空間ディスプレイに映し出される映像は、クアットロにとって常軌を逸したものであった。いや、彼女以外の誰が見たって常軌を逸している。ルーテシア・アルピーノの究極召喚蟲、白天王。管理外世界における第一種稀少個体。その姿は最早二足歩行の巨大な蟲の怪物であり、魔獣の中でも最上級に位置する存在は人智を超越した生命力と戦闘能力を有していた。彼の者にとって魔導師など意識しただけで死に絶える弱者であり、戦った場合吹けば消し飛ばせる程容易に殺せる筈だ。だが、それはあくまで普通の魔導師を相手にした時の話であり、生憎と今白天王と戦っている相手は普通を遥か彼方に置いてきた異常者であり正真正銘の化け物であった。ソル=バッドガイ。紅蓮の魔導師は、ついに生体兵器としての真の姿を晒した。上半身のバリアジャケットが消えた代わり露出した肌が赤い鱗で覆われ、五つの眼が怪しい金色を放ち、手足には肉食獣のような鋭利な爪が、大きく裂けた口には凶暴な牙が生え揃い、頭部には二本の角が、背から一対の翼と一本の尾が生えていて、人の姿の面影は二足歩行のみで既に見る影も無い。まるで竜だ。赤い、火の力を従える、最強に類する獣。あれが自分達戦闘機人と『同じ』生体兵器と呼ぶのは憚れる。否、あんなものが人の手によって生まれてはいけない。違法研究に散々加担してきたクアットロですら鳥肌が立つくらいに、踏み込んではいけないと思わせる禁忌の領域。あれは悪夢だ。存在するだけで全てを破壊し、何もかも滅ぼし、死と絶望のみを撒き散らす地獄そのもの。禍々しい姿形。強大過ぎる魔力。むしろ神話や伝説から飛び出してきた悪魔だと言われた方が素直に納得出来る。あまりの恐怖とおぞましさにクアットロは吐き気すらしてきた。「な、何なの……?」――あれが、ギア? 生体兵器? 何処からどう見ても人を殺す為に生まれた化け物じゃない!?滅茶苦茶に悲鳴を上げてディスプレイの前から逃げ出したい衝動が全身を駆け巡る。これは本能だ。生物としての生存本能が激しく警鐘を鳴らしているのだ。あれから逃げろ、一刻も早く逃げろ、さもないと死ぬ、どう足掻いても死ぬ、あれの前では全てが無意味であり無力であり無価値であり、もたらされる未来は無慈悲だ、呼吸をするように当たり前のこととして殺される、と。『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!』響いてくる咆哮は白天王の悲鳴だろうか。自身の周囲を素早い動きと機動で飛び回り、視界の外から紅蓮の炎を体当たりのように叩きつけられ、よろめく。更に長大な炎の剣が追撃。上から下までバッサリと斬り裂かれ、大きく仰け反った隙を突く形で赤い機械兵――全二十体の中でも一際目立つ、巨大な個体――が白天王の左足の脛に突進をかます。ソルが従えるあの機械兵も訳が分からない存在だった。召喚術か何かの類だとまでは予測出来ても、どういうものなのか解析出来ない。何故あの機械兵達は、どれもこれもソルと同じ魔力光と魔力反応なのか。何度スキャンを掛けても結果は変わらない。あの機械兵達はソルと同じ存在だと計器に言われる。こんなことはあり得ない筈なのに、一体どういうことだ!?予測していなかった事態、理解不能な現象、未知の魔法技術、圧倒的な敵勢力、それら全てがクアットロの精神を蝕んでいく。『■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■!? ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!』機械兵から左足の脛に突進を食らった瞬間、耳を劈く絶叫が白天王の口から吐き出され無様に倒れ込む。身体を震わせ何事かとモニターを注視して、息を呑んだ。白天王の左足は、脛から下が吹き飛んでいたからだ。それを行った機械兵の右腕には、巨大なパイルバンカーがいつの間にか装着されている。高層ビルの支柱よりも太い、杭打ち機にも似た凶悪な近接格闘兵器。突進の際、あれを白天王の脛に激突させたのだろう。たった一撃で真竜に勝るとも劣らない生命体の動きを奪う機械兵のパワーに戦慄を禁じ得ない。片足を失った白天王はひとしきり暴れるようにのた打ち回った後、紫の翅を羽ばたかせ上空に一旦逃げて態勢を整える。と、今度は仕返しだとばかりに下へ向かって急降下。鋭い爪を振りかざし、自身の左足をもぎ取った機械兵に襲い掛かった。「ギガント、モードチェンジ『レイダーモード』ッ!!」上空から飛び掛ってくる巨大な召喚蟲に対抗させる為、『装甲変形アーマーモード』だったギガントを『機動変形レイダーモード』に切り替える。<Yes, BOSS>命令に従ったギガントが応じ、変形する。アーマー時に巨大なパイルバンカーだった右腕が元の無骨な装甲に戻るのに合わせ、四本の多脚型下半身が飛行機の降着装置のように折り畳まれると仕舞われ、背中部分の装甲が展開し翼へと変じ、ジェット噴射を推進力に巨体が浮き上昇した。変形を終えると、被弾覚悟でこちらに特攻してくる召喚蟲に向かって飛翔、脇目も振らず正面から衝突した。サーヴァントの中で最も鈍重である代わりに最も大きく最も力があるギガントでも、流石にヴォルテールに匹敵する大きさの召喚蟲を相手に力勝負では分が悪いと予想していたソルの考えは的中する。爆発染みた大音量を生み出した大質量と大質量のぶつかり合いは、拮抗したのは最初の一瞬のみで、徐々に押し負けていく。そもそもあれ程大きな召喚蟲に正面からギガントをぶつけることが無茶な話だ。確かにギガントは大きいが、精々二階建ての一軒家よりも大きい程度。対する相手はビルと肩を並べても遜色ない巨躯を誇っている。子どもと大人の対決のようなもの。実際、召喚蟲の腹部にタックルを決めているギガントの様子は、大人の胸に飛び込んでいる子どもである。力勝負で勝てる方がおかしい。それ以前に『機動変形レイダーモード』と称して飛んでいるが、お世辞にも素早いとは言えないし高度も碌に取れない。戦闘機のような速度や動きなど夢のまた夢。ヘリの方がまだマシ、というレベル。そんなお粗末なもので生まれながら翅を持つ生き物に空中戦を挑むなどおこがましい。