三対一、という構図が戦闘で描き出された場合、それを人はどう捉えるだろうか。戦術的にも戦略的にも戦いは数だと言い張る者も居れば、一対一でないのは卑怯だと言う者も居るだろう。では『一』の方が自在に数を増やすことが出来るとすれば?この場合、話の前提である『三対一』という根底の構図が崩れ去る。初めの『三』が持つ数の優位性を覆すのだから。それこそが召喚師と戦うことを意味していた。しかし、数で圧倒的に有利な状況を作り出せることが可能な召喚師でも、相手が大多数だろうとものともしない一騎当千の使い手であったのなら、苦戦は必至だ。現に――「飛竜、一閃っ!!」女剣士の操る紫炎が、召喚した虫とガジェットの混成部隊を食い尽くしていく。「穿て、鋼の軛ぃぃぃぃっ!!」地面から発生した無数の白銀の杭は、次々と召喚魔法陣を貫き、今まさに召喚されたばかりの者達を葬った。歯噛みするメガーヌの心は焦りと苛立ちで激しく波立つ。クイント一人だけならまだまともに戦える筈なのに、こちらが召喚した傍から潰していく二人の”背徳の炎”が非常にうざい。そして、シグナムとザフィーラが作ったメガーヌまでに至る『道』を、クイントが一直線に駆け抜ける。「メガァァァァァァァァヌゥゥゥゥゥゥゥッ!!」まさに蒼い弾丸。高速で放たれるのは速度と体重を合わせた左ストレート。避けれない。そう確信して咄嗟に防御壁を展開するが、彼女の拳はメガーヌの記憶の中にあるものと比べものにならない程重い。力ずくでジリジリと押されていく。両足の踵が路面を抉り、冷や汗が頬を伝う。(なんなのよ、この”力”!?)紫の防御壁にヒビが入り、次の瞬間には砕けたそれごと吹き飛ばされた。自ら後方に跳躍することによって威力を半減させ、ダメージを回避しつつ態勢を整える。何故、何故クイントはレリックウェポンである自分と匹敵するだけのパワーを有している?本来ならばあり得ない筈だ。ゼスト隊が壊滅する前、地上本部内でエースと呼び声が高かったのは事実で近接戦闘のスペシャリストなのは確かであるが、レリックの力を解放した自分が張る障壁を打ち破る程の高い魔力を有していた訳では無い。それでも地上の平均値で言えば高い方ではあったが、此処までではなかった。後衛と前衛というポジション的な相性や、レリックウェポンとしてメガーヌは目覚めて日が浅い、などといった事情を抜きにしても、だ。「クイント……あなた、こんなに強かった?」「ほとんどこの子達のおかげだけど、勿論デバイスの性能だけじゃないわ。ソル達に協力してもらって、何年も時間を掛けて、基礎から全部鍛え直したの……あの日失ったものを取り戻す為に」疑問に答える形で己が装着しているデバイスに一瞬だけ視線をやるクイント。「そう。それは良かったわね」鼻息を荒げて再び召喚魔法陣を展開しようとするが、「召喚なんぞやらせはせん」ザフィーラの静かな声が耳朶を叩き、先程と同様に、いや、それよりも早く白銀の光が地中から発生し、魔法陣を貫く。「ディスペル」右手を突き出す動作と共に追加で紡がれた呪文に従い、召喚魔法それ自体が何らかの作用によって阻害され、構築した術式そのものが崩壊し、発動しようとしていた魔法はキャンセルさせられてしまう。「なっ!? 何をしたの!?」理解の及ばない現象を前にメガーヌはそれを行った張本人に向かって戸惑いを隠せないまま叫ぶ。「簡単なこと。言葉の通り、あなたが発動させようとしていた召喚魔法をディスペルさせてもらった」なんでもないことのように答えるザフィーラにメガーヌはイラついた声を出す。「召喚魔法は転移魔法とはまた違った特殊な術式よ? 当然、普通の魔導師では到底扱えない。だから、そんなこと、既存の魔法技術で出来る訳が――」「しかし、召喚魔法の術式はアクセス不可コードでもなければ、我々が知らない未知の術式でもない。現に今、何度も『視た』。加えて我が家には召喚師が居るから召喚魔法は見慣れている。確かに普通の魔導師では難しいかもしれないが、幸か不幸か我々は誰一人として『普通』ではない『異常者』の集団だ。この程度の異常の一つや二つ、気にしない方が良い」納得出来ない、と表情を歪ませるメガーヌの顔を見て、ザフィーラは冷静な口調のまま油断無く拳を構え直した。メガーヌの立場であればこの反応に無理はない。ディスペルとは、元々ソルが使う法力の中でも特殊な法術に類するもので、簡単に言ってしまえばアンチ法力であり『法力を打ち消す法力』のこと。が、今しがたザフィーラが使ったのは、魔法でもなければ法力でもない。魔法と法力を組み合わせた複合魔法によるディスペルだ。つい先程まで使っていた古代ベルカ式魔法の『鋼の軛』に見た目はよく似ているが、術式構成は全くの別物。魔法がこの世のありとあらゆる物理法則をプログラム化し、干渉・作用することによって結果を生み出す力ならば、法力はこの世の理を内包した上位次元”バックヤード”から『理由』を借りてくることによって事象そのものを顕現する力だ。二つの力は同じ結果をもたらすことが可能でも、その構成理論と過程は全く異なるのだが、複合魔法から成るディスペルの前では魔法であろうと法力であろうと関係が無かった。この複合魔法は文字通りの意味で『打ち消す』つまり『キャンセル』する。もっと具体的に言えば魔法と法力、同時に二つの『術式そのものを使えなくする』。魔法が高度なプログラムであろうと、法力が”バックヤード”から『理由』を借りて事象を顕現させていようと、両者が数学的知識に基づいた術式という基盤によって結果的に現実世界に発生した『事象』であることに変わりはない。魔法と法力の構成理論が違うとはいえ、人間が扱う数字は同じだから、数字そのものをダメにされてしまってはどうしようもない。勿論、何でもかんでも無効化出来る訳では無い。『術式を打ち消すこと』が、『事象を拒絶すること』とイコールではないのだ。プラスマイナス0。あくまで元の状態に戻すだけ。そういう意味では既に起こってしまったことに対してディスペルは何の効果も持たない。例えば、戦闘中のソルの炎にディスペルを使えば炎を消すことは可能だが、炎が発生したことによって燃えてしまったり焦げてしまったりした物を元に戻すことは出来ない。あくまでこれから起こり得るであろうことや、継続中の効果を打ち消すことは出来ても、既に起こってしまった事象による『二次的な結果』には意味が無いのである。メガーヌの召喚魔法で言うならば、召喚魔法陣の効果を『キャンセル』することは出来ても、既に召喚された虫を強制的に送還することは出来ない、ということ。