ティアナの思考を埋め尽くすのは、「なんでアタシこんなことしてるんだろう?」だった。その疑問に答える者はいない。仕方が無いので、一度思考を打ち切ってから改めて現状を確認してみる。自分の名前はティアナ・ランスター。十六歳。時空管理局に所属する陸戦魔導師で、階級は二等陸士。魔導師のタイプは精密射撃を身上とするミッドチルダ式で、魔導師ランクは陸戦B。今は賞金稼ぎギルド組織”Dust Strikers”に出向中。現在居る場所は第97管理外世界”地球”の日本という国に存在する海鳴市という街。此処に来たのは仕事で、海鳴市にあると思われるロストロギアを捜索し発見次第封印する為だ。だというのに、これは何だ?もう何度目になるか分からない溜息を吐きつつ、己の姿を確認する。ヘアースタイルは何時もと同じツインテールだが、それに加えて白いフリルが付いた黒いカチューシャを装着していた。服装は普段着でもなければ管理局の制服でもない。濃紺のワンピースと、やはり白いフリルが付いたエプロンを組み合わせたエプロンドレスと称される物。俗に言うメイド服だ。長袖で、フリルの装飾も過剰ではない。下品にならないように、かつメイド服としての魅力が損なわれないように丈が膝下までの長さを持ち、どちらかと言うとシンプルなデザイン。他人が着ているのを見ている分には素直に可愛いと思える格好なのだが……手にしているのは『喫茶翠屋ただいまランチタイム!! 他にも一部のセットメニューやお好みのケーキを割引してます!!』と書かれたプラカード。(……本当にアタシは何をやってるんだろう?)普段の生活とは全く縁遠い恥ずかしい格好で、人がたくさん行き交う繁華街でプラカード掲げて喫茶店の宣伝だ。おかしい。何もかもがおかしい。自分は時空管理局の局員で、地球にはロストロギアを回収しに来ただけなのに、気が付けばメイド服でプラカードを手に客寄せをしている。「翠屋でーす!! いかがですかー!?」「今、ランチタイム中ですのでお得になってますよー!!」更におかしいのは両隣に居る同僚の二人。ティアナと全く同じ格好をしたスバルとギンガが実に楽しげな表情で、現状に全く疑問を抱かず、自分と比べれば遥かにノリノリで声高らかに客寄せをしている点だ。繁華街でメイドさんが三人。こんな風にしていれば嫌でも目立ってしまい、何事かと立ち止まって注視してくる人々は少なくない。周囲から視線を浴びせられる状況が続く中、ティアナは顔を赤くしながらも健気にプラカードを掲げ続けた。「ほら、ティアも声出さなきゃダメだよ」「スバルの言う通り。ティアナ、恥ずかしがってる場合じゃないわ」最早反論する気力も無ければ現状に不満を言う気にもなれない。……もう腹を括るしかないのだ。こうなることはなのはの母である桃子から発せられた、有無を言わせぬ笑顔のプレッシャーに負けた時点で決まっていたのだから。大きく深呼吸をして、とりあえず頭の中からロストロギアのことや仕事のこと、どうしてこうなった? という疑問やその他諸々を全て叩き出す。そして――「喫茶翠屋、現在ランチタイムとなっております!! お得なセットメニューやケーキの割引を多数ご用意しておりますので、この機会に是非ご利用くださいませ!!!」どうにでもなってしまえ、とヤケクソ気味に腹から声を出すティアナであった。背徳の炎と魔法少女StrikerS Beat11 Launch Out?知った声が聞こえたので思わず足を止める。ティアナの声だったか?少し気になったので足をそちらの方に向けた。やがて、メイド服を着てプラカードを掲げて行き交う人々に一生懸命声を掛けている三人が視界に映った。と、向こうもこちらに気が付いたのかスバルとギンガが手を大きく振り、その二人の真ん中に居るティアナが俺に気付いた瞬間、赤かった顔を更に赤くして俯いてしまう。ナカジマ姉妹は純粋に楽しんでいるようだが、ティアナはそうではないらしい。知り合いにメイド服姿を見られるのが嫌なのだろうな。「……同情するぜ」自分で画策しておきながら外道な独り言を呟きつつ、俺は軽く手を挙げ三人に歩み寄る。「似合ってるじゃねぇか。馬子にも衣装だな」「えへへへ、ありがとうございまーす」地球のことわざを知らないスバルが屈託の無い笑みを浮かべ、その場で見せ付けるようにくるりと一回転。