「じゃあ、あたしちょっと行ってくるから」
「えぇ、助かりました。 それから、あまり彼の軽口を気にしないように。 私は愛らしいと思ってますよ」
「……ありがとう」
何というか、優しさっていう名の追い討ちを掛けられた気分だけど、にっこり微笑むバゼットに苦笑で返してしまった。
「凛、いるー?」
「あぁ、来たわね。 入って」
あたしが凛の部屋をノックすると、すぐさま入室を促された。
元々凛は寝る時以外自室に篭っていることが多かったけど、ここ最近の忙しさから篭っている時間が更に長くなっていた。 あたしも何か手伝えればいいんだけど、管理者(セカンド・オーナー)としての仕事に関しては、守秘義務も多くて手伝うことができないでいる。
『剣製少女/午睡休題 第一話 1-2』
「何か用? お昼だったらまだ準備もしてないよ」
「そうじゃなくって、アンタに相談したいことがあるのよ」
そう言って椅子を勧めてきた凛に従って、腰掛けるとお茶の用意がされていた。 ここにはいないけど、アーチャーが用意したんだろうから味の方は確かめるまでもなく美味しい筈。
「珍しいね、凛があたしに相談なんて」
「そうね、でもアンタにっていうより、アンタの家にって事なんだけどね」
そういってポットに入っていた紅茶をカップに注ぐ凛。 あたしが淹れようとしたんだけど、断られてしまった。
それにしても、いい匂い。
お茶請けのクッキーから漂うバニラエッセンスの甘い香りと、紅茶の香りが相まってまだ何も口にしてないのに、幸せな気分になってくる。
「明日藤村の家に戻るでしょ? その時、わたしと桜の後見人を雷画さんに頼めないか聞いてみて欲しいのよ」
凛もあたしの対面に座ってカップを手に俯きながらそんなことを言ってくる。
確かにこれは、あたしというよりあたしの家に対する相談だ。
あたしは今でも月に一、二度家に帰ることを義務付けられている。 未成年ということもあるけれど、どちらかというと、藤ねえや雷画爺さんが寂しがっているからというのが大きい。
二人ともあたしが”士郎”の頃から可愛がってくれていたけれど、女になってからはそれに拍車がかかったようで、”猫っ可愛がり”とか”目に入れても痛くない”って感じで何かと用事を作っては家に呼びつけたがっている。
それにしても、爺さんを後見人にか。
「それはいいんだけど、教会の司祭様には相談したの?」
「もちろん。 その上での判断よ」
元々凛の後見人は言峰だったんだけど、先の聖杯戦争の時にあたしの手に掛かって死んだ。 その為、今は暫定的に司祭様が代理をしてるらしいんだけど、その司祭様も何時まで冬木に居られるかわからないとか。
「元々教会は、冬木に聖杯が現れるかもしれないから遠坂とも親密な関係を保ってきたんだけど、大聖杯がなくなった今、冬木に対する関心は格段に低くなってるのよ。
司祭様の後任も”第八秘蹟会”以外から選任されるでしょうしね」
”第八秘蹟会”というのは、教会内に於いて聖遺物の管理・回収を目的とした部署で、言峰もそこに所属していたらしい。
「そうなると後見人を頼めないわけじゃないんだけど、借りばっかり増えることになるじゃない?」
そう言って凛は紅茶を飲むが、紅茶の渋みの所為だけじゃない苦い表情をする。
確かに凛の性格じゃ貸しを作るのは良くっても、借りを作るのは面白くないんだろう。
「でも、それだったら魔術協会の方で頼めばいいんじゃない?
遠坂の名前だったら、後見人に名乗り上げる人なんていくらでもいそうだけど」
「勿論それも考えたんだけど、わたしだけなら兎も角、桜の事を考えるとちょっとね」
つまり、魔術師に後見人を頼んだ場合、桜やそのサーヴァントのライダーを利用しようとする輩が出てくることが心配らしい。
確かに桜は魔術から足を洗ったんだから、余り魔術関係の人間に頼むのも考えものか。 新しい後見人がまた臓硯みたいな人だったら堪ったものじゃないし。
「それに、魔術師っていうのは土地に根付くものでしょ?
