あれからしばらくして。怪しいフェレットもどきを近くにあった槙原動物病院に連れて行った。獣医の診断によると命に別状は無いらしい。それを聞いて目に見えてほっとするなのはとアリサとすずかの三人。「で、こいつどうすんだ? 首輪、にしては随分女々しいもん付けてるが飼い主が居るんじゃねぇのか?」ケージの中で横たわっているフェレットもどきの首にはビー玉サイズの赤い玉が付いている。解析を掛けてみれば………案の定、魔道具の類だ。「あ、起きた」アリサの声。今の法術を使った時に僅かに漏れた魔力に反応したらしい。辺りをキョロキョロと見渡す。その仕草に三人娘は「可愛い~」と暢気にしているが、逆に俺は緊張する。そして、やっぱりというか、なのはのことをじっと見る。………こいつ、なのはが高い魔力を持っていることに気付いてやがる。もし何か変なことでもしたら、今すぐにでも消し炭にできるように術式を構築、展開しておく。後は魔力さえ流せば法力を発動できる段階までに留める。しかし、拍子抜けしたことにすぐに気を失ってしまう。とりあえず、今日のところは此処の獣医が面倒を見てくれるらしい。俺達は槙原動物病院を後にした。塾までの道すがら、三人はフェレットもどきのことが気になるようで、終始その話だった。で、もし飼い主が見つからなかったら誰が飼うかという話になり、アリサの家は犬が居るから×。すずかの家は猫屋敷だから×。ウチは食い物を扱っている以上衛生面で問題があるから×。だがなのはは士郎に相談してみると言っていた。俺としては、まだ奴が得体の知れない者である以上賛成しかねる。一応、なのはにバレないように士郎達と話をした方が良いか?アリサとすずかを塾まで見送ると―――俺は塾に行く必要が無いし、なのはも俺が教えているので必要無い―――家路につく。家に着くとなのはが早速士郎に相談。フェレットはペットとして人気が高いからか、桃子と美由希はかなり乗り気だった。結局、なのはがちゃんと面倒を見るということで話は纏まった。「お兄ちゃん、飼っていい?」士郎達から許可を取った後に俺に承諾を求めるのはどういう意味があって言ってるんだろうか。外堀はもう埋めたから観念しろということだろうか? そうだとするとかなり腹黒いが、眼を見る限りそんなことはないようだ。期待と不安で揺れる純粋無垢な眼は、きっと俺が反対したら諦めるのではないか。「条件がある」「条件?」奴の今の姿がフェレットだろうとイタチだろうと、本来の姿はなのはと同い年くらいの男。そんな”赤の他人”が家の中を我が物顔で歩いているなど気分が悪い。「フェレットが家の中に居る間は決してケージの外に出すな。不潔だからな。ウチは食い物扱ってんだからそのくらい当然だろ?」「え~、それっていくらなんでも厳しいよソル」フェレットと自分が遊ぶ姿を想像していたんだろう、美由希が抗議の声を上げる。そんなこと言ってられるのも今の内だけだぞ?「姉貴はすっこんでろ。まだ他にもあるぞ。ケージは居間から動かさないこと。触ったら必ず手を石鹸で洗うこと、外に連れてっても構わねぇが人様に迷惑かけた場合は即保健所行きにすること。この条件を守れるようだったら飼うのを許してやる。どうだ? 守れそうか?」「えっと、家の中ではケージから出さない、ケージを居間から動かさない、触ったら石鹸で手を洗う、外に連れてっていいけど人の迷惑にならないようにする………うん、分かったよ!!」「本当に守れるのか?」「うん、お兄ちゃんとの約束だもん! 絶対守るよ!!」そう言って、なのはは屈託無く笑った。夕飯を食い終わって、テレビの前でまったりしていると俺の携帯電話がメールの着信を伝える。血をイメージしたかのような真っ赤な携帯に手を伸ばし画面を確認する。送り主は俺がよく行くCD屋『Dレコード』の店長からだった。内容は、俺のお気に入りのユダヤ系ロックバンド『DMC(ディストーション・メンタル・クラッシャーズの略)』の新作アルバムが発売日前に入荷したので今からでも取りに来いっということだった。かつてそのCD屋の店長とロックについて語った時に妙に馬が合い、その日メールアドレスを交換して以来、今みたいに連絡が来て発売日前に入荷したCDを特別に売ってくれるのだ。俺はおもむろに立ち上がった。「親父、お袋、ちょっと出てくる」「こんな時間に何処行くんだ?」「CD屋」「いつものことだがまたか。