玄関でトントンと爪先を蹴突きながら靴のずれを直す教師が問う。「じゃあ、私、学校に行くけど。御免ね。二人の看病お願い出来るかしら、アリアさん」「お任せ下さい、藤村先生。お気をつけて、いってらっしゃい」「気を付けてね。士郎の事だから、多分家事でもしようと無茶するかも。そんときゃ、簀巻きにして縛り付けちゃってもいいから、ちゃんと休ませてあげてね」「あはは、そうさせないよう気をつけます」 努めて自然に振舞うよう気を配り、何も知らぬ善良な彼女を、手を振り送り出す。 そう、今日は大事を取り、凛と士郎には学校を休んでもらったのである。昨夜の戦闘で疲弊している彼等には、我々サーヴァントとは違い十分な休息が必要だからだ。 とりあえず、士郎は土蔵で転寝をして風邪を引いたという事にして、彼女を納得させた。 問題は凛で、彼女は仮病を取り繕う前に藤村先生と鉢合わせしてしまっていた為、已む無くその記憶を魔術で操作し、忘れさせなければならなかった。(御免なさい、藤村先生) 甲高いスクーターの排気音を響かせて遠ざかる彼女に胸中で詫びる。やはり、人を騙すというのは、些細な事でもあまりしたくはない。そう、それが必要な事であっても。 感傷はここまでにしよう。この程度の棘で彼女の日常が護られるなら幾らでも耐えよう。「さて、それでは……一つずつ、問題を片付けていきますか」第二十五話「剣士の葛藤と主の想い、小隊は会議に挑む」 朝日の柔らかな光が差し込む窓の向こうから、藤村先生の乗るスクーターの音が室内に飛び込んできた。甲高いその音が遠ざかるのを確認して、部屋を出る。 仮病を使った手前、彼女が出かけるまでは自室で大人しくしているしかなかった。 念話でアリアに確認を取る。(もういいわね、アリア?)(はい、大丈夫です。士郎君を呼んで、先に居間に戻っていてください)(セイバーは?)(…………。出来たら、お願いします) 判った、と彼女に答えて母屋へと向かう。そう、彼女は早朝の一件の所為で部屋に引き篭ってしまった。そのまま出てくる気配は無いので、藤村先生には士郎の看病の為にアリアと一緒に居てもらうと説明した。「どうしたものかしらね……」 不意に内心の呟きが漏れる。あくまで彼女の問題だから、私が無神経に介入していい事じゃない。でも、だからこそ余計、やるせない。 そんな事を思っているうちに士郎の部屋の前に着く。「士郎、居る? 先生はもう出かけたわ。一緒に来て」「ん、ああ。判った」 襖を開け、士郎が部屋から出てくる。一応、汗だくになった服は着替えたらしい。 そんな彼が、襖を閉めながら声を潜めて尋ねてくる。「それより、セイバーのやつ、どうかしたのか?」「うん? 一寸ね……。そういえばあの後、貴方何処に居たの?」 彼の声に同調するように此方の声量も絞って聞く。「俺は、身体でも動かしてスッキリしようと思って道場に。で、戻ってきたら、セイバーがなんか物凄く思い詰めた顔して、部屋に戻る所でさ。如何したんだって聞いても、すみませんシロウ、今は一人にさせて下さい。としか答えてくれないんだ」「そう。じゃあ今も彼女は其処に?」 親指でくい、と隣の和室を指し尋ねると士郎は頷き返す。「その筈なんだけど、ん? 妙だな、いつの間にか気配がしない」 その言葉を聞き、軽くノックして中の様子を伺う。「セイバー、居るの? 入るわよ?」 意を決して襖を開けると、中に居たのは白いお子様だけだった。「ん、ふぁ……なぁに、リン? 私まだ眠いんだけど」 眠たそうに目を擦りながら、布団からのそりと上体を起こしたイリヤがそう答える。「イリヤだけ? ねえ、貴方、セイバー知らない? 此処に居た筈なんだけど」「んー? 私と入れ違いに出てったみたいよ。何処へ行ったかまでは知らないわ」 まだ眠いらしく、気だるそうな声で説明してくれる。「深刻な顔してたから、何処か一人になれる静かな所じゃない? この屋敷には、そういう時にうってつけの場所とか無いの、お兄ちゃん?」「うん……あるとしたら、あそこかな?」 士郎が顎に握り拳を当て考え込む。どうやら一箇所、思い当たる場所があるらしい。「何処?」「道場だよ。セイバーの性格なら、多分、あそこのしんと張り詰めた空気とか、結構気に入ってると思う。道場って、よく座禅組んで精神統一したりもするだろ」「成る程ね。行ってみましょう」 アリアには悪いけど、少し待っていてもらおう。彼女も居なければ作戦会議は始められないのだから。そんな事を考えている内に道場に着く。「セイバー、此処に居るのか?」 士郎が恐る恐る慎重に中を覗きこむ。内部を見渡す彼の頭が一点で止まる。どうやら当たりのようだ。彼女は道場の隅っこで正座の姿勢のまま俯き、緑の相貌は前髪に隠れ、沈み込んでいた。「セイバー……」「此処で正解だったようね」 靴を脱ぎ道場へと足を踏み入れる私達に気付いている筈なのに、彼女はぴくりとも微動だにしない。意識を此方へ向けようとすらしない。 無言でゆっくりと近づいてゆく。漸く意識を此方に向けた彼女がその頭をもたげた。「凛、シロウ……。何か私に御用ですか? 申し訳ないが、出来れば、もう少し一人で考えさせて欲しいのですが……」「――そうね。私も出来る事ならそうしてあげたいわ。だけど、余り時間も無いの。だから、必要事項だけ伝えておく。これから作戦会議よ。だから貴女にも一緒に参加してもらわなきゃいけないの。最低でも昼前には居間に集合。いいわね?」 自分でも甘い判断だという事は判っている。だけれど、此処で彼女に無理強いをして彼女との関係を拗らせたくはないし、それが状況を好転させるとも思えない。 だから、私が出来る最大限の譲歩として、時間を与える事にする。願わくば、この僅かな時間だけれど、彼女の強さに望みを託したい。「……判りました。昼前までには戻ります」「その言葉、ちゃんと守ってね」 最後にそれだけ口にして、彼女の前から去る。その去り際、唐突にアリアから念話が飛び込んできた。(凛、士郎君を彼女の傍に。今の彼女には、彼が必要なんです)(判った。……大丈夫、なのよね?) 何となく、根拠のない直感でしかないのだけど、何故か、彼女の言うままにセイバーの元に士郎を残していいのだろうか。今、二人だけにしてしまうと、互いに衝突するんじゃないだろうかという不安が微かに脳裏をよぎった。(その直感は、恐らく当たります。ですが、それはきっと、避けて通ってはいけない物だと思うのです。彼等にとって必要な……) どうやら、アリアも私達の様子が気になって遠目に見守っていたらしい。(そう。……判ったわ。他でもない貴女がそう言うんだから、そうなんでしょう。でも、もし、おかしな方向に傾きそうになったら、ちゃんと軌道修正しなさいよ?)(心得ております) その言葉に、一先ず安心する。この場はとりあえず士郎に任せよう。彼女のマスターは他でもない彼なのだから、同盟者とはいえ、外様の私がでしゃばる事じゃない。「じゃ、後は宜しくね士郎」「え、ああ。……えっ、遠坂?」 唐突に場を任され狼狽える士郎の肩をぐいっと引っ張り、耳元で小さく囁く。「セイバーはアリアの秘密を知ったの。今、彼女は葛藤の渦の中よ。だから、そんな彼女を支えてやれるのはアンタだけって事! 解った?」「わ、判った。なんだか良く解らないが、とにかく判った」 理解は出来ていないが、判断はしたと言う。まあ鈍い士郎にしては及第点かしら?「じゃあね、私は居間で待ってるから」「お、おう」 士郎の返事を背中に受けながら、私は道場を後にした。************************************************************** 開け放たれた戸口から、小鳥の囀る声が室内に入ってくる。