その点藤村の家だったら、ここ冬木でも一、二を争う大富豪……じゃなかった、名士じゃない。 ここらでコネ作っておくのも悪くないかなって」
なんか一瞬、本音が聞こえたような気もするけど、まぁいいか。
確かに凛が言うように、藤村の家は結構な家柄だ。 普段意識することはないけれど、あたしも藤ねえも世間からは良い所のお嬢様扱いだったりする。
……まぁ、同じぐらい物騒な家柄でもあるんだけど、危なさで言えば”魔術師”だって人の事はいえない。
って、あれ? その両方を兼ね備えているあたしって、実はとんでもなく危ない人?
「姉妹で別々の後見人っていうのも不自然だし、藤村の人だったら借りを作ってもお金とかで解決できるし、この際二人まとめて面倒見てもらえないかな~って考えてるんだけど、どう?」
そういって、あたしの返答を窺う凛。 まぁ、雷画爺さんだったら多分嫌とは言わないだろうけど、問題は、
「桜はそれで納得してるの?」
「大丈夫。 あの子もアンタのお爺さんだったら安心っていってたから」
「そっか、わかった。 なら今から連絡しとくから、明日の予定空けといてくれる?」
「ええ、お願いね」
明けて翌日。
まだ初夏というには過ごしやすい日差しの中、あたし達三人は衛宮の家に向かった。
藤村の家でという話もあったんだけど、あそこはお兄さん達も出入りするから、桜が怖がってしまうかも知れないということで、今は別宅扱いの衛宮の家で話し合いをすることになった。
あたしはキャミにキュロット、サンダルという軽装だけど、凛と桜は胸元に刺繍が施されたシックな白いシャツに、凛が黒のタイト、桜がフレア・スカートを履いていた。
靴も革靴でかなりフォーマルを意識した格好だ。
「それにしてもアンタ、その格好はあんまりじゃない?」
「しょうがないじゃん、あたしのフォーマルな服って実家にあるんだから」
確かに二人と比べるとあまりにも軽装過ぎるけど、遠坂邸に置いてある服は普段着ばかりなんだからしょうがない。 まさか制服や凛が趣味で買ってきたフリル服を着てくるわけにもいかないんだし。 ……いや、それはそれで藤ねえも爺さんも喜びそうだけど、そんな格好で表を歩きたくない。
「それだけじゃなくって、手に持った物とのアンバランスさが凄いわ」
……確かに。
今あたしの手には、竹刀袋に入った日本刀がある。
これはあたしの収入源でもある刀剣販売の商品で、投影で作ったものを遠坂の家で見つかった物と偽って雷画爺さんに売ってもらっている物だ。
もっとも、元々は爺さんが日本刀を集めるのが趣味なので目利きも確かだし、愛好家との親交もあるという理由で投影の出来を一般人である爺さんやその知り合いに見てもらう事と、お世話になってるお礼に爺さんへのお土産にでもなるかなという軽い気持ちで持って行ったんだけど、予想以上に喜ばれた挙句、見つかったらまた持ってきてくれと、帯付きのお金の束をもらってしまった為に引っ込みが付かなくなった結果なんだけど。
いい加減もうないと言えばいいんだろうけど、それを言うと爺さんが本気で残念がるので、ついつい一本、また一本と持って行ってしまっている。 駄目だな。 本当にもうこれで最後にしないと。
「あぁ、着いたよ。 ここ」
「よし、行くわよ桜」
「は、はひ!」
「……そんなに緊張しなくて大丈夫だから」
衛宮邸に着くと、二人とも急に緊張してきたのか声が裏返っていた。
桜なんて不安になったのか、凛の腕を掴んでいる上、返事噛んでたし。