だからこそザフィーラは召喚虫が召喚される前にディスペルを行使したのだ。しかし、所詮という言い方も変だがディスペルも所詮複合魔法に過ぎない。コード(術式)にアクセス(干渉)することによって『事象』(結果)を打ち消す性質上、ディスペルする側の術者が必ず対象のコードを理解していなければならないからだ。アクセス不可であった場合、ディスペルは成功しない。また、何らかのプロテクトが掛けられていた場合、それを突破しなければディスペル成功しない。ついでに、一度ディスペルに成功したとしてもAMFのような持続性は皆無なので、一回こっきりだ。相手が諦めず何度も何度も魔法を使おうとするならばその都度ディスペルを発動させる必要があった。使い勝手が良いかと問われれば、どちらかと言えば良い方なのだが、条件が満たされないと使えない、もしくは使える状況が限られている場合が多いので扱いが難しい術である。まあ、AMFのような持続性を持つ阻害系の術式もあることにはあるが、それを使ってしまうと定められた空間内全ての魔的行為が一定時間敵味方問わず使用不可能となるので、使い勝手はとんでもない程よろしくない。残されるのは純粋な身体能力のみ、という展開が待っているからだ……人外にカテゴライズされる連中はむしろそっちの方が得意、というのも多々居るが、生憎此処は科学と魔法が融合した果てに文明を築き上げているミッドチルダ……人外の連中はお呼びではない。特に真祖のダンディー吸血鬼とか。それでも成功すれば望める報酬は大きい。戦闘中であれば尚更で、こんな真似が出来てしまうからこそ”背徳の炎”は異常者の集団として悪名高い。そして、たとえ一度限りであろうと敵を一瞬でも無力化してしまえば、その隙を突けば良いだけの話。改めて自分達の非常識っぷりを確認しつつ、シグナムは一つ疑問に思う。ザフィーラはいつの間に複合魔法を使えるようになった?複合魔法は扱いがとても難しい。ソルのように法力をある程度使いこなせる腕前があった上で、魔法行使が上手くないといけない。確かに、自分達はソルの故郷にて出会った友人達(特にDr,パラダイム)の師事を受け、ある程度のレベルまでなら問題無く法力を使えるようになっている。だが、法力が使えるようになったからといって複合魔法が使えるようになった訳では無い。この段階から更に二つの異なる『魔法』を掛け合わせなければいけないからだ。結果が同じでも、術式が違えば過程も違う法力と魔法。この二つを上手い具合に融合させて一つの技術に昇華させることが、どれ程難しいかシグナムは身を以って知っていた。そもそも法力はプログラム化された魔法と違って、”バックヤード”という意味不明な情報世界――所謂ハードにアクセスすることによって初めて行使可能なソフトのようなもの。似てるような気がしないでもないが実際は全然違うもので、法力自体が魔法と比べて段違いに扱いが難しい。だから、なんとか法力を使えるようになってもそこから先になかなか進めない、というのが実情である。ソルとアイン、エリオとツヴァイの既に複合魔法を使える四人を抜けば、法力を上手く使える順番は一番がユーノとシャマル、次がヴィータとアルフ、その後から遅れてフェイトが続き、そのすぐ後ろに他の連中がどっこいどっこいで並ぶ。ちなみにシグナムは下から数えた方が早い。ユーノ、シャマルの二人が上位に来る理由として挙げられるのは、術式構成や魔力のコントロールが卓越している点だ。ヴィータも古代ベルカ式であるにも関わらず万能型に位置する――つまり他のベルカ式と比べて器用で繊細な魔力行使が可能。アルフも補助型として申し分無い実力を持っていて、フェイトも攻撃に偏りがちではあるが一応、一応万能型(かなり怪しいが)。そいつらと比べて他の面子の適性は、遠距離攻撃に特化していたり、防御に特化していたり、接近戦に特化していたりと一能突出だ。つまり、補助型や万能型のように器用じゃない――それしか出来ない、という訳では無いが。故に、ザフィーラも自分と同じように複合魔法は使えない筈なのだが……使えるようになったというのであれば、それはザフィーラの努力が実を結んだということを示し賞賛すべきことになる。しかし、彼は今の今までそんな素振りなど一切見せていない。シグナムは現時点で初めて知ったのだ。彼に限ってそんなことは無いと思うが、まさか使えるようになってからこれまでずっと黙っていたのか?だとしたら何故黙る必要がある? ”背徳の炎”の面子にとって法力や複合魔法を自由自在に操れることはある種のステータス。隠し立てするようなことではない。「終わりよ」そんな彼女の拭えない疑問を他所に、一気に間合いを詰めたクイントがメガーヌの眼前で拳を突き出した状態で宣言した。「……」だというのに、メガーヌは怯むどころか嘲るように口角を吊り上げるだけ。背徳の炎と魔法少女StrikerS Beat23 The Irony Of Chaste PATH Bアインの指示に従い防衛ラインに到着したフェイトとはやては、早速ガジェットの掃除をしていたのだが。「……増援が多過ぎる」はやてと背中合わせになった状態でフェイトが苦虫を噛み潰した表情で言う。「しかもこの感覚、前に……」「幻影と実機の構成編隊やな」マップに表示された敵の数を確認しながら応じるはやての言う通り、ガジェットの群れは幻影と実機が入り乱れている。撃破してもキリがない。しかも幻影と実機の判別が出来ない。円形状のバリアを張り、ミサイルの集中攻撃を防ぎながら二人は話し合う。「はやて。これって私達を此処から動けないようにする為の引き付けだよね? これだけ派手な引き付けする理由は、何だと思う?」「レリックか、保護した子どもか、もしくは他の何かが目的か、この中のどれかだと思うんやけど正直分からん」「私達を他のフォローに行かせない為、とかかな?」「あり得る話や。けど私は、私達の誰でもいいから本気を出させることが目的やないかって考えとる」「本気って、フルドライブ?」どうして? と促すフェイトにはやては疲れたような口調で答えた。「ヴィータが前に見せちゃった、アレや」「ああ。なんちゃってドラゴンインストール?」「そ。敵がソルくんのドラゴンインストールを参考にレリックウェポンを作ったなら、ソルくんの力の一端を持っとるヴィータに興味を示す筈や。それから、ヴィータがなんちゃってドライン使えるんなら、他の皆も使えるかもしれないと考えるのは自然の流れやからな」なのはは十五年、子ども達を抜いた他の面子は十年、ソルの魔力供給を受けて現在に至る。