最初、何が起きたのか分からなかった。はやての膝の上に置いてあった書から途方もない魔力と、黒い閃光が同色の雷を伴って迸り、視界を奪う。腕で眼を庇い、もう片方ははやてと手を繋いでいるので離す訳にもいかず、それが収まるのをただ待つしかなかった。魔力の放出と閃光が止む。腕を下ろし、ゆっくりと瞼を開く。そこには―――「また、全てが終わってしまった。一体幾度、こんな悲しみを繰り返せばいい?」知らない女が居た。外見年齢は二十歳前後。身長はシグナムとシャマルの間くらい。腰まで届いた輝くような長い銀髪。真紅の眼。憂いを秘めた美麗な顔。肢体は大人の女性らしい凹凸としなやかな手足を持ち、それを包むのは漆黒のバリアジャケット。人間の耳に当たる部分と背中から、闇を具現化したような翼が耳に一対、背に二対生えている。「………誰だ? お前?」混乱する頭で必死に状況を把握しようと試みる。書の封印が解けた。その瞬間、はやてと入れ替わるように現れた眼の前の女。―――古代ベルカの遺産、ユニゾンデバイス。術者と融合して魔力の管制・補助を行うことによって、他の形式のデバイスを遥かに凌駕する感応速度や魔力量を得ることができる………というのが夜天の魔導書の特徴であり、主が真の”力”を発揮出来る使い方みたいっスね。―――でも、適性の無い人間がユニゾンすると融合事故を起こしちまう代物で、そういった場合はデバイスが術者を乗っ取って自律行動する危険性も孕んでるみたいです。スクライアのバイトリーダーの報告内容を思い出す。「融合、事故」つまり、術者であるはやてはデバイスである書に身体を乗っ取られたってことか。ってことは、この女がもう一人のヴォルケンリッター、管制人格か?しかし、何故? 書はまだ完成していない。だというのに、どうして書が勝手に起動した? しかも、はやてを乗っ取るような形で。そこまで思考して、今の今までその女と手を繋いでいたことに気付いたので手を離し、警戒しながら数歩下がる。管制人格はそんな俺に向き直る。すると、憂いを秘めたその眼から涙を零した。「なっ!?」いきなり眼の前で泣き始めたことに俺は動揺してしまう。何もしていないのに何か悪いことをした気分にさせる女の涙はこの世で一番卑怯であり、俺が最も苦手とするものだった。「何泣いてんだよ………」明らかに動揺した声が口から漏れる。そんな俺に対して、管制人格は無言で近付いてきた。動こうにもどう動けばいいのか分からなかったので答えを導き出す為に混乱した頭を回転させるが、結局答えが出ぬまま距離を詰められてしまった。手を伸ばせば届く距離。「………」「………」しばしの間睨み合うと、やがて管制人格が俺の頬に手を伸ばす。頬に触れた手は冷たくもなければ暖かくもなく、同時に感情が篭っていないように感じた。そして、管制人格の唇が震えるように言葉を紡いだ。「に………げ………ろ」言葉の意味を理解した次の瞬間、胸部に違和感を感じ、そこに視線を向ける。俺の心臓の位置に添えられた管制人格の手が、まるで溶け込むように俺の中へと侵入していた。何してやがる、そう文句を言おうとして、声帯が言葉を紡がない、口が動かない。それだけではない。少しずつ神経が侵されているように、身体が麻痺したように自由が利かなくなってきた。視界が明滅する。意識が朦朧としてくる。立っているのがやっとだ。「………!?」それでも歯を食いしばって、声になっていない声を上げながら、どういうことかと顔を上げ、視線で問い詰める。管制人格は憂いの表情のまま涙を流し続けていた。(何だ? この感覚は?)俺という”存在”に得体の知れない何かが無理やり割り込んでくるような不快感。痛い訳でもなければ、吐き気を催す程の嫌悪感が出てくる訳でも無い。ただただ不快だった。だというのに俺の身体は抵抗を知らないかのように、どんどん侵入してくる腕を許してしまう。手は見る見る内に肘を過ぎ、管制人格はその身体を押し付けるように密着してくる。もうそこまで来ると、管制人格との距離は鼻と鼻が触れ合う程になっていた。