ハナッから勝ち目など無い。だからこそサーヴァントはマスターと共に戦う“群れ”であり、戦略と連携を重視する“兵”なのだ。「上出来だ、ギガント」ギガントの背後からその頭部を飛び越すようにして、紅蓮の双翼を羽ばたかせながらソルが召喚蟲の顔面に迫る。ギガントが生み出した僅かな隙を狙って頭部を破壊する、初めからこれが狙いだった。赤い竜が燃え盛る長大な炎と化した封炎剣を大きく振りかぶり、全身全霊を込めて袈裟懸けに振り下ろす。「てぇぇぇぇぇぇやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」命の危機を本能的に察知した召喚蟲が咄嗟に逃げようと足掻くが、もう遅い。避けられないと悟り、被害を最小限に食い止める為に首を捻っていなそうと試みる。――斬。斜めに振り抜かれた炎が、召喚蟲の左目、そして左腕と左側の翅全てを奪う。力を失い、墜落する白い巨体。受身も取れないままゆりかごの上にその背を叩きつけた。ソルとギガントもゆりかごの上に降り立つ。傷は即死するものではなかったので、それ程間を置かずに召喚蟲はムクリと起き上がるが、致命傷には違いないので動きがぎこちない。左腕も左足も左側の翅も、既に消失しているので当たり前だ。上体を起こし、立ち上がろうとして失敗し、四つん這いの出来損ないのような惨めな格好でこちらを憎々しげに睨んでくる。片方欠けた翠の瞳からは、未だに戦意は消えていない。逃げる素振りも見せず残った手足を必死に動かし、満身創痍でありながら戦う意志を捨てないその様は、一人の戦士として敵ながら天晴れだ。「……射撃変形、『エスティメント・ワン』」瞼を閉じ、ソルが静かに優しい口調で言葉を紡ぐ。トドメを差してやれと促され、主に忠実な兵士は無言のまま従う。ギガントの背中に展開していた翼が折り畳まれてから内部機構に収まると、頭部の上に音叉に似た形をした、巨大な金属の塊が出現する。それは砲撃を放つ為の砲門だ。先端が二又に分かれた砲口からあらゆるものを貫く究極の光学兵器を発射する為の。なんとか片腕で体重を支え上体を起こした召喚蟲が、反撃を試みようとして腹部に備え付けられた水晶球のような器官に魔力を溜め込もうとするが、致命的なまでに遅い。土地を支配したことによって世界からマスターゴーストに捧げられる供物、マナ。生命の根源たる力であるそれをマスターゴーストから大量に供給され、破壊の力に変換し、ギガントは発射準備を整える。「発射」<GOOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!>ギガントが雄々しく咆哮する。耳鳴りにも似た音が聞こえると周囲からギガントに向けて赤い光が集束、膨大なエネルギーを一瞬で溜め込むと、間を置くことなどせず撃ち出される光の束。轟音が伴い、世界が震撼する。眩い光の奔流は眼を瞑っていてもはっきり感じ取ることが出来た。閉じた視界が真っ赤に染まる。ただでさえ戦いの余波で異常に上昇していた気温が更に上がり、熱気が暴風となって肌を叩く。有象無象の区別なく、ギガントの砲撃はその射線上に在ったもの全てを蒸発させ、この世から消去した。白い召喚蟲を呑み込み、ゆりがごの外壁を大きく抉り、森を、大地を、山々を容赦無く穿った。閉じていた瞼を開き、ゆっくりと周囲を見渡して自分達が行った破壊の惨状を改めて確認する。「……」酷い有様だった。大規模な法力行使によって木々は焼かれ、地は割れ、マグマがあらゆる場所から噴出して地表は灼熱に染まり、母なる大地を輝かせている。そこから立ち昇る黒煙が夜の暗黒を更に濃くしていく。視界の奥に鎮座していた山々は、『エスティメント・ワン』を食らったことによって中腹部のほとんどを蒸発。大き過ぎる風穴がポッカリと綺麗に開き、それによって山頂部を支えられなくなり崩れ落ちる、という冗談のようなことになっていた。ゆりかごの外壁も真上から見れば赤い筆ペンで線を引かれたようになっているだろう。レーザーの熱に耐え切れず融解し、内部を露出させていた。レーザーの輻射熱とマグマによる気温上昇により陽炎が発生している事態は、まるで世界があやふやで壊れ易く、脆い存在なのだと訴えているかのようだ。これくらいは当たり前だ。手始めにオールガンズブレイジングを使い、マスターゴーストを顕現してサーヴァントを全兵種召喚し、ドラゴンインストールを完全解放して暴れ回り、挙句の果てにはギガントに『エスティメント・ワン』まで撃たせたのだ。この土地が戦いを経て死に絶えるなど最初から理解していたことである。幸いなのはこれが結界の中で行われた、という一点のみ。結界の外まで被害は及ばない。結界の中でなければ、とてもじゃないがこんな無茶をする気にはなれない。所詮この身は生体兵器、結局破壊しか生み出せない、と自身を皮肉るつもりも無ければ自嘲する気も毛頭無い。そんなことはとっくの昔から重々承知していて、今更過ぎることだから。――しかし、いや、だからこそ……破壊の権化は『俺達』だけで十分だ。これ以上増やさない。同じ過ちを繰り返させてはいけない。今は感傷に浸ることよりも大切なことがある。まだやることが、やらなければならないことが山程ある。「ゆりかごに突入しろ」ソルの命を受諾したサーヴァント達は我先にと進軍。ギア細胞抑制装置を装着し、竜から人の姿に戻り、バリアジャケットを再構築しつつリボンで髪を結う。そして離れた場所からこちらの様子を窺っているゼスト達に向けて念話を飛ばす。『ついてこい。あの親子を取り返すぞ』ゆりかごに侵入を果たしたサーヴァント達は二手に別れると、破竹の勢いで防衛を突破していく。行く手を阻むガジェットを打ち砕き、召喚蟲達を焼き尽くし、敵勢の屍を踏み越えて進軍し、ついにソル率いる片方のグループが玉座の間に辿り着いた。喧嘩キックをかまして扉をぶち破る。その瞬間、これまで待ち構えていたのか黒い召喚蟲が襲い掛かってきた。確か、以前廃棄区画でエリオ達と交戦したガリューという名の個体だ。馬鹿正直に真っ直ぐ突っ込んできたので、「バンディット――」応じるように素早く踏み込む。あまりの脚力に反動で床が陥没したが気にせず前方に跳躍。