「…………」
死んでいきながらも笑みを崩さなかった男の死体。
「……性悪よね、ホント」
私は呟き、その死体を投げ捨てた。
カレイドルビー 第十話 「イレギュラー」
ルビーさんはいつだって私のことが一番だといっていた。
いつでも間桐桜のことを考えてくれていて、
いつでも、そのために戦っていた。
衛宮先輩たちと初めて魔術師として向き合った日に、ルビーさんが聖杯に願いがあるといったけど、
ルビーさんは戦うといったけど。
それだってルビーさんは私を極力傷つけないように考慮していた。
始まりの日。
ルビーさんが私のそばに来てくれてから、私はすごく幸せだった。
兄さんと昔のように笑い会えるようになるなんて、私はすっかり無理だと思っていたけれど、ルビーさんはそれを数日で実現させてくれた。
彼女が来てから何もかもが変わっていた。
最初の日。お爺さまの体を消したあと、彼女は私に刻印虫について選択させた。
あれはマキリの証明書。私は虫を捨てずに、ただ制御だけを教わった。
痛くない魔術を教えてくれて、それを兄さんが苦々しくもほんとの意味で納得していて、これ以上ないくらい幸せだった。
ルビーさんに心臓を貫かれた日。
ルビーさんと兄さんからすべてを聞いた。お爺さまのことと、私のことを。
兄さんに令呪を渡すかどうか聞かれて、私も戦うことを決めた後も、兄さんは渋々とした顔をしながらも頷いた。
虫は私の言うことを聞いていて、私は衛宮先輩に一つも嘘をつかなくてよくなった。
嘘だらけだった間桐桜はこの日、衛宮先輩と対等に並ぶことを許された。
私と兄さんとルビーさん。三人で、衛宮先輩と遠坂先輩と一緒に聖杯戦争に参加する。それは何があっても大丈夫だと思えた。
バーサーカーと戦った日。
ルビーさんとやっと再会できた日。
あの日からルビーさんとは会えなくて、いつも話は念話だけで、いつルビーさんからの返事がなくなってもおかしくないと怯えていた。
傷だらけで、ボロボロで、しかも後ろにバーサーカーをつれているなんていう状況だったけど、
まだルビーさんが生きていたことが嬉しかった。
私に向かって微笑んでくれたことが嬉しかった。
私はルビーさんが好きだった。
大好きだった。信じていた。
たった数日で誰よりも、なによりも大切な人になった。
なのになぜ、
どうして、彼女があんな格好をしているのだろうか、と思って私は彼女に問いかける。
「何をやっているんですか、ルビーさん?」
いつものように真っ黒なドレスを身にまとう彼女に問いかける。
◆
ランサーと金の王を打ち破ったあと、傷ついた衛宮先輩を治癒している最中に気づいた。
ルビーさんがいないことに気がついた。
だれも気づかなかったことから、誰も気づけなかったことから、きっと隠身衣の結界を使用したのだろうと遠坂先輩が言っていた。
そこまでして、私たちを出し抜きたいのかとセイバーさんが怒った。
サーヴァントとしてならば有り得なくもないと遠坂先輩自身がつぶやいた。
私はルビーさんはそんな人じゃありません、といったのに。
遠坂先輩たちは半信半疑だったのが悲しかった。
念話にルビーさんが答えてくれないだけで、そんなこと言うのはひどいと思った。
パスからこちらにいることがわかって、
遠坂先輩と衛宮先輩と、アーチャーさんとセイバーさんと、みんなでこちらに向かった
急いで向かった。
もう残りのサーヴァントは私たちだけになり、ルビーさんが何をするのかわからないとみんなが言う。
数日前、ルビーさんが私を殺そうとしたくらいでそんなことを言うのはひどいと思った。
あれは違うのに、そんなことも知らないくせにルビーさんを悪く言うのはひどいと思った。
ルビーさんは絶対に悪くないのに、絶対にそんなことはないのに、ひどいと思った。
なにか、遠坂先輩が私に向かっていっていた。
でも聞かない。ひどい人のいうことは聞いちゃ駄目だ。
私はそんな言葉に耳をふさいで奔る。
ルビーさんが危ないなんて、そんなことあるわけない。
令呪を使えなんて、そんなのは私の勝手だ。
私はルビーさんを信じているのに、そんなことを言われると頭にくる。
ルビーさんがいるはずの方向を見て、遠坂先輩が叫んでいる。
ああ、黒い光の柱が見えている。
それを見て、私に向かって一人で行くなと叫んでいる。
聞かない。聞こえない。私は走る。
ルビーさんのところへ走る。
ルビーさんは死んでいない。その先に黒くて怖いものがある。
だからルビーさんが危ないなんて、そんなのバカみたいだ。
ルビーさんはきっとその黒い光の元凶をやっつけようとしているに決まっている。
――――そんなの誤解だ。
ルビーさんは私たちを助けるためにランサーたちのマスターを倒しに一人で向かったのだ。
――――そんなはずがない。
だからきっと。パスの先には私たちがランサーと英雄王を倒したと気づいて照れくさそうに笑う、敵マスターを倒したルビーさんがいるはずだ。
――――ありえない。
きっとこの先で敵のマスターを倒した向かったルビーさんに会えるのだ。
――――会えるに決まっているはずだ。
それなのに、
なぜでしょうか。
なんででしょうか。
なんで、そんなところで、あなたは■■■■■■いるのでしょうか?