もうどの位このまま此処に突っ立って居るんだろうか。そもそも、俺は何をしたら良いのだろう、彼女の為に。 ……分からない。そんな答えの出ない自問自答を幾度繰り返した頃だろうか。 徐に、彼女が切り出してくれた。「何時まで、そこで棒立ちで居る心算なのですか、シロウ?」「あ、ああ!? すまん。邪魔、か?」「い、いえ。……はい。出来れば、今は席を外して頂けると在り難いのですが……」 否定するも、考え直し素直に告げてくれるセイバー。あまりにも誠実すぎるが故のその不器用さに苦笑を覚えつつ、だがその願いは残念だが聞けない。「悪いな。迷惑だろうけど、今日は付き合ってくれ。なんなら、一昨日みたく組手鍛錬でもいい。……さっき、遠坂から聞いたよ。アリアの秘密を知ったんだって?」 最後の言葉にセイバーがびくりと背筋を震わせる。その反応を尻目に、よっこらしょとその場に腰を下ろし、胡坐を掻き、続ける。「セイバー、一体アリアの何を知ったっていうんだ。セイバーがそこまで落ち込んでいるのは、彼女の秘密に関係があるんだろう?」「それは……」 言いよどむセイバー。余程衝撃的な秘密だったんだろう。ただ、何となく。セイバーが受けた衝撃の正体が何なのか、俺は知っている気がする。 というか、自分も味わった事があるモノのような、漠然とだが、そんな気がするのだ。「セイバー、話してくれないか。俺みたいな半人前のマスターじゃ、全然力にはなれないのかもしれないけど。思い悩んでいる事があるのなら、誰かに話せば、少しはスッキリと頭も整理できるかもしれない」 俺の言葉で少しでも意を決してくれたか、ぐっと口の中に溜め込んでいた感情をゆっくりと吐き出すように、セイバーが口を開く。「…………。アリアは、彼女は私の未来の姿、転生した私だというのです」 驚かなかった、と言えばそれは嘘になる。だが、それは何処か、漠然とだが、予想は出来ていた答えだった。彼女とセイバー、二人は他人と言うには余りに似すぎている。 親戚、否、姉妹? 否、肉親と言えど、ここまで似通えるものだろうか。 彼女等の似方は、そんな次元のモノじゃない。確かに、見た目の年齢やサーヴァントとしての性能には明らかな違いがある。だが、彼女等には、肉親よりも遥かに濃密な共通性が無数にあった。それが単なる他人の空似、偶然だなんて、どうして思えるだろう。 二人共、信じられない程ある一点が“同じ”だった。それは肉体ではなく、寧ろ内面、精神性。いや、もっと深い、根本的な心、魂。それが同じモノとしか思えなかった。 “同じ”だけど“違う”モノ。それが彼女達。その矛盾としか言いようの無い彼女達の関係。その正体、真実がそれだったのだ。「そっか。そりゃあ、驚くなってほうが無理だよなあ」「――? 案外、驚かれないのですね、シロウ……」 俺の反応があまりにそっけないんで、セイバーが怪訝な眼差しを向ける。「意外か、セイバー?」「はい。何故です?」「何故って言われてもなあ。忘れたか、セイバー? 自分の未来の姿を見せ付けられたのは、何もセイバーだけじゃないぞ」「あっ……。そうでした。あのアーチャーは、貴方の……」 そういう事だ。セイバーが知ってしまった衝撃の真実と言う奴は、なんてことは無い、俺も経験していた、未来の自分という知りたくも無い姿だったのだ。 一体どんな皮肉なんだろうか。この聖杯戦争に巻き込まれた俺達マスターとサーヴァントの両方が、この戦いの中で未来の自分と向き合う事になるというのは。「まあ、彼女だってセイバーの未来の一つの可能性という奴なんだろう? セイバーが必ず彼女のようになる、とは限らないじゃないか。そんなに気にする必要は……」「違います!! ……違うのです。そんな理由じゃないんです、シロウ」 セイバーは突然に、堰を切ったように声を荒げ、激情を込めて俺の勘違いを否定した。「彼女の在り方は問題ではないのです。彼女は私が辿った、いえ、これから辿るかもしれない一つの結果。それは認めます。例え否定した所で、彼女の存在は消えませんし、私も彼女の在り方をそんな理由で辱めたくは無い。ただ……」 アリアは自分の未来の一つの結果、それを否定したいなんて理由ではないと。それは彼女に対する最大の侮辱であると。 だというなら、セイバーが思い悩む理由とは何処にあるというのだろうか……。「私が思い悩んでいるのは、彼女は、私が抱えている問題に答えを出した私だからです」「セイバーの、問題?」「はい……。シロウ、貴方には、もう全てを明かさねばなりません。私が何者なのか」「何者って、まあ。そうだな。改めて教えてくれないか、セイバー」 彼女が何者なのかはもう知ってる。というか、判っている。昨夜目にしたあの光り輝く聖剣を見たから。妖精の手で鍛えられた神造兵器、聖剣エクスカリバー。 あの音に聞く聖剣を扱える英雄なんて、古今東西に伝え聞く英雄でも一人しか居ない。「はい。私の真名はアルトリア。ブリテンの王、アーサー・ペンドラゴンと呼ばれた者」「うん。昨日のことで判ってはいた。けど、ありがとう、セイバー」 真名を自らの口で明かしてくれた事に感謝の気持ちを込めて頭を下げる。彼女はこんな俺のような半人前のマスターに、全てを委ね、信頼してくれているのだから。「あ、頭を上げてくださいシロウ! そんな、お礼を言われるような事ではありません。 寧ろ逆です。非礼を詫びなければならないのは私の方だ」「それは最初に理由と一緒に謝ってくれただろ。だから気にするな。これは俺の率直な気持ちだ。だからセイバーは何も気に病まなくていい」 頭を上げ、真っ直ぐにセイバーの目を見つめ返し、はっきりと答える。それでやっとセイバーの表情から逡巡が消える。よかった、納得してくれたようだ。 彼女の口から、告白の続きが語られ始める。「解りました、シロウ。ですが、まだ私にはもう一つ、貴方に謝らなければならない事があります。以前、私が霊体化出来ないのは、契約時の何らかの異常によるものではないかと言いましたね。申し訳ありません。アレは、嘘なのです……」「え? それは、つまりどういう?」 重苦しそうに眉根を寄せて、辛そうな表情でセイバーは告白する。 一体如何いう事だろう。彼女が霊体化出来ない理由は別にあるという事なのか。「私が霊体化出来ない理由、それは、私がまだ完全な死者ではないからなのです」「え!? 完全な死者じゃないって、一体如何いう事なんだ?」「言葉通りの意味です。私はまだ、正確には死んでいません……」 セイバーの口から、あまりに衝撃的な真実が語られてゆく。「最後の戦で致命傷を負い、死が目前に迫った時、私はどうしても聖杯を求めざるを得なくなってしまった。そして、世界と契約したのです。 死後の私を代償に、生きている間に聖杯を手に入れる為に……」 尚もセイバーの述懐は続く。その内容には唯々驚かされるばかりだった。 曰く、彼女は世界と契約をしたが、その条件が“生前に聖杯を手に入れること”である為に、彼女の肉体は今も死の一瞬前で時を止め、聖杯を得るためにあらゆる時代、あらゆる場所に生きたまま送り込まれるのだという。 故に、本来は死者である英霊と同じ存在として、例外的に生者のサーヴァントとなり、この聖杯戦争に参加した。彼女が霊体化出来ないのはその為だという。「成る程。セイバーはまだ厳密には生きているから、霊体になりようがなかった訳か」「そうです。……申し訳ありません。シロウには何の非も無い事だったのです」 もう何度目になるか判らない謝罪。そんな事、俺にとっては些細な事過ぎて怒りどころか不満すら沸かないってのに。こういうところは確かに誰かさんソックリだ。「もういいよ、謝らないでくれ。