鉤爪が振るわれるよりも先に左飛び膝蹴りがカウンター気味にガリューの顔面にめり込み、「リヴォルバー!!」跳躍の勢いをそのままに身体を回転、遠心力を乗せた右の踵をガリューの頭部に落とす。グシャッ、と非常に嫌な音を立ててガリューは仰向けに倒れ、口に位置する部位から白い泡を蟹みたいにブクブク吹き出し昏倒した。背後でアギトが「あああああ!? ガリューがあああ!!」と悲鳴を上げていたが聞く耳持たず視線を玉座へ走らせると、虚ろな瞳で立ち尽くす二人の女が居るのを確認する。ルーテシアとメガーヌだ。やはり洗脳されているのは間違いではなく、二人には自我が無い。糸で操られる人形のようにひたすら召喚魔法を行使し続けていた。今も召喚陣が眼前に浮かび上がり新たな蟲を召喚しようとしている。洗脳を解く前にまず動きを止める必要がある為、ソルは隣に控えさせていたエンガルファーに指示を飛ばす。「頼むぞ」<That's enough>ヨットの姿をしたサーヴァントの固有スキル『シャットアップ』が発動。かつて“慈悲無き啓示”との戦いで何度も役立ってくれたサーヴァントの能力の中でも特に異彩を放っていたものの一つが効果を発揮。これは相対した敵のスキルを一定時間完全に封印するアンチスキル。つまりどういうものか具体的に言うと、法力使いに対して使えば法力を、魔導師に対して使えば魔法を封印する反則技だ。一度発動してしまえば、敵は己のスキルを使用出来ない。その間に片を付ける、という流れを作る為にとても役立つ。まずは召喚魔法を封じることによって鬱陶しい手札を増やされるのを防ぐ。見る見る内に召喚陣が力を失ったように光を弱め輝きを失い、数秒も経たず一つ残らず消えていく。<法力場を展開>すかさずクイーンが法力を発動し――AMF濃度が高いゆりかご内部では魔法が使い辛いので――赤い光が床から二人を囲むようにして立ち昇る。光の柱の中に対象を捉え動きを封じるケージタイプのバインドだ。拘束から逃れようともがく二人を見据えながら、ソルはクイーンに提案する。「かなり昔に鳥野郎が使ってた解呪の法があるだろ? それで洗脳解けねぇか?」<術式は教わりましたので使えますけど、あれでディスペル出来るかは試してみるまで分かりませんよ? “あちら”とこちらでは、洗脳術の手法そのものが根本的に違いますから>「やるだけやってみろ。成功しなかったら他の方法を試す、それだけだ」<ちなみに他の方法とは?>「シンの時と同じだ。正気に戻るまで蹴りまくる」クイーンは嫌な予感しかしないので訊いてみれば、案の定、強引な手法を取ると宣言するソル。<……りょ、了解。全力を以ってその方法を回避するよう努めます>ディスペル(物理)を行使しようとするマスターに戦慄しつつ、クイーンは解呪の法を発動する。暗闇の中、ルーテシアは独りで居た。いつからこの闇の中に放り込まれたのかは分からない。気が付けば此処に居た。今までずっと独りだった。傍に居てくれる優しい誰かなど存在しない。これからもきっと独りなのだろう。絶望と諦めに染まり切った心が漠然と思う。自分が此処から出ることは叶わない。此処はとても寒くて、真っ暗で、寂しくて、苦しくて、辛い。だから自分の身体を自分で抱き締めるように縮こまって、ただ耐えた。終わりがあるのなら早く終わって欲しい。もし終わりがないのなら、自分という存在が闇に溶けて消えて無くなってしまえばいい。そうすればもう悲しくない。もう独りぼっちでいることに泣くこともない。この暗黒の一部になってしまえば、どれだけ楽になれるのだろうか。――誰か、助けて。救いを求めても、それに応えるものなどありはしない。これまでずっとそうだった。助けて欲しいと願った時に自分を助けてくれた存在など一度として現れたことはない。もう随分前から諦めている。来る筈のない希望に縋っても、結局自分は期待した以上の絶望を味わう破目になる。だからもう何も望まない。なのに、――助けて。声が聞こえる。自分の、嘘偽りのない本当の気持ちが。――お願いだから、誰か助けてよ……涙混じりの、蚊の鳴くように小さい声が闇の中に響く。助けなんて来ないと分かっているのに、本心は救いを求め続けていた。――独りぼっちはもう嫌……嫌だよぅ。嗚咽が漏れる。悲しくて、寂しくて、苦しくて、耐え難い程辛くて、涙がポロポロ零れては闇に溶けていく。どうして自分だけがこんな目に遭わなくてはいけないのか?どうして世界はこんなにも冷たいのか?どうしてどうしてどうしてどうして?疑問は尽きない。問いを闇に投げでも答えは返ってこない。誰も此処には来てくれない。だから泣いた。大声を上げて泣いた。親とはぐれた迷い子のように。「寂しいのはもう嫌だ!! 独りぼっちはもう嫌だっ!! 助けてよお母さん!! お母さん!!! お母さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」「お母さんじゃなくて悪かったな」「っ!?」突然背後から掛けられた低い声に驚き、慌てて立ち上がって振り向くと、一人の男がそこに居た。背が高く、眼つきの悪い男である。それにやたらと威圧感があって、近寄り難い雰囲気を身に纏っている。はっきり言ってチンピラかヤクザのような風貌だ。男は手を伸ばせば届く距離までこちらに近付くと片膝をつき、固まったように動けないルーテシアと視線を合わせる。「あーあ、涙と鼻水で酷いことになってるじゃねぇか」そう言って溜息を吐くと懐からハンカチを取り出し、馴れた手つきでルーテシアの顔を拭う。その間、ルーテシアはされるがままだった。「よし、綺麗になった」拭い終えると満足したのか、男は手の平の上で炎を発生させ、ハンカチを惜しくもないとばかりに燃やす。「あ」その光景に釘付けになる。紅蓮の炎。闇を照らす光。とても暖かい色だ。それがルーテシアの世界を、真っ暗な心を満たしていく。「お前はもう、独りぼっちじゃない」男のもう片方の手がルーテシアの頭の上に置かれた。ゴツゴツしていたがとても暖かく、優しくて、相手に安心感を与える大きな手だ。「ホント?」「ああ」ルーテシアの不安を払拭するように頭を撫でてくれる。「だからとっとと眼を覚ませ。