「一睡も出来なかった」「アタシもよ」ベッドから立ち上がって独り言を呟くスバルにティアナが同意を示す。今日は休養日なので朝練は無いのであるが、習慣化された起床時間のおかげでベッドから自然と這い出した。二人は今にも倒れそうな程に衰弱した病人のような声で挨拶を交わし、ノロノロと寝巻きから私服に着替える。「ねぇ、ティア」「何?」「その……ソルさんが昨日言ってたこと、なんだけど」「……」着替えが終わると同時に声を掛けてきたスバルが躊躇いがちに話しを振ってきた。だが、そこから先は上手く言葉に出来ず、口をもごもごさせるだけで終わってしまう。昨晩にソルから言われたことを気にして眠れなかったらしいスバルの表情はかなり酷い。睡眠不足の所為もあるがいつもの無駄に有り余ってる元気も無く、信じられない――信じたくない事実を突きつけられて眼に見えて落ち込んでいた。(無理もないわよね)スバルのしょぼくれた顔を見ながらティアナは思う。彼女にとってソルは何年も前から付き合いのある年上のお兄さんで、ぶっきらぼうで面倒臭がりで粗野な人間であるが信頼出来る人物で、家族ぐるみでよく遊んでもらったのだ。それが――「っ……」何かを言おうとして失敗しているスバルの心情を察したティアナは、眉を顰めてから何か口にしようとして、どんな励ましの言葉を掛けようと無意味だと気付き、スバルと同じように失敗する。ソルははっきりと言ったのだ。自分はかつて人殺しであったと。嘘でもなければ冗談でもない、紛れもない事実として。彼が復讐者であったということは、声に込められた憎悪が何よりも証明していた。――『強くなりたいと願うのはいい、力が欲しいと求めるのも構わん……だが、後悔したくなければ、俺のようにはなるな』彼は後悔しているのだろうか。復讐を遂げる為に強くなりたいと願ったことを、力を求めたことを。それとも彼は復讐の過程で奪ってしまった命に対して後悔しているのか。もしくは復讐それ自体を後悔しているのか。そもそも何故『復讐』という単語が出てきたのか。分からない。知りたくても聞けなかった。無言の背中が全てを拒絶しているようで、知っている筈の人物が得体の知れない別人に摩り替わっているような気味悪さに恐怖を覚え、あの時は逃げるように立ち去った。考えても答えが出ない。出口の無い迷宮を彷徨っているような感覚で思考を続けた結果、いつの間にか朝になっていた。「とりあえず、外の空気でも吸いに散歩でも行きましょ」「……うん」辛気臭い空気を放つスバルを連れて寮の部屋を出たら、丁度隣の部屋から出てきたギンガと鉢合わせになる。彼女もスバル同様に辛気臭い感じである。「あ、おはようございます」「お、おはよう」「おはよう、ギン姉」「……」「……」「……」黙り込む三人。やはりギンガも昨晩のことが尾を引いているのか、あまり元気が無い。気まずい空気が寮の廊下を占めるその様はまるで葬式後のようだ。その時、「そんな角で俺は掘られなーいー♪ 掘られたときのダメージはいーちおーつなーのさ♪」妙な歌を機嫌良さげに唄いながら、グラーフアイゼンをギターに見立ててジャカジャカと擬音も混ぜながら(エアギター?)をしつつこちらへ歩いてくるトレーニングウェア姿のヴィータが現れた。「嗚呼、早く尻尾切れよカス♪ ……ん? ヨッ!!!」ヴィータは三人に気付くと歌を唄うのを止め、やたらハイテンションに手を挙げて挨拶してくる。おはようございます、と返事をする三人であるがヴィータはそんな三人の表情から何かを感じ取り、訝しむように首を傾げてから納得したように頷いた。「何だ? 三人共肉食獣に捕食された草食獣の死に顔みてーな顔しやがって。もしかして欲求不満なのか? ストレス解消はちゃんとしてるか? 男に飢えてるんだったら何人か紹介してやらねーこともねーぞ」「「「違います!!」」」「じゃあ、あの日か? 重いんだったらシャマルに相談した方が――」「「「違いますってば!!」」」とんでもない発言を朝からかますヴィータに全力で否定する。しかし、当の本人は聞いていないのか、勝手にどうでもいい情報を提供してきた。「なのはとフェイトは割りと軽い方なんだけどよ、はやてが結構重いみたいで初潮迎えた時くらいから朝は辛い辛いって言いつつ『これで既成事実が作れるようになった』ってほくそ笑んで――」「何の話してるんですか!! 誰も聞いてませんよそんなことっ!?」顔を真っ赤にして半ばキレるようにティアナが絶叫。「おっ、元気出てきたじゃん、良かった良かった。何があったのか知らねーけど腐ってたら人生楽しくねーだろ。この世は楽しんだもん勝ちだから日々を悔い無く過ごすことを推奨しとく」先のデリカシーの欠片も無い発言がヴィータなりに元気付けようという気遣いであったことを知り、ティアナはそっぽを向き唇を尖らせながらも「お気遣いどうも」と拗ねたように礼を言う。ニシシッ、と悪戯小僧のように屈託無く笑うヴィータの顔を見て今まで自分達が纏っていた重い空気が吹き飛んでくれたので、三人は心の中で感謝する。「で? なんか悩みでもあんのか? このヴィータ教導官様が迷える発情期に突入したメス猫共の悩みを聞いてやるから大いに感謝しやがれ。ホレ、言ってみろ」アイゼンを肩に担ぎ、えっへんっ、と無い胸を張り尊大な態度を取るロリっ娘。この言葉で五秒経たない内に今ヴィータに感謝したことを後悔する三人だった。昨晩のソルの言葉をそっくりそのままヴィータに伝えると――内容が内容なので出来るだけ誰にも聞こえないように声を潜めて――彼女は急に不機嫌面になる。「ソルがそう言ったんだな?」「はい」確認するように聞かれたのでギンガは頷く。「ちっ、あの馬鹿野郎余計なこと言ってる癖に肝心なこと言ってねーじゃねーか、クソが。ミイラになるまで搾り取られて腎虚で倒れればいいのに」口汚くソルのことを罵りつつ舌打ちし、ヴィータは三人をジロリと睨んだ。当然、睨まれた三人は萎縮する訳で。「結論から先に言うとソルが言ったことは事実だ。嘘は言ってねー」思わず三人は息を呑む。家族としてソルと十年も一緒に暮らしてきたヴィータの言葉が、昨晩から胸の内にあった信じたくない事実をいよいよ現実味が帯びたものにしてくれた。――ソル=バッドガイは人殺し。「あ」自分の身体が小刻みに震えていることに気付いて、スバルが小さく声を漏らす。――『この手で必ず殺さなければならない奴が、一人居た』語られる口調が殺意に満ち溢れていて。――『俺は、そいつを殺す為だけに”力”を求め、戦い、邪魔する者を全て皆殺しにして生きてきたからだ』隠そうともしない憎悪が、毒牙となって聞いていた者達の精神に喰らいつき、灼熱の如き負の感情を流し込んだ。ドクンッ。高鳴る心臓の音がやけにうるさく聞こえてくる。もしかしたら何かの冗談だったのでは、という淡い期待が打ち砕かれ、紛れもない事実として認識せざるを得なくなった瞬間だった。「おいスバル、スバル!!」「へ?」ヴィータの大声に我に返ると、スバルは身長の低い彼女に襟首を掴まれて引き寄せられている為にやや中腰になっている状態だ。「えっと、私……」「ショックだってのは分からんでもないが、いきなり意識飛ばしてんじゃねーよ」呆れたようにそう言って襟首を離し、両手を腰に当ててやれやれと溜息を吐くヴィータ。「此処で話すような内容じゃねーな。オメーら面貸せ」三人に背を向けて廊下をトコトコ歩き出すので、ついていく。辿り着いた場所はヴィータの部屋だ。「ま、ちょっと散らかってっけど気にすんな」入るように促されて入室すると、視界には「俺が部屋の主だ」と言わんばかりにドデンと部屋の一角を占領するように鎮座している巨大な薄型液晶テレビがあった。その両隣には右大臣左大臣のように控えるこれまた巨大なスピーカー。カーペットが敷かれた床には地球から取り寄せた漫画本やらゲーム機の本体やソフト、音楽や映画やアニメなどのディスク媒体、ノートパソコンなどが所狭しと転がっており、お世辞でも『ちょっと』レベルじゃ済まされない。そして忘れてはいけないのが、なんか異様な気配と存在感を放つウサギのぬいぐるみ。『のろいうさぎ』とかいうらしい。夜中に目撃したら瘴気とか漂わせて動き出しそうで普通に怖い。なんか部屋の主の性格や見た目をそのまま映しているかのような、やたらと趣味に走った中高生の部屋みたいだ。音漏れとかどうしてるんだろう? あ、魔法か……などと部屋の防音機能について考えを巡らせている間にヴィータはベッドに腰掛け腕を組んでいた。「ドア、閉めてくれ」「はい」最後に入室したティアナがドアを閉め、それから三人は散らかってる床になんとかスペースを作って座ると、それを待っていたヴィータが重苦しい溜息を一つ吐いてから語り出す。「あー、何から言えばいいのか分かんねー……つーか、なんでアタシがこれからあのアホが自分でやらかしたことの尻拭いしなきゃなんねーのか甚だ疑問なんだけどよ」と思ったら愚痴である。「あいつはいつもそうだ。肝心なことは最後まで何一つ言わねー。理解した上で納得してもらおうっつー努力もしねー。一人で勝手に結論付けて自己完結させちまうし、他人から自分がどう思われていようと関係無いって考え方してっから無茶苦茶なこともたまにやる……身勝手で、馬鹿な野郎だ」うんざりしている様子でありながら、ヴィータの声にはソルに対する親しみが込められていた。「あの、ヴィータさん」「ん?」緊張した面持ちで小さく左手を挙げるギンガにヴィータは首を傾げる。「ソルさんは復讐の為に”力”を求めたって言ってたんですけど、ヴィータさんはそのことについてどの程度ご存知なんですか?」「……」問われた瞬間、ヴィータの顔から表情が消え、急に黙り込む。きゅっと鋭く細くなった青い瞳に射抜かれ三人は言い知れない威圧感を真っ向から受けて萎縮してしまう。無表情のヴィータが醸し出す気配は確かに不穏なものであるが、怒気でもなければ殺気でもない。ただ純粋に、凄んでガン飛ばしているだけだ。それでも三人をビビらせるには十分な迫力があった。『まさか私って一番聞いちゃいけないこと聞いた!?』『た、たぶん』『たぶんっていうか、ヴィータさんのリアクションを見る限り確定かと』念話でギンガが焦ったように二人に振ると、スバルとティアナはギンガに同情するような心境で返答する。沈黙が部屋を支配し、空気が一気に重くなったのを三人は自覚した。特にギンガは地雷を踏んでしまったのかと気が気ではない。カッチ、カッチ、と目覚まし時計が奏でる秒針の音だけが室内に響く。無言のプレッシャーが全身に圧し掛かり精神を苛み、やがて三人が胃痛を覚える程の緊張感に耐え切れなくなって頃、漸くヴィータが口を開いた。「狩人」「……え?」訳が分からずスバルが声を漏らすが、ヴィータは構わない。「復讐者」「「「……」」」ヴィータが先の言葉と合わせて誰のことを示しているのか悟り、口を閉ざす。「そして贖罪者。それがソルの纏ってた仮面の全てだ」「贖罪者……?」どういうことなのか分からないまま反芻するティアナ。やはりスバルもギンガも分からないらしく、頭の上に?を浮かべて呆けたような表情だ。「賞金稼ぎとして戦うこと。獲物を狩る生き様は、あいつにとって復讐と贖罪に生きることと同義語だった……復讐を遂げる為に、罪を贖う為に生きてきた」此処で引っ掛かることが一つある。