夜の街を行く。
先頭に遠坂凛、続いて衛宮士郎。その後ろをランサーとキャスターが並んで歩いている。
白い綿布の修道服を脱いだランサーは、意外にも現代的な服を身につけていた。
立ち襟の白いシャツもグレーのズボンも新都の百貨店にでも行けば買えそうな品で、質素な印象と織布のベルトに至るまで動物素材を使っていないという以外はなんの特徴も無い服装。
外套を脱いだスリーピース姿のキャスターと言い、今のランサーといい、あまりに現代の風景に溶け込みすぎている。
まるで、元々この時代の人間だとでも言うかのように。
「―――そう、それじゃあ衛宮くんもランサーの真名は訊いてないのね」
「訊くヒマだって無かったしな……あ、遠坂、橋の方に行くならこっちの方が近道だぞ」
サーヴァント達の姿に疑念も無く――そもそもサーヴァントが過去の英雄であるという認識も薄い衛宮士郎が、それを疑うべき異常だと気付くはずもない――ごく自然体のまま近道を案内する士郎に先頭を譲って、対照的に二人のサーヴァントの正体に頭を悩ます凛。
本来なら敵同士であるはずのサーヴァント同士が奇妙に和気藹々と並んで歩いているのも妙と言えば奇妙な事で、凛の疑念のひとつになっている。
尤も、今の自分も敵のマスターである衛宮士郎と共に夜道を歩いているのだからサーヴァントの事だけを言える状態ではないのだが。
士郎の案内で近道を通った一行は、やがて橋を望める海浜公園に足を踏み入れる。
「へぇ、こっちの道はここに出るんだ。今度私も利用―――!?」
その途端、狙っていたように一本の矢が飛来した。
いや、飛んできたのはむしろ剣と呼ぶべきだろうか。その形状は明らかに切断を目的とした白兵戦の武器。
しかし弓に番えて射出された以上、それは矢に違いないとも言えるだろう。
その、士郎を狙って襲いかかる矢を、一瞬でハルバードを手の中に出現させたランサーが真横に薙ぐ。
「づっ……橋の上から狙撃でしょうが―――この矢、まさかアーチャーですか!?」
流石のランサーも今の攻撃を弾いて腕が痺れたのか、少し辛そうに顔をしかめた。
爆発したかのような轟音を伴って地面を大きく抉って地に落ちる逸らされた矢。それだけで、矢の恐るべき威力は読み取れよう。
「マスター、私の後ろに!」
士郎へと呼びかけつつ、戦斧をいずこかに消してしまうランサー。
同時に修道衣姿、つまり彼にとっての戦闘服姿へと武装するその手足に、先ほどは着けていなかった金属製の手甲と脚甲も同時に現われていた。
その間に、凛とキャスターも素早く動き始めている。
「キャスター、お願い!」
「承知した」
いずこからとも無く現われた外套を羽織ったキャスターがその裾を影の如くひるがえせば、凛を闇の裡に覆い隠して、キャスター共々に姿を消し去る。
ほぼ同時に、容赦なく襲いかかる謎の敵からの第二射が飛来した。
受けたとしてもランサーの武器ごと破壊しかねない攻撃は、冷酷なほど正確に士郎のみを狙っている。
狙撃用ライフルの銃弾に匹敵する速度の剣矢。
それを。
ランサーもまた、飛翔する剣で迎え撃った事に士郎は驚愕の声をあげた。
「なっ―――黒鍵だって!?」
槍兵の手から放たれたのは黒鍵と呼ばれる投擲剣。
バーサーカーが士郎を殺すために使ったモノと寸分違わぬシロモノである。
狂戦士のそれが持っていた威力を破城槌とするのなら、ランサーのそれは更に上を行き、戦車砲に匹敵するのでは無いかという衝撃力を伴っていた。
剣が、弾かれる。
しかしそれも一時の事。
ランサーの投擲する黒鍵の恐るべき威力をもってしてもなお遥か上回る剣矢が、第3矢、第4矢とつるべ打ちに襲い掛かってくる。
だが、弾いて狙いを逸らすだけなら十分以上。
次々に飛来する攻撃を逸らしながら、なお前進する余裕がランサーにはあった。
更に飛来する第5の矢。
螺子くれた棘をまとったような歪な矢を打ち落とすランサー。
だが、弾かれた矢は弧を描き再び士郎へと襲いかかる。
「しまった―――マスター!?」
虚を突かれたランサーが焦りを帯びた声をあげた。
「くっ!」
身を捻り、無様に地面に転がりながらも、間一髪で襲いかかる矢を避ける士郎。
だが、それで安心できる矢を、アーチャーは放ったわけではない。
『赤原猟犬』
それはスウェーデンの英雄ベオウルフが振るったという、戦いの血に焼き固められた毒枝の剣・フルンディング。
伝説には持ち主を決して裏切らぬと伝えられ、ひとたび主人の敵であると決した標的には忠実な猟犬の如く喰らい付き続けるという絶対殺害の魔剣。
その軌道が再び半月を描き、更なる加速をして士郎へと飛ぶ。
だが、ランサーこそ最速と呼ばれるサーヴァントクラス。
それが宝具であろうとも、同じ敵に二度もマスターへの攻撃を許しはしない。
振り上げた手に現われる黒鍵は、工具のドリルのように細長い螺旋を描く奇怪な刀身をもっていた。
その剣に回転を付加して、ほぼ同時に3連。
吸い込まれるように毒枝の猟犬へと突き刺さったソレは、鉄の刀身を削り、貫き、そして―――
「―――I am the bone of my sword.」
炸裂する歪んだ黒鍵。
