意識の覚醒と共に瞼が開き、光が差し込んでくる。「……生き、てる?」喉から漏れた声は酷く掠れていたが、自分の声を聞いて”生”の実感が湧き上がってきた。仰向けに寝かされた状態。病院のベッドの上だろうか?「生きてる」再び声に出してから、起き上がろうとして全身に痺れに似たものが走って上手く動かせないことに気付く。(そうか。俺は違法魔導師を追って、追い詰めたと思ったら人質を取られて、それから――)「お、お兄ちゃん……?」必死に記憶を漁っている作業の途中で、すぐ傍から聞き慣れた声がしたのでそちらへ視線を向ける。「ティアナ? どうして、此処に?」「お、お兄ちゃ、お、お、おにい、ちゃん」そこにはティーダにとって大切な肉親である妹のティアナが居た。まだ幼い彼女はその愛らしい顔をクシャクシャにすると、その瞳を大きく見開き涙をポロポロ零しながら嗚咽を漏らし始めた。急にティアナが泣き出したことにティーダは焦る。自分はティアナに何か悪いことでもしたのだろうか? いや、そんなことはしていない筈。だったら何故? 此処最近忙しくて構って上げられなかったからだろうか? だとしたらマズイ!!「ティアナ、その」「おにいちゃああああああんっ!!!」「へ? ティアナ?」横たわっているティーダの上に圧し掛かるように泣きながら抱きついてくるティアナ。そんなティアナの態度に呆然とするばかりだった。愛しい妹はそんなティーダの困惑など知らんと言わんばかりにあらん限りの力で抱きついてくる。「ティアナ……」自分の身体とは思えない程に動かし難い腕を震わせながら、それでもなんとか操ってティアナを抱き締めた。――生きてる……俺は、生きてる。知らず、涙が溢れてくる。自分は帰ってきた。帰ってこれた。この段階になって、彼女の声を聞いて、温もりを感じて、ようやくそのことを実感した。あの時、違法魔導師の攻撃から自分を守ってくれた炎の魔導師にティーダは心から感謝する。ティアナが独りぼっちならなくて本当に良かった。これからもずっと一緒に居られる。約束を破らずに済んだ。ランスター兄妹は、定期検診の為に主治医と看護婦が病室に来るまでその態勢のまま離れずに居た。背徳の炎と魔法少女 空白期9 狩人と魔弾の射手 後編(五日も寝てたなんて)主治医の話では、自分は病院に担ぎ込まれてから五日も死んだように眠ったまま意識を戻さなかったらしい。ティアナが泣き喚く訳だ。そのティアナは瞼を腫らしながらも自分の膝の上に頭を載せて穏やかに眠っている。その柔らかな髪を震える手で撫でていると、不意にノックの音が響く。「はい? どうぞ」「失礼するぞ」「失礼するわね」ティーダの声に応じて個室のドアを開いて入ってきたのは白髪の中年男性と、長い蒼髪の若い女性。二人共管理局員の制服に身を包んでいる。誰だろう? 二人の姿に見覚えあるなぁと記憶を掘り起こす作業に三秒費やし、思い出すと同時に動かし難い上半身を四苦八苦しながら慌てて起こし、敬礼した。「し、失礼しました!! ゲンヤ・ナカジマ三等陸佐!! クイント・ナカジマ准陸尉!!」「あー、そんな硬くなんなくていいって。管理局の制服着てるが、はっきり言って個人的な理由で見舞いに来てるようなもんだからな」「そうよ、今は仕事中じゃないんだから友人に接するような感じの方がこっちとしてもやり易いわ、私の方が貴方より階級低いしね。それに妹さんが起きちゃうでしょ?」「恐縮です……」ナカジマ夫妻が醸し出すフランクな雰囲気にティーダは緊張を解く。「ソルの見立てでは今日明日には眼を覚ますって話だったけど、見事に当たったわね」「お前の時にも思ったんだが、あいつ医者になった方が良いんじゃねぇか?」