「――I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)」
「魔力もないのに何をするつもり?」
アーチャーとセイバーに挟まれたシロが、突然呪文を紡ぎ始める。
この状況をなんとかできると思っているのか、自暴自棄になっているのか、寝ている間に確認した時より更に魔力を失っているシロに声を掛けるが、彼女は諦める気がないようだ。 なら悪あがきとは云え、シロが納得するまで好きにさせてあげる事にしよう。
「――Steel is my body,(血潮は鉄で) and fire is my(心は硝子) blood
─―I have created over a(幾たびの戦場を越えて不敗) thousand blades.
Unaware of loss.(ただの一度の敗走もなく、)
Nor aware of gain(ただの一度の勝利もなし)」
これだけ長い詠唱だというのに外界にはなんの影響も無い。
やっぱり魔力が足りないのか、発動しそうもない呪文を唱え続けるシロ。
その内、彼女の長い髪が毛先の方から色褪せていき徐々に頭頂部へ向かっていくが、リボンで縛っている場所まで色褪せた所で自然と髪が千切れ、白くなった髪が絨毯の上に散らばる。 その様はシロの周囲だけ雪が降ったかのようで美しくはあったけど……
(綺麗な髪だったのに勿体無い)
「――Withstood pain to create(担い手はここに孤り。) weapons.
waiting for one's(剣の丘で鉄を鍛つ) arrival
――I have no(ならば、)regrets.This is the(わが生涯に意味は不要ず) only path
――My whole life was(この体は、)”unlimited blade works”(無限の剣で出来ていた)」
『剣製少女/固有結界 第四話 4-2』
(幻術……いえ、まさか”固有結界”!? そんなわけ──)
シロの呪文が完成した瞬間、一筋の炎が走ったかと思うと燃えるような夕焼けの中、荒涼とした大地に無数の剣が墓標のように突き刺さった世界へと、周囲の情景が一変した。
ところが、驚愕している私を他所にその情景は現れた時と同じように、一瞬にして元に戻ってしまう。
さっきまでの赤一色の世界から、装飾が施された荘厳なアインツベルンの玄関ホールに戻った景色を見回しながら、シロの使った魔術は結局不発に終わったんだろうと結論付ける。
(ま、頑張った方かな?)
お姉さまからシロには魔術の才能がないと聞かされていたけど、一瞬にしてあれだけの範囲に精巧な幻を作り出したんだ。 ”半人前”と云われている彼女にしては頑張った方だろう。 なんのつもりだったかは、わからないけど。
そう思ってシロを見下ろすと、元に戻った景色とは裏腹に今度は彼女自身が一変していた。
「くくくっ……はは、あはははは───っ!
遂にやりやがったっ! 信じらんねー! すげーバカッ! 俺の努力を悉く無駄にしやがるっ!! ちょ~ムカツクゥーっ!」
狂ったように笑い、罵詈雑言を楽しげに叫ぶシロ。
あまりの豹変ぶりに彼女の正気を疑ってしまうが、それを確かめる間もなくシロの容姿が変貌していく。
日本人にしては白く触り心地の良かった肌と茜色の髪は黒く変色していき、肌の上を這いずるヘビのような黒い染みが服から覗いている肌全てを覆って文様のようなものを描いていた。
「しかもこんな絶体絶命の場面って在り得ねぇ!
厄介事だけ押し付けて自分はグースカ居眠りとか、何様だよ!」
「ア……アナタ何?」
わたし達を完全に無視して、誰に向けているんだかわからない文句を笑いながら叫び続けるシロ……だったモノ。
でも、あれはシロじゃない。 だって内包している魔力量が今まで感じたこともないほど高まっているし、この云い様の無い嫌悪感はシロには感じ無かったものなんだから。
「おいおい、お前がそれを聞くのか? あぁ? アインツベルンのお嬢さん」
それまで一人大騒ぎしていたモノが、わたしの問いかけに片目だけを大きく見開いて、わたしの事を嘲笑しながら逆に問いかけてくる。
何故かはわからないけど、今のシロは見ているだけで嫌悪感が募ってきて、滅茶苦茶にしたい衝動に駆られた。
「そうよ、わたしが聞いているのだから答えなさい」
沸き上がる嫌悪感を抑える事もせず鼻筋に皺を刻みながら命令するが、気にした様子も見せずにケラケラと軽薄に笑うシロ。
「聞いて驚け! 俺様の名前は”怨天大聖アンリマユ”! 世界一の嫌われ者だ!」
「…………はぁっ?」
わたしを指差し決めポーズまでしながら声高に叫んだシロだったけど、その口から出てきた名前は余りにも予想外なモノだった。
お姉さまから聞かされた冬木の聖杯戦争。 その聖杯戦争を根底から覆す事になった元凶とも云える存在。 大聖杯と一緒に破壊された筈のソレがなんで今シロの代わりにあそこにいるっていうんだろう?