セイバーがどんなサーヴァントだとしても、おまえが来てくれなかったら、俺はあの時殺されてた。どんなに感謝しても足りないくらいさ」 素直な気持ちをセイバーにぶつける。きっと彼女にはその方が伝わると思ったから。「シロウ……すみません」「ほら、また。そういうところは、本当にアリアと一緒だな」「あ……確かにそうですね」 ハッとして目を丸くするセイバー。自分でも自覚したのか、それまでずっと沈んでいた彼女から思わずクスッと笑みがこぼれる。それは自嘲的な物だったのかもしれない。 だがその表情が、妙に微笑ましいというか、可愛らしく見えてしまって、その、なんというか、今のは凄く反則だと思う。やっぱりセイバーもあんな顔が出来るんだな。 うん。アリアもそうだけど、彼女には笑顔も似合ってる。剣を握る時の凛々しい顔も彼女らしいが、きっと彼女の根は此方なのだ。「あれ? でもアリアがセイバーの転生した姿って事は……あれ? 確か、英霊って輪廻から切り離されるから、もう転生したり出来ないよな?」 俺のその問いが問題の本質だったのか、セイバーの綻んだ表情が途端に真剣な物になる。「はい。本来のサーヴァントなら……。ですが、先ほど申したように、私はサーヴァントとしては半端な、仮契約者に過ぎません。契約の条件を反故にしてしまえば、私は霊長の守護者となる事無く、歴史どおりに死を迎えるでしょう」「そっか。……まてよ、という事は、アリアは聖杯への望みを捨てたって事に……あ!」 思い出した、アリアは以前語っていた。自分達の時、セイバーは聖杯を自ら破壊したと。 あのセイバーとは、実はアリア本人だった。ということは……。「そうです。彼女は自らの手で呪われた聖杯を破壊した。そして、彼女は聖杯に望んだ己の願いをも断ち切ったのです……。 わからない……私には、彼女が何故願いを捨てられたのか、理解(わか)らない」 やっと解かった。それがセイバーを苦しませる心の棘だったのか。聖杯という奇跡にまで縋ってでも、成し遂げたいと願った何か。それを未来の自分は捨て去ったと言う。 そりゃあ、自己矛盾に陥って茫然自失ともなろうものだ。彼女の悩みとは、自身が何故此処に居るのかという存在理由を根底から突き崩す破城槌だった。「なあ、セイバー。その、おまえの願いって一体何なんだ? 教えてくれないか。アリアが何を思って願いを捨てたのか、考えてみたいんだ」 以前、一度尋ねた事がある彼女の願い。あの時は拒まれ、教えてくれなかった。だけど、それが彼女の心を苛む原因となってしまった以上、俺にはもう放っておけない。「それは……」「ご免。おまえの心に土足で踏み入る事になるのは判ってる。だけど、もう俺は、おまえのそんな辛そうな顔は見ていられないんだ!」「シロウ……」 ここまで言っても決心がつけられないのか。もう此処まできてしまっては此方も止まれない。後には引けない。抑え込んでいた感情が堰を打ち破る。「セイバー、前に言ってたよな。本当はやり直したいだけなのかもしれないって。それは一体、何をやり直したいと思っているんだ?」 セイバーの手がぎゅっと、正座をした膝の上で握りこまれる。「それは……、王の選定の、やり直しです」「王の選定の……?」「はい。騎士達の反乱で荒廃しきってしまった国の有様を見て、私が王となった事がそもそもの間違いだったのではないか、そう思わずには居られなかった」「なっ……!?」 余りに馬鹿げたその言葉に、思わず頭が沸騰しそうになる。だが、彼女の吐露はまだ終わってはいなかった。喉元までせりあがっていた文句と感情を寸での所で飲み込む。「最初は、執政を誤ったのではないかと思った。一体私は、何処で間違ったのかと。けれど、考えるうちに、問題はもっと根底にあったのではないか……そう、本当は私のような者より、もっと王に相応しい騎士が居たのではないか。その者ならば私よりも、より永く平和な国を築けたのではないだろうか、と。 だから、私は王の選定をやり直したい。王の責務は国を護る事。でも、もう私には……国を救う為にはもう、それ以外に方法が無いのです!!」 悲痛な魂の悲鳴が道場に響く。セイバーは目に涙こそ見せないが、その瞳は微かに潤み、その悲しみに辛く歪んだ相貌は今にも泣き出しそうなものだった。「……ばっかやろう。そんな事を望んでたってのか、おまえは……」「シロウ……?」 俺の呟きが聞こえてしまったか、セイバーは少し怪訝な顔で此方を覗き込む。「よく、解ったよ。アリアがどうしてその願いを捨てたのか。アリアは、彼女は気付けたんだ、自分の過ちに……。セイバー、おまえの願いは、間違ってる」「なっ……シロウ!?」「考え直せセイバー。過去のやり直しなんて、全然おまえらしくない!!」 拙い、つい語気を荒げて怒鳴ってしまった。だけど言わずには居られなかった。一体全体、何がこいつを此処まで後ろ向きにさせてしまったんだろう。 騎士の誇りと忠誠を何より尊び、その誇りに賭けて俺と共に戦うと言ってくれた、あの強い彼女は何処へ消えてしまったんだ。「……貴方に、貴方に私の何が判るというのですか」「解からないさ、解かりたくもない! おまえはずっと頑張ってきてたんじゃないか!! だってのに、どうしておまえの願いが、頑張ってきた自分を否定する事なんだ!?」「それは……、王としての私が果たすべき責務だからです!」「この解からず屋! おまえは十分に王として国を治めてたじゃないか!!」 セイバーとの結びつきが強くなったからだろうか。昨夜、彼女の夢を見た。いや、夢と言うより、あれは彼女の記憶なんじゃないだろうか。 まるでセイバーの過去を追体験するかのような……ほんの転寝程度の短い睡眠だった為か、垣間見てしまったのはほんの少しだったけれど。 でも、戦乱の続く乱世を駆け抜け、束の間でも平和を取り戻したのは紛れも無い事実。「ですが、結局騎士達は私から離れ、国は戦火で荒廃してしまった。私が王でなければ、あのような滅び方はしなかったかもしれない……」「だからっ……! 確かに、そりゃあ失敗や悲劇をやり直せたら、悲劇も苦痛も何もかも無かった事に出来るだろうさ。でも、そのためにおまえは、自分を信じてくれた人達の思いや行い、今日までの彼等の歴史さえも全て消し去ってしまおうっていうのか!?」 上手く説明できない自分がもどかしい。想いは頭の中を駆け巡るのに、ソレを上手く言葉に出来ない。自分でもどう上手く訴えればいいか解からない。 でも解からせなきゃいけない。こいつは今、物凄く拙い過ちを犯そうとしている。それを止めて遣れないで何がマスターだっていうんだ! 上手く説得できなくて胸が焦れる。気が付けば思わず立ち上がっていた。「そんな事を許される資格が一体誰にあるって言うんだ。王の責務の為なら、おまえは彼等のそうしたモノを全て犠牲にしても構わないって言うのか、セイバー!?」「――っ!! それは……」 見下ろす形でセイバーの目の奥を見つめながら問う。動揺に揺れる翡翠の瞳。その視線は虚空を惑い、何処に焦点を定めているのかも判らない。「考え直すんだセイバー。過去の帳消しだなんて、あまりにもおまえらしくない」「ですが、私は……」 これだけ言ってもまだ駄目なのか……。セイバーにとっては王の責務が全て。自分の命は愚か、自分の意思よりも全てにおいて優先する……。 そんなだから、あの終焉はどうしても受け入れられないほどの衝撃だったんだな。「……もういい。これ以上俺には何も言えない。言いたい事は出尽くしちまった。後は、セイバーが自分で考えてくれ。確かに、これはおまえ自身の問題だ」 俯き、悲痛な色を滲ませた相貌を伏せたままのセイバーを背にして、道場を後にしようと足を踏み出す。丁度、その時だった。