皆、元々高い魔力資質を持っていたが、ギア細胞からもたらされるエネルギーはリンカーコアを肥大化させ、更なる力を与えていた。無から有を生み出す『魔法』。無限のエネルギーを生産する超自然的な力の制御法。事象を顕現する力。これらの総称が法力であり、法力の応用技術から構成されたのがギア細胞だ。そのギア細胞の恩恵を受け続けた結果が、ヴィータのなんちゃってドラゴンインストールであり、これは子ども達を抜いた全員が使えるスキルの一種で、リミットブレイクと呼称しても過言ではない。「私ら、遺伝子学的にも生物学的にもまだ一応人間やけど、法力学から見たら半分ギアや……ギアの、ソルくんの力を手にした人間やもん」「魔力の侵蝕……止まらないしね」「止まらないっちゅーより、誰も止める気無いのが正解にして原因やな。止めようと思えばいつでも止められるんやけど、人外の領域に片足突っ込んどる状態でそんなん気付いても今更やったし」彼と共に行ける所まで行こう、と考えていた。たとえ結果的に人を辞めることになったとしても。「いつの間にか人間の知り合いよりも、人外の知り合いの方が仲良い人多いしね」フェイトの意見に同意するようにはやてが頷き、遠い眼になる。「そういや、ガニメデに住んでる皆は今頃どないしとるやろ」「私達と違って毎日のんびり暮らしてる筈だよ」「それはそうなんやけど、ゲロッパとバウワーがボーンバイターに食われるのが習慣になっとるから心配なんや。昨日と今日で数が違う時あるんやもん、あの子達。あの日常がのんびりしていると安心すべきなのか、習慣的に共食いが行われる光景に危機的状況と悲観すべきなのかどっちか分からんし、捕食行為は本能的な行動やから何度注意しても同胞食いを辞めさせられん」「ドクターも手を焼いているって愚痴ってたね、そう言えば」そんな雑談を織り交ぜながらも、二人はマルチタスクを用いて戦況をどのように打破しようか思考を続けた。ちなみに雑談がガニメデ群島に住むギア達から、黄泉比良坂に住む妖怪達、果ては吸血鬼などの異種にまで及んだ。人間が一切出てこない交友関係を馬鹿にしてはいけない。人だろうが人じゃなかろうが彼女達にとっては全く関係が無く、大切な友達なのだから。「考えてもしゃあないな。私が全部纏めて殲滅するわ。このままちまちまやってても防衛ライン突破されない自信あるけど、今のやり方じゃ埒が開かんやろ」広域殲滅型の意地を見せてやる、という風に笑みを浮かべるはやて。「ソルに最初からそうしろとか言われそう」「いや、それは無いやろ。廃棄区画とはいえ、街が近くにあるし」「……そうだね。随分前にはやてが広域空間攻撃やった時って、確か制御が碌に利かなくて――」「やめてっ! 言わんといて! なんちゃってドライン状態でフルドライブしたらどんなもんか試した時の話はトラウマになっとるから思い出させんといてっ!!」フェイトの言葉を必死になって遮るはやてがシュベルトクロイツを持ったまま頭を抱える。荒廃した無人世界で試した為、人的被害は一切出なかったが、アイン曰く当時の光景を端的に示すと『暴発して制御し切れていないガンマレイ』だそうだ。「他にも、局所的に氷河期を到来させたり」「そんなこと言い始めたらフェイトちゃんだって雷の雨降らして辺り一面黒焦げにしたことあったやないかっ!?」「クレーター作った数ならはやてに負けるよ!! 黙ってたってバレてるんだからね、アグスタで大きなクレーター作って、後でソルに小言言われたこと」「ぐっ、何故それを!?」反撃を容易くいなされ、驚きで眼を見開くはやてに対してフェイトが勝ち誇った瞬間、二人に怒声が響く。『やるんだったらさっさとやれっ!!!』ソルからの通信だ。「うわっ、ビックリした」「ええの? 久々やから、はやてちゃん張り切っちゃうで?」『お前が張り切ると街規模で何かが消し飛ぶから胃に穴が空きそうな程不安だが、小手先の攻撃じゃ埒が開かねぇってのには俺も同意見だ』不本意なソルの物言いにはやては少しばかり不満そうに頬を膨らませていると、続いてアインの声が届いた。『主はやて、サポートします。殲滅魔法発動の為に、これから指定するポイントまで移動を。フェイトは範囲外に退避を』「了解」「分かった」二人は指示に従い、二手に分かれる。その間際に、周囲を旋回していたガジェットの群れを消し飛ばしておく。フェイトはそのままガジェットを破壊しながら廃棄区画へと向かい、はやては垂直に上昇していく。『オイはやて。廃棄区画にはまだ他の連中が居るからな。そいつら纏めて吹っ飛ばすなよ? 絶対に吹っ飛ばすなよ!?』指定されたポイント――雲の上――まで移動中、ソルが念を押すように注意してきた。「分かっとるよ。幻影も実機もそんなの関係無い、全力全開で皆纏めて吹っ飛ばす、そうやろ?」『……全力は要らん。ある程度加減しろ、加減』「アイン、照準よろしく。私一人じゃ精密コントロールとか遠距離サイティングとかどうも苦手で」『それらに関しては私達に全てお任せを。シャーリー』『はい、サイティングサポートシステム、準備完了です。シュベルトクロイツとのシンクロ誤差、調整終了』アインの声にシャーリーが応じると、はやての眼の前に空間ディスプレイがいくつも浮かび上がり、様々な情報が表示される。それらに眼を通しながら、はやては首をゆっくり回してコキコキと音を立て、気合を入れ直す。左手に持った夜天の魔導書が独りでに開き、パラパラとページを捲り、あるページで止まった。『準備完了です』『いつでも行けます、主はやて』GOサインが出たので彼女は一言「おおきにな」と告げて、空間ディスプレイを一時的に消し、右手の杖――シュベルトクロイツを高く掲げる。「ほな、派手に行こか」「アイゼン!」<ギガントフォーム>声に応じたデバイスが変形し、巨大な鉄槌となる。「おおおんどりゃあああああっ!!」真紅の輝きを箒星のように従えて、ヴィータは上空から地表に向かってダイブし、落下と飛行を合わせつつ、地面に向かって相棒を振り下ろす。舗装されなくなって久しい廃棄区画の路面が、完膚無きまでに破壊尽くされ、大地に巨大な穴が空く。先が見えない暗闇は地下水路へと続く道。その中へ彼女は躊躇無く飛び込みながら、視界の端に空間ディスプレイを表示した。これはマップだ。自分の現在位置を確認しつつ、フォローすべきティアナ達の元へと向かう為の道標。