凛も藤ねえとは何度か会った事があるものの、爺さんとは初めてということで結構緊張しているようだ。 まぁ、一家を構える組織の親分になんて、普通の中学生だったらまずお目にかかることすらないんだから、緊張するのもわかるけどね。
「さ、上がって。 ただいま~」
あたしがサンダルを脱いで居間に向かうと、居間の方から藤ねえが文字通り飛び出してきてそのまま押し倒しながら抱きしめてきた。
「おっかえり~詩露ーっ!!」
「うぎゃっ! ちょっ、ギ、ギブギブギ……」
そのまま力の限り抱きしめてきた藤ねえが、あたしの背骨をメキメキと締め上げる。 しかも、自分の体を押し付けてくる所為で、内臓が圧迫されて口から出てきそう……。
「うっ……うげぇ~…………」
「おい大河、そのへんにしとかねえと、詩露が吐くぞ」
「ありゃ? ちょっと詩露、お姉ちゃんの愛情表現で吐くなんて失礼よ?」
腕の力を緩めてくれた藤ねえが、無茶を言ってくる。 あんな力を込めて締め上げられたら、下手したら内臓破裂ものだっつーの!
まぁ、こっちは息を吸うのに精一杯で、反論する気力も怒る気力も残っていないけど。
「あ、凛ちゃんお久しぶりぃ~♪」
「お久しぶりです、お姉さん」
あたしがぜぇぜぇいってる間に上がってきた凛と桜に藤ねえが気が付いて挨拶をしている。
凛はいつもの猫被りで穏やかに微笑みながら挨拶を返しているが、桜は完全に怯えてしまったようで、凛の後ろに隠れて軽く震えている。
「大丈夫か、詩露?」
「う、うん。 ただいま、お爺様」
あたしの背中を優しく擦りながら苦笑いで雷画爺さんが気遣ってくれる。 あたしもなんとか息が整ってきたので苦笑いで応えると、爺さんは深い皺を更に深めて笑いかけてくれた。
ちなみに、爺さんの事は人前では”お爺様”と呼んでいる。 爺さんは別に気にしてないようだったけど、やっぱり色々と”立場”のある人なので人によっては不快に思う人もいるだろうってことで、藤ねえに習って”お爺様”と呼ぶことにした。
それから藤ねえの事も人前では”姉さん”と呼んでいる。
いくら大河と呼ばれたくないからと言って、藤村になったあたしが藤ねえでは可笑し過ぎるし、藤村組には士郎の頃の知り合いも多いから、士郎と同じ呼び方じゃ不審に思う人も出てくるかも知れない。
そう思って呼び方を変えてみたんだけど、初めて藤ねえを姉さんと呼んだときは、悲しそうな、恥ずかしそうな複雑な顔してたっけ……。
「さあ、こんな所で立ち話もなんだ。 入(へぇ)んな」
と、爺さんが人懐っこい笑顔のまま着物の袖に腕をしまいながら、顎で皆を居間に促した。
居間に入ると爺さんは早速凛に説明を求めてきた。
もっとも、打ち合わせは既に済ませていたので凛も桜も問題なく受け答えすることができた。
要約すると、桜は養子に出されていたが、そこの当主が行方不明になったので生家である遠坂に戻ってきた。 ところが、凛の後見人も同時期に行方不明となってしまった為、同じ教会の司祭様に引継ぎを頼んだのだが、この司祭様は臨時に派遣された方なのでいつまで冬木に滞在するかわからない。
そこで、唯一伝手のある藤村の家に後見人になってもらえないかと、こうして相談にやってきたという。
爺さんは話を聞き終わった後、暫く何かを考え込むように目を閉じて腕を組んでいたが、煙草の煙を大きく吐き出して頼もしいとも言える笑顔で笑った。
「そうかい、そいつぁ大変だったな。 儂でよければ嬢ちゃん達の後見人、引き受けさせてもらおうじゃねえか」
よかった、変に色々突っ込まれたらボロが出るかと心配してたけど、凛の説明で納得してくれたようだ。