「やはり、こうなりましたか」「あ、アリア!?」 道場の入り口に立つ意外な顔が其処にあった。セイバーも気配には気付いていなかったらしい。無言だが、はっと息を呑む気配を背後に感じる。「アリア……てっきり居間で待ってると思ってた」「ええ。その心算でした」 さらりと、事も無げに答えを返してくる彼女の表情は何時にもまして穏やかだ。いや、穏やかというか、普段以上に落ち着いているというか。 表情は普段の彼女が見せる穏やかなものなのに、その眼光と声音には戦いの前に見せるような、ピンと張り詰めた鋼線のような硬さがある。「……と、いうと?」「アフターケアは必要だろうと思ったので。セイバーの抱える問題について、貴方が彼女と話し合えば衝突する事になるのは判っていましたから」「ああ……」「まあ、思った程激しいぶつかり合いはしなかったようなので、余計な口は挟まずに居ようかとも思ったのですが……」 そっか。アリアは前世がセイバーだったんだっけ。口ぶりから察するに、きっと彼女も平行世界の俺と衝突した経験があるんだろうな。 良く気が回る彼女の事だ、恐らく、俺とセイバーが口論で熱くなりすぎて喧嘩に発展しそうになったら、止めに入る心算だったんじゃないだろうか。 ん……? それにしては、何か引っかかるような言い方をしたような。「ですが、それが返って災いしたか、彼女の心に自分の本心と対峙させる切っ掛け、自分の弱さに正面から向き合わさせる程の衝撃には到らなかったようですね」 アリアは俄かに際どい発言と共に道場の中に入ってくる。「え、アリア? それはどういう意味で……」「いいから。今は黙っていて下さい」 俺の口を遮るように人差し指で唇を押さえられる。茶化すような仕草だが、その瞳に宿る光は真面目な輝きだった。その双眸を信じて、とりあえず口を噤む。「ありがとう」 短くお礼を言うと、俺の横をすり抜けてセイバーの前に立つアリア。「セイバー、少しだけ昔話に付き合って下さい」「…………」 何を語りだす気だ、と怪訝な視線を返すセイバーだが、無言で続きを促す。「私が嘗て、貴女と同じようにこの聖杯戦争を戦ったセイバー、騎士王アルトリアだったという事は先ほど話ましたね。そして、私は聖杯への願いを捨てたと。 何故捨てたのかと、貴女は私が出した結論を認められず、もがき苦しんでいる」 アリアは淡々と簡潔に語ってゆく。その言葉に、俯いていたセイバーが顔を上げる。「セイバー、私がそう簡単に、その願いを捨て去れたと思いますか?」「え……?」「そんな訳が無い事くらい、貴女なら判る筈です。私は貴女だった者なのだから」「あ……」 セイバーの瞳に、微かな驚きの色が混じる。確かに、俺にもちょっと意外だった。今のアリアの人柄からは、そんな弱さを感じる事はなかったから。「私だって、散々彼と、シロウと衝突しましたよ。何度も口論でぶつかって、挙句の果てには喧嘩別れまで。それでも、彼は決して自分を曲げなかった。そして、結局正しかったのはシロウだった。それは、考えてみれば当然の事だったのです。 何故なら、彼が自分を曲げなかったのは、ただ一途に私を、一切の打算も他意も無く、純粋にセイバーという一人の少女の幸せを思ってのモノだったから」「…………」 セイバーが言葉にならない声を吐く。何かを口にしたいが、何を言えばいいのか判らない。また何を言いたいのかも解らない。そんな感じだった。 それは実の所、俺も同じだった。俺とは違う、アリアがセイバーだった世界で共に戦ったという別の俺。そんな、自分なのに別人の俺が彼女の目を覚まさせたという。 自分が遣った事ではないにせよ、何だか気恥ずかしくて居心地が悪い。だけど、彼女の事を思って、彼女の妄執に正面からぶつかって正そうとしたって部分には共感する。 そこは、俺も全く同じ想いなのだから。「私がそれを理解出来たのは、彼が聖杯に奇跡を求めず、あの十年前の火事をなかった事にはしない、それだけは出来ないと、涙を流しながらその奇跡を否定した時です」「えっ……!?」 セイバーの目が見開かれる。信じられないと謂わんばかりの顔で。「あの時はまだ、聖杯の正体など知る由もなかった。聖杯は万能の杯だと思っていた。 そんな時だった。シロウは教会で胸に呪いの槍を受け、神父に拉致された。私を誘き寄せる餌として。教会の地下で、あの神父はシロウと私に、聖杯で望みを叶えよと求めてきた。あの男の目的は、呪われた聖杯をこの世に降臨させる事だったから。 でも……シロウはその時、奇跡に縋る事を頑なに拒絶した。何故だか解りますか?」「……やり直しは、求められないと?」 答えを聞くのが、怖い。そんな心の声が聞こえそうな程、セイバーの声は微かに、動揺に震えていた。息がつまりそうな声、セイバーの瞳が僅かに歪む。「そうです。私も、彼は聖杯を欲すると思った。いえ、求めるべきだと思っていた。あの地獄は彼の所為ではない。だから、衛宮士郎が背負う必要はないのだと。 だというのに、彼は否定した。どんなに苦しい過去だろうと、それはやり直せないと」 一呼吸置き、少し遠くを眺めるように語るアリア。それは彼女の独白だった。「初めは、彼は私と似ていると感じていた。でも、それは私の自惚れに過ぎなかった。 ――似ていると思っていたのは、自分だけ。彼の心は、私よりもずっと強かった」 視線を下ろし、穏やかにセイバーの目を見つめる彼女。「――その道が、今までの自分が、間違って無かったって信じている」 静かに、だが力強く放たれた一言。それが、何故か心を打った。「っ!?」「私のマスターだった彼は、そう言い放った。置き去りにしてきた物の為にも、自分を曲げる事だけは決して出来ないと。全てを無かった事に出来たとして、ならばそこで生まれた想いや行いの結果、また奪われてしまったそれらは一体何処へ行ってしまうのか」「――――!」「自分の過去を否定する事は、それら全てを、自分が奪ってきた多くのモノさえも否定するという事。それは騎士の誇りや、王の誓いさえも同じ」 アリアの独白は尚も続く。その述懐に、セイバーは言葉を返せない。返す言葉が見つからない。ただ震えながら、彼女の言葉を受け取り続けるしかない。「――無くした物は戻らない。痛みにのた打ち回りながら、私の主は必死に訴え続けた。 それでやっと、気付けた。私が犯してしまった過ちに。王として生き、その生涯に間違いなど無かった。ただ、その結果が滅びだっただけ。 結果は無残な物だったけれど、その過程には一点の曇りも無い。ならば、求める物などありはしなかった。私が求めていた物は、全て揃っていたのだから」 それが、彼女の出した答え。セイバーだった彼女が、妄執を断ち切ることが出来た理由。 今のアリアが何事にも前向きなのは、その心の在り方を取り戻したからなんだ。「全て、揃っていた……」「私の昔話はこれでお終い。私の答えを貴女が理解出来るか。それは貴女次第です。 それだけは私にも強制は出来ません。貴女の問題はあくまで貴女の物。それは貴女にしか解決出来ない物なのですから」 そう締めくくって、彼女は踵を返す。「まだ貴女には時間が必要かもしれませんね。作戦会議は昼からにしましょう。士郎君、申し訳ありませんが、彼女の事を頼みます」「あ、ああ。判った」 俺の返事に有難うと返して、彼女は道場の外へと消えていった。************************************************************** 道場から戻ってきてから暫く経つ。私は居間で彼等を待つ間、少しでも対策を練ろうと目の前に冬木市の地図を広げて、判り易く要所に印やら備考を書き込んでいた。「まあ、こんなものかしらね。