それはスキー温泉旅行から数日後のバレンタインデーに起きた。起きてしまったことは必然だったのか、偶然だったのか誰にも判断出来なかった。しかし、起きてしまったそれに対して最初は誰もが驚き、戸惑い、事情を理解するとこれ幸いに私欲の為に利用しようとしたことは事実である。この事実を知らないのは話の中心となった当の本人だけ。これは、そんな物語。バレンタインデー。本来ならばローマ皇帝の迫害の下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日であるのだが、何時の時代からか日本では女性が男性に対して愛を告白する一大イベントという日になっていた。この時期は何処へ行ってもこの話で持ち切りで、男女問わず微妙な空気を誰もが纏わせながら若干の緊張感を孕みつつ、その日を待ち望む。まさにHEAVEN or HELL。男にとってバレンタインデーとはそいつの価値が決まる一種のステータスが明確に分かる日であり、女にとっては意中の相手に自身の想いを面と向かってぶつけるチャンスの日。これはお菓子会社の陰謀だ、と訴える者も居るがそんなものは義理チョコすら碌にもらうことの出来ない、もしくはチョコを渡す相手の居ない負け犬の遠吠えだと断じるのは勝ち組だけである。しかし、勝ち組でありながら日本のバレンタインデーに対して快くない、というよりはバレンタインデー自体が経済に大きな影響を与える一つのファクターであるという経済的な視点から冷静な眼差しを送る者が居た。ソル=バッドガイである。彼は長い年月を経た過程の中で”人間”というものをよく理解しており、様々な場所で、季節で、環境で、ありとあらゆる状況下で人々がどのように生活するかというのを見てきた。元々優秀な科学者であった為、物事を見る時はどうしても観察するように見てしまうというのもあって、彼は普通の人間以上に真理を見抜くことに長けている。だからこそ彼は客観的に判断する。バレンタインデーは間違い無くお菓子会社の陰謀である、と。事実、チョコを意中に相手に渡すという習慣自体が日本独自のものであり、この習慣はお菓子会社が広告に付けたキャッチコピーが始まりだったりするのだから。まあ、彼が真実に辿り着いたとしても日本に住む人々の認識が変わる訳では無い。世間は相変わらずバレンタインデー一色であり、男の間で格差が生まれる日というのも変わらない。そして彼は世間一般で言うところの勝ち組に属する側の人間であるのだが、生憎とチョコのような甘いお菓子は好きではなかったのだ。ブラックのコーヒーなどのような苦味や渋味が強いものを嗜好品として好む傾向があり、どちらかというと甘い食べ物は苦手な部類に入る。故に、チョコをもらうイベントであるバレンタインデーも甘い食べ物同様に苦手だったりする。そもそもバレンタインデーに良い思い出が無い。まだソルが人間であった頃。彼の最愛の女性、アリアも世間一般の女性に漏れず、大切な人や世話になった人に手作りクッキーなどのお菓子を振舞っていた。本来のアメリカのバレンタインデーは”女性から男性に”というものよりも”男性から女性に”お菓子やカード、プレゼントを贈るのが一般的だ。かと言って別に日本のように”女性から男性に”というのがおかしい訳では無い。つまり、アメリカではどちらが贈ってもおかしくないのである。だが、アリアは致命的なまでに料理というものが苦手であった。それはもう、もらったことを後悔するくらいに。彼女が作るものは、最早お世辞にも料理という技術から生まれたお菓子と呼ぶにはあまりにも『料理』と『お菓子』に失礼過ぎる代物で、謎の物体Xと呼称した方が良さそうな出来であったのだ。女の子らしい可愛いリボンで丁寧に梱包された箱を開けてみると、そこにはヘドロを原材料として作ったとしか思えない”何か”がある、というのが現実だ。『今年もまた……もらっちゃったね』『ああ』『フレデリック……食べる?』