そこにはランサーたちを使役していたマスターがいるはずなのに。
“そこには、マスターを倒したルビーさんがいる”
そこには敵のマスターがいるはずなのに。
“そこには、言峰綺礼の死体といっしょにルビーさんがいる”
そこには最後の敵がいるはずなのに。
“そこには、ルビーさんが立っている”
目の前に。
言峰綺礼の死体の前に、私のサーヴァントが立っている。
なぜ?
なぜ、そんなところで、
「何しているように見える、桜?」
――――あなたは泥にまみれているのでしょうか。
◆◆◆
Interlude 間桐慎二
桜が言葉を失って、
誰も何もいえなくなった。
だからまず僕が口を開いた。
「なにやってんだよ。お前」
そう一言。
僕が声をかけると泥の中にたたずんでいた遠坂の顔をしたサーヴァントがこちらを向いた。
その目は始めてあったときと同じままに赤色で、
その体は始めてあったときと同じままに漆黒だった。
「遅かったわね、あなたたち」
何一つ変わっておらず、いつも通りの表情で、いつもどおりの口調で、いつもどおりに何一つ淀んだところのない表情で、僕たちに向かって笑いかける。
傍らに死体を携えて。
「そいつ。教会の神父だよな」
首がえぐられ、心臓に穴が開き、もはや生前の影もない死体を指差す。
「ええ、ランサーと金ピカしたやつのマスターだったみたいよ。第五回聖杯戦争においてあの金ピカのマスターだった監督役が、今回に介入してズルをしたってところかしら」
くすくすと笑うその顔に狂気がうかがえないことこそが恐ろしかった。
「んで……その後ろにぶら下がってるのはなんなんだよ」
「イリヤスフィール。聖杯の鍵。聖杯の器。聖杯の受け皿。安心しなさい衛宮士郎。彼女は生きているわ」
背後に黒く立ち上る泥があり、その中心にはバーサーカーのマスターであるイリヤスフィールの体が埋まっている。
いや逆か。あいつの言葉を信じるならば、イリヤスフィールから溢れる泥がその体を覆っているということだ。
後ろで衛宮がなにやらわめくが、あいつは視線すら向けず、イリヤスフィールの生存を語ったままその飄々とした態度を崩さない。
「――――なぜ?」
遠坂が言う。この中でもっともルビーと名乗るサーヴァントの思考を読めるはずの女が問う。
アイツには、ルビーの思考が読めていない。
あれは異質だ。
なるほど、多々ある平行世界。ルビー自身が桜に対し講釈をたれていた。
平行世界とは可能性の世界。可能性は多々あるし、その世界は無限にある。
だが、いくら無限の可能性でも、ありえない世界はありえない。
平行世界。無限の可能性。だが、無限であるがすべてではないのが平行世界だ。
その無限はただ唯一“有り得る可能性であること”のみを枷にもつ。
魔術師の間桐慎二がいるかもしれない、妹のいない間桐慎二がいるかもしれない、幼くして死ぬ間桐慎二がいるかもしれない、桜に愛を注いだり、お爺さまを本当に敬ったり、あらゆる可能性が“あるかもしれない”
同様に、僕が平行世界の運営に関わる魔法を習得する世界は有り得ないし、僕がただの人間のまま千歳生きるなんてことも有り得ない。それは矛盾をはらんだり、ただ単純に有り得ざることだからだ。
たとえば、この聖杯戦争を機に必ず死ぬと定められている住民がいるかもしれないし、この聖杯戦争に必ず関わってしまう一般人がいるかもしれない。
可能性は有限で、ただ数だけが無限にある歪な世界。
だけどそれでも。
その無限の世界の可能性を否定するなんてのは、それはこの世でただ一人にしかできないことで、僕どころか遠坂凛でさえ可能性の否定なんて出来はしない。
だからこそ。ありえないという否定が出来ないから、遠坂凛は、人を殺す呪いを背に佇むトオサカリンに疑問を投げたのだと僕は思った。
Interlude out 間桐慎二
◆◆◆
Interlude 遠坂凛