判ってる範囲でだけど」 ボールペンを置き、記入漏れが無いか見直す。まあ、足りない部分は後で書き足せば良いし、アリアにも確認してもらえば良い。「そうだ。あのよく判らないオッサンの事もアリアに問い正さなきゃ」 忘れる所だった。彼女が協力者だと言っていた謎の連中がいた。彼等が何処の何者かは知らないが、とりあえず情報収集能力はそこそこあるらしい。 余り期待はしていないが、そっちの筋から何か新しい情報でも入るかもしれない。「ふう。そろそろお昼になりそうなんだけど。アリア、遅いわねえ」 なんてひとりごちていると、中庭から足音が聞こえてきた。どうやらアリアのようね。「遅くなりました」「おかえり。あら、二人はまだ向こう?」「はい。彼女にはもう少し時間が必要なようです」「そう」 部屋に戻ってきたのはアリア一人だった。セイバーはまだ立ち直っていないらしい。彼女は戻ってくるなり、座卓の上の急須や湯飲みをお盆に乗せ、台所へと向かう。「冷めてしまいましたね。今、新しく淹れ直します」「あ、ごめん。気を使わせちゃった」「いえ、私も少し喉が渇きましたから」 慣れた手付きでお茶を淹れ直すアリア。その様子からすると特にトラブッた感じはしないけれど。道場の様子が気になってつい聞いてしまう。「それで、どうだったの? 貴女は影から見守ってただけ?」「いえ。つい、出しゃばってしまいました」 アリアは少し肩を竦めさせて自嘲気味に言うと、お盆に新しいお茶を用意して此方へと戻ってくる。私の横手に座り、湯呑みを配り自分も一服すると、徐に語り始めた。「一応、私が間違いに気付いた時の話はしてみたんです。でも、やっぱり自分が経験した事じゃありませんから。実感はしづらいでしょうね……」「そっか。まあ、無理に解れって押し付けられる話でもないものね」 私も一口、お茶を啜って考える。そういえば、私も彼女が前世でこの聖杯戦争をどう駆け抜けたのかはよく知らない。夢で見たのは彼女が転生してからの記憶が主だったから。「そういえば、貴女がセイバーだった時の事は私もよく知らないんだけど、貴女も最初はやっぱり、彼女と同じ願いを持っていたのよね。一体何を願っていたの?」 私の言葉が意外だったのか、彼女はきょとんと目を丸くして驚く。「あ、いや、嫌なら言わなくてもいいのよ。でも、もし良かったら、教えてくれない?」「い、いえ。別に嫌って訳じゃ……。てっきり、凛はもう既にご存知かと。ごめんなさい。私とした事が、勝手に思い込んでしまっていました」 ああ、そっか。アリアも私が彼女の過去を何処まで知っているかは判ってなかったのよね。既に夢で見てたと思ってたのかな。「そうですね、一言で説明してしまえば、セイバーの望みは、国を護りきれなかった事への救罪です。自分ではあの国を救えず、結末は滅びだった。 それがどうしても認められず、聖杯の奇跡に縋った。全てを最初からやり直せたら、もしかしたら……と。それが、私の弱さだった」「成る程ね……そういう事だったの。そりゃあ、セイバーがあそこまで動揺して塞ぎ込むのも判る気がするわ。貴女も、よく乗り越えられたわね」「はい。それはシロウのお陰です。彼が気付かせてくれたから、今の私がある」 胸に手を当て、慈しむようにアリアは語る。その仕草から、何となく彼女とアッチの士郎の関係が判ってしまった。成る程、貴方達はそういう事になったんだ。 ああ、だから記憶を取り戻したあの時の貴女はあんなに泣いて……やっと理解出来た。「そっか、だから貴女は士郎に彼女を任せたのね。でも、貴女の時とは違うから……」「ええ。士郎君と彼女は、まだ私達の時ほど親密な関係にはなれていませんから。やはり時間は必要なんだと思います。彼女が弱さを認め、受け入れられるようになるまで」 それも仕方ない事なのかな。まあ、こればかりは焦ってもどうにも出来ない。この件は二人の成り行きに任せるしかないのだろう。 「そうね。よし、もうその件はおしまい。今はそれより聞きたい事があったのよ」「はい?」「あの件よ。アリア、貴女が昨日言ってた“協力者”って誰、一体何なの?」 ずい、と身を乗り出して指差し彼女に問う。そう、本当はこっちの方が本題だったのよ。「ああ、彼等はこの国の政府の者です。非公式な諜報部隊で、この聖杯戦争を監視していたのだそうですよ。先日、監視部隊がこの屋敷を見張りに現れた時に、逆に襲撃して指揮官を追い詰めたところ、判明しました」「なっ!?」 さらりと大変な事を言ってくれるじゃないの。私の知らない間にそんな連中を返り討ちにしていたのも吃驚だけど、それよりもっと大問題な事を聞いた。 魔術師の悲願を成し遂げる神秘の塊であるこの聖杯戦争を、よりによって部外者も部外者の国が監視していたですってぇ!?「彼等は十年前の惨劇以来、この聖杯戦争を危険視していたそうです。といっても、魔術協会や聖堂教会が管轄するこの儀式に、国家権力である彼等は基本的に相互不可侵の為、介入出来ません。だからずっと、外部から監視し続ける事しか出来なかったと」「ええ、ええ。そりゃあそうでしょうよ! それにしても舐められたもんだわ。冬木のセカンドオーナーは私だってのに、そんな連中が居るなんて今初めて知ったわ。 魔術協会からもそんな話は一っ言も聞いた事が無いってのよ!!」 ダンッと座卓に拳を振り下ろし吐き捨てる。つい八つ当たりをしてしまった。「凛! 落ち着いてください」「ええ、判ってる」 心配するアリアを手で制し、思わず立ち上がりかけていた腰を下ろす。「本当は、私も貴女に打ち明けるべきか迷いました。ですが、彼等と貴女の関係を考えると、直接関わらせるのは拙いでしょうし……」 確かに、私は魔術師として、冬木のセカンドオーナーとして表社会とは相互不可侵、不干渉の大前提上、彼等とは接触出来ないし、協力も出来ない。 アリアの判断は間違ってない。いや、寧ろ有り難いくらい私の事を案じてくれている。「判ってる、ありがと。そうね、今までどおり、貴女が彼等と協力して頂戴。でも、とりあえず彼等の詳細情報だけは教えて? 相手の事くらいは知っておきたいから」「あ、はい。彼等の所属は内閣官房の内閣情報調査室、通称CIROの第0分室。室長は陸自出身の豊田繁三等陸佐。本来、内閣情報調査室に分室は一つもありません。 第0分室は公式には存在しない部署で、基本構成員は総員十名。主に防衛省管轄の防衛本部等からの出向者で構成されています。 元々、国がこの聖杯戦争のような“此方側”が原因の怪事件などを専門に調査する為に設けた極秘部署の為、一部の実践派の法術師等とも接触があるそうです」 アリアはすらすらとその協力者という政府の諜報機関を説明してくれる。余り詳しい事は判らないけど、内閣って事は確実に政府中枢はこの聖杯戦争を知っているって事になる。 迂闊だった。幾ら私達魔術師は社会の裏に潜んで活動しているとはいえ、完全な秘匿をする事は難しい。その秘匿の為に寄り集まり、大きな組織となったのが魔術協会。 だったら、その魔術協会はどうやって表社会から隔絶しながら共存しているというのだろうか。どうあっても、圧倒的な力を持つ国家相手に完全対立していては駆逐される。 何処かで折り合い、協定を結ぶ必要がある。国家にも我々の魔術師の存在は黙認されていたんだ。だからこの戦争も黙認されていた。 でも、十年前のあの災害で、彼等の意識も変わり始めたんだわ。それまでの黙認から、危険な要監視対象へと……。そんな事にも気付かずに居たなんて。 ……決めた。必ずロンドンの時計塔に乗り込んで中枢に上り詰めてやる。そして、冬木のセカンドオーナーとして、日本での彼等とのパイプを奪ってやるんだから。「そう。大体判ったわ。