鮮やかな月である。それが許容できる範囲であればよかったのだが。
今夜の月は鮮やか過ぎる。その鮮やかさが不安を誘うほどに。
新都のオフィス街には街灯の光しかなく、通行する人もいない。
月に照らされた、ビルが、奇妙な陰影を作り出して、街の姿をどこかあやふやなものに感じさせていた。
さすがに、退屈になったのか。それとも無言の世界に堪えられなかったのだろうか。
凛が、衛宮士郎に声をかけた。
「ねえ、気になってたんだけど、士郎が背中にしょってる袋って何が入ってるわけ?」
「これか? 一応木刀を持ってきたんだ。役には立たないかもしれないけど、強化すれば、身を守るくらいには使えるかなって」
「ふーん」
凛はまだ何か言いたいような顔だったが、それ以上何も言わなかった。
確かにサーヴァント相手に、強化したとしても、木刀が通用するとは思えないのだろう。だが少なくとも時間稼ぎくらいは出来るだろう。事実衛宮士郎はポスターを強化してランサーから生き延びたのだから。さすがに、バーサーカーの圧倒的な破壊力や、キャスターの魔法じみた大魔術にはなすすべもないだろうが。ライダーくらいなら短時間生き延びるくらいは出来るのではないだろうか。それでも可能性としてはごくわずかになるのだろうが。
まて、そもそも人の身でサーヴァントと戦うといった考えが間違いか。
第一、衛宮士郎には剣で戦う技術がない。やはり役にはたたないかもしれない……。
今夜も歩いているのは、凛と衛宮士郎だけだ。
俺とセイバーは霊体化して二人についていく。
イリヤに見つかってしまえば、十中八九逃走する事になるのだろうが、それ以外のサーヴァントなら問題ないだろう。そして自分が体験した聖杯戦争のサーヴァントを思い出す。
ランサー。宝具なしの戦いなら、俺はともかく、セイバーは問題ないだろう。だが、彼の宝具は厄介だ。
詳細を知っていたところで、あれを回避するのは難しい。
ライダー。彼女が記憶通りの者ならば、なんとかなる。これもあくまで通常の戦闘ではだが。
天馬を出された場合は対処するのに、俺もセイバーも相当の魔力を失うことになるだろう。
アサシン、キャスターは、判断できない。セイバーはアサシンとの対峙の後、気を失った。今考えるとあれは、エクスカリバーを開放しようとしたのではないだろうか。つまりアサシンは相当の実力者ということになる。キャスターも全て手の内を見せることなく、ギルガメッシュに倒されてしまった。負けるとは思えないが、油断は出来ない。
そして、ギルガメッシュ。こいつには――――――――
(アーチャー)
む。少し思考に没頭しすぎたか。その感覚は凛に遅れてやってきた。
(ああ、私にも感じられた)
違和感はあるビルから感じられた。それはごく僅かなもの。しかし確かな差異。
セイバーたちはまだ気がついていないようだ。
セイバーは騎士の身。衛宮士郎は半人前なのだから仕方がないといえば仕方がない。
凛は違和感を衛宮士郎に告げた。
凛と衛宮士郎は俺とセイバーを実体化しないままで、ビルへと入った。
危険がある可能性もあったが、感じられる魔力からはことが終わった後であろうと判断していた。
通路に明かりはない。月明かりがあるにもかかわらず、通路は闇に包まれている。
何を思ったか、衛宮士郎は木刀を取り出す。凛は何も言わなかった。
おそらく衛宮士郎は木刀を強化するつもりなのだろう。成功率が、圧倒的に低いことを忘れているのだろうか。
だが、奴は、俺の懸念を他所に強化を成功させた。それも10秒とかからなかった。かからなかったが。
(アーチャー、貴女どうしたわけ? ひどく落ち込んでいるように感じるのだけど)
どこか呆れたような響きで凛が言葉を送ってくる。
実体化していないというのに、よく俺の状態がわかったな、凛。
だが、どうしようもなかったんだ。自分のこととはいえ、その馬鹿っぷりには。
(凛、今の奴の魔術行使を見て気がつかなかったのか?)