動かすのすら億劫に感じる両手を管制人格の肩に置き、渾身の力を込めて引き剥がそうとするが、「無駄だ」無感情の声と共に、肩に置いた手が管制人格の中へと沈んでいく。此処まで来てようやく、こいつが俺をどうしようとしているのか分かった。管制人格は、俺の”情報”に侵入し内側から分解、その後自身に取り込んでいるのだ。不快感しか感じないのは、侵入してすぐに感覚を司る部分を先に取り込んだからだろう。でなければ俺が気が付かない訳が無い。何故なら情報分解には激しい喪失感を伴うからだ。随分と用意周到なことだ。一体どういうつもりでそんなことをしようとしているのか皆目見当が付かないが、このままでは完全に取り込まれてしまう。(く、クソが!!! 大海の中にて滴であることを知―――)情報分解に対するディスペルを発動させようとするが、「無駄だと言っている」「………!!」押し倒され、更に”中”へと入ってくる。ただそれだけで術式がキャンセルさせてしまう。頬に添えられた手も溶け込み、その所為か、とてつもない眠気が襲ってくる。侵されている。冒されている。犯されている。俺という”情報”が食われ、”存在”がオカサレテイル。「眠れ」そう言って、意識を手放すように促す管制人格の額に、赤い刻印がぼんやりと浮かび上がっていることに気付いた。ギアマーク。ギアである証。俺と同じ場所に、俺と同じように刻み付けられた刻印。(………そうか………そういうことかよ)砂漠の世界で書に蒐集されたのは俺の魔力だけではない。あの時、書に侵食されていた瞬間に俺の血を、ギアコードまでもを取り込んでいたのか。これなら今まで不可解だった点に説明がつく。書は、あの時から既にギアコードに侵食されていたのだ。だから―――「お前はもう、私のものだ」鼓膜にその言葉が響くと、俺の意識は完全に闇に沈んだ。「オリジナルギアコード、ソル=バッドガイの吸収を確認。これにより書は完成となる」立ち上がり、その場に一人だけとなった管制人格は無感情な声で確認するように言った。虚空に浮かんでいた書のページがパラパラと捲られ、白紙だった部分が全て埋まる。「法力を行使する為にソル=バッドガイの記憶の転写を開始する」転写すべき情報量は莫大だが、それに対して特に不満も抱かず作業に入った。記憶の転写が終わり次第、ギアに最も相応しい人格を記憶の中から検索しなければならない。ギアの情報がソル=バッドガイの記憶にしか存在しない以上、それは避けられない。だが、それらが終われば真の意味で自身は完成する。管制人格、否、女性の人型ギアは瞼を閉じ、その場で佇みながら作業が終了するのを待ち続けた。背徳の炎と魔法少女A`s vol.20 Divaギル・グレアムは歯噛みしながら自身が陥った状況を冷静に分析する。十数人の武装局員を率いたクロノに完全に包囲され、更に悪いことにこちらに近付いてくる魔力反応を幾つも感知した。結界の術式は見たことの無い代物で、脱出は不可能。袋小路。ソル=バッドガイが非常に優秀な魔導師だとは聞いていた。ヴォルケンリッターを容易く捕らえ、アリアとロッテの二人を下したことにその認識は拍車を掛けた。しかし、戦闘以外においてもこれほど優秀だとは思ってもみなかった。「貴方を逮捕します。武装の解除を」厳かな口調でクロノが言った。「リーゼ達の行動は、全て貴方の指示ですね」冷たい視線でクロノはグレアムに確認するように聞く。「十一年前の闇の書事件以降、貴方は独自に闇の書の転生先を探していましたね。そして発見した。闇の書の在り処と現在の主、八神はやてを」それにグレアムは肯定も否定もしなかった。「しかし、完成前の闇の書と主を押さえてもあまり意味が無い。主を捕らえようと、闇の書を破壊しようと、すぐに転生してしまうから」その言葉に俯くような仕草をするグレアムを見て、肯定しているも同然だとクロノは思う。「だから、干渉しながら闇の書の完成を待った。主を闇の書諸共永久封印する為に」クロノから視線を外し、沈痛そうな顔をするグレアム。