「もうあっちこっちで戦闘が始まってるみてーだな」独り言を呟いて更に速度を上げ、邪魔な壁をアイゼンで粉砕して暗闇を突き進む。ティアナ達三人のデバイスから送られてくる情報によると、地下水路内の十字路という限定された空間での戦闘は、戦闘機人もティアナ達も狭過ぎて上手く動けず、また実力も拮抗している為、膠着状態となっているらしい。無理もない話だ。両者共に目的地が同じ。隙を突いて先行すれば背後から狙われる、先を越されればそのまま振り切られる可能性が出てくる。だからこそ互いが互いに相手を潰してから先に進もうとしているのだ。早いとこフォローしてあげなければ。未だに姿を見せないゼストの動向も気になる。彼が何を目的で動いているのかさっぱり分からないヴィータであったが、今度こそ仕留めてやるつもりである。マップをもう一度確認すると、あと十秒も経たぬ内に戦闘中の十字路に到着する筈。アイゼンを構え直し、ゆっくり振りかぶってから、邪魔な壁に思いっ切り振り下ろす。耳障りな破砕音と共に突っ込み、叫ぶ。「アタシ参上! ギガントハンマァァァァァァッッ!!」小さな切欠を作り出したのはスバルである。自分と相対する自分とそっくりの顔を持つ少女、ノーヴェとの接近戦の末、猛攻を凌ぎつつ小さな隙を縫って懐に潜り込み、左のボディブローを彼女の脇腹に突き刺した。「ぐっ」くぐもった声が狭い地下水路に響くのを聞き流し、もう一発同じ所にぶち込む。左のダブルだ。苦悶に表情を歪めるノーヴェ。その身体が『く』の字に折れ、体勢が崩れる。低くなった頭部を狙って右を振りかぶり、「がはぁっ!?」咄嗟に頭部を守ろうと両腕で頭を庇ったノーヴェを欺く形で、更にもう一発、渾身の左ボディブローをくれてやった。左のトリプルが最初からスバルの狙い。先の右は単なるフェイントだ。執拗なボディ攻撃であったが、スバルは実際に模擬戦でこれをソルに散々やられたことがあったのだ。衝撃のあまり両足を僅かに浮き上がらせたノーヴェに対し、今度こそ右を叩き込んでやる。腰を落とし、左足を軸にして、下半身を意識する。一瞬だけ相手に背を見せるようにして身体を捻り、爪先から拳の先まで全身の筋肉を連動させ、集約させた力を右の拳へ。「おおおおりゃあああああああああああああっっ!!」下から上への見事なコンビネーション。右ストレートのフルスイングが鼻っ面に炸裂。水平に飛ぶノーヴェの身体。ついにはバウンドしながら転がって、地下水路の闇の奥へと消える。均衡が漸く崩れた瞬間だった。「ノーヴェ!!」思わず視線をそちらに向けてしまったウェンディにオレンジの魔弾の雨が降り注ぐ。チャンスと見たティアナが弾幕と共にウェンディに接近戦を挑む。自分に向かって真っ直ぐ突っ込んできたティアナの姿に舌打ちしつつ、ライディングボードの先端を向け、周囲にエネルギー弾を生成出来るだけ生成し、一斉発射。オレンジの魔弾とピンクの魔弾の群れがぶつかり合い、光が爆ぜる。その中を走り抜け、両手の銃を双剣に変え、一直線に接近戦の間合いに飛び込んだ。慌ててライディングボードを盾として構えた刹那、正面から迫っていたティアナの姿が、唐突に消える。「!?」まるでこちらに走ってきていた彼女は幻であったかのように。「こっちよ」真横からの声に振り向くと、視界いっぱいに何かが広がっていた。それがティアナの膝だと理解したのは、視界が完璧に真っ暗になった時だった。「寝てなさいっ!!」最大まで身体能力を魔法で引き上げた左の飛び膝蹴りが見事顔面に命中。そのまま飛び膝蹴りの勢いを利用して身体を回転させ、大きく仰け反ったウェンディの脳天目掛けて右の踵を落とす。悲鳴すら上げられず、受身も取れず、地面に叩きつけられるウェンディ。(や、やろうと思えば意外に簡単に出来るじゃない……しかも、なんか知らないけど先生のバンディットリヴォルバーまで)ソルがクロスミラージュの性能テストをしていた時に見せた、オプティックハイドとフェイク・シルエットの併用による接近戦での敵を欺く手段の、その応用をぶっつけ本番で成功したことと、無意識の内にバンディットリヴォルバーを使っていた事実に彼女は内心で驚きつつ、これは使えると実感していた。自身はオプティックハイドで姿を消すのと同時にシルエットを生成してまず敵を視覚的に欺き、シルエットに意識を集中させている間に本体が死角を突く。本来なら、いくら幻術による有効な戦い方であろうと彼女の性格から言って練習もせずにいきなり実戦で試すなど言語道断である。が、戦闘中いつの間にかティアナの脳裏にはソルの言葉が蘇ってきて、その言葉が実行に移させたのだ。――『お前はもっと自分の長所を活かせ』彼は自分の射撃の腕と幻術を、ティアナ・ランスターの長所だと胸を張って言ってくれた。もっと自信を持てと、あの真紅の瞳は無言で語っていた。それだけで試す価値は十分にあった。正直な話、バンディットリヴォルバーまで真似るつもりは毛頭無かったのだが、身体が勝手に動いていたのだ。(とりあえず結果オーライ。感謝します、先生)心の中でそう言って、油断しないように警戒したまま右手側だけ双剣を銃に戻し、仰向けになっているウェンディの様子を窺う。「ノーヴェ、ウェンディ!!」「仲間の心配している余裕があるの?」二人を心配して大声を張り上げたチンクに、ナイフを掻い潜ったギンガが迫る。唸りを上げる左手のリボルバーナックルがチンクのバリアに衝撃を走らせた。「ぐ……!!」耐え切れない、とばかりに後方へ退がったチンクの頭上から、「アタシ参上! ギガントハンマァァァァァァッッ!!」天井を粉砕したヴィータが巨大な鉄槌を振り下ろす。反射的に手をそちらに向け、バリアを張って防ぐチンクではあったが、「……無駄だボケェェェェェェェェェェェェッッッ!!!」そんなもんなど知ったことかとばかりに、これ以上無い程強引に、力ずくで振り抜かれた。音にすればそれは、グシャッ!! という感じである。圧倒的な一撃を前に、チンクは瓦礫と一緒に潰された。「ヴィータさん、タイミングバッチリでしたよ」微笑みつつ親指を立てるギンガ。「まーな。お前ら三人もやるじゃねーか」満更でも無さそうに言って、ヴィータも同じように親指を立てた。と、その時。暗闇の奥からよろよろと頼りない足取りでフラフラしながらノーヴェが姿を現す。「て、てめぇ、よくもチンク姉を……」「ああ?」アイゼンをギガントからハンマーフォムに戻し、肩に担いだ状態で視線だけそちらに向ける。「許さねぇ、許さねぇぞ!!」怒り心頭なノーヴェに対し、ヴィータは「だったら何だよ?」とでも言うように肩を竦め、身体ごと向き直った。