「当然でしょう?」
泥をまといながらも、その魂は宝玉の輝きに彩られ、
「私は約束をたがえない」
これは今までと何一つ変わらない戦いだと言い切った。
カレイドルビー 第十一話 「柳洞寺最終戦 ルビーの章」
ルビーさんが手を掲げ、その手から毀れる光が世界を覆う泥を制御する。
彼女は私たちを見据えると、大きく笑う。願いまであと一歩といった笑い声。
動揺する私たちに向かい、彼女は言う。
――――これまでの予定通りにね。
私たちの前に立つ彼女が、ルビーさんが宣言する。
その言葉にセイバーさんが剣を構え、アーチャーさんが武器を取り、先輩が呪を紡ぎ、遠坂先輩が宝石を取り出して、
そして、なぜか兄さんが私に向かって手を伸ばす。
「桜っ!」
なぜ、そんなに切羽詰った顔をしているのだろう?
「手をのばせ――――!」
兄さんは私に向かって駆け出した。
私はそんな真剣な兄さんの顔を見て、純粋に驚いた。
私は兄さんの叫びすら理解できないそのままに、あまりに真摯な瞳をした兄さんの言葉に反応して手を伸ばす。
兄さんの手が私に触れて、その瞬間。
兄さんがなにを危惧したのかすらわからないそのままに、
「――――えっ?」
トプン。と私はその手を握る兄さんごと“私の左手から生み出される泥”に飲み込まれた。
◆
ザバン、とまるで水面から浮き上がるような音を立て、真っ暗闇から外へ出る。
混乱から周りを見渡して、ついさっきまで、私はすぐ目の前に遠坂先輩たちの背中を診ていたはずなのに、と首をかしげる。
一瞬の隔離の後、私は先輩たちから相対するその場所に、
「桜? 大丈夫?」
ルビーさんの真横にペタリとへたり込んでいた。
茫然自失のていで周りを見渡すと、驚愕をあらわにしている先輩たちと、私の手を握りながら苦々しく口をゆがめる兄さんたちと目が合った。
「えっ? ……わたし、なんで」
横に立つルビーさんを見る。
いったい、なにをされたのか。
彼女は泥を媒体に私を自身のそばへと移動させた。
ああ、なるほどと頭の奥でもう一人の間桐桜がつぶやいた。
だが、それを見てセイバーさんが声を荒げる。
「どういうつもりだ、ルビー」
剣を構えたまま、その矮躯からは想像できないほどの威圧感を生じさせる。
「なにをという言い方はないでしょう。マスターを敵方の後ろに置いたまま戦えるわけがない」
ルビーさんがあきれたように口を開く。
その声は、むしろセイバーさんの言葉を非難しているようにさえ聞こえた。
「聖杯戦争は続いている。最後の戦いよ、セイバー。できれば貴女とアーチャーの同盟も切ってくれると嬉しいけれど、やっぱりそれは無理でしょうしね。私もズルをしちゃってることだし、まとめて来ても文句は言わない。どうする?」
セイバーさんが絶句するのが容易にわかる。
ルビーさんは禍々しい呪いを背に、あくまでも聖杯戦争であるという背景を覆そうとはしなかった。
世界を覆う泥を使えば、いくらでも奇襲ができただろうに、
私を呼び寄せた際の泥を攻撃に使えば、サーヴァントはまだしも二人いるマスターを背後から同時に害する絶好の機会だっただろうに。
彼女はただ、敵から戦うという言葉が出るのを待っている。
いや、そもそも。
「それとも、こんな聖杯は譲ってくれたりするのかしら?」
聖杯を望まないといいきったアーチャーさんに、本当の聖杯を願っていたセイバーさん。
聖杯を欲さない衛宮先輩に、聖杯に望むことをなど何もないと笑って見せた遠坂先輩。
彼らを前に、泥の聖杯を殺しあってまで奪い合う必要があるのだろうかと、ルビーさんは笑ってみせる。
「ルビー、貴女は最初からここまで想定していたのですか?」
セイバーさんの言葉にルビーさんが首肯する。