賞金稼ぎとして重犯罪者をターゲットにしているソルが狩人というのは分かるし、納得も出来る。復讐者というのも、当の本人やヴィータが言うのであれば認めたくないが事実であるのだろう。しかし、贖罪者というのはどういうことなのだろうか?賞金稼ぎとして戦う過程で、復讐の過程で罪を犯し、それを贖うという意味でなら自然と理解出来るものだが、ヴィータは『戦うことが復讐と贖罪だった』と言っているのだ。まるで禅問答を聞いているようで、全く理解が及ばない。「あいつは昔こう言ってた。俺は罪人だ、俺は俺という罪が消えるまで贖い続けるべき存在だ、って」罪人は贖うもの。ならば、一体彼はどんな罪を犯したというのだろうか? ますます分からなくなってきた。最早三人にはソルがどのような過去を背負い、何を思って戦い、生きているのか想像すら出来ない。それを察したのか、ヴィータは苦笑して表情を和らげた。「まー、あいつについては核心部分を詳しく話せねーし、どうしても曖昧な言い方になっちまうからアタシが何言っても意味分かんねーって思うだろうけど、これだけは理解しておいて欲しい」心して聞けよ、と続く。「ソルがお前らに『俺のようにはなるな』っつったのは本心からだ。どんだけ強くてもたった独りでずっと復讐と贖罪に生きてきたあいつとって、仲間と一緒に誰かを守る為に強くなろうとしてるお前らの”在り方”は眩しいんだ。もっと分かり易く言えば羨ましいんだよ、お前らのことが」「ソルさんが、私達のことを羨ましく思ってる……?」これまた信じられないことを聞いたかのようにスバルが聞き返す。「ああ。少なくともあいつはお前らのことを心の何処かで羨ましいと思ってる筈だ。根拠なんてこれっぽっちもねーけど、アタシとソルは似た者同士だからな、なんとなく分かる」まるで遠くから見守るように見つめてくるかの如く瞳を細め、たおやかな笑みを浮かべるヴィータは、外見年齢が十歳未満とは思えない程に大人びていた。それは容易くヴィータの存在感を大きくし、三人には自分達よりも背の低い筈の少女を大きく見せている。「だからよ、繰り返しになっちまうけどアタシからも言わせてもらうぞ」そのままヴィータはゆっくりと、諭すように紡いだ。「お前らは、アタシらのようにはなるな……約束だかんな」バタンッ、と重い音を立てて三人が退室したのを見送り、部屋の防音機能がちゃんと機能したか確認してからヴィータは頭を抱えて天井を仰ぐ。「゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! アタシもソルのこと言えねぇぇ! 肝心なこと全然伝えられてねぇぇじゃんかよぉぉっ!!」つい今しがた三人に見せた大人としての態度など微塵も無い。そのままベッドに倒れ込んで悶絶するようにゴロゴロ転がる。「無理だ! ギアと法力のこと抜いて上手く話すなんて不可能だっつーの!!」ジタバタ暴れていると勢い余ってベッドから転落し、「おぶばっ!?」と悲鳴が上がった。ついでに、追い討ちを掛ける形でグラーフアイゼンのハンマーヘッドが脳天に、ガンッ!! と直撃してしまう。どうやらベッドに倒れ込んだ瞬間に上へ放り投げたのが運悪く落ちてきたらしい。「星が、星が見えるスター……」頭の上にいくつもの星を旋回させてピヨるヴィータ。展開した状態のアイゼンはかなり重たい。元々鈍器として使用するアームドデバイスだったのもあるが、十年前に部品のほとんどを封炎剣と同じ素材にしたおかげで以前よりも遥かに強度が上がった反面、重たくなった。これで殴らなくても上から落とすだけで普通に死ねる。しかし、ヴィータもヴィータでやたらとタフで回復力も半端無いので数秒も経てばケロッとしているのだが。「……あいつらなら、って思っちまうけど……こればっかりはアタシの独断で教える訳にはいかねーからなー」仰向けになって動きを止め、視線を天井へと注ぐ。法力、ギア計画とギア、聖戦、”あの男”への復讐、自らへの贖罪、それらを全て話すことが出来ればどれ程ソルのことを理解してもらって、彼の気持ちを伝えることが可能なのかと思うと、ヴィータは歯痒くて仕方が無かった。ソルのことを単なる『人殺し』や『復讐者』として勘違いされままでいて欲しくない。そうなってしまった事情を話してしまいたい。自業自得かもしれないが彼も犠牲者の一人なのだ。科学者としての生き方も、愛する女も、信頼していた友人との友情も、それまで築き上げてきた『人としての自分』も、何もかも失った。だからこそ、自分から全てを奪った親友に復讐を誓い、修羅へとその身を堕としたのだ、と。彼がどれ程の決意と覚悟を以って『再び自分のような犠牲者を出すまい』と戦ってきたのか、戦う為だけに百五十年以上もたった独りで生きてきた孤独と悲しみを、知って欲しい。そして何よりも、彼の持つ”力”が決して望んで手にしたものではないことを、伝えたい。「反面教師になるのはいいけどよ、なんで自分が復讐者で人殺しだったって教えちまうんだよ。そこまで言ったんなら全部言っちまえっつの……馬鹿野郎」蚊の鳴くような弱々しい声で此処には居ない人物に文句を言いつつ、ヴィータはアイゼンを胸の前で抱き締める。管理局では非殺傷という無傷で相手を制する方法がある以上、殺人とは禁忌であり、禁忌を犯したものは皆例外無く重犯罪者の類だ。きっと三人の頭の中では、ソルがかつて重犯罪者だったと思われているのだろう。確かにソルは大昔に罪を犯したし、”あの男”と同様に文献にもその名前が――本名で――載っている。殺人も数え切れない程手に染めていたが、管理世界出身者が思い描く『殺人者』ではない。彼の故郷では、賞金稼ぎが『生死問わずの賞金首を殺すこと』が犯罪になることは一切無い。当然だ。生死問わずの重犯罪者が世間から居なくなって、感謝こそされても、咎められるのは筋違いだった。そういう価値観の世界なのだから。たとえ相手が人間だろうとギアだろうと容赦無く皆殺しにしたのは事実であるが……唯一の例外は『木陰の君』のように自由意思を持ち、その上で破壊を求めない人畜無害なギアだけだ。なんだか切なくなってきてしまった心をそのままに、ヴィータは暫くの間、黙したまま白い天井を見つめていた。背徳の炎と魔法少女StrikerS Beat18 その私欲は眩く時刻は午前九時過ぎ。Dust Strikersの前に一台の乗用車が停止し、助手席側のドアが開き、中から青く長い髪が特徴的な女性が姿を現す。「此処がDust Strikers……初めて来たけど、随分大きい施設なのね」クイント・ナカジマである。その格好は仕事中ということもあって管理局の制服だ。「費用が何処から捻出されたのかは、知らない方が良いかもしれません」応じるように呟いたのは運転席側のドアから出てきた青年。ティーダ・ランスターだ。こちらもクイントと同様に勤務時間中なので制服の格好をしている。何故二人が今日此処に来たのかというと、クイントは昨晩にソルから『ゼスト生存』と『メガーヌとルーテシアかもしれない人物』の報を聞きその真偽を見極める為に、ティーダはジュエルシード盗難事件の詳細を話し合う為にだ。それともう一つの目的として、二人は自分の意思でソルに預けた身内が元気にしているか顔を見に来た、というのもある。「これだけ大きいと何処にどう行けばいいのかさっぱり分からないわ」「なのはさんが迎えを寄越すとは言ってましたけど……」言ってキョロキョロと周囲を見渡すティーダの視界の先に、二匹の小動物の姿が映った。「ワンッ!」「キュー」青い毛並みの子犬と、薄茶色っぽいフェレットである。二匹は二人を呼ぶように鳴くと、ついて来いと言わんばかりに小走りで駆け出し、建物の中へと入っていく。「ザフィーラとユーノくんじゃない! あの二匹が案内してくれるみたいよ!!」子犬とフェレットを確認して童女のように眼を輝かせたクイントが走り出す。彼女も女性だけあって可愛いものは普通に好きらしい。喜び勇んで二匹を追いかける。「……なんで二人共動物形態なんだろう?」答える者が居る訳無いのに疑問を口にしながらティーダはその後を追う。「ワンワンッ」「キューキュー」二匹は時折立ち止まって振り返っては二人がちゃんとついて来ているかどうかを確認し、再び走り出す。まるで「しっかりついて来て」と言っているようだ。その姿がやたらとキュートに映ってクイントは大興奮だ。「何あれ!? 人間語話さないザフィーラとユーノくんがあんなに可愛いなんて私知らなかったわ!!」「俺は二人がなんで人間語を話さないのか不思議でしょうがないんですけど……」おかしいなぁ、昨日ザフィーラさんと一緒に仕事した時は普通に人間形態でしかもスーツ姿だったのになぁ、と額に手を当てながらクイントと並走するティーダ。正面玄関の自動ドアを潜り抜けると、そこは管理局のロビーに似た作りをしていた。今は誰も居ないが受付らしきカウンターがあり、いくつものソファがあり、案内板やエレベーターも設置され、頭上には大きな空間ディスプレイが表示されており様々な情報が映し出されている。此処に所属していると思われる賞金稼ぎ達の姿も見受けられた。ほとんどの者達が私服姿で十代中盤から二十歳くらいの若者達で、二人の身内と同年代くらいだろう。彼らが手元で携帯端末か何かを操作しながらあーだこーだ言い合っている所を見るに、仕事について話し合っていると思われた。「二匹は?」「えっと……あ、あそこ」ティーダが指差す先には――「動物形態のユーノ教導官、ゲットだぜ!!!」「ザフィーラさん可愛いよ、お持ち帰りしたい~」年若い女の子達――私服姿からして管理局から出向中の局員ではなく賞金稼ぎである――にとっ捕まっていた。「キューキュー!!」「ワフン!!」抗議の鳴き声を上げて暴れる二匹ではあったが、女の子達(総勢五人)から逃がすもんかとばかりに巧みに抱きかかえられてしまう。か弱い女の子に見えても此処に所属されることを許された屈強な魔導師にして賞金稼ぎであり、鬼教官達からリンチにも似た訓練を耐え得るだけあって、技量は高い。「やったやった!! 超ラッキー!! 動物形態のユーノ教導官ってソル様かアルフ教導官が一緒の時にしか見れないから今まで抱っこ出来なかったけど、ついに、ついにこうしてゲット出来たわ!!」「キュウゥー!?」えへへ、と頬をだらしなく緩ませて笑みを浮かべる女の子に対して身の危険を感じるユーノ……こんな場面をアルフに見られたら殺される、という意味で。「いいよね、ザフィーラさんお持ち帰りしてもいいよね? 返事は聞かないから」「ワォーン!!」ハイライトが消えた瞳で愛しげに頬ずりしてくる女の子に向かって勘弁してくれと鳴く、というか泣き出すザフィーラ。「……」「……」そんな光景を眼の前にして、クイントとティーダはリアクションに困っていたのだが、いつの間にか陽炎のようにゆらりと現れた人物が女の子達に向かって静かに声を掛けた。「その二匹は俺のペットだ。勝手に持って帰られたら困る」ピタッ、と時間が止まったように全身を硬直させる女の子達。その隙に二匹はするりと抜け出して、自分達の窮地を救った者の足元に擦り寄った。「ソ、ソル様……」「お、おお、お疲れ様です!!」