その動きにつられてスカートとエプロンが一瞬だけフワッと広がった。昔から頭髪が短くボーイッシュな服装を好むスバルがメイド服を着ているのを見ると、こいつも女の子だったんだな、と感慨深くなってしまう。――<老婆心一杯な年寄りのお節介ですね>先程のクイーンの発言を思い出す。……なんか年寄りみたいなことを考えてしまったが、実際年寄りなので気にしない。「なんだか照れ臭いけど、男性から『似合ってる』って褒められるのは悪くないですね」ギンガが口に手を当て、クスクス笑う。そんな二人の後ろに隠れるようにして俺のことを窺っているティアナ。その表情は羞恥やら困惑やらに染まっている。ついでに言えば恨みがましい視線だ。まるで人見知りをする子猫のようだ。「今更恥ずかしいってか。笑わせやがる」挑発するように鼻を鳴らすと、ティアナは唇を尖らせておずおずと二人の後ろから出てくる。未だに頬は羞恥で赤いままだが、負けん気が強い彼女は俺から視線を逸らさず反骨精神を奮い立たせ、睨むように見返しつつ口を開く。「……なんで私達がこんなことしなくちゃならないんですか? 私達にはやるべき仕事がある筈なのに」非難めいた口調。メイド服を半ば強制的に着せられたことに対しての不満なのか、今の格好を俺に見られたことに対して機嫌が悪いのか、それともちゃんと本業をさせてもらえない状況が気に入らないのか、イマイチ判別出来ない。たぶん全部だろうな、と思いながら俺は言葉を紡ぐ。「お前達の本来やるべき仕事はもう終わった」「「「はい?」」」固まる三人をそのままに続ける。「ついさっき、歩いてたら偶然見つけたから封印しておいた。だからロストロギアのことはもう気にするな」「……」「……」「……」がやがやとうるさい繁華街にも関わらず、俺達の周囲だけがこの世界から断絶されたように音が消え、居た堪れない沈黙が降り立った。いくらなんでもわざとらしかったか?呆けたように口を半開きにしている三人は、何もリアクションを起こさない。俺は自身の顎に手を当て、今の発言の何処がまずかったのか思案していると、いつの間にかティアナの様子がおかしい。全身がプルプルと小刻みに震え始めている。「じゃ、じゃあ、アタシ達は、い、い、一体何の為に……此処へ?」誰かに問い掛けるというよりも、自問自答しているかのような口調のそれは、何か堪え切れないものを必死に堪えているように感じた。相当ご立腹らしい。考えてみれば当然か。仕事で地球に来た筈なのに、蓋を開けてみれば食い倒れ道中&メイド服で喫茶店のバイト。しかもそんなことしてる間に本来の業務は終了しました、だもんな。食い物に釣られ易くて何事も楽しまなきゃ損、というクイントの考え方を受け継いでいるナカジマ姉妹と比べれば、ティアナは真面目過ぎる性格だ。なんというかこいつは、自分で決めた枠組みの中へ無理やり入ろうとしている嫌いがある。その枠組みは窮屈で入るには難しいのに、無理に押し入ろうとする。その気になれば枠組みを広げることなど簡単に出来るというのに、そのことに気付かない。自分で正しいと思ったこと以外は正しくないと思っている、という表現をするとやや過剰だろうが、そんな感じがするのだ。俺自身、かなり曖昧で掴み切れていない感覚ではあるが。何処と無く、聖戦時代のカイに似ている。クソ真面目で頭でっかちで、ギアは平和を乱す悪で正義は我らに在りと真顔で宣言し、自分がこうだと決めた道を我武者羅に進み、それ故に視野狭窄に陥っていたあの頃の小僧に。いや、それは流石に言い過ぎか。あんな坊やと比較したらティアナに失礼だな。正義がどうたら言わない分、ティアナの方が遥かにマシだ。「……」「……」「……」「……」何だこの空気? ……いかん。上手いフォローが思いつかん。掛ける言葉が見当たらない。ナカジマ姉妹もティアナの様子が変だと気付いて顔を見合わせるが、どうすればいいのか分からないらしい。「……ま、その、なんだ。お前らの普段の生活を振り返って見りゃこんな経験したこと無ぇだろ。人生経験だと思って――」「ふざけないでください」その時、感情を押し殺す掠れた声が鼓膜を叩き、俺の言葉を遮った。その人物はこの場でティアナ以外にあり得ない。