なんて持ち合わせていない、ただの機関(システム)なのだから。
「ちっ」
……って、ちょっと。 今舌打ちしたわよ、この娘。
「わぁーった。 降参。 ヤらねぇよ」
吐き気に顔を歪めながらも捲くし立てるようにそれだけを一気に云うと、吐き気が治まったのか溜息のように息をついて何事もなかったかのように起き上がった。
「ったく、痛みとか苦痛には慣れてんだけど、吐き気っつーのは慣れてないんだよな」
起き上がりながら服についた埃を叩き愚痴る詩露。
その言葉がどういう意味かはわからないけど、こんな時でもニヤニヤと薄笑いを浮かべたままというのは普段の彼女からは考えられない。
この子の身に何があったのかは気になるけど、今は目の前の事態に対処しないと。
「ユスティーツァ、停戦してあげるから令呪でサーヴァントに危害を加えないよう命じなさい」
ヘラクレスに抱きついたまま、震えは止まったものの蒼い顔でこちらのやり取りを見守っていたユスティーツァは、わたしの言葉に小さく頷くと手近にいたホムンクルスを二体呼び寄せ
「遠坂の系譜に危害を加える事を禁じる」
と小さく呟いた。
わたしはてっきり、イリヤがそうだったようにユスティーツァの令呪も全身にあるのかと思っていたんだけど、彼女が命じた瞬間傍らに控えていたホムンクルスの全身に赤い令呪と思しき文様が浮かび上がった。
なるほど、確かアインツベルンの令呪は大聖杯から与えられたものではなく、人工的に作られた物って話しだったから、魔術回路を操れるこの子は令呪も同様に扱える。 なら、わざわざ自身に令呪を刻む必要がないってことか。
そんな事を考えつつ詩露の様子を窺うと、吐き気は治まっていても違和感を感じているのか、しきりにお腹を擦っていた。
「まだ気持ち悪い?」
「あぁ、死にそう」
わたしの気遣いに嫌味で返す詩露。
「やれやれ、それだけ憎まれ口が叩ければ心配いらないようね」
云われっぱなしは性に合わない。 そう思って切り返したわたしに詩露は舌を出して顔を顰めて見せた。 ……いや、そんなことしても可愛いだけだから。
その後、わたし達が到着するまでの詳しい経緯を話すためアインツベルンのサロンへと案内しようとしたユスティーツァだったけど、流石に敵地でお茶なんか出されても安心して飲む事ができない、という理由で場所を衛宮邸へと移すことになった。
もちろん、捕虜扱いのユスティーツァにはサーヴァントもホムンクルスも置いて、一人で来てもらったけど。
「お帰りなさい、みなさ……ん? あの、姉さん。 この詩露ちゃんっぽいけど、やんちゃそうなお子様は?」
「ただいま、桜。 肉体は詩露だけど、中身はアンリマユよ。 ……本人に云わせればね」
そう、帰りの車中で問いただした所、肉体は詩露本人だが現在の人格は詩露ではなくアンリマユだということだった。
まぁ、それをそのまま鵜呑みにするつもりはなかったけど、詳しい経緯を確かめようと思っても、「家に着いたら話す」とはぐらかされてしまったので、真偽は明らかになっていない。
まぁ、桜だけ除け者にするのも可哀想だし、どうせ話をするんだったら全員集まっている場所のほうが都合もいいからそれは別に構わなかったけど。
「早速で悪いんだけど、お茶淹れてくれる? たぶん話が長引くと思うから」
「あ、はい!」
そういうと桜は慌てて台所へと駆けて行った。
「それで、アンタがアンリマユってどういうこと?
