俺は今、腰にタオルを巻いただけの状態で露天風呂に居た。眼の前には男湯と女湯を遮る境界線である木板で造られた壁。「下らねぇ」舌打ちと共に吐き捨てた言葉はこれから行う罰ゲームに対するものと、賭けに負けた不甲斐無い自分に対するものだ。「文句言ってないで早くやれ、負け犬」「そうだぞ、負け犬」「はぁ~、僕がソルみたいな負け犬にならなくて良かった」「ソルが、負け犬………くくく」「………テメェら、火葬してやろうか」首だけ振り返り、殺気を込めて背後を睨む。背後には俺同様に腰にタオル巻いただけの士郎、恭也、ユーノ、ザフィーラ。どいつもこいつも必死に笑いを堪えながら俺が罰ゲームを行う瞬間を今か今かと待ちわびている。結論から言おう。俺は負けた。つまりビリだ。罰ゲーム決定だ。クソが!!!しかし、と思う。(あれは無効試合だろ?)コースの半ばまで士郎と首位争いをしていた時に、偶然視界の先で忍がはやてに衝突した瞬間を見てしまったのだ。勝負や賭けのことが一瞬で頭から吹っ飛んだ俺は急いではやての傍に駆け寄り、怪我をしていないか確認した。幸い二人共怪我らしい怪我は何一つ無く、ほっと胸を撫で下ろす俺の横を恭也とユーノとザフィーラが追い抜いていった。慌てて追いかけるも決定的な差は埋めることが出来ず、ビリ。やり直しを要求したが全く聞く耳持ってもらえず、手放しで喜ぶ四人を見てあまりにも腹が立ったので俺は一番近くに居た恭也をぶん殴り、ユーノを投げ飛ばし、ザフィーラに蹴りをかまし、士郎に頭突きを入れてそのまま一対四の乱闘となった。俺を含めた全員がズタボロになり始めた頃にようやく周りの連中が「そろそろ止めろ」「周りに迷惑だ」と呆れたように割って入ってきたので、とりあえずその時は矛を収める。だが、四人はしこたま殴ってやったというのに口を揃えて「勝負は一回きり」だの「全てはあるがままに」だの「結果は覆らない」だの「いい加減負けを認めろ」だの言い放つ始末。またも乱闘に移行する瞬間に桃子が「いい加減にしときなさい」と暗い笑みを浮かべたので諦めることにしたのだった。で、今に至る。(そもそもなんで俺が女湯覗かなきゃいけねぇんだよ? 俺は女になんざ興味無ぇってのに)これがアクセルとかだったら罰ゲーム云々関係無しに喜び勇んで覗きを敢行しただろう。しかしいくら俺が男とは言え、もう二百を越える爺だ。性欲なんてもんはギアになってから不要なものとして切り捨てるように考えて生きてきた所為で、覗きの免罪符のようなものを得られたとしても嬉しくも何とも無い。むしろ迷惑だ。今更女の裸を見ることに羞恥心も無ければ下心も無い。あるのは覗きという下劣な行為に対する嫌悪感とそれを強制される屈辱感だ。この状況で一体誰が得をすると? いいや、誰も得なんぞしない。最後の足掻きとして俺はそのことを四人に伝えたが、返ってきた答えは素晴らしい笑顔でサムズアップして「じゃあ尚更GO!!」だった。………もう覚悟を決めるしかない。頼む、誰も居ないでくれ、と信じてもいない神に祈る。もし誰か居たら俺を恨むんじゃなくて、俺にこんなことを強制させた四人の馬鹿を恨んで欲しい。海鳴市に帰ったら絶対に四人を泣いて許しを乞うまで殴ってやる。壁の高さを確認してから垂直跳び。なるべく音を立てないように端部分を掴み、懸垂の要領で頭を出す。気分は魔女の釜に頭を突っ込む心境。もうどうにでもなれ、というかいっそ一思いに殺してくれって感じのまな板の上の鯉だ。湯気が濃くて何にも見えない、はい終了、ということは悲しいことになかった。バッチリ見えた。湯気? そんなもんハナッから無ぇよと言わんばかりにクリアな視界だったのである。………しかも、よりによって、俺の沽券的な問題として最低最悪なことに視界の先には身内が居た。