アインツベルンの城での騒動後、一年近くが経ち春になった。
凛はあの騒動で協会に召喚され、一時期冬木を離れなくてはならなくなり進学が危ぶまれていたが、そこはさすが遠坂凛。 その程度のハンデを物ともせずに、あたしと一緒に藤ねえの勤め先でもある穂群原学園に進学を決めた。
穂群原学園では、アーチャーがそうだった事から藤ねえのクラスになれるかとちょっと期待していたんだけど、姉妹を同じクラスで担任と教え子にするというのがマズイと判断されたのか、別々のクラスになってしまった。
その代わりというわけではないんだろうけど、凛と同じクラスになれたから気持ち的には安心できたような、気が抜けないような、そんな状況になっていた。
もっとも、あの呉服屋の楓も同じクラスだったのは、思いもよらない事だったけど。
『剣製少女/固有結界 第一話 1-1』
「あれ、遠坂?」
「あら、美綴さん」
わたしと詩露が屋上に通じる階段の上、ちょっと開けたスペースで昼食を摂り終え食後の一時を過ごしていると、クラスメートの美綴綾子が階段を登ってやって来た。
わたしは読んでいた文庫本から顔を上げて挨拶を交わしたけど、詩露は昼食を食べ過ぎた為にわたしの膝を枕に昼寝中だ。
しまったわね、まだ初春の寒空の中屋上で昼食を食べるような人間いないと思ってここで昼食摂ったのに、何しに来たのかしらこの人。
「へぇ、遠坂と藤村って何時も何処で昼摂ってるのかと思ってたら、こんな処に居たんだ」
「えぇ、騒がしいのは苦手なものですから」
まぁ嘘だけど。
衛宮の家で暮らすようになって、お姉さん(藤村先生)とも一緒に過ごすようになってからというもの、騒がしくないことの方が珍しいぐらいだし。
「そうかい? ところで藤村はどうしたんだ? 具合が悪いとか?」
「ご心配なく。 昼食を食べ過ぎて眠くなってしまっただけですから」
わたしの苦笑に美綴さんも声を潜めて笑っている。 そりゃそうよね、子供じゃないんだからご飯を食べ過ぎたからって、眠くなったなんて幼過ぎるわよね。
そう思いながらも、わたしが詩露の髪を撫でていると、目の前まで来ていた美綴さんが詩露の寝顔をジッと見つめていた。
「何か?」
「いや、この子前から歳の割りに背が低いなぁとは思ってたんだけど、それだけじゃなくって、以外に整った顔してんだね」
階段の途中でしゃがみ込みながらしみじみと呟く美綴さん。
まぁ確かに詩露は可愛いんだけど、そんなしみじみと云われたってあげないわよ?
「女の子の寝顔をあまり見るものじゃないですよ、美綴さん」
「あぁ、悪い悪い。 遠坂も美人だけど、二人とも化粧とかしてんの?」
「いいえ」
そりゃスキンケアぐらいはしているけど、わざわざメイクまでして登校している人間そうそういない。
わたしだって、一通りのコスメ・グッズぐらい持ってるし、簡単なメイクぐらいはできるから試したこともあるけど、日常的にするほどじゃない。
「嘘だろ? だって藤村って目の周り赤みがかってるじゃん。
睫だって長くてくりんってなってるし、ほら、あれだ……マラカス? ビューラー? って奴使ってるんだろ?」
「いいえ」
確かにノーメイクでずるいと思うけど、詩露はメイク関係には一切手を出していない。 それどころか、恥ずかしがってスキンケアもしてないほどだ。
それにしても、マラカスはないでしょ。 それをいうならマスカラよ。
「遠坂、あたしが化粧知らないと思って適当なこと云ってるだろ?」
「なんでこんなことで嘘云わなきゃいけないのよ」
失礼な。 なんでそんな意味のない嘘を教えなきゃいけないんだか。