『もらっちまった以上は食わなきゃダメだろ』『……だよね』此処で食わなければ後々『他の女の子からもらったのは食べたのに私のは食べないってどういうこと!?』と文句を言われるのは火を見るよりも明らかだ。何よりソルにとっては最愛の女性からの贈り物。しかも手作り。その気持ちは非常に嬉しいし、食わない訳にはいかない。……しかし……しかし!!! 市販のもので良かったと声を大にして叫びたい。眼の前に存在している”何か”を食物として認識し口の中に放り込むには些かどころか、自由の女神の天辺から紐無しバンジーするのと同じだけの勇気が必要だ。毒で自殺する心境で、とてつもなく嫌な刺激臭を放つそれを人差し指と親指で摘む。チョコなのかクッキーなのかキャンディなのか、それすら判別出来ない謎の物体Xを覚悟が決まるまで約十分程見つめた後、意を決して彼は口に放り込んだ。次の瞬間、『……毒よりも毒らしい、毒とは』どさ。泡を吹いて昏倒した。『フレデリィィィィィィックッ!?』こんな光景が毎年繰り返されていた。彼らは二月十四日から次の日に掛けてトイレの住人として、最悪緊急入院という形で職場から姿を消していた。ソルにとってバレンタインデーとは勝ち組でありながら何故か苦しい思いをする破目になる地獄の日である。ぶっちゃけた話、ただ単に苦手というよりはトラウマに近い。バレンタインデーと聞くと、トイレか病院を想起するあたりかなり根深い。『俺、もし生まれ変わったらバレンタインデーが存在しねぇ世界が良い』『……僕も』というやり取りが恒例行事のように毎年行われていたくらいなのだから。朝起きて日付の確認をしてみる。二月十四日。バレンタインデー。「……道理で嫌な夢見る訳だ」かつてのアレを思い出し、一気に気分が鬱になる。悪夢を振り払うように首を振り、「この世界ではもう大丈夫、この世界ではもう大丈夫」と何度も自分に言い聞かせた。パテシィエである桃子は勿論、その桃子から直々に教えてもらっているなのはとフェイトとアルフの作ったものは安心して食うことが出来る。美由希からもらったものは手作りの場合は絶対に食わないと決めている。問題は残りの八神家の面子だが、料理上手のはやてが居る限り大丈夫だろう。ほら、安心だ。何も怖がることは無い。実際、この世界に来てからバレンタインデーでアリアのような大当たりを引いていない。この不安と心配も杞憂で終わる筈だ。でも、万全を期するなら出来るだけチョコなんぞもらいたくない。バレンタインデーと聞くだけで胃が食物を拒絶して引っ繰り返ったような感覚が襲い掛かってくるのだから。着替えてから部屋を出て洗面所へ向かい、簡単に身支度を済ませてからリビングへ。今日は日曜日であり休養日。なので平日に行っている訓練は休み。だから何時も居る八神家の面々は居ない。そしてバレンタインデーなので翠屋の従業員は出払っている。ついでになのはとフェイトの姿も無い。確かアリサの家で皆と一緒にチョコ作るとかなんとか言ってたような気がする。恭也は月村家だろうか? 美由希も居ないが、はっきり言ってあまり知りたくない。「おはよう……ってソル一人?」欠伸を噛み殺しながらユーノがリビングに入ってくる。「ああ」どうやら今家に居るのは俺とユーノの二人っきりらしい。常に大人数が存在していた空間だけに、二人だけというのはやけに静かで、部屋が広く感じる。「そっかぁ~、今日はバレンタインデーかぁ……楽しみだね」屈託の無いユーノの笑みにどうリアクションを取ればいいのか迷い、結局俺は生返事を返すだけに留まった。きっとこれが普通の男がバレンタインデーに対して取るべき態度なんだろうが、何の因果か俺にとってバレンタインデーは鬼門になっているので素直にユーノのような期待を込める気分にはなれない。何より他の世界出身のユーノはバレンタインデー自体が初めての経験だ。こんな風に期待するのは当然なんだろうな。「どうしたの? 顔青いよ。体調悪いの?」「いや、なんでもねぇから気にするな」ユーノの心配に大丈夫と手を振り、朝飯を食おうと促した。