敬虔深い信者が教祖を前にしたような態度で居住まいを正す女の子達など気にした風も無く、ソルはユーノを自身の肩に乗せザフィーラを抱っこする。Dust Strikersにおいて実質的な支配者であり、此処に集まった賞金稼ぎ達の大半にとっては命の恩人である。憧憬と畏敬の念が彼に向けられるのは自然であるが、ロビーに居た全ての人間の注目を一瞬で集める様に、流石にクイントとティーダでも驚く。とはいえ無理もないのかもしれない。絶大な魔力と戦闘能力を保持し、圧倒的な火力で敵を殲滅するその姿はまさに戦神だ。聖王を崇め奉るベルカの教会騎士団員が皆、ソルの強さを「まるで御伽噺や伝説に登場する『王』のようだ」と評し、敬意を払っているのをクイントは知っている。『強さ』に憧れる若者達から見れば、ソルはそれ程までに神聖視される存在なのだろう。命の恩人であれば尚更だ。だが、クイントはソルがそんな高尚な存在ではないことをこれでもかという程知っている。いくら外での評価が高かろうと、家に帰れば家族に振り回される苦労が絶えない一人の父親でしかなく、休日は家族サービスに従事し必死こいて奔走しているのを見たことあるだけに苦笑を禁じ得ない。更に言えば、よく家に遊びに来ては酒を飲みながら愚痴っている些か情けない姿を知っているので、皆から憧れの視線を向けられているソルに「誰よアンタ?」と突っ込みを入れたい。「あ、ダメ、もう無理……プッ」口元を手で抑えて必死に笑いを堪えているクイントを見て、隣に居たティーダは頭の上に?を浮かべて訝しむ。「そ、そうですよね、私達何調子に乗っちゃってるんだろ? ユーノ教導官もザフィーラ教導官もソル様の肉ど、ゴホン、愛しいペットなんですよね」冷や汗をかきながらも頬を染め、愛しいペット、という部分をやけに強調する女の子。女の子の態度と発言に何か違和感を覚え「ん?」とティーダは首を捻った。も? ユーノ教導官『も』?ザフィーラ教導官『も』?「……さ、流石はソル様です……性別や種族を問わずご家族の皆様に等しく寵愛を授けるなんて、私にはとても真似出来ません」もう一人の女の子も顔を赤くしながら戦慄したように言う。性別や種族を問わず?そんなやり取りを見て「……ちょっと待て、待ってくれ」とティーダは誰にも聞かれないような小さな声を出しわなわな震え出す。(まさかソルさんって、周りからは女殺しで両刀使いで獣姦もイケるとか思われてるんじゃないの!?)もしそうだとしたら酷い話である。しかもユーノなんて人間に変身出来るフェレット(使い魔)だと思われてる節がある。逆、逆だから!!今になって漸く気付き、周囲を慌てて見渡してこの場に居る賞金稼ぎ達の様子を確認し、確信に至った。男子は皆ソルに対して純粋に憧れを抱いているようであったが、問題は女子だ。どいつもこいつもネットリねばつくドス黒くて、それでいて熱い視線をソルに注いでいるのである。きっと、本人達の知らない場所で『ソル×誰々』とかになってるに違いない。相手が女性だけならまだ許せるが、男が混じってるとか最低にして最悪だ。おまけに獣姦も完備されているとか……いや、確かにソルをそういう眼で見る女子が居てもおかしくないのは分かる。理解出来る。非常に、非常に容認し難いがこの世には百合やらBLやらと言った、普通とは違った趣味嗜好が存在し、若い女の子達からその対象と見られてしまうのも仕方が無い……のかもしれない。実際、同僚にも居たし。長身痩躯でありながら筋骨隆々、黒茶の長い髪は艶やかで、野性味溢れる整った顔立ち、猛禽のように鋭い真紅の瞳、全身から放たれるワイルドな魅力、場合によっては銀縁眼鏡と白衣を装着。そして無口でぶっきらぼうなのに面倒見の良い性格。ソル本人の外見面だけでこれだけの『材料』が揃っていて、加えて彼の家族(この場合は主にユーノとザフィーラ)だ。腐ってる婦女子の方々ならば、とってもスンゴイものを作り上げてしまうのだろう。「ウホ、いい男」とか言いながら。ヒイィッ、と慄きながら探るようにソルの顔を窺う。しかし、彼は女子達から自分に向けられる変態的な視線を気にしていない、というか気付いていない。こちらに向き直って普通に挨拶してきた。「しばらくだな」「ええ、久しぶり。実際にこうして顔を合わせるのって数ヶ月ぶりね」「……お、お久しぶりです」普段通りに接するクイントとは対照的にティーダの表情は悪い。はっきり言ってゲンナリしていた。そんなティーダの様子ソルはいち早く気付き、疑問を口にする。「どうしたティーダ? 気分でも悪いのか?」「いえ、まあ、悪いと言えば悪いんですけど、一つお尋ねしたいことがあります」「あ?」「BLって言葉、知ってます?」「「はあ?」」ソルだけに留まらずクイントまでもが、そんな単語初めて聞いた、とばかりに眉根に皺を寄せた。だが、ユーノとザフィーラはどうやら知ってるらしく、一瞬だけ身体を強張らせる……ご、ご愁傷様です。(うわぁ、クイントさんは結構天然入ってるから知らないとは思ってたけど、ソルさんは純粋に知らないんだ)「聞いたことねぇな。何かの略語か?」「BとLねぇ……ブラスター・ラリアットとか?」「どんな技だ」「とりあえず身体強化魔法で普通にラリアット」「何処らへんがブラスターなんだ? お前、適当に思いついたこと口にしてるだけじゃねぇか」「でもなんか強そうじゃない?」「確かに」即席で漫才をかますソルとクイントの反応に、ティーダはなんだか居た堪れない気分になってきた。どうかそのまま一生知らずに生きてください、と。(……ティアナは、大丈夫だよね……? 妙な趣味に目覚めてたりしてないよな?)年頃の妹を持つ身として、かなり不安なティーダであった。「……この人、ゼスト隊長で間違いないわ」場所をいつも使っている小会議室に移し、早速ホテルでの一件を二人に話してから資料を見せると、クイントは重苦しい口調で呟いた。「私の記憶にあるゼスト隊長と比べてかなり、ううん、凄く強くなってるけど、本人であることは確かよ」「そうか」ソルは小さく頷き、視線を空間モニターに映し出されている映像に注ぐ。それはヴィータとゼストの戦いだ。お互いにフルドライブ状態で激しくぶつかり合っている光景が繰り広げられている。「洗脳されているか否か、判別出来るか?」「そこまではちょっと……でも、ヴィータとの戦闘でゼスト隊長の意志みたいのは垣間見えるから、たぶん、洗脳はされてないんじゃないかしら」自信が無さそうなクイントの回答に、ソルは苛立たしげに舌打ちをした。「もし洗脳されていないのなら、何故ゼストがスカリエッティに加担する? ……奴なりの思惑があるのか、それともそうせざるを得ない事情があるのか」言いながら映像を次のものへと切り替える。それは謎の召喚師によって操られているガジェットと蟲の大群。相対しているのはスバル達三人だ。召喚師の姿こそ映っていないが、クイントには分かったのかキュッと唇を噛み締めてその名を紡ぐ。「メガーヌ……」「召喚師は少なくとも二人。そのどちらかがメガーヌで、もう片方がルーテシアなんじゃねぇかって思ってる……根拠なんざ無いがな」そう締め括って、ソルは空間モニターを消す。「で、どうすんだ?」「え?」「決まってんだろ。俺達の敵になっちまった昔の仲間を、どうすんのかって聞いてんだよ」やれやれと疲れたように溜息を吐く仕草でソルが何を言いたいのか悟り、クイントは胸元から銀色に輝く一枚のカードを取り出した。このカードは待機状態のデバイスだ。ファイアーホイールとエンガルファー、二つのデバイス。ソルから与えられた、リボルバーナックルの後継機と、ローラーブーツ型の後継機。親友と尊敬する上司を連れ去り、部隊の仲間を亡き者にしたスカリエッティと戦う為の、力。「……はっきり言ってね、私、メガーヌとゼスト隊長はあの時死んじゃって、もう会えないって心の何処かで諦めていたの」俯き、カードを握る力を強めてクイントは搾り出すように声を出した。「私だけソルに助けてもらって、一人生き残ったからこそ、二人の仇を、部隊皆の仇を討つんだ、ルーテシアちゃんを何としても見つけるんだって思ってた」その声は涙混じりで、必死に嗚咽を堪えているのがはっきりと分かる。「なのに、昨日の夜、ソルから二人が生きてるって聞いた時、嬉しかった。嬉しさのあまり泣いちゃった。死んじゃったと思ってたのが生きてるって分かって、私って現金だなって思いながら泣いてた……本当ならすぐにでも此処に来て真偽を確かめたかったけど、頑張って我慢した。ぬか喜びは嫌だったからこの眼で見るまでは信じない、って」彼女は顔を上げ、両手で口元を押さえながら涙をポロポロ零す。今の今まで表面上には決して出さず、弱音も吐かず、明るい笑顔の仮面の下でずっと押し殺していた感情を爆発させるように。辛かっただろう。何年も共に仕事をしてきたソルにはクイントの気持ちが手に取るように分かった。「でも、今直接見て確信した……あの槍捌きは間違いなくゼスト隊長のもので、あの召喚術は間違いなくメガーヌが得意だったもので、二人が生きてるのは疑いようもなくて、それだけで凄く嬉しいのに」突然彼女は立ち上がり、飛び掛かるようにソルに掴み掛かると彼の襟首を引き寄せ、泣き叫ぶ。「嬉しい、のに、凄く嬉しいのに、それと同じくらい悔しい。どうして私は、昨日アグスタに居なかったんだろうって……洗脳されてるかもしれないとか、どういう理由があってスカリエッティの味方をしているのかとか、そんなのはどうでもいい!!」震える唇から紡がれる激情が小会議室に轟く。「……私は、私は二人を取り戻したい!! ……だから、だから――」袖で涙を拭い、クイントは決意したように宣言する。「私も、戦う。我侭だっていうのは分かってる。でも、お願い、私もDust Strikersに協力させて。今まで通りの管理局員としてじゃなく、ただのクイント・ナカジマとして」「……ああ。ハナッからこっちはそのつもりだ」そして、彼はその言葉を、数年越しに待っていた。「取り戻すぜ……必ずだ」午前中にこなさなければならない仕事を手っ取り早く終わらせ、漸く出来た僅かな時間でティアナ達三人を探すことが可能となったのは午前十一時だった。しかし、割ける時間はあまり無い。エリアスキャンを駆使して探し出し、発見次第ダッシュする。「やーっと見つけた!!」海岸を前にして海を見ながら黄昏ている三人の背後に、なのはの大声が届く。ミニの黒いビジネススーツでありながら猛然とこちらに突っ込んでくるなのはの姿に、三人は純粋に仰天。三人揃って口をポカンと開けたまま成り行きを見守っていると、至近距離まで近付いてきたなのはは、両足でズザザザーッ、という音と共に砂埃を舞い上げて急停止。ちなみに一瞬だけ見えたのはレースの付いたピンクだった。明らかに勝負用っぽい。スバルは「高そうだな」、ティアナは「朝から気合が入っている」、ギンガは「あういう下着でソルさんに迫るんだろうな」とそれぞれ思う。「えっと、あの、なのはさん……どうしました?」スバルの疑問になのははすぐに答えず、三人の顔をジッと見つめる。見つめ続けた状態で、やはりヴィータと同じ葛藤を抱えるなのはであった。言ってしまいたい。だけど、ソルの過去は本人に教える意思が無い以上、口が裂けても言えない。