皆、お前を待ってる」そして、紅蓮の炎がまるで太陽のように輝きを増す。眩い光に包まれて、ルーテシアは覚醒した。瞼を開くとまず一番最初に飛び込んできたのは、泣き腫らした顔のアギトだった。「ルールー! ルールー!!」何度もルーテシアの愛称を呼びながら縋り付いてくる。「アギ、ト?」「うん、うんうん!! アギトだよ!! ルールーの仲間のアギトだよ!!」良かった良かったと泣きじゃくるアギトの上から、覗き込むようにして見下ろしながらゼストが安堵の吐息を零す。「心配したぞ、ルーテシア。無事で何よりだ」「ゼスト」仰向けになっていた身体を起こそうとして、後頭部が柔らかくて暖かいものに支えられていることに気付き、ゆっくり首を巡らせて見れば一人の女性が自分に膝枕をしてくれていた。「…………お母さん?」そこには母が居た。ルーテシアが求めてやまなかった母、メガーヌ・アルピーノだ。ずっと生体ポッドの中で眠ったままで、眼を覚ましても自分に会ってくれなかった母が、今眼の前に居る。「ルーテシア」震えた声で名を呼び、優しく抱き締めてくれる。母の腕の中、母の体温を感じて、漸くルーテシアは己の望みが叶ったことを実感する。「ごめんね、ごめんね……今までずっと寂しい思いをさせてきてごめんね。お母さんらしいこと、何一つ出来なくてごめんね」懺悔するよう繰り返し謝りながら母が泣いていた。「これからはずっと一緒だから。何があってもルーテシアの傍を離れないから……お母さんを、許して」母の言葉を聞く度に胸が熱くなってくる。涙が溢れて止まらない。これまで感じたことのない感情の波が膨れ上がり、口から吐き出されていく。「会いたかったよぅ……お母さんに、ずっと会いたかったよう!! お母さんに会いたくて、私、ずっと頑張ってきたんだよ!!」しがみつき、泣き叫ぶ。そうすると、更にぎゅっと強く抱き締めてくれる。もう離さないと言わんばかりに。周囲からは親子の再会を純粋に喜ぶ声が聞こえてきた。ゼストとアギトだけではない。聞いたことがある声や初めて聞く声もある。それらが全てルーテシアとメガーヌの再会を祝福してくれている。ひとしきり泣いて感情をある程度出すと、自分達を取り囲んでいる者達に視線を配った。アギトが、ゼストが居る。すぐ後ろにガリューも居る。スカリエッティも、クアットロを除いたナンバーズも全員居る。敵だった“背徳の炎”のメンバーも居る、以前戦ったことがある同い年くらいの男の子と二人の女の子も居る。それから、自分が知らない人達もたくさん居た。皆が皆、優しく微笑んでくれた。――『お前はもう、独りぼっちじゃない』あの言葉は決して嘘ではなかった。けれど、言葉をくれた当の本人の姿が見えない。視線を巡らせあの長身を探すが、見当たらない。どうして? と首を傾げながら疑問を口にすると、ゼストが呆れたように肩を竦めて答えてくれる。「『潰す』。そう言って俺達を此処に転送して、一人でゆりかごに残った」<蹴りまくるんじゃなかったんですか?>ゴツゴツと重い足音を響かせてゆりかご内部を歩いていれば、首から垂れ下がった愛機がからかうような口調で話を振ってきた。「うるせぇ」デバイスに舐められていると思ったのか憮然と返す。<無茶しましたね>「そうでもねぇよ。この程度なら誰でも出来る」<そんな簡単なことじゃないですよ。意識を三つに分割して、その内二つをそれぞれ二人の精神世界にダイブさせて覚醒を促すなんて真似、次元世界広しと言えど可能とするのはマスターぐらいです>「鳥野郎だったらもっとスマートなやり方で洗脳を解くだろうし、人外だったら純粋に俺よりも上手くやってる筈だぜ」<Dr,パラダイムとイズナさんはマスターと同じ“バックヤードの力”の持ち主で、法力使いとしてもマスターと肩を並べられる実力者だからでしょう? そんな人間普通居ませんからね。ていうか、三人共人間じゃないから本当に居ない!>「がたがた喚くな、やかましい」自らの発言に突っ込みを入れるデバイスを指で弾いて黙らせる。“バックヤードの力”は、魂に干渉する力でもある。マスターゴーストが術者の魂そのもの、というのがいい例だ。そして、“バックヤードの力”を持つ者同士の戦いというのは、マナを得る為に世界の支配権を奪い合う物理的な意味での陣取り合戦であると同時に、具現化した互いの魂に干渉し合う霊的な戦いでもある。度重なる戦いでその力を研ぎ澄ませていったソルとその仲間達にとっては、魂に触れる行為は馴染み深いものと言っても過言ではない。ソルの場合は敵の魂を殴る、蹴る、斬る、燃やすといった破壊や攻撃がほとんどだったが。故に、なんとなくだがどうすればいいのか分かる。理屈ではなく、明確な説明も出来ないものだが、とにかくやってやれないことはない。これは恐らく“バックヤードの力”を使い続けたことによる二次的な経験値なのだろう。かと言って負担が全く無い、と言えば嘘になる。碌に知りもしない、親しくもない人間の心の中に侵入すると拒絶反応がとてつもなく強い。それだけでかなりの負担だ。こういうのはどちらかと言えば陰陽法術を十八番とするイズナの専売特許。実際、ソルの身体は倦怠感に包まれていて、多少なりとも脳に負荷が掛かったので頭痛もするし疲労も蓄積されている。しかし、試すだけの価値はあったと思う。無事成功したので文句の付け所はない。(つっても、少し頑張り過ぎたか)大技の使用、サーヴァントの召喚と長時間の使役、短時間ではあるがドラゴンインストールの完全解放、意識を分割して精神世界へダイブ、などでかなりくたびれている。そろそろ終わりにしたいのが本音だ。それでも彼は歩みを止めない。止める訳にはいかない。ルーテシアとメガーヌの姿が、かつての同胞達と重なった。自由意思を奪われ、操られて、使い捨て用の道具のように使われた挙句死んでいった、否、この手で葬ってきた同胞達の姿に。それだけではない。もしエリオ達があの親子のような扱いを受けるかもしれなかったIFを想像するだけで胸糞悪くなる。全身を駆け巡る嫌悪感と吐き気は怒気となってソルの脳髄を刺激し、疲れている身体の奥底から“力”が溢れ出てきた。許せない。許さない。必ず後悔させてやる。爆発寸前の感情を無理やり押さえつける。