「両親に死なれ、身体を悪くしていたあの子を見て、心は痛んだが………運命だと思った。孤独な子であれば、それだけ悲しむ人は少なくなる」もしソルがこの場に居たら問答無用で殴りかかるか、「反吐が出る」と言う姿を想像する。「あの子の父の友人を騙って生活の援助をしていたのも、貴方ですね」「永遠の眠りにつく前くらい、せめて、幸せにしてやりたかった」懺悔するように瞼を閉じ、「………偽善だな」呟いた。「ええ、偽善です。ソルの下品な言葉を借りれば反吐が出そうなくらいに」ソルから語られた八神はやてのこれまで生活。それを知っているだけに、クロノはグレアムの心境を理解しようと思わない。「封印方法は、闇の書を主ごと凍結させて、次元の狭間か、氷結世界に閉じ込める、そんなところですね」「そう。それならば、闇の書の転生機能は働かない」グレアムからはやてへの援助が始まってから今までで何年経ったのか、そこまで詳しくは知らない。だが、最低でも五年以上はあるだろう。それだけの時間があれば、その間に闇の書を解析し、なんとかすることが出来たのではないか? 今、ソルがそうしようとしているように。確かに、彼の計画通りことが進めば闇の書は無事に永久封印されるかもしれない。そう思えば、これまでの闇の書の主だってアルカンシェルで蒸発させていることと比べれば断然良いと判断出来る計画だ。しかし、クロノの脳裏にはかつてのソルの言葉が過ぎった。―――「気に入らねぇんだよ」―――「確かにテメーらのやり方ってのは正しいぜ。必要最小限の犠牲で最大の成果を得る、それが組織だからな。それにテメーらにとっちゃフェイト達は敵で、捕縛するべき対象なら尚更な」―――「だがな、俺にとっちゃフェイトはただのガキだ、なのはと同い年のな。敵だとか思ったことなんて一度も無ぇし、知らない仲でもねぇ。ついでに言えば窮地に陥ってるのを見捨てる程険悪な関係でも無ぇ」―――「協力する以上はそちらの指示に従うつもりだった、事実今まで従ってきた。だが俺は、お前達が組織でありそのやり方が正しいと理解していても今回は納得出来ねぇ。だから、あいつらを助けに行く………もし、その邪魔をするってんなら………」―――「選べ………道を空けるか、クタバルか」時空管理局のやり方が正しいと分かっていながら、気に入らないという理由だけで敵対しようとした姿。それは傍から見ればとてつもなく愚かしかったが、何があろうと己の信念を貫こうとする様は見事としか言いようが無かった。「しかし、その時点ではまだ、闇の書の主は永久凍結されるような犯罪者ではありません………違法だ」「そうだ。私は管理局の人間としてではなく、ギル・グレアムという一個人として動き、仕方が無いと割り切り犠牲に眼を瞑って闇の書を封印しようとした」グレアムは顔を上げ、クロノを真っ直ぐ見つめた。「そうすれば、もう二度と悲劇は繰り返されない。クライドくんも、死ぬことはなかった」亡き父の名が出された。「………一つ聞かせてください」「ん?」「十一年前の闇の書事件、父さんが死んだ事件。もし………もし父さんが闇の書を護送する管理局員ではなく、闇の書の主であったのなら、貴方は同じ選択をしましたか?」「!!!」かっとグレアムの眼が見開かれた。「あくまで仮定の話です。父さんが闇の書の主として選ばれた。貴方ならどうしますか? あの時と同じように、苦渋の決断をしてアルカンシェルを使いますか? 今回の計画のように、仕方が無いと割り切って永久封印しますか?」「クロノ、それは―――」「それとも、第三の選択として、ソルのように闇の書を解析して主を何としてでも救おうと足掻きますか?」「………」「僕は貴方にこう言いました。『世界はこんな筈じゃなかったと悲しんだり悔やむ人を無くす為に魔法の力を振るっています』と。そんな僕に貴方はこう教えてくれましたよね。『手にした”力”が重要なのではなく、その”力”で何をするのか』と」口を動かしながら、クロノの胸中では悲しみが溢れ出てきていた。