SIDE リンディピンポーン。仮司令部としているマンションの間延びした呼び鈴が聞こえると、私は知らず拳を握り締める。「あ、私が出迎えます」エイミィが玄関へと小走りしていく。ついに、来た。昨晩、協力要請の話をアルフさんにしてから僅か二時間足らずで返事がきた。『詳しい話を聞かせてもらおうか。時間は明日の昼過ぎ、場所は勝手に決めろ』第一声がこれだった。相変わらずのぶっきらぼうな態度だったが、彼がこちらに興味を持ってくれたことを私は神に感謝した。正直な話、藁に縋る思いでアルフさんに提案したことだった。なので、彼の性格を考慮すれば無視される可能性の方が大いにあり得るから。後は私の交渉術次第。彼に小細工は一切通用しない。何故なら彼はあの射抜くような瞳で相対する人間の真意を探り、見抜くからだ。恐ろしい程正確に。その時の口調と僅かな動きすら観察している眼、言葉に込められたニュアンスを読み取る洞察力、ストレートな物言い、それらは腹芸を得意とする人間には厄介極まりないものだった。逆に言えば、誠心誠意かつ毅然とした嘘偽り無い態度で応じれば意外にあっさりことが進むのだ。………まあ、それで逆に嵌められて痛い目を見たのだけど。今回は嵌められないようにしゃんとしないと!足音が近づいてくる。私は気合を心の中で入れると、挨拶する為にソファから立ち上がった。「本日はわざわざご足労、ありが―――」「お前の御託は聞き飽きた。とっとと話に入れ」いきなりキレそうになった。エイミィが彼の後ろで引き攣った笑みを浮かべ、隣でクロノが頭を抱えていた。背徳の炎と魔法少女A`s vol.8 交渉人リンディ・ハラオウン鉄の意志を持つ理性と大人の威厳で、衝動的に暴れようとした感情をなんとか強引に抑え付ける。これは彼の手の内の一つなのだ。相手を感情的にさせて交渉に不利な言葉を吐かせて自分の有利な状況を作る、と。そういう風に無理やり納得しておく。眼の前の赤いジャケットを着た少年、否、”少年の姿をした凄腕の法力使い”は私の正面に座ると、この場で一番偉そうに足を組んだ。そこで小さな疑問が浮かぶ。「お前一人か? なのは達はどうしたんだ?」クロノも同様だったのか、疑問を口にする。それに対して疲れたように溜息を吐くと、自嘲気味に唇を歪めた。「ユーノという尊い犠牲によって今の俺が此処に居る。それ以上は聞くな」何処か遠くを見つめる眼差しは、ユーノくんを哀れんでいるようにも見える。全く以って意味不明だが、これ以上質問を重ねても答えてくれそうにないし、話も進まないので本題に入ることにする。「単刀直入に言います。貴方達に依頼したいのは一つ、PT事件の時と同じ戦力の貸与です。具体的には闇の書の守護騎士達の捕縛、それ以上はこちらも望みません」「聞かれる前に答えておくがPT事件というのは、僕達とソル達が初めて接触した時の事件、プレシア・テスタロッサ事件の略だ」「管理局では首謀者のフルネームを取ってその事件に名前が付けられるんだよ」細かい点をクロノとエイミィが素早くフォローしてくれる。「シグナム達を捕まえればいいのか?」「ええ。報酬もそちらの望み通り用意しますが、金銭面のみとします………それに」「それに?」「以前のようなことを防ぐ為、犯人達の身柄をフェイトさん達の時のように報酬として引き渡すことは絶対に出来ません。今言った通り報酬は金銭面のみです。また、今回の事件の協力者として報告書に貴方達の名前を明記させてもらいますが、貴方の身体や法力に関しては一切報告書に載せるつもりはありません」この部分だけは絶対に譲れないのではっきりと言い切る。こちらの仕事を舐められては堪らない。そう何度も揉み消しが出来ると思ったら大間違いだ。それに、こうすればちゃんと経費が下りる。彼の身体や法力に関しては一切報告する気が無いのは本心だ。私だって命は惜しい。丸焼きになんてなりたくない。「フェイトちゃんとアルフはPT事件の報告書の中では初めから居ないってことになってるから、二人に関しては安心していいよ」エイミィのフォローが光る。「その代わり、事件後に管理局に勧誘するような真似はしませんし、させません。貴方達を詮索するようなことも同様です」本当は勧誘もしたいし、ソルくんの身体のことや法力に関しても詳しく教えて欲しい。