「ソル? あの、ソルとは誰のことでしょうか? それに加えて先程、三佐が個人的な理由で来ていると仰っていましたが……」この場に存在しない第三者の名前を聞いてティーダが質問を投げ掛けると、クイントは一つ頷いて答えた。「う~んとね、分かり易く言うと、ソルは私達の友達。彼に貴方が眼を覚ますまで様子を見て欲しいって頼まれた訳。本当は自分でお見舞いに来たかったみたいなんだけど、彼って結構忙しいから」「はあ」「クイント、もっと先に言うことがあんだろ。ソルってのはお前さんを助けた魔導師のことだ。”背徳の炎”って聞いたこと無ぇか?」クイントの答えに釈然としないティーダであったが、次のゲンヤの溜息交じりの言葉を聞いて納得すると同時に驚愕で眼を剥く。「……噂程度には」”背徳の炎”。既にこの噂を知らない者は管理局内では少数派だ。炎を自由自在に操り、自らを賞金稼ぎと名乗るフリーの魔導師。今から三、四年程前にミッドチルダとその周辺の次元世界に現れ、数多くの犯罪組織や違法魔導師、違法研究所を潰して回っていた人物。噂が広まってすぐに忽然と姿を消した為、その存在は死んだと誰もが思い忘れ去られる筈だった。事実、誰もがその存在を記憶の奥底に押し込めて忘れていた。しかし、今から約一年程前から再び行動を開始。その姿を次元世界に現すことになる。とは言え、以前のように管理局と全く関わらないようなスタンスではなく、一部の者と契約を結んで活動しているらしい。かつてのように唐突に管理局へ匿名の通報が入る訳では無く、事前に契約しておいた者達から戦力の貸し出しという形で様々な部署に派遣される場合が多く、仕事が終わるとさっさと報酬を受け取って姿を消す。その実力は推定魔導師ランクオーバーSと謳われるだけあって非常に高い。何人も寄せ付けぬ戦闘能力で戦略を戦術で覆し、圧倒的な火力で戦況を引っ繰り返す様はまさにエース・ストライカー級。また単独の捜査官としても優秀で、一度獲物に食らい付いたら蛇のように執拗に追い続け、捕らえる。これによって彼が解決した事件や捕らえた犯罪者は数知れず。賞金稼ぎと自称するだけあって、こちらの方が得意なのかもしれない。何より犯罪者に容赦が無いと言われている。以前よりも遥かにマシらしいが、”背徳の炎”に狙われた者で五体満足で居られる者はあまり多くないとか。他にも仲間が居るという話で、その仲間も”背徳の炎”同様非常に優秀らしい。管理局員だったのを辞めて”背徳の炎”の部下になった者まで居ると聞く。管理局内では一部の者から畏怖の対象として危険視されているが、これは単に上層部が何度スカウトしても管理局入りしようとしない”背徳の炎”を認めたくないだけと専らの噂。組織に属そうとしない一匹狼的な気質のスタンス(集団行動が極端に苦手なだけ&コネ使いまくり)、そのミステリアスな存在(皆が思っている程ミステリアスでもなんでもない。管理局の制服を着て地上、本局問わずウロついているのを発見することが可能。たまに食堂で飯食ってる時がある)、絶大な強さ、海の花形である執務官のような働きぶりから憧れている者は多い。ティーダ自身も他の皆と同じで、漠然とであるが少し憧れている部分があった。「つまり、”背徳の炎”が俺を?」「ご明察」ゲンヤは肩を竦める。「じゃあ、犯人は捕まったんですか? 人質の女の子は無事なんですよね?」矢継ぎ早に質問するティーダからゲンヤは視線を外す。「あのな、冷静に聞いてくれ」後頭部に手を当てボリボリかくと、ゲンヤは窓の外を眺めながら言い難そうに続けた。「人質なんてな、ハナッから居なかったんだよ」「え?」