寝苦しさを覚えて起きる。身体が動かない。特に手足と首が上手く動かない。何かに押さえ付けられてるような感覚と、柔らかな人肌と温もりに包まれている。「……あー?」口から間抜けな声が零れた。視界が暗い。真っ暗闇だ。霞がかった意識がはっきりしてくるにつれて、闇に眼が慣れたのか視覚情報が少しずつ明確になってくる。「っ!?」アインの寝顔が眼の前にあって、心臓が口から飛び出しそうになる程驚いた。ど、どういうことだこれは!?俺の身体は仰向けに寝っ転がっていて、さっきから寝苦しいと思ったら誰かが俺の上に乗っているという事実に戦慄する。手足と首が動かないのと変な感触の理由は簡単だ。両手足はそれぞれ拘束されていて、首は誰かが抱え込むようにして寝ているからだ。恐る恐るゆっくりと首を巡らせると、(何だこの状況は!?)心の中で絶叫した。なんかもう、具体的に描写するのも恥ずかしくなるくらいにカオスな展開が広がっている。一つだけ言えるのは、どいつもこいつも幸せそうな顔で寝ているってことだけ。どうしてこうなった? どうしてこうなった!? どうしてこうなった!!! ク、クソがあああああああああああああああっっ!!!!今日は朝起きたらユーノと飯食って、地下室の掃除してたらヴィータのデバイス見つけたから八神家に行こうって話になって、買い物とかしてから八神家に到着して、シグナムとシャマルにバレンタインのクッキー渡して、それから二人からチョコもらって――あれ? シグナムのチョコを食ってからシャマルのチョコを食っただろ。そっから先は?覚えてない。何も。今眼が覚めるまで、自分が何処で何をしていたのかこれっぽっちも思い出せない。な……まさか……記憶が欠落してる?『ク、クク、クイーン!!』『イエス、マスター。何用で?』『シャマルのチョコ食ってから何がどうなった?』『命令の意図が分かりません。もっと具体的な命令を入力してください』『二月十四日の午後二時半くらいから今に至るまで俺がどんな状況下に置かれていたのか説明しろ!!』『了解』無機質なクイーンの報告を聞いて、少しずつ何があったのかを思い出し、俺は自身が奈落の底に放り込まれたかのように深く落ち込んだのは言うまでも無い。背徳の炎と魔法少女 バレンタインデー特別編 フレデリック少年事変 その四朝目覚めると、フレデリックの姿が無い。ついでにテーブルの上に置いてあったクイーンも無い。代わりに一枚のメモ用紙が置いてあり、そこには一言、こう書いてあった。『旅に出る ソル=バッドガイ』失踪したという事実と最後のサインから察するにどうやら記憶が元に戻ったらしい。それは素直に喜ばしい筈なのであるが、もうしばらくの間はあのままで居ても良かったので、どうしても複雑な心境になってしまう所為で喜べない。――ちっ、もう少しで私色に染めることが出来たというのに。六人は昨日のフレデリックの姿を思い出し、意図せず口元を緩ませる。教えた魔法が上手く出来た時の無邪気な笑顔。ちょっとしたスキンシップで慌てふためく初心な態度。純粋無垢で真っ直ぐな少年の瞳。逃がした魚はあまりにも大きかった。まあいい。昨日はこれでもかと言う程堪能させてもらった。確かに千載一遇のチャンスだったが、彼と共に暮らす以上、いずれまたあのような機会が訪れることだろう。その時こそは必ず―――勝って兜の緒を締める、といった心持ちで決意を新たにする女性陣であった。とある管理世界の犯罪組織のアジト。「な、何だこのガキ!?」「テメー何者だ!! 管理局か?」白を基調としていながら所々赤い部分が目立つバリアジャケットに身を包んだ少年は、突如として何処からともなく現れた。彼は無言のまま不機嫌そうな表情で手に持つ大剣を無造作に地面に突き立てる。そして爆炎が咲く。それは同時に犯罪組織が一つ潰れた瞬間でもあった。「ソル、帰ってこないね~」「うむ」ユーノは子犬形態のザフィーラと二人で散歩しながら、家出して十日は経つソルの話をしていた。「そんなにショックだったのかな~? もうそろそろ帰ってきてもいいと思うんだけど」「ソルはプライドが高い分、意外と根に持つタイプだからな。もうしばらくは帰ってこないのではないか」「しつこいというか、諦めが悪いというか、蛇みたいに執念深いというか」百五十年以上も”あの男”を追い続けただけのことはある。「しかし、面白い情報ならあるぞ」「どんな?」「これは管理局で聞いた話なんだがな。此処最近、あちこちの管理世界で違法魔導師や犯罪組織がこぞって逮捕されているようだ」「それがソルと何の関係が?」「話は最後まで聞け。