(? よく見てなかったから判らないけど、何かあったわけ?)
――――確かに目の前の衛宮士郎は当時の俺とは比べ物にならないほどスムーズに強化を成功させた。
よく見ていないと気がつかないかもしれない。
俺には出来なかったことをする姿は嬉しいような悲しいような気持ちにさせるが、根本的な問題がある。
そう、何故忘れていたのだ。このときの俺は、魔術を行うたびにいちいち魔術回路を作り直していたことに!
(凛、落ち着いて聞いて欲しい)
(ええ、分かったからもったいぶらないで早く言いなさい)
そういえば、凛は衛宮士郎が魔術刻印を持ってないことも知らなかったな。
(衛宮士郎は今の魔術行使で、回路のスイッチを切り替えたのではなく、一から回路を作り上げて魔術を行使したのだ)
(なっ!!)
凛もその馬鹿さ加減に気がついたのだろう。呆れと、怒りの混ざったような視線を衛宮士郎に向けている。
それはそうだ。衛宮士郎は魔術を行うたびに死と隣り合わせになっているのだから。
魔術士が鍛錬で命を秤にかけるのは当然のことだが、衛宮士郎はやりすぎだ。
(なんとかしないといけないわね)
(ああ、出来ればきつい方法で頼む)
やはり俺のときのような――――いや。
それだけではだめだ。俺の魔術回路は二十七本。それも神経と一体化している。
宝石を呑むだけではそれは開かない。どうするか……。
問題の部屋の前にたどり着く。凛はそれを躊躇なく開けた。
木刀を持って構えている衛宮士郎が、少し滑稽に見えてしまったのがなんとも救いがない。
僅かな血のにおいと、魔力の残滓が感じられる。
部屋の中には十数人が倒れていた。生気が抜かれているのは、間違いないだろう。
だが、それは生命に危険があるようなものではない。悪くて二日三日の入院というところか。
これくらいの症状であれば、朝になろうが問題はないだろう。
衛宮士郎はそれを冷静に見ている。凛はそれが予想外の反応だったのか。
意外そうに見ている。
だが、それは当然のことだ。衛宮士郎がこの程度の光景を見て取り乱すことはない。
何故なら――――――衛宮士郎は死体には見慣れている。
「遠坂、これはどこに連絡すればいいんだ? 教会、それとも病院に」
「連絡する必要はないわ。これくらいならば、今でも朝になって発見されても変わらない。用が済んだらここを離れるわ」
凛は反論は許さないといった雰囲気を出している。
そして無言で、部屋を出る。
衛宮士郎は何も言わずについてきた。
屋上に出る。流れは柳洞寺へと続いているようだ。
凛の後ろに、衛宮士郎も無言で立つ。
(凛)
(ええ、わかってるわ。おそらくはキャスターね。新都の昏睡事件は柳洞寺のマスターによるものとみて間違いないわ)
キャスターの根城は柳洞寺ということか。ではアサシンとキャスターは組んでいたということだろうか。
だが、キャスターはあのときマスターがおらず、アサシンは消えたと告げた。
あのアサシンが敗れるとすれば、ギルガメッシュによるものだろう。
組んでいたアサシンが敗れ、マスターも失ったためにセイバーを欲したというところか。
(すでに、キャスターは柳洞寺に帰還しているようだが、どうする?)
