高町家に代々受け継がれている剣術『小太刀二刀御神流』。そのあり方が、明らかに”堅気”のものではないということは分かっていた。士郎は喫茶店『翠屋』のマスターであると同時に、相当の修羅場を潜ってきた歴戦の剣士だということにはすぐに気付いた。俺の眼から見てもその実力は十分高く、剣を構えた時の士郎は『人を殺す』眼をしていた。であるから、士郎がたまに二、三日居なくなり、そういう時は大抵血の臭いをさせて帰ってくることがあった。だが、それに関して俺からは何も言わなかった。士郎は俺を家族として迎い入れはしたが、それだけだ。傍から見たら怪しい行動(ヘッドギア改造や朝の法力鍛錬)を取る俺にいちいち干渉してこなかった。どう見ても五歳児には見えない行動に関して、何一つ文句を言われたことが無い。士郎だけに留まらず桃子と恭也、美由希(少し聞きたそうにしていたが結局何も言ってこなかった)も同じだった。なのは? なのははまだ小さいからよく分かってないんだろう。俺には俺の事情があって言えないように、士郎も士郎の事情があるのだ。だから言えないし、聞かない。それでいいと思う。士郎が俺を信頼して何も言ってこないように、俺もそんな士郎を信頼していた。家族の日常の中で、士郎だけたまに非日常に足を踏み入れるも、すぐに戻ってくる。その程度のものとして捉えていた。これがとんでもない思い違いだと気付く、その時まで。俺が此処に来て半年が経過した。最近になって、なのはから魔力を感じるようになった。どうやらなのはは法力使いの資質があるらしい。かといって俺はなのはに法力を教えるつもりなどさらさら無かった。普通が良い、普通が一番だ。なのはには普通の生活を、普通の幸せを掴んで欲しいから。法力は魔法の力。確かに素晴らしい”力”だ。運用の際環境破壊の起因となる既存の科学技術と違って、法力は『クリーン』な力である。個人の力量に大きく左右され易い技術ではあるが、一個人が持ち得る”力”は持ち得ないものと比べると絶大。魔法は様々な分野に進出、その一部は既存の科学と融合しながら形を変えていき更に進化を遂げて発展、人々の認識を変え、世界を変えた。人類にとってその”力”は思った以上に都合が良かったからだ。だが、法力が文字通り『魔法の力』でありながら、当時の俺を含めて人類は皆『魔の力』であることを忘れて『法力』と呼んだ。魔を生み出す力―――そして魔法文明に生れ落ちてしまった『ギア』。そして勃発した『聖戦』。人間の汚れた欲望の産物『ギア』と人類の史上かつて無い大戦争。それが俺の世界の魔法の歴史だった。閑話休題。今日も俺は朝の鍛錬を終えて居間で新聞を読んでいると、軽快な電子音が着信を伝える。「あ、私が出るからいいわ。はい、高町です」俺が立ち上がって親機に出ようとするのを制して、桃子が傍にあった子機を手にする。「はい………はい………え、士郎さんが!?」新聞に戻っていたところに桃子の狼狽した声。「そ、そんな………」目尻に涙を浮かべた桃子の表情を見て、俺は嫌な予感がした。一昨日から士郎はいつものように”あっち”の仕事で居ない。三日目の今日になっても、まだ帰ってきてない。急に掛かってきた電話。桃子の泣き顔。まさか………士郎の身に何か!?嫌な予感は現実のものとなった。「ソル!! 皆を集めて出かける準備して!!」その声はまさに悲鳴だった。俺がかつて世話になった海鳴病院。何の因果か、俺が入院していた部屋と士郎の部屋は同じだった。その士郎は、ベッドに仰向けで眼を閉じたまま動かない。口と鼻の穴に突っ込まれたチューブ、包帯を巻かれた頭部、腕に刺さっている点滴が痛々しい。医者の話によると、所謂植物状態と言って差し支えない容態とのこと。一命は取り留めたが頭を強打した所為か脳にダメージが残ってしまったので、意識が戻るかどうかは五分五分。すぐ戻る場合もあるがその場合は後遺症に悩まされる可能性が高く、このまま一生戻らない場合も考えられる、と医者は無慈悲に宣告した。それから約一週間。あの騒がしくも明るい高町家は、毎日が通夜のように沈んでいた。桃子は士郎の抜けた穴を埋める為に、以前よりもずっと忙しそうに動き回った。恭也は士郎が居ない今高町家を守るのは自分しか居ないという重圧から、美由希の制止を振り切って明らかに無茶な鍛錬をしている。美由希は桃子を手伝いながら、無理をする恭也を制止しようと懸命になって説得している。そしてなのはは、俺に甘えてこなくなった。風呂に一緒に入らなくなった。一緒に夜寝ることも無くなった。抱きついてくることが無くなった。