「なぜ?」
あまりにふざけた女に向かい、私は一言投げかける。
それは疑問ではなく通達で、その内容は宣戦布告。
だって、あれは私だ。
だって、あれはトオサカリンだ。
だからやつの言葉に憤り、言葉をかける。
やつの考えなんてすぐにわかった。
疑問など何一つとしてあるものか。
だってアイツは一番最初に言っていた。
衛宮くんの家で、同盟を拒否したときにいっていた。
彼女には目的がある、と。
それは絶対譲れないもので、それは絶対あきらめられないものなのだといっていた。
それならば、
トオサカリンが本気の目的を持ったのならば、手段なんて選ばずに目的を果たすに決まっている。
私にとって、彼女の行動に何一つおかしなところなど存在しない。
遠坂凛は遠坂凛。平行世界だろうと変わらない。
私はただ、自分自身の腐った可能性を嫌悪して言葉をかける。
Interlude out 遠坂凛
◆◆◆
「鍵は、私の存命中に聖杯が起動されるかどうかだけだった」
彼女はゆらゆらと背後に黒い何かをたゆたえながら私に向かってしゃべっている。
私はそれを聞きながら,動揺を抑えるので精一杯だった。
「私はすべてを知っていたから。聖杯が腐っていることも、聖杯の中には黒い泥がつまっていることも。それを“この体”なら操れるということも――――ねえセイバー? 貴女はなぜ前のマスターが聖杯を破壊させたかわからないと言っていたわね。それはとっても単純で、とっても簡単なことなのよ」
セイバーさんが絶句する。その先は聞かずともわかることだった。
「……では、キリツグがあのとき、私に令呪をもちいたのは」
「ええ。聖杯の口を破壊するためでしょうね。だって当然じゃない。むやみに開けばこの世は滅びてしまうかもしれないのよ? この聖杯の中には人を呪う、人類を破滅に導く、人だけを呪い続ける邪神の呪いがつまっているのだもの。衛宮士郎の父親って言うんなら、当然そんなもの許容は出来なかったでしょうね」
その言葉に、先輩が愕然と立ちすくむ。
その言葉はつまり、十年前の惨劇の理由を示し、彼の養父の死因を示し、カレイドルビーの行動の理由を連想させる。
「ルビー。じゃあ、何でお前が……なんでお前がそんなものを開こうとしてるんだ?」
その言葉に、ルビーさんが大きく笑う。
その笑いは闊達で、迷いなど欠片もない。
「ああ、衛宮士郎。誤解しないで。私は人類を滅ぼそうなんてことは少しも思ってはいないのよ。そんなことに意味は無い。ばかげてる。私はトオサカリンだもの。そんな馬鹿げたことをするわけない」
「……」
遠坂先輩の目が細く鋭く、ルビーさんを睨みつける。それは自分の名を貶めるサーヴァントへの怒りからだろうか。
だが、彼女は怒りを口にせずにルビーさんの言葉を待ち、ルビーさんが言葉を続ける。
「聖杯は呪われている。その呪いはあらゆる願いを、人を害することに解釈する歪んだ呪い。だけどね、それは果たして“本当に悪いことなのかしら?”」
「なっ、なに言ってるんだ。そんなの悪いに――――」
「決まっている?」
それにルビーさんは一転して壮絶な笑みを見せる。
「でも死ぬべき人間はいる。殺すべき決心がある。人の命に優劣はある……ねえ、そうでしょう、正義の味方の衛宮くん?」
それは、あまりに小さく囁かれ、あまりに大きく響く言葉だった。
◆
「別に絶対的な命の優劣という話じゃないわ。そんなものは医者か坊主に任せておけばそれでいい。私が言ってるのは個人の話よ。私が桜を第一とするように、人がつけるその人にとっての命の価値。
ねえ、衛宮士郎。あなた自身が言ったのでしょう? 聖杯を得るために手段を選ばないマスターを倒すために聖杯戦争に参加すると。それは人を殺すことを容認する存在を“あなた自身”が殺すという誓いのことよ」
「なっ。違う!」
その言葉に先輩が怒鳴る。