喉元まで出掛かった言葉を呑み込みながら、伝えたいことを伝えられないことにもどかしさを感じてしまう。と、黙ったままでいるなのはの態度に首を傾げながらティアナが言ってくる。「ヴィータさんから少しだけ聞きました。ソルさんのこと」「ヴィータちゃんは、なんて言ってたの?」「詳しいことは何も。ただ、ソルさんが復讐者であると同時に贖罪者で、戦う為だけに生きてきたからこそアタシ達を羨ましがってるって」「……そっか……ヴィータちゃんらしいね。私だったらとてもじゃないけどそんな風に言えないな。きっと、お兄ちゃんの秘密、バラしちゃう」自嘲するように言って、なのはは視線を上に向けた。視界に広がるのは何処までも青い空が続く光景だ。その青一色の世界で、キラキラと輝く太陽が全てを優しく見下ろしている。眩しさに眼を細め、届かないと分かっていながら太陽に向かって手を伸ばし、ゆっくりと手を下ろす。兵器として長い年月を戦い抜いたヴィータは、ある意味人間のなのはよりもソルのことを理解している。生体兵器ギアと魔導プログラム体の守護騎士システム。両者共に戦う為に生み出された存在という点では共通しているし、ソルもヴォルケンリッターも望まぬ戦いを百年単位で強いられたのは同じだ。似て非なる存在であるが、似たような経験をしているからこそ、言える台詞というものがあった。悪い言い方をすれば同類相憐れむ、というやつだった。視線を太陽から三人に戻す。「それから」「ん? まだ続きがあるの?」「はい。最後にヴィータさんはソルさんと同じことを言いました。アタシ達のようにはなるな、って」なのはは何か言おうとして、やめた。開きかけた口を閉ざし、黙してしまう。――……何を言えばいいんだろう。十年前のあの時。ソルの過去を知って、これまで自分の傍を片時も離れず守ってくれていた彼を、今度は自分が守る番だと思った。破壊の為に得た力を、必死になって自分以外の誰かを救う為に振るう生き様は、たとえ過去が血塗られていようと本物の太陽のように輝いていた。故に誓った。ソルが己以外の誰かを守ろうとするのであれば、自分達はソルのことを守ろうと。故に力を求めた。それは今でも変わらない。そして約束した。一緒に生きる、と。此処に至って今更気付き、なのはは我に返る。冷静にならなくても考えてみれば分かる。自分達はソルのことしか考えていない、彼のことしか見ていない。もっとはっきり言ってしまえば彼が幸せなら他はどうでもいい。ソルの為にしか戦ったことの無いなのはが何を言ったところで、三人にとっては意味の無い言葉に成り果てるだろう。今回のことだってそうだ。ソルを擁護したい、それだけだ。ソルのことを抜きにして、三人のことが心配だからという理由で動いている訳では無い。ソルが心配して気に掛けているから、という理由で自分は動いているのだから。確かに三人のことは心配しているし、教導官として教え子を気に掛けているつもりであるが、あくまで『つもり』であって、本心はソルを想ってのことだ。(……私って、嫌な女だな)結局自分は、昔から何一つ変わることなくソルのことばかりだ。それはそれで一途だし、この想いは誇らしいものだと思えるものだが、流石に今回ばかりは我ながら辟易してしまう。教導官の癖して、悩んでいる教え子のことよりも男を優先しているのだ。教導官失格という烙印を押されても文句は言えない。自分は義兄のソルとは違う。あまりにも違い過ぎる。彼はいつだって他人の為に戦っていて、己の為には戦わない。そして己を顧みない。皮肉な話だ。ソルは三人に対して『俺のようにはなるな』と言ったが、彼が戦う理由は三人が強くなりたいと願う理由――『守りたい』という気持ち――に酷似している。それとは対照的に、なのはは常に自分とソルの為に戦ってきた。ソルの傍に居る為に強くなり、ソルが大切だと思うものを守り、ソルが嫌うものを潰してきた。眼の前で苦しんでいる人間ならともかく、その他の不特定多数の人間のことなど知ったことではなかった。彼と一緒に居たい、彼の役に立ちたい、という一心で。それで構わないと思う。今までずっとそうやって生きてきた。これからもそうやって生きていくのだ。一人の人間としてこの生き方は歪んでいるかもしれないが、気にしたことなど無かった。ソルさえ傍に居てくれれば他は何も要らなかったから。それでも――「……っ」胸の奥で生まれた鋭い棘が生み出す痛みは、自己嫌悪以外の何物でもなかったのは事実だ。「え、えーと……なのはさん?」スバルが声を掛けるが、反応しない。突然現れたかと思ったら、なのはは蹲るように座り込んで、死んだ魚の眼になると同時に不穏な空気を纏い始めた。彼女の行動の意味不明さに三人は戸惑うしかない。『どうしてなのはさんが落ち込んでるの?』『聞きたいのはアタシの方なんですけど』眉を顰めて念話を繋いてくるギンガにティアナは首を傾げるしかない。「うぅ……ぐす」「な、なのはさん!?」今度は啜り泣き始める始末。それを見て慌てふためくスバル。もう何が何やらさっぱり分からない状況だった。『どういうことなのこれ!?』『アタシが知る訳無いじゃないですか!!』『とにかく放っておけないわ。事情だけでも聞いてみましょう』『それには賛成ですけど、どうやって聞くんですか?』ティアナは半眼になってなのはに向き直る。一人ベソをかいている今のなのはは、訓練や模擬戦時の面影など欠片も無い。普段の凛々しく芯の強さを感じさせる女性ではなく、自分達と同年代の少女に見えた。……あんなに強いのに、何があったんだろう?そう思わざるを得なかった。「ごめんね……驚かせちゃったね」と、泣き出したのと同じくらいの唐突さで立ち直るなのは。彼女はハンカチを取り出して涙を拭うと立ち上がり、何事も無かったように努めて明るい口調で声を出す。「今日ね、クイントさんとティーダさんが此処に来てるの。今はたぶん、お兄ちゃんと仕事の話をしてると思うからダメだけど、それが終わったら久しぶりに会えるよ」え? 嘘!? 本当ですか!? という風に驚きと喜びを表情に出す三人ではあったが、なのはの顔に僅かに残った涙の痕を見てそれぞれの身内に会いたいという気持ちをぐっと抑えた。この場を立ち去り、今見たことを無かったことにするのは容易だろう。回れ右をすれば良いだけの話である。しかし、どうしても無かったことには出来ない。なのはが落ち込み始める少し前、ヴィータが三人に言ったことが恐らく鍵になっているからだろう。「なのはさん」「ん? 何?」「どうして泣いてたんですか?」「……」心配しているスバルの問いに答えず、なのはは三人から眼を背けるようにそっぽを向く。拒絶されたか、そう思って気落ちした瞬間、なのはが昔を懐かしむ声でこう言った。「私ね、子どもの頃からずっとお兄ちゃんと一緒に居たの。もう、かれこれ十五年になるかな……ウチにお兄ちゃんが居候することになって」それが血の繋がらない義兄妹の始まりだった。何故、急にこんな話をするのか理解が及ばないが、なのはなりに思惑があるのだと結論付ける。「初めて会った時、宝石のルビーみたいな赤い眼を見て、子ども心に思ったんだ。『すごくきれい』って。その瞳を正面からじっと見つめてると吸い込まれちゃいそうな魅力があって、小さい頃からお兄ちゃんの顔を正面から至近距離で見つめるのが趣味だった。今思い返してみると、ちょっと恥ずかしいよね?」聞いてるこっちの方が恥ずかしいです、と思いはしたが口を挟まず黙って聞く。「だから私は当時からお兄ちゃんにべったりだった。優しいし、甘えさせてくれるし、何より暖かった」こちらに背を向けたままなのはは語り続ける。「お兄ちゃんの隣は凄く心地良くて、そこが私の『居場所』になるのに時間は掛からなかった。温もりに触れれば触れるだけ、優しさに甘えれば甘えるだけ私はお兄ちゃんに依存していった…………そう、まるで麻薬みたいに溺れていった」なのはのトレードマークと言うべきサイドテールが強い風に煽られて大きく揺れたので、彼女はそれを右手で押さえた。此処で若干、間を空けるようになのはは口を閉ざす。Dust Strikersは湾岸地区に設立されている為、海から吹き荒ぶ風が強い。当然、スバル、ティアナ、ギンガの髪も揺れるのだが、三人はそんなことなど気にせず、なのはの言葉を待つ。「気が付けば私は、どんなことでもお兄ちゃんを第一優先とするようになってた……それは、今も変わらないの」振り向き、彼女は悲しそうな笑みを貼り付かせ、再び泣きそうになりながら、自分のことを卑下する。「私は最初、三人が無力感に苛まされているのを知ってどうにかしてあげたいと思ってた。 でも、その想いですら『お兄ちゃんが三人のことを気に掛けているから、お兄ちゃんの為になんとかしてあげよう』っていう感情から発生した一欠片でしかない。 私は三人が心配で気に掛けてるんじゃない。『お兄ちゃんが心配してるから気に掛けてるだけに過ぎない』。そのことに今更気が付いたんだ。 教導官の癖に嫌な女でしょ? お兄ちゃんは自分の教え子を本気で気に掛けてるのに、私は自分とお兄ちゃんのことしか考えてないの。 そのことに気付いて、私は、本当に自分でも腹が立つくらいに嫌な女なんだなって思い知って……」言葉の最後の方は嗚咽交じりとなり、眼に涙が溜まっている。「皆は私のことを優しいって言ってくれるけど、本当はそんなことない……私はエゴイストで、自己中心的で、打算的に動いているのを隠すのが上手いだけ」悲しい笑みで自嘲気味にそう言うなのはに、三人は胸を締め付けられる思いだった。「だから私は教導官として相応しくないんだ。何年もずっと人に戦い方を教えてきた筈なのに、今になってそんなことに気付くなんて笑っちゃうよ」「そんなこと、ないです」ついに我慢出来なくなったスバルが口を挟む。その表情はなのはと同様に悲しさで歪んでいたが、彼女の眼はなのはを真正面から捉え、逸らすことなく見つめている。「なのはさんは立派な先生です。なのはさん自身が否定しても、誰が何と言おうと私にとっては憧れです」震える声がこの場に居る者達の鼓膜に届く。「空港火災のあの時、なのはさんに助けてもらってからずっと、今までなのはさんに憧れてました。強くて優しい後姿を見て、それまで魔法とか戦うこととか嫌だったのに、私も強くなりたいって、あんな風に誰かを助けられるようになりたいって思えたんです」「それは違うよスバル。あの時だって、私はお兄ちゃんに頼まれてスバルを助けに行っただけなんだよ。もし私が助けなくてもお兄ちゃんが――」「もしソルさんが助けきてくれたとしたら、私は此処に居ません!!」泣き叫ぶような大声でスバルはなのはの否定の言葉を遮断する。「なのはさんが助けてくれたから、私は弱い自分を卒業して魔導師を目指そうと、強くなろうと思ったんです。あの時助けてくれたのがソルさんだったら、私はそれまでと同じ守られる立場にずっと甘んじていました」今の自分が此処に居るのはなのはのおかげだ、スバルはそう言った。言い切った。「私は此処に集まった賞金稼ぎの人達と違って、ソルさんがどんな人か知ってました。だから、甘えた考えですけど当時の私にしてみればソルさんは『助けてくれるのが当たり前の人』でした。