朝食後、特にすることも無いので地下室に行き掃除やら整理やらをユーノと二人でしていると、「あれ? これってヴィータのアイゼンじゃない? 持って帰るの忘れたのかな?」ゲームソフトが纏めて仕舞ってあるプラスチックのボックスの中から、小さなハンマーの形をしたアクセサリー――待機状態のデバイス――をユーノが見つけた。「あの馬鹿」俺は手を差し伸べてアイゼンを受け取る。「どうする? 後でどうせ皆此処に集まるだろうから分かり易い所に置いておく?」「いや、今日は特にこれと言ってやること無いからな。此処から八神家まで往復するってのも良い暇潰しになる」今日の行動指針が決まり、俺とユーノは家を後にした。ただ八神家に行って帰ってくるのは味気が無いのでまずCD屋に寄り、次に図書館で面白い本は無いか探す。その後繁華街の方に足を向け電気屋でオーディオ機器を吟味。アメリカと日本のバレンタインデーの違いをユーノに話したところ「じゃあ僕達も何か贈らなきゃね」という発言から、デパートへ。適当なものを人数分見繕うと丁度昼過ぎとなっていたので、ファーストフード店で簡単に昼食を摂った。「それにしても面白いよね。同じ文化なのに国が違えば中身も全然違うだから」八神家へ向かう道中、ユーノが感心したように言う。「価値観や考え方が違えば、ものの捉え方ってのも人それぞれ。宗教なんてのはその最たるもんだな。文化ってのはその土地に住む人間が積み重ねてきた日常の一部だ。だからたとえ名前が同じでも土地や人間が変われば多少は中身も変わるのが当然だと俺は思うぜ」「なんか今の言葉って評論家みたい」「こう見えても元科学者だからな。客観的な思考とか対比するような見方ってのは得意なんだ」「でもソルって考えるよりも先に動く、というか感情で動くことが多いよね」「理屈抜きで動くのが性分だからな」「それって科学者としてどうなの?」「致命的だ」「アハハハハッ!! 何それ?」他愛の無い話をしていると八神家に辿り着く。インターホンを押してしばらく待つ。<どなたですか?>スピーカー越しにシグナムの落ち着いた声が聞こえてくる。「俺だ、ソルだ」<なっ!? ソルか!? め、め珍しいな、お前がウチに来るなんて>「?」来訪したのが俺と分かると、急に向こう側で慌て始めたことに訝しむ。ユーノと二人で顔を見合わせてから、俺はスピーカーに向かって口を開いた。「ユーノも一緒なんだが」<ま、待て、まだ心の準備が、五分、スナマイがあと五分待ってくれ!!>言うが早いか、そのまま沈黙するスピーカー。「……」「……」言われた通りにユーノと二人寒空の下黙ってきっかり五分待っていると、玄関のドアが開いた。「スマナイ、待たせてしまったな」「ごめんなさいね~」謝罪の言葉を述べながら俺とユーノを迎えたのは、何処か緊張した様子のシグナムとシャマル。「よう、お前ら二人だけか?」「お邪魔します。他の皆は?」「主はやてとヴィータは今朝早くから、なのはとテスタロッサに連れられてアリサの家に向かった」「アインは翠屋でお仕事です。今おウチに居るのは私とシグナムとザフィーラですよ」なんだよ。ヴィータ居ないのか。デバイス返そうと思ってたのに。「ま、いいか。ユーノ」「じゃんじゃじゃ~ん」俺とユーノは手に持った紙袋から先程買ったお菓子――中身はチョコチップクッキー――が入ったプレゼント用に包装された小箱をそれぞれ一つずつ手渡す。「えっと……」「これは?」小箱を二つずつ手にしたシャマルとシグナムが困惑の表情を浮かべるのを見て、俺は苦笑しながら言ってやった。「俺とユーノからバレンタインデーの贈り物だ。アメリカじゃ男女問わず大切な家族や仲間に渡すもんなんだぜ」しばらくの間二人は呆けていたが、俺の言葉の意味を理解すると嬉しそうに眼を細めて、「ありがとう」「味わって食べるわね」柔らかい笑みになるのだった。シグナムにアイゼンを渡して、その足でガキンチョ共が集うアリサの家か翠屋に向かおうとしたのだが「折角来たのだから上がっていけ」と引き止められたのでお言葉に甘えることにした。