『剣製少女 Epilogue Ⅱ』
「じゃあ、ちょっと行って来るね」
そういって詩露はハーフパンツとロングT、ボタンをかけないシャツに着替えて、セイバーを伴って大聖杯へと向かって行った。
「あれで良かったのかな?」
詩露が出かけると、早速イリヤが疑問を口にした。
「しょうがないでしょ。 まさか”アンリマユの所為で女になったから、もう男には戻れません”なんていう訳にいかないじゃない」
そう、実はさっき詩露に話した事は嘘だ。 理由は簡単。 男に戻ることが絶対無理だから。
しかもそれだけではなく、もしこの推測が正しければ詩露は一生成長しない不老不死の体で永遠に生きるか、セイバーに鞘を返して一年と経たずに死んでしまうかの二択を選ばなくてはならない。
あの子なら躊躇することなく後者を選ぶだろうというのが、わたし達共通の考えだったのでみんなして秘密にしておこうということになったのだ。
「それにしても、シロは何の疑問も持たずにすんなり信じたわね」
「まぁ、師匠としての信頼って奴?」
何ておどけてみせたけど、あながち間違ってはいないだろう。
詩露はわたしの事を信頼してくれているから、悪い言い方だけど騙される事なんてないと思っている。 実際、騙しているとは言っても一生騙し続けるつもりはない。
あの子の方に本当の推測を受け入れるだけの時間を作って、折を見て検査の結果別の可能性が出てきたとか言って、話すつもりでいるのだ。
その為にも、これからの教育で性格的にも色々手を出していくつもりだし、アーチャーの意見も取り入れながらの計画はもう出来ている。
「それにしても、詩露ちゃん本当に戻れないんでしょうか?」
そう言う桜は悲しそうだ。
この子はこの子で自分が受けた虐待(魔術的処置)の所為か、他人の痛みにもかなり敏感だ。
特に詩露は気に入っているというか、懐いているからか、何とかできるものなら何とかしたいという気持ちが強いのかもしれない。
(とは言ってもね……)
わたしとイリヤが考えた仮説というのはこうだ。
泥を受けた士郎は実際その願いを叶えられたのだ。 他でもないアンリマユに依って。
アンリマユの二つ名は”この世すべての悪”。 そして衛宮士郎の願いは”正義の味方”だ。
これほど彼らにとって、自身を確立するのに都合のいい存在はない。
”この世すべての悪”にとって、絶対的正義があるほど自身の悪性を明確にでき、”正義の味方”にとっては完全なる悪が存在することで自身の善性を証明できる。
そこで、大聖杯の中にいたアンリマユは士郎を正義の味方にしようとしたのだ。
もっとも、ただ人を呪うだけの存在にそんな力はない。
どれだけ強大な呪いの力があろうとも、それでできることは他者の破壊のみ。 そこで彼は一番簡単な方法をとったのだ。
”自身を生み出そうとしているシステムを使って、自身と対となる存在を作る”。
つまり、大聖杯を使って士郎を作り変えようとしたわけだけど、当然そんなことできる訳がない。
彼がやろうとしたことは、存在の反転コピーのようなものだ。
確かにアンリマユには対象の属性を反転させる力があるらしく、事実、アーチャーの座の記憶によれば、セイバーは泥の所為で士郎の敵になったこともあるらしい。 ……はっきりと覚えてはいないそうだけど。
魂は”永劫不滅”、”書き換え不可能”とイリヤが言っていたことを考えれば、常識外れな力を持っていたのは事実だろう。
しかし、それはあくまでもサーヴァントのような魂だけの存在の場合に限る。 肉体そのものを作り変えることはできないし、大聖杯のシステムにもそんな力はない。
そこでアンリマユは士郎の肉体ではなく、魂だけに手を加えたのだ。 自身の存在を反転したものとして。
どうせこれが成功すれば魂が物質化することで、肉体は不要になる。 そんな考えもあったのかも知れないが、結局、彼がやろうとしたことは失敗に終わった。
魔力不足だ。
なにしろ大聖杯は英霊七体の魂を使って、やっと根源に穴を開けられる程度。 人一人の魂を完全に作り変え、尚且つ魂を物質化させるには全く魔力が足りていない。
これでもし、根源への穴が開いていれば無限の魔力を得られてまだ可能だったのかもしれないが、実際にはそれだけの魔力は得られず、士郎の魂は中途半端に改竄されるだけに終わった。