これまで自分を見守ってれた人が、尊敬に値すべき偉大な人が、教えてくれた内容と真逆のことに手を染めようとしていたことに。「僕は、僕が僕として在り続ける限り、この”力”を使って戦い続けます。惨めでも、無様でも、苦しくても辛くても、それが僕の生き方で、選んだ道です。一生、足掻き続けます………ソルのように、自分の信念を貫き通します」だから。「今の貴方を認める訳にはいきません」そう言い切ると同時に、なのは達がやって来た。『キミ達は手出し無用だ。もう終わる』頭に響いたクロノからの念話を聞き、皆、内心舌打ちする。どうやらクロノによってグレアムは抵抗する気を削がれてしまったらしい。これはこれで穏便にことが済んで良かったと言えるのだが、こちらとしてはそんなものでは腹の虫が収まらない。なのはとフェイトにとっては愛する兄を、ヴォルケンリッターにとっては愛する主を眼の前の人物の所為で失うかもしれなかったのだ。泣いて許してくださいと懇願するまで痛めつけてやりかったというのが本音。新調したデバイスの性能テストもしたかったのに。不謹慎ではあるが、クロノに対して余計なことを、と。グレアムに対しては今からでも遅くないから抵抗しろ、コテンパンにしてやる、とかなり物騒なことを思う。警戒したようにクロノがグレアムに近寄り、デバイスを渡して武装解除するように促している。随分とあっさりした黒幕の最期に拍子抜けしたなのは達。緊張させていた身体を弛緩させ、もう帰ろうかな、そう思い始める。完全に油断し切っていた。だから、突然感じた膨大な魔力反応に固まってしまった。魔力が発せられたのは先程自分達が居た高町家。ユーノとアルフが少し遅れて自分達の後に付いてきていたのは知っているから、魔力を発したのはソルかはやてのどちらかになる。だが、ソルの慣れ親しんだ魔力が感じられない。それはつまり、この魔力の持ち主ははやてということになる。「まさか………書が完成した?」そんな声がポツリと呟やかれた。自分だったのかもしれないし、他の誰かだったかもしれない。しかし何故? どうしてこのタイミングで? 書は自らを封じて居た筈。それが解けた? そう仮定するならば魔力の蒐集を行ったのか? だがどうやって? 此処はソルが作った結界の中だ。魔力蒐集対象になり得る生命体は今この場に居る全員と、こちらに向かっている最中のユーノとアルフのみ。他に魔力を持った生命体が結界内に存在しないのは既に確認済みだ。二度も同じ相手に蒐集を行えない以上、現状で書が完成する要素が無い。あり得ないことが起きている。そのことに誰もが考えを巡らせ、動きを止めていたが、グレアムだけは違った。何故なら、彼は純粋に今この瞬間、闇の書が完成したと思ったから。彼を除いた全員は、書が自らを封印していたこと、ソルが既に蒐集されたことを知っていた。だが彼はその事実を知らなかった。ただそれだけの理由だ。「すまないなクロノ、闇の書が完成してしまった以上、まだ捕まる訳にはいかない」「うわあっ!!」グレアムは自分の傍で動きを止めていたクロノを突き飛ばすと、最速で転送魔法を発動させ、その場から消えた。転送を終え、眼下に佇む若い一人の女性を確認する。女性は自分を睨みつけるグレアムに気付き視線を向けるが、それも一瞬だけ。興味が失せたのか、視線を元の方向へと戻す。その女性以外は他に誰も居ない。間違い無く、闇の書の管制人格だろう。すぐ傍で闇の書が浮かんでいるのが何よりの証拠だ。今しか無い。時間を掛けてしまえばクロノ達がやって来てしまう。これが最初で最後の自分に与えられた機会だろう。先程、クロノからデバイスを取り上げられる前で本当に良かったと思う。彼はこのチャンスをくれた神に、亡き親友のクライドに感謝した。カード型だった待機状態のデバイスを展開、呪文を唱え、魔法を発動させる。「悠久なる凍土 凍てつく棺のうちにて 永遠の眠りを与えよ 凍てつけ!!!」