親と一緒です。甘えるのが当然の立場だったんです」いつの間にかスバルの顔は涙と鼻水でグシャグシャだ。憧れの人物が自分を卑下することに耐えられない。見ていられない。これまで内に秘めていた思いの丈をぶつけてでも、悲しそうな顔をやめさせたい。「なのはさんだから、ソルさんじゃなくてなのはさんが助けてくれたから、私はなのはさんみたいに強くなりたいって思ったんです!! なのはさんは自分で『ソルさんの為』って言いますけど、なのはさんが今までしてきたことが嘘になる訳じゃありません!!」「っ!!」この言葉になのはは、はっ、となり、眼を大きく見開く。スバルはなのはの手を無理やり握り締めると、確固たる意志を以ってはっきり告げる。「スバル・ナカジマにとって高町なのはは憧れの人で、目指すべき目標で、追い掛けてきた夢なんです」「……スバル」「大好きな人を一番に考えることくらい、別にいいじゃないですか! なのはさんだって女の子なんだし。それに、ソルさんだってお酒飲みながらですけど何年か前になのはさんのこと自慢してました。『俺のことを一番に考えてくれる、俺には出来過ぎた妹だ』って」「うん……うん!!」先程とは違う理由で流れた涙など気にも留めず、なのはは子どものようにコクコクと頷く。――私は、お兄ちゃんみたいに誰かを導くことが出来たのかな? あの光り輝く太陽のように。純粋にスバルの言葉が嬉しい。義兄の為に、ただその為だけに生きてきたなのはにとって、これ程まで自分が他者から想われているとは想像したことが無かった。だから、「ありがとう、スバル」震えながら、それでいて感極まった声で、感謝の気持ちを伝えることで精一杯だった。「スーバールー!! ギーンーガー!! 元気してたー!?」たたたっ、とこちらに駆けてくるクイントの姿を見て、呼ばれた二人は思わず破顔する。「お母さん!!」「母さん!!」親鳥を見つけた雛鳥のようにクイントに飛びつく二人を見て、なのはとティアナは微笑ましそうに溜息を吐く。「ティアナ」「あ、兄さん……」クイントに少し遅れて現れたのはティーダだ。彼は近寄ってくるティアナと仲睦まじいナカジマ親子を交互に見比べて、「……」何を思ったのか、無言のまま両腕を広げた。「やんないわよ」「そんな……昔はもっとお兄ちゃんっ子だったのに」「いつの話よ、もう」羞恥で頬を染めつつそっぽを向いて呆れるティアナの態度に、ティーダは崩れ落ちる。しかし、そんな彼女になのはが諭すようにこう言った。「ダメだよティアナ。甘えられる時は甘えておかないと、勿体無いよ」「いや、流石にこの年になって実の兄に人前で抱きつくのは――」「お手本、見せてあげる!!」「へ?」言うが早いか、なのはは最後に登場したソルに向かって走り出す。「ん?」そんなことなど神の身ではないソルが知る訳も無く、欠伸しながらゆっくりと大股で無防備に近付いてきた。「「離脱っ!!」」いち早く身の危険を感じたユーノとザフィーラが、それぞれソルの肩の上から、腕の中から逃げ出した瞬間、「お兄ちゃん!!」「ぐお!?」ラガーマンなら誰もが惚れ惚れする程の見事なタックルが決まり、ソルはくぐもった悲鳴を漏らし、なのはに押し倒される形でコンクリートの上に転がった。大の字で仰向けに倒れたソルの上に跨るなのは。「なのはテメェッ!! いきなり何しやがむ――」「ん、んんぅ」上体を起こし文句を言おうとするが、なのはによって無理やり塞がれて何も言えない状態になってしまう。まだまだ初心なスバルとギンガとティアナは一瞬で顔を茹蛸のように真っ赤にし、クイントは何がおかしいのか声高らかに馬鹿笑いし、ティーダは唐突過ぎる光景に眼を瞠り、ユーノとザフィーラはキューキューワンワン鳴きながら厄介事を避ける為に即座にこの場から離れていく。ザザーン、ザザーン、と波がコンクリートに打ち付けられる音。その中に混じって微かに聞こえてくる濡れた音が、やけに耳に響く。時間にすれば十に満たない間だったかもしれない。なのははゆっくりと、名残惜しむようにソルの口を塞ぐのを止め、首を巡らしティアナに向かって誇らしげにのたまう。「こんな感じ。分かった?」「実の兄に人前でそんなこと出来て堪るかぁぁぁっ!!!」人として当然、と言わんばかりにティアナは全身全霊で突っ込んだ。顔は赤いままだったが。そして、「…………テメェに、テメェに羞恥心ってもんは無ぇのかなのはぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」案の定、こめかみに青筋を立てたソルがブチ切れて、天を貫かんばかりに巨大な火柱が発生したのは自然の流れだった。「毎回毎回不意打ちかましやがって!! いきなりあんなことして、しかもあいつらの眼の前で、一体どういう了見だ!?」「お兄ちゃんの照れ屋さん」「慎みを持てっつってんだよ、もうすぐ二十歳になるんだぞ? 時と場所くらい選びやがれ!!」噴火したソルがすぐさまセットアップし、それに応じるようになのはもバリアジャケットを纏う。二人は上昇しながら己の武器を手に空中で激しくぶつかり合った。「来てお兄ちゃん、抱き締めてあげる!!」「聞いてんのか人の話!? ……畜生、なのはもフェイトもはやても、どうしてこんな風に育っちまったんだ!?」世界を破滅させんばかりに大きな衝撃音が大気を震わせ、膨大な魔力が発生し突風にも似た衝撃波が周囲に荒れ狂う。赤と桜の魔力光が激突し、炎と砲撃が互いを喰らい合い、大剣と槍が交差する。「うふ、いいよお兄ちゃん。最高……もっと、もっとお兄ちゃんの愛をちょうだい。大丈夫、安心して。全部受けとめてみせるから」鍔迫り合いの状態で、なのはは誘惑する娼婦のように甘い吐息を零し、妖艶に舌なめずりをした。「……昔から薄々気付いてたが、お前頭おかしいだろ?」苦々しい表情でソルが毒つき、力任せになのはを弾き飛ばす。「そうだよ。私はとっくの昔からお兄ちゃんにイカれてるの!!」数えるのも億劫になる程の大量のアクセルシューターが瞬く間に生成され、土砂降りのような勢いでソル目掛けてバラ撒かれた。「ちっ」舌打ちをしてから封炎剣に炎を纏わせ、速度を落とすことなく、むしろ速度を上げて弾幕に飛び込みながら自身に被弾すると思われる魔力弾のみを払いつつ、一気に距離を詰める。「喰らいな」拳どころか腕そのものを炎で覆い、ソルはなのはに右ストレートを叩き込む。咄嗟に展開した桜色の障壁を突き破られ、なのはは炎拳を腹にモロに喰らって火達磨になり吹っ飛ぶ。しかし、<ディバインバスター>火達磨になって水平に飛ばされながらも、なのははレイジングハートの穂先をソルに向けたまま砲撃を放ち、攻撃直後の硬直で動けないソルをお返しとばかりに吹っ飛ばした。「野郎……!」「アハハハハ」空中で一旦静止し、ソルはなのはを睨み、なのはは嬉しそうに笑い、互いに武器を構える。「……しゃあねぇな。何が何だかさっぱり分からんが、いつものことと言っちまえばいつものことだ。こうなっちまった以上はとことん付き合ってやるぜ!!」「その調子だよお兄ちゃん、もっと気持ち良くなろう、一緒に!!」深い溜息を吐いてから全身に炎を纏わせ突撃してくるソルに対し、なのはは心底楽しいそうにレイジングハートを振りかぶった。上空から降り注ぐ火炎と桜色の魔弾の嵐に、ランスター兄妹は猫に追い掛け回されるネズミのように逃げ惑う。背後では、火炎が何かに着弾した瞬間に爆発が発生し周囲を紅蓮に染め上げ、桜色の輝きが照射されるとその空間が抉られる。此処は既に戦場だった。ソルとなのはは些細なことから海岸沿いをいきなり戦場にしてしまった。「うわ、うわわぁ、うわああああああああああああああああっ!!」「兄さん、こっち!!」慣れた感じのティアナが喚くティーダの手を引いて先導する。ティーダは数年前の事件で負った怪我が元で魔導師ではなくなっていた。この場では身を守る手段が無いに等しいので逃げるしかない。だからこそティアナは兄を安全な場所に移す為、その手を握り走り出す。が、いきなり眼の前になのはが、たたらを踏むように体勢を崩した状態で降り立った。「「げぇっ!?」」慌てて足を止める。次に何がやって来るかある程度予想出来たからだ。「バンディット、ブリンガー!!」予想は見事に的中。ランスター兄妹を飛び越すような形で斜め後ろ上空からソルが炎拳を振りかぶり、なのはに向かって振り下ろす。両足首から発生している二対のアクセルフィンを羽ばたかせ、バックステップをするというよりも背後に向かって跳躍し、なのはは炎拳を交わした。避けられた炎拳が地面に叩き付けられ、眼を灼く閃光と共に火柱が生まれ、コンクリートを破砕する。自ら作り出した炎に焼かれても全く意に介さず、ソルは肉食獣のように姿勢を低くしてなのはを追う。迎撃する為に、槍の穂先をやや下に向けるように構えるなのは。「いただきぃぃぃっ!!」「疾っ!!」大剣の薙ぎ払いと槍の刺突が激突。耳を劈く甲高い金属音が響き渡る。力勝負で勝ったのは炎を纏った大剣だ。桜色の魔力刃を粉々に打ち砕き、それだけに留まらず槍を力に任せて弾き飛ばし、なのはの体勢を大きく崩すことに成功していた。そこから更に一歩、大胆に踏み込んだソルが、なのはの懐に潜り込む。「っ!!」「タイラン――」右の拳に炎が宿る。圧倒的なまでの魔力と破壊力が秘められた拳を、なのはの腹に打ち込もうとしている。しかし、<フラッシュムーブ>此処で主の窮地を救うインテリジェントデバイス。瞬時に発動した高速移動魔法がなのはの身体は後方に向かって一瞬で移動させ、安全距離を確保。ボディブローを交わされ眉を顰めるソルとは対照的に、ピンチをチャンスに変えたなのはがその眼をカッと見開く。<ディバイン――>多大な瞬間魔力放出量と得意の魔力集束を掛け合わせ、コンマ数秒で練りに練った魔力をレイジングハートに乗せ、その折れた穂先をソルに向かって突き出し、トリガーヴォイス。「バスターッ!!」発射される桜色の魔力。自分に向かって真っ直ぐすっ飛んでくる砲撃魔法を前にして、右を読んだからっていい気になるな、まだ左が残ってるぜ!! と言わんばかりにソルは封炎剣を持ったまま左ストレートを繰り出す。「レイブッ!!」左の拳から放たれた炎の塊と、槍の先端から射出した桜色の砲撃が正面衝突。同時に発生する膨大な熱量と爆音、そして衝撃波。その余波をまとも受け、ランスター兄妹はまるで風が強い日によく飛んでる枯葉のように転がった。転がった勢いを利用して地面に上手く手を着き、そのまま跳ね起きたティアナは急いでティーダの傍に駆け寄ると、その身体を抱き起こし担ぐようにして彼の腕を自分の肩に回させて支える。「兄さん早く、急いで。此処に居ると、巻き込まれて死ぬわ」「わ、分かった」真顔で言い切る妹の言葉に若干気圧されながらも、それが冗談ではないことをこの数分で嫌という程思い知ったティーダは素直に従うことに。走りながら、ほんのちょっとだけ振り返ってみると、「オラァッ!!」「やああああああ!!」丁度二人がそれぞれの武器を振りかぶり、今にも相手に振るおうとしている場面だった。その後、ヒイヒイ言いながら血戦場から離脱することに成功する。ソルとなのはの二人は、あのまま戦いながら場所を遠く離れた海上へと移したようであった。