ちなみにユーノは「僕は空気が読める子」と言ってすたこらさっさと何処かへ行ってしまった。ソファの上で寝っ転がっていた子犬ザフィーラとの挨拶もそこそこに済ませ、席に着く。「お待たせしました」シャマルが紅茶を皆に配る。俺は香りを楽しみながら紅茶を飲んでいると、「……ソル、これを……」おずおずとシグナムがリボンで包まれた小さな箱を差し出してきた。「チョコか?」「あ、ああ。お、お前には何時も世話になっているからな。渡しておくべきだと思ってだな、その……」「別にそんな気ぃ遣わなくてもいいってのに」口ではそう言いつつも、やはり男としては女からチョコをもらえるのは嬉しいものである。自分のことを『戦う為の道具』だと見ていたことが此処数年高町家で暮らすことによって払拭されたおかげで、更にギアの秘密を打ち明けて受け入れてもらったことにより、最近の俺は自分でも驚くくらいに人間らしい感情を抱くようになっていた。期待と不安が入り混じったような表情をしているシグナムに「開けるぞ?」と問うとゆっくり頷いたので、丁寧にリボンを解き包装紙を剥がし箱を開ける。「ビターチョコレートか」「うむ。お前は甘い物があまり好みではないから……出来れば手作りが良かったのだが」「こういうのって気持ちが大事だと思うぜ。市販だろうが手作りだろうが心が篭ってれば言うこと無ぇよ」切にそう思う。むしろ出来れば市販のもので頼む。その気持ちで十分お腹一杯!! マジで!!! もう手作りで痛い目を見るのは二度と御免だ。「そう言ってもらえると……助かる」頬を染めながら蚊の鳴くような声で俯くシグナムを視界に収めつつ、俺は丸い形をしたチョコを口に放り込む。口に広がるのはビターのほろ苦さと少しの甘さ。悪くない。実に悪くない。「ありがとな、シグナム」そう言ってやると、満足そうにコクコクと頷く。普段が凛々しいだけにこのギャップは新鮮で、その姿が妙に可愛く映った。「次は私の番ですね。はい、バレンタインデーのチョコです!!」シャマルが自信満々に小箱を差し出してきた。「開けるぞ?」「どうぞ」余程自信があるのか余裕の笑みを浮かべる表情を見て、俺は期待してしまう。「私のは手作りですよ」「……何?」箱を開けようとしていた指が止まる。……手作り……だと?――ドクンッ。脳内でエマージェンシーが鳴り響く。食って大丈夫なんだろうか?そういえばシャマルってあまり料理上手くなかったよな? 実際に食ったことは一度も無いが。はやてと一緒に暮らしてるから日々上達してる筈だよな?だから今日、はやてはなのはとフェイトに連れられてアリサん家行ったんだろ?大丈夫、きっと食える筈だ。アリアみたいな奴そうそう居ないって。美由希というのがすぐ近くに居るが今は忘れろ!!此処はシャマルを信じよう。こんなに自信満々な顔してるんだ。きっと何度も味見して試行錯誤して出来上がった至高の一品だ、きっとそうに違いない!!!胸中で呪文のように『シャマルならきっと大丈夫安心しろ俺怖がるな』と唱えながらいかにも手作りらしい箱を開け、中に鎮座しているハートの形をしたチョコを手に取る。穴が開く程睨み付けて観察する。形も特に歪んでなければ、変な刺激臭もしない。これは普通に食えそうだ。気付かれないように小さく安堵の溜息を吐きながら口の中にチョコを入れた。「……」「どうですか?」「……」「も、もしかして美味しくないですか?」「……」不安そうに聞いてくるシャマルに応える余裕が無い。正直な話、そこまで不味くはない。美味くもないけど。どっちかって言うと不味いが。だが、なんというかこう、見た目に油断してしまった所為で色々とショッキングな気分だ。しかも味覚的なショックよりも精神的なものがデカイ。だからかどうか分からないが、走馬灯のように脳内を再生されてしまった映像は初めてアリアの手作り”何か”を食った時のもの。それが無限ループを繰り返していた。過去の古傷が開いた所為で段々意識が遠くなってくる。