<エターナルコフィン>女性は無抵抗のまま、自身に迫り来る脅威を防ごうとも逃げようともせず、ただひたすらそこに佇んだまま、空間ごと氷付けになる様をグレアムはこの眼でしっかりと確認した。消えたグレアムを追ってシャマルが急いで転送魔法を発動させ、あの場に居た全員が(武装局員はハブられた)高町家へと到着したが、既にそこは氷の世界へと変貌していた。その氷の世界の中心に、見知らぬ女性が氷付けになっている姿を見てしまう。「く、さすがに次元の狭間へ落とす時間は無いか」悔しそうに独り言を漏らすグレアムをクロノ以外の全員が殺気を込めて睨む。見知らぬ女性は恐らく、融合事故を起こし管制人格に乗っ取られたはやての変わり果てた姿なのだろう。誰もがそう結論付け、「お兄ちゃんは!? お兄ちゃんは何処なの!?」「ソル!! ソルぅぅぅぅ!!!」なのはとフェイトの悲鳴により、この事態を防ぐことが出来た筈の人物が居ないことに今更気付かされる。ヴォルケンリッターは変わり果てた姿の主をグレアムから庇うように位置取り、先頭のシグナムが爆発するように怒声を上げた。「貴様っ!! よくも主はやてを!!! ………それに、ソルをどうした!?」嫌な考えが皆の脳裏を過ぎる中、グレアムは落ち着いた口調で自分が眼にしたことを話すことにする。「私が此処に転移してきた時点で、彼は、ソル=バッドガイは既に居なかった」「嘘だっ!!!」「ソルが、はやてを見捨てて逃げるもんかっ!!!」グレアムの言葉を否定するなのはとフェイトに誰もが同意した。あの男が我が身可愛さにはやてを見捨てるような人間ではないと知っているから。はやての為なら躊躇無く自分の腕を切断するような男なのだ。書が完成したからと言って逃げる程肝っ玉が小さい男ではない。むしろ、不敵な笑みを浮かべて「面倒臭ぇ」と言いつつ戦う筈だ。だから、ソルを知る人物にとって彼が逃げたという言い方をするのは、これ以上無い侮辱だった。「信じる信じないはキミ達の―――」「「うるさいっ!!!」」ついにキレたなのはとフェイトがグレアムに突進しようとしたその刹那、「記憶の転写、完了。同時に、ギアに最も相応しい人格の検索を終了………起動する」無感情な声。氷付けになった女性から漏れた聞こえない筈の声が、耳に入ってきた。誰もが動きを止め、女性に釘付けになる。「馬鹿な………あんな状態で動ける訳が」一人グレアムだけ戦慄する中、氷にヒビが入り、甲高い音を立て始めた。「これで封じたつもりか?」非常に透明度の高い氷が、ビシリッ、と一瞬で真っ白になり、内部から発生する強大な魔力に耐え切ることが出来ずに崩壊する。キラキラと舞い散る氷の破片が幻想的な演出を果たし、現れた女性の美貌も相まって、一枚の絵画の如く美しいその光景に息を呑む。確かめるように己の身体を見下ろし、手を閉じたり開いたりすると、女性は冷笑した。「この程度で我らギアを封じた気になっているとは片腹痛い。これならば、同じ人間である聖騎士団の方がまだ敵として歯応えがある。そうは思わんか? 背徳の炎」先程のような感情が篭らない声ではなく、はっきりとした人格を感じさせる声で誰かに問い掛けながら愛おしそうに自分の心臓部分に手を当て、明らかにグレアムを嘲るように笑う。「十年以上費やした貴様の苦労も全て水の泡だな。人間」背中の二対の翼が羽ばたき、それとほぼ同時に鋭く一歩踏み込んで跳躍、飛翔すると、グレアムの前まで一瞬で移動する。「な、何故」眼の前に厳然たる事実として存在する女性を認めることが、グレアムには出来なかった。最新の技術と機能を注ぎ込んで開発した対闇の書の切り札、氷結の杖デュランダル。それから放たれた魔法『エターナルコフィン』はSランクオーバーの高等魔法である。温度変化魔法である為通常のバリアやシールドでの防御は極めて困難であり、これの対象とされたものは温度変化防御のフィールド系防御で対抗せねばならない筈。しかし、眼の前の女性はエターナルコフィンに対して全くの無抵抗でありながら、実にあっさりと封印を解き、何事も無かったかのうように振舞っている。