「ええ、私ではアーチャーにもセイバーにも勝てない。真実を教えて聖杯を破壊させることも避けたかった。だから聖杯を得るにはこの瞬間を狙うしかなかったのよ」
その言葉に呼応するようにルビーさんの足元を漂う泥が蠢いて、
「最も、今この状況は理想的といえば理想的だけどね。この泥さえあればたとえ誰が生き残っていても互角以上の戦いができたでしょうし」
だけど、とルビーさんは言葉を続ける。
そう。ルビーさんの話していた内容は。
もし、この境内にランサーやキャスターやアサシンやバーサーカーが立っていたのなら、という“仮定の話”
「この聖杯の表向きの……願望器しての機能低下は洒落になってないからね。世界平和の願いに人類滅亡の結果を持って答えるような聖杯よ。普通の願いは願えない。セイバー、アーチャー、遠坂凛、衛宮士郎。貴方たちだって、こんなものをほしがりはしないでしょう? でも私はこれがいる。必要なのよ。私は臓硯以外は殺さない。あいつさえいなければ、なんてのはバカらしいにもほどがある仮定だけど、だけど正しいことも事実だから。臓硯まで庇うってんなら殺すけど、さすがにそれはないでしょう? どう、諦めてなんてくれないかしら?」
笑っているが、ルビーさんの目は真剣だった。
「……」
それに対し、無言でセイバーさんが剣を構える。
ジャリ、と足元の石を踏む音が大きく響く。
「セイバー!? お前……」
それを見て慌てたように衛宮先輩がいった。
「ルビー。貴女の言い分は了解しました。驚くべきことに……そう、本当に信じられないが貴女はおそらく狂っていない。だが、正気であれば全て許されるわけでもない。私は貴女の行為を見過ごすことはできません。シロウ、指示を」
戦わせていただきましょう、とセイバーさんの剣が大気を揺らす。
「なっ!? セイバー、本気か?」
衛宮先輩がルビーさんを害すると宣言するセイバーさんに声をかける。
「もちろんです。聖杯があのようなものである以上、私の願いは此度の機会では得られないということがわかりましたが、アレを解き放つことも私個人の矜持が許さない……シロウ、あなたこそ忘れているはずはないでしょう? あれはキリツグが己のすべてと引き換えに葬り去ったものなのです。キリツグは私のマスターでした。矛盾に彩られ、苦悩に溺れていたけれど、彼は正しかったのだと私は先ほど知りました。私はどのような理由があろうと、キリツグの意思を蔑ろにすることは許せない」
「キリツグ。衛宮君のお父様のことね。又聞きだけど、貴女の前マスターだったかしら? キリツグさんがどの程度の魔術師だったか、私はもう憶えてはいないけど、貴女を召喚して最後の戦いまで生き残った以上並の魔術師ではなかったのでしょう。だけど、聖杯戦争の最後、聖杯が開く間際に気づいたキリツグさんと、すべてを了解している私じゃあ前提がちがうでしょう?」
剣を構えるセイバーさんに諦めの吐息が混じった声で、ルビーさんが反論した。
だが、ルビーさん自身も、セイバーさんが意見を変えることなどないことがわかりきっている。
「ルビー。貴女は魔術師だ。リンが英霊体になるまでに、どのような道を歩んだかなど私にはわからない。だが、唯一つ。サクラを救うという願いはリンの願いであって、サクラの願いではない。サクラへの救いであって世界の救済ではない。――――この場で貴女がそこに立っているからいいようなものの、この泥がこの地を汚す可能性を考えなかったとでも言うのか? 己の願いに世界の呪いを使用するのは度が過ぎる。確かにここまで上手くいったことには感心しよう。だがその背後に漂う泥はこのまま全てが上手くいくほどに温いものだとも思えない。リンはアヴェンジャーでなく、リンとして望みをかなえるべきだろう」