「”背徳の炎”が、ソルが言うには犯人のレアスキルの一種だそうだ」人質が初めから居なかった?「お前さん、犯人に騙されたんだよ。犯人に『そういうもの』を見せられただけで」「それって……」自分が少女を守ろうとして犯人の要求を呑み、デバイスを捨てたのは全くの無意味だったのか?ティーダの全身を虚無感が苛んだ。騙されて、一方的に攻撃されて、何も出来ないまま助けられたなんて。「でも安心して。犯人はソルが捕まえたから」何時もの病院直行コースだけど、とクイントが付け加えた言葉に「……そう、ですか……なら、良かった」と返すのが精一杯だった。意識を失う前に見た光景を脳裏に映し出す。”背徳の炎”は自分を庇った後、間髪入れずに男に向かって攻撃している。人質など目もくれずに。人質が偽者だと気付いていたから?「ハハ」乾いた笑いが口から漏れる。これが実力の差というやつなのだろうか。噂に名高い”背徳の炎”と、執務官候補生の自分を隔てている壁の高さを思い知って全身の力が抜けそうになった。心の何処かで、何時か自分もあんな風に、そう思っていた部分があったのは事実。未来のエリートだとか若きエースだとか持て囃された時期があり、それに驕らず、周りの評価に相応しい人物になろうと常に心掛けて努力を惜しまず過ごしていたのに。「……」「……」無力感に打ちひしがれるティーダの内心を察したのか、ナカジマ夫妻は声を掛けられず気まずそうに視線を下げる。「入るぞ」そんな時、ノックも無しにいきなりドアが無遠慮に開き一人の男が入ってきた。「隊長?」男はティーダが所属する首都航空隊の隊長であり、直属の上司。隊長はティーダに向かってあからさまに侮蔑の視線を向けると、吐き捨てるようにこう言った。「どの面下げて生き恥を晒しているんだ? 役立たずのティーダ・ランスター」「な!?」突然の上司の罵倒に思わず漏れた声が驚愕の色となる。ナカジマ夫妻もこの発言には驚いたようで、信じられないといった表情で固まっている。「私は言った筈だ。『必ず我が隊の手柄にしろ。犯罪者を取り逃した海に我々の力を見せ付けてやれ』とな。にも関わらずこの体たらくは何だ?」それはとても死に掛けた部下に放つような言葉ではなかった。更に罵倒は続き、容赦無い棘がティーダの心を抉る。「罠に嵌り、犯罪者の騙され、何も出来ぬまま横から手柄を”背徳の炎”に奪われて、おまけに命まで救われて、これ程の失態を犯して貴様は自分が恥ずかしくないのか?」「……俺は――」「負け犬の言い訳なんぞ聞きたくない」ピシャリと切り捨てられた。「貴様の所為で我が隊の評価は失墜したも同然だ。優秀な執務官候補生と呼び声が高かった貴様が惨敗し碌に成果を残せなかったことによって、我々は局内で無能者扱いだ。逆に”背徳の炎”の評価は局員でもないゴロツキの癖して鰻上りだぞ……一体どうしてくれる!?」屈辱を滲ませた怒声がティーダに叩きつけられ、部屋に響き渡る。「部下に叱責するにしては随分と酷い言葉なんじゃないんですかい。もう少し言葉を選んだらどうなんです?」眉を顰め不機嫌な表情のゲンヤが隊長に苦言を呈したが、むしろ火に油を注いだような結果を生んでしまう。「ハッ、ナカジマ三佐はさぞ気分が良いでしょうな。何せ今回の一件で自分の優秀な部下と私の無能な部下の差を明確にしたのですから」「どういう意味だ?」「言葉通りの意味ですよ。この役立たずと比べて貴官らが従える”背徳の炎”の方がより優秀であると、そのことを局内に示すことが出来たのですから」「……あいつは別に俺達の部下って訳じゃ無ぇ」「そうよ、ソルと私達はただ単にギブ&テイクな関係で――」「貴官らがそう思っていても、周りはそうは思っていません」クイントを遮る形で隊長が語調を強める。