「ウェンディ、てめぇもだこの愚図!! いつまでそうやって寝てんだよ!!」「いや~、白状するとこいつらのこと舐めてたっス」声に反応したウェンディがゆっくり上体を起こそうとして、ティアナから見下ろされるようにして銃口を向けられていることに気付き、舌打ちしてその動きを止める。そのことに対してノーヴェは更に「馬鹿が」とウェンディを口汚く罵ると、何処からともなく青い宝石を取り出した。「ジュエルシードッ!?」驚愕するヴィータが思わず眼を大きく見開いた瞬間、誰もがそれに気を取られ、その僅かな隙を狙ってウェンディがティアナを突き飛ばす。「鉄槌の騎士ヴィータ……てめぇは絶対ぶっ殺す!!」「やられてばっかりってのは性に合ってないっスからね~。チンク姉の仇は取らせてもらうっッスよ」立ち上がったウェンディがノーヴェの隣まで移動すると、同様にジュエルシードを取り出し、へらへらした態度でいながらヴィータに激しい怒りをぶつけてくる。「そいつをどうするつもりだ?」視線を二人が持つ青い石に注ぎながら、なんとなく聞かなくても分かることを静かに問いつつアイゼンを構え直し、やや腰を落として臨戦態勢を整えた。問いには答えず、二人は無言のまま己の武装にジュエルシードを填め込む。ノーヴェは足に装着しているジェット・エッジの押し首のスリットに、ウェンディは手にしているライディングボードの持ち手側に。そして、薄暗い地下水路が二人を中心に青い光で満たされていく。巨大な力が溢れ出てくるのを前にして、ヴィータは眉を顰めると三人に念話を送る。『こいつらはアタシが押さえる。その間にお前らはウチのガキ共を連れて帰還しろ』『何を言ってるんですか!? さっきまでならまだしも、ロストロギアを手にした戦闘機人を相手に一人で戦うなんて無茶です。私達も一緒に――』『ソルの命令を無視してでもか!?』反論しようとするスバルの言葉を、有無をも言わせぬ厳しい口調で遮り、続けた。『お前らの今の任務は、戦場に出ちまったエリオ達三人を無事に回収することだ』『でも……』ジュエルシードを手にした今、敵の戦力は未知数だ。ヴィータ一人でなんとかなるかもしれない、スバルの心配は杞憂かもしれない。だが、それでも拭えない嫌な予感というものが胸の内で訴えている。『つーかよ、お前らがアタシの心配するなんて十年早ぇーって。それにアタシには――』ヴィータの全身が紅蓮の魔力光を帯び、青い光を侵食するようにして真紅の光が周囲を埋め尽くす。『こいつがある』「……ドラゴンインストール……いきなり出しやがったな」自分達と同じように莫大な力の波動を放つヴィータの姿を見て、ノーヴェが忌々しそうに呟く。その声を聞いて、咄嗟に「何のことだ?」ととぼけようとしたヴィータであったが、ウェンディの嘲るような宣告を前に無駄だったと悟った。「隠してたみたいっスけど、さっきアタシが知ってること全部喋っちゃったスよ」「ちっ!」あからさまに舌打ちして、思わずチラリとティアナ達三人を窺うヴィータ。ゼストとの戦闘で使ってしまったので、ある程度のことが敵に知られていると覚悟していたが、自分の魔力光とソルの魔力光が同じ色だから誤魔化せると思っていたのは甘かったか。何を吹き込まれたのか知らないが、三人は知ってはいけないことを知ってしまった、と言わんばかりの暗い表情で、それが全てを語っている。これ以上ドラゴンインストールについて知らぬ存ぜぬを通すのは無意味だ。一応、確認の為に聞いておく。「こいつらから何処まで聞いた?」「えっと、先生の細胞がリンカーコアとしての役目を果たしていることと、”背徳の炎”は全員が先生の力をインストールされてることと、先生は、その、ジェイル・スカリエッティが目指す生体兵器の理想像であることの、三点です……」「……もうそこまで見抜いてやがるのか……つーか、ソルが理想像って……どいつもこいつも、マッドな科学者が行き着く果てにはそれ以外のことは無ぇーのかよ!!!」申し訳無さそうに答えるティアナを否定せず、ヴィータは射殺さんばかりに眼の前の戦闘機人を睨む。なるほど。確かにソルが生体兵器の理想像と言われてみれば納得出来る。人の姿を保ったままにも関わらず他の兵器を圧倒する攻撃力を保持し、身体・戦闘能力は全てにおいて完全に人間を凌駕し、生物の限界を超えた法力を放出する、何もかも超越した存在だ……しかも恐ろしいことに、外見が人間である状態では、ギア本来の力の50%も出していない。無限のエネルギーを生産する超自然的な制御法――『法力』の応用技術から成るギア細胞は、無尽蔵にエネルギーを生産し続ける性質上、人間のようなスタミナ切れや魔力切れというものを、基本的には起こさない。当初ギアは人類の進化を目的に制作され、そのプロトタイプとして被験者にされたソルが、人類よりも遥かに優れた生命体であることは当たり前で。ギアの肉体は有史以来誰もが望み、決して手にすることが出来なかった不老不死であり、どんな怪我を負おうとすぐに再生し、老いも病も存在しない。これだけ聞けば、頭でっかちの馬鹿な連中――腐敗臭漂う権力者や脳が膿んだ金持ち、掃き溜めのようなテロリストやイカレた戦争屋、そして死んだ方が良いくらいに頭も心も狂った違法研究者共――は声を揃えて「素晴らしい」と言うだろう。だからこそ、ふざけんな、と思う。ギアが意思を持つ生体兵器なのは事実だ。しかし、たとえその存在そのものが人類の穢れた欲望によって生み出された罪だとしても、彼らは殺戮機械でもなければ戦争の道具でもない。ちゃんとそれぞれ心があって、人と一緒に生きることが出来る”人間”だ。――『ギアは兵器だ。その心さえもな』そんなことはない。それは違う。皆もよく分かっている。もしそうだとしても、言った本人が誰よりも人間らしいことをヴィータはよく知っている。戦う為に生まれた存在だとしても、戦いだけがそいつの人生になる訳では無い、と。我武者羅に生きていれば生きる理由なんて勝手に付いてくる、というのを体現しているのだから。「……兵器なんかじゃねー」脳裏にソルの顔が浮かび上がってきた。その顔はいつもの仏頂面であったり、無表情だったり、呆れているようなものやうんざりしているもの、ニヒルな笑みを浮かべているものだったりと様々で、それが最後に優しく眼を細めた。次に思い出すのはアイン。何やら善からぬことを企んでいる顔から始まり、困った顔、怒った顔、笑った顔や泣いた顔、ソルに甘えている最中の蕩けた顔を経て、やがて最後には母親としての顔が映る。