青い海は嵐が来訪した時のように暴れ狂い、光が瞬く度に巨大な水柱がかなりの高頻度で立ち上がっている様子が確認出来た。嗚呼、お魚さんごめんなさい。とティアナは誰に謝るでもなく謝る。現在位置は海岸沿いからかなり離れた訓練施設の一角、その中にある建築物の屋上だ。此処なら被害は及ばないので、安心して観察することが可能。これだけ距離を離せば流石に流れ弾は飛んでこないとは思うが、油断は禁物なのでバリアジャケットを纏いクロスミラージュを展開しておく。ティーダは青息吐息で屋上の柵にへたり込んだ状態で、ぐったりしながらティアナに問う。「いつもあんな感じなのか?」「いつもって訳じゃ無いわ。普段は訓練場の模擬戦スペースで結界張ってやり合ってるから周囲に被害が出るなんて無いに等しいんだけど……」「けど?」「たまに、ね? 訓練以外で突発的に戦場と化すのよ、此処…………主に下らないことが原因で」苦笑いを浮かべ、ティアナは屋上から見下ろせる眼下を指し示す。首を巡らせて柵の間からティアナの指の先を見てみると、あっちこっちで修繕中の道路や壁などが視界に入ってくるではないか。路面にヒビが入っていたりやたら凹んでいたりするのは序の口で、街路樹が丸々一本根こそぎ無くなっている場所があったり、街灯が軒並みへし折れていたり、何かの一部分だと思われるコンクリートの塊がそこら中に転がっていたり、路面が一定区画全て真っ黒焦げだったり、地割れの痕があったり、最早修繕する気すら無いのか馬鹿みたいに大きなクレーターや半壊した何かの施設が放っておかれていたりする。「なんて環境に優しくない人達だ……」「常識無いしね。しかもよ、あれだけ派手に暴れておいて『じゃれ合ってるだけだ』なんて言うのよ。おかしいでしょ?」「……まあ、そうだね。オーバーSランク相当の戦闘能力を使ってじゃれ合うなんて真似、あの人達以外に存在しないよ、きっと」胡乱げな眼で先程自分達が逃げてきた場所に視線を注ぐと、未だに火災がほったらかしにされたままである。炎と黒い煙が青い空に向かってモクモクと伸びていくのに、警報一つ鳴らないどころか騒ぎ出す者など誰一人として見当たらない。「ティアナ、火事なんだけど」「大丈夫よ」「大丈夫って、あれ放置はダメだろ?」「もうすぐ鎮火されるから大丈夫だってば」「鎮火って誰が?」「誰かが」「そんなアバウトな!?」完璧にいつものことなのか、ティアナはこれっぽっちも火災の被害を考慮していない。そんな実の妹の態度に、今まで自分が抱いていた妹へのイメージと、自分の常識が崩れていくのを肌で感じ取るティーダ。とかなんとかやっていると、『業務連絡、業務連絡。三日ぶりに火災が発生した模様。ただちに消火活動に入る。局所的な豪雪に見舞われたくない者は火災現場から失せろ、邪魔だ』施設の至る所に設置されたスピーカーから、全くやる気が感じられないアインの声が響いてくる。そして、数秒もしない内に火災現場の上空に、見る者になんだか嫌な予感をさせる暗雲が立ち込めてきた。黙って事態を見守っていると、白い塊が暗雲から火災現場に向けて降り注がれていく。それはもう大量に。しかもその白い塊が遠目から見てもとてつもなくデカイ。きっと人の胴体と同じくらいだろう。「何あれ?」「アインさんがやってるんなら、たぶん、液体窒素を満載した氷の塊」「何処が豪雪!? 死ぬよね!? もしあそこに人が居たら問答無用で死ぬよね!?」氷塊に潰されても死ぬし、液体窒素なんて頭から被れば凍傷は免れない。そもそも液体窒素は気化すると体積が約650倍の窒素ガスになるので周囲の空気が窒素に置換され、空気中の酸素濃度の低下が原因で窒息する。その性質を利用して消火するつもりなのは分かるが……「でも、ソルさんの炎を消すには一番有効な手段だわ」言った通り、瞬く間に火がその勢いを弱めていく。完全に鎮火されるのは時間の問題だ。『なのはめ、一人だけ愉しむとは……明日は私が火災の原因を作ってやる』最後に嫉妬混じりの通り魔予告を残すと、スピーカーはそれっきり沈黙した。遠くの海上からは魔力爆発がせっせと拵えられている。綺麗な花火がドッカンバッカンと彩る情景は、此処まで来ると、もう楽しそうに見えてしょうがない。ちなみに、Dust Strikersの敷地内である湾岸地区は治外法権みたいなもので、どれだけ馬鹿騒ぎをしようと通報しない限り管理局がすっ飛んでくることはない。朝から晩までオーバーSランク相当の魔力が行使されるアホ空間なので、仕方が無いと言えば仕方が無いのだ。地上本部にしてみれば『訓練の度に馬鹿魔力放出しおってからに……イチイチ付き合ってられるかボケ!!』である。Dust Strikersは近隣部隊から『傍迷惑な癖して実績だけは高い、しょっぴきたいけどしょっぴけない、本当に困った、っていうかマジで迷惑な連中(笑)』という割と不名誉な評価を苦笑いと共に頂戴していた。気にする者など誰一人としていないが。「本当に環境に優しくない人達だ」「そうね」その光景に呆れた眼差しを送るティアナの表情を覗き込む。その表情は、とっくの昔に何かを悟り切ってしまったかのような、超然としてもので。嗚呼、ティアナは俺が知らない内にこんなに強くなったんだな。という風にティーダは妹の成長ぶり――予想の斜め四十五度上――を喜ぶと同時に、将来が若干心配になってしまった。「でも、結構意外」「何が?」「兄さん、何年も前からソルさん達と一緒に仕事してたんでしょ? なのに、あの人達の無茶苦茶っぷり私より知らないんだもの」クスクスと笑うティアナの声に、ティーダは疲れたように首を振る。「まあ、俺はあの人達と一緒に調べものとか、事件後の現場検証とか、情報共有の為の会議とかはよくしてたけど前線には出ないからな。プライベートでの付き合いは飲み会程度だし。戦闘能力の高さは知ってたけど、無茶苦茶な噂とかは信憑性皆無の尾ひれが付いたもんだと思ってあんまり信じてなかったが」そこで一旦区切って、遠い海の上で起こっている天変地異に眼を向けた。「まさかマジでコミュニケーションの一環で戦うとは思ってなかった。しかも原因が、ソルさんには悪いけど凄くどうでもいい内容……正直あんな些細なことで戦闘に移行するとは想像してなかった。フィクションに出てくる戦闘種族じゃあるまいし」「最初の頃は私も同じこと思ったわ」Q 何処の星からやって着た戦闘種族ですか?A 地球という星の管理外世界からやって着ました。ふいに思い浮かべた疑問と答えに二人は吹き出す。ひとしきり笑ってから、ティアナはティーダに正面から向き直り、真剣な表情でこれまで胸の内に抱えていた疑問をぶつけることにする。「兄さん」「ん?」「どうして、アタシをソルさんに預けようと思ったの?」「……」すぐには答えず、ティーダは暫くの間黙ったまま遠い海で繰り広げられている激しい戦闘を眺めてから、漸く重苦しく口を開く。「ソルさんの過保護っぷりを見込んで、かな」視線で続きを促す。「知ってると思うけど、ソルさんって身内、っていうか自分が認めた人物に対しては凄く甘くなるから、もし彼にティアナが気に入ってもらえれば大切に育ててもらえるかなって思ったんだ」「どんなに頑張っても、子ども扱いが関の山よ」悔しそう言って俯くティアナに、ティーダは大きく頷いた。「それでいいんだ」「どうして!?」思わず語気を荒くして兄を睨むが、ティーダは柔らかく微笑むだけだ。「子ども扱いされてるってことは、それだけソルさんに気に入られてるってこと、大切にされてる証拠なんだ。あの人は自分が気に入らない人間を気に掛ける程優しい人じゃない。むしろ徹底的に無視するか攻撃的な態度に出るかのどちらか。かなり極端な性格の人だ。それは知ってるだろ?」まだ納得いかないが無言で首肯しておく。「で、魔導師として育てるとなったらとことん厳しく鍛えてくれる。大切にされてる分、ゆっくり、丁寧に。なのはさん達だって数年前までは子ども扱いされてたって聞くから」「そのなのはさん達だけど、ソルさん曰く『どうしてこうなった!?』だそうよ?」「それは性格的な問題だろ。戦闘能力はちゃんと認められてる。仲間として信頼されて、良きパートナーとして隣に立っているじゃないか」「……」口を噤み、ティアナは海の上に羨望の眼差しを向けてから弱々しい声を搾り出す。「でも、でも私は、あんな風になれない……あんなエース・ストライカーみたいに強くなれない……」嫌という程味わった。才能へのコンプレックス。努力しても乗り越えられない、生まれ持った資質という壁。膨大な魔力と才能の持ち主に嫉妬して、エリート連中に負けたくなくて一生懸命努力して、死ぬ気で訓練してきたのに、現場では子ども扱いの足手纏い。屈辱的な無力感、自分が必要とされていない絶望感。自分は何の為に此処に居るのか、意味を見出せない。そんなティアナの様子に、ティーダは勘違いさせてしまったかな、と前置きしてから語り出す。「ティアナ。ティアナは何か勘違いしてるけど、俺はソルさん達みたいになって欲しくてソルさんに預けた訳じゃ無い。そもそもティアナにあんな風になれ、って言ってないし……むしろ万が一にでもあんな風になったら俺は泣くぞ」苦笑交じりにそう言ってから、彼は真面目な顔になる。「なあティアナ。ティアナはティアナだろう? ソルさんでもなければなのはさんでもない、他の誰でもないティアナ・ランスターだ。 ティアナはティアナ以外の誰にもなれない。 勿論、俺にもなれない。ティアナが俺の夢を継いで執務官になっても、ランスターの弾丸に撃ち抜けないものは無いと証明しても、ティアナはティーダ・ランスターじゃないんだからな」ティアナはティーダ・ランスターにはなれない。そんなことは初めから分かっていた。今更言われなくても分かっている。分かってはいたが……しっかりと理解していなかったのかもしれない。「仕官学校と空隊の試験に落第して以来エリートってのに劣等感抱いてて、小さい頃から自分の魔力資質に不満があったのも、よく知ってる。 でも、そんなことと比べたら、何よりも俺の存在が憧れであると同時に劣等感の源だったろ?」「そんなこと――」「そんなことあるさ。こう見えてもお前の兄貴だぞ? お前が何に悩んでるかくらい、手に取るように分かるって」必死になって否定しようとするティアナをティーダは苦笑で遮ってしまう。「どうして俺みたいに出来ないのか、どうして俺みたいになれないのか、こういう風に思ったことが一度も無いなんて言わないよな?」「……」沈黙は肯定の意味を示す。「でもな、それが当然なんだ。ティアナは俺じゃない。同じことをやっても結果と過程が違って当たり前だ。 俺の後を追い掛け続ければいずれ俺に辿り着く。でも、ティアナは俺が辿り着いた場所まで行ったらきっと立ち止まってしまう。 それが怖かった。そこで満足してしまうこと、そこで成長が止まってしまうことがな。 だからこそ俺には出来なかった経験をしてもらいたい。ソルさん達の下でな。 そりゃ訓練は凄く厳しいって話しだし、泣き言言いたくなるだろうけど、普通に執務官を目指すよりも良い経験になる筈だし、此処での経験は絶対にティアナの財産になるから」ティーダはティアナの両肩に手を置いて、至近距離から優しく言葉を紡ぐ。