「最近、スバルとギンガはどうしてる?」俺はグラスを傾けながら向かいに座っているクイントとゲンヤに問い掛けた。酒に漬かっている氷がカランと音を立てる。「いっつも自分の眼で見てるのに改めて聞く必要あるの? 二人共元気元気、相変わらずよ」カラカラ笑いながらクイントが酒のつまみに手を伸ばし、それを口に放り込む。「そうか。ならいい」「お前は心配性だな」赤ら顔のゲンヤは苦笑すると、グラスに酒を注いだ。一ヶ月か二ヶ月に一度あるか無いかの頻度でミッドのナカジマ家に俺が訪問し、酒盛りをするようになってからかなり経つ。それなりに回数も重ねてきた。こうしてお互いの近況を報告――と言っても大したことじゃないが――をして、そのままダラダラと雑談しながら酔い潰れるまで酒を飲み続ける。呑み仲間。それが俺とナカジマ夫妻との関係を最も端的に表しているだろう。この関係を知っている者は少ない。身内の連中とナカジマ家だけなので、クロノやリンディ達は当然知らない。そもそもプライベートの友人関係をあいつらに伝える義務が無い。また、ナカジマ夫妻も俺のこと、つまり”ソル=バッドガイ”イコール”背徳の炎”だということを管理局に報告しようとしない。普通の友人として扱ってくれる。勿論、教会の連中も知らない。俺達の関係は、此処数年で誰にも知られず密かに築き上げたものだ。お互いに肩肘張らず、酒を飲みながら遠慮せず相手に言いたいことを言い合える、暗黙の了解で過干渉しないナカジマ夫妻との距離感は、俺にとって非常に気楽であり、なかなか面白いもの。正直言って気に入っている。この関係も、クイントとゲンヤのことも。そして、俺がこの夫妻を気に掛けるもう一つ要因がこの二人の娘、ギンガとスバルだ。戦闘機人という生体兵器として生れ落ちてしまった娘達。何処か境遇が俺やシンに似ていて、どうしても定期的にナカジマ家の状況というものを知りたくなってしまう。そういうこともあって、俺達は今の関係が続いている。「仕事の方は?」「ん~、相変わらずだけど、最近はちょっと芳しくないわねぇ」ゲンヤが日本酒を飲んでいるのを視界で気にしながら問うと、クイントは少し表情を曇らせた。「ほう?」「でも、今度近い内にある施設に踏み込む予定なの。ベルカ自治領の近くなんだけど」「ベルカ自治領?」「あ、そっか。ソルの仕事先のすぐ近くなんだ」手の平を合わせて一人納得しているクイントに俺は待ったを掛ける。「そんな施設が教会の近くにあるなんて初耳だぜ?」「まあ、あくまで地理的に見てベルカ自治領が近いってだけで、実際距離はかなり離れてるみたいだからソルが知らないのも無理ないんじゃない?」訝しむ俺に答えるような形でクイントは手を上下に振って笑う。それもそうか、と納得するがその施設の話は聞き捨てならない。しかも俺の仕事先のすぐ傍で。悪い芽は早めに摘むに限る。「俺が潰しておくか?」「ダーメ。私の隊で施設の周囲を警戒してるから、迂闊に近付いたらしょっ引くわよ」「ソルをしょっ引くなんて真似誰にも出来ねぇと思うがな」「それはそうなんだけど。随分前からあそこは怪しいから突入しようって眼を付けてて、今は上に許可もらってる最中だからソルがそこまで躍起になる必要は無いわよ」ニシシシッ、と笑うゲンヤの隣でクイントが安心しろといった感じで肩を竦めた。「許可もらってる最中って、許可が下りたらすぐにでも突入するのか?」「あ~でも、ゼスト隊長は許可が下りなくても突入するつもりみたい」「それ許可取る意味あんのか? つーか、そんなもん事後承諾で良いだろうが」「私もそう思うんだけど、組織って色々と面倒なのよ。分かってるでしょうけど」ってことは、クイントは今出撃前の待機状態ってことか? じゃ、なんでこいつ酒飲んでんだよ。何時緊急で仕事に飛んで行かなくちゃならないってのに、酒盛りに参加するとか。神経を疑う。ま、話の流れだと突入するのは今日明日って訳じゃ無さそうだから一安心か。実は、俺は明日丸々一日を使って教会の騎士団員に試験をする予定があり、その事前準備の為に一人でベルカ自治領に来た。ちなみに今日も明日も平日なので他の面子の協力は一切拒否。本業を頑張って欲しい。しかし、事前準備は俺が泊り込みで作業をするつもりだったのに、シャッハから罰を受けることになったらしいヴェロッサの仕事となったので、来て早々いきなり暇になってしまう。