「外部協力者、聞こえは良いですが実質奴は貴官らの私兵ではないですか。その証拠に”背徳の炎”は貴官らと、海のハラオウン提督とロウラン提督からの仕事しか請け負わない、局入りしなければ嘱託の資格も取ろうとしない、貴官らの都合に合わせて動く高ランク魔導師、これが私兵と呼ばずに何と呼ぶのか教えて頂きたい!!」「……」「……」「実に巧妙ですよね? 局員ではないから人事など関係無い、その実績の高さから余程のことが無い限り管理局側は権限を使って命令することが出来ない、報酬さえ払えばそれ以上の成果を出してくれるエース・ストライカー、しかもその時得られる名声は全て貴官らのもの!! 私も是非、貴官らと同じように”背徳の炎”を部下として迎え入れたいものですね、こんな役立たずの代わりに」たっぷりと皮肉と嫌味が吐き捨てられるが、ナカジマ夫妻は言い返せずに居た。言われた内容はほぼ事実である。”背徳の炎”の評価が上がれば彼を従えているように見えるクイント達の評価も上がるというのは流石に言い過ぎだろうが。あくまで”背徳の炎”は管理局内だけで噂が一人歩きをしているような状態で、一般の人々は”背徳の炎”の「は」の字も知らない。だが、局員であれば多少は小耳に挟む程度のことはあるだろうし、クイント達をやっかむ者は少なからず存在する。本人の性格的なものは横に置いておいて、局入りしないが故に組織のやり方に縛られず個人としての自由度を有し、それと同時に契約者達から組織の力を借りる、この二つのメリットがあるからこそソルは局入りせずフリーで居るのだ。むしろ、フリーで居られる、という言い方が正しい。管理局側からすれば”背徳の炎”は無害かつ有益な存在である為、その存在を半ば黙認されているのが現状だ。本来であれば管理外世界に住む高ランク魔導師を野放しにすることなど出来ないのだが、放って置けば勝手に犯罪者を捕まえてくれるのだ。無理に局入りさせるよりも泳がせておいた方が良いのである。「ティーダ・ランスター、貴様は我が隊には要らん。そもそも魔導師ではない貴様などにもう用は無い。何処へなりとも失せろ」そう言って隊長が背を向けて立ち去ろうとしたが、聞き捨てならない言葉にティーダは待ったを掛ける。「待ってください!!」「何だ? 役立たず」相変わらず辛辣ではあるが律儀に足を止めた。「俺が魔導師ではないって、どういうことですか?」奥歯をカチカチ打ち鳴らしながら全身を小刻みに震わせ、ティーダは今自分が耳にし、問い掛けた内容を理解しようと努める。魔導師ではない?それはつまり、リンカーコアを持たない普通の人間と同じということだ。自分が?何かの冗談ではないのか?だって、確かに死に掛けたとは言え今もこうして生きている。怪我が完治してリハビリを終えれば現場に復帰出来ると当たり前のように思っていたのに。隊長は自分のことを魔導師ではない、と言った。まさか、この動かし辛い身体に関係しているのか?「その様子では聞いていないようだな。魔導師としてのティーダ・ランスターは既に死んだ。今の貴様はただのティーダ・ランスターだ」魔導師としての自分は既に死んだ?「だからさっきから言っているだろう、”役立たず”と。魔法が使えない魔導師など居ても邪魔なだけだ」言って、もう此処には用が無いという風に隊長は部屋を出ようとしたその時――「お兄ちゃんをバカにしないでっ!!!」ティアナがベッドから跳ね起きた。大きな声で眼が覚めた。誰かが怒っているような声だった。