「それは一体……?」
わたしの言葉に戸惑うセイバー。
そりゃ魔術師じゃない彼女にしてみれば、わけがわからないのも当たり前だ。
「つまり、詩露は綺礼に泥を使われる以前に、既に泥によって汚染されていたのよ」
『剣製少女/午睡休題 第二話 2-4』
そう、推測でしかないが詩露は……いや、士郎はアノ大火災の時、既に泥によって心身共に破壊されていた。
そしてその破壊された肉体は魔術回路、つまり本来”擬似”神経であるものを本物の神経に置き換える事で、命を繋いでいたところを切嗣さんに助けられた。 その所為で鞘の治療を受けた時に、本物の神経と魔術回路が同化してしまった為に、今の特異な体質になったのだろう。
その後、本来なら汚染された士郎はそのまま徐々に衰弱して死んでいった筈が、聖剣の鞘の力で汚染された部分が浄化され一命を取り留めることになる。
しかし精神の方はそう上手くいかなかった。
当然だ。 鞘が回復できるのはあくまで肉体のみ、泥で破壊された精神を回復させることはできないし、回復させようにも、その時点で既に士郎の精神は何も残っていなかった。 アンリマユにその悉くを殺され空っぽになってしまったのだから。
ここまで話した時点でセイバーは崩れ折れそうなほど辛そうな表情(かお)をしていた。
自身が第四次聖杯戦争で起こしてしまったことに、苛まされているのかも知れない。
イリヤは詩露に抱きついたまますすり泣いている。
詩露の境遇に同情しているのか、”アインツベルン”としてセイバー同様アンリマユを呼び出してしまったことに苛まされているのかもしれない。
キャスターは目を閉じて静かにわたしの話を聞いているが、握られている拳はきつくローブを掴んでいる。
「続けてもいい?」
「……はい、お願いします」
そして空っぽになった士郎が始めて触れた”感情”。 それが切嗣さんだった。
何も無い士郎にとって、感情……精神というものは全て彼をなぞる事で取り戻していく事になる。
とはいえ、それでも彼は”無”に取り憑かれたままだった。 その為自己を省みるということが理解できない。 自身を確立するだけの要素……、欲求というものを何も持ち合わせていないのだ。
自己中心的というと傲慢の代名詞に聞こえるかも知れないが、それはそれだけ自分の中で大事に思っているものがあるという証拠。
ところが、詩露にはそんなものはない。 ”正義の味方”ですら最初に”視た”感情の延長でしかないのだ。
もし、こんな状態で”無”を取り除いたとしても、よくて自我の無い機械のような存在。 悪くすれば自身の感情が理解できないだけでなく、周囲の感情や変化に何一つ反応を示さない廃人になってしまうだろう。
なにしろこの”無”も詩露に取り憑いた時点で詩露の精神そのものになってしまっている上に、切嗣さんとの出会いで得た感情ですら自身から湧き出た感情ではなく、他人(きりつぐ)からの借り物なのだから。
これでアーチャーのように、家族という自身を形成すだけの要素を持ち合わせていれば問題なかっただろうが、今の”無”に取り憑かれた詩露には本当の意味での感情……、欲求というものがなにもない。
「だから、詩露から”無”を強引に取り除くということは、これまで借りていた感情すらなくなってしまう可能性があるよ。
少なくともこの子自身が持ちえる欲求、……ううん、そんな上等なものじゃなくっていい、せめて生存本能だけでも持ってくれないと、結局は元の空っぽになってまた”無”に取り憑かれるか、廃人になってしまうの」
室内は重苦しい雰囲気に包まれていた。
聞こえてくるのはイリヤのすすり泣く声だけ。
みんな余りの話の内容に、まともな思考もできなくなっているようだ。
「なんで……?」
「え?」
突然静寂を破ってイリヤが呟いた。
その声は涙で擦れていて弱々しかったけれど、静まり返っていた室内でははっきりと聞き取る事ができた。
「なんで詩露ばっかり酷い目に会うの? 詩露はなんにも悪いことしてないのに」
抱きついていた詩露から体を離してその頬を優しく撫でるイリヤ。
目は完全に泣き腫らしていて、瞳だけじゃなくって目全体が充血して真っ赤だ。
それにしても、この子がこんなに弱かったなんてね。 ちょっと過大評価しすぎてたかしら。
「なんでも何も、そんなのソイツの運が悪いからよ。 別に理由なんてないわ」
「え……」
一瞬部屋が燃え上がったのかと錯覚するほど全身から汗が噴き出した。
呟きは誰のものだったのか。 再び部屋は静寂に包まれたというのに、わたしのあんまりと言えばあんまりないい様に、身動ぎ一つできないほど濃密な殺意が渦巻いていた。