「アタシ達に仕事をさせるつもりなんて初めから無かったんですよね?」「ティア、ソルさんは別にふざけてる訳じゃ――」「悪いけどスバルは黙ってて」「……」語気を荒げるティアナの声にスバルはしゅんと項垂れてしまう。キッ、と睨み付けてくるティアナの視線を真っ向から受けつつ、俺は誤魔化すのは不可能だと悟り肩を竦めて答えた。「まあな」「やっぱり……!!」悔しそうに唇を噛み締めるティアナの両隣で、ギンガは俺の意図をなんとなく察していたのかこれ見よがしに溜息を呆れたように吐く。そしてジト目で睨んでくる。その視線は「自分でなんとかしてください」と言外に語っている。「どうしてですか? アタシ達は確かにまだまだ未熟です、それは痛い程よく分かってます。でも、請けた仕事を取り上げられる程未熟なんですか?」「別にそんなつもりじゃねぇよ」「ならどういうつもりなんですか!? そんなにアタシ達は役立たずですか!!」怒気を隠そうともせず大声を出される。周囲から奇異の眼を向けられたが、大声を上げた本人はそんなことなど気にも留めず俺を睨む。――『何故、本気で戦わないんだ? 私では、不服なのか!?』その姿がまだまだ坊やだった頃――具体的にはシンが生まれるよりもずっと前――のカイとダブって見えた。俺に認めて欲しくて、しつこいくらいに勝負を挑んできた若かりし頃の坊やに。だが、カイと比べるとティアナは何処か危うい。実力とか強さとかそういう面ではなく、もっと精神的な面で。あいつは一人でもどっしり構えて立ち、歩き続ける精神的な強さを持っていた。物心ついた頃から最前線でギアと戦い、若干十六歳にして神器・封雷剣を国連から正式に授かり聖騎士団の団長に就任し、聖戦という地獄を潜り抜けたので当然と言えば当然だが、ティアナは違う。こいつは、やはり何処か無理をしているように感じる。「……」俺は黙りこくったまま、ティアナの簡単な経歴を脳裏に過ぎらせた。ティアナ・ランスター。兄のティーダ・ランスターが志半ばで就くことが出来なかった役職、執務官を志望している。空戦魔導師を希望していたが士官学校も空隊にも不合格となってしまい、結局陸士訓練校に入校しそこを首席で卒業した。その後はスバルと共に陸士386部隊に配属され2年程度災害救助の仕事をこなしていたが、俺とティーダが交わした約束によりDust Strikersへと出向することになった。年頃の女の子が興味を示すようなことには無関心を貫き、ただひたすら魔導師として管理局員として上を目指し続ける少女。『強くなりたい』という気持ちを確固たる信念の元にして訓練に励んでいる、というのは薄々勘付いていたが……一体何がこの少女を此処まで駆り立てるのだろうか?この十年、聖王教会の騎士団や管理局の武装隊を相手に教導などを数え切れない程行ったが、ティアナのような眼をしている者は少ない。そのような眼をしているのは、俺の知る限りむしろ”あっち”に居る連中が大半だった。復讐の為に、成すべきことを成す為に、生きる為に、己の欲望の為に、ただ純粋に強くなりたいが為に、誰かを守る・救う為に、という風に理由や目的は様々であったが、誰もがそれぞれに合った”力”を渇望していた俺の故郷の住人達。考えても明確な答えは出ない。当たり前だ。俺はティアナと仲が良い訳では無い。というより、嫌われているのが気配で分かる。事務的な会話はあれど、プライベートな会話をしたことは一切無い。故に、俺にはティアナが求める強さの理由が分からない。それにしてもまさか俺の行動が裏目に出るとは思ってなかった。ティアナにとっては完璧に年寄りの余計なお節介だったようだ。どうしたもんかな? と悩みつつ後頭部をボリボリかいていると、背後から気配がするので振り返って見れば、そこには三人と同じメイド服を着用したなのはが居た。その後ろにはすずかとアリサも居る。「それなりに集客出来たからお店に戻ろうかと思ってたんだけど、どうしたの?」「……いや、なんでもねぇ」溜息を吐いてかぶりを振る。なのは、すずか、アリサの三人も俺達が纏う空気がおかしいことを察したのか、若干戸惑った表情を浮かべ俺達の顔を見比べ、その視線がティアナの顔で止まった。