代わりにギリッ、と奥歯を噛み締めることによって耳障りな音が頭に響く。感情に反応した封炎剣が赤熱化して炎を纏う。ギア細胞抑制装置を装着している筈なのに額の刻印が疼く。まだだ。まだ耐えろ。もう少し辛抱すれば胸の内に溜め込んでいた激情をぶち撒けることが出来る。それまで凌げ。心の中、自分で自分を言い聞かせながらゆりかごの最深部、クアットロが居るコントロールルームへ向かう。既に下手人はサーヴァント達によって捕らえられている。相当暴れ回ったらしいが、囲んでボコボコにしたとの報告がつい先程送信された。「覚悟しやがれ……!!」コントロールルームに到着すると、部屋の中央に仰向けで倒れているクアットロの姿がある。報告にあった『囲んでボコった』というのは本当のようで、まさに焦げたボロ雑巾と表現するのがぴったりな、無様な格好。「……」ソルは無言のままクアットロの髪を乱暴に掴み、そのまま自分と同じ視線の高さまで掲げる。ぶちぶちと何本か髪が抜ける音が聞こえてくるが気にしない。なんと驚いたことにクアットロは意識を失っていなかった。更に言えば眼にまだ光が見える。何故? こんなチェックメイト同然の状況下だというのに、その顔は不敵な笑みを浮かべている。「ふ、ふふふ。うふふのふ」掠れたような忍び笑い、いや、明らかな嘲笑が口から発せられる。「あは、あははははは、はははははははははははははははははははっ!!!」次第にそれは哄笑に変わり、狂気を孕んだ眼差しをソルに送りながらクアットロは大声で可笑しそうに、嬉しそうに、勝ち誇ったように笑う。「何がそんなに可笑しいんだ?」「そんな簡単なことも分からないの!? 脳みそまで筋肉が詰まってるんじゃないかしらこの化け物!! そんなに知りたいなら冥土の土産に教えてあげるわ、あなたが罠に嵌ってくれたことによって私の完全勝利が確定したからよ!!」嘲笑い、そう宣言した次の瞬間、「ゴフッ」彼女は口から大量の血を吐き、絶命した。「どういうことだ?」唐突に自ら命を断ったクアットロ。その死体を横たえて疑問を口にするソルにクイーンが応える。<心臓が潰れています。自決用に心臓を破壊する装置が予め組み込まれていて、それが作動し……>と、そこで言葉を途中で止めてから、クイーンはあることに気付く。<!? マスター!! 大量のレリックの反応と共にジュエルシードの反応が!! このままでは危険――>慌てて警告を発するクイーンの言葉を遮る形で視界を眩い光が埋め尽くし、それと同時にゆりかごは大爆発を引き起こして消滅した。「ひゃーーーっっはははははははーーーーーーっ!! こんなに上手くいくなんて最っっっ高に笑えるわ!!!」砂嵐しか映さなくなった空間モニターを前にして、“本物の”クアットロは両腕を大きく広げ、クラナガンの端に位置するオンボロアパート――空き家に不法侵入しているので住居侵入罪――の天井を仰ぎ見るように仰け反ってゲラゲラ笑う。「バーカバーカブワァーカ! 誰がお前みたいな化け物を相手にまともに戦うか! あっさり騙されてくれちゃって張り合い無さ過ぎなんだよ!!」何も映し出さなくなったモニターに指差しながら罵り、嘲笑し続ける。クアットロがしたことは酷く簡単なことだ。まず予め、こうなることを随分前から予想していたので準備していた自身のクローンの心臓に細工をし、任意のタイミングで心臓が潰れて死ぬようにしておく。そして、心臓が止まったらゆりかごに自爆装置として設置した全てのレリックとジュエルシードが励起状態に移行して爆発するという仕掛けを施す。クローンは自身がコピーであるということを知らない。本物のクアットロにとっては生贄であり、操り人形でもあるコピーに真実を教えてやる必要は無い。ただ、使い勝手が良いように少し脳を弄った。こちらから送信される命令を自分自身が思考した結果だと思うように。後はゆりかごが眠る地から遠く離れたクラナガンで、空き家になっていたオンボロアパート(不法侵入)で、ジュース片手に経過を見守りながら命令していただけ。今までのことは全部が嘘。何もかもがブラフだったのだ。本当ならソルが白天王を倒しゆりかごに突入した時点で自爆スイッチを押してしまいたい衝動に駆られたが、念には念を入れ確実に殺し切る為に、設置した自爆装置の爆心地に――ゆりかごのコントロールルームまでやって来るのを待った。死ぬ前の刹那に垣間見える間抜け面を拝む為でもあったが。ソルの抹殺には成功したが、欲を言えば後顧の憂いを断つ為に他の“背徳の炎”の連中やDust Strikers、更には自分を裏切った他のナンバーズ共も纏めて消滅させてやりたかった。まさかたった一人で乗り込んでくるとは思っていなかっただけに、残念である。「まあ、いいかしらん~。ゆりかごと一緒にソル=バッドガイは死んだし~、私もこれで死んだってことになった筈だから追っ手の心配も無いし~」顔と名前を変えて他の次元世界に高飛びすればもう何も恐れるものはない。笑いが止まらないのは仕方が無いことだ。「クアットロの完全勝利!!」勝利という名の美酒に酔いしれるクアットロだった。キミも知ってるだろう。マスターゴーストを顕現した状態のマスターっていうのは、その人物の意思を世界に反映させ、実際に行動を起こす為のインターフェイスでしかない。つまり、虚数に干渉する手段として召喚されるサーヴァントとあまり扱いは変わらないんだ。マスターゴーストにとってはね。だから、初めてサーヴァントを召喚した時に誰もが思う。『召喚されているのはこっち』って。キミもそうだっただろ?マスターゴーストが魂の本体である以上、所詮マスターはあくまでマスターゴーストを依り代にして召喚された一体のサーヴァントでしかないんだよ。違いがあるとすれば、マスターはマスターゴーストの分身、ってところかな。倒されればサーヴァント同様、マスターゴーストに還る。“バックヤード”を介してね。そして時間を置けば改めてマスターゴーストによって召喚される、というのが一連の流れさ。まあ『鶏が先か、卵が先か』は置いといて。サーヴァントを召喚する為に必要なエネルギー、マナについてどう考えてる?生命の根源的な力? うん、間違ってないよ。なら、それは元々誰のものか気付いているかい?そう、土地だ。