「アイツらは、兵器なんかじゃねー」Dr,パラダイムの仲間にしてガニメデ群島に住むギア達は、本当にギアなのかと疑いたくなる程無邪気に懐いてきた。そんじょそこらの動物園に居る動物よりも人懐っこく、とても可愛らしかったのを思い出す。天真爛漫のシンの笑顔、木陰の君の聖母の笑み、そんな二人を誇らしそうに家族だと胸を張るカイ、尊大な態度でいながら懇切丁寧に法力を師事してくれたDr,パラダイム、その隣で「皆仲良く、友達だで」と笑うイズナに、煙を燻らしつつ「人であろうと人でなかろうと、何一つ変わらんよ」とのたまうスレイヤー。フラッシュバックのように次々と、出会ったギアや人外、その関係者の顔が浮かんでは消えていく。「ソルはアタシの大切な家族で、大事な兄貴だ」ドクン、と心臓が高鳴ると同時にリンカーコアが感情に呼応して力を漲らせた。ヴィータの全身から爆発的な勢いで真紅の輝きが放たれて、ノーヴェとウェンディから発せられる青い光を圧倒し、押し潰し、地下水路を蹂躙する。怒りがマグマのように込み上げてきて捌け口を求めていた。あまりの怒りに全身をブルブルと震わせてしまう。今すぐにでも力を解放して何もかも全て無に還してやりたい。かつて無い破壊衝動に突き動かされ、殺意を迸らせる感情が牙を剥く。端的に言って、ヴィータはキレた。完全に頭に来てしまっていた。ソルのことを、ギアのことを単なる兵器として見ているような言われ方をして、これ以上無い程腹が立ったのだ。何も知らない癖に、アイツが、ギア達がどういう存在か知らない癖に、勝手なことをほざきやがって、と。いや、それだけではない。彼らが心を持たない兵器のような扱いをされると、はやてに出会う前の自分達を思い出してしまい、それが怒りに拍車を掛けていた。長い年月を経て磨耗していき、少しずつ薄れていた忌々しい記憶であるが、当時の生活が辛い過去だったのは変わらない。意思を持たない兵器、戦う為の道具、人間扱いされず、碌に衣食住を与えてもらえなかった。闇の書の守護騎士として主の命に唯々諾々と従い、血塗れになってそれこそ死ぬまで戦い続けた日々。嗚呼、と今更ながらに実感する。ソルがどうして十年前にあれ程まで自分達に肩入れしてくれたのか、よく分かった。彼は、過去のヴィータ達と同じ立場にあった同胞達を狩り殺さなければいけない宿命を背負っていた。が、何も好き好んで同胞殺しをしていた訳では無い。その証拠に、聖戦後の彼は意思を持つ無害なギアを何度も見逃した。ギア消失事件の折ではDr,パラダイムと手を組み、それ以来ギアを殺していない。発露した感情が同情や共感によるものであっても、それらと同じように意思を持つヴォルケンリッターを救いたかったのだろう。だから。――戦うことしか能の無い怪物みたいな言い方しやがって……生体兵器の理想像だと? そんなもん、糞喰らえだ。 ソルを、皆を、アタシらを侮辱して、ただで済むと思うなよ!!「そんなアイツを、アタシの兄貴を――」アイゼンを握る手に力を込め、踏み砕くようにして床を蹴り、「穢らわしい眼で見てんじゃねぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」全身を真紅の光で燃え上がらせながら吶喊した。突然激昂したヴィータが戦闘機人の二人に襲い掛かったのを眼にして、自分達はどうすればいいのか一瞬だけ悩み、すぐさま我を取り戻したティアナがスバルとギンガを促す。「あいつらはヴィータさんに任せて、早くエリオ達の所へ!!」言うが早いか彼女は走り出し、無言で首肯したギンガが続く。巨大な力が複数発生し、更にそれらがぶつかり合っている余波によって地下水路は地震が起きているかのように蠢いている。エリオ達のことも心配だ、それに此処に長居するのは得策ではないし、理由も無ければ出来ることなど無い。なるべく早く離脱するべきだ。「う、うん」そのことを分かっていながら、スバルは頷きつつもなかなか動こうとしない。じっとヴィータの戦う姿を見ていた。「何やってんの馬鹿スバル!!」「行くわよ!!」怒鳴るようなティアナとギンガの声に反応して、漸く戦闘に背を向けて進む。そのまま速度をを上げて二人と並走すると、スバルは躊躇いがちに口を開く。「あのさ」「何よ?」「私、眼が変になったのかな?」「「はあ!?」」唐突に妙なことを言い出すスバルに二人は揃って訝しむようにその顔を覗き込んだ。「アンタ、こんな時に何言ってんの?」「どうしたの、急に」咎めるような口調のティアナと心配げなギンガに対し、スバルはぽつぽつと語り始める。「その、私の見間違いとかだと思うんだけどね……」「……」「……」「今ね、一瞬だけ、戦ってるヴィータさんの後姿が……」「「ヴィータさんが?」」「……ソルさんにダブって見えた」その瞬間、耳を覆いたくなる爆音が響き、背後の通路が崩落した。ティアナ達三人がエリオ達の元へ辿り着いた時まず眼にしたのが、先の地下水路よりも広い空間を縦横無尽に走り回る黒い影と雷光。高速で動くその二つは、交差するように衝突を繰り返しては甲高い金属音を立てる。一見、エリオが同じくらいの強さを持つ敵と互角の勝負を展開していると思いがちだが、そうではない。黒い影から、紫色の液体が尾を引いていた。アグスタで見た虫の体液に酷似している点から、恐らくあの黒い影は召喚師よって召喚された虫なのだろう。そして、ティアナ達が此処に到着する前からとうに限界を迎えていたのか、黒い影が動きを急に止める。それに応じる、というよりは合わせるようにして雷光も動きを止めた。「……うわ」敵ながら哀れだ、とばかりにスバルが思わず漏らす。黒い影――やはり虫で、成人男性と同じくらいの大きさの人型――はボロボロだった。背中の翅はむしられたかのような有様。全身を覆う鎧のような甲殻はあらゆる場所に裂傷が走り、手足から伸びる鉤爪のような武装は悉くヒビが入り今にも折れそうだ。押せば倒れそうな状態にもかかわらず必死になってエリオに刃を向けている。対してエリオは全くの無傷。違いがあるとすれば地下水路に潜る前と比べて見ると、バリアジャケットが返り血で所々紫色に染まっているくらいだろうか。相反する両者の姿が、二人の間に横たわる差を周囲に見せ付ける。「ふ」と、小さな呼気と共にエリオが踏み込み、その姿を閃光に変え姿を消し、次の瞬間には黒い虫の目前に迫っていた。相変わらず速い、と思うよりも早く、彼はストラーダを突き出し叫ぶ。「ビークドライバー!!」雷撃を伴った刺突。