「もう付き合い切れません」ティアナは先程の激情を無表情の仮面を纏って即座に隠すと、一人歩き出す。翠屋とは逆方向へ。「ティア……!」スバルが押し留めるように手を伸ばすが、届かない。空中で何も掴めずに終わった手を力無く下ろした。「全く、何やってんだか」微妙な空気が漂っているのを吹き飛ばすように、鼻息荒くアリサがプリプリ怒り出す。「何があったのか知らないけど、なんとなくなら分かるわ。どうせアンタの厚意が捻じ曲がって伝わった所為で、何か勘違いさせちゃったんでしょ?」「……」アリサの言葉に俺は沈黙で肯定する。「ティアナ、真面目だもんね」「俺の想像以上にな」「しかもお兄ちゃんって天邪鬼だから、真面目な人を勘違いさせ易いし」「うるせぇ黙れ」俺はなのはの頭を軽く小突いた。小突かれているのに何故か「えへへ」と喜ぶなのは…………喜ぶな。「でも、ソルくんの厚意って分かり難いのは確かだよ」朗らかにそう言うすずかに、俺はグゥの音も出ない。「今は少しだけティアナを一人にしてあげましょう。それで構わないわね、スバル?」「あ、うん……そうだね」ギンガの提案に不承不承頷くスバルの姿を確認し、なのはが俺の背後に回り込む。「とりあえず翠屋に戻ろう、ね?」「ちっ、しゃあねぇな」なのはに背を押されて俺達は翠屋へと向かった。SIDE ティアナ我に返ると、アタシは海が見える公園に居た。青い空の下、一面に広がる海は太陽の光を受け、キラキラ輝いている。それと比べて今のアタシはこれ以上無い程無様だ。「アタシ……何してんだろ……」丁度良く傍にあったベンチに腰掛け自嘲気味に呟く。誰にも聞かれなかった言葉は波の音にかき消され空気に溶ける。本当に、何をしているのだろう?いい加減、嫌気が差してきた。自分の周囲に居るのは歴戦の猛者か、特別な才能や凄い魔力を持っている人達ばかり。凡人は自分だけ。そんなの関係無いって、誰よりも努力すれば一流の人達に引けを取らないって思ってたのに。仕事を取り上げられるなんて思ってもみなかった。そんなにアタシ達のことが信用出来ないのだろうか? こんな仕打ちを受けなければいけない程にアタシは仕事が出来ないと認識されているのだろうか? そんなに役立たずなのだろうか?脳裏にフラッシュバックするのは、兄が上官に役立たずだと罵られた当時の光景と、――『んなこと俺が知るか』心底どうでもよさそうに紡がれたソル=バッドガイの台詞。悔しくて悔しくて、凡人な自分に嫌気が差してくる。いつか必ず見返してやるって思っていたのに、ソル=バッドガイのことを一つ知る度に打ちひしがれてきた。頭がキレて、ありとあらゆることに対して誰よりも完璧にこなして、一人で何でも出来て、絶大な”力”を持っている男。大きな背中はとても遠くて、どんなに頑張っても近付くことすら出来ないと思い知らされて。その実力と才能が羨ましくて妬ましくて、そんな風に考えて嫉妬する自分に嫌気が差してくる。アタシって最低だ。あの人から見ればアタシなんて碌に修羅場を潜ったことの無い小娘でしかないのは初めから自覚しているのに、ついカッとなって感情のままに怒鳴って。さぞかし幻滅されたに違いない。きっと今頃「所詮ガキか」って溜息を吐いているに決まっている。心の奥底で駄々をこねる子どものように無い物ねだりをして、アタシはなんてみっともないんだろう。世界で自分が一番惨めな奴に思えてきて、更に気持ちが沈んでいく。とにかく今は、誰とも顔を合わせたくない。そう思っていたのに、鼓膜ではしっかりと誰かが近付いてくる足音を捉えていた。靴の裏で砂を噛む音が規則正しく聞こえてきて、それがアタシのすぐ傍で止まる。「喉、渇いてませんか? ジュース買ってきましたよ」顔を上げたそこには、アタシに向かって缶ジュースを差し出し、柔らかい笑みを浮かべるエリオが居た。エリオはやや強引に缶ジュースをアタシに手渡すと、何も言わないまま隣に腰掛け自分の分の缶ジュースをグビグビ飲み始める。「いやー、慣れてるんですけどやっぱり喉が渇きますね、客寄せって」「……」生き返る、と溜息を吐くエリオにアタシは応えない。しかし、エリオは気にした素振りなど微塵も見せず、しつこく話しかけてくる。