まぁ、信じられないっていうのはわかるけど、だからって話もしたことない人間騙して楽しむような趣味わたしにはないわよ。
「ふ~ん……」
「ちょっと、起きちゃうからやめてよ」
わたしがちょっと目を離した隙に、美綴さんが詩露の目の上とか唇を指で擦って、確認している。 本当にメイクしていないか興味津々って感じだけど、本当にしていないんだからそんな事をしたって指に何か付くわけもない。
案の定わたしの懸念通り、詩露はむずがってあたしの足にしがみ付いてきたけど、そのまま目を覚ましてしまった。
ちっ、せっかくの至福の一時を邪魔してくれちゃって。
「あ、ごめん。 起こしちゃった?」
「美綴? どうしたの?」
寝惚けているのか、詩露は瞼をゴシゴシと擦りながら焦点の合わない視線を美綴さんに向けている。
美綴さんも起こす気はなかったのか、気まずそうにしながら謝罪したけど、詩露は長い髪を振りながら首を振っている。
「いや、校舎の中をうろついてたんだけど、偶然アンタ達を見つけたんで話しかけてた」
「そう」
美綴さんの答えに興味を持たなかったのか、それ以上突っ込んだ事を聞くわけでもなく、詩露は伸びをして適当な相槌を打った。
「そういえば、藤村は藤村先生の妹って本当か?」
「うん、あたしは養子だけど本当。
あ、そうか、美綴は弓道部だったっけ。
姉さん迷惑かけてない?」
「あたしも入部したばっかりだから詳しくは知らないけど、今のところ楽しくやってるよ」
その後も美綴さんは詩露の云った”養子”という部分には触れずに、部活の時にあった面白い話しを聞かせてくれた。 まぁ、その殆どがお姉さんの失敗談っていうのは、わたしと詩露にとっては予想の範囲内だったけど。
……相変わらずですね、お姉さん。
そんな雑談で時間を潰していると、予鈴が聞こえてきた。
「おっと、そろそろ戻らなきゃ。
悪かったね、邪魔しちまって」
「いいえ、とても楽しかったですよ」
「うん、また後でね」
そのまま美綴さんはわたし達を待つことなく、先に教室へと戻って行った。
彼女なりに気を使ったのかしら?
「感じのいい子だったね」
「美綴さん? そうね」
確かに、いい意味で気安くって裏表のない感じがお姉さんを彷彿とさせる。
もっとも、お姉さんみたいに破天荒ではなく、ちゃんと常識も弁えているみたいだから、わたしとしてもお姉さんよりまだ付き合いやすい。
正直お姉さんには時々付いていけない時があるから。
その後も美綴綾子とは何かと関係を持つことになった。
休日に三人で出かけることもあったし、体育の記録を競ったり、ごく普通の高校生として付き合いを楽しんでいたが、ある日わたしと詩露は家に泊りに来ないかと誘われた。
「親がいない?」
「そう。 夫婦で旅行だからって、子供達は置いてきぼりってわけ。
だから、泊りに来ない?」
まぁ、衛宮邸にはアーチャーもいるし、最近は桜も料理をするようになったから、わたしや詩露がいなくても問題ないしいいか。 逆に家に来たいとか云われたら、断ってたかも知れないけど。
それに、綾子の性格を考えるとどんな部屋なのかっていう興味もあるしね。
”美人は武道をしていなければならない”なんて云いながら、それを実践している女傑の部屋だ。 もしかしたら、藤村の本宅みたいな凄い部屋なのかも知れない。
「いいわよ。 詩露はどうする?」
「あたしもいいよ」
詩露は特に興味を持っていないのか、微笑んではいてもそれほど乗り気というわけではないようだ。
まだだ。 まだこの子は自分を持てていない。 わたしや桜、イリヤやお姉さん。 一緒に暮らす家族に関しては興味を持てるようだけど、関係の薄い人間関係に好奇心が刺激されるという事はない。