なのは、フェイト、はやて、シグナム、シャマル、アインの六人が今から露天風呂に入ろうとしている場面。全員が手にタオルを持っていて、だからその肢体を隠していない無防備な状態なので色々と丸見えだ。子ども三人は特に言うべきことは無い。ついこの間までなのはとは一緒に風呂に入っていたし、フェイトとも一度入ったことがある。三人共、第二次性徴が始まる前の子どもらしい未成熟な身体だ。大した凹凸も無い幼児体系。特筆すべきことなんざ無い。問題は大人の三人。シャマルは均整の取れた全身はバランス型と表現すればいいのか。女性らしく丸みを帯びた肢体は胸もそれなりにあって腰もキュッと締まっていて、入浴中である所為で上気した頬は大人の女の色香を匂わせる。シグナムは典型的な、”出る所はとことん出ていて引っ込む所もとことん引っ込む”所謂同性が羨むタイプ。健康的な肌の色、訓練で鍛えた手足はスラリと伸び、まるでモデルのようでつい魅入ってしまう。アインは二人よりやや細身だが、それでもしっかりと出るべき所は出て引っ込むべき所は引っ込んでいる。ようするに着痩せするタイプなんだろう。胸もシグナムに迫る勢いがあり、華奢な体格でありながらもそれは美しかった。そこまで評価したところで、六人と思いっ切り眼が合う。誰もが驚愕に眼を見開き、凍りついたように動かなくなる。沈黙が場を支配し、一陣の冷たい風がヒューッと音を立てて通り過ぎた。(終わった………思えば長い人生だった)暗澹たる思いで俺はゆっくりと頭を引っ込めるのだった。背徳の炎と魔法少女 スキー温泉旅行 その二の勝負の行方「あー死にたい」自己嫌悪で死ぬことが出来ればいいのに。浴衣姿でマッサージチェアに腰掛けながら、俺は口から魂のようなものを垂れ流し死んだ魚のような眼で虚空をボンヤリと見つめていた。あの後、不幸中の幸い悲鳴こそ聞こえなかったので騒ぎにはならなかったが、今頃「お兄ちゃんの変態」「酷いよソル」「最低や」「見損ないました」「覗きという低劣な行為に手を染めるとは」「下衆め」とか散々罵詈雑言を吐かれているに違いない。本当に今更だが、賭けなんて言い出すんじゃなかった。今まであいつらと築き上げてきた絆とか、信頼とか俺のイメージとかその他諸々が一瞬で瓦解してしまったのだ。何より覗きなんてしちまったことによって俺のプライドがズタズタだ。お先真っ暗。もうこの場から動きたくない。「ソル、何時までマッサージチェアに百円玉入れ続けるつもり? もうご飯だから皆の所行こうよ」浴衣姿のユーノがタオルで頭をわしわし乾かしながら近付いてくる。「放っておいてくれ。もう俺此処で暮らす」「うわ、世迷い事まで言い始めた。これは思ったよりも重症だね」哀れむような視線を向けてくるユーノの視線を受けて、俺の中の何かが切れた。「元はと言えばテメェの所為だろうが!!!」俺はマッサージチェアから立ち上がるとその場でドロップキック。倒れたユーノを無理やり立たせてからジャーマンスープレックスを決めて、蹴りを入れて仰向けからうつ伏せに転がすとそのまま座るように圧し掛かってキャメルクラッチ。「グフ」泡を吹いて意識を手放したユーノをマッサージチェアにドライヤーとそのコードで縛り付けてその場に捨て置くと、俺はゾンビのような足取りで脱衣所を後にした。あと三人………士郎、恭也、ザフィーラ………ただじゃ済まさねぇぞ。夕飯を食う気にはとてもなれず、というかあいつらと顔を合わせるのが嫌なだけだが、宛がわれた部屋に向かって軟体動物のような鈍重さで歩いていると、背後からポンッと肩を叩かれた。「探したぞ、ソル」壊れかけたブリキ人形のような動きで振り返ると、そこには俺の肩に手を置いてこれ以上無い程の笑顔を浮かべるシグナムが居た。