「……先輩は殺すとは言ってません。イリヤスフィールのときだって、イリヤスフィールを殺そうとはしませんでした」
反射的に私が答える。だが、それにルビーさんからくすくすと笑って見せた。
「桜。それは勘違いよ。それもとっても根本的な。殺すことこそが聖杯戦争において許される唯一つの罰し方でしょう? 殺さないとするならどうするの? 法がなく規律がなく規範がなく聖杯戦争には唯一戦いですらない殺し合いのみが存在する。そのなかで、何一つ省みずに動くマスターに対して殺さずに済ませようという心こそが散漫だわ」
彼女は言峰綺礼の死体を背後に私たちに問いかける。
聖杯を操り、人を害そうとして、逆殺されたその人の目の前で。
「戦わずに止められるのなら、不殺を貫くのでもいいでしょう。でもあなたたちは殺すのでしょう? 戦いに身をおいて、引く気がないマスターならば殺すのでしょう? だって殺すしかないのだものね。でもその基準はあなたたちの力によって線引きされるの? 倒せなければ明日の犠牲に目をつむって逃げ出すの? 人の命をおもちゃにしようとした点では一緒なのに、相手が可愛らしい少女の器を持っていれば情けをかけるの? それが蟲で出来た化け物ならばそいつを殺すの? 人殺しを是とした知人なら? すでに人を殺したものが改心したら、貴方が勝手に許しを与えると? セイバーを人として扱いながら敵のサーヴァントを殺すことは許されるの? 倒せない敵はどうするの? 諦めるのかそれとも、ただ信念だけを謳いながら無駄死にを? わかっていないはずがないでしょう。人殺しを肯定するならそれを絶対の規範に基づいて実行できる力がいる。貴方の言葉は、ただの理想よ。そして、人殺しを否定しておきながら“正義の敵”に対して活殺を貴方自身が選択するというのなら、それは救いがたい散漫だわ」
言葉を失う私たちを前に、それは神様の行いよ、と彼女は笑う。
言葉に詰まる私たちにルビーさんは容赦なく言葉を続ける。
「セイバーを殺されかけたとき怒ったわね。イリヤスフィールが捕らえられたと聞いて復讐を願ったはずよ。貴方はその正義の味方の象徴に剣を掲げているのだもの。でも貴方はランサーを殺したわ。キャスターだって、あの英雄王と呼ばれた男だって、サーヴァントのみならず、葛木宗一郎だってこの神父だって戦いとなれば、殺したでしょう。実際に殺しあったのでしょう? それが貴方の定めた命の価値ではなくて何なのかしら」
そういって、ルビーさんは衛宮士郎を否定する。
◆◆◆
Interlude 遠坂凛
衛宮くんが言葉を止める。
セイバーがマスターのその様にうろたえる。あいつの言葉は衛宮士郎の矛盾をえぐる。わかりきっていたことだ。衛宮士郎はその身に矛盾を抱えている。最強の矛も最強の盾もそれが幻想であることを突きつけられれば、その概念は崩壊するのが道理である。
衛宮くんが黙り、慎二がボウとやつを眺める。
それを一瞥して、やつがこの私に視線を送る。
なるほど。次は私の疑問に答えてくれるということか。
それを確認して私は言う。もとより私にはあの女があそこに立っているのを見たときから聞きたいことがあったのだ。
「で、結局貴女の願いはなんなのかしら」
それはとってもシンプルなことである。
私の言葉を聴くと、ルビーはケタケタと可笑しそうに笑った。先ほど衛宮くんの心をえぐったことはすでに脳から消えている。いや、わざと意識していない振りをしているのか。気に障る笑みだ。アイツが私だからこそ、吐き気がするにもほどがある。
「ああ、やっと聞いてくれたのね。自分ながら話が早い。貴女のそういうところは大好きよ。ここで衛宮士郎と理想論を話していては意味がないもの」
その言葉に衛宮くんが顔を上げるが、それを私は後ろ手で制した。
「御託はいいから言いなさい」