しかも、その殺意の出所は一つではなく複数。 一気に膨れ上がった殺意が限界を知らないかのように、こうしている間も膨れ上がっていく。
「リン、殺すわよ」
イリヤが泣きながら魔力を迸らせている。 その様は、もう警告というより宣言に近い。
「リン、いくら貴方でもそれはあんまりだ」
セイバーが自身の右手を震える左手で掴んでいる。 まるでそうしていないと、今にも切りかかってしまうのを抑えられないとでも云う様に。
「へぇ、お嬢ちゃんはそう思うのね」
キャスターが笑いながらわたしを見据える。 でもその目は全く笑っておらず、まるで汚物でも見るような嫌悪に満ちた眼差しだ。
「おいおい、落ち着けよおめーら」
さすが最速のサーヴァント。 気が付いたときにはランサーがわたしの前に立って守るように庇っていた。 アーチャーも手に弓を持ってキャスターに向けている。
でも二人とも邪魔。 正直わたしはこの場にいる誰よりも、今の状況に腹が立っているのだから。
「何よ、同情でもしてわたしも一緒になって泣き喚けば満足した? お生憎様、わたしはこの子に同情なんか絶対しない。 そんな暇があるんだったら、一つでも多くコイツに楽しい思い出を作ってやって、わたしって存在がコイツにとって掛け替えの無いものになってみせる。
そうすれば、アーチャーの家族のようにわたしがコイツを構成する要素になって、”無”とは縁が切れるんだから」
ランサーを押しのけて立ち上がり、腰に手を当てて言い切ったわたしの啖呵に、イリヤもセイバーも、あのキャスターですら呆然として、それまでの殺意を霧散させていた。
「アンタ達はそうしていつまでもメソメソしてればいいわ。 その間に詩露はわたしが貰っていくから」
「だ、駄目よ! シロは私の物なんだから! リンなんかには絶対上げないんだから!」
挑発するように笑いかけると、イリヤが顔を真っ赤にして怒りながら詩露に抱きついた。
でも、その怒りは先程までのものとは違って、殺意を全く含まない純粋な独占欲からくるもので、嫌な感じはしなかった。
「そうですね、私としたことが目先の感情に流されるとは……。 リン、貴方を誤解していました。 すみません」
「いいのよ、それだけ詩露を大事に思ってくれてたってことなんだから」
セイバーは恥じ入るように、気まずそうにわたしに謝罪するが、全然謝るような事じゃない。
でもさすがセイバー。 殺気だけで身が切られるんじゃないかって思うぐらい鋭利で痛かったわ。 だから……、
「貸しにしといてあげる」
「はい、助かります」
わたしが笑顔で答えると、セイバーも安心したようだ。
まぁ、コイツを”無”から解き放つのに手勢はいくらでも欲しいのは事実。 その為にはセイバーにもたっぷり手伝ってもらわなくちゃ。
「はぁ、なんだかとんでもない弟子を取っちゃったみたいね」
「弟子として優秀なところが見せたんだから、喜びなさいよ」
なんだか一気に疲れた表情になったキャスターだったけど、わたしの軽口に満更でもなさそうに微笑んだ。
それにしても、
「以外だったわ。 付き合いの短い貴方がそこまで詩露に入れ込んでるなんて。
もしかして詩露の”感染する魅了”とやらに魅入られた?」
「まさか。 でもこの子にはちょっと同情的になってしまうわね。 ”魅了”の呪いで不幸になる女の子っていうのには、個人的に虫唾が走るのよ」
わたしの軽口に苦笑で答えるキャスター。
あぁ、そういえばキャスターは”コルキスの裏切りの魔女メディア”。 女神の所為でイアソンを盲目的に愛するよう仕向けられて、人生滅茶苦茶にされたんだっけ。
そりゃあ他人事じゃないか。
「私は謝らないわよ。 でも……、感謝はしてあげる」
「そ、どう致しまして」
再び詩露に抱きついていたイリヤが顔だけをわたしに向けてそう云うと、照れたのか、赤くなった顔を隠すように詩露の髪に埋めてしまった。
「やっぱ嬢ちゃんはいい女だな。 とっととデカくなって俺のものになりな」
「結構よ。 男の趣味はいいほうだから」
「ちょっとランサー! なにリンなんか口説いてるのよ!」
そういって、わたしの頭をぽんぽん叩きながら口説いてくるランサーを笑顔で断ると、嬉しそうに笑われてしまった。 なんというか、余計ランサーに気に入られたみたいだわ。
そんなランサーを叱るイリヤだけど、ランサー自体には興味はないようで詩露の肩に顔を押し付けたままだ。
なんとなく場の雰囲気が穏やかになったところで、脱線していた話題を元に戻す。
「それで、キャスターは詩露を元に戻せそう?」
