みんなが出発してから、そろそろ一時間ほどが経とうとしています。
わたしとライダーは居間でお茶をしながら待っているのですが、折角炒れたお茶も飲む気になれず冷たくなってしまいました。
「はぁ……」
「大丈夫ですよ、桜」
もう何度目かもわからなくなった溜息に、ライダーが気遣わしげに声を掛けてくれる。
「そうだよね、みんな強いんだし心配ないよね」
「はい、三騎士の内二騎がこちらの陣営なのですからそうそう遅れをとることはありません」
そういって笑いかけながら慰めてくれるライダーだったけど、
「……ライダー。 元アーチャーとランサーがいるって意味では向こうも一緒なんだけど」
「あ……」
折角のライダーの慰めだったんだけど、その条件が向こうも全く同じでは意味がない。
まぁ、ライダーの慰めはちょっと見当違いだったけど、お陰で場の雰囲気は和みました。
「ふふふ」
「笑わないで下さい、桜」
わたしは冷めた紅茶を飲んで、照れてそっぽを向いているライダーに笑いかけた。
「桜!」
「え……っ!」
わたしが余りにも笑いすぎたのか、ライダーはソファーから立ち上がって一気にこちらに向かってテーブルを飛び越えた。
怒っちゃったかな? なんて思っていると、
「何者かが遠坂の結界を越えました。 サーヴァントの気配はありません」
「それって……」
「はい、アサシンのマスターの可能性が高いということです」
お爺さまが……。
『剣製少女 第五話 5-2』
ランサーは肩に担いだ槍をぽんぽんと跳ねさせながらあたし達を無遠慮に眺める。
その表情はニヤニヤと絞まりがなく、とてもこれから戦おうという人間には見えない。
「年が大分足りねえが、そっちは華やかでいいねぇー」
「なっ!」
ランサーが空いた手を顎に当てながら品定めするようにあたし達を眺めて失礼なことを言ってくる。
まぁ、年が足りないって言うのは本当のことなんだけど、あたしとイリヤを見た時の笑い方が明らかに小馬鹿にしたような感じだったのは見逃さなかったぞ。
イリヤなんて完全に敵対視して睨んでるし。
「マスターを侮辱するつもりなら許しません。 構えなさいランサー」
「はっ! やる気満々なのは嬉しいんだがな、そう慌てんなってセイバー。
女子供だからって容赦するつもりはねぇが、マスター連中は邪魔だ。 奥で言峰が待ってるからとっとと行きな」
そう言ってランサーは左手の親指を立てて自分の背中のほうを指し示す。
その先にはさっきまで歩いてきた通路そっくりの道が続いていて、あの通路を通った先は大聖杯に続いていたはずだ。
「どういうつもりですか?」
「さぁな、俺が聞かされてるのはマスターの嬢ちゃん達は知り合いだから、ここまで来たら奥に通せってだけだ。
こっちにとってもマスターなんざ居たって邪魔なだけだからな、ほら、さっさと行け」
あたしと凛は思わずお互い見合わせてしまった。
ここまで全く姿を見せなかった上、別の聖杯戦争では最後まで姿を現さなかったらしい言峰が、この土壇場の場面で自らあたし達に会おうっていうのだ、何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう。
「待ちなさいランサー。 マスターが邪魔というのは貴方の都合だ。
敵マスターと会うというのに、マスター達だけで行かせるつもりはない」
「つまんねぇこと言うなよ。 マスターはマスター同士、サーヴァントはサーヴァント同士楽しくやろうぜ」
そういって、さっきまでだらしなく肩に担いでいた槍を構えるランサー。
どうやらセイバーがマスター達に付いて行こうとしたら、力ずくでで邪魔しようというつもりらしい。
「いいじゃない、二人とも行って来なさいよ。
危なくなったらこっちに逃げてくることぐらいはできるでしょ。
それに、セイバーがランサーを倒せばすぐにでも加勢に行ける訳だし」
どういうつもりなのか、イリヤは腰に手を当てながら”二人とも”と言った。 つまり、自分は行く気がないということだ。
今さら戻ることは考えられないから、イリヤはここに残るつもりらしい。
「なんで? なんでイリヤは行かないの?」
「わたしが行ってどうするのよ。 大体言峰と会うなって言ったのはシロのほうでしょ?」
そういって微笑むイリヤ。 その笑顔は邪気がなく何かを企んでる様には見えないんだけど……。
「いいわ、行きましょう詩露」
「え、ちょっと凛!」
何を思ってか凛は一人でどんどん行ってしまう。
イリヤは笑顔で手を振っているし、セイバーは若干躊躇しているもののイリヤが言った様にランサーをすぐ倒せばいいと考えているのか動こうとせず、ランサーは既にあたし達に興味をなくしたのかセイバーにしか視線を向けていなかった。
仕方なくあたしも凛に付いて行くけどやっぱりセイバーが気になって振り返ったが、セイバーは落ち着いたまま
「すぐ駆けつけます。 無理はなさらないように」
「うん、セイバーも頑張って」
と、笑いかけてきた。 それは今までのような小言というよりも、励ましのように感じたのであたしも”気をつけて”ではなく”頑張って”と声を掛けて凛の後に付いて行った。
凛に付いて通路を歩いていると、先程の広場が見えなくなった辺りで凛がラインを通して話しかけてきた。
(さっきのイリヤだけど、もしかしたら大聖杯に近付きすぎると何か影響があるのかも)
(何かって!?)