思ったとおり、セイバーさんはそれを小気味いいほどにあっさりと一蹴する。
「……ふん。軽々しく言ってくれちゃって。私だってわりと頑張っているんだけどね――――」
意外にもルビーさんはその言葉に大きな反応を見せなかった。
ルビーさんはセイバーさんの言葉に対し、手にもつ宝石剣をふってみせた。
「ま、結果が出せない身じゃ、そういわれてもしょうがない。じゃあ、セイバーはやるわけね。アーチャーはどうするの?」
肩をすくめてルビーさんが言葉を続ける。
その言葉と、ルビーさんとセイバーさんのやり取りにアーチャーさんが嘆息する。
「……なんとも正々堂々とした呪いの具現者もあったものだな。傍目には第一級の守護者の敵なのだが」
アーチャーさんはルビーさんの言葉には答えずに遠坂先輩に目を向けた。
「凛、命を出したまえ。最後の戦いだ」
「――アーチャー」
「……アーチャーも戦う気なのね?」
遠坂先輩とルビーさんが同時に反応する。
「ああ、君の考えにも、君の行動にも、君の目的にも私が文句を言う権利はないが、それでも――――君がそのような泥に願いを託す姿を見るのは耐えられん」
アーチャーさんが剣を構えた。
「えっ?」
きょとんとしたルビーさんの声。
だがそれに対しアーチャーさんは説明する義務はないと笑って見せて、
「誰が正しいにしても誰が間違っているにしても、もしくは誰もが間違っていたとしても、最後は戦いのみが答えを決める。聖杯戦争とはそういうものだろう、ルビー」
「――――そう。それじゃ」
「ああ、それでは」
セイバーさんが剣を構え、ルビーさんが剣を構え、アーチャーさんが剣を構え、そして、
戦いを始めよう。と三騎のサーヴァントの声が重なった。
◆
私は母親を妄信する赤子のように、その後姿を見つめていた。
ルビーさんの背後にたゆたう池の水は、すでに泥に変わっている。
彼女はそこから無尽蔵の泥を取り出して、弾丸のように飛ばし、鞭のように振り回し、剣のように薙ぎ払う。
セイバーさんの剣とアーチャーさんの剣が泥を裂く。
三十を数える泥弾が空を裂き、剣の一振り、矢の一筋で十、二十と消し飛ばされる。
十を超える泥柱が天に伸び、それがただ一撃で空に溶ける。
放たれる先から消し飛ばされて、消えた先から補充される消耗戦。
「この程度の泥で――――!」
セイバーさんが大きく踏み込み、聖剣を走らせる。
大きく泥が切り裂かれるが、泥は泥。
それは一瞬にして周りから補充され、再度セイバーさんに襲い掛かる。
「ちっ!」
舌打ちを一つして、後ろに飛び、その瞬間セイバーさんのいた大地が黒く染まる。
後ろに飛ぶセイバーさんを追い、左右上下から泥が舞い、それを神速で薙ぎ払われる聖剣が打ち払う。
ああ、と私は息を吐いた。
まるっきり悪役なのに、泥を武器に戦うなんて役回りでも、その姿はやはり遠坂凛そのものだ。
泥なんてものが、的確にセイバーさんを追い詰めて、
呪いなどというものが、最優の英霊に迫っている。
ルビーさんは紛れもなく英霊で、
カレイドルビーの前身は遠坂凛だ。
私は童女のように、ボウとその後姿を眺めていた。
◆
二人のサーヴァンとは舌打ちを一つして、後ろに大きく後退した。
「ちっ、やっかいですね」
「埒があかんな」
セイバーさんとアーチャーさんが愚痴る。
「まあ、そうでしょ。あたれば勝っちゃうってんだからね」
それに対しルビーさんが泥を操る手を止めて、闊達に笑った。
「子供の喧嘩じゃあるまいし、戦いなど常に一撃もらえばそれで終わりだ。そのようなセリフは一度当ててからいいたまえ」
アーチャーさんがいう。
「悪意の泥というから、よほどのものを想像しましたが、制御に九割近くを持っていかれているようですね。それにこの性質は侵蝕よりも破壊に近い。フィードバックによる汚染を嫌いましたか」