逮捕された者達の証言によると、自分達を捕まえたのはたった一人の、十三から十五くらいの少年らしい」「ふんふん」「でだ。その少年は白を基調としていながら赤い装飾が特徴的なバリアジャケットを身に纏い、身の丈程もある剣型のデバイスを振るい、紅蓮の炎を操るらしい」「……」どう考えてもソルです。本当にありがとうございました。「更に捕らえられた犯罪者の大半がまともな生活を送れないくらいに身体を痛めつけられていたとか。死ぬ一歩手前の大火傷は当たり前、次に多いのが全身複雑骨折と脊髄損傷、酷い者になると両手足の切断など、生きているのが不思議なくらいだと専らの噂だ。特に違法魔導師は二度と魔導師として使い物にならないくらいにな。中には炎や赤色を眼にすると発作を起こすようなPTSD患者が居ると聞いた」「それと全く同じ内容、夏休みに何処かで聞いたことがあるなぁ」遠い目をすると、ユーノは暮れなずむ空を見上げた。「非殺傷設定が当たり前のように存在するこのご時世、犯罪者に全く容赦の無いその姿勢から管理局内ではこの謎の少年のことを”背徳の炎”と呼んでいるらしい」「うわぁ~、ピッタリだねその二つ名。まるで長年呼び続けられたみたいにしっくりするよ」「まあ、そう呼び始めたのはリンディ・ハラオウン提督らしいのだが」「……」「……」「今頃何してんのかな?」「あいつのことだ。犯罪者でも丸焼きにしていることだろう」丁度その頃。「燃え尽きろっ!!」噴出した溶岩が豪雨のように降り注ぐ。「ぎゃああああああああああああああっ!!」「熱い、熱いよおおお」「腕が、俺の腕が、肘から先が炭になっちまったぁぁぁ!!」「目障りなんだよ、失せろ」火炎が舞い、空間そのものを蹂躙するかのように爆裂した。「死ぬ、こ、殺される!!」「逃げろ!!」「……逃がさねぇ」ボソっと呟かれたその言葉の後に、炎の津波が全てを呑み込んだ。「……犯罪者に同情したくなってきた」「……俺もだ」灼熱地獄を脳内で垣間見て――間違い無く何処かの世界で起きている現実だが――ユーノとザフィーラは全身をぶるりと震わせる。「でもさ、どうして急に家出なんてした訳?」恐ろしい光景を拭い去るようにわざとらしく話題を変えるユーノ。「照れてるんだろう」「ええ……嘘でしょ」ザフィーラの言葉に半眼になる。「ただ単に怒ってるだけなら家出なんてせず、女性陣を全員纏めて焼き土下座させれば済むと思わないか?」「あー、確かに」焼き土下座=ソルと強制的に模擬戦をして火達磨にされて、そのままKO。納得したように呻くユーノの脳内では、タイランレイブを食らって吹っ飛ぶ女性陣の姿が映っていた。「しかし、実際にソルが取った行動は失踪だ」「『旅に出る』って書置きだけ残してね」「これはつまり、皆に面と向かって顔を突き合わせるのが恥ずかしかったのではないか?」「恥ずかしい、ねぇ……その根拠は?」「フレデリックの態度だ」「彼の態度?」「フレデリックはあの時、自分が知らない未知の技術を持つ皆に憧れのようなものを抱いていた」「うん」「更に彼にとっては年上の美女や同年代の美少女が優しく、これ以上無い程の好意を持って接してくれた」「そうなるね」「つまり、たとえ精神や記憶が十代前半の人間の少年に戻っていたとして、間違い無くあの瞬間のソルは六人に”ときめいていた”」そこまでザフィーラが口にすると、ユーノは大きく頷いた。「ああ!! なるほど!! それは確かに、ソルにとっては皆と顔を合わせにくいよね」「あいつにとっては腸が煮え繰り返るくらいに悔しいのではないか? 普段は自分が庇護している存在に抱いてしまった、憧れや恋慕に近い感情」「それだけじゃないでしょ。フレデリックはソルと違って女性陣を”女性”として意識しちゃったんだから」「そう。そしてフレデリックだった間をしっかり覚えていた、もしくは戻った時に思い出したのだろう」「で、その事実を認めたくなくて逃げ出しちゃった訳? どんだけ性格がひん曲がってるの?」「よく分からんがツンデレという奴ではないか?」「八つ当たりならまだしも、照れ隠しで犯罪者達を半殺しにするツンデレなんて嫌だな」「前者であろうと後者であろうと犯罪者達は病院か豚箱行き、大半が病院を経由して豚箱行きだがな。世の為人の為になっているだけまだマシだと思うぞ」「……まあ、ね」そんな話をしながら二人は家路に着いた。ちなみに、ソルが帰ってきたのはそれから四日後のことだった。それからしばらくの間、チョコ、手作り、バレンタインに関すること、フレデリック、といった言葉は禁句となる。そして、ソルはシャマルが作ったものは二度と食わないと心に誓ったのであった。……めでたし、めでたし?