(どうもしないわ。今日は帰るだけよ。出来ないことはやらないわ)
(そうか、それで)
「遠坂、何か判ったのか?」
衛宮士郎が声をかけてきた。凛が何かに気づいたことは、こいつも理解しているのだろう。
「――――キャスターの仕業よ。どうも柳洞寺に陣取ってるみたいね」
「キャスター? じゃあ、学校の結界は、キャスターの仕業じゃないのか?」
「たぶんね。だとすれば学校の結界はライダーかしら」
「それで、どうする? 柳洞寺に撃って出るのか?」
衛宮士郎が訊くと同時に、セイバーが実体化する。
「ええ。攻め込むわ。でも今日は遠慮するけどね」
「凛、それはどうしてですか」
すぐに攻め込まないのがセイバーは不満なのか。
「誤解しないで、今日は攻め込まないって言ってるだけよ。疲労したままで、戦いを挑むなんて、愚か者のすることよ」
「む――――」
セイバーが押し黙る。もう夜遅い。それに今の場所は新都だ。
今から柳洞寺に行くのでは時間がかかりすぎる。それはさすがに凛たちは疲れるだろう。
衛宮士郎も反論はしない。
「とりあえず、今日はもう遅いわ、戻りましょう」
「わかった」
衛宮士郎が返事を返し、セイバーもまた霊体化する。少し不満そうだったが。
おそらく、今日は1人で柳洞寺に突っ込むようなことはしないだろう。
しないと思いたい。
武家屋敷に帰り着いたのは、二時を過ぎたくらいであったか。
あいかわらず月は、鮮やかな色で天にある。
凛はさっさと部屋に戻り、衛宮士郎も日課の鍛錬に土蔵へ入っていった。
俺は、昨夜と同じく、屋根の上で、見張りを始める。
そしてこれも同じように、セイバーも屋根に上ってきた。
「なんだ、攻め込まなかったのがそんなに不満なのか?」
少し、表情が硬いセイバーに声をかける。
「いえ、不満などないのですが」
そんなことを言っても不満があるようにしか見えないのだがな。
「仕方あるまい、疲労したままで、戦いを挑んでも、良いことはあるまい。我々は問題ないかもしれないが、マスターを危険な目に合わすわけにも行くまい」
「それは――――わかっているのです」
「ふむ、1人で攻め込むなどとは言うなよ、セイバー。そうねれば君のマスターは必ず追いかけてくるだろう。それは一緒に攻め込むよりも危険かもしれんからな」
「そんなことはしません! 私は騎士なのだから、主に背くことなどしない」
そんなに声を荒げるところをみると、考えないでもなかったというところか。
顔を紅くして、ガアッとした顔で吼える。
その顔を見て少し嬉しくなりながらも、俺は考えを述べる。
「おそらくは優先順位の問題だよ、セイバー。確かにキャスターは一般人を巻き込んでいる。これは君や君のマスター、そして凛にとっても許されることではないだろう」
「貴女はどうなのですか、アーチャー」
「私も君と同じだと思うがな。だが、キャスターの所業は唾棄すべきことだが、実のところまだ甘い。誰も殺してはいないし、死ぬ、というほどでもない。魔術士として考えれば、まだ甘いんだ。セイバー、君も学校の結界に気がついているのだろう」
「ええ」
「あの結界は、中の人間を溶解するような代物だ。あれが発動してしまえば、下手をすれば死者が大勢出る。それはなんとしても回避したいことだろう。一般人に対する被害を考えれば、あれの方がはるかに大きい。凛はできるならば、あれの方を優先したいのだろう。無理をして攻め込んで、勝利を得てもその代償も大きいかもしれない。そのせいで、結界を止められないことにでもなれば、目も当てられまい」
相手はキャスター1人ではないだろうからな。
「確かに――――」
納得して、くれたようだな。
「だから、凛も万全な状態で挑みたいのだろう。心配しなくても、明日の夜は、攻め込むことになるだろう」
「そう、ですね。私と貴女がいれば、後れをとることなどないでしょう」
「そうだな」
セイバーの言葉が、単純に嬉しかったからなのか、俺がどうかしていたのか、自然とセイバーに向けて笑みを浮かべていた。
セイバーの顔が真っ赤になる。
気がつけばあれほど不安を誘っていた月も、今ではいつもと同じように、穏やかな光に感じられる。
セイバーは俯いてしまっているが、朝になるまで、二人で見張るのも悪くはない――――――――。