徐々にはっきりしてくる意識の中、大好きな兄がバカにされているというのだけがよく理解出来た。ティアナにとって兄をバカにされることは、自分がバカにされること以上に許し難いことであり、屈辱的なことである。だから許せない。許さない。感情を埋め尽くすのは怒り、悔しさ、兄がバカにされているという事実に対する悲しみ。それらはまだ幼い少女に過度のストレスを与え、耐え切れず爆発した。兄は役立たずなどではない。自分が誰よりも尊敬していて、優しくて、暖かくて、大切な家族だ。「お兄ちゃんに謝って!!」感情をぶつけるようにティアナは兄の上司に食って掛かった。と言っても、幼い少女が大の大人の足に縋り付くようにしか見えなかったが。「お兄ちゃんは役立たずなんかじゃない!! お兄ちゃんは誰よりも凄い魔導師だもん!! 私の目標なんだから、バカにしないでっ!!!」「……ティアナ」普段大人しい性格のティアナが眼に涙を溜めて叫ぶ姿にティーダは驚くと共に、嬉しさと悔しさが混ざったような複雑な感情になる。妹が兄を心から好きで尊敬していることに嬉しさを、なのに兄はもう妹の目標にはなれないことに悔しさを。「ふ」しかし、そんな必死な態度のティアナを隊長は鼻で笑い、鬱陶しそうに乱暴な手つきで振り払う。「キャッ!?」小さな悲鳴を上げてティアナは尻餅をつく。「ティアナ!!」急いでティアナに駆け寄ろうとしてそれが出来ないことにティーダは唇を噛む。「ちょっと貴方!! 子ども相手に乱暴なんて最低よ!!!」「流石に今のは目に余るぞ」動けないティーダの代わりにナカジマ夫妻がティアナに駆け寄り、隊長に向かって敵意の眼差しを向けた。だが、隊長は顔色一つ変えずにズボンについた埃を払うような仕草をするだけだ。「事実を言ったまでです。ティーダ・ランスターは魔導師として使えない、だから役立たずだと」「……そんなことない!! お兄ちゃんは、お兄ちゃんは、役立たずじゃないもん!! う、ううぅ、あああああああああ!!!」我慢し切れなくなったのか、ティアナはついに大声を上げて泣き出し、クイントはそんなティアナを暴言から守るように抱き締める。「これ以上此処に居ても時間の無駄だ。私は帰るぞ」完全にこちらに興味を失った隊長は部屋を出ようと踵を返し歩き出す。と、丁度隊長がドアの前に立った時だった。ガチャッ、とこれまた先程と同じように無遠慮にドアが外から開けられる。今度は誰だ? クイントとゲンヤとティーダがいい加減にしてくれと思い闖入者に視線を向けると、そこには長身の男が立っていた。長い黒茶の髪を後頭部で結わえ、真っ赤なジャケットと黒いジーパンでその身を包み、異様に鋭い真紅の瞳が眼の前に居る隊長を睨んでいる。「邪魔だ、どけ」短くそう言うと、隊長は男のまるで恫喝するような声と射抜くような視線に気圧されて慌ててその場を退いた。「ソル……」「「!?」」クイントの呟きにティーダと隊長が顔色を変える。先程から彼女は”背徳の炎”のことを”ソル”と呼称していた。ということは、この男が”背徳の炎”!? 何故此処に? 一体何をしに来たというのか?「お前、今日は海で仕事があるんじゃなかったのか?」「思ったより早く片付いた」疑問の声を上げるゲンヤに簡潔な答えを返すと、ソルはベッドに近付きティーダを見下ろす。ただそこに存在するだけで場の空気が一変し、誰もが押し黙る。先程の険悪な雰囲気など何処吹く風、たった一人の男に場が支配されていた。「……」「……」「……」「……」「……」ティアナは突然入ってきた男が持つ圧倒的な存在感と威圧感に驚いて泣くのを止め、ナカジマ夫妻はお見舞いに来たらしいソルの動向を見守ることにし、ティーダと隊長はいきなり眼の前に現れた件の”背徳の炎”に緊張していた。