翠屋の女性従業員の制服がメイド服になったのは十年前なんですよとか、皆さんのメイド服姿似合ってて可愛かったですよとか、フェイトさんとアインさんがメイド服を着ると父さんのことをご主人様って呼ぶんですよとか、本当にどうでもいいことを。その口調は本当に楽しそうで、アタシの今の心境なんて少しも気に掛けていないような気がして、段々隣に座るエリオが鬱陶しく感じて、静かな声で恫喝するように警告した。「何の用? 用が無いなら悪いけど放っておいてくれないかしら」「あ、やっとリアクション返してくれた。これ以上無関心貫かれたら諦めようかと思ってたから、良かった」怯えるどころか屈託の無く笑うエリオを見て、アタシはそれだけで毒気を抜かれてしまう。溜息一つ零し、今度は自分から話しかける。「……で? アタシに何が言いたいの?」「ティアナさんこそ、何か言いたいことがあるんじゃないですか?」「アタシが?」コクコク首肯するエリオが妙に可愛い。「別に言いたいことなんて、無いわよ」「ダウト!!」突然エリオはアタシの鼻先に指を突きつけてきた。「ティアナさんには言いたいことがある筈です。言いたいことと呼称するよりは、文句や愚痴って呼称した方が良いかもしれませんけど」「別にそんなの無いわよ」「はいダウトー。本当に無いんですか? これっぽっちも? そんなの嘘ですよね? 父さんに言ってやりたいことなんて山程ある筈ですよ」分かってるんですから、と腕を組んでいるエリオの言葉の中にあった『父さん』という単語に頬引き攣らせてしまう。アタシの表情の変化を読み取ったエリオがニヤニヤ笑う。こんな子どもに心を見透かされてしまっているようで、なんか恥ずかしいような悲しいような微妙な気分になってきた。「一度はゲロッとしたらいいんじゃないのかな。ストレス溜め込むと身体にも心にも悪いですし、気分もグッと楽になります。あ、勿論誰かに告げ口するような真似は絶対しませんから」エリオは相変わらずニヤニヤ顔を貼り付けたまま、アタシが現状に対する不満やら愚痴やらといった本音を吐き出すのを待っている。「愚痴の聞き役くらいにはなりますよ。その為に、街の中を一人で歩いてるティアナさんを見つけて、僕一人で追いかけてきた訳ですし」「……ああああああああああ!! もう分かったわよ、吐けばいいんでしょ吐けば!!! 言いたい放題言ってあげるんだから、聞き逃すんじゃないわよ!!!」観念したアタシはスバルにすら言ったことのない、才能に対する劣等感や、ひいては”背徳の炎”の方々――特にソル=バッドガイ――に対する不平不満や文句や愚痴を、これまで溜め込んでいた全てをブチ撒けた。SIDE OUT「ちょっと、エリオ聞いてんの!?」「聞いてます、聞いてますって」「なんかアンタ、段々反応が薄くなってきてるわよ」「流石に同じ話が一時間もループし続けてれば、誰だってリアクション薄くなりますよ?」「何よ!! アンタが話してみろって言うから聞かせてあげてるのに」「……ううぅ、失敗したぁ」エリオは心の中で涙を零しながら、ティアナの手の中でペシャンコになっている空き缶に眼を向けた。先程ティアナに渡したジュース、実はアレ、二十歳未満はお断りの酒なのだ。コンビニに寄って「お遣い頼まれたんです」と純粋無垢な十歳児というゲロ臭い演技をしてまで購入したもの。ちなみに自分のは普通のジュースだ。飲酒は父であるソルに一人前と認めてもらえるまで飲まないと勝手に決めている。景気付けにこのくらい良いよね? と軽い気持ちでティアナに飲ませてしまったのだが、意外なのかそうでないのか、彼女は一本飲み干すと酔っ払いと化していた。(おかしいな? たった一本で酔っ払うなんて、ティアナさんお酒に慣れてないのかな?)純粋にエリオは知らない。飲み易いのを考慮して果実酒を選んだ訳だが、下手な果実酒はビールよりもアルコール度数が高く、飲み易い故に悪酔いし易い。しかも買ってきたのは500mlのお徳用で、ティアナはそれを話し始める前に一気飲みしていたのだ。そもそもエリオの周囲に居る連中はソルを筆頭にどいつもこいつも飲兵衛なので、缶一本で酔うとは思いもしなかった。(そう言えば父さんが言ってたな、『酒は飲むもんじゃねぇ、楽しむもんだ。