「ふふ、簡単よ。人を殺す呪いを開く理由なんてひとつだけ。私には殺したいやつがいる。だからこの泥を利用するために召喚された」
「……なに?」
その言葉に思考が止まる。当たり前だ。意味がわからない。人を殺すためだけに聖杯を開く? 牛刀を以って鶏を割くどころの話ではない。
「どういうこと? そんなの……わざわざ召喚されてまで」
「ええ、そうね。もうこの世界の“そいつ”は殺してしまったし」
「――――なに?」
「聞こえなかった? それとも理解できないのかしら」
そういって、ルビーは高々と、手を掲げる。
その手には、一振りの剣があり、それは一度も見たことがないものでありながら、
あまりにもよく知った秘儀の剣。
いや違う。あれは異質だ。ボロボロでグチャグチャの構成式に、理屈を力で押し通すような理論を組んで、まるで子供だましの玩具のよう。
だけどそれでも、あれはどうみたところで、私が間違えるはずものである。
「――――キシュア・ゼルレッチの万華鏡」
口から知らず言葉が洩れる。その輝き。その光。
それは宝石剣と呼ばれる遠坂の悲願。
そして、
「わかった、私?」
第二魔法の神髄にして平行世界の運営基盤をつかさどる魔剣である。
つまりその意図は明白で、
やつの目的はあからさま。
つまり、あいつは。カレイドルビーと名乗る遠坂凛は、
「じゃあ、あんたは……。あんたの願いってのは」
無限の平行世界を相手取り“無限に存在するその相手を殺しつくすこと”なのか。
Interlude out 遠坂凛
◆◆◆
ええそうよ。と彼女は言った。
それは私に対してではなく、間桐桜に対しての笑みで、
それはだれでもない、ただ私のみに与えられる言葉だった。
「じゃあ、ルビーさん。じゃあ……じゃあ、貴女の“願い”とは」
つまり。
「ええ、そうね。あなたの思ったとおりのことよ」
「――――サクラ、それはどういう……」
「黙りなさいな。セイバー。せっかくの語らいを邪魔しないでくれる?」
鋭い眼光を飛ばすが、私はその冷たい言葉の意図に気づいてしまった。
だが、ここで黙っているのは不可能だ。
私は少しだけ躊躇したが、それでもセイバーさんたちとルビーさんがにらみ合っているのを見てられなくて口を開く。
「…………ルビーさんが殺すといっているのは、間桐臓硯という名の、私のお爺様のことです」
言葉を選び、先輩たちにそれをつげる。
その言葉に、みんなが黙る。
「間桐の魔術とは蟲の魔術。体を蟲で汚染させ、それを媒体として魔術を使うんです」
途切れ途切れに話していく。このような場面でも、私の理性はすべてを告白することを拒んでいた。
だが、それだけでもルビーさんが気遣わしげな視線を向けるには十分だったようで、彼女はマキリの魔術を説明する私を制止する。
「……そんなことまで言う必要はないと思うわよ。桜」
その目は先ほどセイバーさんに向けたものはあまりに違う暖かなものだった。
「いいえ。必要なことです。私はその代償に体が変質し……」
「それを遠坂凛は最後まで知らなかった」
ルビーさんが言葉をかぶせる。
遠坂先輩がその言葉に反応してルビーさんを見る。
「間桐桜は殺された。私の世界で、私が知らない間に、マキリ臓硯に利用されて殺された。だから私は願いを持った」
「それは臓硯への復讐と間桐桜の幸せだった」
「……臓硯は殺すのは困難を極めたけれど、成功した。それは、奇跡なんて願わずとも、生前の私で事足りた。だけどね。死んでしまった桜を幸せにすることは私には無理だった。出来なかった。不可能だった。蘇生も、時を逆巻くことすらも私には無理なことはわかっていた。死ぬ淵まではいずって、私はただ望みをかなえようとしたけれど、それは結局届かなかった。それは私には不可能なことで、どうしようもないと私は死に際に理解させられた。ああ遠坂凛。あなたが私に嫌悪を持つのは当然なのよ。それは私では泣く私の中に巣くっているものへの嫌悪だから。私がこの時代の自分は許せないように、あなたが後悔に溺れた私に自己嫌悪から来る怒りを覚えるように、私自身が干渉を禁じられたくらいで桜の辛さを見過ごしてしまった私を許せないようにね。嫌悪というならお互い様よ。自分を嫌悪するほどバカらしいことはない。遠坂凛。誰が否定しても私が遠坂凛であり、この望みにあなただけは文句をつける権利はない」