「悪かったな」「え?」何の脈絡も無い謝罪の言葉にティーダは頭が追いつかない。「あの後、もう少し俺が早ければ、もっと上手く治癒出来ていたらって思ってな」「は? あの、何を言ってるのか――」「俺が言いたいのはこれだけだ、じゃあな」言うだけ言うと、もう此処には用が無いと言わんばかりにティーダに背を向け部屋を出て行こうとするソル。だが、ソルを回り込むようにして隊長が立ち塞がった。「何だテメェ」「私は運が良い、まさかこんな場所で噂の”背徳の炎”に巡り合えるなんて」若干興奮しているらしい隊長の様子に、ソルはあからさまに面倒臭そうな顔をする。「どうだ? この無能の代わりに私の部隊でその力を振るわないか? 給料も今支払われている倍は出すと約束しよう。お前程の実力があればすぐにでもミッドの平和は保たれる、そうすれば忌々しい海の連中にでかい顔をされることはもう――」「興味無ぇ」「っ、何?」「俺はテメェに興味無ぇって言ったんだ」無造作に伸ばされたソルの左手が隊長の襟首を締め上げ、力任せに引き寄せた。「目障りなんだよ、失せろ……それとも灰になりてぇか」不機嫌に顔を顰めながらも、口元は不敵に笑っていて、全身から放たれるのは灼熱の気配。それが怒りなのか、単に不機嫌なのか、自分の利しか考えていない人種に対する呆れなのか、それなりに付き合いのあるナカジマ夫妻でも分からない。一つだけはっきりしているのは、ソルは隊長のような人間が好きではないということ。全てを見透かすような真紅の瞳は、視線を合わせた相手の人間性を一瞬で見抜く。ソルが手を離してやると、隊長は二、三度咳き込み「お、覚えていろよ」と素晴らしい小者っぷりを発揮しつつ逃げるように病室を出て行った。「やれやれだぜ」うんざりしたように溜息を吐きソルが歩き出そうとしたところ、全く予期せぬ事態が起きてしまう。何時の間にかクイントの腕から抜け出したティアナがソルの服を引っ張っているのだ。「「げ」」「ティ、ティアナ!?」怖いもの知らずとはこのことを言うのだろうか。子どもと比べて巨漢と言っても差し支えない体格を持つソルの足にティアナはしがみついて離さない。「どうした? ガキ」振り向いたソルは何を考えているのか分からない何時もの仏頂面で問い掛ける。「……お兄ちゃんは」「ああン?」「役立たずなんかじゃない」「んなこと俺が知るか」この部屋に入って二度目の溜息を呆れたように吐き、大きく眼を見開き固まって動かなくなったティアナの手を優しく払うと、ソルは今度こそ病室を後にした。数日後。ある程度回復したティーダのリハビリが始まった。医者の話によれば、リハビリが上手くいけば日常生活をする上でなら何の支障も無いレベルにまで回復出来るとのこと。だが、以前のような魔導師として激しい戦闘を行うことは不可能だ、とはっきり宣告されてしまった。それでも彼は腐らず、ただひたすらリハビリに時間を費やす。ティアナもそんな兄の傍を離れようとしない。あの日以来、”背徳の炎”が現れることは無かった。しかし――深夜。誰も居らず薄暗い病院の廊下を、松葉杖があれば歩けるくらいにまで回復したティーダが歩いている。とは言え、回復したとは聞こえは良いが、歩く速度は杖を突いた老人と大差無い。ゆっくり、ゆっくりと亀のような歩みで彼は一人、黙々と歩く。そして行き着く先は階段。目的地はその更に上だ。やはり階段を登るのにも一苦労であり、全身から汗を噴出しながらも彼は苦行を耐え続ける僧侶の如く文句を垂れずに屋上に辿り着いた。重い扉を開けると、そこにはミッドの夜景が広がっている。