土地を支配することによってマナを得る。じゃあ、その土地っていうのはもっと広義的な意味で何だと思う?母なる大地、ひいては星と言い換えてもいい。キミはガイア理論を信じるかな? 僕は信じてる。人々が暮らす世界とは生命そのものであり、僕達は大きな命を宿主とする小さな命だ。マスターゴーストが土地を支配してマナを得るっていうのは、一時的にだけど、魂が星と繋がることによって命を共有することと同じなんだ。人間の小っぽけな命と比べて星の命は膨大だから、“バックヤードの力”の持ち主はマナさえあれば絶大な力を振るうことが出来る。僕にとって星っていうのは、全ての命を生み出し、育んだ『神』さ。勿論これは僕が勝手に思ってるだけで、実際は違うかもしれないと前置きをさせてもらうよ。常に無慈悲で、無情で、けど誰よりも命を愛し慈しむ、そんな存在。これまで続いてきたこの世のありとあらゆる生命の営みも、進化も、滅亡も、全て星の下に行われてきた。そして、そんな『神』と一時的に融合を果たしているキミは、この程度で死にはしない。マスターゴーストが破壊されない限り、ね。まあ、魂の分身たるマスターが何度も倒されると、その度にマスターゴーストが身を削ってマスターを召喚することになるから流石にダメだけど、一度や二度なら大丈夫だっていうのはキミも知っての通り。……さあ、そろそろ行って。もう休憩はお終いだよ。キミは、キミが成さなければならないことを、思いのままに成してくれ。フレデリック。僕の、大切な――Open the GATE.Summon.「何がそんなに可笑しいんだ?」「へ……?」先程ゆりかご内にてコピーが受けたものと全く同じ問いを投げられる。此処には居ない、そもそもこの世には既に存在しない筈の人物から。まさか? そんな筈はない、あり得ない! これまで苦心して集めたレリックとジュエルシードを全て励起させてゆりかごごと吹き飛ばしたというのに!?だったら背後から聞こえてきた声は一体何だ? 誰の声だ?そうだこれは幻聴だ。きっとそうに違いない。疲れが溜まっていて、張り詰めていた緊張が切れた拍子に聞こえてしまった幻聴に決まっている。うん、振り向いて確かめてみればそれが正しかったことが証明される筈。ゴクリと生唾を飲み込み、早鐘が鳴るようにドクンドクンとうるさい胸の鼓動を抑えるように手を添え、全身に脂汗をかきながら、ゆっくり、ゆっくりと背後へ振り返り、「覚悟は出来てんだろうな?」薄暗い部屋の中、指の関節をゴキゴキ鳴らし殺気を滲ませる紅蓮の狩人を確認した。「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!??」鳥を絞め殺す時に聞く断末魔の叫びにも似た悲鳴にソルは顔を顰め、必死に遠ざかろうとするクアットロに向かって踏み込み、手を伸ばして首を掴み高く掲げる。「黙れ。あんまりうるせぇとマジで殺すぞ」そのまま背後に向かって振りかぶり、壁に投げつけた。破砕音を生み出しながら壁をぶち抜き隣の部屋に移動するクアットロ。出来上がった壁の穴に長身を折って潜り追いかける。その際、床に眼鏡が転がっているのを見つけた。どうやら壁をぶち抜いた時に彼女から外れたのだろう。とりあえずフレームもレンズも原型が残らないくらいに強く踏み潰し、粉々にしておく。「なんで? なんで? なんで? なんで!!」あまりの恐怖に表情を歪ませ、パニックになりながら喚くクアットロに、ソルはゴミを見るような眼差しで口を開く。「テメェと同じことをしたまでだ」「!?」その言葉を聞き、漸く理解に及んだのか彼女はハッとなった。「死んでも構わない自身のコピー、むしろ死ぬことを前提に用意したダミー……お互い用意周到だな」フン、とつまらなそうに鼻を鳴らす。初めからソルは予測していたのだ。孤立したクアットロが追い詰められたらどうなるかを。それ故になのは達を引き連れず、単身で、過剰戦力と分かっていながらあえて“バックヤードの力”を駆使して戦った。投降したスカリエッティ達がレリックやジュエルシードを持っていなかった時点で、残ったクアットロがそれを利用しない訳が無いのは、少し考えれば誰でも分かる。そして、罠と分かっていながら地雷を踏み抜く。マスターゴーストさえ無事ならマスターやサーヴァントが死のうが後はどうとでもなるのは、初めて“バックヤードの力”を手にしイズナに手解きを受けた頃から知っていた事実だ。だからマスターゴーストを顕現した瞬間、その周囲の空間だけ切り取り、空間と空間の位相をズラしておく。それだけで、たとえ眼の前にあるように見えても全く別の異空間に存在することになるから、外部からのダメージは一切被らない。マスターゴーストに攻撃を出来ないということは、ソルの本体を殺せないのと同義語。この方法は廃棄区画の一戦で、はやてがディエチの砲撃を食らいそうになった時のことを参考にしたのである。あの時も、はやての位置をすぐに特定出来なかったが故にソルとアインは救援に向かえなかった。結局ザフィーラがその身を犠牲にしてなんとかしてくれだが。「どうして、此処が、分かったの……?」次に来るであろう質問を知っていたかのように、淀みない動きでソルはあるものを懐から取り出し、クアットロに放る。それはアルピーノ親子が装着していたグローブ、もといブーストデバイスだ。「送受信機だろ、それ? お前の命令を受け、情報を逐一送信する為の。いくつかダミーの回線を経由してたが、急拵えの粗悪なシステムで俺から逃げ切れると思うな」クアットロの顔が思わず、しまった! という顔になったのを見て、詰めが甘いんだよと呟く。スカリエッティ達がDust Strikersに投降してから今に至るまで、僅か二十四時間前後しか時間が経過していないので、ある意味では急拵えでも用意出来たことを褒めるべきかもしれない。生贄となったクローンは流石に一日で用意するのは不可能なので、こういうことを想定して以前から用意していたのであろうが。まあ、そんなことはどうでもいい。「テメェには言っておかなきゃならねぇことがある」今まで溜め込んでいた怒りと憎悪を全身に漲らせ、真紅の眼に殺意を迸らせながら無造作にクアットロの襟首を掴み上げ、引き寄せ、至近距離で激情をぶつける。