「じゃ、書類関係はこっちでやっといてやるから、安心しな。
せっかく来たんだ。 お前さんたちはゆっくりしていくといい」
そういって爺さんは煙草を灰皿で揉み消して家に戻って行った。
そんな爺さんを、藤ねえが不思議そうに見ていたのが気になって聞いてみると、
「何ていうか、お爺様の態度が切嗣さんに初めて会った時みたいな感じがしたんだけど、気のせいかな?」
なんて答えた。
その答えに当然事情を知っているあたし達三人は、思わず顔を見合わせてしまった。
さすがに凛や桜を切嗣同様”魔術師”だと思ったわけじゃないんだろうけど、もしかして、爺さんは訳ありなのを承知で後見人を引き受けてくれたんだろうか。
まぁ、こっちの素性に対して何か勘付いてるわけじゃなくっても、同時期に姉妹の後見人が揃って行方不明になっているんだ、不自然に思わないほうが可笑しいというものか。
(ちょっと、アンタのお爺さんこっちの素性に気付いてるなんてことはないでしょうね?)
(それは無い筈なんだけど、何か隠してるっていうのは気付いてるのかも)
(まいったわね……)
ラインを通じて凛の溜息が聞こえてきそうだ。
「それより詩露、桜ちゃんが凛ちゃんの家に戻ってきたんだったら、アンタ戻ってらっしゃい」
テーブルに身を乗り出して、あたしに顔を近づけ、しかめっ面で言ってくる藤ねえ。
しまった、そういう話の展開になるとは思ってなかった。
そういえば、あたしが凛と同居しているのは、凛の体が病弱だから身寄りの無い凛の看護がてら、身の周りの世話をしてあげているってことにしてたんだっけ。
「えぇっと、それは……」
そうは言っても、あたしとしては凛の家に居るほうが都合がいい。
何しろ魔術の修行を気兼ねなくできるし、セイバーを始めサーヴァントのみんなからも手解きを受けることができる。
でも実家に帰ることになったら、魔術を使える機会はぐっと減るだろうし、セイバー達のことを何と言って説明するか、説明したとしても一緒にいることはできなくなってしまうだろう。
「その事なんですけどお姉さん、できればこの別宅をお借りすることはできないでしょうか?」
「「え?」」
唐突な凛の提案に、身を乗り出していた藤ねえと、やや身を引きながらなんと説得したものかと悩んでいたあたしは、揃って凛を凝視してしまった。
「実は今、わたしの家には海外からのお客様が四人いらしてるんですが、さすがに家が手狭になってしまっていることと、彼女たちがまだ日本に慣れていない所為で何かと不自由してらっしゃるんです。
幸い詩露さんのお陰でなんとかなっているんですが、やはり詩露さんに甘えてばかりというわけにも行きませんし、わたし達も藤村のお爺様に後見人を頼んだ以上どういった生活を送っているか、わかる形にしておいた方がそちらにも安心して頂けると思うんです。
そう考えると、この別宅でしたら藤村のお家にも近いですから何かあった時心強いですし、お姉さんとしても近くに詩露さんが居た方が安心できると思うんで、そのお客様たちが慣れるまででも結構ですから、なんとかならないでしょうか?
あ、もちろん滞在費はきちんとお支払いします」
そういって、藤ねえの事を困り顔で見つめながら尋ねる凛に、テーブルから降りて腕組みしながら、う~……んと悩む藤ねえ。
藤ねえは元々面倒見が良いし、困ってる人間を放っておける性格じゃない。 ここまで言われて断るとは思えないけど……。
「はぁ~わかった。 その代わり、そのお客さん達と一度会わせてくれる?」
結局凛の時と同じように、直接会って相手を確かめることで話はついた。