特に法力の”力”は興味深い。私達の魔法とは似ているようで異なる魔法。一魔導師として、管理局に所属する者として知りたくないと言えば嘘になる。しかし、そんなことをすれば待っているのは火炎放射だというのが分かっているので自重する。もし彼の逆鱗に触れて、時の庭園で見せたあの”力”を本局なんかで振るわれたら管理局は間違い無く傾く。最悪、本局ごと木っ端微塵に消し飛ばされる。(………実は私、とんでもない人物を相手に交渉しているわね)今更だけど。「以上がこちら側が取れる最大限の譲歩であり、契約する上での条件となります。何か質問は?」どう? って感じに自信満々に彼の思案顔を覗き込むが、内心は不安と緊張で心臓がバックンバックン跳ねていた。「話にならねぇ、帰る」とか言われたらどうしようか。クロノが昨晩進言した通りに今から本局に問い合わせても、管理局の人手不足と組織の腰の重さ、そして曰く付きの”闇の書事件”ということで迅速に応援が来てくれるか怪しい。しかも管理外世界で起きた事件だ。ミッドやその付近の管理世界で起きた事件と比べ、軽視されやすい。応援が来る頃には闇の書は既に完成していて、取り返しのつかないことになる気がする。第一、もし応援がすぐに来てくれたとしても武装局員を秒殺するような連中に対抗出来るかどうか、それが一番怪しい。だからこそ即戦力になり、魔導師ランクオーバーSという実力だけは文句の付けようが無いソルくんの協力が欲しい。「報酬にプラスして、医療施設の利用や治療を無料で受けることは可能か?」返ってきた質問の内容は、意外なものだった。「それは病院のこと?」「それ以外に何がある」「………そうね。管理局直営の病院で構わないのであれば、可能と言えば可能よ。でも、どういうことか説明してもらえるかしら?」理由も無しにそんなことを言われても承諾など出来ない。「キミ達の知り合いに病気の人間が居るのか?」クロノの質問は、私も思ったことだった。怪我なら彼の法力で治すことが出来る筈だ。「まあな」「一体誰が? この前会った時は誰も眼に見えるような―――」「俺達じゃねぇ」つまらなそうな口調でクロノの言葉を遮る。「俺の友人に、現代の地球じゃ治せない病気を患っている奴が居る。そいつをなんとかして欲しい」腕を組んでそう言うソルくんの態度には、何かを企んでいるようには見えない。(なるほど。つまりはそういうことね)私は、ソル=バッドガイがどういう動機で行動する人間かすっかり忘れていた。彼は確かに傍若無人で傲岸不遜、唯我独尊を絵に描いたような人物であるが、身内にはとてつもなく甘い。PT事件の時も、フェイトさんとアルフさんを救い出す為だけに私達と手を組んだのだ。今回の闇の書に対して、一見すれば彼にとってなんらメリットが存在しないような事件に対して協力に応じようとしているのがいい証拠。致命的なまでに捻くれた性格ではあるが、彼は弱い立場の者や苦しんでいる人間を見捨てることが出来ないのだろう。(フェイトさんは年端もいかない少女だったものね)しかも自分の妹のなのはさんと同い年であれば尚更。「分かりました。考慮しておきましょう」「確約してくれねぇと困るぜ」「では、事件が無事解決すれば必ず、その方を管理局の病院にて無料で治療すると約束しましょう」暗に、『事件が解決出来なければ報酬は払えない』と言った。「………フン、まあいい。今月中に終わらせてやる」頷いたのを確認すると、私は安堵の溜息を吐くと同時に胸を撫で下ろした。………上手くいった。成功も成功、大成功!!!やったわリンディ。これでレティと食事に行く度に酒癖の悪い愚痴しか言わない酔っ払いじゃなくなるわ!!今すぐにでも踊り出したいくらいに気分が良くなってくる。しかし、「一つ言っておくが、協力するのは俺だけだからな」そういうオチか。石像のように固まって動けなくなる私。天に昇りそうだったテンションが奈落に突き落とされる。「なんでウチのガキ共にも協力させなきゃいけねぇんだ? 以前言ったろ。子どもを『人材不足』と『実力高いから』っつー理由で戦場に投入する管理局が気に入らねぇって」何を期待していたんだ、馬鹿が。そんな風に罵られているような気がした。