だから、酒に呑まれてこいつらみたいになるのは言語道断だ』って)母さん達と一緒でティアナさんも絡み酒か、とエリオは十歳児ではあり得ない達観を以って隣に居る酔っ払いの相手をする。まあ、母達は違う意味で父に絡んでいる、というか身体を絡めているので正確には一緒じゃない、というか全然違う。未成年の飲酒は法律違反? ”背徳の炎”は何時でも何処でも治外法権なのだ。「どうせアタシは凡人よ」「そうですね」「少しはフォローしなさいよ、そんなんじゃ女の子にモテないわよ」「ティアナさんは凡人なんかじゃないですよ。精密射撃凄い、僕には真似出来ないなー」「アンタみたいな才能の塊に言われても説得力無いわよ!!」「僕にどうしろと?」話し始めて一時間くらい経過したあたりから、だいたいこんな感じ。それがループ、正直辛い。毎回絡み酒の酔っ払い連中を相手にしている父を、エリオは改めて尊敬した。その後、公園内にあった自販機で購入したスポーツドリンクをティアナにしこたま飲ませて尿意を催させる。落ち着き無くソワソワするようになった彼女をさり気無くトイレへと誘導。トイレに駆け込んでから暫くして漸く酔いが醒めてきたのか、ティアナは平時の冷静さを取り戻す。「なんか色々と凄いこと言ってた気がする……」「言ってましたね。いつか必ずこの手で”背徳の炎”の連中を全員ぶっ倒すって」「嘘!? そんなこと言ってたのアタシ?」「嘘です」「……」半眼になって睨んでくるティアナの視線を軽く受け流し、エリオは肩を竦めて続けた。「でも、こうは言ってましたよ。必ず父さんに、『ランスターの弾丸に撃ち抜けないものは無い』ってことを証明してみせるって」「それは、うん、言った。覚えてる」「ティアナさんも父さんに認めて欲しいんですね。僕達と同じだ」「アンタ達も?」首を傾げるティアナの横で、エリオは決意に満ちた笑みを見せる。その顔は年相応の子どもの笑みで、憧れの存在を追い続ける若者の眼だった。なのはさんを見るスバルの眼に似てる、とティアナは思う。その表情に彼女は一瞬だけ見とれてしまう。こんなに小さな子どもが、相棒のスバルと同じようにとても眩しく感じて。「父さんのこと、大好きです。誰よりも強くて、優しくて、躾は厳しいし怒ると凄い怖いけど、父さんが僕達のことをどれだけ大切に思ってくれてるのか実感してますから」「憧れのお父さんって奴ね」両親を物心つく頃に事故で亡くしてしまったティアナとしては、”父親”という存在がどんなものなのか理解出来ない。だが、漠然となら分かる。実の兄、ティーダが常に傍に居てくれた。きっとティアナにとってティーダが兄であると同時に父であり、尊敬の対象であるのと同じように。「僕は、プロジェクトFATEによって生み出された特殊クローンです」何の脈絡も無く唐突に語り出すエリオの台詞を聞いて、その内容の重さにティアナは驚愕で眼を見開く。「”本当の僕”、エリオ・モンディアルは何年も前に病死しました。その代わりとして、僕はこの世に生を受けました」まるで昨日の出来事のように淡々と語る口調。「けど、”本当の僕”の両親にとって僕は、文字通り代わり以外の何者でもなかったみたいで……何処かは詳しく知りませんがプロジェクトFATEの申し子だとバレると実にあっさり捨てられましたよ」「……エリオ」「捨てられた後は違法研究所で実験動物の日々です……いやー、あの時は辛かったなー。苦しくて辛くて、でも逃げ出せなくて、誰も助けてくれなくて、僕をモルモット扱いする違法研究者共を殺したくて殺したくて、世界が憎くて憎くて仕方がありませんでした」口調とは裏腹に、当時のエリオがどんな心境だったのか容易に想像出来る酷い話だ。「でも、そんな時に父さんが助けてくれたんです」ニコッと笑い、口調がやたら嬉しそうになったエリオは当時のことを熱に浮かされたように語る。「僕を助けてくれたあの炎の輝きは一生忘れません。忘れるなんてきっと無理です。周囲を照らし視界を埋め尽くす紅蓮の炎、力強くて大きな背中、燃え盛る炎の剣、熱気に煽られて揺れる黒茶の長い髪、どんな刃物よりも鋭い眼光を放つ真紅の瞳、初めて眼にした父さんの姿は今でも鮮明に覚えてます」ヒーローに憧れる十歳の少年の姿がそこにはあった。「父さんは僕を助けてくれただけではなく、家族として迎え入れてくれました。