「確かに『俺達』は生体兵器だ。何かの目的の為に、何らかの意図によって作られた。それは事実だ。否定したくても出来ねぇよ。 だがな、『俺達』は戦争や政治の道具として生まれたくて生まれた訳でも無ければ、誰かの代わりでもねぇし、使い捨ての利く便利な駒でもねぇ!! それをよく理解した上で、豚箱の中で一生反省してろっ!!!」――ドンッ!!炎を纏った右の拳がクアットロの腹部にめり込むと同時に、人間から決して発生してはいけないと思わせる重低音が室内に響いた。「タイラン――」衝撃で身体が浮き上がった標的に狙いを定め、一瞬背中が前から見えるくらいに大きく、かつ素早く振りかぶると、右足を軸にして腰を回転させ、顔面目掛けて左の拳を打ち込んだ。「レイブッ!!!」爆炎を伴った左のストレートパンチは寸分違わずクアットロの顔面にジャストミート。その身体が紅蓮の炎に呑み込まれた瞬間、炎の渦は熱と衝撃を周囲に振り撒くようにして爆裂し、クアットロを焼き焦がしながら吹き飛ばし、オンボロアパートの壁をいくつもぶち抜き、建物の外へ放り出すと、綺麗に舗装されたアスファルトの上に叩きつけてから、暫く転がり続けて漸く止まった。「その汚い面を二度と俺の前に晒すんじゃねぇ、このクソアマが」聞こえてないと分かっていたが、そう吐き捨てずにはいられないソルだった。<そういえば>「あ?」<私とマスターって一度死んだことになってるんですよね?>「マスターゴーストが破壊されてない以上、厳密にはその分身が死んだってことになるが、まあその通りだ。ちゃんと臨死体験もしたしな。死んでる間、もうとっくの昔に死んだ奴が出てきやがった」<私の場合、綺麗な川を渡りました。死神を自称する女の子が船頭している小舟に乗って。もしかしなくてもあれが三途の川と呼ばれるものなのでしょうか……デバイスなのに>「マジか?」<で、向こう岸に到着したと思ったら、何処からともなく赤い髪をした女性が現れましてね。その女性が私を握り締めたかと思ったら、ぶん投げられて、元居た岸に戻されました>「赤い髪の、女?」<対岸に放り投げた私に向かって『フレデリックのことよろしくねー♪』と言い残すと消えてしまいました。それから気が付けばいつものようにマスターと共に>「……」<あの、マスター?>「もっかい死んでくる」<何言ってんですか!?>「おかしいだろ? 普通逆だろ? なんで俺にはあのクソ野郎が来て、クイーンにはアリアが来んだよ!? しかも訊いてもいねぇ講釈をべらべらべらべら……チェンジだチャンジ、やり直しを要求する!!」<馬鹿なことを言わないでくだ、あ! 何封炎剣で腹を掻っ捌こうとしてんですか!? させませんよ!!>「大丈夫だ、イズナの話だと、この状態の俺はあと二回くらいなら死ねるらしい」<決め顔でそんなこと言ってもダメなもんはダメに決まってるでしょ!?>「うるせぇぇ! こんなの納得出来て堪るかクソッタレ、俺もその川渡らせろ、ズリーんだよお前だけ!!」<いい年こいてデバイスに嫉妬なんてみっともないからやめてください! 戦場になった土地にマナを還元して元に戻す作業がまだ残ってるじゃないですか! 核兵器落としたみたいになってる筈だから、とっとと行かないと夜が明けますよ!!>「畜生っ……!!」結局作業は夜明けになるまで終わらず、ソルはクイーンに文句を言い、クイーンもソルに苦言を呈する破目になる。が、その時に眼にした朝焼けがやけに眩しくて、全てがどうでも思えるくらいにとても美しかったので、主とデバイスはそれで善しとし、家路に着いた。背徳の炎と魔法少女StrikerS Beat35 Keep The Flag Flyingそんなこんなで月日は流れ――新暦75年9月12日、地上本部公開意見陳述会当日。カリムは自身の執務室で、デスクに突っ伏すようにして頭を抱えていた。「……まさか、こんな形で預言が的中するなんて……」恨みがましい口調で呟き、ドンヨリとした眼差しでデスクの上に鎮座している羊皮紙の束に眼を向けた。分かるようで分からん内容しか知ることが出来ない、曖昧模糊としたレアスキルなら、いっそのこと要らなかったと思う。何故なら、正しく意味を理解したのはつい最近のことなのだ。あまりにも遅過ぎて笑えてくる。「今更不満ですか? 騎士カリム」お盆の上にティーセットを載せた修道服姿のシャッハが現れ、紅茶を用意しながら苦笑。「シャッハ、私は別に不満がある訳では無いのよ。ソル様や他の皆様のお気持ちは多少なりとも理解しましたし、最高評議会と現在の地上本部が間違っているのは確かです」「ならいいじゃないですか」「だからと言って、これから私達が実行するであろう計画が必ずしも良い結果に繋がるという証拠がある訳でも無いのです」「それは皆様も承知の上で決めたことではないですか」「しかしですね――」「そんなに不安があるんだったら先輩の味方について最後まで徹底して反対すればよかったじゃないの? カリム」シャッハに反論しようとするカリムの言葉を遮るようにして、いつの間にやらヴェロッサが登場。カリムの為に用意された紅茶に勝手に手を伸ばそうとしてシャッハに「それはあなたのじゃありません」と頭をお盆で引っ叩かれる。床にキスしているヴェロッサを尻目にシャッハはカリムに向き直った。「ロッサの言い分はもっともです。何故あの時、ソル様と同じ反対側に回らなかったのですか?」問われ、カリムは俯くと恥ずかしそうに若干頬を染め、聞き取るには苦労するくらいに小さな声で答える。「あの時はその、私も管理局に対して憤っていたというか、これ以上アルピーノ母子や騎士ゼスト、ナンバーズの方々のような人を増やしてはいけないと……」「その場のノリと勢いでイケイケ状態だった訳だ」復活したヴェロッサが立ち上がって言うと、そうですと言わんばかりにコクリと頷くカリム。「それに、まさかクロノ提督が預言に出てくる“黒き守護者”だとはあの場で気付きもしませんでしたから」要はそういうことだ。