やはりバレンタインデーというものは俺にとって碌なことが起きない厄日らしい。「ヘビィ……だぜ」トラウマが意識を遥か彼方に投げ飛ばすのに一分も要らなかった。「きゃあっ!? ソルくん!!」「ソル、どうした急に!! ……シャマル貴様、チョコに一体何を仕込んだ!?」悲鳴を上げるシャマルにシグナムがソルの身体を抱き上げながら噛み付かんばかりの勢いで迫った。「し、失礼ね!! 何も仕込んでなんかいないわよ!!」「見栄なんぞ張って手作りにするからこんなことになるんだ!! 私のように市販で済ませれば――」「だって――」「二人共言い争ってないでソルを横にしろ!!!」ザフィーラの一喝で我に返った二人は即座にソルの身体をソファに横たえる。「どどどどうしましょ!? 救急車呼べばいいのかしら?」「落ち着け、ソルはギアだぞ! 医者に診せる訳にはいかん!! 魔法で癒せ!!」「わ、分かったわ」完璧にテンパったシャマルが自分の存在意義を根元から刈り取るようなことを言い出したが、ザフィーラが怒鳴って自身の本分を思い出させる。「クラールヴィント!! 何とかして!!!」非常にアバウトな命令が下された。しかし、そんな主に文句一つ言わずにクラールヴィントはクイーンとリンクしてソルのバイタルを確認する。やがて。<診断の結果、肉体には何ら問題はありません>「嘘!? じゃあどうしていきなり倒れたの?」<マスターの精神がチョコを食べた瞬間ショック状態に陥りました。恐らく精神的なものが原因と思われます>「シャマルの手作りチョコが不味かったのがそんなにショックだったのか!?」<肯定>クイーンの報告にシグナムは仰天した。それを聞いてシャマルは体育座りしてしまったが、今はそんなことどうでもいい。一応、脈や呼吸なども確認してみたが特に問題は無い。命に別状は無く、ただ単に気絶しているようだ。安堵の吐息を吐いたその時、玄関のドアが開く音が聞こえた。「ただいま。む、客人か? 珍しい」アインが帰ってきたようである。彼女はそのまま居間に入ってきた。ソファで仰向けになって意識の無いソル、その傍で体育座りしているシャマル、どうしたもんかと腕を組んで悩んでいるシグナム、お座りをしてソルの様子を見ているザフィーラ、それらを順繰りに眺めて言葉を失うアイン。どう見ても変な状態である所為だ。「何があった?」落ち着いた口調ではあるが、決して言い逃れはさせんという気持ちが込められた声をアインは出した。「何だと!? ソルにバレンタインデーチョコを食べさせただと!!」話を聞いてアインは血相を変えると、気絶したソルの上体を抱き締めてシグナムとシャマルを睨んだ。「なんて惨いことを……お前達、自分がどれだけのことを仕出かしたか分かっているのか!!」烈火の如く怒るアイン。「それはどういうことだ!?」「そうよ!! バレンタインデーにチョコを贈ることの何が悪いっていうの?」理由も分からず怒られているシグナムとシャマルが不満の声を上げる。「そうか、お前達は知らないのだな……ならば教えてやる。ソルはバレンタインデーの贈り物に対してPTSDを持っているんだ」PTSD。Post Traumatic Stress Disorder の略語で、心的外傷後ストレス障害のこと。心に受けた衝撃的な傷が元で後に生じる様々なストレス障害のことを指す。つまり、トラウマ。「ソルのかつての恋人アリアはシャマルを超える料理の腕前でな。だというのにバレンタインデーで毎年変なものを食わされ続けた所為でPTSDになってしまったのだ」「私を超えるって表現おかしいでしょ!!!」「「な、なるほど」」「そこ納得しない!!!」戦慄しているシグナムとザフィーラに半泣きになりながら文句を言うシャマル。「だからこの時期のソルは食べ物に対して過敏になっている部分がある。特に菓子類にはな。お前達が自覚無し行った行為は、人の古傷に焼きごてを押し付けるような真似をしたんだぞ」責めるような口調で、それでいてアインは愛しい我が子を放すもんかといった風にソルを抱き締める。