夜を引き裂く紅蓮となった黒鍵は膨大な破壊力を撒き散らし、死の猟犬を道連れとして爆砕した。
「いきましょう、マスター」
「あ、ああ!」
炎に照らされる背中。
士郎を振り返る事無く、正面の敵を見据えながら、けれどその声も肉体も意識も、全て士郎を守護するものとしての役割に徹したものと知れるランサーの背中。
その背に駆け出す士郎を守って走りながら、飛んで来る剣ことごとくを撃墜。
後は狙撃手の陣取っている橋までを一気に駆け抜ければ―――
「マスター、止まって下さい!!」
その疾走が停止させられる。
飛んで来る攻撃が、剣から本来あるべき『矢』へと変わったのだ。
威力なら飛剣と比較すれば1割にも満たない。
だが、その代償とでも言う様に同時に6条がつるべ撃ちに降り注ぐ。
続いて12、更に18の矢が同時と思われるほどの瞬時に放たれた。
剣と比べれば威力が低いとは言え、炸裂弾かと思わせる破壊力がその矢にはある。
一発でも命中すれば、否、かすっただけでも人の身でしかない士郎を殺害するには十分だろう。
ゆえに、ランサーもその場に立ち止まって防戦に回らねばならない。
ふりそそぐ必殺の矢。
もはや黒鍵の投擲では速度において追いつかず、ランサーは再び白い槍斧を手にしてそれを打ち払った。
斧の部分だけで人間の胴ほどもある、常人では持ち上げる事も困難だろうという巨大なソレを迅雷の速度で見事に操り、飛来する死をことごとく落とす。
だが、いかに英霊とて限界はあろう。
橋の上から矢の放たれる速度はあまりに速く、そして間断が無い。
いつしか次々に打ち出される矢に、ハルボードの速度が追いつかなくなりはじめる。
「―――ぱつぃえんつぁ」
噛み締めた歯の隙間から、短く、小さく、ランサーが漏らした耳慣れない言葉が士郎の耳に届く。
意味はわからずとも、それが矢の奔流に押されそうになる自分を叱咤している声なのだと、その語調で理解できた。
既に幾つかの矢傷を受け、それでも必死に士郎を守り続けるランサー。
だが、刻々と更に射撃の間隔を狭めてくる攻撃を前にして、このままではジリ貧になっていつか主従共に串刺しにされる事など戦いにおいては素人である衛宮士郎にさえ目に見える未来でしかない。
「ランサー! くそっ、俺のせいでっ!」
何も出来ない自分が恨めしい。
ランサー一人なら。
彼の運動能力をもってするなら。
背後に守る半人前の魔術使いが居なければ。
この矢の雨すらもかいくぐって射手の側まで肉薄すら出来たはず。
強化の魔術すら中途半端にしか使えず、自分を守ってくれるサーヴァントの足を引っ張るしかできない自分が、あまりに不甲斐無く感じて唇を噛む士郎。
「俺には、何も出来ないのか―――?」
「いいえ、貴方は、戦う事ができるはずです、マスター」
「えっ?」
自問する士郎に背を向けたまま、白い槍兵は静かな口調で告げる。
既に矢を捌き切る事が難しくなり、自らの身体すら盾として士郎を守っているランサーだったが、その背中は揺るぎすらしていない。
「見えませんか? あの橋の上にいる敵の姿」
「……うっすらとなら。赤い外套の、褐色の肌の男だ」
視力を強化してやっと視認できる敵の存在。
その顔を、姿を、弓を、矢を、目に焼き付ける士郎。
「では、相手の武器を写し取って下さい。『投影』です。大丈夫、貴方なら必ず出来ます」
「とう……えい?」
矢を打ち払う音にかき消されないよう、一語一句を刻み付けるようなランサーの声。
その中の、聞きなれない響き。
記憶の底をさらえばそれが、効率が悪いから止めなさいと切嗣に言われた、自分が最初に使った魔術だった事を思い出す。
「とうえい……投…影……トレース………」
「敵を打倒するのは貴方の、衛宮士郎の戦いでは無い。貴方には貴方の、貴方にしかできない戦い方があります」
「投影―――(トレース―――)」
「戦うべきは自分自身のイメージにおいて。貴方の力で勝利できないのなら、勝利すべき力を―――約束された勝利をこそ、想像するのです」
「―――開始(―――オン)」
背骨に灼熱した火箸を通すイメージ。
激痛の代償は体内に形作られるのは魔術回路だ。
巡り始める魔力をもって八節をサーキットに刻み、赤いサーヴァントの持つあの弓と矢を無から構成する。
燃え上がる身体は溶鉱炉にも似るだろうか。
魔力を打ち鍛える炎は肉体を焼き、上がる火花は神経を傷つける―――だが、それが何程の事。
もとより選ばれるべき才能も、積み上げられた血統も、捨てられる財も無い衛宮士郎が、自分を守ってくれる存在を助けるために命の一つ賭けずしてなにを賭けよと言うのか。
あふれ出すイメージ、形作られる骨子。その構造材質設計思想のみならず、来歴すらも継承して、遂に幻想を現実と化す。
自己という名のエゴが皆無に近しいがゆえに、不純物を交えずに生み出される偽りの幻想の織り手。
理解する。
それこそが、それだけが、衛宮士郎に許された唯一にして世界すら欺く魔術。
「―――投影、完了(トレース・アウト)!」
ロールアウトしたそれは敵の持つそれと寸分違わぬ得物。
最早すべき事はただ一つ。
士郎は弓を引き絞り、ランサーの背をかすめて橋上の敵へと矢を放った―――