夏休みに入って早速衛宮邸への引越しが行われた。
とはいえ、遠坂は魔術師の家なので引越しを業者に頼むわけにもいかず、また、藤村組のお兄さん達の申し出に答えるわけにもいかなかったので、各自が荷物を運ぶことになったのだけど、幸いなことにあたしは荷物が少なかったし、一番荷物の多い凛にしても魔術の道具は必要最小限に留めたので、着替えと学校の道具以外は殆ど荷物らしい荷物はなかった。
引越しで一番大変な家財道具に関しては衛宮邸に備え付けられていたし、足りないものは爺さんからの引っ越し祝いということでもらうことができたので、衛宮邸での生活は思いのほかスムーズに始めることができた。
そして一週間ほど経った時、あたしは爺さんに呼び出された。
『剣製少女/午睡休題 第一話 1-5』
「どうしたの、お爺様」
「なに、今日はお前達にちょっと付き合ってもらいたくってな。 出かける支度をしてもらえるか?」
そういう爺さんは着物の袖に腕を入れて組み、咥え煙草のまま口の端をくいっと上げて笑う。
「え、うん……、いいけど、それはみんなって事?」
「あぁ、お客人みんなでだ」
終始ご満悦な笑顔の雷画爺さんの言葉に従ってみんなに外出の用意をお願いしたが、当然のようにみんな戸惑っていた。
「そりゃお爺様のお願いっていうんだったら吝か(やぶさか)じゃないんだけど、いったいどうしたっていうの?」
「さあ? あたしも聞かされてないんだけど、たぶん何らかのサプライズだと思うよ。
凄く機嫌が良かったから、食事に行くとかそういうことじゃないかな?」
居間で寛いでいたみんなに爺さんの伝言を伝えると、凛が戸惑いながらあたしに聞いてきた。
まぁ、何処に連れて行かれるのか? っていうのを予め聞かされてなければ、用意をするっていってもどんな服を選んだらいいか、わからないっていうのもあるしね。
アーチャー、バゼット、ライダーはいつも同じような格好だから迷わないだろうし、イリヤとランサーは家に戻らないと着替えられないから選択の余地がないけど、あたし達はそれなりに服を持っている分迷ってしまう。
とはいえ、
「あたしの格好でいいらしいから、あまり堅苦しい格好で行かなくっていいと思うよ」
あたしの格好はパステル・ブルーのキャミ・ワンピで、裾の部分に白い刺繍で模様が縫い付けられていて、表を歩く分には問題ないけど格式あるお店なんかはちょっと躊躇われるかな? というものだ。
爺さんに聞いたところ、この格好でも問題がないそうだから特にフォーマルである必要はないんだろう。
「そ、じゃあ、あまりお待たせしても悪いし、みんな準備しちゃいましょうか」
凛の号令で各々自室に向かうかと思ったけど、誰一人動こうとしない。
「……そっか、この中で化粧する人なんていなかったわね。
と、言うわけで準備はできてるわよ」
一瞬戸惑った凛だったけど、呆れたように納得する。
そういえば、そうだった。 別に寝起きってわけじゃないし、これだけ美形が揃ってるっていうのにみんな素ッピンなんだよね。
身支度っていっても、着の身着のままで十分っていうのはある意味凄いな。
「じゃあ、外に車待たせてるらしいから行こうか」
あたしの先導で家を出ると、衛宮の家の外にはぴかぴかに磨かれた黒の車が三台横付けされていた。
あたしには車の種類はわからないけど、街中で見かける車と違って後部座席が向かい合う形で座るもので結構高そうだ。 ……そういえば、バスを除くとあたしはこの車以外に乗ったことが無かったような。
「おはようございます、お爺様にお姉さん」
車の脇に立っていた爺さんと藤ねえを見つけると、凛が代表していつもの猫っ被りで挨拶をする。
こういう社交的なことは凛がするっていうのが、このメンバーでいる時の暗黙の了解になりつつある。
「おはよう凛ちゃん」
「悪いな、こっちの都合に付き合ってもらってよ」
凛の挨拶に答えながらも爺さんはご機嫌なようだ。
「ライガーッ!!」
「おう、相変わらず元気がいいじゃねえか」
叫びながら爺さんに飛びつくイリヤ。 そんなイリヤを愛しそうに抱きしめて、頭を乱暴に撫でる爺さんはまるで曾孫の相手をしてるかのようで、見てるこっちが微笑ましくなってしまう。
イリヤも髪がぐしゃぐしゃにされてるっていうのに全然嫌そうじゃないし、本当にこの二人は仲がいいのというのが伝わってくる。
「今日は何処に連れてってくれるの?」
「まだ内緒だ。 でも楽しみにしときな」
そういって口の端を上げて笑う爺さんは、なんだか悪戯小僧のようだし、イリヤも目をキラキラさせてこれから何が始まるのかと楽しみのようで、そわそわとしている。
「じゃあ行こうか」
藤ねえに促されて車に乗り込んだけど、凛は気を使っているのかあたし達と同じ車に乗って、衛宮邸での生活の様子や他の面々の様子なんかで会話を繋いでいる。 ……まだ中学生なのに、こういう気の使い方ができるのって凄いな。
そして車は見覚えのある場所で止まった。
途中からもしかしてとは思ったけど、やっぱりか。
そんなあたしとは裏腹に、凛は思っていた場所……料亭やレストランと違った為か、かなり戸惑っているようだった。
「えっと……、お爺様此処は?」
「呉服屋だ。 来た事ねえかい?」
「え、えぇ、初めてですけど……」
「そうかい。 ま、入りな」
そういって暖簾をくぐる爺さんを見送りながら、どういうこと? という視線であたしを見る凛。
「浴衣だよ。 みんなに買ってくれるんじゃないかな」
あたしの言葉に驚いたように目を見開いた凛だったけど、その直後なんだか邪悪な微笑み変わった。 ……もしかして、後見人になってくれたことをこんなことで喜んでたりしないよね?