誰かの代わりなんかじゃない、一人の息子として……本当に感謝しているし、尊敬もしています。だからこそ、僕は父さんのようになりたいんです」「お父さんみたいに、ね」ふーん、とティアナは鼻を鳴らす。「はい。今はまだ子ども扱いされて現場に出させてもらえませんけど、いつか必ず父さんの隣に、子どもとしてではなく一人の男として、戦士として並んでみせます」握り拳を作り、決意を秘めた眼差しで強い光を放つエリオは更に続けた。「だから、ティアナさんも一緒に頑張りましょう」「え?」虚を突かれてティアナは口を半開きにしてしまう。「僕達もそうですけど、ティアナさんも、スバルさんも、ギンガさんも、父さんにとってはまだまだ”守るべき子ども”なんです」「守るべき子ども?」意味がよく分からず聞き返す。「そう。父さんはとても優しくて、身内に甘くて過保護な人ですから、大切な人に危険なことをして欲しくないって思ってるんです」「ちょっと待って。スバルとギンガさんがソルさんの身内っていうのはなんとなく理解してるけど、その身内にアタシも入ってるの?」信じられないことを聞いたと言わんばかりに疑問を口にするティアナに対し、エリオは何を今更といった感じに呆れる。「気が付かないのは無理もないですけど、父さんって結構見てないように見えて凄く見てるんですよ。だって、ティアナさん達のこと、いつも気に掛けてますから」「嘘……嘘だわ!! だったらどうして――」声を荒げ、ティアナは立ち上がりエリオを上から睨む。「どうしてあの時、兄さんのことなんて知らないって言ったの!?」「あの時って、一体何のことですか? 具体的に説明してくれないと意見が言えませんし、ティアナさんの言ってることを否定することも肯定することも出来ません」興奮して大声を上げるティアナとは対照的に冷静な態度で返すエリオの言葉に、ティアナはエリオ本人が分かる訳無いと頭を冷やし、ベンチに座り直す。「差し支えなければ話してくれませんか? もしかしたら何か分かるかも」「う……」ティアナはこれまで何年も抱え込んでいた胸の内に燻る黒いものを、エリオに曝け出そうかどうか迷う。「お願いです、話してください」ペコリと頭を下げるエリオのつむじを見下ろし、数秒の逡巡の末、ティアナは過去を語ることにした。兄が逃走中の違法魔導師を追跡している最中、犯人の罠に嵌り殺されかけたこと。寸前でソルが助けに入ったことによって犯人は無事逮捕され、兄は一命を取り留めたこと。命は助かったが、その時の怪我が元で魔導師としてのティーダ・ランスターは再起が出来なくなってしまったこと。そのことを兄の上官から散々『失態だ』とか酷いことを立て続けに言われ、おまけに犯人を難無く取り押さえたソルと比べられた上で『役立たず』と罵られたこと。ソルに縋り付いて兄は役立たずじゃないと訴える自分に対し、ソル本人から直接『んなこと俺が知るか』と言われたこと。兄を認めてくれなかったソルに、兄の魔法は役立たずではないと証明してみせると誓ったこと。「これが、アタシがソルさんに対して抱いてるコンプレックスの根源よ」語り終え、深い溜息を吐いてエリオの顔を覗く。と、彼は難しい顔をして腕を組み、「むぅぅ~」と唸っている。「……どうしたの?」「いやぁ、話を聞く限り、父さんはわざわざティアナさんのお兄さん、ティーダさんをお見舞いしに来て『もっと早く助けられなくて悪かった』って謝罪したんですよね?」言われてティアナは、そういえば、と思い返す。今更だが冷静になって思い出してみれば、ソルは確かにティーダのお見舞いに来たのだ。「そんな父さんが、ティーダさんは役立たずじゃないという訴えに対して本当に『んなこと俺が知るか』って言いますかね? 少なくともティーダさんの人となりや経歴を知っていたら絶対に出てこないと思うんです」まさか自分は今までとんでもない思い違いをしていたのではないか、そんな考えがティアナの脳裏を過ぎり、導き出された答えをエリオが紡ぐ。「もしかしたらなんですけど、当時の父さんは純粋にティーダさんのことを知らなかったんじゃないんですか?」「……!!」「認める認めない以前に、ティーダさんがどんな人物であるかを判断する情報を父さんは有していなかった、ていうのが僕の見解なんですけど、どうです?」