詩露は無事なの?」
全員が居間に集まり、それぞれ桜の淹れてくれた紅茶で一息ついたところで、わたしが代表して詩露(アンリマユ)に質問した。
ユスティーツァは今の詩露に怯えているのか、故郷に居る時は何時ものことなのかイリヤの腕にしがみ付いるし、イリヤもそんな彼女を安心されるつもりなのか、手に手を重ねて優しく微笑んでいる。
そして、アインツベルンの城では終始静かだったサーヴァント達は普段通りを装ってはいても詩露を囲むように座り、何故かかなりピリピリとした雰囲気を必死に隠しているようだ。
特にセイバーはテーブルに着く事もなく詩露の背後で正座をして静かに詩露の背中を見据えている。
その様はまるで敵と対峙しているかのようで、アンリマユが不審な動きを見せたら切りかかるんじゃないかとわたしを不安にさせる。
「どうもこうも、そのままの意味だろ。
コイツ(詩露)が無事かどうかは見たまんま、怪我一つしてないぜ」
わたしのビリビリに切り裂かれたコートから、普段は嫌がって着たがらないようなフリフリのワンピースを着たアンリマユが、だらしなく足を投げ出し片手を後ろについて、残った手を胸に当てながらどうでもよさそうに答えた。
「また気持ち悪くなりたいの?」
「そいつは勘弁してほしいな」
「なら、はぐらかさず質問に答えなさい。 なんで今さら”アンリマユ”が出てくるのよ」
「ならヒントだ。 コイツの魔術特性はな~んだ?」
わたしの険しい視線も何処吹く風。 飄々とした態度を崩すことなく、短くなってしまった髪の毛先を弄りながらクイズのようなことを言い出すアンリマユ。
「まどろっこしいのは結構よ。 ちゃんと説明しなさい」
最後通牒のつもりで怒気を込めて発したわたしの言葉につまらなそうに肩を竦めたアンリマユは、紅茶を一気に呷ってから話し始めた。
「結論から云えば、コイツが俺に汚染されてるからだ」
「汚染? 泥のことを云ってるの? でもそれだったら”全て遠き理想郷”で取り除かれてるんじゃないの?」
「それじゃ辻褄が合わねぇだろうが」
わたしの言葉に口の端を持ち上げて、馬鹿にしたように笑うアンリマユ。
それにしても、一々イラつかせる子ね。 本当に詩露と正反対じゃない。
「だから、それを説明しろって云ってるのよ」
「そうだな、じゃあ順を追って説明してやるから、報酬としてHなことでもせてもらおうか」
そういって、いやらしく笑うアンリマユだったけど、
「アンタ……女の子の身体じゃない」
「はっ!? しまったーっ! 俺のオスとしてのアイデンティティーがぁあーっ!」
わたしの言葉に焦ったように股間を押さえた次の瞬間、頭を抱えてゴロゴロと転がりだすアンリマユ。
アホだ……。 方向性は違うけど、この子も詩露同様……いや、詩露以上にアホの子だわ。
「ちぃっ! 仕方ねぇ! ならその貧相な乳でも揉み……」
「誰が貧相かぁーっ!」
「いてぇーっ!」
わたしの渾身の拳で頭を殴られ涙目になっているアンリマユ。
学習能力ってものがないのかしら、この子。
「あーもー話しが進まないじゃない! 余計なことごちゃごちゃ云わず、ちゃんと説明しなさい!」
「ちっ、全くだから胸が……」
「何かしら?」
「な、なんでもないで~す♪」
全てを云い終わる前に見せ付けた拳に怯んだアンリマユは、態度を一変させて胸の前で手を組んで可愛らしく微笑んだ。
そうそう、最初からそういう従順な態度でいれば痛い目に合わずに済むのよ。
「まぁ、お前等なら知ってると思うけど、コイツは”無”に取り憑かれている。
そして、その”無”こそが俺、”アンリマユ”ってことなんだよ」
「ちょ、ちょっと待った! なんでアンタが”その事”を知ってるのよ!?」
わたしはアンリマユの云ったことに慌てた。 何しろ、今この子が云った事はキャスターが詩露を眠らせている間に知ったことなのだから、詩露の体にいる筈のアンリマユが知る術はない筈。
そう思っていたのに、
「寝てる間はコイツの支配力が落ちるからな。 ”固有結界”を発動しないと肉体までは乗っ取れねぇけど、意識ぐらいはあるんだぜ。
例えば夜中、お前等が何してるかとかな」
それを聴いた瞬間、アーチャー、ランサー、ユスティーツァを覗いた全員が詩露から目を逸らした。
それは取りも直さず、目を逸らした全員が後ろめたいことがあるということなんだけど、それを見たランサーは声を殺して笑い、アーチャーは情けなさそうに顔を覆いながら溜息をつき、よくわかっていないユスティーツァはイリヤの顔を覗き込んでいる。
「あぁー……でもなんだ、それなら私の時も気が付いていなかっただけで、お前が意識を乗っ取っていたことがあったのか?」
「ば~か。 お前には”綺礼から受けた泥”がねぇだろうが。 俺がコイツの身体を操れてるのは、お前より多く泥に汚染され、尚且つ”固有結界”を発動しているからだよ」
確かに同じように”無”に取り憑かれていた筈のアーチャーにとってその疑問は当然だろうけど、”綺礼から受けた泥”だけでそこまでの違いが出るのかしら?
しかも、身体を操れるのが”固有結界”の発動と関係しているっていうのはどういうこと?
わたしには二つの関連性が全く見えてこなかった。