あたしも声には出さなかったけど、話の内容に驚いて足を止めて凛を凝視してしまった。
(そこまではわからないけど、彼女は聖杯なんだから大聖杯、もしくはその中にいるアンリマユと物理的に近くなりすぎると何か影響があるのかも)
(そんな事出発前は一言も……)
思わず出発前のイリヤの様子を思い出したけど、そんな重要な事を黙っている素振りは一切見せていなかった。
もっともイリヤはポーカーフェイスが上手というか、心を隠すのが上手な子だからあたし程度じゃ見抜けないだろうけど。
(どうするの?)
(別にどうもしないわよ。 あの子はすぐ人に突っかかってきたり、感情任せに動いているような処はあるけど馬鹿じゃない。 アンタと違って自分の面倒は自分で見られるでしょ)
まぁ、確かに凛の言うようにイリヤはあたしに比べればよっぽどしっかりしている。
そう考えれば無茶はしないだろうとは思うんだけど、時々理性よりも感情で動くことがあるから……。
「そんなことより、ほら。 見えてきたわよ」
そう言って今度はラインではなく、肉声で声を掛けてきた凛は前方を指し示した。
凛の示した先には小高い丘が見えた。 そこは先程の広場より広い空間で天井も高かった。
濃密な魔力は水の中を歩いているように肌に纏わりつき、吐き気と共に息苦しさを増していた。
「遅かったな二人とも」
あたし達が大聖杯の丘を登っていると、聞き慣れた声が掛けられた。
その声の出所に視線を向けると、いつものように言峰が後ろ手に手を組んでこちらを見下ろしていた。
「綺礼……アンタ一体」
「それはこちらのセリフだ。 聖杯戦争だというのに、お前たちは一体何をしている」
それは間違いなく言峰だった。
だが、奴はあたし達が最後に見た姿から一気に数十年は年を取ったように老け込んでいた。
肌は肌理を失い干からびたようになり、目尻や口元には細かい皺が刻まれ、髪にも白いものがちらほらと見られるだけでなく、あれだけ筋骨隆々だった肉体は一回り小さくなったように感じる。
服から覗いている部分は顔しかないため判然としないが、恐らく顔だけでなく体全体が干からびたようになっているんだろう。
「別に、大聖杯をブッ壊してやろうって思ってるだけよ。
それより暫く会わなかった間に随分苦労したみたいね」
「なに、できの悪い弟子を抱えていてな。
それは兎も角、大聖杯を破壊するとはどういうことだ」
「はぁ、アンタいい加減惚けるの止めたら?
こっちは大筋把握してんだから!」
言峰の皮肉にうんざりとして凛が答える。
そう、こっちはアーチャーっていう情報源があるんだ。 言峰が実はランサーのマスターで聖杯戦争に参加しているっていうのも、前回のアーチャーであるギルガメッシュを従えているっていうことも知っている。
それを聞いた言峰は自嘲ともとれる笑いで肩を揺らしている。
「そうか、間桐のご老体が言っていた事は本当だったようだな。
しかし、生前マスターだった者が英霊として召喚されるとは。
……それで、自身の完成系を見てどう思った、衛宮士郎」
一瞬目の前が暗くなった。
なんて言いやがったこいつ。 なんでこいつが”衛宮士郎”という名前を知っている?
まさか、凛が?
そう思って凛を振り返ると凛も愕然とした表情で言峰を見ていた。
「ふむ、この段階になって尚その事は知らされていなかったか。
どうやらその英霊も全てを知っているというわけではないようだな」
そういって言峰は愉快そうにあたし達を見下ろした。
「ちょっと、綺礼。 ”その事”って何よ。
アンタ、詩露の何を知っているっていうの!?」
逸早く動揺から回復した凛が言峰に食って掛かる。
「なに、詩露とは凛より若干早く知り合っていたというだけだ」
「そんなことで納得すると思ってるの? 知ってることを話しなさい」
遠回しな言い方をする言峰にイライラとしながら全てを話せと詰め寄る凛。
「そうだな、その話をする前に七年前の聖杯戦争の事はどの程度知っている?」
「アンタがギルガメッシュのマスターとして参加していて、詩露の養父と一騎打ちになって負けた。
その時そこの厄介なサーヴァントの所為で街が火の海になったってぐらいかしら」
凛は”そこの”と言ったとき親指でアンリマユのことを指し示したが、それ以外は不機嫌そうに腕組みをしていた。
そんな凛の態度とは裏腹に、言峰はアンリマユのことをさも愛しそうに見上げていた。
「そう、そして私たちの命の恩人とも言える」
「全てを話したらどうなの。
どうせアンタも話したくってうずうずしてんでしょ?」
「そうだな、お前たちが聖杯を求めないで大聖杯を破壊しようというのだったらただの障害だ。
排除する前に全てを教えてやるのも慈悲というものか」
そう言った言峰はあたしを見ながらとても嬉しそうに笑った。