それともこれは、あまりの恐怖に常軌を逸してしまったシロの妄言なんだろうか?
「お、おいおい! せっかくかっこ良く名乗ったつーのに、そのリアクションはねぇだろ」
と文句を云いながらも軽薄に笑い続ける自称アンリマユ。
元がシロだからか、顔中に文様が浮かんではいても、その可愛い容姿と相まって思わず”アンリマユちゃん”と、ちゃん付けで呼びたくなるくらい見た目は可愛いけど、不遜な態度が全てを台無しにしてしまっている。
「あのね、アンリマユは大聖杯と一緒にいなくなってるの。 そのアンリマユがここに居るわけないでしょ?」
子供に云い含めるように優しく説明してあげたのに、シロは肩を竦めながら小馬鹿にしたように溜息をついて頭を振っている。
「お子様はこれだから……。
目の前の現実から目を背けてどうすんだ? 大体……っと、時間切れだ。
”全て遠き理想郷”」
なんの時間かはわからないけど、アンリマユと名乗ったシロが突然目の前に聖剣の鞘を取り出したかと思ったら、真名の開放を行った。
というか、今のはまさか投影魔術!? ……いえ、そんなわけないわよね。 それができるのはあっちのアーチャーだった筈。 あんな等価交換を無視した魔術の使い手がゴロゴロいては、堪ったものじゃない。
「というかさぁ~、俺帰っちゃダメ? いい加減帰らねぇと迎えが来ちまうと思うんだよね。
できればアイツ等にはバレたくないんだけど」
媚びるように手を胸の前で組んで、小首を傾げる姿は可愛いけど、
「ダメよ、ちゃんと部屋に戻りなさい」
「ちぇ~、なんだよケチ!
お強いサーヴァント二体も引き連れてんだ、今さら俺なんかいなくたっていいだろう~!」
と、素気無く切り捨てたわたしの言葉に、拗ねてやる気なさそうに下唇を突き出すシロ。
本当にシロ本人とは思えないほどの変貌ぶりね。 アンリマユっていうのは嘘だとしても、二重人格だったりするのかしら?
「云う事聞かないんだったら力ずくで従わせるわよ?」
なんでか今のシロを見ていると、”力ずく”とか”無理矢理”云うことを聞かせたくなる。
こういうのをサディズムとでも云うのか、あの細い体を力ずくで屈服させて許しを請う姿を夢想するだけで、胸の中のイライラが晴れていくんじゃないかと思ってしまう。
……そうね、その方が手っ取り早いし楽しそう。
「いいわ、面倒だから腕の一本でもへし折って部屋に運んで頂戴」
わたしの言葉にセイバーとアーチャーの二人が同時にシロに向かって飛び掛っていく。
その様はまるで肉食獣のような獰猛さを伴っていたが、シロは慌てる様子も見せずにセイバーに向かって黒く染まった手の平を向ける。
その余裕の態度は気に食わなかったけど、彼女の手の平から突き出した五センチほどの金属片が突然光輝き出したことに、わたしの意識は完全に釘付けにされた。
(何あの魔力量!? 半人前の魔術師としては在り得ない魔力量じゃない!)
「くくく、後悔すんなよぉ~?
”約束された勝利の剣”」
いやらしく微笑んだシロの口から紡がれた言葉に従って、彼女の手の平から放たれた光の奔流が視界を埋め尽くした瞬間、わたし達の居た玄関ホールは轟音に包まれた。
(アーチャー、周囲の様子はどう?)
(今のところ偵察……見張りと思しきホムンクルスは見当たらないな)
頭上にいるだろうアーチャーに念話で確認してみるが、アインツベルンの城を視界に納められる場所まで来たというのに、今だ相手の監視を確認することはできていない。
とはいえ、アーチャーの目がいいのは確かだけど、ホムンクルスが木に擬態していたりしては流石に彼の目をもってしても、発見するのは容易ではないだろう。
しかも、周囲は既に日も落ちて暗闇に包まれている。 これでは監視に慣れた人間であっても相当困難だ。
「おかしいわ……」
イリヤが城を見据えながら困惑したように声を洩らす。
つられる様にわたしも城に目をやると、確かに外壁のあちこちに大きな穴が開いていて、まるで砲撃でも受けたかの様な有様だ。
「まさか第三者の襲撃?」
「可能性としては在り得るだろう。
アインツベルンに加担するより、現領主である遠坂に手を貸した方が利口だと考えた人間がいたのかも知れないな」
木から飛び降りてきたアーチャーが、ほとんど物音を立てずにわたしの横に並び、城を睨みながら賛同してきた。
「ばか! 私はそんな事云ってるんじゃないの!