家には今日は教会に泊まると伝えてあったので少し帰りにくく、かと言って暇を持て余していたので、ものの試しにゲンヤに連絡を入れてみたら「ウチに来い」と言われる。帰りが遅いらしいクイントの代わりに夕飯を同伴させてもらい、ギンガとスバルが寝静まったのを見計らってゲンヤと酒を飲もうとしていたらクイントが帰ってきて、そのまま酒盛りという流れになったのだ。来たタイミングが悪かった俺も原因だが、飲むクイントも大概馬鹿だ。こういう馬鹿は嫌いじゃないけど。クイントの豪胆さに呆れながら俺は続けて質問をぶつける。「で、許可云々は抜きにして。何時頃突入するつもりなんだ?」「ゼスト隊長が予定を早めるか、とか独り言言ってたから……もしかしたら明日の夜、かな?」「「は?」」返ってきた答えに俺とゲンヤは間抜けな声を思わず漏らしてしまった。明日の夜だと?「え? 私何か変なこと言った?」「「馬鹿お前もう飲むな!!」」ゲンヤと協力して酒を没収した後、ナカジマ家の薬箱から探し出した肝機能が向上するサプリメントを嫌がるクイントの口に無理やり捻じ込んだ。背徳の炎と魔法少女 空白期3 羅針盤は示さず、ただ咆えたノートパソコンに表示されるデータ――本日騎士達にやらせた試験の結果――を眺めながら俺は独り言を吐く。「そろそろか? それとももう終わったか?」時計を見ると深夜十二時過ぎ。今俺が居る聖王教会の本部から離れた場所に存在する施設。違法研究を行っているらしいそこにクイントを含めた管理局員達、首都防衛隊の中でも『ゼスト隊』と呼ばれる精鋭が突入する予定だ。前日の夜、一緒になって酒を飲んでいたクイントのことが妙に気に掛かって仕方が無い。その所為でカリムに無理を言って今日も泊めてもらうことになる程。今朝、体調の確認を行うと本人は至って絶好調だったから杞憂で終わると思うが。もし今回の件でクイントがヘマかましてくれたら、俺の所為にされそうで怖い。管理局内で捜査官という役職柄、あいつは最前線で犯罪者やそれに準ずるものとの生死を賭けた戦いを余儀無くされる。ま、大丈夫だろう。クイントは確かに馬鹿な面もあるが、魔導師としては優秀だし、経験も豊富だ。俺が心配するだけ余計なお世話だ。それにあいつのしつこさは俺が保証してやってもいいくらいに定評がある。何よりあいつは死ねない。死ぬ訳にはいかない。幼いギンガとスバルを残して逝くことは許されない。あの二人にはまだまだクイントが必要だ。本人がそれを一番よく分かっている以上、あいつは何が何でも生き延びる筈。クイントへの信頼に納得すると、俺はコーヒーを飲もうとしてマグカップに手を伸ばす。「あ」取っ手を掴んだ瞬間、陶器が軋む小さな音と共に取っ手が外れ、ガチャンッと破砕音を生みながらマグカップが粉々になった。よりによってクイントのことを考えてる最中に取っ手が壊れてマグカップがお釈迦になるなんて、不吉にも程がある。コーヒーを飲み損ねたこととマグカップを割ってしまったこと、そして不吉の前触れのような出来事に舌打ちしながら俺は破片を拾う為に屈む。――ドクンッ。その刹那、頭から爪先まで冷水を浴びたような悪寒が走り、あまりの怖気に全身がビクッと震える。まるで首筋に死神の鎌でも突きつけられているような殺気にも似た嫌な予感。毛穴が開き、汗腺から冷や汗がプワッと湧き出す。――ドクンッ。心臓の音が、うるさい。脈打つ度に胸が苦しくなる。ズキンッ、ズキンッと、何かを訴えようとするかのように鼓動する様はまるで痛覚神経のようで、なかなか収まってくれない。――ドクンッ。「……ク、クイント……?」呼吸がし辛い。ハァハァと肩を上下させながら大きく吸ったり吐いたりしているのに、肺の中には酸素が取り込まれていかないかのようで、その息苦しさに俺は顔を顰めた。両膝と右手を床につけ、左手で心臓部分を押さえて耐える。「まさか、これは……」考えたくも無い。「……ふざけるな」頭に浮かんだ単語を一瞬で否定した。俺の身体がギアである以上、突然の発作など考えられないし、不老不死の肉体は病気にならない。だからこれは肉体的なものが原因ではなく、きっと精神的なものか外部的なものが原因。「クイーン!! 今すぐクイントに連絡を取れ!!!」自分でも驚く程大きな声を上げてデバイスに命令する。