「よく聞いて、ティアナ。此処にティアナを預けたのは確かに俺の我侭だ。ティアナにとっては余計なことだったかもしれない。 けど俺は、ティアナにソルさん達みたいになれなんて言わないし、俺みたいになれなんて言うつもりも無い。 その代わり色々な『強さ』を知って欲しい。あの人達は色々な『強さ』を持ってるから。 その上でティアナはティアナなりに頑張って、自分なりの『強さ』を見つけて、その『強さ』に向かって真っ直ぐ突き進んで……そうすれば、ティアナはきっと今よりずっと強くなれるよ」その言葉を聞いて、ソルの言葉が脳裏を過ぎり、はっとなる。――『人それぞれって奴だ。価値観も解釈の仕方も見解も人間の数と同じだけある。だから、強くなりたいんだったら自分なりの『強さ』を見つけるんだな』そうだ。訓練は厳しかったが、誰かの真似をしろとか、こうじゃなきゃいけない、みたいな言い方は誰もしなかった。技術的なものや心構え、戦い方は教えてくれた。だが、その後は自分の好きにしろと言わんばかりの態度で。『強さ』とは何か質問した時、ソルははっきりと『知るか、テメェで考えろ』と答えた。つまり彼らは最初から、『自分なりにどう強くなるか』を言葉にしないで促していただけなのだ。教導官の癖して、導くというよりも教え子に考えさせる点が、どっちかっていうと普通校の先生みたいである。管理局の教導隊ではこうはいかないだろう。しかし、たまに見かける銀縁眼鏡に白衣姿は、確かに理系の先生のようではないか。「兄さんも、ソルさんと同じこと言うのね」「ん? もしかして似たようなこと言われたの? もしそうだとしたら光栄だ」屈託無く笑って、ティーダはティアナの肩から手を離し、そっと離れる。もうこれなら大丈夫、と判断して。「兄さん」「何?」ティアナの声には、憂いも無ければ陰りも無い。ただ、内に秘めた闘志のようなものが垣間見える、そんな強い声だ。「アタシ、強くなるわ。ソルさん達が持つ『強さ』がどんなものなのか、誰かに教えてもらうんじゃなくこの眼でしっかりと見極めて、それからアタシなりの『強さ』を見つけて、その『強さ』に向かって迷わず進んでみせる」「……ああ」満足げにティーダは相槌を打つ。ヴィータはソルのことを、狩人であり復讐者であり贖罪者だったと言い、ソル本人も自身のことを罪人だと自称しているらしい。その話を詳しく聞くことは叶わず、一体どういう経緯があってソルが今に至るのか、全ては謎のままだ。興味が無いと言えば嘘になるが、知らないままでもいいと思う。そう思えるようになった。少なくともソルが自ら好き好んで犯罪に手を染めるような輩ではないと知っているし、悪党ではないのも重々承知だ。もしそうであれば、あそこまで周囲から慕われる訳が無い。何か人には言えないような、とても深い事情があった。それで別にいいではないか。今はそんなことよりも、彼と彼の仲間が持つ『強さ』の意味と理由を、知りたかった。「だから、その為にも」未だに終わりが見えない戦闘が繰り広げられている海上に向き直り、「これからもご指導ご鞭撻の程をよろしくお願いします、”先生”」礼儀正しくお辞儀をするティアナだった。ランスター兄妹とは全く逆方向に退避していたナカジマ親子の三人は、安全圏まで避難すると安堵の溜息を吐く。「ふう、危うく灰になるとこだったわ」「ねぇお母さん、なんで口調が『面白かった』って感じなの? それ、本当にシャレなってないからね」「だって見たでしょ、あいつのあの顔。照れてるのを必死に隠して怒ってる風に装う所が相変わらず子どもっぽくて、ついね」ソルさんをからかうのが好きなのも相変わらずだ、と姉妹は半眼になって思う。いつもと違うのは、ソルの怒りの矛先が今回はクイントではなくなのはに向いた程度だろうか。「……ってあれ? ソルさん、怒ってないの?」母の言葉の一部分にふと気付き、ギンガが問う。それにクイントは意地悪い笑みで首を縦に振る。「あいつね、普段の仏頂面じゃ想像出来ないかもしれないけど、本当はなのはちゃん達のこと溺愛してるんだから」「ええー、あれが?」「本当なの? 逆なら納得出来るだけど」胡散臭そうに姉妹が視線を送るその先では、海上で激しく衝突を繰り返す紅蓮の炎と桜色の魔力光があった。ぶつかり合う度に海がなんか凄いことになっている。嗚呼、此処の海洋生物は死んだな、と冥福を祈ってしまう。「あ、信じてないわね。ま、無理もないと思うけど本当よ。だって本人から聞いたもの」「ちなみにどんなシチュエーションで?」とギンガ。「酒の席で」「明らかに殴り合った後だよね、それ」いつものことだけど相変わらずソルさんとお母さんはバイオレンスな友情で結ばれてるなぁ、と深い溜息を吐くスバル。「スバルがまだ陸士訓練校に居た頃だから結構前ね。あの時はギンガがスバルの寮に遊びに行ってたからたまたま居なかったんだわ」顎に手を添え、うーん、と唸ってから懐かしそうに眼を細めた。「いつも通りお酒飲んでから一戦やらかして、頭グデングデンになってから朝まで飲み続けて、私もソルもベロンベロンの前後不覚になってから漸く苦労してゲロしたのよ」「ギン姉、冒頭から何もかもがおかしいと思うのは私だけ?」「突っ込んじゃダメよ」姉妹がコソコソ耳打ちし合っている。「あいつね、こう言ってたわ」そんなことには構わずクイントは続けた。――『戦うこと以外の生きる術を失った俺に、あいつらは忘れちまった大切なことを思い出させてくれた。使っていなかった感情に触れてくれた……温もりを、俺にくれた』「感謝してる、愛しいなんて感情はとうの昔に超越してる、あいつらの為ならこの世の全てを敵に回しても構わない、ってさ。この台詞を酔ってんのに真顔で言うのよ」たとえ酔っている時に出た言葉とはいえ、いや、むしろ酔っている時だからこそ出てきた本音なのだろう。ソルにとってなのは達は、言葉通り世界を敵に回しても構わない程に大切な存在だというのが窺い知れた。「ハハ、ソルさんなら世界中を敵にしても勝っちゃいそうだから冗談に聞こえないね」「きっと勝つ自信があるのよ。そんな大仰な台詞言えるの、きっと次元世界であの人だけだわ」スバルが微笑ましそうに笑うので、ギンガは肩を竦めて応じつつ、それにしてもと思考を巡らせる。(でも、妙ね。今の母さんの話だと、ソルさんが十九歳だとはどうしても思えない。やっぱり、年齢を偽っているような気がする)今まで抱いていたソルへの不審が浮き彫りとなっていく。人の過去を勘繰る真似は、捜査官としての職業病のようなものであった。本来ならばソルに対して過去を詮索するなどしたくなかったが、一度不審に思ってしまうとそうはいかなかった。現在十九歳、ということになっているがこれでは辻褄が合わないことがある。何故なら、ソルが高町家に居候を始めたのが約十五年前。登録された通りの年齢ならその当時は四、五歳だ。いくらなんでも初等学校に通う前の子どもが、戦闘を生業とする賞金稼ぎなど出来る訳が無い。ヴィータはソルのことを『狩人』『復讐者』『贖罪者』『罪人』と教えてくれた。その上で『ソルの過去は詳しく話せない』とも言った。『たった独りでずっと復讐と贖罪に生きてきた』という点にも引っ掛かりを感じる。年齢的にこれもあり得ないのだから。極めつけは、今のクイントが教えてくれたソルの言葉だ。『戦うこと以外の生きる術を失った』『忘れちまった大切なことを思い出させてくれた』『使っていなかった感情に触れてくれた』これは一体どういう意味か? とても重要な、ソルの過去を知る為の鍵に思える。不審な点は他にもまだまだたくさんあった。ティアナのクロスミラージュを性能テストしている時のシグナムが言ったこと。――『あのチンピラのような外見や性格から大半の者が勘違いしているが、本来ソルは科学者、研究職の人間だ。初めから賞金稼ぎだった訳では無い』賞金稼ぎになる前は科学者だったという事実。やはりこれも年齢的に絶対あり得ない。何処の世界に賞金稼ぎで科学者の五歳児が存在するというのだ。(元科学者……物理学で学位を得る程、デバイスマイスターとしても、ロストロギアの考古学者としても、優秀過ぎるくらいに優秀……)バラバラになっていたピースが一つひとつ繋がっていく気がしてくる。(そもそも、どうしてソルさんは違法研究を目の敵にしているの?)賞金稼ぎとして活動を”再開”する切欠となった戦闘機人事件。今でもはっきりと思い出せる、病院のベッドの上で眠る母の痛々しい姿。友人のクイントが死に掛けたから? そうかもしれない。救えなかった命、死んでしまった人達の無念を晴らす為? 義理厚く人情深いソルならあり得るかもしれない。命を弄び、人の尊厳を踏み躙る違法研究が許せない? きっとそうなのだろう。しかし、これだけでは弱い気がする。ソルはこれだけではない、もっと強い感情、理屈抜きで動いているような気がしてならない。――『この手で必ず殺さなければならない奴が、一人居た』――『俺は、そいつを殺す為だけに”力”を求め、戦い、邪魔する者を全て皆殺しにして生きてきたからだ』(あった! ソルさんが理屈抜きで動く理由!!)憎悪。あの時垣間見せた、並々ならぬ狂おしいまでの憎悪だ。よくよく思い出してみれば、ソルは”違法研究に手を染める犯罪者を憎んでいる”というよりも、”違法研究そのものを憎んでいる”ように感じる。このDust Strikersに出向する前に一緒に仕事をした時、ある違法研究所に踏む込もうとしていたソルの横顔が悪鬼羅刹のようだったのは、そう古い記憶ではない。そして、スバルやギンガなどの『被害者』には非常に優しい。「……あ」思わず声が漏れたことに気付かず、思考は高速で回転していく。優秀な科学者でありながら、『戦うこと以外の生きる術を失った』。必ず殺さなければならない人物が一人居た、『復讐者』。『戦うことが復讐であり贖罪であった』賞金稼ぎは、贖い続けるべき『罪人』。違法研究に対する異常なまでの憎悪。魔力強化や魔法無しで、戦闘機人である自分達を易々上回る身体能力。そして、決定的なのが、――『強くなりたいと願うのはいい、力が欲しいと求めるのも構わん……だが、後悔したくなければ、俺のようにはなるな』まるで自分自身を卑下するような言葉。(!!)此処でギンガは、とある結論に至る。その結論は、導き出した答えの通りであれば全ての矛盾に説明が出来る程のもの。更に言えば、これまで見てきたソルの言動に酷く納得出来てしまう。決め付けてしまうのは早計だが、最早そうとしか思えない。「ねぇ、母さん。聞きたいことがあるの」トーンを下げた低い声で、ギンガはクイントに声を掛ける。「ん? 何?」首を傾げてこちらを窺ってくるクイントの顔を挑むように見つめて、ギンガは意を決して疑問をぶつけた。「ソルさんは、私達と同じ、違法研究で生まれた人造魔導師なの?」あまりに直球的な物言いに、この場に居た全員の動きが、凍る。「ったく、手間掛けさせやがって……」やれやれと溜息を吐き、封炎剣をクイーンに格納させると、眼の前の相手が力無く落ちていこうとしていた。意識を失い、飛行魔法を維持することが出来なくなったのか、星の引力に従い海面に向かって真っ逆さまに落ちていくなのはに手を伸ばす。左手で彼女の左手首を掴み、ぶっきらぼうに言い放つ。