「そして、愚かな私は桜が死んでから懺悔を開始して、最後にどうしようもないことがわかってしまい、そして世界に願ったの。私の世界では無理だった。懺悔するべき相手もいなくなり、私はどうしようもない自分を理解した。だから愚かな私自身が出来る唯一のことを考えて、遠坂凛としてあらゆる世界の間桐桜を救うことを決めたのよ」
彼女がその身に宿すただ一つきりの願い事。
カレイドルビーと名乗った彼女は、始まりの日に言っていた。
“――――私はね。ただ貴方を幸せにすることだけが望みなの”
ただそんなことを言っていた。
◆
「だから、私は世界に宝石剣を使用する可能性を願った。あらゆる世界の桜の前から間桐臓硯を廃し、その身に巣くった呪いを消すためにね」
「……宝石剣を、願った?」
「ええ遠坂凛。貴方なら想像がつくでしょう。世界に魔法の使用は願えない。それは世界の範疇を超えるから。だけど私は遠坂凛だった。私は永遠に大師父の道を追うための場と、あらゆる世界に干渉する機会を願っただけよ」
「……ルビーさん」
それでは、ルビーさんは。
遠坂凛の名を持つ彼女は、その永遠の時間の中で、私のために宝石剣の奥義を身に着けようとしたということなのか。
「桜が私の知っている桜ではないことなんてわかっている。だけど私にはそれしかない。だから私は贖罪のために英霊となり、償いのために聖杯を開く。宝石剣への道はまだまだはるかに遠いけど、この根源へ続く泥を利用すれば私はきっとたどり着くことができるでしょう。ああこんなものを利用するなんて、自分でも歪んでいるとわかっているけど、止められないの。きっとサーヴァント特性でしょうね。聖杯を開くために必要だったとはいえクラスをイレギュラーにされたのは果たして良いことだったのかしら」
「……イレギュラーですって?」
「ええそうよ。イレギュラークラスアヴェンジャー。この神父は知っていたみたいだけどね。聖杯にささげられる身でありながら、腐った聖杯を操れるそういうクラス」
「ばっ! ありえるはずがないわ、そんなこと!」
遠坂先輩が声を荒げる。それは私も同感だった。
それを信じるならばつまりルビーさんのクラスは聖杯の基盤に用いられた七つのカードの範疇を超えているということになる。
“イレギュラークラス”
それは有り得ざるものだ。
キャスターのルール違反も、アサシンとして架空の英雄である佐々木小次郎が現れたことも納得しよう。
セイバーさんが佐々木小次郎の情報が聖杯から降りてこないとぼやいたように、有り得ざる存在だが、それはまだ許容できる。
なぜなら彼はアサシンとは無縁の存在でも、そのクラスはアサシンだった。
聖杯に選ばれる英雄は召喚者によって融通が聞く。
なぜならクラスは器だから。器に合わせて中身を替えられただけのことだ。
だがだからこそ、
コップに満たす水が、その器をゆがめないのと同様に、
イレギュラークラスの存在は有り得ないはずなのだ。
「それじゃ前提が狂ってる。そんなことをすれば、聖杯戦争の基盤そのものが歪んでしまう」
遠坂先輩が自分に言い聞かせるように呟いた。
「ええ、そうね。きっと冬木の聖杯戦争のシステムを、隅から隅まで理解していなくてはいけないでしょう」
「……どういうこと」