セイバーさんがいう。
「いいのよ、当たれば動けなくなることに違いはないんだから。それに、二人だってボロボロじゃない。宝具も固有結界も出せないくらい弱ってるくせに」
ルビーさんがいう。
楽しそうに、友人のように軽口を叩き合う。
その本質は殺し合いのはずなのに。
アーチャーさんがルビーさんに向けて射た矢は泥に阻まれなければその身を砕いていただろう。
セイバーさんの持つ泥を一振りでキャンセルするほどの聖剣は、泥さえ突破すれば躊躇なくルビーさんを打ち倒すだろう。
そして、なにより。
ルビーさんの泥は、魂の具現であるサーヴァントに対し、触れるだけでその身を消滅させるだろう。
これは紛れもなく戦争で、
これが殺し合いであることに違いはないはずなのに。
彼らの口調に澱んだものは何もない。
◆◆◆
Interlude out 遠坂凛
「ぐっ!?」
「ち!」
七度目のつばぜり合いで、二人のサーヴァントが同時に後ろに飛びのく。
砂埃を上げて、私たちの前にまで交代した二人のサーヴァントが再度泥に挑もうと足を踏み出し、そして同時に先輩に目を向けた。
「小僧、下がっていろ!」
「シロウッ、なにをする気ですか!」
見れば私の横に衛宮君がアーチャーと同じ短剣を持っていた。
その目には光が宿り、一緒に戦うと告げている。
「俺も戦う。セイバー、頼む」
それに逡巡するセイバーを遮って、アーチャーが衛宮君に目を向けて、そして次に私を見た。
「凛、君は?」
その言葉に私は笑う。
ああそうだ。聖杯戦争はサーヴァント同士の戦争だけど、
ここにいるのは遠坂凛。
衛宮君に教えられた。
ただ待つだけなんて趣味じゃない。
「当然。あの女に本当の遠坂凛の力を見せ付けてあげるわ」
ふっ、と薄い笑いを見せて、アーチャーは肩をすくめて見せる。
「了解だ。セイバー、そんな男を心配する君の気持ちはわからんが、魂を汚染する泥相手ならば私たちよりも肉体を持つ凛たちのほうが耐えられる」
アーチャーがセイバーに向かっていう。
だが、ある程度の速度しかもてない泥相手だろうと、人が避けるには速すぎる。
ただ闇雲に泥を浴びせるような愚鈍ならまだしも、あそこにいるのと遠坂凛で、私がアイツでもまあこれくらいはするだろうという程度には狡猾だ。
それをわかってアーチャーは問いかけて、
それを承知しながらセイバーは頷いた。
「……わかりました。シロウとリンを信じます」
ずいぶんと心配性なことだ、とアーチャーが肩をすくめる。
「セイバーよ、君が気づかぬはずがないだろう。あの泥は清浄な魂にこそ毒となる。凛の魂が泥などに負けんことはあそこに立つサーヴァントこそが示しているし、衛宮士郎の愚直な魂ならばあの程度の泥に破壊はされん。囮だと割り切りたまえ」
へっ? と宝石を構えていた手を止めた。
露骨な言葉。それはまるで、アーチャーが衛宮士郎を■めているかのような内容で、
「……アーチャー」
「…………お前」
セイバーと衛宮君も怒るよりも戸惑うような声を上げる。
むすっと押し黙るアーチャーに目を向けた。
「……あんたは衛宮君のこと嫌ってるとばかり思ってたけどね。なに、実は認めてたりするの?」
その言葉にアーチャーさんは心の底からいやな顔を見せると、
「そんなはずがあるか。正義の味方などという幻想を語るこの男の歪さを認めることなど有り得ない」
「っ!」
それに反論しようとした衛宮先輩をアーチャーさんは睨みつける。