いつものように一緒に外に出かけたり、勉強したりせず、何もせず部屋に閉じ篭っているだけ。一日が終わるまでずっと部屋で座っているだけ。本当にただそれだけ。自分の存在が誰かの迷惑になる、そう結論付けたなのは。せめて「いいこ」でいようとした結果が、これだった。そんななのはの豹変ぶりが悲しかった。放って置くことができず、かといってどうすれば良いのか分からず、俺は傍に居ることしか出来なかった。士郎の入院から十日後。この日は天気が悪く、雨が降っていた。黒い雲は低い雷鳴を轟かせ、風が窓を叩いて不快な音がする。「いつも」のようになのはは自分の部屋で何もせずに、虚ろな眼をしてただ座っていた。俺も「いつも」のようになのはの隣に座って、天井を眺めているだけだった。「おにいちゃん」ふいに、なのはが話しかけてきた。あの日以来久しぶりのことだった。「何だ?」俺はなのはからのアクションに内心喜びながら、聞き返した。「もう、なのはにかまわなくていいよ」……………今、こいつ何て言った?「………何言ってんだ?」「なのはのめんどう見なくていいって言ったの」何を馬鹿なことを、「なのは知ってるよ。なのはがいつもおにいちゃんにめいわくかけてること。なのはがいるから、おにいちゃんはいつもやりたいことができないこと」なのはの言ってることが、理解できない。「でももうだいじょうぶ。なのは、いいこにしてるから、ひとりでだいじょうだから、おにいちゃんは、おにいちゃんのやりたいようにやって?」そう言って、なのはは俺に笑顔を向けた。仮面の笑顔、無理して被っている「作られた」笑顔。俺は、そんなものをこれ以上見たくなくて、なのはの前から逃げ出した。傘を差さずに家を飛び出る。雨足がザーザーと強くなり、雷鳴が鼓膜を叩く。走った。何処でもいいから無茶苦茶に走りまくった。何処をどう進んでいたのか分からないが、気が付けば、朝の鍛錬に使っている森の中の広場だった。士郎の件以来、此処には来ていなかった。なのはの傍をなるべく離れないようにしていた所為だ。俺は自分でも知らず一人になりたかったのかもしれない。そうすれば、誰にも気兼ね無く当り散らせる。「…………クソ、クソ、クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」近くに生えていた木を全力で殴りつける。俺の力に耐え切れずに倒れる木。それでも俺の気は治まらず、手当たり次第に木を殴り倒した。「なんで、なんでだよ!!!」士郎は意識が戻るか不明の重体。家族はばらばら。なのはの作り物の笑顔。そんななのはに何も出来ない自分。忌々しい、何もかもが忌々しい。どうして大切なものは、俺の手の平から零れ落ちていくんだ!?「そんなに俺が嫌いか!? 畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」天を仰いで喚く。暗雲は嘲笑うかのように雷鳴を轟かせる。ただの自然現象ですら腹立たしい。「………舐めやがって、消し飛ばしてやる」右の拳に力を込める。術式を構築、展開、構成された術式に魔力を―――全力で注ぎ込む。膨大な魔力を孕んだ拳が炎に包まる、それを天に向かって構え、「消えて無くなれ!!!」完成した法力を解放しようとしたその瞬間、稲光と雷鳴を従えて天から降り注いだ青い稲妻が俺を貫く。「ぐあああああああっ!!」同時に轟音。周囲の木々を巻き込んで俺諸共辺り一帯を吹き飛ばす。「がはぁ」焦げた大地に碌に受身も取れずに叩きつけられ、肺が圧迫され空気が吐き出される。仰向けの姿勢で天を睨む。全身を苛む懐かしい痛み。電撃によるダメージは、かつて俺のことをしつこく追い回していた男からよく食らわされたものだった。『ソル!!!』「ッ!?」俺を叱咤する懐かしい声が聞こえた気がした。「……………………………………………………」しばし痛みも忘れて呆然とする。だが、「………く、くく、………はは」込み上げてくる衝動が俺を突き動かした。「くははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!!」笑った。大声を上げて笑った。今の一撃はまるであいつだ。俺のことを認めたくないけど認めていて、いつも規律や調和を乱す俺に小言を言ってきて、勝てないってことが分かってんのに何度も懲りずに勝負を挑んできて、わざと負けてやると納得出来ずにやり直しを要求してきて、人間は決してギアに負けない、が持論で、青臭い正義感を持ってて、困ってる奴が居ると放っておけないお人好しで、俺のことを『人間』として扱った坊や。