「えっと、じゃあ………」「あいつらは関わらせねぇ」そうだった!! 迂闊だった!! 身内に甘い分、それと同じくらいに過保護な人間だったのをすっかり忘れていた!!!何をしているのリンディ、これでは愚痴吐き酔っ払い女に逆戻りよ!!戦力的には問題無いかもしれないけど、相手は四人だ。たとえソルくんとは言えそう上手く捕まえられるか分からないし、分散されたら文字通り手が足りない。昨晩見せたあの異常な強さにも万全を期したい。思わず頭を抱えると、ふいに室内に何かが振動する小さな音が聞こえた。音に応じるようにしてソルくんがズボンのポケットから携帯電話を取り出す。どうやら振動音は携帯電話の着信のようだ。「何の用だ?」受話ボタンを押して相手側に問い掛けた瞬間、<お兄ちゃん!! 今何処に居るの!? 逃げようったってそうはいかないんだからね!!!>電話越しになのはさんの怒声が聞こえた。SIDE OUT耳がキーンってした。普通の人間よりは聴覚良いんだから手加減しろよ。<昨日すずかちゃん家に泊まらなかったことに対する謝罪と穴埋めを要求します。具体的にはこれから毎日一緒にお風呂に入ること、一緒に寝ること、そして私とフェイトちゃんに休みの日は必ずデートに誘うこと>「お前ら、まだ諦めてなかったのか。ユーノくれてやったろうが」<ユーノくんで憂さ晴らししたって楽しくないよ!! それにユーノくん普通にやり返してくるし!! さっき思いっ切り背負い投げされたんだよ!! その後にソバット決めたら気絶したからいいけど>「お前ら無茶し過ぎだからな。頼むから怪我しない程度に手加減しろ」<全部お兄ちゃんとユーノくんの所為じゃない!!!>声がでかい。耳が痛いし、リンディ達に全部聞かれてる。身内の恥を晒しているようで恥ずかしい。電話の向こうのなのはと横に居るであろうフェイトは、昨日の晩にユーノと二人で抜け出したのが余程お気に召さなかったのか、ついさっき家に帰ってくるなり文句をぶつけてきた。その場はユーノを生贄に差し出して敵前逃亡を図ったのだが、どうやら大した時間稼ぎにならず、機嫌も直るどころか逆に悪くしてしまったらしい。<お兄ちゃん、今駅から少し離れた所にあるマンションに居るでしょ?>「っ!! なんで知ってんだよ!?」<さあ? なんでだろうね? 待っててね。今から行くから>声のトーンが低くなり、プツッと切られる。ツー、ツー、ツー。「………」「………」「………」「………」誰も何も喋らない。リンディ達の顔を見ると、ドン引きしているというのがよく分かる。これは新手のホラーだろうか? なんか背筋が寒くなってきた。沈黙した携帯電話を仕舞う。「詳しい話はまた後日にでも―――」ピンポーン。帰ろうとした(決して逃げようとした訳では無い)俺の言葉を遮る形で、部屋のインターホンが鳴る。「………嘘だろ? いくらなんでも早過ぎる………」ピンポーン。もう一度鳴る。「あの、私出ようか?」エイミィがおっかなびっくり手を上げた瞬間、ドンドンドンドンッ!!「ヒィッ!!」まるで扉を殴打しているような音が突如響き―――いや、実際に玄関の扉を叩いてやがる―――その音にびびったクロノが悲鳴を上げて卒倒した。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ドンドンドンドンッ!! ドンドンドンドンッ!! ドンドンドンドンッ!! ドンドンドンドンッ!!リズムを取るかのように無機質な音が連続的に奏でられる。やがて、「止んだ?」何の脈絡も無く、あれ程しつこかった音が聞こえなくなる。と思っていたら携帯電話が震えた。フェイトからだった。受話ボタンを押して出る。「フェイト?」<ねぇ、ソル>「どうした?」<………どうして出てくれないの?>ドサドサッと眼の前でリンディとエイミィが失神した。どうやら精神的に限界だったらしい。俺は額に手を当て頭痛を堪えると、覚悟を決めて玄関のドアに手を掛けた。オマケ数十分前。(アタシはご主人様の命令に従っただけだからね。フェイトの問いには答える義務がある。それに何より、アタシは覚えておきなって言っただろ、ソル?)昨晩の管理局からの協力要請の話を聞いて走り出したフェイトとなのはの後姿を見送ると、アタシは気絶したユーノを介抱することにした。