「黙っていろ、未熟者が。全てを救うなどばかげた理想を掲げた貴様には理想を語る資格などありはしない。先ほどのルビーとの問答で自覚しろ。無様きわまる。理想を語るから動きが取れん。理想とは語るものではない。己の中にとどめるものだ。いいか、貴様が歪なのは当然で、正否を問うならルビーこそが正しいのだ。理想を口にすれば、それはその瞬間からそれは貴様の慢心へと腐敗する。貴様は全てに認められない道を歩んでいることを認識しろ。貴様は全てから愚かと罵られる道を選んだことを理解しろ」
そして――――
「そして、貴様は一生そのまま馬鹿げた道を進めばいい。後悔するのは全てが終わった後だろう」
アーチャーさんは最後にそういって、呆然とそれを聞いていた私たちを無視して、再度泥に向かって走りっていった。
その背中が語ってる。
ついてこいと語ってる。
それはまるで、弟子に助言でもする師のようで、
「あはっ」
私は思わず笑い声を上げ、その後に続いて走る。
後ろを振り向けば、ポカンとした顔の剣の主従。
「いきましょ。あいつもなかなかどうして可愛いところがあるじゃない」
ぱちりとウインク。
私はわたしのサーヴァントを追いかける。
Interlude out 遠坂凛
◆◆◆
Interlude 衛宮士郎
その遠坂の笑顔に赤面し、俺は我を取りもどした。
剣を構える。
「セイバー」
「……ええ。では」
行きましょう、とセイバーと同時に地を駆けた。
超えられるはずのない泥の壁に向かいあい
俺はただ剣をふる。
そう、これまで通り。
――――変わらぬ理想を己の胸に抱きながら
Interlude out 衛宮士郎
◆◆◆
私は呆然とそれを見る。
「なんで?」
ルビーさんが顔にはださずにあせっている。
遠坂先輩と衛宮先輩が加わって“なぜか”ルビーさんは劣勢だった。
ルビーさんとつながっている私には、それがあたりまえのように理解できる。
「……なんで?」
セイバーさんの剣が、地面から飛び出し襲い掛かる泥の塊を消し飛ばす。
泥は多いが、避けるということをしないセイバーさんは後退しない。
セイバーさんが打ち漏らせば、それは彼女の後ろに居る衛宮先輩が傷つくから、彼女は剣のサーヴァントとしてその泥を全て打ち倒す。
ルビーさんの操る泥は、サーヴァントを汚染するはずなのに、セイバーさんに恐怖はない。
そうして、彼女達はまた一歩ルビーさんに近づいた。
ルビーさんが顔にはださずにあせっている。
焦りを隠す余裕がないほどに、なぜかルビーさんは劣勢だった。
ルビーさんとつながっている私には、それがあたりまえのように理解できる。
「…………なんで?」
アーチャーさんが生み出して剣が地面に突き立てられる。光る刀身から生まれる結界に泥がコンマ数秒止められて、その隙を縫ってアーチャーさんと遠坂先輩がルビーさんにまた一歩近づいた。
アーチャーさんの結界と短剣は、遠坂先輩のサポートによってあらゆる泥の攻撃を打ち払い、彼女達は恐怖なく、完全な信頼のもとにお互いが背を預けあっている。
ルビーさんの操る泥塊は、一撃でサーヴァントの存在基盤まで浸透するのに彼女達に恐怖はない。
また一歩近づかれ、彼女はなぜか劣勢のままだった。
ルビーさんだけが顔にはださずにあせっている。
ルビーさんとつながっている私には、それがあたりまえのように理解できる。
「………………なんで?」
ルビーさんの操る泥は、一撃でサーヴァントを打ち倒す。
ルビーさんの操る泥は、本来一撃でサーヴァントの存在を反転させる。
ルビーさんの操る泥は、本来触れればサーヴァントを汚染する。
その泥の特性を、ルビーさんとつながっている私には、あたりまえのように理解できる。
「……………………なんで?」
ルビーさんの操る泥は、地を這い、空を舞い、天を覆う。
穿つ宝石も、切り裂く剣も、止める盾も関係ない。
津波を銃では防げぬように、津波を剣では防げぬように、津波が人では防げぬように。