一瞬でもいいから繋がってくれ、心の底から願いを込めるも、返答は無慈悲な言葉だった。<繋がりません。何かに妨害されているようです>――ドクンッ。一際心臓が跳ねる。先程から全身を駆け巡る悪寒も、首筋を這い回る嫌な予感も拭えない。俺はこの感覚を知っている。昔は何度も味わった。”これ”が来た時、大抵は近くでギアの群れが街を襲っていて、慌てて現場に行ってみると既に何もかも手遅れで、地獄を見せ付けられたものだから。ギリッと歯軋りの不快な音が頭の中で響くのを聞きながら、俺は立ち上がりセットアップしてバリアジャケットを纏う。最低最悪なことに、俺の”これ”はよく当たる。俺の意思に関わらず、否が応でも。だが、俺はそれがもたらす現実を認めたくない。「畜生……畜生ぉぉぉぉぉぉっ!!!」血を吐くような叫び声を上げながら窓をぶち破り夜空を翔る。正確な場所まで詳しく聞いていなかった自分の迂闊さを呪いながら、クイーンに命令し魔法と法力を最大出力で行使し捜索した。”これ”は虫の知らせだ。ずっと昔から分かっていたとしても、認めたくなくても、俺には足掻くことしか出来ないのが……どうしようもない程悔しい。――今夜、確実に誰かが死ぬ。それがクイントなのか、クイントに近しい人間なのか、それとも皆死ぬのか、そこまでは分からない。確かなのは、誰かが死ぬという事実だけ。外れたことなどこの百五十年以上の長い年月の中で、一度たりとも無い。一度くらい外れてくれたって良いだろ!! こんなに悲観的に、絶望的にならなくて済むんだからよ!!!こんな胸糞悪い胸騒ぎ、士郎の時よりも酷い。それに比べれば、今味わっている感覚はさっき食った夕飯をリバースしちまいそうなくらいだ。「クソッ、まだかクイーン!?」<まだです>「早くしろ!! 見つけ次第転移だ!!」焦燥感に駆られ怒鳴りながら自分でも魔法と法力で探す。眼下を高速で流れる景色の中に怪しいものはないか見つけ出そうと必死に眼を動かす。<それらしき建築物を五キロ先に発見、転移します>数秒後、無機質なクイーンの声が聞こえると同時に転送魔法が発動した。突如襲ってきた右の脇腹の熱の感覚は、まるで焼きごてを押し付けられたような痛みを生んだ。恐る恐る震えながら視線を向けると、金属片のようなものが生えている。そこからじわじわと温かくて赤い液体が染み出し、バリアジャケットを紅に染めた。背後から機械兵器の足で貫かれたという事実を理解したのは、足を引き抜かれて支えを失い、前のめりに倒れる寸前。全身から力が抜け、顔を庇うことも出来ずに強か打ちつける。しかし、そんなことも気にならないくらいに貫かれた脇腹が激痛を訴え続けた。自分達は此処で死ぬのだろうか?隊長は他の隊員を庇って重症を負ったということ以外、何も分からない。その連絡の途中で自分とメガーヌは敵の機械兵器と交戦状態になってしまった所為だ。普段の自分達だったらこうはならなかったかもしれなかったのに。負け惜しみだと分かっていながらクイントはそうは思わずには居られなかった。この機械兵器と戦闘に入ってから、何故か魔法が普段通りに行使出来ない。イメージ通りに魔法が発動してくれない。高濃度のAMF。それが著しくクイント達の戦力を削ぎ落としていたのだ。全滅という最悪の結末を避ける為、せめて隊長達と合流して撤退しようと考えたが、無尽蔵に湧き出てくる機械兵器達がそれを許さなかった。焦りと緊張と不安を孕みながら、高濃度のAMF下での長時間の戦闘を繰り返し続けた結果、メガーヌと分断されてしまう。やがて、メガーヌは背後からの不意打ちを食らい、倒れた。急いで傍に駆け寄ろうとするも、大量の機械兵器に邪魔をされ、近付きたくても近付けない。機械兵器は餌に群がるアリのようにメガーヌに集まると、彼女を抱えて何処かへ行ってしまった。仲間が傷付けられ、連れ去られるのを歯を食いしばって見送るしか出来なかった自分の無力が腹立たしい。倒しても倒しても湧き出てくる機械兵器の群れ。いくら体力に自信があるクイントでも人間である以上限界というものは存在し、既に随分前から限界なんぞとっくに超えていた。メガーヌを追うことも、自分一人で撤退することも出来ず、多勢に無勢の中、彼女はただひたすら嬲り殺しにされるように戦い続けるしかなかった。そして、ついに自分も倒れることに。