黒い影は避けるのを諦め防御に入り、両腕を交差して衝撃に耐える。火花が散り稲妻が迸り視界が明滅する中、エリオは槍を突き出した体勢から高速で黒い虫の側面に回り込むと、袈裟懸けに槍を振るいそのまま身体を回転させて蹴りを叩き込む。斬撃と蹴りをまともに受け、黒い虫は床を滑っていく。それを追うエリオ。追い抜くと同時に振り向きサッカーボールキック。それにより黒い虫を浮き上げてから跳躍と共に雷光伴う斬り上げ。更に空中で追撃の薙ぎ払いを加わえ、横方向に吹っ飛ばす。あまりにも一方的な展開に開いた口が塞がらない。呆気に取られながらキャロとツヴァイの姿を探すと、既に戦闘は終わっていたらしくすぐに見つけることが出来た。三人と同年代くらいの女の子とお人形サイズの女の子を、バインドで簀巻きにした上で、氷柱で形作られた檻に閉じ込めているではないか。横倒しになっている敵の二人は、憎々しげな表情で自分達をこんな目に遭わせた人物を睨んでいるが、全く相手にされていない。檻の前でレリックケースを椅子代わりにして、やたらふてぶてしい態度でペロペロキャンディを舐めているキャロ。その隣で退屈だと言わんばかりに欠伸を噛み殺しながら檻の中を見下ろしているツヴァイ。二人の近くを暇そうに旋回していたフリードがこちらの存在に気付き、「キュクルー」と鳴く。……なんか心配して損した気分だ。とりあえず無事で良かったとティアナが安堵の溜息を吐いた数秒後、黒い虫がエリオの一撃を食らい柱に叩きつけられ、壁に張り付いた標本のようにピクリとも動かなくなった。前回の時と同じように速度を活かした戦法で来るのかと思いきやそうではなく、トーレは悠然とそこに佇むようにして浮いているだけである。何を企んでいる? 疑問に思いつつ様子見の為になのははアクセルシューターを四つ生成して飛ばす。やはりトーレは動かない。余裕の笑みを浮かべるだけだ。そして、桜色をした四つの魔弾が彼女に着弾する寸前になって、パンッ!!安っぽい乾いた音が響き、魔弾が全て四散するようにして霧散した。「……!?」眼を細め、起こった現象がどういうものなのか理解する前にトーレが動く。ライドインパルス、とかいう高速機動。ジュエルシードの青いエネルギー光を伴って瞬時に間合いを詰めると、光り輝くを腕を振るい青い拳を真っ直ぐ突き出してくる。応じるようにしてレイジングハートの穂先にシールドを発生させ、円環魔法陣で攻撃を防ぐ。だが、「はあああああああああああああっ!!」「なっ!」雄叫びと共に突き出された拳が防御壁に触れた瞬間、桜色の光が消え、防御壁もつられるようにして消えてしまい、それだけに留まらず槍の先端に発生している魔力刃すら消失させられた。穂先を失ったレイジングハートとトーレの青い拳が衝突し、「きゃあああ!?」拮抗すらせず純粋に力負けして弾き飛ばされる。それでもなんとか空中で身体を回転させて勢いを殺し、体勢を立て直して反撃のディバインバスターを放つ。巨大な桜色の砲撃がトーレを呑み込まんと迫るが、やはり先程と同じように霧散してしまう。此処に来てなのはは焦り始めた。何だ? 一体何が起こっている? 何故こちらの攻撃が通用しない? 周囲にガジェットも居なければAMFを発動させられている感覚も無い、つまり魔力結合を阻害されている訳でも無い。だというのに、魔法が効かない。いや、これは魔法が効かないというよりも、攻撃魔法がトーレに到達する寸前に無効化されているような感じだ。無効化フィールド? そんな高等な真似が眼の前の戦闘機人に出来るのか? 奴が肉体に取り込んだらしいジュエルシードの恩恵か? だとしたら一体どうやって?分からない。答えが出ない思考の海に意識の一部を割きながら、警戒心を高めてレイジングハートを構え直す。「解せない、という顔をしているな」優勢でいることからくる余裕の態度でトーレが呟く。「……」対するなのはは無言のまま、再度ディバインバスターを放ったが、結果は先と同じだった。「無駄だ。今の私に魔法は効かん」無視して撃つ。撃ちまくる。撃ちながら観察し、状況を打開する為に考える。どうやって敵がこちらの攻撃を無効化しているのか、どうすればダメージを与えられるようになるのか、見極めようと愚直に繰り返す。「……無駄だと言っている」再びトーレが何か言ったような気がしたが、無視した。効かないと分かっていても砲撃をぶちかます。「何度も言わせるな、無駄――」「うるさい黙ってて」呆れたように言葉を紡いでいたトーレを強引に遮るなのは。彼女のそんな態度がトーレの堪忍袋の緒を、プツリと切る。「無駄だと言っているのが分からないのかっ!! この、人の話を聞け、高町なのは!!!」無視され続けることに、ついに頭に来たのかトーレが高速機動を用いて一気に接近。桜色の奔流を抉り込むようにして突き進み、ついになのはを間合いに捉え、レイジングハートの柄を青く光り輝く右手で掴む。「そんなに知りたければ教えてやる。この右腕はジュエルシードで構成されている。そしてジュエルシードが生物の『願い』に呼応して力を与える次元干渉型エネルギー結晶体だというのは知っているだろう!?」鬼のような形相で勝手にネタばらしを始めるトーレに、なのはは全力で睨みつけてやった。「鬱陶しい、それが何だっていうの!?」「つまり、この右腕はジュエルシードの特性を現しているということだっ! こういう風になっ!!」声と共に、なのはが纏っている白を基調としたバリアジャケットが桜色の光に包まれ、霧散し、解除された。「っ!?」一瞬にして服装が事務仕事中の黒スーツに変貌する。それだけではない。空戦魔導師として常に無意識に発動させている飛行魔法ですら、勝手に解除されている。流石にこれには眼を剥いて驚愕し、戦慄してしまう。「次元震や次元断層によって引き起こされる虚数空間と同じだ。一定の範囲内という限定された空間のみだが、全ての魔法をキャンセルする擬似的な虚数空間を生成する。それこそが私の『願い』を叶えたジュエルシードの力、貴様ら”背徳の炎”を倒す為に手に入れた力だっ!!」魔法を使えなくされたなのはは、無造作に伸びてきたトーレの左手が襟首を締め上げるようにして掴んでくるのを防げない。「理解したか? なら、これで終わりだ」次に胸の中央に右拳を叩き込まれ、肋骨がいくつも砕ける音を聞いた刹那、見えない衝撃が全身を襲い、最後には衝撃に弾き飛ばされるようにして近くのビルに突っ込まされてしまう。気が付けば、うつ伏せの状態で瓦礫の中に埋もれていた。「……ぐ、がはっ」こみ上げてきたものに耐え切れず、吐く。