「しかし、私が贈ったチョコは嬉しそうに食べてくれたぞ」黙ってはいられないと反論を試みるシグナム。「市販品なら当然だ。PTSDの条件は三つ。手作りであること、バレンタインデーの贈り物であること、そして最後に不味いこと。この三つが揃わない限りそう簡単にこの男が倒れる訳が無い」「手作りで」「バレンタインデーの贈り物で」「不味いことが条件だ」シグナム、ザフィーラ、アインの三人の視線がシャマルに集中する。「なっ、私の所為って言いたいの!?」「シャマルだからな」「ああ、シャマルだからな」「シャマルでは仕方が無いな」「責められるよりもそうやって納得される方が傷つくって分かってて言ってるでしょぉぉぉぉぉぉ!?」ぼんやりとした意識がゆっくりと浮上していく。やがて覚醒した意識が閉じていた瞼を開かせる。網膜が可視光線を捉えると、眼の前には――「眼が覚めたか。お前が倒れたと聞いた時には心臓が止まるかと思ったぞ」「……」「どうした? まだ気分が悪いのか?」「……アンタ、誰だ?」見知らぬ美人が心配そうな表情で俺を覗き込んでいた。透き通るような銀髪で、瞳がルビーみたいに赤くて綺麗で――今はそれをカッ見開き驚きで固まっているが――整った顔立ちは街を歩けば十人中十人は振り返るであろう美貌。そんな美人の顔が眼の前にある。その事実に心臓が高鳴った。更に後頭部の柔らかで心地良い感触が眼の前の美人の太腿だと気が付くと、顔から火が出るくらい恥ずかしくなってくるのを自覚する。俺は逃げるように転がって美人の女性から離れた。「ソル?」「ソルくん!?」「!!」美人がもう二人居た。桃色の髪をポニーテールにしている女性と、ハニーブロンドの髪を肩口で切り揃えている女性。この二人も先の女性同様、俺を心配そうに見ている。と、いきなりハニーブロンドの女性が抱きついてきた。「わっ! わわわっ!?」「ごめんなさいソルくん!! 私がお料理下手なばっかりに辛い思いをさせて!!」両腕が背中に回されしっかりと抱き締められ、おまけに泣き顔を俺の胸に埋められる。事態がよく分からず俺は慌てて女性を引き剥がそうとするが、予想以上に強い力で抱き締められていて思うように引き剥がせない。「いきなり訳分かんねぇよ!!」「ソルくんは覚えてないだけです!!」「ソルって誰だ!? 絶対に他の誰かと勘違いしてるだろ!! 俺はアンタらみてぇな美人の知り合いなんざ知らねぇから急に謝られたって頭が追いつかねぇよ!! 誰なんだアンタら!? つーかとにかく離れろ!!!」とにかく恥ずかしかった。自分の顔が羞恥で真っ赤になっているのが嫌でも分かるので、俺は懸命に離すように訴える。すると、抱きついていた女性は呆けたように俺からあっさりと離れてくれた。やれやれと溜息を吐き、驚愕の表情で固まっている三人の美人に真正面から向き合うと俺は自己紹介することにした。「俺はフレデリック。少なくともソルっていう名前じゃねぇぞ。今通ってるジュニアハイスクールで最も優秀な生徒、天才とも言うな……で、アンタらは何者で、此処は一体何処だ?」背徳の炎と魔法少女 バレンタインデー特別編 フレデリック少年事変 その一続くオマケ「犬が喋った!?」「狼だ」読者様の質問に答えるコーナー兼後書き外剛◆0adc3949さんからの質問>ソルはアギトとユニゾンできたりするのだろうか?出来る出来ないで言えば出来るかもしれないけど、まずユニゾン自体しません。ソル側の事情で。そもそもソルが戦闘中に使っているのは、飛行や転送、バインドといった補助系魔法を除けば全てが法力なので、ユニゾンしたところでアギトが役に立ちません。そして補助系魔法ですらほとんどクイーンのお仕事ですから、術者であるソルが融合機とユニゾンして強化、ということはソルにとってナンセンス。自身を強化したければドラゴンインストールを使えばいいですし。だから、もしかしたら随分前に感想コメに頂いた、「旦那、ユニゾンしようぜ!!」「断る」「そんなぁ~」な展開になると思います。