まるで、お前のやってきたことは全て無駄だと嘲笑するように。「人間の分際で私に楯突いたことには敬意を表してやろう。まあ、許してはやらんがな」「ぐっ」女性の手が呆然自失としていたグレアムの首に伸び、その細い指が万力のような力で締め付けると、「失せろ」爆音と共にグレアムの全身は紅蓮の炎に包まれた。「グレアム提督っ!!!」意識を一撃で刈り取られ、そのままゴミのように捨てられたグレアムをクロノはバインドの応用でネットを生成し受け止める。即消火を行うと火は鎮火する。だが、殺傷設定であり込められた魔力量が多かった所為で、バリアジャケットは黒焦げで、皮膚は焼け爛れていた。早く治療しないと命に関わる。今の状況で現場を離れるのは忍びないが、クロノはグレアムを地球の衛星軌道上で待機しているアースラへ連れて行くことを決意すると、転送魔法を発動させた。この結界はソルが登録した人間以外は脱出不可能。しかしこれは、もっと厳密に言えば、ソルが登録した人間以外の転送魔法や移動手段で脱出することが不可能だというだけで、登録されている自分が登録されていないグレアムを連れて出るには問題無い。足元に発生した円環魔方陣が輝くと、グレアムを抱えたクロノは結界から脱出した。今、管制人格の女性が使ったのは、魔法ではなく、ソルの法力ではないのか?その場に残された全員が同じことを考えていた。だが、どうやって? 書がソルの魔力を蒐集した時にコピーしたのか?「何だ人間共? まだそこに居たのか?」長い髪をかき上げ、鬱陶しそうになのは達を見る管制人格の眼。「今の私は気分が良い。死にたくなければ私が貴様らに殺意を抱く前に消えろ。そうすれば今は見逃してやる」くくく、と美貌を邪悪な笑みで歪ませる。「それとも、貴様らが愛して止まない人間の小娘と背徳の炎同様、私の中に取り込んでやろうか?」「「「「「「っ!?」」」」」」その言葉に、なのは達は弾かれたように反応した。それを見て、管制人格はついに哄笑し始める。「クハハハハハハハハハハハッ!!! 今の貴様らの表情は傑作だったぞ? 私の中に居る二人に見せてやりたいくらいだ!! 特に、背徳の炎はどういう反応をするのかとても興味深い」「貴様!! 主を取り込んだとはどういうことだっ!?」シグナムが剣を向ける。「………背徳の炎って、まさかお兄ちゃんのこと?」なのはが震えた声で問い詰めた。「その通りだ小娘。背徳の炎とはソル=バッドガイであり、私の同胞だ」管制人格はシグナムを無視する形でなのはに答える。「同胞?」ソルとはやてが管制人格に取り込まれたことにショックを感じながらも、フェイトが疑問を口にする。「ああ、そうか。背徳の炎は貴様らに何も言っていないのだったな」「お兄ちゃんが私達に何も言ってないって、それってどういうこと!?」「今此処で死ぬ貴様ら人間共に言う必要は無い」右腕を頭上に掲げ、拳に膨大な量の魔力を集中し始めると、周囲の温度が急激に上昇し、まだ残っていた氷がそれに反比例するようにあっという間に溶けていく。やがて拳が黄金に光り始める。眼が眩むような金の閃光。それはまるで真夏の太陽のようにギラギラと輝き、管制人格の右拳そのものが太陽にでもなってしまったかのように。「あれってまさかお兄ちゃんの………」「ソルの、ドラグーンリヴォルバー?」記憶の中にあるソルの法力、その威力がどれ程のものかを思い出し、なのはとフェイトは戦慄した。管制人格を睨んでいたヴォルケンリッター達も驚愕の表情で固まっていた。その魔力量と、なのはとフェイトの言葉に。「殺戮こそ、我が使命」そう宣言し、更に魔力を込める。「何やってんの皆!!!」「ボーっとしてないで早く逃げるよ!!!」その時、なのはとフェイトの傍にアルフが、ヴォルケンリッターの傍にユーノがやって来て転送魔法の準備をする。「全てを灰燼に帰す焔、ドラグーンリヴォルバー」「「転送!!!」」二人の転送魔法が発動するのと、破壊の光球が地上に叩きつけられたのはほぼ同時だった。