いや、シグナムだけじゃない。その隣にはアイン、シャマルまで居る。要するに、社会的な死刑が確定した訳だ。「スマン」とにもかくにも頭を下げて謝っておく。いくら俺に下心が無かろうと覗きをされた女にはそんな事情知ったことでは無いだろう。これで許してもらえるとは思っていないが、誠意というものは見せなければいけない。頭を下げた状態で俺は断罪の言葉を待ち続けた。しかし、俺の予想とは裏腹に待てど暮らせど罵声の声が聞こえない。不審に思って顔を上げると、三人共「分かっている」という風に頷いているだけだった。全く以って訳が分からない。「お前が謝る必要は無い」優しい声と共に肩に置いていた手をそのまま俺と腕を組む形で横に並ぶシグナム。「そうですよ、覗きなんて男性であれば誰だってします」その反対側の腕をシャマルに組み付かれる。「むしろ私はお前が”男”であることに安心したぞ」いつの間にかアインが俺の後ろに回り込み、首に腕を絡ませながら体重を預けてくる。怒ってない? むしろ喜んでるような節があるが………この態度を信用していいのだろうか?後で慰謝料とか請求されないよな?「さ、早くご飯にしましょう? 私お腹空いちゃいました」上機嫌にクスクスと笑う三人を薄気味悪いと内心思いながらも口には決して出さず、抵抗を許されない俺は警察に取り押さえられた犯罪者のような気分で連行されるのであった。「お兄ちゃん何処行ってたの?」「ずっと探してたんだよ」「まあええやん二人共。ほな、ソルくんが来たさかい食べよ」食事の席に到着すると、俺を待ち侘びていたらしい連中から文句の声が上がる。ちなみにユーノは居ない。それに生返事を返しながら座布団に座ると、妙にニコニコした表情のなのはとフェイトとはやてが甘えてきた。俺の膝の上に座りたがったり、「食べさせて欲しいな」とせがんできたり、なんかもう今までで一番甘えてきたんじゃないだろうか?シャマルは料理を取り分けてくれるし、シグナムとアインは傍でグラスを空けた瞬間酒を注ぐ為に待機している。何だこれ?怖い。皆の優しさが怖い。誰からかは不明だが、たまに殺意に勘違いする程強大な邪悪の気配がすぐ傍でして気が気じゃない。まさか命狙われているのか? と変に勘繰ってしまう。気配を感じる度に震える俺を見て、皆が不思議そうな顔をするので気配の持ち主は此処に居ないのだろう。だというのに、気を抜くとすぐ傍でまたしても感じる獲物を付け狙うハンターのような視線と邪悪な気配。こっそりと法力場を展開して策敵してみるが、特に異常は無かった。一応、念話でクイーンに確認してみるもやはり異常無し。俺以外の誰も気配と視線に気付いた様子は無い。姿が見えない敵にかつて経験したことが無い程の恐怖に苛まされながら、俺は夕飯を終えた。皆より早めに部屋に戻ると、俺はまず桃子にメールを送った。あの時の士郎の妄言を一字一句漏らさずメールに打ち込んでおいた。しばらくして野太い悲鳴が聞こえたのでこれで士郎は死んだも同然だろう。次に仲居から借りたやかんを使って大量のコーヒーを用意してザフィーラを待つ。「やめろソルッ!! 一体何のつもりだ!? ぐわぁぁぁっ!!」のこのこ部屋に戻ってきたところを法力で取り押さえ、無理やり熱々のコーヒーを口に流し込んでやる。カフェイン中毒で死ねクソ犬がぁぁぁぁぁっ!!!泡を吹いて倒れたのを確認すると、最後に恭也の所へと向かう。結界を張って二人っきりになると、有無を言わせずタコ殴りにしてやった。ついでに両手足の関節を外しておく。鮫島には明日の朝になるまで関節を絶対に戻すな、それ以外ならこいつの要望に応えていいと半ば恫喝して後のことを任せた。ヒット完了。「ふぅ」今日一日で溜め込んだ心労と共に溜息を吐き出すと、俺は布団に潜り込んで寝ることにした。