あたし達は店内でちょっとマナー違反では? というほど、はしゃいでしまった。 桜は浴衣を持ってはいたようだけど大勢で選ぶということがなかったらしいし、凛は子供の頃に着た事があるきり久しぶりだったようで、目付きが完全に本気でもしかしてこれから魔術でも使うんじゃないかというほどだ。
セイバーは一度寝巻きとしてあたしのを着た事があったけど、それ以外の人は浴衣自体あたしが着ているのを見ていただけで、実際に手に取るのは初めてということで珍しがっていて、普段冷静なライダーも異国のファッショに興奮しているのか、次々と手にとっては眺めていた。
「シロ、シロ! 私これがいい!」
そういってイリヤが広げた浴衣は、白地で裾に行くにしたがって薄い青にグラデーションしていき、抽象的な図柄で金魚が泳いでいるというものだった。
図柄の金魚も水墨画のようになっていて、筆の入りと抜きで濃淡がついてて可愛い。
「あ、いいんじゃない? 柄も煩くないし、イリヤの雰囲気に似合ってるよ」
「ねぇねぇ、お揃い! お揃いにしよう!」
「そうだね、じゃああたしは色違いでこっちの……」
あたしが赤地に白のグラデーション、黄色で同じ柄の描かれたものを手に取った時、イリヤは既に浴衣を羽織っていてあたしの手を取って少し高くなっているお座敷のような所を降りて駆け出した。
「ちょ、ちょっとどうしたのイリヤ」
「見て見てー、ライガー!」
イリヤは少し離れた所で、アーチャーとランサーの三人でお茶を飲んでいた雷画爺さんの所まで引っ張っていき、見せびらかすようにくるくると回って見せている。
「どう? 似合ってる?」
「おう、可愛いじゃねえか」
「シロとお揃いなんだよ! ほらほら、シロもライガに見せてあげて!」
イリヤに言われて、あたしも浴衣を羽織って前をあわせて少し斜に構えてみる。
なんか、こうも注目されると恥ずかしいな。
「ど、どうかな?」
「いいじゃねえか。 そうしてると色っぽいぜ」
「そ、そうかな? はは……」
色っぽいって爺さん、褒めるにしてももう少し言葉を選んで欲しい。
そんな事言われた事ないから、どう返していいのかわかんなくなっちゃったよ。
いいや、取りあえず笑っとけ、と思って愛想笑いで誤魔化していたら、脇からにゅっと腕が伸びてきて、お腹に白い帯が当てられた。
「お客様、大変お似合いで! 帯はこれなんかいかがっすかー?」
「え!? か、楓!?」
あたしが振り返ってみると、色黒にショートカットで淡い水色の浴衣を着ている楓と目が合った。
彼女は悪戯が成功した子供のような顔であたしのお腹に帯を当てている。
「正解(せーかぁーい)! 詩露が来てるからってあたしも接客に駆り出されたんだぞぉ~。 だから、高いの買ってけー!」
そういって抱きついてくる楓は学校こそ違うもののあたしと同じ年で、浴衣だけじゃなくって訪問着やお正月に着た振袖を買うのにここへ来るといつも接客してくれている。
彼女自身は御しとやかとはほど遠い性格なんだけど、着物姿は大変よく似合っている。
簡単にイリヤに紹介して、再び浴衣が出されている所に戻って今度は帯を選び始めたあたし達だったけど、なんだか楓は周囲をしきりに気にしている。
「どうかした?」
「いや、藤村の大旦那は何処からこれだけの綺麗どころを揃えて来たのかと思ってさ。
いつも御贔屓にしてくれてはいるけど、さすがにこんだけヴァリエーション豊富なのは初めてだから」
あぁ、確かに。 人種から年齢までほとんどバラバラでどんな集団かと思ったわけか。
「ん~何ていうか、家で預かってるお客さんっていうのかな?」
「ほぅ、大旦那、ついに海外進出か!? アレか? 外人さん達は実はマフィアの令嬢とかボディーガードで、国際指名手配なんかされちゃってて今回の買い物は実は変装の一環とかそういうことなのか!」
「残念だけどそういう面白愉快な設定じゃないから」
「ちぇーなんだよー。 もっとサービスしろよー」
楓の頭の中では壮大な陰謀活劇が繰り広げられていたみたいだったけど、あたしが否定すると拗ねたように座敷にゴロリと寝転んでしまった。
まぁ、実際には楓の設定よりもとんでもない集団なんだけど、サービス精神だけで神秘をばらすわけにもいかないから、楓には平凡な設定で我慢してもらおう。
結局浴衣だけじゃなくって、巾着や簪、下駄といった一揃えを買い込んで近くのレストランで夕食を終えて帰って来た時には結構な時間になっていた。