『罪深き業を背負いし太陽が照らす、旧い結晶と無限の欲望が交わる地 死せる王の下、聖地より彼の翼が蘇る 死者達は踊り、中つ大地の法の塔は虚しく焼け落ち それを先駆けに数多の海を守る法の船は砕け落ちる 運命の歯車が王の宿命を噛み砕き 大海へと続く剥き出しの魂が謡い、大いなる生命と繋がる時 暗黒の空に幾千もの篝火が掲げられ、朝日と共に彼の翼は空へと消え行く 法の塔は道標を失い旧き秩序の夜が明け、死者達の悲願は叶い混沌の日の出が訪れ 黒き守護者が混迷を撒き散らし、常世は人の業を知る』これまで得た情報、起こった出来事、そしてこれから自分達が行おうとしていることを全て纏めると、まさに預言通りと言える。「反対してる訳では無いんですよ? 繰り返しますけど本当です。ただ、不安なんです。ソル様だってそう仰っていたでしょう、クロノ提督が発案した計画が上手くいったとしても、これまでよりもずっと大変になるだけだって」「『闇に葬る真実もある』だっけ? 先輩ってたまに凄く格好良いこと言うよね」「感心している場合じゃありませんよロッサ」能天気な態度を取る義理の弟に、義理の姉は深い溜息を吐く。そんな煮え切らないカリムにシャッハは少し厳しい表情を作って進言した。「しかし、クロノ提督の言い分もある意味正しいのでは? 正義と秩序を重んじ、弱きを救い、危険なロストロギアを“正しく”管理すべき管理局が人知れず自ら守るべき法を破り、罪を犯していた。だからこそ白日の下に晒すべきなのだ、というのは間違っていないと私は考えます」クロノが言い出したことは、最高評議会及び違法研究を裏で容認していた連中を根こそぎとっちめることである。やろうとしていることはとても良いことだと思うのだが、いかんせん多々問題があった。「けれど、もう少し穏便に出来なかったのでしょうか?」「もう今更無理ですよ。ウチの騎士達も含めて誰もがやる気に満ちてますから。当然私もです。準備も整っています。そろそろ出発の時間ですので、この紅茶を飲んだら覚悟を決めてください騎士カリム……いえ」ゴホン、と一つ咳払いしてシャッハは言い直した。「管理局粛清組織“Dust Strikers”、その本局襲撃部隊第二部隊長、カリム・グラシア様」時刻は午後四時。地上本部では当初の予定より一時間遅れる形で公開意見陳述会が開始されている。マスメディアにはその理由が知らされていないことだが、陳述会に参加する筈だった一部の高官や警備を担う筈の魔導師達が、当日になって姿を現さないという事態に陥ったからだ。そして、姿を消した者達は全て此処、Dust Strikersに集結していた。ソルは建物の屋上で、鉄柵に背を預けるようにして曇り空を見上げながら缶コーヒーを啜っている。格好はいつもの聖騎士団の制服に模したバリアジャケット。隣ではクロノも同様に缶コーヒーを啜っている。格好もソルと同じバリアジャケット。子どもの頃から何一つ変わらない、黒一色だ。屋上には二人だけ。他には誰も居ない。「タバコ、もう吸わないのか?」「解禁日は一日だけだ。臭いって文句言われてまで吸い続ける気は無ぇよ」クロノが発した疑問にソルは若干残念そうに応答。「世界中のタバコをやめたくてもやめられない喫煙者に聞かせてやりたいセリフだな」「今日、この後言ったらどうだ?」「そうするよ」軽口を叩き合いながら、二人はほぼ同じタイミングで缶コーヒーを飲み干す。と、クロノがソルに空き缶を手渡し、受け取ったソルは手にした二つの空き缶を火の法力で瞬く間に蒸発させる。「クロノ」「ん?」「本当にこれで良かったのか? 今ならまだ、引き返せるぞ」低く落ち着いた声音で、覚悟の程を問うようなソルの言葉に、クロノは躊躇せず、間を置くことすらせず答えた。「構わない。これが僕の選択だ」「管理局の社会的な信用と地位は失墜することになる」「因果応報、そうだろ?」「反管理局組織やテロリストが一斉に図に乗り始めるぞ。暴動だって発生するかもしれん」「そうなった時の為のDust Strikersさ」いけしゃあしゃあとのたまうクロノの得意顔に、ソルは呆れたように溜息を吐き、仕方が無いと言わんばかりに「やれやれだぜ」と零す。「お前、実はDust Strikers設立前からこうなることを予見してただろ?」「そういう訳じゃ無い。けど、我武者羅に働いてる内にソル達に出会って、人の業の深さを知って、管理局くらいの大きな組織にも隠れた闇があるんじゃないかと考えるようになってから、もし闇を見つけた場合どうすればいいのか悩んでいたよ」「……」黙ってクロノの話に耳を傾けながら、ソルは湾岸地区付近故に屋上から見下ろせる海を眺める。曇り空の所為で、快晴ならばいつも鮮やかなマリンブルーを示すそこは濁って見えた。「勘違いしないで欲しいのは、あくまでこれは同じ組織による内部粛清。クーデターじゃないってこと。日本の武士でいう、所謂『切腹』だ」「責任取って自決しろってか。半端無ぇな」「ソル程でもない」「褒めてんのか? 馬鹿にしてんのか? どっちだ?」「管理局は生まれ変わるんだ」不機嫌な声をスルーしてクロノは続ける。「旧い考えに囚われた秩序を一度打ち壊し、新しい体制を整える……次の世代に胸を張ってバトンタッチを出来るように、ね」実に清々しい笑顔でそんなことを言ってくるクロノに対し、ソルはほんの少しだけ感心したように告げた。「良い面構えをするようになったな、クロノ……男になったぜ」一瞬、何を言われたのか分からないとばかりにキョトンとした表情の後、彼は照れ臭そうに自身の頬をかく。そして――「そろそろ行くか。管理局粛清組織“Dust Strikers”、本局襲撃部隊総隊長にして、我らの最高司令官、クロノ・ハラオウン殿」「ああ、始めよう。管理局粛清組織“Dust Strikers”、地上本部強襲部隊総隊長、我らが掲げし罪深き太陽“背徳の炎”、ソル=バッドガイ殿」長ったらしい肩書きをお互いに言い合ってから、二人は同時にデバイスを機動させ、それぞれ手に剣を、杖を持ち、全隊に指示を送る。『“Dust Strikers”出撃する!!』管理局に巣食うゴミを、焼却処分する!!一言後書き次回はSTS編最終話になります。にじふぁんに投稿するのは、もう暫く待ってください。こちらでSTS編を投稿し終えたら、ということでよろしくお願いします。では次回!!追記指摘された誤字を修正しました