聖杯から洩れる悪意の泥は、四人いようが百人いようが英霊に対し必勝が約束される魔具である。
ルビーさんとつながっている私には、ルビーさんの行為が理解できない。
ルビーさんの操る泥が、再度大きな塊となってセイバーさんたちに飛んでいき、一撃を食らって消し飛ばされる。
ルビーさんの泥なら勝てるはずだということを、
ルビーさんを通して“聖杯とつながっている”私には、あたりまえのように理解できる。
「…………………………………………なんで?」
負けてもいいというのですか、ルビーさん。
負ける気ですかルビーさん。
私を“置いていくのですか”ルビーさん。
汚染されたくないからと、その泥をただ聖杯からくみ上げて投げつけるだけでは勝てません。
勝ちたかったら、聖杯から泥を■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。
「………………………………………………なんで?」
ルビーさんが負けるのはいやだ。
そんなのは許せない。
そうだ、彼女は言ったじゃないか。
始まりの日の彼女の言葉。
“あのね、私の目的は――――”
ボロボロになった間桐家の居間の中。
聖杯戦争に参加する不安を抱く私に貴女はなんといったのか。
もう私は戦っているというのに。
もう私は戦ってしまったというのに。
遠坂先輩の人の心が、衛宮先輩の人の心が、兄さんの人の心が、私がすでになくしていたはずの人の悲しみを堀り起こし、私は自分の考えが魔術師として絶対に正しいはずなのに、それでもなお遠坂先輩とも衛宮先輩と相容れないことを認識してしまったというのに。
いまここで、貴女が泥の制御を外せばそれでこの場一帯が消滅することを知っているから、追い詰められて。このまま負けたとしても、ルビーさんが聖杯を本当の意味で開放することなんて有り得ない。
それが、ルビーさんのつながる私には明白で。
それは、泥をその身で操るルビーさんとつながる私には明白で。
それは、泥の支配権を持つルビーさんのマスターである私には明白で。
その事実が私の心をかき乱す。
ねえ、ルビーさん。あなたは私に言いました。
自分の第一の目的を。
それは、
“それは、――――間桐桜の幸せよ”
いまさら、それをたがえるのですか。ルビーさん。
私の幸せは、もう今では唯一つ。
それには、貴女が死ぬことは許されない。
貴女が消えることだけは許されない。
「ホント、ひどい」
だから――――そんなこと、許さない。
◆
「まったく――――!」
「くっ!? 遠坂凛、あんた――!」
ルビーさんと遠坂先輩が同時に宝石を煌かせ、その光が互いに消える。
セイバーさんに泥を放ち、アーチャーさんに泥を放ち、
セイバーさんに魔弾を撃ち、アーチャーさんに魔弾を撃ち、
それは宝剣で切り裂かれ、それは宝弓で防がれて、
「この遠坂凛が、あんたなんかにっ!」
「――――ちっ!?」
そう、そうだ。かつて私自身が導き出したその答え。
ルビーさんは遠坂先輩よりも優秀だけど、
やはりその力の根本は宝石だった。
そして、そう。つまりそれは、私が以前に言ったこと。
“彼女らの魔術は宝石のストックに依存して、その宝石の限りにおいて同格だ”
遠坂凛に群がる泥は全てアーチャーさんの矢が消し飛ばし、
遠坂先輩はただルビーさんを目指し、泥で覆われる世界を駆け抜けて、
「泥遊びして粋がってる馬鹿になんて負けるもんか!」
「しまっ!?」
ゆえに、泥に魔力を、意識を裂いているルビーさんでは、敵わない。
ゆえに、アーチャーさんに、セイバーさんに、衛宮先輩に魔力と意識を裂いているルビーさんでは、敵わない
ただ宝石を構える遠坂先輩にはかなわない。
「――――――――あっ」
ルビーさんが負ける?