シロの気配よ! わからないの!?」
取り乱したイリヤに云われてわたしもラインを辿って確認してみると、詩露の居場所が一階の玄関付近から感じられる。
しかもどういう訳か、今の詩露からは信じられないほどの魔力が感じられた。
その総量はわたしやイリヤをも上回っていて、あの大聖杯があった柳洞寺地下の大空洞で感じた魔力すら凌駕している。
「どういう事?」
不可解というよりも恐怖すら感じながら、呆然とした声が漏れる。
「わからない。 でも凄く嫌な予感がするわ。
リン、正面から乗り込むわよ」
かなり切迫したイリヤが腰を浮かしかけながらそう宣言すると、わたしの答えを聞かずに駆け出していく。
わたしとセイバー、アーチャーとランサーもイリヤを追って駆け出すが、云い知れぬ不安感から地面を踏みしめる足に力が感じられない。
(あのバカ、また無茶やったんじゃないでしょうね)
さっきからラインを通じて呼びかけているっていうのに一向に返事をしようとしない詩露。
一階にいるんだったら十分聞こえている筈だというのに、なにやってんのよあの娘は!
「シロ!」
イリヤは勢い良く扉を開いたものの、その場に立ち尽くしたまま微動だにしない。
それどころか、口元に手を当てたまま小刻みに震える姿は、嫌でもわたしに最悪の事態を想像させた。
「ちょ、ちょっと退きなさい!」
イリヤを押しのけて玄関ホールに飛び込むと、中は戦場のような有様だった。
崩れ落ちた階段は勿論、照明から花瓶に至るまで原型を留めているものは何一つなく、其処かしこにホムンクルスの死体が転がり、全身を血に染めた黒いセイバーとヘラクレスが力なく横たわっていた。
「よう」
そしてその惨状の中心に、全身を黒く染め、見たこともない文様で彩られた少女が口の端を上げてわたしに微笑みかけてくる。
「やっぱお前等(おめぇら)が来るまでに片は付けられなかったな」
そういった少女は自嘲気味に微笑みながら、周囲の惨状を無機質な目で眺めた。
少女の体には一筋の傷も、一滴の血も流れていないというのに、戦いの壮絶さを物語るように、身に纏ったワンピースはあちこちが引き裂かれ血が付着していて、まともに体を隠している場所は殆ど無かった。
だというのに少女は自身の裸身を隠そうともせずに気だるげに佇んでいる。
「し……詩露なの?」
「いいえ、人違いです!」
「え?」
信じられない思いでその少女に確認してみると、間髪入れずに力一杯否定してくる。
その自信に満ちた答えに一瞬わたしの方が間違えたのかと思ってしまったが、ラインを確認すると間違いなく目の前の黒い少女は詩露だった。
「ちょっと……ふ、巫山戯ないでよ。
どうしちゃったの、その格好」
引き攣りながらもなんとか微笑んで、上着を掛けて上げようと近付いてはみたものの、ヘラヘラと薄気味悪く笑い続ける詩露は正直怖かった。
顔の作りは元々の詩露の物だというのに、表情一つでここまで雰囲気が変わってしまうなんて。
「ほら、女の子がそんな格好するもんじゃないわ」
そういって、わたしの掛けた上着を撫でつけたり匂いを嗅いだりして、さも物珍しそうに確認している詩露。
一頻り弄り回して満足したのかわたしに微笑みかけてきたけど、三年以上一緒に暮らしてきたっていうのに、その笑顔は今まで一度も見たことのないものだった。
(こんな満面の笑顔できる娘じゃない筈なんだけど……)
戸惑うわたしを他所に、詩露はわたしの上着が気に入ったのか微笑みながら前を締め、階段の上に向けて手を翳す。
「さぁ~って、お仕置きタイムだ! 覚悟はいいか? アインツベルン!」
詩露の視線を追って途中で崩れている階段を見上げると、階段の踊り場で頭を抱え泣きながら震えているユスティーツァが蹲っていた。
「ちょ、ちょっと! 勝敗はもうついてるじゃない! これ以上何しようっていうの!?」
「だからお仕置きだって。 アイツのサーヴァントにゃ散々小突き回されたからな。 こっちも少しばかりやり返してやろうかと」
そういってわたしに振り返りつつ、手に魔力を収束させていく詩露。
「や、止めなさい! これ以上はやり過ぎよ!」
「や~だよぉ~♪ 強い奴には尻尾を振って、弱ってる奴には徹底折檻! これぞ俺の哲学だ!
って、訳で”約束された勝利の剣”♪」
咄嗟に詩露の腕を掴んで狙いを逸らす。
弾むような声でユスティーツァが居た場所の頭上を真横に薙ぐ”約束された勝利の剣”。 しかし、その光が発せられるより前にヘラクレスがユスティーツァを抱えて飛び退っていた。
「ちっ! 邪魔すんじゃねーよアサシン!」
「え!?」
詩露の腕にしがみ付きながら、予想外の単語に反応してしまう。
今詩露はヘラクレスのことをアサシンと呼んだ。 ということは、あのヘラクレスはアーチャーとして呼ばれたのではなく、アサシンとして呼ばれていたということ?