「……無理ね。 死者の復活だったら経験があるんだけど、魂の改竄なんて聞いた事も無いわ」
「そう……」
キャスターの力をもってしても魂の改竄は無理なのね。 まぁ、それができるんだったら、魔術師じゃなくって魔法使いになってる筈だものね。
それにしても、死者の復活って凄いわね。 それだけの力を持った魔術師に使っていない霊脈の魔力と”結婚”だけで師事できるなんて、なんと破格な条件なんだろう。
それから暫く、これからの善後策を話し合う事になった。
まず詩露の”感染する魅了”は、まだ手を講じるほど酷くなってはいないという理由から、特に手をつけることはしない事にした。
「今はまだサーヴァントのパラメーターで言えばC-からDといったところだから、大騒ぎする必要は無いと思うわ。
でも、本人だけでなく、周囲に問題が出てきたら、認識を逸らす礼装を作っておくからそれを身につけるようにさせて」
とはいえ、今すぐその礼装を用意することはできないらしいので、完成次第渡してもらえるよう頼んでおいた。
そして”無”に関しては、無理矢理取り除く事はせず気長に、でも意識して詩露の感情に働きかけていく事で決まった。
具体的には、”正義の味方”以外にも興味を示すように色々経験させていくこと。
”正義の味方”はあくまで切嗣さんからの借り物の願望だけど、詩露の本心からの願望になったら出来る限りの手助けをすることを確認した。
「でも、”正義の味方”が本心かどうかって見分けつかないんじゃない?」
「簡単よ、生存本能とか欲求……そうね、物欲でも功名心でもなんでもいいから、そういった欲望が出るようになっても”正義の味方”を目指すっていうんだったら、本心と思っていいんじゃない?」
そう、そうなって尚”正義の味方”になりたいというのなら、それは”詩露の欲求”と言えるだろう。
今はただ切嗣さんから受け継いだ願望をなぞっているに過ぎないから、欲求というわけではなく”それしかない”状態だけど、ちゃんと他の欲求が現れるようになって尚、”正義の味方”を目指すというのであれば、それは詩露の願望、願いなのだ。 わたし達だって手伝うことに吝かではない。
そして、これらの方針は詩露には秘密にしておくことになった。
別に疚しいわけではないんだけど、事が事だけに詩露に変に意識されると意味が無いどころか、下手をすると上手くいかないかもしれないと思ったからだ。
性転換した本当の理由とは違い詩露の側に話を受け止める準備ができているか? という問題ではなく、詩露自身が欲求や願望、本能というものを無意識に発露できるようになるか? と言う問題なのだから。
「でも、そうなると性転換した本当の理由をシロに話しても、何とも思わないんじゃないかな?」
「かもしれないけど、それに賭けて話した時に”無”から解放されて絶望しちゃったら、アンタ責任取れる?」
「う……」
そう、そんな危険を冒すことは無い。 どうせ”無”から解放させるんだったら、”幸せ”なことで解放されて欲しいと思うのは心の贅肉かも知れないけど、これだけ辛い人生を背負わされてきたんだ。 そのくらい願ったっていいじゃない。
「じゃあ、そろそろ起こしてもらえる?」
「そうね、でもその前に……」
話はまとまった、とばかりにキャスターに詩露の目覚めを促したら、バサッっと何か布を取り出した。
目が覚めるとみんなが覆い被さるようにして、あたしを覗き込んでいた。
「お、おはよう……」
「「おはようー」」
なんでかみんな凄くいい笑顔だ。 何かいいことあったのかな? と思いつつ体を起こすと、見覚えの無い服に着替えていた。
「え、な、なにこれ? え? どういうこと?」
「私からのプレゼントよ、受け取って」
あたしはノースリーブに大きな襟のついた白いワンピースに着替えさせられていた。
襟は凝った刺繍が施され、赤いリボンが止められていて、胸元はフリルと折り返しのタックが細かく入っている。
ハイウェストになっているウェストにはリボンが通してあって、後ろで縛ると自然とフレアになるようになっている。
裾にもこれでもかとフリルがついているがそれだけでなく、ワンピースの裾からベビードールと思しき下着の裾も覗いていて、綺麗な刺繍を通してあたしの足が透けて見えている。
「な、なんでこんな……」
「気に入った? 私が作ったんだけど、さすがに一晩で作るのは大変だったのよー」
「そんなこと頼んでない! それに、なんであたしのサイズに合ってるの! 何時サイズ測ったの! というか、一晩って、その無駄に高い能力が憎い!」