じゃあ引き続き、そっちとの連絡や協力は貴女がして頂戴。私は彼等との接触、協力は一切しない。貴女に全てを任せるわ。悪いけど、お願いね」「了解しました。ご安心を。彼等も魔術協会と諍いを起こしたくは無いと、私の案に乗ってくれています。この件で貴女が協会から咎められる事は無い筈です」 その言葉を聞き、一先ず安心する。まあ、根本的な問題が解決した訳じゃないけれど、少なくとも今は力強い協力者を得たと思っておこう。彼等の諜報力は確かに得難い。 この聖杯戦争の性質から考えれば、ある意味ではとても強力な諜報力かもしれない。 だってそうだろう、普通の魔術師にとってはこんな諜報手段は考えも付かない。そもそもが魔術師にとっては禁忌の相手なのだから。「それじゃ、とりあえず彼等に、他の勢力に何か動きが無いか、最新の状況を聞いておいてもらえる? 今は少しでも情報が欲しいわ」「了解しました。後で豊田三佐に連絡を取る予定です。きっと彼等の方も何を求められるかは理解されていると思います」 それはなによりね。よし、そうと判れば、後はきっちり策を練ればいい。「そうと判れば、早速作戦会議に取り掛からなきゃね。セイバー達はまだかしら」「とりあえず、昼までは待つと言い残してしまったので、もう少し掛かるかと」 居間の壁に掛かる時計を見ると、針は十一時過ぎを指していた。意外だった。もうそんなに経っていたなんて。昼まではとなると、あと一時間位は待つ必要がありそうね。「そう。じゃあ、待つしかないか」「おや? いえ、どうやら戻ってきたようです」「あら、ホント?」 アリアは二人の気配に気付いたらしい。その言葉から十数秒遅れで、襖を開けて士郎達が現れた。セイバーは士郎の影に隠れるように後ろを付いてくる。「悪い、遅くなった」「まだ昼までは少し時間ありますが、もうよろしいんですか?」 アリアが気を使って彼等に声をかける。でも士郎の顔を見るに、とりあえずは落着したんじゃないかって感じるんだけど。どうなんだろうか。「ん、いいんだ。とりあえず理解はしてくれたみたいだから」「……はい。感情ではまだ上手く納得は出来ませんが、考えは理解しました。貴方がたの言い分は正しい。……きっと正しいのだと思います」 士郎の後ろから少し横にずれて顔を見せるセイバー。その表情はまだ完全に晴れては居なかったが、一先ず持ち直してはくれたようだ。「そう。これから作戦会議を始めたいんだけれど、いいかしら、セイバー?」「ご心配なく。迷いは完全には晴れてはいませんが、戦いに迷いを引きずるような愚挙は決して侵しません。それは騎士の誇りに賭けて誓いましょう。始めてください、凛」 セイバーは瞳に力を込め、きっちり騎士の顔に戻ってそう宣言した。その目に迷いの影は見えない。この様子ならきっと大丈夫だろう。「判った。その言葉、信じるさせてもらうわよ」「はい」「それじゃあ、始めましょうか。二人とも、席に着いてください」 アリアが二人に促す。四人が地図を囲むように座り、会議を始める。「それでは、まず現状確認から。現在の敵勢力は間桐、柳洞寺、そして言峰の三つ。 この三勢力から聖杯であるイリヤを護りながら、我々は全ての勢力を打破し、最後にアンリマユが宿る大聖杯を破壊せねばなりません」 私が地図につけた印を指差しながら、アリアが端的に現状説明をしてゆく。「現状、敵勢力は一つ減りましたが、昨夜の戦闘でバーサーカーは泥の、間桐の手に堕ちたと見た方が良いでしょう。引き続き、私は対バーサーカー用の手段を講じる心算です」「それって、この間手に入れたアレ?」「はい。問題はそれでも私単騎ではバーサーカーを倒す事は出来ないという事。彼に同じ攻撃は通じません。流石に十一回も違う術で彼を殺すのは難しい。手に入れた破片の量からも精々五、六回が限界でしょう。彼の蘇生能力自体を相殺する術でもあれば別ですが」 無理だ。流石にあの十二の試練(ゴッドハンド)を無効化できるような手段は私達にも無い。セイバーの剣だけが唯一、この中で彼の十二の命に届く可能性があるだけ。「ですので、バーサーカーが出てきたら単騎では攻め込まず、確実に連携をとって挑む事。これが肝要です。皆、単独で彼と遭遇した場合は撤退を最優先してください」「そうね。セイバーに無理をさせるわけにもいかないし、奴が出てきたらまずは撤退、全員で戦力を立て直して対処する事。いいわね」「判った」「了解しました」「判りました」 三者三様に頷く。バーサーカーへの対処はこれで決定。 さあ次よ。まだ他にも問題は山積みなのだから。「間桐勢力には、他にも常時戦力としてアーチャーとライダーが居ます。うち、ライダーは昨夜の戦闘で相当なダメージは受けている筈。回復に専念して潜伏するか、回復の魔力を得ようとさらに人を襲いだすか。ライダーがどう動くかが不安要素です」「どっちの可能性も在り得るから難しいわね……」 確かに、彼女が再び人を襲い始める可能性は高い。アレだけのダメージを負ったんだから、きっと今、奴は血に餓えているに違いない。「奴さんの動きは私が注意しておきましょう。監視を強化させます」「え、アリアが監視って……」「あ、そっか。貴方達はさっき居なかったものね」 目でアリアに合図を送る。彼女も判っていたらしく、すぐに意図を察してくれた。「先日、私が得た協力者です。この聖杯戦争で国民に危険が及ぶ事をどうしても避けたい人々。彼等は魔術師ではありませんが、私の同類といえる者達です。 彼等の諜報力はちょっとしたものですから、きっと役に立ちますよ」「へえ。そんな人達が居たのか」 士郎もセイバーも意外そうな顔でアリアの説明を聞いている。やっぱりそれが普通の反応よね。アリアみたいな人間にしか彼等の存在に気付く者は居ないんだろうな。 それとも、気付いてても所詮何も出来ないただの人間だとタカを括っているのかしら。 ……、あの破戒神父ならそれも在り得そうよね……。まあいい。アイツはどの道倒さなきゃいけない敵なんだから、油断は禁物だわ。「まあね。私もさっき初めて知ったところよ。私は立場上、彼等とは接触も協力も出来ないから、彼等との事は全てアリアに一任してるの。そういう事だからよろしくね」「判った」「判りました」 二人がそろって頷くのを確認して、アリアが話を再開する。「あとはアーチャー。彼の動向も要注意です。今のところ、彼は蔵硯の目的に従って動いているように見えます。そこが解せない所ですが、そうである以上、彼が現れた時には、そこには高確率で蔵硯とあの泥が活動していると見てよいでしょう」「アイツ……何を考えていやがるんだ」「それは私にも解かりません。ですが、蔵硯の動きを探るには彼が鍵となるでしょう」 それにも賛成だ。優秀な手駒のアーチャーを連れて動かない道理は無い。「……ねえ、桜は?」「…………。桜さんは、きっと間桐邸に篭っているでしょうね」「そう。まあ、そうよね」「次に行きましょう。柳洞寺、キャスター陣営。此処が私達にとっても一番情報の少ない陣営です。キャスターのマスター、およびアサシンのマスター、両方とも情報が掴めません。この辺も調査に加えようと思っています」 キャスター陣営、この戦争で一番目立った動きが無い勢力。彼等がどう動くかによっても、きっと大きく流れが変わる。「この勢力に関してはまだ他に情報がありません。次へ行きましょう。最後の黒幕であろう、言峰綺礼。この陣営にはランサーと、あの英雄王ギルガメッシュ……」「ギルガメッシュ……」 その名にセイバーが反応する。彼女にとっては前回からの因縁の相手。そしてほぼ全ての英霊にとっての天敵とも言える存在。セイバーの力でも一筋縄ではいかない難敵。「嘗て私が彼の英雄王を倒せた理由はただ一つ。