「邪魔だレイジングハート。モードリリース」<了解しました>命令を受け、槍型デバイスは宝石型の首飾りへとその形を変え待機状態に移行。それを確認し、俺はなのはの左腕を肩で担ぐように自身の首に回させ、彼女の腰に右腕を回して抱き寄せた。「おい、しっかりしろ」「……」反応が無い。完璧に意識が飛んでる。「ちっ、ウチの女共は本当に手間が掛かる」悪態を吐きながらなのはを抱きかかえ直し、ゆっくりと陸地に向けて進む。と、「へへ、お姫様抱っこ……」腕の中で口元をニヤつかせる馬鹿が一人。狸寝入りしていたことにムカついたので手を離すが、「きゃあああああああっ、落ち、落ちる、おちるぅぅぅっ」落ちる落ちる言いながら必死になってしがみ付いてくるので逆効果だった。しかも絶対に放さないとばかりに足まで腰に絡ませてくる。「ちっ、落ちろよ」「酷いよ!!」「うるせぇ、意識があるんだったら自力で飛べ」「魔法使う余力なんて残ってないからこのまま抱っこしてて」「せめておんぶにしろ。この体勢は倫理的にマズイ」腰に絡まった両足、瑞々しい太腿がとにかくエロイ。どうして女はバリアジャケットにズボンを採用しないでスカートを選ぶのであろうか。謎だ。特にウチの連中はどいつもこいつほとんどミニだし。最早狙ってやってるとしか思えない。……狙ってるんだろうなぁ……「欲情しちゃう? このまま、する?」頬を染め、腰を擦り付けるように揺らし、上目遣いでそんなことを言ってくるなのはは調子に乗ってると感じたので、首根っこ掴んで無理やり引き剥がす。「わあああああ、本気で落とそうとしないで!! ごめんなさいごめんなさい、調子乗っててごめんなさい、だから落とさないで――」「じゃあな、アバズレ」最後まで聞く耳持たず、ポイッとなのはを背後に放り捨てると、一瞬の間を置いて盛大な水柱が出来上がった。結局。なのはは濡れ鼠の状態で俺に背負われていた。おんぶしてやってる俺も全身ズブ濡れだ。最後の力を振り絞ってチェーンバインドを俺の足首に伸ばして水中に引きずり込みやがった、こいつ。魔法使う余力なんて無いんじゃなかったのか!?海水を飲んじまった瞬間マジで捨てて帰ろうかと思ったのだが、子泣き爺のように背中に張り付いて離れようとしないので、おんぶせざるを得なくなっちまった。「海水の張り付いた感触が気持ち悪い」俺の肩に顎を乗せ、なのはが文句を言ってくる。「奇遇だな、俺もだ」テメェの所為だろうが!! とは口には出さず同意だけ示しておく。とっとと帰ってシャワーだな、これは。歩くような速度で飛行していると、暫くして不意になのはが頬をぴっとりくっ付けてきた。「ねぇ」「ああ?」「こうしておんぶしてもらってると、昔のこと思い出すよ」「……そうだな」十五年前のことを思い出し、声が自然と優しいものになったのを自覚する。「懐かしいね。毎日お兄ちゃんに色んな所連れてってもらって、遊びながら色んなこと教えてもらって、疲れて歩けなくなると今みたいにおんぶしてもらって帰る」「お前体力無かったよな。帰りの道中、よく寝てたの覚えてるか?」「うん。お兄ちゃんの背中、暖かかったから気持ち良くて、つい」そう言って、えへへと無邪気に笑う。こういう笑い方は、当時から変わっていなかった。「……私、昔と比べてどう? 少しは変わったかな? それとも変わってないかな?」唐突にこんな質問を投げ掛けてきた。その口調は俺に聞いているというよりも、自問しているようだ。「変わってない部分もあれば、変わった部分もある、としか答えられねぇな」「そっか。お兄ちゃんがそう言うなら、きっとそうなんだろうね」「こんなこと聞いてくるなんて、急にどうした?」「……うん。ちょっとね」はぐらかすようにして、なのはは明確に答えようとはしない。どうしてこんなことを聞いてきたのか少し気にはなったが、俺は気にしないことにする。ただその代わり、俺は俺なりの考えを伝えるだけ。「お前が今どう思ってるのか分からんが、なのははなのはが望んだ通りに生きればいい」「お兄ちゃん?」「お前がフェイトとはやてと三人で俺を倒して以来、ずっと思ってた……いや、覚悟したことだ。俺はもうお前の生き方に口出ししねぇってな。自分の人生、自分で考えて、自分で決めるのは当たり前。もうガキじゃねぇんだからな」「……」「だから、俺に付き合って無理に戦う必要も無ぇ」「別に無理してる訳じゃ無いよ」憮然とした声が返ってくるので、俺は苦笑する。「そうか?」「そうだよ。好きで戦ってるんだから」つられてなのはも笑う。「とんでもないバトルジャンキーに育っちまった」「って、そうじゃない、そうじゃないの!! 好きっていうのは、お兄ちゃんの為に好きで戦ってるって意味で、別に戦いが好きな訳じゃ――」「嘘も大概しとけ」「嘘じゃないってば!?」背負われた状態で頬を膨らませたなのはが俺の頭をポコポコ叩く。こんな些細なやり取りが楽しいと感じてしまう俺は、昔とは比べ物にならないくらい、変わっていた。弱くなったかもしれない。甘くなったかもしれない。だが、それでいいと思う。俺はなのは達と出会って、”人間”になれたのだから。きっと、その兆候は前々からあった。それに俺自身は気付こうとしなかった。様々な連中に出会って、戦って、真正面からぶつかり合って、多少なりとも影響されて。――『私を馬鹿にするのもいい加減にしろよ……ソルッ!!』聖騎士団に入団して以来、因縁の間柄となったカイ。――『行け、ソル。そして忘れるな。お前が聖騎士団を抜けようと、お前は儂の部下であり、大切な家族なのだと』聖戦時代、唯一俺のことを認めてくれたクリフの爺さん。――『ダーンナ、久しぶり!! 元気しってた~?』いつの時代に会えるか分からない腐れ縁のタイムスリッパー、アクセル。――『キミのファンになりそうだ。構わんかね?』好々爺のような態度を終始崩さない喧嘩仲間の吸血鬼、スレイヤー。――『また……語り合おう……三人で……な』最後の最期に全てを思い出し、泣き笑いのような表情を浮かべて逝ったジャスティス。――『ギアに、生きる価値は、ありますか?』己の生まれた意味を見出せず、どう生きればいいのか分からず泣いていた、ギアと人との間に生まれた少女。――『オヤジィィッ!!』食欲と好奇心だけはやたらと旺盛な義理の息子、シン。――『アンタもシンももう友達だ』臆病者と自称していながら何度も手助けしてくれたイズナ。――『抱え込むなフレデリック。お前だけの問題ではない』ギアを狩る俺が初めて手を取り合って共闘することとなったギア、Dr,パラダイム。――『もういいよ、フレデリック……』アリアそのものでありながら敵として相対したヴァレンタイン。――『生きろ、”背徳の炎”よ』そして、”あの男”。少しずつ、少しずつ変化していく自身のことに全く気が付かなかったのは、我がことながら本当に無頓着だった。――『貴方、修羅にしては迷いがある。迷いがあるにしては陰りがない。何故覇道を歩かれます?』そんな俺を、紙袋を頭に被った変態ヤブ医者は何年も前に一目見て看破していたのかと思うと、なんか無性に腹立つが。おんぶし直して、なのはの重さを改めて実感しながら口にする。「ま、つもりはそういうことだ。お前が自身に変化を求めようと、今と違う人生を選ぼうと文句は言わん。好きにしろ」「……私が、ずっとお兄ちゃんの傍を離れずに生きることを望んでも?」「ああ。お前らが俺を拒絶しない限り、俺はお前らの傍に居る……昔、約束したろ」「……うん」「なのは」「何?」「忘れんなよ。俺はお前の味方だ。たとえどんなことが起こってもだ。それは今も昔も変わらん。変わるつもりはねぇ」「うん……よく分かってる……お兄ちゃんは、いつでも私の、味方……」今更疲労を自覚して眠くなってきたのか、なのはの声が段々小さくなっていく。「ずっと傍に、居てくれる……これからも、ずっと、一緒だよ……」それを最後に、なのはは完全に眠ってしまったのか、気持ち良さそうに寝息を立て始めた。「やれやれ……こうして俺は自ら墓穴を掘って、雁字搦めになる訳だな」肺の中の空気を全て吐き出すように溜息を吐く。まあいい。悪くはない。十五年前に出会った小さな女の子が、俺に人としての生き方と、誰かを愛する心を思い出させてくれた。感謝してもし足りない。「おに……ちゃん」耳元から俺を呼ぶ声。どうやら寝言らしい。寝ても覚めてもこいつは俺のことしか頭にないのか。呆れてしまうのと同時に、なんだかこそばゆくなってくる。誰かを想い、想われているというのは、なんというかこう、くすぐったい。懐かしい記憶。まだ人間だった頃を、思い出す。「何だよ、なのは?」返事があるとは思えなかったが、俺は声に応えた。すると、「こども、ほしい」とんでもない返事が。「……」三人でも面倒見るのが大変なのに……だが……まあ、別にいいかもしれない。流石にまだ子どもを作る覚悟は出来ないが、孤独に震える子どもを引き取るくらいは構わない。「……そうだな。もし、また引き取り手の無いガキを見つけたら、ウチに連れて帰るか」起きていようが寝ていようが気にせず、俺はなのはに告げる。「そん時は、お前が母親やれよ」「うん……」小さく頷いたのが聞こえた気がして、俺は肩を竦めるのであった。後書きまず、今回の大震災で被害に遭った方々に心からお見舞い申し上げます。私自身には特に怪我も無く、家族も友人も被害らしい被害は無かったです。職場から徒歩四時間掛けて帰宅した程度で済みました。で、今回のお話で原作アニメDVD三巻までが終了となった感じです。これまでは主にティアナに重きを置いて書いてきましたが、それに一旦区切りみたいなのが出来たので段々と他のキャラへとスポットを当てていきたいと思っています。今まであんまりスポットが当たってなかったスカさん側などの所謂ソル達の敵。特にナンバーズの三番とか、ゼストとアルピーノ親子がそれぞれどうしているかとか、そしてレジアスのおっさんの葛藤とか。勿論、ヴィヴィオのこともバシバシと!!それにしても遅筆過ぎる……次回更新はいつになることやら……ちなみに、前回のヴァイスに対するソルの酷い態度ですが、あれは原作GGAC+のストーリーモードにてソルがカイに言ってたのとまんま似た感じです。以下、原作ストーリーモードから抜粋。『思い通りにならないからって、八つ当たりしてちゃ世話ねェな』『人様に指図する前に、テメェの悩みを解決しやがれ』という風に。加筆した部分にもありますが、ソルは責任逃れするような輩が嫌いなので、ヴァイスへの態度がカイよりも厳しいものになっているのは自明の理だと思います。また、GG2の設定資料集にあるショートストーリーでも、カイが生後半年程度のシンをどう扱えばいいのか分からず悩んでいる場面を見て、珍しくソルから問答無用で喧嘩を売るというシーンもあります。つまりまあ、ケツを引っ叩いてくれる人ではあるんですけど、そのやり方が暴力的に映るだけで…………って、やっぱりただのチンピラじゃねーか。さて次回は――ついにソルの核心に迫るギンガ、驚愕の事実に動揺を隠せないスバル、そして戦闘機人の娘を持つ母としてクイントは何を思いどうするのか?そして、奪われたジュエルシードを手に入れたスカリエッティ達はそれをどうするつもりなのか?ではまた次回!!