「イレギュラークラス“アヴェンジャー”それは意図的に作り出された変則式。遠坂凛。貴方だって過去マキリ、アインツベルン、そして何より遠坂の祖が作った聖杯が生誕の瞬間から腐っていたとは思わないでしょう? この聖杯が腐ったのは第四回聖杯戦争における予定された聖杯の歪み。アインツベルンが第四回の聖杯戦争において勝利を願い、七つの器に基づいて英霊の御霊を召喚するという聖杯基盤を覆す、偽りでありながら真なる呪い。この世の悪をつかさどる神を呼び出すために設定された、英霊を選別する器と対極する、呪いの神を呼ぶために作られた“八つ目の新たな器”」
ルビーさんが手を大きく掲げる。
その動きに合わせ泥の沼から影が舞い、
その手に掲げられる宝石剣にあわせ光が踊る。
「第四回聖杯戦争において、呼ばれた悪神は聖杯に取り込まれ、その聖杯を腐らせた。根源に辿りつくための願望機を、呪いの願望機へとね。そしていま、この聖杯は呪いの詰まった道具となった。英霊を取り込み、開けばただ世界を破滅させる器へと堕天した」
ルビーさんが宝石剣を振り下ろす。その煌きに従い背後に漂う泥が天を覆った。
月が隠れ、空が隠れ、世界が隠れ、
一瞬にして、私たちのいた世界が泥の中に包まれる。
私たちを取り囲むように泥が蠢き、私達の背後にいたるまで広がって、泥が天を覆う囲みを作る。
「人の精神では耐えられない。清純な魂では耐えられない。呪われた願いでなくては許されない。だからこそのアヴェンジャー。その器に相応しいものが呼ばれたときだけ七つの器を超越して具現するイレギュラー。世界もなかなか粋なことをする。だからこれは私の願いをかなえるために利用する。殺す呪いだろうが、滅亡の泥だろうが、制御して見せましょう。私は最初に言ったはずよ。願いがあると。望みがあると。遠坂凛。衛宮士郎。私は誰に否定されても覆さない。間桐桜の幸せを願うことは、私の死に際に決まったことなのだから」
泥が世界に模様を描き、宝石剣がそれを照らす。
その泥がどう使用されるのか。
おそらく最初にルビーさんが願ったのは、平行世界に自分自身が干渉する運営技法だったのだろう。だからそれを得るための時間と場所を願った。
そして、おそらく。その願いと世界の基盤に干渉する聖杯戦争において一つの計算違いが起こったのだ。
世界には、カレイドルビーとして存在する遠坂凛の願いをかなえられる聖杯戦争が存在した。
カレイドルビーには聖杯戦争の不備に干渉し、己の望みをかなえられる技があった。
そしてルビーさん自身が気づいてしまった。それが己が宝石剣を生み出すよりもきっと簡単に魔法へ至れるだろう“根源へと続く穴”の存在であることを。
これはあまりに悪意で満ちていながら、魔法へ至る道であることにかわりなく、彼女は特殊に特殊をかけた理由ではあるが、魔法を目指す魔術師であることに変わりない。
「――――さあ、じゃあそろそろやりあいますか」
その言葉に彼女はボロボロの宝石剣を構えた。
そして、ルビーさんが笑顔を見せる。
後ろに泥を這わせながらも彼女は紛れもなく遠坂凛で、
あまりに歪んだ望みを歌いながらも、彼女は驚くほどにまっすぐで、
みんなが、今更だろうと考えていたことを、
みんなが、それどころではないと考えていたことを、
彼女だけは当たり前のこととして見据えていて、
私の令呪を確認しに来た日の遠坂先輩のようにまっすぐで、
アーチャーさんを敵であるはずの私たちに紹介しておくといった、あの日の遠坂凛のように、どこか肝心な配慮が抜けていて、
彼女は誰もが忘れていたことを、
衛宮士郎の信念を断罪し、遠坂凛の無知を糾弾し、間桐桜への真情を吐露したその口で、
そこまですべてが予定通りだとでもいうかのように、
「アーチャー、セイバー。約束どおり、これが最後の戦いよ。勝利したサーヴァントが聖杯を得る。そう、貴方たちが同盟を組んだときからの予定通りにね」
誰もが、その特異的な状況に惑わされ、いまさら考えもしなかった、余りに当然過ぎることを口にした。