それは士郎君の体内に埋め込まれた聖剣の鞘を返してもらったからです」「な……アヴァロン!? アヴァロンがシロウの中に在ると言うのですか!?」「え、アリア、どういうことなのよ?」「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いてくれ、そんなに睨まれても俺にも何がなんだか」 睨んでなんか居ないわよ。でも流石に一寸待ってよ、聖剣の鞘っていったら、アーサー王に不死性を与えた最強の護りじゃない! どうしてそんな物がこのヘッポコの中にあるってのよ? あれ、不死性……? それってまさか……!?「お気付きのとおり、士郎君の異常な程の治癒能力はその聖剣の鞘による物です」「やっぱり……でもどうして士郎がそんな物を持っているのよ」「凛、お忘れですか? 士郎君は十年前の火事からの生還者なのですよ。それも、彼女のマスターだった衛宮切嗣によって。彼がどうやって士郎君を救えたと思います?」「あっ……」「そうか……そういう事だったのですね」 私と一緒に驚きを顔に張り付かせていたセイバーが納得したように呟く。「何故、シロウが私を呼び出せたのか、今判りました。貴方は、私の鞘だったのですね」「え、ちょっとまってくれセイバー、どういう事なんだ?」 一人だけ話が飲み込めずにいる士郎が困惑気味にセイバーに問う。彼女はその声に応えるように続きを語り始めた。「前回、切嗣はエクスカリバーの鞘を触媒にして私を召喚しました。 聖剣の鞘は持ち主の傷を癒す力を持つ宝具。切嗣は鞘をサーヴァントである私に返すより、死にやすい生身の自身が持つほうが戦闘に有利だと判断したのでしょう。 そして鞘の加護をもって聖杯戦争を戦った。つまり、彼は今の貴方と同じ状態になって戦っていたのだと思います」 セイバーの言葉に驚きを隠せない士郎。でもそれで合点がいった。士郎のデタラメな治癒能力はセイバーから流れていた物ではなく、体内の治癒宝具による物だったのね。 そしてそれは当然、埋め込まれる理由があった……。「そして、聖杯が生んだ火災が収まった後、切嗣は焼け跡の中を彷徨い、貴方を発見した。 彼には治癒の力は無かったし、きっとあっても手の施しようが無かったのでしょう。 死に瀕していたその子供を助ける手段は、彼には一つしか無かったのだと思います」「それが、貴女の鞘だったのね」 はい、と肯定の言葉を紡ぐセイバー。つい口を挟んでしまった。 音に聞く聖剣の鞘の力。持ち主に不死性を与えるという究極の護りの一。彼女はそれを失ってしまったが為に、カムランの丘で致命傷を負い、命を落とした。 ……もっとも、今の彼女はその死の直前に留まっている本人なんだけど。「ちょ、ちょっとまってくれ。でも俺、学校でランサーに刺されて死にかけたぞ」「士郎君、それはセイバーを召喚する前の事でしょう?」「え、ああ。そうだけど」 アリアの補足を受けても士郎にはまだピンとこないみたいね。「鞘は私の宝具ですから、如何に優れた力を持っていても、持ち主である私が現界し魔力を注がなければ、宝具としての力は発揮出来ません。つまり、貴方が私を召喚し契約するまでは、鞘は貴方の体内で眠ったままだったのです」「ああ、そういう事か」「まあ、多少は魔力さえ注げば、持ち主の命を保護するでしょう。でもそれは微弱なものにすぎません。死にかけた人間を救うには、鞘そのものと同化させるしかなかった筈。 だから恐らく、鞘は分解され、今も貴方の体内にある筈です。いいえ、確実にある」「そ、そうなのか。すまん、セイバー。勝手に大事な鞘をこんな事に使っちまって」 何を思ったのか、唐突にそんな事を言い出す士郎。やれやれ、そりゃ確かに英霊の聖遺物、それも宝具を勝手に使ってしまったって事にはなるかもしれないけど。 乙女心って物が判っていないわね。ホント朴念仁なんだから。ふと二人の遣り取りを見守るアリアの方を見ると、ああ、やっぱり彼女もちょっと困った顔で苦笑している。「何を言うのです、そんな事気にしないで下さい。寧ろ、私は嬉しいのです。何も護れなかった私ですが、シロウ、貴方の命を救えていたのですから」「――――っ、そ、そうか、うん」 心からの言葉と共に向けられたセイバーの微笑みに、士郎の顔が真っ赤に染まる。慌てて顔を逸らして誤魔化す士郎だが、私達には丸見えなのでつい冷やかしたくなる。「あらぁ、顔が真っ赤よ衛宮くん?」「うっ五月蝿いな、何でもないからほっといてくれ」「如何しました、熱でも在るのですか? いけません、体調は万全を期しませんと」 ムキになって誤魔化す士郎の心中に気付かないらしく、セイバーは見事な天然ボケを見せてくれる。これには流石におかしくて笑いを噛み殺しきれなくなってしまった。「違いますよセイバー。やれやれ。凛、からかうのも程々に。話を戻しますよ?」「はいはい。判ってるわよ」 なによ、アリアだって堪え切れなくてクスクス笑ってたじゃない。とこっそり小さな声で突っ付く。すると半眼のアリアから自重してくださいと念話で釘を刺された。「士郎君の体内にある鞘、アヴァロンを用いない限り、セイバー、貴女はギルガメッシュの乖離剣(エア)に太刀打ち出来ません。ですが、今の士郎君に、アヴァロンを体内から摘出させるのは難しい。いいえ、寧ろ危険すぎます。 私の時のシロウは苛烈な戦いの中で幾度も無茶な投影を繰り返し、何度も血肉を削り傷だらけになりながら投影魔術を鍛え、自分を犠牲にしながら体で覚えていった。 そんな、一歩間違えば身を滅ぼす綱渡りの末に得た技術です。だから、今の貴方に同じ事は強要出来ませんし、する心算もありません」 アリアの言葉の隅々から感じ取れるのは士郎への深い愛情と悲痛な程の慙愧の念。それは、嘗てセイバーだった彼女が士郎に忠誠を誓っていたからに違いない。 なのに、彼女はきっと何度も彼に助けられ、逆に彼を危険に晒してしまった。アリアが自分のマスターでもない士郎をここまで必死に護ろうとするのは、きっとその所為。 嘗ての自分の失敗は決して繰り返させない。そう心に固く決意しているんだろう。「でも……じゃあ、どうやってアイツに対抗したらいいんだ? アヴァロンが無くっちゃ、セイバーでも倒すのは難しいんだろう?」「……私が、奴と戦います」『え!?』 アリアの口から出た一言に、流石に全員が口を揃えて聞き返す。だって仕方が無い。幾ら彼女が元セイバーだと言っても、今の彼女はサーヴァント中最弱の異端、ソルジャー。 エクスカリバーのような宝具も無く、一体どうやって奴と戦おうっていうのか。 ……ん? 待てよ、宝具……?「ちょっとアリア、貴女どういう心算? 勝算があって言ってるんでしょうね?」「勝算は判りませんが、アヴァロンが必要なのであれば、私が持っています」『はい!?』 またも、私達三人の声が重なる。アリアがアヴァロンを持っている……って、あ!?「ひょっとして……貴女が持っていると言っていた宝具って、まさか……」「そうです。“全て遠き理想郷(アヴァロン)”。それが私の持つ唯一の宝具」 全員、その言葉に衝撃を受け硬直してしまい、一言も口に出来ない。かろうじて、私が声を出せたのは数秒後だった。「――っはぁ。成る程、そういう事だったのね。それで色々と合点がいったわ」 今までアリアに抱いていた疑問がそれで解けてゆく。アリアのとんでもない治癒能力、彼女の宝具、その正体が、エクスカリバーの鞘だったとは。 前に一度、アリアから一気に魔力を吸い取られた事があったけど、あれは鞘の力を一気に引き出す為だったんだ。ああ、だから燃費が悪いって言ってたのね。(はい。前世の私は、竜の因子という魔力炉心を持っていた為、鞘の魔力に事欠いた覚えはありませんでした。