そんなのいやだ。
そんなことダメだ。
やめてください。
やめてください。
やめて、
殺さないで、
止めて、待って、そんなのいやだ。
「ルビーさんが死んじゃう」
ルビーさんが死んでしまう。
私の幸せを願ってくれたルビーさんがいなくなる。
――――そうだ、私の望みはなんだったのか
「やめてください」
そんなのいやだ。
――――ルビーさんではなく、この私、間桐桜の望みはなんなのか。
ルビーさんが手加減してたのなんて明白だ。泥を塊としてでなく、空間的な制御を持ってもちいれば、剣などで防げるはずがない。
それをしなかったのは、ルビーさんが戦いとして戦ったからだ。
汚染を起源とする泥を、アミではなく武器として使ったからだ。
それはルビーさんの手加減じゃないか。
それはルビーさんの優しさじゃないか。
それは、ルビーさんの甘さじゃないか。
ただ自分を泥とし、泥を自分としたくがないというだけで、彼女は勝機を削ったのだ。
「ルビーさんは優しすぎます」
ルビーさんはあますぎる。
――――私の望みは、彼女がずっとそばいることだ
勝てる戦いを、自分の矜持に従って敗北するなんて馬鹿みたい。
倒せる相手を、自分の心に従って見逃すなんて馬鹿みたい。
殺そうとしてる相手を殺さないなんて馬鹿みたい。
ルビーさん。ルビーさん。ルビーさん、ルビーさんルビーさんルビーさんルビーさん。
「死なないでください、ルビーさん」
死んでほしくない。居なくなってほしくない。消えてなんてほしくない。
ああ、そうか。
私はやっと理解する。
この聖杯戦争でルビーさんが消えるのを拒むということは。
「ああつまりそれは――――――――」
――――つまりそれは、敵を殺すことを、許容することなのかしら?
◆
「桜っ――――――――!!」
「えっ……兄さん?」
兄さんの叫び声が、私の耳朶を強くたたく。
ぱちりと呪縛がとけ、霞みがかった頭がクリアなる。
意識を取り戻しまわりを見れば、なぜかみんなが私を見てる。
剣の守護の中、弓を構えるアーチャーさんが私を見てる。
衛宮先輩と背中を合わせるセイバーさんも、私を見てる。
セイバーさんと背中を合わせる衛宮先輩も、私を見てる。
ルビーさんにその宝石を打ちつけようとしていた遠坂先輩も私を見てる。
そして、私の目の前にいたルビーさんも、私を見てる。
みんなが私のほうを、
みんなが私の影を、凝視する。
「え………………………………………………っと、なんですか。これ?」
ああそうだ。と混乱している私の中で別の私が理解する。
私とルビーさんはつながっているのだから。
そう。
私の影から洩れる泥が、
泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が泥が
泥が、世界を覆おうと溢れ出す。
◆
「――――――あ、れっ?」
手が真っ黒に染まってる。
まるで泥遊びの後のよう
まるで泥遊びの真っ最中
まるで泥遊びを楽しむ子供のように、その手が真っ黒に染まってる。
――――殺せ。
と別の私が囁きかける。
目の前にはルビーさんと遠坂先輩。私の後ろに兄さんで、ずっと先には衛宮先輩が立っている。目を横にずらせばそこにはアーチャーとセイバーのサーヴァント。
――――殺せ。
とほかの私が囁きかける。
「……あれっ?」
ルビーさん。遠坂先輩。兄さん。衛宮先輩。アーチャーさん。セイバーさん。
――――殺してしまえ。
と私が私に囁きかける。
「……あの、」
これはなに?
黒い泥。危ない泥。危険な泥。終わりの泥。終末の泥。
――――殺してしまえ。
と私がその声を発している。
「ああ、そうか」
じくじくと痛みを発する心とは裏腹に、私は心配事がなくなった嬉しさに安堵から笑みを浮かべられた。
これでもう安心だ。
これは、ルビーさんを助けるための――――
「桜っ! 正気に戻りなさい」
ルビーさんの声。切羽詰ったはじめて聞くような私に向かった怖い声。
その言葉に私は首をかしげる。私は正気だ。
自分の目的を果たせそうなのに、ただ自分の教示を守って死のうとしているルビーさんのほうが正気じゃない。
私は正気だ。
ねっ、だからルビーさん。そんな顔をしないでください。そんな声を出さないでください。
だから。
「大丈夫ですよ、ルビーさん。みんな私がやっつけてあげますから」
だから、安心してください。ルビーさん。