そして、これを証明できる状況証拠が一つある。 詩露の肉体だ。
彼女の肉体は平均的な同年代の少女と比較してもかなり脆弱だ。
成長が遅いのは鞘の影響かもしれないが、あれだけ頑張って筋トレをしていても全く効果がないのは、魂の改竄によって普通の魂よりも世界の影響を受けづらくなっているからだと考えられる。
元々肉体というのは、単独でこの世界に存在できない魂にとって、鎧のようなものだ。
ところが、完全ではないものの魂が改竄され、世界の影響を受けづらくなった詩露には、そこまで強靭な肉体は必要ない。
つまり、聖剣の鞘が改竄された魂を元に詩露の肉体を復元した所為で、本来だったら泥に汚染された部分を正常な状態に戻すだけで良かったものが、魂が強固になった分肉体を脆弱なものにしてしまったのだ。
しかも、アンリマユの生前が女だったら性転換も起こらなかったのだろうが、生憎アンリマユの元となった人物が男だった為、魂の改竄の際に性別も反転されてしまい、肉体も女として復元されたしまったのだ。
聖剣の鞘が本来の力を発揮して、詩露の肉体を復元した理由はもっと簡単だ。
嘘の説明の時のように、死んだ魂が根源に落ちかけていたからではなく、魔術回路の暴走によって過剰な魔力が流れ込んでいたからだ。
魔術回路というものは、限界のないエンジンのようなもので、肉体と魂の破損さえ考えなければ、際限なく魔力を生み出すことを可能とする。
詩露は性転換する直前魔術回路が暴走していた。
そしてそのままの状態でアンリマユからの改竄を受けていたが、その間も魔力は生成され続け鞘が起動するだけの魔力を生み出したということだ。
大体、死に掛けて根源に落ちて行けば回路も止まってしまっただろうし、そんな事で鞘が起動するというのなら、セイバーでなくても不老はともかく常に不死性は得られることになってしまう。
「それにしても、セイバーが鞘を返せとか、すぐにでも契約を切るって言い出さなくって助かったわ」
「そうね、もしそれを言ってたらランサー嗾けてたかも」
確かにみんなにこの話をした時のイリヤはかなり感情的になっていたし、セイバーに口裏あわせを頼んで、詩露が鞘を返すと言っても受け取らないで欲しいと頼んでいた時、かなり思いつめた表情をしていた。
その様は、今にもこの場で聖杯戦争の続きが始まるんじゃないかと、真剣に心配したほどピリピリとしたものだった。
結局、今の詩露が普通の生活を送れているのは、鞘の力のお陰というのが大きい。
もし鞘を失えば、人より脆弱な詩露の肉体はすぐ病気にかかってしまって、一年も生きられないだろう。
魂が完全に物質化していれば、そんなこと問題にもならないのだろうが、今の詩露の魂にはまだ肉体と言う鎧は必要だ。
その為には、鞘の力で肉体の強度を水増ししてやらなければならない。
これまでの一年はまだなんともなかったが、それでも肉体は若干成長していた。
これでもし二次性徴を経るまで成長するとなると、体に掛かる負担はさらに増してしまい、冗談ではなく命に関わる可能性も否定できない。
そして、鞘の効果はセイバーがいることで確実に上がっている。
そのことを考えれば、詩露の体内に鞘があって、尚且つセイバーとの契約を継続していることが、詩露の健康に取ってはかなり重要なこととなる。
だからセイバーが「鞘は詩露が死ぬまで預けておく」と言い出してくれたことは、本当にありがたかった。
彼女は聖杯探索を誓っているはずだから、冬木の聖杯が使えないとわかっていて尚、詩露の為に余計な時間を共に過ごす事に同意してくれるとは、思ってもいなかったからだ。
まぁ、セイバー達英霊は時間から切り離された存在。 冷静に考えれば、別にこの時代で何年過ごそうが関係ないわけだから、焦る必要もないのかも知れないけど。
「あと残った問題は、あのお客さんのことね」
「面倒だから殺しちゃえばいいのに」
「イ、イリヤちゃん、それは流石に……」
イリヤの過激な発言に慌てる桜だったけど、わたしとしても結構同感だったりする。
まぁ、殺すのはやり過ぎだけど、今回の聖杯戦争の事実を隠す役に立ってもらうつもりでいるから、無碍に扱うつもりもないんだけど。
大聖杯に続く洞窟に向かうと、とんでもない光景が広がっていた。
「何これ?」