「そうか、そうかよ」こんなところで一人でグダグダしてるのは俺らしくないってか。「テメーはそうやって、いつもいつも俺のやることなすことに文句を付けやがる」しかも今回は俺を納得させるだけの威力と内容だ。「………だが、テメーは何時だって『俺』を見てくれていたよな?」もう、坊やなんて呼べねーな。「一応、礼は言っておいてやる」恩に着るぜ、カイ。既に雨は止み、雲は消え、空は青く晴れ渡り、世界を優しく見下ろすように太陽が輝いていた。「なのはぁぁぁぁぁ!!」玄関を蹴り開け、靴を脱ぎ捨て、階段を二段飛ばしで駆け上がり、なのはの部屋を蹴り開けた。「お、おにいちゃん!? なにがあったの!?」なのはが俺の姿を見て驚愕の声を上げる。今の俺は真っ黒で煤だらけ&泥まみれ、ところどころ服は炭化していて、焦げくさい臭いを発しながら黒い煙を上げていることに気付く。「なに、ちょっと生意気な坊やから一撃もらっただけだ。気にすんな」坊やって呼ばないんじゃないのかって? 考えてみりゃ、あいつが幾つになろうと坊やは坊やだから別にいいだろ?「気にするよ、ケガとかしてないの? それに坊やって誰!?」「んなこたぁはどうでもいいんだよ」「どうでもよくないよ!」あん? なんで何時の間にかこんな喧嘩紛い言い争いになってんだ? まどろっこしいな!!俺はなのはの腕を掴むと引き寄せて抱き締める。「ちょっ、おにい「俺が何時なのはの存在を迷惑だと言った?」………ちゃん」「おら、答えろよ? 俺が何時なのはの存在を迷惑だと言った?」俺はもう一度問いかける。「………言ってない」「だろ?」「でも!」「あん?」「う、うぜぇとか、うっとうしいとか、めんどくさいとか、言ってたもん」「ヴ」涙声になりながらかつて吐いた暴言の数々を聞かされる。「迷惑だ」って面と向かって言うより酷くないか? ………あ、俺か。なんてとんでもない墓穴掘ってるんだ普段の俺は。「あ~、あれな、あれはな、ただの………」「ただの?」何か一言でもマズイことを言ってしまうと、二度と取り返しがつかない気がする。此処は慎重に………なのはの今にも泣き出しそうな顔を真正面から見据えてから、俺は覚悟を決めた。「あれは、ただの照れ隠しだ!!!」最早後で何を言われようと知らん!!!「………てれかくし?」「そうだ! 男って生き物は女に対して素直に自分の気持ちを打ち明けられないんだよ。俺達位の年齢の奴は特にな!! だから、その、俺はちょっと照れてただけなんだよ!!!」「本当に?」う、疑い深い。普段の俺ってそんなに信用無いんだろうか?「本当だ。それに、ほら、最近流行のツンデレって言葉があんだろ? きっとたぶん恐らくもしかしたら俺みたいな奴のこと言うのかもしれねーだろ? 後で美由希に聞いてみろよ」「うん………わかった。おにいちゃんのこと信じる」その言葉に内心、安堵を吐く。それからゆっくりと抱き締め直して、額と額をこつん、とくっつける。「だからよ、俺は自分が好きでなのはの面倒見てんだよ。迷惑なんかじゃねぇし、遠慮なんてしてんじゃねーよ」「でも」「聞こえねーよ。それに、俺達家族だろ?」なのはの背中を右手で摩り、左手で頭を撫でてやる。「家族ってもんは、互いに迷惑かけ合って生きてくもんなんだよ。それに無理して『いいこ』を演じる必要も無ぇ、だから、ガキの癖して我慢してんじゃねーよ」「だって、おとうさん起きなくて、おかあさんが忙しそうで、恭也おにいちゃんもおねえちゃんも………」「分かった。じゃあこうしようぜ?」「ふぇ?」一旦身体を離し、ポロポロと涙を流し始めたなのはの顔を部屋に備え付けてあるティッシュで拭ってやる。「なのはが誰にも迷惑かけたくないって思ってんならそれでいい。だが、これだけは約束しろ」「約束?」「ああ、約束だ。守れるか?」「うん、おにいちゃんとの約束なら、なのは絶対に破らないよ」「良い返事だ」と俺は自然に優しく笑うと、こう言った。「俺にだけは絶対に遠慮すんな。誰にも迷惑かけない代わりに俺にその迷惑を寄越せ。どんな無理難題だろうと俺はなのはの全てを受け入れてやるから」一瞬俺の言ったことが分からずポカンとしていたなのはは、徐々に理解できてきたらしく、眼に再び涙を溜めていた。「………本当に、いいの?」「当たり前だ。俺を一体誰だと思ってやがる?」ニヤッと不敵に笑って、「俺はお前の兄貴だぞ」宣言するように言ってやった。次の瞬間、「うわぁぁぁぁぁぁぁ、おにいちゃん、おにいちゃぁぁぁぁぁぁん!!!!」なのはは俺の胸に飛び込むと、士郎が入院していた時から溜め込んでいたものを全て吐き出すように泣いた。