なのはがお前を真似したがるからあまり夜の外出は控えて欲しいんだがな」「今回ばかりは無理だ」「ソルって本当にロックが好きなのね、その台詞何回目かしら?」溜息を吐く士郎の横で、感心したのか皮肉を言ってるのかいまいち分からない様子の桃子。なのはは丁度トイレに行ってて此処には居ない。家を出るなら今しかない。「行ってくる」「何処へ?」「!?」いつの間にかドアから顔を覗かせるなのはが居た。しまった、見つかっちまった。「お兄ちゃん何処行くの?」言外に私も連れて行けと言ってくる。「………ちょっとCD屋まで」「私も行く」「ダメだ」「なんで!?」信じられないという表情をするな。「この前に連れてった時、店長と話し込んでたらお前隣で寝こけてただろうが。寝ること自体責めはしねーが、俺が負ぶって帰ってる間も寝たままだし、結局そのまま歯磨きしないし風呂も入らないで朝まで寝ちまったから」「うう~」「つーことで、ダメ。先に風呂入って寝てろ」「次は絶対一緒なんだからね!! お風呂も!!!」俺はなのはの負け惜しみを聞き流しながら一度部屋に戻って上着を取り、家を出た。「また股間が濡れるCD入荷したら呼んでやるよ」「ああ、頼む」店長(ちなみに女)の下品な言葉を背に受け俺はCD屋『Dレコード』を出る。腕時計を見ると家を出てから二時間近く経っていた。話が弾んだ所為でまた随分と長居してしまった。とっとと帰らないとまたなのはがうるさい。いや、もう寝てるか?CD屋は海鳴市の端、海岸に面した場所にある。何故駅前とかではなくこんな近くに店おっ建てたのか理解に苦しむ。店の近くにある海が見える公園を一人とことこ歩きながら、ふと上を見る。空には真円を描く月が美しく輝いている。「世界が変わっても、何年経っても、月と太陽は変わんねぇな」物思いに耽ること十秒。俺は先程手に入れたCDを出してほくそ笑んだ。早く聴きたい。その為にはマジでとっとと帰ろう。ていうか、場所が場所だけに視界に入るアベックが鬱陶しい。こっち見て指差してんじゃぇ、二人の世界に入ってろ! それとも灰になりてぇのか?イチャつくんならホテル行けよ、と思いながら足を速めると、「!?」先に来たのは違和感、そして魔力反応。次の瞬間には薄い金色の光がドーム状に展開されたこと。視界からさっきまで存在していたアベック達が消える。街の方から魔力反応―――人間にしてはかなりでかい、なのは並くらいか?―――が俺が今居る公園に高速で飛んでくる。「ちっ!」状況が把握出来ない以上、此処でつっ立っているのは危険だ。俺は後手に回らざるを得ない現状に舌打ちしながら、適当な木々の中に入って身を隠す。一体誰が何の為にこんな結界―――しかも見たこと無い―――を使ったってんだ?アベック達が消えたとこを見ると、何らかの条件を揃えた、もしくは条件が揃わないものを弾き出す結界か?では何故俺が?慎重に魔力が漏れないように解析法術を使用する。どうやらこの結界、魔力を持っていない者を叩き出す代わりに、魔力を持っているものを者を問答無用で取り込むタイプの結界らしい。因果律隔絶系の結界か、厄介だな。結界に対する分析が終わると、俺が先程まで居た場所に金色の閃光が舞い降りる。(女!?)月光に照らされた白い肌。きらきらと輝く金糸のような金髪、それを黒いリボンでツインテールに結んでいる。恐らくなのはと同い年くらいだろうに、何処か憂いを秘めた紅い瞳。そして何より、(変な格好だな)そう思った。まずマント。なんと言ってもマントである、マント。黒いマント。なんかの仮装かコスプレだろうか? 確かに俺の元居た世界で旅装束にマントを着込むのは珍しくなかったが、この世界では珍しいを通り越して異常である。そして服装。なんか際どい。袖無しのぴったりとした黒い生地に申し訳程度のミニスカート、黒いニーソックスに黒い手袋。全身黒でデザインされた姿はあの年でよく着る気になったなと感心する。(ませてるな)際どい服装を普段着やら戦闘服にしている女は何度も見てきたが、あの年でそういった格好をする輩を見たのはさすがに初めてだ。ついでに杖。本来ならこっちに注目するべきなんだろうが、服の印象が強過ぎて忘れかけていた。あれも魔道具だな。見たことも無い飛行法術を駆使して飛んできた謎の少女は、辺りをキョロキョロすると独り言を呟いた。「おかしいな、さっき強い魔力を感じたのに」(!? 俺かよ?)どうやらアベック達に対してイラっときた時に普段押さえ込んでいる魔力が少し漏れ出たらしい。「う~ん、もう誰かが持って行っちゃったのかな?」