ティアナにエリオの推理を否定することは出来なかった。これがあの時言われたことであれば頭から否定しただろう。だが、今は当時から何年も経ち、身も心も成長した。何よりティアナはソルの人となりを知っている。犯罪者に容赦しない冷酷非道の賞金稼ぎは、別の側面から見れば粗野な外見とは裏腹にとても人情家な人物である、と。常にぶっきらぼうで眼つきが悪く、口調も乱暴で面倒臭がりで無骨な性格ではあるが、実はとても面倒見が良く父性溢れる男性。「じゃあ、アタシ、もしかしなくても、今までずっとソルさんのこと……勘違いしてた?」喉を震わせ、力が篭らない声が大気に霧散した。「たぶん、そうだと思います。ついでに言えば、今日のことも」遠慮がちに言ってくるエリオに、「今日もってどういうこと?」と息も絶え絶えに聞く。「さっきティアナさんは『自分が役立たずだから仕事を取り上げられた』って言ってましたけど、さっきも言った通り、僕達は父さんにとって”守るべき子ども”です」「……つまり?」「父さんは仕事を取り上げるつもりなんて毛頭無くて、ティアナさん達に年相応の休暇を楽しく過ごして欲しかったんじゃないかなーって邪推してます。ほら、父さんって天邪鬼だからそんなこと口では絶対に言わないし」「……」陸戦魔導師Bランク試験前にスバルとアルフが言っていたことを思い出す。――『ううう、やっぱりソルさんって私が管理局員になったこと、まだ反対してるんですね……』――『あの男はあー見えて女子どもには甘いからねー。どうせ”子どもは子どもらしくしてればいい”だとか、”年頃の女の子は仕事とかそっちのけで恋愛でもしてればいい”とか思ってんじゃないの?』ティアナはこれまでのソルの言動や、ソル以外の人間の視点で見た彼の人物像を必死になって思い出し、そして一つの解に辿り着く。Bランク試験後のソルの態度は、スバルやティアナのような少女が戦う道を選んだことに憂いていたのではないか?訓練の時は誰よりも厳しかったソル。鬼だ悪魔だと陰で囁いていたが、過保護な性格だからこそ彼は心を鬼にして厳しく教導してくれていたのだ。おまけに自分のデバイス制作にも関わっていた。直接制作に携わっただけではないが、制作者のシャーリーはソルの助言のおかげで「良い子達が出来た」とご満悦だった。しかも、クロスミラージュだけはソル自ら、わざわざ性能テストまで買って出てくれた。考えてみれば今日のことだっておかしい。ロストロギア封印の仕事を控えた人間を半ば強制的に街へ連れ出して遊ばせるなど、仕事に対してかなりドライな思考を持つ”背徳の炎”の面々がする訳が無い。今日のことは”背徳の炎”の面々が画策した、ティアナ達の仕事に見せかけた休暇なのでは? だからこそソル一人が居なくなり、先程戻ってくるなり「お前達の本来やるべき仕事はもう終わった」と告げたのだ。――『……ま、その、なんだ。お前らの普段の生活を振り返って見りゃこんな経験したこと無ぇだろ。人生経験だと思って――』途中で遮ってしまった言葉。ソルは初めから今日の仕事を自分達にさせるつもりは無かった。それが自分達に対する気遣いで、そうとは知らずにティアナはあの場を「もう付き合い切れません」と見限って立ち去った。「アタシ……本当に馬鹿みたい……勝手に勘違いして、逆恨みして……これじゃあ本当に、ただの子どもじゃない」吐き出す悔恨。横に居るエリオはティアナの様子の変化に泡を食って右往左往していたが、父の普段の行動を真似たのか項垂れているティアナの頭に手を置き、無言で優しく撫でた。「ごめん、なさい……ソルさん」暫くの間、ティアナはエリオに頭を撫でられながら、此処には居ない人物に小さく謝った。後書き以前の更新から随分と時間が空いてしまいました。リアルの方で忙しかった、というのは言い訳ですね、すいません。無印、A`sの何割かが『ユーノ成長日記』だとしたら、STSは間違いなく『ティアナ成長日記ですね』wwwしかもティアナが主人公であるソルを食ってしまいかねない勢い、どうしてこうなったwwwwおかしいな。女性キャラの中でそこまで上位に食い込んでくる程好きなキャラではない筈なのに、ティアナ。ま、書いてて面白いからいいか!!ではまた次回!!!