「アーチャーとギルガメッシュの戦いの痕です」
これが? っていうか、地形が変わってるよ。
確かあたし達がここに来た時は、こんなに開けていなかったし、地面も剥き出しになっていなかった筈なのに、まるで工事でもあったかのようにそこ等中掘り返されたようになっている。
「足元が崩れやすくなっています。 気をつけて下さい」
そういって先を歩いていたセイバーが、あたしの手を取って引いてくれる。
うわ、これは確かに危ないかも。
地面だけじゃなくって、細かく砕かれた岩なんかも落ちていてかなり足元が覚束ない。
そのままセイバーと手を繋いで洞窟を進みながらセイバーとランサーが戦っていた広場に辿り着いたけど、ここはそれ程変わった様子はなかった。
そして大聖杯。
既に大聖杯もアンリマユもなく、あの時の様子を思い出すには周囲の濃密なマナぐらいしか名残はなかったけど、確かにここで言峰と戦ったんだ。
「そういえば、言峰の遺体はどうしたの?」
「はい、彼の遺体でしたらランサーが担いで教会に埋葬したそうです」
セイバーはあたしを背負っていたから、余計な寄り道はせず直接遠坂邸に戻ったそうだけど、イリヤとランサーは教会に、凛は間桐邸に寄ってそれぞれ簡単な後処理をしたそうだ。
そういえば、イリヤは言峰が死んだ後すぐ、ランサーと再契約を結んだそうだ。
なんというか、イリヤは本当にそういところは抜け目ない。
教会では言峰の埋葬と聖杯戦争に関する資料の回収を、間桐邸では桜ちゃんの兄、慎二の魔術に関する記憶の隠蔽と工房の破壊、魔道書の回収が行われたそうだ。
「そっか、そんな事が……。 そういえば、聖杯戦争が早まった理由ってわかったの?
なんか言峰が早めたって言ってたんだけど」
「その件に関しては、アーチャーが教えてくれました」
なんでもアーチャーが固有結界を展開したことで、ギルガメッシュが今回の聖杯戦争を早めた方法を自慢げに語ったそうだ。
奴が言うには、大聖杯の足りない分の魔力は宝具をくべることで補ったとか。
確かに宝具も英霊ほどではないものの神秘の塊。 内包している魔力は物によるだろうけど、霊脈二、三年分を補うには余りあるのだろう。
それにしても、
「宝具を使うなんて勿体無いとか思わなかったのかな?」
「さぁ? 彼の者の考え方は最後まで理解できませんでしたが、彼に言わせれば”宴を催すのも王たる者の務め”だそうです」
何考えてんだ……。
それにしても、固有結界を見て張り合って聖杯戦争を早めたことをバラすっていうのも、つくづく判らない考え方だ。
自分の方が凄いことできるんだぞ! って自慢したかったのかな?
暫くあたしとセイバーは無言で大空洞の中を眺めていた。
結局、こうしてやって来てはみたものの臓硯とアサシンの事に関しては現実感は持てそうになかったけど、聖杯戦争が終わったということに関しては実感することができた。
ほんの一週間ほどのことだったのに、何ヶ月も過ごしたかのような濃密な時間だった。
まるで、七年前から続いていた全てのことが、この一週間に集約したかのように。
「セイバー」
「はい」
「鞘返すのもう少し待ってもらえる?」
セイバーを振り返って目を真っ直ぐに見つめながら聞いてみる。
本当は今すぐにでも返したいんだけど、今のあたしにはまだ宝具の投影はできない。
しかも剣ではなく鞘ということを考えれば、相当難しいだろう。
それに何より、
「あたしはもう少しセイバーと一緒に過ごしたいって思ってるんだけど、セイバーは?」
「勿論私もです」
そういって微笑みかけてくれたセイバーからは、心からそう思ってくれていることが伝わってきた。
よかった。 セイバーは聖杯探索を誓っているはず。 最悪鞘を諦めてでも契約を切って、また探索に行ってしまうんじゃないかと思っていたけど、これで最初に約束したように鞘を返すことができる。
正直、聖杯戦争の間はセイバーにはお世話になりっぱなしだったから、鞘を返す約束ぐらいは守りたかったんだ。
「あ、じゃあ、あたしを守れなかった罰は、鞘を返すまで一緒にいるってことにしようか」
「そうですね」
そういって微笑むセイバーに嬉しくなって、あたしも微笑み返した。
「じゃあ、これからもよろしくね、セイバー」
「はい、こちらこそ」
そしてあたし達は笑顔のまま、握手を交わした。