「本日はありがとうございました」
「良いって事よ。 俺も美人の艶姿を拝めて役得ってもんだ。
それに、来週には龍神祭もある。 せっかく海外から来てんだ。 浴衣ぐらい着て行かねえとな」
凛のお礼にみんなが揃ってお辞儀をすると、爺さんは笑いながら答える。
そっか、爺さんはお祭りに合わせて浴衣をプレゼントしてくれたのか。 何というか、やることが本当に”粋”だ。
そして、家に帰ってまず始まったのがお互いの浴衣の取替えっこだった。
ライダーやバゼットは体格的に難しかったけど、あれが似合う、これが似合う。 あの浴衣も欲しかったなんてやりながら、一頻りみんなではしゃいでいたけど、気が付くとランサーとアーチャーがいなかくなっていた。 どうやら藤村組に避難したようだ。
まぁ、確かにこの雰囲気で男二人がいても邪険にされるのがオチだし、二人の性格だと向こうの方が落ち着くってものか。
お祭り当日。 天気もよく気温が高いのが少し残念だったけど、海風のお陰か蒸すというほどではなく意外と過ごしやすい日の夕方。 今日は屋台でいっぱい食べるだろうからということで、夕飯を軽く済ませたあたし達はお祭りに出発した。
行きがけに浴衣をプレゼントしてくれた雷画爺さんにお礼を兼ねて浴衣を見せに行くと、凄く喜んでくれてみんなにお小遣いまで振舞ってくれる。
あたしとイリヤは爺さんや家政婦のみんなに大人気だったけれど、ライダーとバゼットはお兄さん達の視線を釘付けにしていた。
そして勇気を出して声をかけるお兄さんも居たけど、
「あ、姐さん! 俺と一緒に祭りを周りませんか!? 案内しますぜ!」
「いえ、サクラ達と行くことが決まっていますから」
「そんなつれねぇこと言わずに……」
「しつこい!」
「あがっ!」
「なぁなぁ、俺と一緒に行こうや。 俺と一緒だったら顔パスで屋台全部タダになるんだぜ?」
「離しなさい」
「ふぐっ!」
と、素気無くあしらわれてしまった。
そんなやり取りを二、三人繰り返してさすがに二人が只者じゃないと気付いたのか、お兄さん達は結局お祭りに誘うのを諦めたようだ。
ごめんね、お兄さん達。 あたしの知り合い武闘派ばっかりで。
お祭りは盛況で、もの凄い人で溢れかえっていた。
あたしとイリヤは逸れないように手を繋いでいたけど、どっちも背が低い所為か不注意な人にぶつかられてよろけた時に手を引っ張ってしまった所為で、一緒に転びそうになった。
「おっと、気をつけろ」
「あ、ありがとうアーチャー」
咄嗟に体を支えてくれたアーチャーのお陰で転ばずにすんで良かった。 せっかく買ったばかりの浴衣が汚れちゃ、楽しい気分が台無しになるもんね。
気をつけて歩かなきゃと思った時、アーチャーの浴衣が目の前に広がった。
「俺の後を歩け。 そうすれば、ぶつからずに済むだろう」
「あ、ありがとう」
「アーチャーってば、気が利くじゃない。 うちの従者と大違い」
そういってあたしの腕にしがみ付くイリヤは、後ろで綺麗な女の人が通る度にニヤニヤと視線で追いかけるランサーに厳しい視線を投げかけるが、ランサーもイリヤの視線に気付いているはずなのに一向に気にした風も無い。 ……これはもしかして、途中でいなくなってる場合も有り得るかも。
しばらくは屋台巡りをしていたものの、歩きながら食べるのは危ないだろうということで、両手一杯に買い込んだものを持って櫓のある広場にやってきた。 ここにも屋台はあるものの、竹で作ったベンチや座敷も置いてあるので一休みしながら戦利品に手をつけるべく、広げていった。
周りを見ると、缶ビールで宴会をしている人達あり、カラオケしている人たちありでみんな凄く楽しそうだ。
「どうした?」
「ん、なんかいいなって」
「……そうだな」
あたしが呆けていると、不審そうにアーチャーが聞いてきたけど、あたしの答えになんとなくアーチャーも周りを眺めながら賛同してくれた。
ほんの数ヶ月前に起こった聖杯戦争。 もしあの時、大きな被害が出ていたのなら、今日のこのお祭りはなかったのかも知れない。
そう思いながら平和な光景に浸っていると、突然アーチャーが敵意も剥き出しに腰を浮かせた。
そのあまりの迫力に驚いてアーチャーを見ると、奥歯を噛み砕かんというほどきつく歯を食いしばっている。
「ど、どうしたの?」
「……キャスターだ」