もうちょっと、わたし達といる時みたいに表情豊かになってくれればいいんだけど……。
「じゃあ決まりだね。 明日の一時に駅前で待ち合わせってのでどうだい?」
「えぇ、それでいいわ」
わたしの了承に詩露も頷いている。
ま、焦って事を進めてもしかたないか。 少しづつ変えていけるよう頑張るって決めたんだ、これもその一環ってものよ。
「うわ、可愛い」
「ほんと、意外ねぇ~」
あたし達が通された綾子の部屋は、暖色系のパステル・カラーで纏められていて、凛じゃないけど綾子のイメージとはかけ離れていて確かに意外だ。
「そうかい? これくらい普通だと思ってたんだけど」
あたし達があんまりジロジロ見ていたからか、少し照れたように素っ気無く云う綾子。
でも、あたしの部屋は殺風景だし、凛の部屋もほとんど工房としての機能に特化してるから、普通の感覚ってわかんないんだよね。
一番近いのが桜の部屋だけど、それだってここまで少女趣味じゃないし、やっぱり綾子の部屋はかなり可愛いんだと思う。
「ほら、荷物を置いて楽にしてよ。
今お茶持ってくるから」
そういって慌しく綾子が出て行くと、あたしと凛は顔を見合わせて苦笑してしまった。
どうやら彼女は友人を招いて、少し興奮しているようだ。 普段と比べて明らかに落ち着きがない。
「ふ~ん、少女漫画が一杯」
「ほんとだね」
本棚を見るとその人がわかる。 なんて格言があった気がするけど、それを信じるのなら綾子はああ見えてかなりのロマンティストのようだ。 なんせ恋愛漫画が一杯だもん。
あ、少女漫画って時点で恋愛要素は必須だから、そりゃ当たり前か。
「なに、気になるのがあるんだったら読んでいいよ」
「じゃあ、わたしこれ」
「ん~……あたしはいいや。
それより綾子と話したい」
「いいよぉ~。 お姉さんが話し相手になってあげるよ」
なんでみんなあたしと話す時、同じ歳なのに自分のことを”お姉さん”っていうかな。 そりゃ背は低いけどさ。
「へぇ、じゃあ弟くんは今日友達の家に」
「そ。 難しいお年頃って奴なのか、姉の友達と顔を会わせるのを極端に嫌がるんだよ。 せっかくこんな美人と可愛い子に知り合う機会だったっていうのに、惜しい事したよね」
なんて紅茶を飲みながら凄くいい笑顔の綾子。
その様子から、なんだかんだ云いながら弟くんのことを可愛がってる様子が窺えちょっと微笑ましくなってくる。
その後、ゲームをしたり漫画読んだりしながら時間を潰して夕食も済ませると、暫くはあたしと凛の付き合いや、綾子がやっているという武術の話なんかで盛り上がった。
年頃の女の子同士(……自分を女の子っていうのは、ちょっと抵抗があるけど)の話題としては考え物だったけど、あたしも武術をやっているからか、この話が一番楽しめた。
途中からは凛も加わって、話題は完全に格闘談義になってしまった。
「にしても、これだけいい女が揃ってるって云うのに、話の内容が物騒な内容ばかりっていうのも情けないね」
「なら綾子が最初に話しなさいよ。 色っぽい話の一つや二つないの?」
漫画に飽きてきたのか、凛も完全に雑談モードで話しに加わってくる。
とはいえ、あたしの場合そういう話ってないから聞き手にしかなれないけど。
「あったらここにいるのはアンタ達じゃなくって、そのお相手だっつの」
「それもそうね」
あはは、と空しく笑いあう二人。 ほんと、二人とも実際にモテてるんだろうになんで彼氏ができないんだか。 ……やっぱり性格か。 いや、云ったら殴られるだろうから、口が裂けても云えないけど。