ビシャッ、と視界を染めたのは真っ赤な液体だ。折れた肋骨が肺に刺さったらしい。咳き込むようにして何度も血を吐いた。ヒューヒューと呼吸する度に心細い音が喉の奥、肺の中から響いてきた。空気を吸って吐くという一連の動作がとんでもない程難しい。激しい痛みが全身を走り、まともに動かせない。もしかしたら他にも骨折しているかもしれない。指一本動かそうとするだけで激痛が襲ってくる。それでも今この瞬間まで手放さなかったレイジングハートが何か慌てたように騒いでいるが、生憎上手く聞き取れない。致命傷だ。しかも、かなりヤバイ。客観的に見て自分の身体の状態は、最悪死ぬ可能性があった。この時点になって、なのはは漸く己の敗北を悟る。こんなにあっさり、碌に抵抗も出来ず負けてしまうなんて思いもしなかった。虚数空間と同じ、魔法をキャンセルする効果を発生させる力だと?AMFのような魔力結合や魔力効果発生を無効にするどころの話ではない。それ以前の問題として魔法を発動させることが不可能なのだ。攻撃が一切通らなかったのにも納得がいく。トーレに魔法は何一つ効果無いだろう。魔導師である自分にはどうすることも出来ない。ジュエルシードを戦力アップの為に使うとは予想していたが、その上で更にこちらの戦力を削ぎに来るとは思ってなかった。魔導師が力を発揮出来ない状況下で魔導師以上の働きをする、というのが戦闘機人の本来のコンセプトだったか。見誤った。なんて愚か。もっと警戒心を高めていなければならなかったのに。(……くそ……こんな所で、私は立ち止まる訳にはいかないのに……)薄れいく意識を必死に繋ぎとめようとすることだけが、肉体に大ダメージを負ったなのはに出来る唯一の抵抗であった。「ディエチちゃん。どう?」クアットロの問いに、ディエチはこくりと頷いてみせる。「目標までの距離、約1000。遮蔽物も無いし、空気も澄んでる。足場が若干不安定だけど、特に問題は無い」言いつつ、ディエチはクアットロに胡散臭そうな視線を向けて問い返す。「クアットロこそ、通信妨害の準備は大丈夫?」「今完了するわぁ~ん」そんな視線を受け流しながら彼女はフンフンと鼻歌を口ずさみ首からネックレスのように垂らしたジュエルシードを片手で握り、もう片方の手で眼前の空間ディスプレイとコンソールを叩く。「……っと、これでよし。今から約一分間、此処ら一帯でのありとあらゆる通信は不可能にしたわ」「そう。じゃあ確認しておくけど、本当に私達ってまだ敵に発見されてないよね?」「心配性ね~。発見なんてされてたらとっくの昔に私達は八神はやてに消し飛ばされている筈よ。幻影と実機で編成したガジェットみたいにね」皮肉げに笑ってクアットロは眼前の空間ディスプレイを指差す。そこには魔法陣を自身の周囲に発生させ白銀の光を一定の間隔で発射するはやての姿があった。「大丈夫。あいつらはガジェットの掃討に忙しくて私達のことなんて気付いてないわ。幻影の所為で私が何処かに必ず居るっていうのは勘付かれてる筈だけど、まさかこんな近くに居るとまでは想像していないでしょ。おまけにシルバーカーテンで私達の姿は消してあるし」二人の現在位置は雲の上で、かなりの高度がある。飛行能力を有するクアットロは自前で飛んでいるが、飛行能力を持たないディエチはこれまでずっと飛行型ガジェットの上に座っていたのである。「ならいいけど」偉そうに胸を張るメガ姉の態度にディエチは疲れた溜息を吐いてから、飛行型ガジェットの上で片膝をつき、自身の固有武装『イノーメスカノン』を脇に抱える。「手加減抜きよ、ディエチちゃん」「分かってる」うるさい、と言わんばかりにやや乱雑に返事をし、クアットロが新たに取り出したジュエルシードを受け取ると、脇に抱えた巨大な大砲に填め込み構え直す。照準を合わせ、チャージを開始すると同時にジュエルシードを発動させ、発生したエネルギーを己のISによって射出エネルギーに変換しイノメースカノンに注ぎ込む。大砲の射出口に、青い光が生まれ、力が集束し、渦巻いていく。「ウフフのフ。これでやっとあの忌々しい”背徳の炎”に一泡吹かせてやれるわ」横で嫌らしくて高慢な笑みを零すクアットロが勝ち誇った口調で言っているが、狙撃に集中し始めていたディエチには聞こえていなかった。「チャージ完了まで、あと二十秒」感情の篭らない声で、狙撃手は言葉を紡ぐ。「目標、八神はやて」「死になさい……”背徳の炎”」後書き仕事忙しくて執筆時間が取れない、と言い訳したくないけど、これ、事実です。畜生、俺に有給を寄越せ!!つーことで、大変お待たせして申し訳ありませんでしたが、PATH Bをお送りしました。前話でなのはが垣間見た”真紅の世界”とそこに鎮座していた”黒いヒトガタとオブジェ”に関しては、次回、ちょろっとだけ分かります。とりあえずブレイブルーは関係無いので、あしからず。チンクは死んでませんよ。戦闘不能になっただけで、実際は瓦礫の中で「姉は……まだ、死んでいない……ガク」って感じになってる筈。久々に読者様の小さな疑問に答えたいと思います。ランサーモードはもうありません。というよりA`s編でレイジングハートはソルの手によりデバイス・ランサー・バスターそれぞれのモードを総括したエクセリオンモードに改造されていますので、常時ランサーモードのようなものです。ヴィータのドラインは偽ドライン。作中でも言ってる通り「なんちゃってドライン」であり、オリジナルと比べて出力の面で遥かに劣り、安定性に欠け、オリジナルと同様にリスクもあります。それでも普通の魔導師などにとっては異常なまでの魔力の底上げに見えますが、使えば使う程、心の内で徐々にその存在を大きくしていく破壊衝動と闘争本能が抑え切れなくなり、やがてそれらに対する我慢というものが利かなくなっていく危険な代物。現時点では誰もそんなことに気付いてませんが。ちなみに、法力の制御が上手ければ上手い奴程、なんちゃってドラインの制御も上手い、ということになっています。だから、実戦レベルでなんちゃってドラインが使えるのはユーノ、シャマル、ヴィータ、アルフの四人のみで、フェイトはギリギリ不可能。はやてが一番下手糞で、下から二番目になのはとシグナムが来ます。で、その次に下手糞なのがザフィーラだったのですが……フフフ、一体彼に何があったのでしょうか?エリオの魔導師ランクについてですが……原作終了時点のAAではこの作品のエリオには指一本触れることすら出来ず敗北する、とだけ明記しておきます。ではまた次回!!