彼は荒い呼吸のまま柵まで歩み寄り、それにもたれ掛かると、「く、う、あああ」あらん限りの力を込めて柵を握り締め、泣いた。両親を失って以来、これまで誰にも――それこそティアナにも――絶対に見せまいとしていた彼の弱い部分。心の奥底で沈殿し続け長年溜め込んだそれは、魔導師として復帰出来ないというショッキングな事実に直面して、器に満たした水が外部からの圧力に負けて溢れ出たように吹き出た瞬間である。まだティアナが今よりもずっと幼い頃に両親を事故で失い、頼れる身内が存在しなかったティーダはそれ以降、自分でも知らない内に必要以上に強くあろうとした。妹を守る、その想いを胸に。魔導師として管理局で働くことは稼ぎ手が居ないランスター家にとって非常に都合が良いものであったので、幸い魔法の才能があった彼は二人で生活する為に魔法を使うことを決める。最初は単に生活費を稼ぐ為に始めた仕事は、何時の頃からか彼の使命となりつつあった。犯罪に怯え、苦しんでいる人や悲しんでいる人を助けたい。ティーダ自身、働いている間にそう思うようになったのが何時頃か、具体的にはあまり覚えていない。兎にも角にも、彼の心に火が着いたのはその時くらいからだ。特に彼が関心を示したのが海でのエリート魔導師が就くことが出来る超難関、執務官である。やがてそれが彼の夢になるまで、そう時間は掛からなかった。夢に向かって努力を惜しまなかった。誰よりも勉強するようになり、誰よりも訓練を真剣に取り組んだ。仕事も一つ一つ丁寧に、必死になってこなしてきた。だというのに、自分はもう魔導師としてダメだというではないか。ティーダが執務官として働きたいのは内勤派ではなく、独立派として単独で事件を捜査する方だ。当然、凶悪な犯罪者を相手にする場合があるので、それだけの戦闘能力が必要とされるが今の彼は子どもにすら容易く負けるだろう。「もう少し、もう少しだったのに……」本当にあとちょっとの所まで漕ぎ着けていたのだ。もしかしたら次の試験で受かったかもしれないのに、こんな形でリタイアすることになるなんて考えが及ばなかった。役立たず。脳裏で隊長の言葉が響く。あの時は何を言われたのか理解出来なかった、というかしたくなかったが、時間が経つにつれて、リハビリを行うことによって自分の身体ことと言葉の意味を理解して、実感して、悔しさがこみ上げてくる。夢は打ち砕かれたのだから。絶望感と諦めがティーダを苛みながらも、彼は妹の前では気丈に笑い何時もの”兄”で居ようとした。生きているのだから御の字、何度も何度もそう思おうとした。実際そう思っている。生きて再びティアナに会うことが出来たのだから、これ以上何も望むものは無い、と。しかし、それももう限界の所にまで来ていたのである。「こんな筈じゃ、なかったのに……」あまりに非情な現実に打ちひしがれ、ミッドの街並みを見下ろしながら泣く彼は気が付かなかった。屋上の出入り口で、自分を見つめている無垢なる瞳の存在を。「……お兄ちゃん」初めて見る兄の泣いている姿。頭の中でフラッシュバックするのは、兄が眼を覚ましたときに見聞きした光景。――『んなこと俺が知るか』心底どうでもよさそうに紡がれた台詞。「お兄ちゃんは……役立たずなんかじゃない」絶対に認めさせてやる。兄の魔法は役立たずなんかではない。握った指が白くなる程力を込め、ティアナは自分に言い聞かせるように、さながら魔法の呪文のように唱えた。――ランスターの弾丸に、撃ち抜けないものは、無い。後書き次回は肩の力を抜いて思いっ切りバカな話や、やってみたかった一発ネタを書こうと思います。いや、シリアスって疲れるwww