「藤村はどうなんだ? 彼氏とかいた経験ないのか?」
「あたしもそういう話題のネタにはなれないよ」
そう、それこそ中学の二年ぐらいまでは告白してくるような酔狂な人間もいたけど、それ以降、男子は急に背が伸びて見上げるようになっていったし、女子は体系が変わって大人っぽくなっていった。
異性の興味もあたしみたいな子供っぽいのはお呼びじゃなくなり、みんな凛や桜みたいな大人っぽい子に変わっていった。
元男のあたしとしては胸を撫で下ろす気分だったけど、ちょうどその頃から今度は女子に可愛がられるようになっちゃったんだよね。
「はぁ~、全く情けないねぇ」
「アンタだって同じなんでしょうが」
「こりゃ失礼」
なんていいながら、綾子はニヤッと男前に笑った。
……これじゃ彼氏の前に彼女ができそうだ。 たぶんヴァレンタインは結構な量を貰うことになるんだろうなぁ。
いや、今までも結構もらってるのかも。
「よしわかった。 誰が最初に彼氏を作るのか競争だ」
「「は?」」
いきなり訳のわからないことを云い出す綾子。
なんで競争になってますか? というか、それにはあたしも入ってるんですか?
「だってせっかくの高校生活なんだよ? 彼氏の一人も作らなきゃ嘘ってもんでしょ!」
いや、いきなり熱くならないでよ。 ついてけてないよ、あたし。
というか、今の綾子は今までに見たことないぐらい目をキラキラとさせていて、夢見心地というか……もしかして、なんかの漫画に影響されてない?
「おっと、風呂が沸いたみたいだから順番に入っちゃおうか」
チャイムのような音が聞こえて、綾子がお風呂が沸いたことを教えてくれる。
へぇ~、こうやって知らせてくれるんだ。 便利だな。
「じゃあ、あたし食器洗っちゃっとくよ」
「なら遠坂入れよ」
「いいの?」
「あぁ、お客様優先だ」
いや、綾子。 口調まで男前になってきてるよ。 あたしがそんな口の聞き方したら、間違いなく凛の制裁だ。
それはともかく、あたしはさっきの話から逃げるようにキッチンへと向かった。
「悪いね。 飯作ってもらっただけじゃなくって、片付けまでやらせて」
「いいって。 キッチン貸してもらったお礼」
「藤村は良い奴だね~」
なんて云いながら抱きついてくる綾子。 危ないっての。 あと撫で繰り回さないように。 くすぐったいから。
「ごめん綾子。 パジャマ貸してくれない? 学校のジャージでいいから」
あたしと綾子がキッチンでじゃれ合いながら洗物を片付けていると、バスタオルに下着を包んだ凛がやや落ち込みながら現れた。
あちゃ~、やっちゃったか。 入学してから今日まで、結構上手い事やってたのに、ここにきてポカをやるとは。 昨日あれだけ荷物の確認してたのにね。
「なに遠坂寝巻き忘れたの? 珍しいね、遠坂が忘れ物なんて」
「そうみたい。 なんでもいいから貸して頂戴」
せっかく築いていた優等生のイメージが、ここにきて崩れたことにショックを受けたのか、凛も元気がない。
そんな落ち込むようなミスじゃないんだから気にすることないと思うんだけど。
「じゃあこれ使ってよ。 遠坂に似合うと思うんだよね」
そう云って綾子がクローゼットから出して凛に渡したのは、ねこ柄の黄色いパジャマだった。
あ、結構可愛いかも。
「へぇ~可愛い。 いいの?」
「あぁ。 遠坂ってあたしから見て猫っぽいところがあるから、似合うと思うんだ。
気に入ったんだったら持って帰ってもいいよ。 あたしにはちょっときつくなってきたからね」
そう云いながら自分の胸をポンポンと叩く綾子。
ダメだって、凛に胸の話は。 特に最近は桜との差が開いてきててナーバスになってるんだから。