小鳥のように小首を傾げる金髪。(誰かが、持って行った? 何を?)俺の魔力とは違う別の何か?少女と俺が二人してうんうん唸っていると、全く別の方向、公園の奥の森の方から青い閃光と共に高い魔力反応を知覚する。(今度は何だ?)「いけない、もう発動してる」事態についていけない俺とは対照的に、少女は冷静な声で強い魔力を発生させる方角を睨むと、金色の光を纏って飛んでいった。少女が飛び去ると木の影から身を出す。「やれやれだぜ」どうしようか。正直気にならないと言えば嘘になる。だけど内心面倒くせぇというのもある。早く家に帰ってCD聴きたいし、厄介事は勘弁願いたい。少女が向かった方向から魔力反応、今度は二つ。少女のものと、さっきの青い光と同時に知覚した奴だ。「ち、面倒くせぇな」舌打ち一つして、いざって時の為に常に持ち歩いてるヘッドギアを装着する。次に転移法術を使う。かつてイズナが俺とシンに使って見せたものを教えてもらい、更に俺流にアレンジしたものだ。だがこれは俺自身を転移させるものではない。あるものを転移させる為のものだ。俺の部屋から転移してきた封炎剣を握る。厄介事になる以上は準備は出来るだけするに越したことはない。「行くか」少女が飛び去った方向に走り出した。それを見たとき、初めはギアかと思ってしまった。外見はアナコンダ並みにでかい白い蛇。だがそれを蛇と呼称するのは少々躊躇われる。何故なら蛇の身体から大量の蛇―――サイズは普通―――が”生えている”のだから。一匹の巨大な白蛇に、何十、何百という小さな蛇が所狭しと生えている姿。毛虫を想像してから、毛虫の身体を蛇として、毛を全て小さな蛇だと思えば分かりやすい。はっきり言って気味が悪い。それと対峙するのは先程の少女。手に持つ黒い杖を変形させて金色の刃―――恐らく魔力で構成された―――で襲い来る蛇の”群れ”を斬り落としている。あの”毛”は伸びんのか。(ほう、なかなかやるな)少女の動きは明らかに訓練を受けた者の洗練された動きである。その動きはまだまだ未熟ながらも難なく蛇の”群れ”に対処している。(だが、決定打に欠けるな)蛇の”毛”はいくら斬られようともすぐに再生する。少女は懸命に間合いを詰めて”本体”に攻撃を仕掛けようとするが、再生してから襲い来る速度の方は若干速い。焦れてきた少女は一旦距離を離すと、「フォトンランサー、ファイア」呪文を唱えて魔法を発動。金色の雷球がいくつも少女の周囲に現れ、そこから魔力で生成された槍のような弾が蛇に向かって発射される。連続する閃光と炸裂音。蛇の”毛”の八割が吹き飛び、バラバラになった胴体や頭が辺りに飛び散る。それを見た少女がチャンスとばかりに飛び込むが、「な!?」吹き飛ばされた筈の”毛”が爆発的な勢いで再生し行く手を阻む。飛び込んだ姿勢のまま避けることも勢いを止めることも出来ず、濁流に呑まれるように少女の小さな身体が埋まってしまう。次の瞬間には、少女の身体はあちこちに噛み付かれていた。首に、腕に、手首に、足に。手にした杖を取り落とし、宙吊りにされる。その時点で俺は既に飛び出していた。少女の身体に噛み付いている”毛”を封炎剣の一薙ぎで全て斬り払う、否、焼き払う。すかさず少女の華奢な身体を抱えると蛇から大きく距離を取り、そのまま蛇から逃げるように走る。「大丈夫か? 今解毒と治癒してやるから待ってろ」「あ……あなたは?」「とりあえず敵じゃねー」ぐったりとした様子で俺を見る少女に簡単に答え、走りながら解析法術を使用する。数秒にも満たない時間しか噛まれていない所為か、一箇所一箇所の傷は浅く注ぎ込まれた毒も量が多くないが、数が多いし、内二箇所は首だ。マズイな。「安心しろ、死なせやしねーよ」毒の解析を行うと、幸いなことに普通のそこら辺に生息してる蛇の毒だった。ギアが持つ凶悪なものだったらどうしようと思っていたが、この程度の毒物なら何の問題も無く解毒出来る。俺は法術で治療を施すと立ち止まり、ゆっくりと少女の身体を横たえた。「あ、あの」「まだしばらく動くな」「う、うん」「すぐ終わらせてくる」俺は少女に背を向けると、今来た道に眼を向ける。視線の先、シューシューと音を立てながら醜悪な姿を現す蛇。やはり焼き払った部分は全て再生している。というより、むしろ増えてやがる。「ん?」真正面から見て初めて、蛇の額に菱形の青い石が埋め込まれていることに気付く。あれがさっきの青い光の元か?解析してみると魔力の結晶体だというのが分かる。