ですが、今の私にはその魔力炉心もありません。だから、どうしても鞘の全力を引き出すには大量の魔力が必要になるのです) 胸中の呟きを察したのか、アリアが念話でその理由を教えてくれた。成る程、やっぱり聖剣の鞘を完全に扱えるのはセイバーだけなのね。 生身なら魔力は肉体の限界さえ無視すれば幾らでも回していける。でも今の彼女は霊体のサーヴァント。魔力を生み出せない彼女は常に供給を受け続けなければいけない。 そりゃあ確かに、燃費が良いとはいえないか。「私はセイバーだった時、シロウから鞘を返してもらった。でもそれは魂だけで召喚されたセイバーが得た物。所詮幻は幻でしかないと思っていました。 でも、鞘は消えていなかった。鞘は転生した私の魂の中に残っていたんです」 夢の中で見たアリアの幼少期の事故の光景が脳裏にフラッシュバックする。そうか、だからあの時、彼女の怪我は一瞬で治癒されたのね。「ですので、もしギルガメッシュを相手にするのなら騎士らしく一対一で、なんて拘っていては勝てません。戦う時はツーマンセル、私がセイバーの盾となります。 セイバー、決して貴女一人で奴と戦おうとはしないで、引ける時は引いてください」「判りました。奴に背を見せるのは心苦しいですが、撤退するよう努めます」 セイバーの答えを聞き届けてから、アリアは話を続ける。セイバーの性格を一番良く理解しているのは彼女だからか、アリアの表情は満足とは言いがたいように見える。 それもすぐに気を取り直して、また元の冷静な彼女に戻ったけれど。「問題は、ランサーですね……。彼は、元々聖杯などに興味はありません。あるのはただ強い者と心ゆくまで戦いたい、という騎士としての欲求のみ。故に、彼は純粋に我々と戦いたいと望んでいる。彼を相手に満足に戦えるのはセイバー、貴女だけです」「そういえば、ゲイボルクはアヴァロンで防げないの?」「試した事が無いので何ともいえません。彼の槍で受けた傷は直せない、という呪いは鞘には通じませんが、因果逆転の呪いは何処まで跳ね付けられるか……」 あまり分のいい賭け、ではないということか。伝説通りなら、鞘の力はどんな傷も負うことすらない、という話だけれど。鞘の力を完全に解き放てばそれも可能になるのだろうか。だとしても、それには相当な魔力が必要になるんだろうな。「以上の事から言えることは、何れの強敵に対しても、我々は協力して挑まねばならないという事です。最善は全員一丸での各個撃破。戦力の分散は極力避ける方向で」「オッケー、それで行きましょう。皆、異議はないわね?」「ああ、それで良いと思う」「はい。異論ありません。その方針は理に適っています」 二人とも賛成してくれたようでなにより。コレで一つ片付いた。さて、じゃあ次は具体的な今後の展開、作戦を煮詰めていこう。「それじゃ、次はこれから、具体的には今夜のプランにかかりましょうか」「あ、凛、一寸待って」「え、何?」 急に止められて何事かとアリアの方を見やると、廊下側を指差して目で伝えてくる。何かと思って振り向くと、そこには白い子悪魔が寝惚け眼でむくれていた。「んも~、何よ。私一人仲間はずれにして作戦会議してるなんて」「だって貴女寝てたじゃない」 実を言うと会議の因数には端から頭には無かったんだけど、此処は惚けておこう。「ぶー。起こしてくれたっていいじゃない」「御免なさいイリヤ。起こすのも悪いかと思って」「ふんだ。どうせ私は仲間じゃないし、保護された戦力にもならないお荷物ですから」 ありゃあ、こりゃ大分拗ねちゃったようね。機嫌を直しておかないと厄介かなあ。「いいえ、貴女も私達の仲間ですよ。決定した内容は後で伝える心算でした。けれど、私が軽率でしたね、御免なさい。これから戦闘に赴く場合、分散するより一丸で動くべきですから、貴女一人を屋敷に置いておく訳にも行きません。私達と一緒に行動してもらう以上、貴女にも同席して貰うべきでした」「うん、判ればよろしい」「え、ちょっとアリア、なんでそうなるの?」 アリアがとんとん拍子にこの子を一緒に行動させる事を決めてしまうので、理解が追いつかなくなった。わざわざ敵の前にターゲットを連れていこうっていうの?「何故って、凛、この屋敷には対侵入者警報はあっても、決して侵入されにくい訳ではありませんよ。ランサーに襲撃された事をお忘れですか?」「あっ……そうだけど」 確かに、失念していた。この屋敷に置いておけば安全って訳じゃなかった。でも、いざ戦闘になったら、彼女を守りながらじゃ自由に動けない。足手まといになりかねない。「それに、つい今し方、今後の方針として全員で動くと決めたばかりです。そうなれば無人の屋敷に彼女一人残せない、同行させて護るしかないじゃないですか」「……そ、そうね。でも、それなら私の家でも」「凛、忘れていませんか? 本当に危険な相手は貴女の兄弟子ですよ。確かに貴女の家は魔術的に堅牢です。でも彼は勝手を知っている人間ではありませんか?」「うっ……」 それを言われてはもはや反論も出来ない。確かにアイツならウチに侵入するくらいやってのけるだろう。駄目だ、ウチでもイリヤの安全は確保出来ない。「仕方ないわけか……」「そうですね。彼女の保護を最優先とした場合、尤も安全なのが私達と一緒に行動させる事です。常に目の届く位置に居てもらう。これは私の教訓です」「それは詰まり、貴女の時に彼女を屋敷に匿っていて襲撃を受けたということですか」「ええ。その通りですセイバー。決して一人にしていた訳ではありません。ですが、それで凛は大怪我を負った。言峰を侮ってはいけません」 成る程ね、そういう事なら異論はない。私も考えが甘かった。アイツに対する甘さは捨てなきゃいけないな。アイツは私を襲うことに何の躊躇いも無いんだ。 上等だわ、舐めてくれるじゃない。私はそんな簡単にやられはしないんだから!「ねえ、話が纏まったなら、そろそろお昼にしない? 私、おなか空いたんだけど」 決意を固めた私を他所に、イリヤが不満をたれる。そういえば、もうそんな時間だったかしら。時計を確認すると、確かにもう正午を大きく過ぎている。「あら、もうそんな時間でしたか。つい話が長引いてしまって。そうですね、一段落した所ですし、お昼にしましょうか。続きは食後ということで」「賛成です。……実は、私もそろそろ空腹になってきまして」「あ、俺も」 おずおずと手を上げて、そう音を上げたのはセイバーだった。士郎も釣られてか空腹を訴える。そういえば、私もお腹が減ったな。 今から仕度をするとなると、お昼は一時前になりそうね。セイバーの機嫌が悪くならなきゃいいんだけれど。「はーやーくぅ~、おなかへったよぅ」 早くしろとイリヤが急かす中、不意にきゅるると面白い音が鳴る。音の方向を探ると、それはセイバーだった。「――――っ!」 セイバーは余程恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして俯いている。こりゃ、彼女が耐えられる時間も残り少ないな。早くご飯にしよう。「悪いセイバー、今すぐ用意するからもうちょっとだけ待っててくれ」「あ、はい。すみません……」「士郎君、私も手伝います。凛は食卓の準備を」「はいはい」 台所へと向かう士郎とアリア。私も皿の用意やらセッティングの為に席を立つ。「私も何か手伝おうか?」「いいわよ別に。セイバーと一緒にそっちで大人しく待ってなさい」「あらそう? じゃあお言葉に甘えるわね」 お嬢様に出来ることっていわれても食器の用意ぐらいしか特に思いつかないし、それは私が遣るから此処はセイバーの相手でもしててもらった方がいい。 私も二人が作業する台所へと向かい、食事の用意を始めることにした。