(こんな所で……私は死ぬの?)少しずつ意識が薄れゆくのを感じながら、クイントは自問自答する。自分は絶対に死ねないのに。帰りを待っている夫が、娘達が居る。(貴方……ギンガ……スバル)夫と二人でギンガとスバルの成長を見届けたいのに。もっとギンガとスバルのお母さんでいたいのに。こんな所で死ぬ訳にはいかない。家族を悲しませる訳にはいかない。自分が死ぬことによって苦しめることになる。何より、自分はもっと皆と一緒に居たい。それに、約束もある。――『ギンガとスバル、大切に育ててやれ……俺みたいなのには絶対にするな。お前らが居れば、あいつら大丈夫だから』朦朧としてきた意識でも、友人が自分に残した言葉は容易く脳裏に思い浮かべることが出来た。(ソルと……約束したから)破るつもりも無ければ、絶対に守ってみせると心に誓った約束。絶対に死なないこと。家族を悲しませないこと。無事に帰ってくること。飲み会が終わって帰る間際になると、別れの言葉と共に念話で一言二言肝に銘じるように言ってくるのだ。毎回毎回、しつこいくらいに。それだけ自分のことを心配してくれていたのだろう。勿論、そんなことはソルに言われなくても初めから分かっている。夫の為、娘達の為、クイントは皆に心の中で約束したのだ。(帰らなきゃ)動こうとしない身体を無理やり動かそうとする。幸い、生存本能を刺激された身体は命令に従いなんとか動いてくれた。(家に、帰らなきゃ)よろよろと介護が必要な老人のように上体を起こし立ち上がろうとしたクイントの眼の前に、今にも鋭い足を振り下ろそうとしている機械兵器が現れる。いや、クイントが倒れた時点で既にそこで待ち構えていたのかもしれない。どちらにしろ、もう抵抗することなど不可能だ。避けられなければ防げもしない。死ぬ。(皆……ごめんね……私……約束守れない)死神の鎌が自身に向かってゆっくりと振り下ろされる光景を見つつ覚悟を決めると、クイントは眼を瞑り――その時、突如大地を揺るがす衝撃が施設全体に突き抜けた。クイントは突然やってきた大地震に身体を支えることが出来ず、無様に転がり、そのおかげで眼の前の機械兵器からのトドメの一撃を偶発的に避けることに成功する。(な、何なの?)敵の機械兵器達も急な出来事にどうすればいいのか迷っているようにも見える。揺れは収まるどころか益々強く、大きくなり、爆音のようなものまで聞こえてきた。爆音?そう。爆音だ。まるでリズムを刻むように一定の間を置いて爆音が轟き、衝撃が走り施設が軋んで激しく震える。しかも、どんどんこちらに近付いてくる。おまけに真っ直ぐと迷うことなく。(上から?)施設の地下、それもかなり下に位置する場所、現在位置であるこの階層を目指しているかのように。この施設はとても入り組んでいて内部は地下迷宮と言っても差支えが無い程に複雑な作りをしている。だが、爆音と衝撃はそんなもの関係無いと言わんばかりに、まるで”無理やり攻撃魔法で道を作りながら”近付いてきているようだ。動かすのも億劫な首を巡らし、激しい揺れの所為で激しくブレる視界に天井を映す。此処に、何か来る。何が何だかさっぱり分からないが、失血と傷の痛みで意識を繋いでいるのも厳しい状態でありながらクイントは爆音と衝撃の正体を見極めようと瞳を細めた。そして、耳を覆いたくなるような大爆音と衝撃と共に天井が爆砕し、炎を纏った人型の赤い光が舞い降りるのをしっかりと眼に焼き付け、「クイントォォォォォォッ!!!」同時に此処には居ない筈の親しい友人の声が聞こえたことに驚かされる。「無事か!? 助けに来たぜ!!」どうしてソルがこんな所に、そう疑問に思うよりも早く『味方が自分を助けに来た』という事実に安堵すると、精神的にも肉体的にも限界だったクイントは意識を失った。後書きゼスト隊全滅編、前半戦をお送りします。話の終わりの方で出た描写『赤い光』のくだりで分かると思いますが、ソルは絶賛ドライン中です。道が無ければ作ればいい、という考え方に従い邪魔するものを粉砕爆砕大破壊しながらの救出劇。実にソルらしいと思いません?AMFに関しては次回、描いていければと思っています。感想返しについては、まことに勝手ながら私の余裕がある時にのみ書かせていただきます。皆さん、貴重なご意見ありがとうございました。これからも頑張るよ!!!