つまり、あれさえなんとかすりゃいいんだな。蛇が”毛”を伸ばそうとする気配を感じて、俺は一歩踏み込んで封炎剣を大地に突き立てた。「ガンフレイムッ!!!」封炎剣から火柱が立ち上り”毛”を呑み込み、焼き尽くし、それでも勢いを衰えさせずに突き進む。それを盾にして俺も走り出し間合いを詰める。ついに火柱は本体を火達磨にして丸裸にした。見た目”普通の蛇”になった本体は全身が焼き焦げ、身体のあちこちが炭化しているがそれでも死んでない。「しつけぇな」俺の接近に本能的に蛇は反応し、大きな口を開いて噛み付こうとしてきた。が、俺は更に踏み込んで開いた口に右ストレートを叩き込む。そして左手に持った封炎剣を突き出した右腕に揃えるように掲げ、「くれてやるぅぅぅ!!!」振り上げた。同時に目の前の空間に巨大な爆炎が生まれ、蛇を呑み込んだ瞬間爆裂する。蛇は灰すら残さず蒸発し、後に残ったのは青い菱形の石だけだった。「つまり、この『ジュエルシード』ってのが原因であんな化け物が生まれたと?」「うん」俺はベンチに座り、件の青い石をその隣に座る少女に手渡して問いかける。蛇を始末し、青い石を回収し、改めて少女の身体に治療を施すと、何故あんなことになったのか聞かせてもらった。なんでも、青い石の名前は『ジュエルシード』。願いを叶えると言われる魔力結晶体らしい。生物の”願い”に呼応してその生物に力を与えるという。で、そんなもんが今回収したのも含めて二十一個がこの海鳴市にばら撒かれたらしい。何処の馬鹿がそんなことしたのか知らねぇが迷惑な話だ。「………あ!」「どうしたの?」少女が怪訝そうに俺の顔を覗くが今はそれどころではない。今朝俺が見た青い石が散らばる夢。なのはが見た化け物と戦う少年の夢。フェレットに変身して衰弱してた少年。今さっき戦ったジュエルシードの暴走体。何かが、繋がる気がした。俺は立ち上がった。嫌な予感がする。「おい、今すぐこの結界解けるか?」「え? それは出来るけど、急にどうしたの?」「いいから急げ!!」「わ、わかった!!」俺の怒鳴り声に慌てた少女は立ち上がると、全身から金色の光を放つとあの際どい服装から、一瞬にして黒と赤のワンピース(いたって普通の)になる。手にしていた黒い杖も服と同様に光に包まれると、少女の手の平サイズの三角形のアクセサリーになる。ドーム状に展開されていた結界が解除される。「もう怪我は大丈夫か?」「え? あなたのおかげですっかり」「じゃあ一人で帰れるな」俺は少女の返答も待たずに走り出した。「ちょ、待って、あの!!」「ああ!?」立ち去る俺を引き止める声に振り向く。「あ、その、えっと………」引き止めたはいいが、何を言っていいのか分からないらしい。口をモゴモゴさせて「えと、えと」と必死になって言葉を紡ごうとしてる。その姿に俺は懐かしさを覚えてしまう。似たようなヘアースタイルの所為か、それとも初めて会った時と同じ寂しそうな紅い瞳の所為か、今のような窮地に追いやられると泣きそうになる姿の所為か。似ていると思った。(木陰の君……)俺は少女に近づくと、ビクビクしているその頭に手をそっと乗せる。「………え?」「言いたいことがあるならはっきり言ってみろ、ちゃんと聞いてやっから」「あ……」俺の言葉にパァっと顔を輝かせると、少女はどもりながらもちゃんと言いたい言葉を口にした。「あ、あの、あなたの名前、お、教えて」「俺の名前? そういやまだ名乗ってなかったな」今更気付いた。「俺はソル、ソル=バッドガイだ」「ソル……ソル、ソル、ソル=バッドガイ………」何度も何度も俺の名前を繰り返して覚えようとしている姿が微笑ましい。「うん! 覚えた、ソル=バッドガイだね! ソル!!」「ああ、ところでお前の名前は?」「あ、私はフェイト、フェイト・テスタロッサ」「そうか、フェイトか、俺も覚えた」「うん!!」嬉しそうに微笑むフェイトの頭をそのまま撫でていると、気持ち良さそうな顔をする。次第に眼がトロンとしてきた。ってこんなことしてる場合じゃない。「ワリィ、俺そろそろ帰らねーと」「………え」あからさまに残念そうな声音と表情をされるとこちらとしても心が痛いが、早く帰って確かめたいことがある。「なに、縁があったらまた会えるさ」「あ、うん、そうだね、また会えるよね」「ああ、きっとな。だからまたな、フェイト」「うん、またね、ソル」こうして俺とフェイトの邂逅は終わった。再会を約束せず、かといって明確な別れの言葉も告けずに。運命が、動き始める。